狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

自衛隊よ、お前も平和ボケか!中国軍人をイージス艦に招待

2007-11-30 09:16:16 | 普天間移設

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中国海軍のイージス艦視察計画、米側抗議で中止 (11月30日 03:05)
 日本と中国の防衛交流の一環として、日本に寄港した中国海軍艦艇乗員が予定していた海上自衛隊のイージス艦「きりしま」(7250トン)の視察が、計画を知った在日米軍などからの抗議で中止となったことが29日、明らかになった。

 米側が防衛機密漏えいの可能性を懸念したためで、計画は補給艦視察に変更され、30日午前に実施される予定だ。

 海自と中国海軍による艦艇の相互訪問は、8月の日中防衛相会談で実施が決まり、中国海軍のミサイル駆逐艦「深セン」(6000トン、乗組員350人)が第一陣として、11月28日に東京・晴海ふ頭に入港した。(深センのセンは土ヘンに「川」)

 同艦艇は12月1日まで滞在する予定で、中国側の希望により、同艦指揮官ら乗員幹部十数人が11月30日午前に海自横須賀総監部(神奈川県横須賀市)を訪問する際、横須賀基地を母港とする第1護衛隊群所属の「きりしま」を視察することを予定していた。

 複数の政府関係者の証言によると、28日に視察計画を知った在日米軍や在京米大使館から、防衛省や外務省に問い合わせや中止要請があったため、防衛省では急きょ、「きりしま」視察を中止して、インド洋での給油活動から23日に帰国したばかりの補給艦「ときわ」の視察に変更した。

 同省関係者によると、海自は今回の視察に備え、以前に米海軍が中国軍関係者にイージス艦を公開した事例について在日米軍に照会したが、中国海軍の視察については米側に正式に連絡していなかったという。

 イージス艦は米国で開発された世界最高の防空能力を持つ艦船。防衛省幹部は、「海自は戦闘指揮所(CIC)などのイージス・システムの中枢部分を見せなければ大丈夫だろうと判断したようだが、事の重大性を分かっていなかった」と話している。

(2007年11月30日3時5分  読売新聞)

                    ◇

自衛隊は中国軍艦の友好作戦に平和ボケぶりを晒してしまった

130年前、「琉球処分」の時に中国(清)の軍艦が援軍に沖縄へ来ると信じていた人のことを前記事で書いたら、現代の中国軍艦は横須賀に入港していた。

これに対しいつもは戦闘的な「平和団体」が実に平和的で大人しいのは想定内なのでここでは触れない。

↓このブログにお任せしよう。
http://nihonkai.sblo.jp/article/7309291.html

ついでにもう一つ、冬休みだから仕方が無いというブログも紹介しておこう。
http://homepage1.nifty.com/heiwasendan/

で、自衛隊も韓国紙の中央日報あたりに「中国先端駆逐艦、初の東京入港…日中新デタント時代」とおだてられているうちは未だ良かった。

ところが何と中国お得意の友好の枕詞に腑抜けにされたのか、日米同盟の「機密の結晶」とも言うべきイージス艦に中国軍幹部をご招待し内部視察をしてもらうという。

自衛隊の「平和ボケ」もここに極まれりと開いた口がふさがらない。

敵に内臓の中まで開陳しては専守防衛もクソ(失礼!)も無いだろう。

どこかでお人好しとバカは紙一重と書いたような気がするが今回の愚行はお人好しやバカの一言で済む問題ではない。

日本の国防がかかっている問題だ。

防衛省は守屋逮捕で大揺れだが、石波大臣はこのイージス艦の中国側の視察を知っていたのか。

知っていて黙認したとしても、知らなかったとしても、どちらでも重大問題だ。

この責任の所在を曖昧にすると日米同盟も張子の虎になってしまうおそれがある。

繰り返される自衛隊の情報流出に、米側も日本の情報脳テンキぶりには呆れ返っているのだろう。

  • 海自3佐ら幹部3人立件へ イージス情報流出事件で神奈川県警など11.30 01:30
  • 海上自衛隊第1護衛隊群(神奈川県横須賀市)の2等海曹(33)によるイージス艦中枢情報持ち出し事件で、神奈川県警と海自警務隊は29日、特別防衛秘密である資料の漏洩(ろうえい)に関与したとして、日米相互防衛援助協定に伴う秘密保護法違反容疑で、イージス情報のファイルを作成したプログラム業務隊に当時所属していた3等海佐(34)ら幹部3人を立件する方針を固めた。漏洩の過程で、情報を入手した隊員2人についても立件を視野に捜査している。(略)

    守屋逮捕により各紙の社説は「これを機に防衛省の膿を出せ」といった例によって金太郎飴の論調だが、膿を出すの背広組だけではない。

    制服組の「平和ボケ」という膿も出し切らなければ国防は安心して任せられない。

    スパイ防止法の立法が必要だと思う方
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    沖縄併呑計画 林准教授のアンケート調査はヨタ話の類

    2007-11-30 08:01:35 | 県知事選

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    政府の施策、68%「不満」 沖縄アイデンティティ調査07 カメラ  

    (上から)沖縄住民のアイデンティティの基本構造、「沖縄独立」の是非をめぐる沖縄住民の見方、日本政府の沖縄に対する姿勢、政府の沖縄施策に満足しているか

     今の政府の沖縄施策に68・3%が不満―。琉球大の林泉忠(リム・チュンアンティオン)准教授らが実施した「沖縄住民のアイデンティティ調査2007」では日本に対する沖縄の意識や思いが浮き彫りになった。41・6%が「沖縄人」だとの意識で、日本との差異を意識して依然として20・6%が独立志向。だがその一方で林准教授は若者の「日本志向」を指摘し「いくら反発はしても日本の枠組みは離れない」と分析している。
     調査は3年連続で今年が最終年。3、4日に電話で実施。2000人のうち1201人から回答を得た。
     日本政府の対沖縄姿勢への意識は「どちらかというと」を含めると「友好的」と見ているのが22%にとどまり、「友好的ではない」が54・7%に上った。沖縄施策への満足度は「どちらかというと」を含めると68・3%が満足しておらず、「満足」は17・9%だった。
     帰属意識の設問では「沖縄人」が41・6%、「日本人」が25・5%、「沖縄人で日本人」が29・7%だった。林准教授は過去2年の調査も踏まえて「時には沖縄人と日本人の間に葛藤(かっとう)する姿も見られるが、沖縄人はあくまで日本人という枠組みの中で存在することで安心感を覚えているようだ」と分析した。
     沖縄独立の是非をめぐっては独立に否定的な人は64・7%に上るが、一方で20・6%が独立を支持している。否定派は経済的理由を最大理由に挙げ、独立派は「政治的・経済・社会的、歴史的経験が本土と違う」ことを挙げた。

    (琉球新報 11/29 16:01)

