瀬崎祐の本棚

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詩集「三日月をけづる」 服部誕 (2018/09) 書肆山田

2019-01-22 22:05:01 | 詩集
 このところ毎年詩集を編んでいる作者の第5詩集。123頁に27編を収める。

 「大空高く凧揚げて」。独り暮らしをしていた母の遺品を整理していると、納戸からは、「またなんぞの折りに使えるさかい」が口癖だった母がきちんととっておいた紙袋、包装紙、紐の束が大量に出てきたのだ。わたしは、いっそこれらを使って大きな凧を作って空に揚げることを夢想する。それは「大空高く 母よ 舞い上がれ」ということであり、すると「おお これこそがなんぞの折だわな」という母の嬌笑も降ってくるのだ。

   わたしは納戸の前に座りこみ
   色とりどりの美しい紙と紐を片付ける
   何の役にも立たなかったその几帳面さを思いだしながら
   母を片付ける

 素直な哀しみが伝わってくる。独居していた老親をおくった者であれば、この作品にはいっそう容易に感情移入できるだろう。最終行の「母を片付ける」という言葉が切ない。
この他にもこの詩集には亡くなった母にまつわる作品を多く収めている。母は今もわたしのところへやってきて、一緒に町を歩き、橋を渡るのだ。

 作者の視線は身の丈にある。背伸びをすることもないし、卑下や自虐もない。自然体で対象と向き合い、自然体で言葉を発している。奥底に一貫する優しさがなければそのような言葉を発することはできないだろう。

 「踏切の音が追いかけてくる」は、相当の年齢になった話者が時間と競争していた人生を詩った作品。それは高校通学や通勤時の電車に間に合うためのもので、遮断機の警報に追われるように生活してきたのだ。退職した今は、

   間に合わせなくてはならない今日は
   とっくにわたしを追い越してしまった
   夜を越えてやってくる明日も
   やすやすとわたしを追い抜くだろう

 そしていずれは「その向こうにひそんでいる/しずかな死の闇」がわたしに追いついてくるのだ。これまでを振り返り、残されたこれからの時間を思っているのだが、そこにあるのは決して諦観ではなく、受容であるだろう。対象にだけではなく、自身にも優しい心根がある。
コメント
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