瀬崎祐の本棚

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詩集「後の淵」 志村喜代子 (2018/08) 水仁舎

2019-01-06 16:02:06 | 詩集
 14年ぶりの第3詩集。正方形の判型で、水仁舎らしい瀟洒な装幀。85頁に31編を収める。三浦雅士の栞が付く。

 動詞は少なく、ものの名を呼ぶ声が静かに聞こえてくる。それらのものを最小限度に抑えられた動詞がつないでいる。ものや人の動きを見せるというよりも、動いてきたもの、これから動こうとしているものを見せている。

 「障子」。死者が戻った家は「障子が 破れ/大口をあけていた」のだ。なにかが「突きぬけた」ようなのだ。

   ふたたびは戻らぬ者の
   呼吸(いき)の切っ先が
   毎夜
   わたくしの内なる萱原をどよもす

 もはや他者の姿はなく、話者以外の人は誰もいないような静けさが詩集全体に漂っている。ただ一人で鎮魂をおこなっている詩集である。

 「湖水」。その「かなしばりの水面」は言いかけた言葉を沈めてしまう場所であるようだ。この世で意味のある言葉などありはしないようにも思えてくるのだろう。

   ここで
   と言い切った極みの
   青インク は
   すぐにも色褪せ
   青という青を消し
   この世を抜け出てしまう

 言葉が去った後に残されるものを探している。それは言葉では表現できないものであるから、そのためにも去って行く言葉を作者は発しているようだ。

夫を失った作者は、残された者として”後”に魅きつけられているという。”後の淵”というのも「うつつを生き、後ありて彼の世への明け暮れを結ぶ」往来であるかもしれないという。他者が不在であるように感じたのは、作者と並ぶ者が立ち去った後だったからなのだろう。
コメント
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