                           ◇

    林と名の付く二人の大学の先生が連日沖縄の新聞を賑わしている。

    1人は「極悪非道の日本軍」の印象を植え付けようとする林博史関東学院大学教授。

    もう一人は「沖縄人は独立希望が多い」と琉球独立を煽る林泉忠(リム・チュンアンティオン)琉球大学准教授。

    二人の共通項はいずれも「反日教授」ということ。

    後者の林先生は助教授と呼ばれていた時は林泉忠助(はやしいずみ・ただすけ)という名の日本人教授だと勘違いされたが、工作員の疑いもある中国籍の教授である。

    林准教授は、例年この時期になると「沖縄は日本ではない」という印象を植え付けるようなアンケート調査をしている。

    これに呼応した地元マスコミが「沖縄人の四人に1人は独立希望」と騒ぎ立てて、

    その尻馬に乗った忘年会の酔客が日頃夢想だにしていなかった「琉球独立論」をぶち上げ「居酒屋独立論」と揶揄されるのがお決まりのコース。

    だが、「居酒屋独立論」だろうが何だろうが、日頃考えてもいない「独立論」が県民の口に膾炙(かいしゃ)され,

    マスコミで「琉球独立論」が話題になれば、それだけで工作員としての情報作戦は成功したことになるのだろう。

    今年の調査では独立希望者は「五人に1人」らしいが、そんなことはともかく琉球新報より沖縄タイムスの方が林准教授の情報作戦に協力的なのは記事を読めば一目瞭然だ。

    沖縄タイムス 2007年11月28日(水) 朝刊 26面  
     
    「日本で良かった」7割/林琉大准教授 県民1200人調査

     「琉球処分」から百三十年がたつのを前に、県民の七割が「日本の一部になって良かった」と考えていることが、琉球大学の林泉忠(リム・チュアンティオン)准教授の「沖縄住民のアイデンティティー調査2007」で分かった。一方、教科書検定問題の影響もあり、自分を「日本人」ではなく「沖縄人」と考える人は前年に比べてさらに増え、四割になった。千二百一人に電話調査した。
     一八七九年の廃藩置県で琉球藩に代わって沖縄県が置かれ、日本の一部になったことについて、「良かった」は63・0%、「どちらかというと良かった」は8・4%。「どちらかというと」を合わせた「良くなかった」は計7・6%だった。

     政府が認めた場合に独立すべきかを聞いたところ、「独立すべきでない」が64・7%で、「独立すべき」の20・6%を大きく上回った。

     一方、政府の沖縄に対する姿勢は「友好的ではない」が43・8%で、「どちらかというと友好的ではない」10・9%と合わせ、過半数が不満を示した。「友好的」は15・3%、「どちらかというと友好的」は6・7%にとどまった。

     自分が「沖縄人」だと考える人は41・6%で、「沖縄人で日本人」は29・7%、「日本人」は25・5%。調査は三年連続で実施されており、「沖縄人」との回答は前年より11・3ポイント増えた。

     別の設問で、「沖縄人意識」がさらに高まる要因は「『集団自決』などの歴史観が政府と食い違った場合」が38・9%で最多だった。林准教授は「歴史認識で政府と衝突し、怒りや不満が高まった。日本人との距離を感じ、沖縄人意識を強めた」と分析。

     同時に、独立志向の低さは一貫しているとし、「沖縄への愛着は強いが、日本の一部であるという複合的アイデンティティーが固まってきている。日本は『悪くても親』なのではないか」と指摘した。

     このほか、道州制については「沖縄だけで州とする」が52・1%だったが、「九州と一緒になる」も35・7%あった。

     「独立すべきでない」と答えた人に理由を尋ねた設問では、「自立する能力がない」が二年連続で増えて43・4%に。「政治的・経済的・社会的状況や歴史的経験が本土と同じ」は逆に減り続け、14・9%になった。

     調査は台湾、香港、マカオを含めた四地域でそれぞれ千人規模で実施された。年明けに報告書をまとめる予定。

                         ◇

    タイムス記事は出だしから激しい。

    調査は電話によるアンケートで行ったらしいが、ある日いきなり電話がかかって来て「130年前の廃藩置県或いは琉球処分」が良かったかどうかを聞かれてまともに答えられ人が果たして何人いるか。

    日頃考えてもいないことを突然の電話で質問されるのは、寝込みを叩き起こされ寝ぼけている人に思いも及ばぬ質問をするようなものだろう。

    大学の先生がアンケート調査をし、その結果を新聞が報道すれば読者は何トン裂く信憑性のあるように思えるが、大体、130年前の琉球処分の話など無差別で抽出した電話相手にアンケートするのに相応しいテーマではない。

    お役所風に言えば「この種のアンケートは電話アンケートには馴染まない」とでもいうのだろうか。

    この種のアンケートは実施者や発表者によりどのようにでも恣意的に出来るもので落語のヨタ話程度に捉えておけばよいのだが、

    大学の先生やマスコミが大々的に報じるところが問題なのだ。

    調査は台湾、香港、マカオを含めた四地域でそれぞれ千人規模で実施された

    それに、調査を台湾、香港、マカオといった中国との関係が微妙な所と紛れもなく日本の一県である沖縄を並列で調査の対象にしている事実だけでこれを記事と読む新聞読者へ無言の「独立志向」メッセージとなる。

    沖縄タイムスの「琉球処分」に対する歴史観は二年前に書かれた同紙コラムに見事に現れており、論調はむしろ中国を祖国と捉えているような節さえ感じられる。

    その中で林泉忠准教授が紹介する、『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』よりの引用文を「琉球処分」当時の沖縄のインテリの言葉として次のように記している。

    「生きて日本国の属人と為るを願はす、死して日本国の属鬼と為るを願はす」。

    生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意を沖縄タイムスは支持しているのだろうか。

    ◆<2005年5月16日> 沖縄タイムス
    [大弦小弦]

     黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった▼実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった▼一八八六(明治十九)年に大迫貞清県知事が上申した「事変準備ノ件」が残る。清が軍艦を派遣するとの報に対し、政府派遣の知事は、対策十項目を提案。政府も北洋艦隊から戦艦九隻が派遣されると情報を得て、県に指示を出した▼日清戦争時にも清国の援軍は話題になった。それから百余年が経過し、あれほど待ちわびた援軍をも敵と間違うところに今の位置があるのか。林泉忠著『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』は当時の言葉を紹介する▼「生きて日本国の属人と為るを願はす、死して日本国の属鬼と為るを願はす」。生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。中国で死んだ幸地朝常が李鴻章へ送った書簡に残る言葉。歴史の反転は大きかったようだ▼百余年前はともかく、少なくとも最近の銃口や占領者を忘れてはいけない。境で揺れる島だからこそ、平和の選択肢を選び取る覚悟も必要だろう。(後田多敦)


    一昨年8月の中国メディアに登場した「沖縄の日本復帰に疑義あり」という論文に中国の本音が見え隠れする。

    ◆(時事通信) -2005年 8月1日19時1分更新

    【北京1日時事】中国の国際問題専門誌・世界知識の最新号は、沖縄の日本帰属をめぐる歴史的経緯を紹介した専門家の論文を掲載。この中で、「戦後の日本による米国からの琉球接収は国際法上の根拠を欠き、その地位は未確定のままだ」と主張した。

