瀬崎祐の本棚

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詩集「華茎水盤」  吉田嘉彦  (2017/07)  思潮社

2017-08-03 17:17:02 | 詩集
 第4詩集か。60頁に15編を載せる。
 比較的短い行分け詩で、具体的で明瞭な意味を持つ言葉をつなぎ合わせているのだが、全体の意味は次第にとりにくくなっていく。
 たとえば「桜」の冒頭は、「昼間 青空を世話している桜/足跡だけの人を追っていくと桜で消えるのを確かめた」といった具合である。何かの暗喩かとも思わせるのだが、そんなこともなくて”桜”はやはり桜なのだろう。単純に意味をとろうとすれば、昼間は青空を背景に咲いていた桜の木のあたりで、夜、人の足跡が途絶えていた、ということなのだろうか。でも、こんな風に解釈をしてしまっては面白くないのだろう。

   私はそこで何かを学んでいるような気がする
   「夜桜にしかできない夜の壊し方がある」とか
   「夜桜が何の限度を試しているかは
   明かされていない」とか
   桜は毎年違うことをしている
   苦しくても それを見つけるまで見つめ続けるのだ

 この訳のわからなさをそのままに楽しむ。すると、読んでいる者にも桜の花びらが舞い散ってくるようになる(のだろう)。

 「チューリップ」では、そのままチューリップの花を詩っている。チューリップは「生死を超えて灯る」し、「秘儀を鍛えて垂直になる」のだ。こういった作品の場合、チューリップから出発してどれだけの広い世界を提示することができるかが、作品にとっては大切なことになるだろう。

   チューリップの外では
   どれ程多くの海を損ねてきたか
   どれ程多くの彗星を失ってきたか
   雛鳥を慈しみきれなかったか
   色素を整えきれずに叫んでいたか

 ただ、どの作品でも提示された世界が作者からあまり離れきれていないようで、それがいささか残念だった。

コメント
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