瀬崎祐の本棚

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詩集「チランジア」  赤木祐子  (2016/12)  港の人

2017-02-09 22:38:08 | 詩集
 111頁に35編を収める。藤井貞和の栞(詩折)が付く。
 詩集タイトルになっているチランジアは、根をもたずに葉から吸収する空気中の水分で育つ。そのために空気植物ともいわれている。そんなチランジアは「共同体も会話もない乾いた世界で意志を飛ばす」という一文が巻頭にある。

 前半の「dis-community」の章で描かれる家族像は、どこか薄ら寒いものを抱いている。家族の誰もが望んでいるわけではないのにその関係はどこか傾いている。
 たとえば「轢かれに行く」。わたしと弟は美容院の前で置き去りにされる。弟は一輪車に引っ掛けられ出血をする。そんな「わたしたち姉弟には/汚い色がついている」のだ。幼さの故か、他者との関係を疑うこともなくそのまま受けいれていて、そのうえでそこに生じる寒さを感じている。

   カラーとカットとセットを終えた母が来て
   置いていかれたときよりさらに薄汚れた
   わたしたち姉弟の前を通り過ぎる
   空の一点から飛んできた泣き声が
   母と傍観者たちが足踏みをする交差点に
   幾筋も深く突き刺さる
   一本のタイヤでは轢かれ方が足りない
   わたしたち姉弟も
   その中心点に向かって行く

 「非在階段」には家中のゴミを燃やす父がいる。父は「黙っていがみあう家族を」「火の力で清めたいのだ」。ここには親であること、そんな親の子供であることの寒い気持ちがある。その寒さは焔で温めることなどできないのだろうが。

   私という女の子をごみ箱に捨て家を出る
   私の破片は 次の日曜日に父が燃やしてくれるだろう

 後半の「dis-comuunication」の章の作品、「死ぬまで一緒に」は、「死ぬまで会えないので/あなたを呑みこんでしまいました」と始まる。そして、踏切を通過する電車のすべての座席にはあなたが座っているのだ。私の中のあなたは遮断機をくぐって無数のあなたが乗った電車にぶつかる。

   私の中のあなたがバラバラになって消えました
   なにごともなかったように大股で無数の線路を
   私は疲れもせずに
   横切って横切って横切って
   ひとかけらだけ残ったあなたの骸が
   頭蓋の片隅でいつまでもカラからと鳴っているのを
   気に留めることもなく
   死ぬまで横切って行きます

 ここにはいつまでも捉えられないあなたがいる。いつまでも私のものにならないあなたがいる。捉えるべきただ一人のあなたは幻影のようで、蜃気楼のようなあなたばかりが私にはあるのだろう。
コメント (1)
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