     中国のメディアに沖縄の日本帰属に疑問を呈する論文が登場するのは異例。中国は沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権などを日本と争っている。日本側主張の基礎となる沖縄の帰属についても問題点を指摘し、日本側を揺さぶることが狙いとみられる。 


    復帰前の米軍占領下の沖縄には「潜在主権」は祖国日本にあり、と言う考えが議論になった。

    尖閣問題の次には「潜在主権は中国にあり」という議論が起きてきかねない。

    明治期の「琉球処分」の折、日本人になるのを拒み中国に助けを求めて亡命した琉球人がいた。

    彼等は清のシンボルカラー黄色で飾った軍艦が沖縄救援のためやって来ると、本気で信じていたという。

    彼等は「脱清人」という一握りのインテリではあったが、彼等の先祖は大陸渡来の中国人で、清を祖国と考えるDNAは現代の沖縄の新聞人、大学教授等の一握りのインテリ達に引き継がれている。


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    「寡聞にして・・」の沖縄県民 地元メディアの悪質な情報操作

    2007-11-29 07:12:09 | ★集団自決

    ■寡聞にして知らざる沖縄県民■

    ①全国学生調査団の沖縄現地調査

    ②照屋さんの必死の証言

    ③証言者たちの「深層心理」

                       *

    当日記は、沖縄の地元紙が極端に偏向しているとを、これまでくどい程書いてきた。

    だが、偏向しているとは知りつつも、地元紙に情報入手を頼らざるを得ない不都合さ。

    最近、これをいやというほど感じさせる出来事を体験した。

    地元マスコミは、地元大学生が少しでも「反戦平和」運動をすれば下記のように写真入りで大きく報道する。

    大学生から中高校生へ 「虹の会」が来月戦跡巡り

    中高生の素朴な質問を想定し、意見を出し合いながら勉強会を行う「虹の会」と琉大学生ガイドの会のメンバー=西原町の琉球大学

     戦争体験の継承に取り組む「虹の会」(赤嶺玲子代表)を中心に県内大学生が12月15日、県内中高生対象に南部戦跡巡りを実施する。「虹の会」と「琉球大学学生ガイドの会」のメンバーがこのほど、西原町の琉大で第1回の勉強会を開いた。県内大学生が県内中高生を平和祈念公園(糸満市)やガマなどの戦跡を案内し、ともに沖縄戦を見つめ直し「集団自決」(強制集団死)や教科書検定問題を考えていくことが目的。
     学生ガイドはこれまで主に修学旅行生を対象に戦跡を案内してきたが、9月の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」後「中高生が意識を持ち始めた今こそ理解を深めるチャンス」と、初の県内の中高生対象の戦跡案内を行うことを決めた。(略)

    (琉球新報 11/24 16:03)

                                                 ◇

    地元紙が県内大学生の「平和活動」をこのように大きく報じるのも結構だろう。

    だったら,全国の大学生調査団10数名が沖縄の世論調査に資金カンパでわざわざ訪沖したのなら、普通のローカル紙なら地域情報として少なくともベタ記事くらいでは報道するもの。

    それが読者の知る権利を守る地方紙の役目ではないか。

    ところが沖縄の地元2紙は普通の地方紙ではなかった。

    自己の主義主張と相容れない団体の行動は、例えそれが学生の調査団といえどもこれを報じることはない。

    全日本学生文化会議所属の大学生(首都大学東京、福岡教育大学、熊本大学、佐賀大学、長崎大学等約10名)が、11月初旬、沖縄を訪問し、今回の「教科書検定意見撤回県民大会」に関する歴史検証を行った。

    だが筆者は沖縄に住みながらこの事実を寡聞にして知らない。 

    今更ながら地元マスコミの黙殺に恐れ入った。

    無視に勝る攻撃を知らない。

    学生調査団が属する全日本学生文化会が日本会議と提携していることから地元マスコミは揃ってこれを黙殺したものと思われる。

    日本会議http://www.nipponkaigi.org/index.html

    大学生たちは14日まで沖縄に滞在し、次のことを調査したという。

    ①沖縄戦の真実と反日資料館の調査
    ②沖縄県民大会の虚偽の実態調査
    ③大学調査

    地元マスコミが黙殺した学生たちの沖縄での現地調査については、

    自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」沖縄問題小委員会/第3回会合で報告があり、

    草莽崛起 ーPRIDE OF JAPANさんその詳しい内容を報告なさっている。

    遅ればせながらこれを転載させて頂いた。

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     以下は、「草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN」よりの抜粋です。(太字・カラー強調は引用者)

    「日本の名誉と教科書を守る」沖縄学生調査団報告
    平成19年11月22日

    ■1、沖縄県民の総意は、「集団自決」を含む沖縄戦をきちんと教えて欲しいということである。今回の教科書問題について県民は「集団自決」の記述が消されてしまうと誤解しており、「軍命令」の有無についてこだわっている人は必ずしも多くない。
    *資料1参照

    ①723名の対面アンケート調査の結果、「参加した」「参加したかった」と回答した335名にその理由を尋ねたところ、「集団自決の事実を伝えたかった」と答えたのは48%(161名)だった。
     
    グラフ① (省略)

    グラフ②(省略)
     


    ②集団自決が「軍命令」によるものであるとは未だ立証されていないという、検定意見がついた背景に、照屋昇雄氏の証言などがあったという経緯を、8割の沖縄県民は知らなかった。

    グラフ③  (省略)


    ③高校生用の歴史教育副読本『沖縄の歴史』(沖縄教育委員会編)には、集団自決については触れているものの、「軍命令」という言葉は記載されていない。つまり、教育委員会も必ずしも「軍命令」にこだわっているわけではない。
    *資料2参照

    ■2、沖縄県民が抱く、日本軍のイメージは極度に悪いことが分かった。逆に沖縄戦においてのアメリカ軍のイメージは頗る良く、住民を救ってくれたという声が多くあった。

     グラフ④ (省略)


    ①街頭での意見で多く聞かれたのは、日本軍は「壕から民間人を追い出した」「赤ちゃんがうるさいから銃殺した」などが多く、逆にアメリカ人は民間人に食料等などをくれ、救ってくれたという発言だった。

    ②逆にアンケートで、特攻隊や戦艦大和の話をすると、名前は知っているが、沖縄の為に戦ったことを知っている人は、少なかった。また、沖縄戦での戦死者のうち、6万5千人が本土から来た日本軍であったという事実は、殆ど知られていなかったり、摩文仁にある「平和の礎」のことは知っていても、丘の上にある全国の慰霊碑への参拝を行ったことがない人が多かったりで、本土の軍も沖縄を守るために共に戦ったという歴史が風化しつつある。

     グラフ⑤ (省略)

    グラフ⑥ (省略)


    ■3、集団自決が行われた最大の舞台と言われるのが、慶良間列島にある渡嘉敷島である。その渡嘉敷島の人口は700名余りで、テレビに後姿が映っただけでも、誰なのかがわかるそうだ。さらに渡嘉敷の島民の半分が沖縄戦当時の村長の親族である。そこで、集団自決が軍の命令によるものでないという証言をしてしまうと、当時自決を命じたと言われる村長の責任となってしまうため、集団自決に関する証言がしにくいのが現状である。

