125頁に25編が収められている。
大部分の作品を詩誌「兆」発表時に読んではいたのだが、こうしてとおして読んでみると、柔らかくあたりを包んでしまうような感覚が満ちていることにあらためて気づく。
林の作品は、目に見える具体的な事象からはじまり、なんの段差もなくいつの間にか、物事の普遍的な部分へ流れついていく。ただそれがあまりにも静かにおこなわれるので、それと意識することもなく高みへ昇っているのだ。
「油膜のきらめき」では、言葉を持った一匹の虫のことを夢想している。コブシの木には大量の虫が発生し、木の近くに置いた水瓶の中にも落ちていく。そして水面にうっすらと油膜を残すのだ。言葉を持った虫がいたら枝から落ちるときになにを見るだろうかと思っている。そして、
その虫が水瓶の中に落ち
やがてからだが解体し
言葉だけが残ったとしたら
水の底から
水面の美しい油膜のきらめきを
見上げることもあるのだろうか
(最終連)
「方法」「朝、病院で」「詩集のあとで」「枯野」「花」については詩誌発表時に感想を書いている。
大部分の作品を詩誌「兆」発表時に読んではいたのだが、こうしてとおして読んでみると、柔らかくあたりを包んでしまうような感覚が満ちていることにあらためて気づく。
林の作品は、目に見える具体的な事象からはじまり、なんの段差もなくいつの間にか、物事の普遍的な部分へ流れついていく。ただそれがあまりにも静かにおこなわれるので、それと意識することもなく高みへ昇っているのだ。
「油膜のきらめき」では、言葉を持った一匹の虫のことを夢想している。コブシの木には大量の虫が発生し、木の近くに置いた水瓶の中にも落ちていく。そして水面にうっすらと油膜を残すのだ。言葉を持った虫がいたら枝から落ちるときになにを見るだろうかと思っている。そして、
その虫が水瓶の中に落ち
やがてからだが解体し
言葉だけが残ったとしたら
水の底から
水面の美しい油膜のきらめきを
見上げることもあるのだろうか
(最終連)
「方法」「朝、病院で」「詩集のあとで」「枯野」「花」については詩誌発表時に感想を書いている。
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