「審議会が著書歪曲」 「集団自決」軍強制削除
文部科学省から高校歴史教科書検定問題で「集団自決」(強制集団死)に関する学説状況をまとめた意見書を依頼された林博史関東学院大教授(現代史)は27日午前、提出した意見書を自身のウェブサイトで公開した。林教授は、教科用図書検定調査審議会(検定審)が林教授の著書を根拠に軍強制の記述修正を求めたことに対し「著書の内容を歪曲(わいきょく)したもの」とし「検定意見そのものが根拠のない、間違ったものである」と批判。検定審に対して、検定意見撤回をした上で「集団自決」における日本軍強制を明記した記述を認めるべきだとしている。
検定審は林教授の著書「沖縄戦と民衆」にある「(座間味島では)集団自決を直接日本軍が命令したわけではない」などの記述を抜き出し、軍強制の記述修正を求める根拠として挙げている。
これに対し林教授は同書で、渡嘉敷島、座間味島で日本軍が住民に事前に手りゅう弾を配り「自決」を命じていたことを挙げ、「集団自決」が日本軍による強制と誘導によるものであることは「集団自決」が起きなかった所と比較した時、より明確になると指摘していることを紹介。
「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍の強制と誘導によって起きたこと、日本軍の存在が決定的であったことは、沖縄戦研究の共通認識であると断言してよいだろう」と主張している。(略)
また「一つの命令があったかどうかではなく、日本軍が住民を集団自決に追い込んでいった過程が問題。実質的には日本軍の命令だった」とした。
林教授は意見書の冒頭、文科省から意見書を公表しないように求められたことを明らかにし「秘密裏に検定作業を行うことこそが、今回の検定問題の大きな原因であると考えるので、公表したい」と公開理由を述べた。
(琉球新報11/27 16:23)
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■林教授の「軍命みなし論」は安仁屋教授の屁理屈「合囲地境」の二番煎じ■
左翼学者・林国学院大学教授は「軍命あり派」の首謀者であるが、
その粗雑な論旨は【教科書問題】左翼学者の「すり替え論」で触れたた。
「軍の命令の有無」で争う論議は既に決着しており、「軍命あり派」にとっては別の土俵で勝負しなければ勝負にならない。
そこで彼らが持ち出して来たのが「『軍の命令があったかどうか』は問題ではない」という屁理屈である。
彼らは、戦時中は例え役所の指令・指導であっても軍の命令であり結局は国家の命令である、と「国家の戦時体制」という大きな土俵に議論を持ち込む。
しかし、法律上で言えば、例え戦時中といえども軍が民間に命令することは出来ない。
立憲主義に基ずく法治国家の日本で軍が民間に命令が出来るのは、戒厳令が発令された時に限られる。
だが日本で戒厳令がしかれたのは1936年の2・26事件が最後であり、1945年当時の沖縄で戒厳令は発布されてはいなかった。
戒厳令(martial law)とは立憲主義に基づく法治国家において、憲法以下法令において定める国家緊急権(非常事態権)に基づき、戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合において、国民の権利を保障した法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の権力下に移行すること及びそれについて規定した法令をいう。(ウィキぺディア)
戒厳令下では一切の地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌という理由で、「軍命あり派」にとっては、どうしても戒厳令の発布が必要である。
そこで家永裁判でも原告側の証人となった左翼学者・安仁屋政昭・沖縄国際大学が、「合囲地境」という聞きなれない概念を持ち出して役所の指示・指導を軍の命令とみなす根拠にした。
「合囲地境」とは、敵に包囲されている、または攻撃を受けている地域のことで、戒厳令が発布されておかしくない状況を言う。
だが、「合囲地境」も安仁屋教授が勝手に沖縄を「合囲地境」とみなしただけで、歴史的事実で言えば戦時中沖縄どころか日本全国で戒厳令は発布されていない。
林教授の「一つの命令があったかどうかではなく、日本軍が住民を集団自決に追い込んでいった過程が問題。実質的には日本軍の命令だった」といった「軍命みなし論」は、
安仁屋教授の「合囲地境みなし論」の二番煎じである。