    ■4、今回の沖縄県民大会に向けて、6月9日に「沖縄戦の歴史歪曲を許さない沖縄県民大会」が開催されている。そこには、特定の思想を持った政治団体が実行委員として名を連ねている(下記参照)。これらの団体は、9月29日の県民大会にも、恐らく共催団体として参加していると思われる。

    このような政治集会に、仲村県教育長は校長研修会で校長先生に参加を呼びかけ、さらに学校教員にも参加を呼びかけるよう促している。また教育委員会も、正式な会議の場で全員参加の合意を得ており、教育委員長は大会で登壇し発言している。

    これは、教育基本法の第14条「政治の中立性」と第16条「教育行政の公正」に触れる問題ではないだろうか。事実確認を文部科学省の方から県教委委員会に行っていただきたい。

    参考
    <6月9日の実行委員団体>
    沖教祖、自治労、沖縄県歴史教育者協議会、ジェンダー問題を考える会、沖縄九条連、反戦地主会、一坪反戦地主、日本中国友好協会沖縄県支部、高教祖(沖縄平和ネットワーク)、社会党、社民党、共産党、民主党


    ■5、「沖縄県民の気持ちをくみ取った歴史教科書はどうあるべきか」について、沖縄戦は、国土を戦場としたため、住民を巻き込む悲惨な戦いになり、その中で集団自決という悲劇が起こったことを教える姿勢がまず必要である。但し、その前提として、沖縄戦では米軍に対して本土の軍人と沖縄県民が総力をあげて戦ったことを教えるべきであると考える。

                         

    「11万人」集会が行われる一方、沖縄県民の8割は照屋昇雄さんの命がけの証言を知らない。

    本土学生調査団が「集団自決」関連の調査に来沖しても、殆どの県民はこれを知らない。

    「照屋証言」は、地元マスコミが徹底的に黙殺してきた結果、殆どの県民がその存在さえ知らないのも無理は無い。

    昨年の夏、「集団自決」に関する最重要証人の照屋昇雄さんが長年の沈黙を破って勇気ある証言をしたとき、沖縄のマスコミは揃ってこれを黙殺し、一年以上経った現在でも依然その詳細は報じられていない。

    「集団自決」は小さな島の閉鎖された空間で起きた。

    今回の学生調査団の報告の中で、次の部分はこれまで沖縄メディアが敢て避けてきた「証言者の心の深層」に踏み込んだGJである。

    渡嘉敷の島民の半分が沖縄戦当時の村長の親族である。そこで、集団自決が軍の命令によるものでないという証言をしてしまうと、当時自決を命じたと言われる村長の責任となってしまうため、集団自決に関する証言がしにくいのが現状である。 ≫

    古波蔵村長が「集団自決」のきっかけとなる掛け声を発したとされ、しかも生き残って戦後は米田と改姓し島を出て那覇に在住していた。

    古波蔵村長の掛け声を「軍の命令」と同じだとこじつけたのは、金城重明証人である。

    金城重明がその体験から証言できるのは、集団自決前に古波蔵村長が音頭をとった「天皇陛下万歳」の三唱だった。彼は、軍からの自決命令そのものだと強弁した。最近の新聞でも、そんなことを語っているらしい。しかし、音頭をとった村長や幹部達は自決せずに生きていたのであり、ちょっと頭を冷やして考えれば、それが軍からの自決命令だという理屈に大きな飛躍があることは誰でもわかる。(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/35/

     

    照屋証言については、当日記は昨年の8月以来、その重要性を再三述べてきた。

    同証言の詳細を知らない県民は下記の関連エントリを是非読んで欲しい。

    「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決

    渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

    決定的証言者・照屋さんは「捏造証言の元援護課職員」?

    「集団自決」と沖縄タイムス 地元メディアの言論封鎖

    沖縄タイムスの自爆

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    自著「曲解だ」 林教授と宮城晴美氏の「同一性」 

    2007-11-28 06:51:14 | ★集団自決

     「審議会が著書歪曲」 「集団自決」軍強制削除  

     文部科学省から高校歴史教科書検定問題で「集団自決」(強制集団死)に関する学説状況をまとめた意見書を依頼された林博史関東学院大教授(現代史)は27日午前、提出した意見書を自身のウェブサイトで公開した。林教授は、教科用図書検定調査審議会(検定審)が林教授の著書を根拠に軍強制の記述修正を求めたことに対し「著書の内容を歪曲(わいきょく)したもの」とし「検定意見そのものが根拠のない、間違ったものである」と批判。検定審に対して、検定意見撤回をした上で「集団自決」における日本軍強制を明記した記述を認めるべきだとしている。
     検定審は林教授の著書「沖縄戦と民衆」にある「(座間味島では)集団自決を直接日本軍が命令したわけではない」などの記述を抜き出し、軍強制の記述修正を求める根拠として挙げている。
     これに対し
    林教授は同書で、渡嘉敷島、座間味島で日本軍が住民に事前に手りゅう弾を配り「自決」を命じていたことを挙げ、「集団自決」が日本軍による強制と誘導によるものであることは「集団自決」が起きなかった所と比較した時、より明確になると指摘していることを紹介。
     「沖縄戦における『集団自決』が、日本軍の強制と誘導によって起きたこと、日本軍の存在が決定的であったことは、沖縄戦研究の共通認識であると断言してよいだろう」と主張している。(略)
     また「一つの命令があったかどうかではなく、日本軍が住民を集団自決に追い込んでいった過程が問題。実質的には日本軍の命令だった」とした。
     林教授は意見書の冒頭、文科省から意見書を公表しないように求められたことを明らかにし「秘密裏に検定作業を行うことこそが、今回の検定問題の大きな原因であると考えるので、公表したい」と公開理由を述べた。


    (琉球新報11/27 16:23)

                          ◇

    ■林教授の「軍命みなし論」は安仁屋教授の屁理屈「合囲地境」の二番煎じ■

    左翼学者・林国学院大学教授は「軍命あり派」の首謀者であるが、

    その粗雑な論旨は【教科書問題】左翼学者の「すり替え論」で触れたた。

    「軍の命令の有無」で争う論議は既に決着しており、「軍命あり派」にとっては別の土俵で勝負しなければ勝負にならない。

    そこで彼らが持ち出して来たのが「『軍の命令があったかどうか』は問題ではない」という屁理屈である。

    彼らは、戦時中は例え役所の指令・指導であっても軍の命令であり結局は国家の命令である、と「国家の戦時体制」という大きな土俵に議論を持ち込む。

    しかし、法律上で言えば、例え戦時中といえども軍が民間に命令することは出来ない。

    立憲主義に基ずく法治国家の日本で軍が民間に命令が出来るのは、戒厳令が発令された時に限られる。

    だが日本で戒厳令がしかれたのは1936年の2・26事件が最後であり、1945年当時の沖縄で戒厳令は発布されてはいなかった。

    戒厳令(martial law)とは立憲主義に基づく法治国家において、憲法以下法令において定める国家緊急権(非常事態権)に基づき、戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合において、国民の権利を保障した法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の権力下に移行すること及びそれについて規定した法令をいう。(ウィキぺディア)

