瀬崎祐の本棚

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タルタ  20号  (2012/02)  坂戸

2012-03-11 00:48:23 | 「た行」で始まる詩誌
 千木貢の詩論には、なるほどと考えさせられることが多い。今号の「現代詩の風景(3)」は「イメージとシーン」という副題が付いている。
 千木は、ある詩作品に「あ、ヌーベルバーグの映画のワンシーンみたいだ」と思うのだが、こういった感慨が浮かぶのはよく判る。私(瀬崎)も、詩作品を読みながらなんの脈絡もなくM.アントニオーニの「欲望」の風で木立が激しく揺れているシーンを思い浮かべたりする。さらに千木の論はイメージとシーンにすすむのだが、両者の違いは、
 
   シーン〉は〈見る〉ことを可能にするが、〈イメージ〉
  は〈見ない〉ことにおいて〈見る〉のであって、謂
   わば〈見ないことの不可能性〉といった二重否定の
   かたちで出現する。

 今まで”シーン”という想像の仕方について深く考えることがなかったのだが、”イメージ”との違いを認識することによって、ある広がりを感じることができた。私(瀬崎)があるものを想像・想起する場合に、そのものに抽象的な意味合いを持たせて想像するのか、それとも具体的な行為をともなう意味合いのものとして想像するのか、そのあたりの違いがあるように思える。同じ想像という行為であっても、求めている形象の次元が異なっているのだろう。
 想像はやはり大切だ。千木の文章の終わり近くは、

    言葉と風景の〈出会いの軌跡〉を辿ればそこに
   〈想像〉の世界が広がってくる。映画が動くこと
   で感性を刺激し続けるなら、文学は想像すること
   で感性の扉を開いてゆく。

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