瀬崎祐の本棚

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詩集「絶景ノート」  岡本啓  (2017/07)  思潮社

2017-08-19 07:57:05 | 詩集
 第2詩集。束になった本文用紙を堅い厚紙で挿んだ組本は作者によるもの。帯には「緑の丘の線、花粉でスれた糸綴じノート」とある。
 目次もないために全体の構成を捉えるのにやや途惑う。”絶景ノート”は”絶景ノ、音”でもあるようなのだ。114頁に13編の作品、ということでよいのだろうか。

 前半に置かれた11編は、鈍行列車で日本列島をたどることによって生まれているようだ(「青い惑星の隅で」は異国のようだが)。「息の風景」では、見知らぬ人との交差がそこの風景を歪ませている。「木漏れ日は/いたむ肌になじ」み、「こんなウナギをつかまえたんです」という一言。

   呼び止めるこの人は
   狂っていないか
   さぐろうと
   交わしたたったふたことが
   風景に細かな傷をつけていった
   快速に乗り継いでみても
   すり傷は
   窓ガラスから消えない

 話者の気持ちの説明はなく、ただその場の風景だけが告げられている。書きとめるべきことは事件ではなく、事件が自分にとって何ごとであったかということだろう。それがないかぎりは事件は他所のできごとでしかないだろう。そこには風景のなかで不安定に揺れている自分が在るばかりなのだ。

 「巡礼季節」は、ポイントを落として印字された行を道程標のようにして、38頁にわたって進む彷徨の作品。あとがきによれば、作者は二十日で南アジアの諸国を巡ったとのこと。そこから生まれた作品では「ありきたりの自分は、宙吊りでこころもとないばかり」だったとのこと。

   ぼくは地上の悪態を愛する
   つかのまの、泡だらけの光景を愛する
   ぼくは腹を立て
   きみを見捨てる
   消える声を 聞こえる声を
   不愉快なツバとコトバで きつく
   きみの皮膚へ縫い込めるだけ

 こうして作者は”絶景”を求めて彷徨い、この作品が成立している。いや、書きとめられるまでは何も存在はしなかったのだから、作品が成立したためにはじめて生じた”絶景”なのかもしれない。
コメント
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