わざわざ相手の土俵に乗って「合囲地境」に触れたが、「軍命あり派」の最後の砦とも言うべき「合囲地境」については、
既に【岩波・大江訴訟】 合囲地境は被告側の最後の砦で論破してある。
>渡嘉敷島、座間味島で日本軍が住民に事前に手りゅう弾を配り「自決」を命じていたことを挙げ
「軍命令」を示す客観的証拠は皆無だが、「軍命あり派」にとって「手りゅう弾配布」が唯一の証拠とされている。
だが、これはも沖縄タイムスその2 「手りゅう弾が唯一の“証拠”」で既に論破済み。
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林教授はHPで「意見書」を公開したがブログ掲載は不可とのことなので、同じ論旨の対談記事で再度コメントしてみよう。→意見書全文は、こちらから。
マガジン9条
この人に聞きたい
林博史さんに聞いた その1沖縄戦の集団自決問題の真相
(略)
教科書検定制度の「詐欺」
編集部 (略) この検定において、文科省が訂正の「根拠」として持ち出したのが、林さんの著書『沖縄戦と民衆』でした。しかし、通読すればすぐわかるように、林さんはこの中で、「日本軍による強制」を否定しているのではなく、むしろ多数の証言からその強制性を明らかにしようとされているんですね。
林 そのとおりです。たしかにその本の中には、集団自決のその場において、「今自決せよ」といった直接的な命令はしていないだろう、という表現はあります。文科省は、そこだけを取り上げて「この本の中でも強制は否定されている、だから記述を変えろ」と言ったわけですね。本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない。
(略)
問題は「命令があったかどうか」ではない
編集部 その「詐欺」的なやり方だけではなく、文科省が出してきた検定意見そのものが論理的に破綻している、とも指摘されていますね。
林 検定意見では、「集団自決しろという命令は出されていない」から書き換えろ、ということになっていますね。でも、教科書の記述は、日本軍によって「集団自決を強いられた」とか、「集団自決に追いやられた」というものであって、「軍命令に従って」なんていうことは、最初からどこにもないんです。
たとえば、座間味島での集団自決において、部隊長が「自決しろ」という命令を出していないと自ら主張しているようなことは、少なくとも20年以上前にはもうわかっていた。沖縄戦の研究者は、その上で研究を続けているんですね。「自決しろ」という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならないからです。
編集部 命令そのものではないところに「強制」があったと?
林 だって、何も下地がないところにいきなり軍人が「おまえたち、自決しろ」と言ったって、みんな聞くわけがない。つまり、「いざという場合には自決するんだ」と人々に思い込ませるようなことが、日本軍が来てから何ヶ月もかけて準備されていたんだということです。客観的に見れば、米軍が上陸してきたからといって、住民が死ぬ必要なんてまったくない。米軍は保護するつもりで来ているわけだから、生きることはできるんだけれど、その選択肢があることを認識できないようにするわけです。中には、渡嘉敷島や座間味島のように、軍から「手榴弾を渡された」というケースもありますが、そこで「自決しなさい」と言われなかったとしても、黙って手榴弾を渡すということが何を意味するのかは明らかですよね。
編集部 まさに、無言の強制ですね。
林 行政だとか教育、個々の日本軍将兵による言動も含めて、当時の戦時体制の中で、人々は(米軍がやってきたら)「死ぬしかない」と思い込まされた。そうして自決に追いやられた。これまでの沖縄戦についての研究が明らかにしてきたのは、そういうことなんです。
だから、「今自決しなさい」という軍命があったかどうかというのは、実はそれほど大きな問題ではない。しかし、今回の検定意見は部隊長の命令が「なかった」ということだけを問題にして、それで日本軍の強制を全部否定している。ある部分だけの間違いを取り出して、全部が嘘だというこのやり方は、「新しい歴史教科書をつくる会」の論理そのものです。それをそのまま文科省が検定意見に採用しているんですね。
恐怖が住民を集団自決へ追い込んだ
編集部 作家の曽野綾子さんなどは、そうした「部隊長による命令」を否定するとともに、集団自決に強制があったとすることは、「崇高な犠牲精神によって死を選んだ人々への冒涜」だといった主張をされています。