    戒厳令下では一切の地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌という理由で、「軍命あり派」にとっては、どうしても戒厳令の発布が必要である。

    そこで家永裁判でも原告側の証人となった左翼学者・安仁屋政昭・沖縄国際大学が、「合囲地境」という聞きなれない概念を持ち出して役所の指示・指導を軍の命令とみなす根拠にした。

    「合囲地境」とは、敵に包囲されている、または攻撃を受けている地域のことで、戒厳令が発布されておかしくない状況を言う。

    だが、「合囲地境」も安仁屋教授が勝手に沖縄を「合囲地境」とみなしただけで、歴史的事実で言えば戦時中沖縄どころか日本全国で戒厳令は発布されていない。

    林教授の「一つの命令があったかどうかではなく、日本軍が住民を集団自決に追い込んでいった過程が問題。実質的には日本軍の命令だった」といった「軍命みなし論」は、

    安仁屋教授の「合囲地境みなし論」の二番煎じである。

    わざわざ相手の土俵に乗って「合囲地境」に触れたが、「軍命あり派」の最後の砦とも言うべき「合囲地境」については、

    既に【岩波・大江訴訟】 合囲地境は被告側の最後の砦で論破してある。

    渡嘉敷島、座間味島で日本軍が住民に事前に手りゅう弾を配り「自決」を命じていたことを挙げ

    「軍命令」を示す客観的証拠は皆無だが、「軍命あり派」にとって「手りゅう弾配布」が唯一の証拠とされている。

    だが、これはも沖縄タイムスその2  「手りゅう弾が唯一の“証拠”」で既に論破済み。


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                        ◇

    林教授はHPで「意見書」を公開したがブログ掲載は不可とのことなので、同じ論旨の対談記事で再度コメントしてみよう。→意見書全文は、こちらから

      マガジン9条

    この人に聞きたい
    林博史さんに聞いた その1沖縄戦の集団自決問題の真相

    (略)

    教科書検定制度の「詐欺」

    編集部  (略) この検定において、文科省が訂正の「根拠」として持ち出したのが、林さんの著書『沖縄戦と民衆』でした。しかし、通読すればすぐわかるように、林さんはこの中で、「日本軍による強制」を否定しているのではなく、むしろ多数の証言からその強制性を明らかにしようとされているんですね。

    林  そのとおりです。たしかにその本の中には、集団自決のその場において、「今自決せよ」といった直接的な命令はしていないだろう、という表現はあります。文科省は、そこだけを取り上げて「この本の中でも強制は否定されている、だから記述を変えろ」と言ったわけですね。本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない。

    (略)

    問題は「命令があったかどうか」ではない

    編集部  その「詐欺」的なやり方だけではなく、文科省が出してきた検定意見そのものが論理的に破綻している、とも指摘されていますね。

    林  検定意見では、「集団自決しろという命令は出されていない」から書き換えろ、ということになっていますね。でも、教科書の記述は、日本軍によって「集団自決を強いられた」とか、「集団自決に追いやられた」というものであって、「軍命令に従って」なんていうことは、最初からどこにもないんです
     たとえば、座間味島での集団自決において、部隊長が「自決しろ」という命令を出していないと自ら主張しているようなことは、少なくとも20年以上前にはもうわかっていた。沖縄戦の研究者は、その上で研究を続けているんですね。「自決しろ」という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならないからです。

    編集部  命令そのものではないところに「強制」があったと? 

    林  だって、何も下地がないところにいきなり軍人が「おまえたち、自決しろ」と言ったって、みんな聞くわけがない。つまり、「いざという場合には自決するんだ」と人々に思い込ませるようなことが、日本軍が来てから何ヶ月もかけて準備されていたんだということです。客観的に見れば、米軍が上陸してきたからといって、住民が死ぬ必要なんてまったくない。米軍は保護するつもりで来ているわけだから、生きることはできるんだけれど、その選択肢があることを認識できないようにするわけです。中には、渡嘉敷島や座間味島のように、軍から「手榴弾を渡された」というケースもありますが、そこで「自決しなさい」と言われなかったとしても、黙って手榴弾を渡すということが何を意味するのかは明らかですよね。

    編集部  まさに、無言の強制ですね。

     行政だとか教育、個々の日本軍将兵による言動も含めて、当時の戦時体制の中で、人々は(米軍がやってきたら)「死ぬしかない」と思い込まされた。そうして自決に追いやられた。これまでの沖縄戦についての研究が明らかにしてきたのは、そういうことなんです。
     だから、「今自決しなさい」という軍命があったかどうかというのは、実はそれほど大きな問題ではない。しかし、今回の検定意見は部隊長の命令が「なかった」ということだけを問題にして、それで日本軍の強制を全部否定している。ある部分だけの間違いを取り出して、全部が嘘だというこのやり方は、「新しい歴史教科書をつくる会」の論理そのものです。それをそのまま文科省が検定意見に採用しているんですね。

    恐怖が住民を集団自決へ追い込んだ

    編集部  作家の曽野綾子さんなどは、そうした「部隊長による命令」を否定するとともに、集団自決に強制があったとすることは、「崇高な犠牲精神によって死を選んだ人々への冒涜」だといった主張をされています。

    林  (略) 集団自決というのは、米軍が上陸してきてすぐに起こったもので、その後には起こっていません。なぜかというと、証言の中で出てくるのは「米軍が非常に親切にしてくれた」ということ。つまり、それまで「米軍は捕まえた住民にひどい扱いをして皆殺しにするんだ」という恐怖心を叩き込まれていたから、投降できなかった。でも、「ちゃんと助けてくれるんだ」とわかると、もう自決する必要はない、山から下りていこうということになったわけです。

     そして、もう一つ大きかったのは、「日本軍が玉砕するときには自分たちも一緒に玉砕する」という意識です。軍官民共生共死——もう「共に生きる」というのはこのころには意味がないですから、「共に死ぬ」方ですが——というのを信じ込まされていたんですね。それで、日本軍はもう玉砕するはずだと思っていたから、自決が起こったわけです。

    編集部  でも、実際には日本軍は「玉砕」しなかった…

    林   (略)

     そして、さらに決定的だったのは、日本軍がそこにいたということです。日本軍がいなければ、生きたい、米軍も民間人までは殺さないだろうからみんなで投降しようということができますが、日本軍がいれば非国民、スパイとして殺されてしまいます。集団で米軍に保護されるというのは、日本軍がいなかったからできたのです。(略)

