瀬崎祐の本棚

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詩集「時の錘り。」 須永紀子 (2021/05) 思潮社

2021-05-21 17:36:32 | 詩集
 第6詩集。93頁に20編を収める。

 いくつかの作品では旧約聖書や古代ギリシャの物語が作品と重なり、陰影を深くしている。「リリトⅠ」「リリトⅡ」では、アダムの最初の妻でデーモンと交合したリリトがこの世界で話者を呼び続けているようだ。また別の作品では、話者は他者には理解してもらえない言葉を話す〈トリ〉であるし(「バルバロイ」)、あるいは記憶の水を流し続ける小鬼の姿なのだ(「ガーゴイル」)。これらの作品世界では、話者は否応もなく定められた受難に耐えなければならない存在であり、その世界に対抗するために話者は言葉を発しているようだ。

 「きみの島に川が流れ」では、きみは巨大な海中の怪物に追われて島に帰還する。その島で「長い無音が新しい川を呼びこむと」友人は去ってしまったのだ。

   ひとが消えても
   川は川としてあり、島全体が湿って
   街角に貼られたポスターの切れ端のようだ
   何度も上映された古い映画の
   クレジットの下方に書かれた名前
   「そんなひともいたね
   ようやく思いだされるタイプの、きみは一人で
   ひそかに望んでいることがふるまいにあらわれる

 無意識のうちにきみは独りであることを求めていたのかもしれない。怪物に追われるということは独りになるための場所をさがすことだったのかもしれない。しかし終連で話者は、「ボートに揺られて/向こう岸へ行くこともできる」ときみの明日について語る。それこそが”きみ”を語った話者の明日でもあるのだ。

「緑の靴」。破れさけた古靴を脱ぎすてて、わたしははだしで帰郷する。すると、わたしの足を付着した藻が包みこむ。草を抜いている母の背中に近づき声をかけようとするのだが「這いあがってきた藻が繁殖し/口から漏れるのは息だけ」なのだ。わたしの声はなぜ母に、故郷に、届かないのだろうか。すでに遅すぎたのだろうか。思いが届かないもどかしさと、陥ってしまった状態への悔恨が藻のように絡みついている。美しい余韻を残す終連は、

   わたしは川への径を急いでいる
   藻の靴は時を待たない
   川に属する者に帰還をうながす
   夜が近づく

 作品「試みの岸」では、「室内はみずうみのように静かで」「わたしは部屋ごと運びさられる」し、作品「広野」では閉じた眼の「まぶたの裏に生まれたての広野が映」っている。作者は錘りでつけられた傾斜をすべるように新しい世界に向かっていくのだろう。
コメント
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