瀬崎祐の本棚

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詩集「春の箱庭」 葉山美玖 (2022/06) 空とぶキリン社

2022-06-03 18:10:40 | 詩集
第4詩集。101頁に31編を収める。

「Ⅰあかるい空」の章には、感情が表出されてしまうのを恐れるかのように淡々と描かれた作品が並んでいる。あえて無表情であることを選び取っているようで、その裏にはかなりに辛い心情が横たわっているのではないかと思える。
たとえば詩誌発表時に簡単な感想を書いた「乳母車」では、アパートの窓から「人気のない三月がよく見える」のだ。荷を降ろすトラックが止まっていたり、自転車の女子高生が走って行ったりするのだが、やはりそれは「人気のない三月」なのだ。最終連は、

   誰も乗っていない
   乳母車が通る
   桃の木の下に

その乳母車に乗っている筈だったのは、もしかすれば話者だったのかもしれない。しかし乳母車に乗せてもらっている自分の姿が、話者にはいつまでも見えないのだろう。

前詩集「約束」の感想で私(瀬崎)は、「書かれた事柄が事実である必要はないのだが、少なくともそこには作者がこのように書かなければならなかった家族環境や親子関係があり、そのなかで作者は育ってきたのだ。」と書いた。
そして「Ⅱ猫仏」の章では、母との確執から生まれた作品が並んでいる。その母は亡くなり、骨壺に収まる。
「母の一周忌」では、話者は心療内科あるいは精神科のようなところで医者と話をする。食虫花になってしまった母は「どんどん大きくなって」「私のことも飲み込もうとしたので、私は走って遠くの安全な場所に逃げ」たのだ。その帰り道、

   夕焼け坂を下りながら、私は自分のことをもう許してあげて、好き
   になってもいいような気がした。

「赦す」では、神父さんが「お母様を赦すとは/やったことを許可することでは/アリません。/もう過去のこととして咎めない/事デス」と呟く。そして最後部分、

   ずっと後になって
   わかったのは
   母を赦すことは
   自分の中の
   鬼に
   気づくことだった

ここには小さく震えている魂がある。第三者が何かを言える地点をはるかに超えたところで作品の言葉が紡がれている。

「Ⅲ春の箱庭」の章には、それらを受け入れて次の地点に歩みを進めた作者の思いの作品となっている。まるで家族関係の呪縛から抜けだしたようで、今の自分のありようを認めることで生き始めようとしている。   

   この小さな私の箱庭のような街から
   春は出航する
                   (「春の箱庭」最終連)

コメント (1)
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