                                                      ◇

    この対談自体が自爆そのものなので一々引用して論ずることは省略するが、一つだけ挙げてみよう。

    >(軍命の有無は問題ではなく)日本軍がそこにいたということです。

    この教授、当時は戦争中であることをお忘れなのか、日本軍がそこにいるのは当然と考えず、沖縄は「無防備地域宣言」でもしていたとでも考えているのだろうか。 

    ■林教授と宮城晴美氏の同一性■

    「軍命あり派」の首魁・林博史国学院大学教授の「軍命あり論」と、

    「集団自決裁判」の被告側証人・宮城晴美氏の証言は奇妙に二重写しになる。

    両者とも「軍命あり派」のリーダーであるから、その論旨が似てくるのは当然としても、

    自著の記述がこともあろうか反対論者の証拠となるとこまで似ているとなるとは驚きだ。

    林教授の「軍命みなし論」は安仁屋沖国大教授の「合囲地境論」の二番煎じだと述べたが、宮城晴美氏は沖国大時代の安仁屋教授の教え子だというから言っていることが金太郎飴のように似てくるのも肯ける。

    両者とも自著で「戦隊長の命令はなかった」と書いているが、その弁解にまで同一性があるとは。

    林教授:
    「『自決しろ』という命令がなかったからといって、強制があったということを否定する理由にはならない」。

    ◆宮城氏:
    「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」

    両者の弁明はいずれも非論理的でこれで納得する人がいるとは思えない代物である。

    2006年教科書検定において、文科省は沖縄の「集団自決」での軍命について、林教授の著書『沖縄戦と民衆』での「・・・なお赤松隊長から自決せよという自決命令は出されていないと考えられる」という1行の記述を軍命がなかった事の根拠の一つに採用したといわれている。

     しかし林教授は、渡嘉敷島の集団自決についても軍命はなくとも、「本の結論では、集団自決は日本軍の強制と誘導によっておこったんだと何度も強調しているのに、それを無視してある一文だけを取り上げるのは、まさに詐欺としか言いようがない」と主張している

    一方、宮城晴美氏も同じように自著『母の遺したもの』が誤解されていると主張している。

     宮城晴美さん講演<自著「誤解されている」>  

    「集団自決」軍命 訴え継続を強調

    宮城さんは「役場職員をしていた母は、助役、学校長、収入役、伝令と五人で梅沢隊長のところへ行った。 助役が『これから住民を玉砕させるので爆弾を下さい』と言ったら(隊長は)しばらく考えて『一応帰ってくれ』と言った。 母の目の前では帰ってくれ言ったけど、実際に助役は家族の所に行って『隊長から命令がきた、これから死ぬよ』と述べた。(略)(琉球新報 2007年6月24日)

    両者共に自著では「軍命はなかった」と記述しておきながらそれでも軍の強制だったと強弁している。

    これは当初は『鉄の暴風』を鵜呑みにした「軍命あり派」が、その後の検証により「軍命令の存在」を確認出来ないとわかり、

    「軍命はあった」⇒「軍命の有無は問題で無い」⇒「軍の存在が問題だ」⇒「軍命令がなくとも強制はあった」。

    ・・・と「軍命みなし論」に変化して行った典型的な例である。
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    「鬼畜米英」と「ストックホルム症候群」

    2007-11-27 07:21:55 | 歴史

    「鬼畜米英」と「ストックホルム症候群」■

    8月15日の玉音放送で日本人の価値観はひっくり返ったと言われる。

    しかしその約2週間後マッカーサーが丸腰で日本に上陸してから、日本人の心理状態は精神医学上極めて興味ある状況に陥る。

    鬼畜米英と恐れたアメリカ軍は意外と紳士的だった。


    それどころかマッカーサーは「自由と民主主義」を手土産に持ってきた持った紳士であった。

    以後7年の間占領下という閉鎖空間で日本人と共に暮らすこととなる。

    ここに日本人は後に精神医学用語となる「ストックホルム症候群」を全国的に体験することになる。

    ストックホルム症候群とは、
    1973年にストックホルムで起きた銀行立てこもり事件に由来する。


    4人の人質の犯人に対する複雑で難解な心理状態を指すための言葉で、彼らは被害者になったにも関わらず長い期間(6日間)犯人と時間を共にすることによって、

    最終的には犯人に対して連帯感、親近感、同情を感じて犯人逮捕の際彼らは感謝するべき警察を非難し、非難すべき犯人を支持した。

    この人質の心理状況が後にストックホルム症候群と言われるようになる。

    米軍の日本占領時では、言うまでも無く、凶悪犯人は鬼畜と思った米軍の総大将マッカーサーであり、人質は敗戦国民の日本人、人質現場の銀行は占領下の日本(Occupied Japan)にあたる。
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    ■敵の敵は味方■

    「ストックホルム症候群」は特に地上戦の激しかった沖縄戦で顕著に現れた。

    沖縄でも終戦を待たないで米軍の捕虜になった人は価値観の逆転を味わった。

    鬼畜が食料を与え怪我の治療をしてくれた。

    無残な姿で未だ逃げ回っている日本軍は「敵」になった。

    自分達の敵である日本軍の敵は米軍。 

    「敵の敵は味方」という方程式が成立し、この瞬間米軍は解放軍になった。


    更に沖縄を日本から永久分断するための米軍の心理作戦、そしてそのため善意を強調する米軍との共同生活は沖縄でも「ストックホルム症候群」の症状が群発した。

    凶悪犯人は鬼畜と思った米軍であり、人質は捕虜、人質現場の銀行は捕虜収容所、いや沖縄全島といっても良い。

    この辺の複雑な心境を当時沖縄で捕虜になったある女性は次のように書き残している

    米軍に保護された住民にとって、それまでの『兵隊さん』は、いつしか『日本兵』という“敵”に変わっていた。住民は、すっかり”親米派”になっていたのである。『お国のために』と信じ、日本軍と行動をともにしてきた私の母・宮城初枝も、大けがをして投降したものの、島の人たちからあらぬ噂をたてられ、日本軍に加担したとして批判の的にされていた。
    戦争は終わった。しかし母にとっての”戦争”は終わらなかった。さまざまなできごとが戦後に尾を引き、母はその当事者になってしまうのである。≫
    (宮城晴美著 「母の遺したもの」)


    ■マッカーサーの置き土産■

    マッカーサーが7年後日本を去るとき「鬼畜」は「親愛なるマッカーサー様」に変わっていた。

    彼のもとには日本国中から感謝と惜別の念に満ちた数万通の手紙と贈り物が届けられていたと言う。

    だが、マッカーサーが日本に残したものは「言論の自由」ではなく、「焚書坑儒」、・・・いや、そんな荒業ではなく、知られざる「3年殺し」の技だった。

    古来沖縄に伝わる空手の秘技「3年殺し」については「マッカーサーの三年殺し」【再掲】で書いた。

    突かれたときは痛くも痒くも無いが3年目には内部の細胞が崩れて死に至るという必殺技だ。

    しかしマッカーサーの秘技は3年どころか60年の時を超えて日本の内部組織を今でも壊し続けている。

    ■マッカーサーの焚書坑儒■

    マッカーサーは当時のアメリカでも実施していなかった男女平等を始めとする数々の民主主義の理想を持ち込んだ。

    彼は軍人でありながら何故このような当時は勿論、現在でも類のない理想主義に満ちていたたのか。

    その鍵をとく為に彼が日本に第一歩を印すまでの足跡を辿ってみる。

    パターンの復讐

    マッカーサー、この誇り高きエリート軍人はフィリピンでは日本軍に敗走の屈辱を味合わされた。

    挌下と見下していた黄色民族の軍隊に敗走する事は彼の辞書には無かった。

    ダグラス・マッカーサーは1880年1月26日アーカンソー州リトルロック生まれ。父親のアーサー・マッカーサー・ジュニア中将は南北戦争の退役軍人であり名誉勲章を受章している職業軍人家系だった。

