瀬崎祐の本棚

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ここから 10号 (2020/05) 東京

2020-05-26 19:18:25 | 「か行」で始まる詩誌
 同人は14人(うち1人は休会)。66頁に12人の詩、11人のエッセイなどを載せている。

 「老後の練習」吉田義昭。
 私は死んだ妻と縁側で陽を浴びている。すると、もう消えた友人も遊びに来るのだ。「妻が老後の練習をしたいと言い/もう何年も座ったままの私たち」なのだ。作品を読む際に、実際の作者の境遇をある程度承知していることには功罪があると思う。しかし、この作品では「妻」のことを承知の上で読むことによって、作者の抱えている切なさはより深く伝わってきた。欠落したものを埋めることができないままに私もまた欠落に向かおうとしている。最終部分は、

   死んだふりは楽しいと
   妻は光に溶けかかっていた
   どこにも帰る場所がない

 「交差する」作田教子。 
 死んでしまっている祖母や兄、恋人がわたしに会いに来る。夢の中や、夕暮れの灯ともし頃、まどろんでいる午後、にだ。とっくにいなくなって過去にいる人なのに、「現在のわたしと/ふと視線が交わる」のだ。読んでいると、その人たちはわたしに会うためにわたしの中で必死に生きていてくれるのかもしれない、と思えてくる。最終部分は、

   わたしも
   死んでしまったひとたちに
   悲しげな声を届けないように
   ゆっくりと噛みしめるように
   時々空を見上げている

 「指はしゃべる」谷口ちかえ。
 キーボードを叩いてひたすら〈ことば〉を露わにしては捨てている。不燃物も生ごみも捨てなければならないし、女性は実らなかった卵も処理しなければならない。ブラインド・タッチの練習では、言葉をあらわすための指の動きだけが要求されている。

   食べた〈ことば〉の消化不良を機械は食べる
   意味なんて意味もないとつくづく思う
   釣り上げようとしても つれないあなた
   釣り上げようとして 釣れたわたし

 こう言われてみると、本当に意味のあることばがどれだけあるのだろうかと改めて思ってしまう。最終行は「わたしはいっとき白いお皿のような空白になる」。この感覚には実感がこもっていた。
コメント
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