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エッセイ集「アカシアはアカシアか?」 高階杞一 (2017/05) 澪標

2017-05-23 18:43:32 | 詩集
 副題は「詩歌の植物」。これまで知らなかったのだが、作者は農学部出身で、大きな公園の造園技師をされていたとのこと。そうだったのか。
 ということで、この書は古今東西の詩歌に出てくる植物についてのエッセイ集。詩誌「びーぐる」に連載されていたものをまとめている。

 たとえば冒頭の「アカシアはアカシアか?」で取り上げられるのは、郷原宏の作品に出てくる”ニセネムノキ”。実際にはこんな名前の街路樹はないだろう、おそらく”ニセアカシア”の誤りだろう、とのこと。ニセアカシアはハリエンジュのことで、アカシアとは見た目はまったく似ていないとのこと。では、何故、日本ではそのような言い方が広まってしまったのか、さらに、北原白秋が作品「片恋」で詩っている”あかしあ”は、実はニセアカシアであろうと推測している。その根拠は・・・と続く専門家の話は面白い。

 他にも三好達治、西脇順三郎、春山行夫、大手拓次の作品に出てくるバラについて考察したり、萩原朔太郎の作品「小出新道」に出てくる松林の表現から、その道がどこを差しているのか、考察したりしている。専門家の目はそんなことも考えるのか。
 中原中也と立原道造の作品に出てくる植物の種類などから、二人の生活ぶりをさぐったりもしているのは面白い視点だった。

 アヤメ、カキツバタ、それにショウブ。こうくると、私のような一般の人はまず見分けられないだろう。しかし専門家が見れば違いは一目瞭然のようなのだ。ふ~む。これらの花は古今和歌集のころからいろいろと詠まれている。作者は、みんな正確に見分けていたのだろうか?

本書では17編のエッセイが収められている。これまであまり気にせずに読み過ごしてきた詩歌の中の植物を本書のような視点で読むと、作品全体も今までとは違ったように鑑賞できるかもしれない。

 (蛇足)先日から夕方になると我が家の庭にツキミソウが白い花を咲かせている。野生でこの花が咲くのは珍しいようだ。太宰治の、富士には月見草がよく似合ふ、は実はマツヨイグサだったというのは有名な話。さらに竹久夢二はマツヨイグサを”宵待草”と言い間違えたらしい。
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