    1898年、アメリカ陸軍士官学校に入学し、1903年に陸軍少尉になり卒業した。その成績はアメリカ陸軍士官学校史上最高で、マッカーサーの取った成績以上の成績で卒業したものは未だに現れていない。

    1942年5月7日、その誇り高きマッカーサーがフィリピン・コレヒドールで日本軍本間中将との戦いに敗れてオーストラリアに敗走する。

    この屈辱の負け惜しみに「I shall return」(必ず戻る)という有名な言葉を残した。

    彼の屈辱の敗走の2年後、彼より10歳若いアイゼンハワーがヨーロッパ戦線でノルマンディ作戦を指揮して世界的英雄になった。

    アイゼンハワーは軍人として必ずしもエリートコースを歩んでおらず一時は閑職で燻っていた時期もあった。

    またアイゼンハワーはマッカーサーの部下として彼の補佐官を務めた時期もあった。

    軍人のエリートコースを歩みながら、むしろ政治家志向のマッカーサーが後年大統領予備選に敗北をして、立候補を再三辞退していたアイゼンハワーが大統領になった。

    日本占領までのマッカーサーはフィリピンでの屈辱を晴らす復讐の念に燃えていた。

    それには日本の軍隊を徹底的に壊滅させる必要があった。

    日本を手足のもぎ取られた子羊のように、二度と米国に反抗できない状態にしておく意図に燃えていた。

    そのためには日本国憲法の設定、その中でも交戦権の否認は不可欠であった。

    ■マッカーサー 皇居を睥睨しながら執務をした■

    マッカーサーは皇居に面した第一生命ビルの6階に占領軍の本部を構えた。

    そこから皇居を見下ろして天皇の権威の上に君臨する全能の権力者となった。

    日本の歴史上権力と権威を1人で独占して日本を統治した者は彼をおいて他に例が無い。

    日本の歴史では朝廷の権威と幕府の権力は常に補完しあってきた。

    マッカーサーと言えば日本に「自由と民主主義」を普及させた恩人とと見られている。

    しかし彼が日本で最初に行ったことは「自由と民主主義」とは逆の「焚書坑儒」であった。

    「焚書坑儒」とは中国の専売特許かと思ったらマッカーサーもこれを行った。

    秦の始皇帝にも劣らぬ絶大な権力を振るったマッカーサーなら「焚書坑儒」もけして不思議ではない。

    マッカーサー司令部は昭和21年3月に一通の覚え書きを出して、戦時中の日本の特定の書物を書物の存在すべきあらゆる場所から没収し、廃棄することを日本政府に指示した。

    書物没収のためのこの措置は時間とともに次第に大がかりとなる。

    昭和23年文部省の所管に移って、各都道府県に担当者が置かれ、大規模に、しかし、秘密裏に行わた。

    没収対象の図書は7千7百余種に及んだという。

    そのとき処理し易いように作成されたチェックリストが分厚い一冊の本として公開されている。

    戦後のWar Guilt Informasion Programの一環であった私信にまで及ぶ『検閲』の実態はかなり知られている。

    だが、数千冊の書物の『焚書』の事実はほとんどまったく知られていない。

    チェックリストは、昭和57年に文部省社会教育局編として復刻され、やっと公開されるようになった。

    失われた書物の内容を、殆んどの日本人は知らない。

    つまり、先の大戦に関して、戦後の日本人は偏った情報を与え続けられ現在もそれが継続していることになる。

     

    ■「三年殺し」に潰された安倍政権■
       
    マッカ―サーの「焚書」という「三年殺し」の荒業は彼の予想を遥かに越えて、60年経った現在でも日本の内部組織を破壊しつづけている。

    マッカーサーの負の遺産である「戦後レジーム」。

    それは「戦後民主主義」という形で今でも左翼マスコミの中に奥深く染み込んでいる。

    その解消に果敢に挑んだ安倍前首相は、「戦後レジーム」そのものともいえるマスコミと左翼官僚によって見事に潰されてしまった。
     
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    閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)
    江藤 淳
    文藝春秋

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    朝青龍が恐れた力士の引退

    2007-11-26 18:05:22 | 県知事選

     大相撲、一ノ矢が引退 46歳戦後最年長  

     通算1002回目の土俵を終え、24年間の現役生活に終止符を打った一ノ矢(46)=本名松田哲博、鹿児島県出身、琉球大学卒、高砂部屋=は「相撲が好きで、少しでも強くなりたいと思っていたからここまで続けてこれた。まだ引退という実感がわかない」と胸中を明かし「ここ2、3年は、そろそろ外から相撲を見てみたいと思った」と引退の理由を挙げた。
     最後の取組に敗れ「勝って締めたかった。少し残念」と話した一ノ矢だが「角界入りした時は1002回も土俵に上がれるとは思っていなかった」としみじみと語った。
     琉球大1年生の1979年4月、新入生ながらオリエンテーションで「一緒に相撲をやりましょう」と勧誘し、自らの手で土俵を整備し、一から相撲部をつくった。相撲部の顧問として在学中の一ノ矢を見てきた同大理学部の矢ヶ崎克馬教授は「受け身で学生生活を送るのではなく、学業以外にも明確な目的意識を持っていた」と、165センチの体にみなぎる開拓精神をたたえた。一ノ矢は卒業後も、同大の相撲部に新しい土俵や屋根を贈り、けいこに参加して胸を貸したり「自分の相撲の原点」と、後輩を温かく見守り続けた。
     角界入りした後も、その知性と人柄を発揮して部屋のホームページを担当したり、新弟子の面倒を見たりと周囲の支えとなり、自らも相撲理論を研究して昭和以降最年長力士として土俵を務めた。
     引退後も部屋のマネジャーとして相撲にかかわっていく一ノ矢は「相撲の面白さを伝えたいし、関取にも効率よく強くなれるように指導したい」と意欲に燃える。46歳、相撲人生はまだまだ終わらない。


    (琉球新報 11/24 10:54)