林 (略) 集団自決というのは、米軍が上陸してきてすぐに起こったもので、その後には起こっていません。なぜかというと、証言の中で出てくるのは「米軍が非常に親切にしてくれた」ということ。つまり、それまで「米軍は捕まえた住民にひどい扱いをして皆殺しにするんだ」という恐怖心を叩き込まれていたから、投降できなかった。でも、「ちゃんと助けてくれるんだ」とわかると、もう自決する必要はない、山から下りていこうということになったわけです。
そして、もう一つ大きかったのは、「日本軍が玉砕するときには自分たちも一緒に玉砕する」という意識です。軍官民共生共死——もう「共に生きる」というのはこのころには意味がないですから、「共に死ぬ」方ですが——というのを信じ込まされていたんですね。それで、日本軍はもう玉砕するはずだと思っていたから、自決が起こったわけです。
編集部 でも、実際には日本軍は「玉砕」しなかった…
林 (略)
そして、さらに決定的だったのは、日本軍がそこにいたということです。日本軍がいなければ、生きたい、米軍も民間人までは殺さないだろうからみんなで投降しようということができますが、日本軍がいれば非国民、スパイとして殺されてしまいます。集団で米軍に保護されるというのは、日本軍がいなかったからできたのです。(略)
◇
この対談自体が自爆そのものなので一々引用して論ずることは省略するが、一つだけ挙げてみよう。
>(軍命の有無は問題ではなく)日本軍がそこにいたということです。
この教授、当時は戦争中であることをお忘れなのか、日本軍がそこにいるのは当然と考えず、沖縄は「無防備地域宣言」でもしていたとでも考えているのだろうか。
■林教授と宮城晴美氏の同一性■
「軍命あり派」の首魁・林博史国学院大学教授の「軍命あり論」と、
「集団自決裁判」の被告側証人・宮城晴美氏の証言は奇妙に二重写しになる。
両者とも「軍命あり派」のリーダーであるから、その論旨が似てくるのは当然としても、
自著の記述がこともあろうか反対論者の証拠となるとこまで似ているとなるとは驚きだ。
林教授の「軍命みなし論」は安仁屋沖国大教授の「合囲地境論」の二番煎じだと述べたが、宮城晴美氏は沖国大時代の安仁屋教授の教え子だというから言っていることが金太郎飴のように似てくるのも肯ける。
両者とも自著で「戦隊長の命令はなかった」と書いているが、その弁解にまで同一性があるとは。
◆林教授:
「『自決しろ』という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならない」。
◆宮城氏:
「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」
両者の弁明はいずれも非論理的でこれで納得する人がいるとは思えない代物である。
2006年教科書検定において、文科省は沖縄の「集団自決」での軍命について、林教授の著書『沖縄戦と民衆』での「・・・なお赤松隊長から自決せよという自決命令は出されていないと考えられる」という1行の記述を軍命がなかった事の根拠の一つに採用したといわれている。
しかし林教授は、渡嘉敷島の集団自決についても軍命はなくとも、「本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない」と主張している。
一方、宮城晴美氏も同じように自著『母の遺したもの』が誤解されていると主張している。
宮城晴美さん講演<自著「誤解されている」>
「集団自決」軍命 訴え継続を強調
宮城さんは「役場職員をしていた母は、助役、学校長、収入役、伝令と五人で梅沢隊長のところへ行った。 助役が『これから住民を玉砕させるので爆弾を下さい』と言ったら(隊長は)しばらく考えて『一応帰ってくれ』と言った。 母の目の前では帰ってくれ言ったけど、実際に助役は家族の所に行って『隊長から命令がきた、これから死ぬよ』と述べた。(略)(琉球新報 2007年6月24日)
両者共に自著では「軍命はなかった」と記述しておきながらそれでも軍の強制だったと強弁している。
これは当初は『鉄の暴風』を鵜呑みにした「軍命あり派」が、その後の検証により「軍命令の存在」を確認出来ないとわかり、
「軍命はあった」⇒「軍命の有無は問題で無い」⇒「軍の存在が問題だ」⇒「軍命令がなくとも強制はあった」。
・・・と「軍命みなし論」に変化して行った典型的な例である。
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