                           ◇

    大相撲九州場所は優勝、三賞の表彰と共に昨日その幕を閉じた。

    が、華やかな表舞台の影でひっそりと力士としての幕を下ろした男がいた。

    あの朝青龍もが尊敬する男、一ノ矢とは。

    沖縄タイムスが昨日の社説で引退する序二段力士・一ノ矢のことを取り上げた。

    一ノ矢は46歳で戦後最年長力士の記録を持つが、もう一つ最初の「国立大卒力士」の記録も持つ。

    大卒力士といっても今では珍しくなく、思いつくままにざっと幕内力士の名を上げただけでも、琴光喜(日大)、高見盛(日大)、豊真将(日大)普天王(日大)、海鵬(日大)、出島(中大)、玉春日(中大)、豪風(中大)、雅山(明大)、栃の洋(拓大)、時津海(農大)、時天空(農大)、垣添(日体大)、嘉風(日体大)、玉乃島(東洋大)・・・。

    更に十両以下の学生出身力士を数えると大相撲はモンゴル出身力士と同じく、学士力士の存在を抜きにしては語れないほどの大人数である。

    学生力士といえば学生時代それ相応の実績を持ってプロ入りするので初土俵から序二段や三段目で相撲を取るのが一般的である。

    一ノ矢は同じ学生といっても国立大学琉球大学出身で、それも難しいといわれる理学部物理学科を卒業している。

    大学卒業後、決まっていた高校の物理の教職を蹴り国立大学出身力士として史上初の角界入りをした。

    身長が規定に及ばず新弟子検査を合格することが出来ずに半年ほど過ぎたが、お情けで新弟子検査に合格、前相撲から初土俵を踏んだ。

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    ■あの朝青龍がさん付けで呼ぶ■

    相撲社会では番付の差はそのまま社会的地位の差。

    横綱と二段目では天と地の差があるはずだが同じ部屋の、あの朝青龍さえも一ノ矢のことをさん付けで呼ぶという。

    横綱・朝青龍の面倒を新弟子時代からずっと見続けていたため、朝青龍は横綱に昇進した現在も敬意を込めて「一ノ矢さん」とさん付けで呼んでいる。朝青龍は「彼ほど恐ろしい力士はいない」と一ノ矢を尊敬していると言う。 (ウィキぺディア)

    沖縄タイムス社説(2007年11月25日朝刊)

    [一ノ矢引退]

    あっぱれ、最年長46歳

     琉球大学を卒業後、角界入りした一ノ矢(46)=本名松田哲博、徳之島生まれ、高砂部屋=が、九州場所を最後に二十四年間の土俵生活に終止符を打った。初の国立大出身力士として話題を呼び、戦後最年長力士だった。

     序二段の東103枚目の一ノ矢は、千二回目の最後の土俵で二十六歳も違う若者に敗れた。今場所は勝ち越しを決めていたものの、有終の美を飾れなかった。だが、「力士として土俵に上がることが夢だったから、幸せです」というコメントが、人生を土俵にささげた一ノ矢の終始変わらぬ姿勢を示している。ご苦労さまと言いたい。

     夢を実現させるため努力を惜しまなかった一ノ矢は、入門当初からエピソードが多かった。本人によれば、新弟子検査で「身長が足りず、八カ月間居候生活の後、お情け合格」。大卒であろうが学歴、年齢は関係なく、先に入門した者が兄弟子という相撲界にあって、「入門したときから最年長だった」という。

     押し、出し投げ、肩透かしを得意技に、一九八三年に初土俵を踏み、力士生活をスタートさせたが、関取と呼ばれる十両には昇進できず、最高位は東三段目6枚目だった。ただ、二回、序二段で優勝(七戦全勝)したことは本人にとって誇りであろう。

     一ノ矢は琉大に入学した年の一九七九年、相撲部を創設した。県内の大学で唯一の相撲部だった。二年前には土俵を寄贈、毎年二回は母校を訪れ、後輩にけいこをつけている。

     決して大きな体格ではないが、積み重ねてきた成績は、四百八十四勝五百十八敗、休場はわずか六日。

     派手な成績は挙げられなかった。だが、好きで飛び込んだ相撲界で、相撲を極めることを常に考え努力を怠らなかった。その結果、現役で最年長まで土俵に上がったということだろう。日々の努力がいかに大切であるかを教えている。

     引退後は高砂部屋のマネジャーとなり、来年には結婚するという。一ノ矢の新たな出発を期待したい。

                           ◇

    「おまけ」

    明治時代に一ノ矢という力士が青森県田舎館村出身でいたらしく、今朝の東奥日報がコラムで一ノ矢を取り上げている。

    沖縄タイムスは琉球大学出身ということで一ノ矢を取り上げたが、地道に頑張った老雄の引退に、奇しくも南と北のローカル紙が惜別の文を書いた。

    果たしてこの二つの文章、どちらに軍配が上がるやら。

     

    東奥日報 コラム 2007年11月26日(月)  

     
     明治二十年代、大相撲の高砂部屋に剛力大関がいた。田舎館村出身の一ノ矢藤太郎である。二十三歳での遅い入門だったが、出世はずば抜けて早く幕内優勝もある。西ノ海らとともに部屋の隆盛にあずかった。その由緒あるしこ名を受け継ぎ、四十六歳まで土俵を務めた同部屋の一ノ矢が引退した。

     鹿児島県徳之島出身で琉球大卒。最高位は三段目で大先達には遠く及ばなかったが、角界最年長の名物力士だった。国立大の物理学徒が好きな相撲にのめり込み、気がつけばまげも薄くなる年ごろに。「やればやるほど奥深さを知り、やめられなくなった」。小さな体でコツコツと歩んできた土俵人生に、満足感も漂う「千秋楽」の弁だった。

     一芸に夢を託し、悔いなき舞台を去る人がいれば、夢を再びと新たな舞台に挑む人たちもいる。社会人の硬式野球クラブ「ブルーズヨシフォレスト」が船出した。入団テストは雪のため面接だけとなり、応募した六十人が合格した。歌手の吉幾三総監督は、最初に手を挙げた人たちを大事にしたいと、全員を受け入れた。

     元プロ選手から高校での経験者、女子中学生まで、さらには最年長は四十九歳などと、多彩な人たちが集まった。野球を通じて古里を元気づけたい。そんな旗印を掲げ、チームは来春から本格始動する。その先には、都市対抗に出場し東京ドームへという未来図も描く。

     人生には時と縁がある。歳月は人を待たずとも。人それぞれに夢を生きられるのも、出合いの機微があってのことだろう。 
     
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    教育の劣化は国の劣化 自分の頭で考えない大学生

    2007-11-26 07:00:16 | 教科書

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    ■藤原正彦教授の「国語教育絶対論」■

     

    “中学レベル”の大学生急増」を嘆いていたら、一流大学のエリートといわれる大学生の中にも「自分の頭で考えない学生」が増えているという。

    産経新聞の連載特集「やばいぞ日本」シリーズによると、

    韓国の学生に比べても日本のエリート大学生は、

    「自分の頭で考えない。言われたことしかできない。自己本位。確認の甘さ。希薄な責任感…」

    といった学生としての基本的な面で劣るという。

    少子高齢化対策が論議されて久しいが、教育の劣化は学生の劣化、ひいては日本という国の劣化を意味する。

    子どもは世を映す鏡である。

                     *

    【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(5)20年前から考える力消失11.10 03:45

    「夏果てて秋の来るにはあらず」。これは「徒然草」第155段中の文言である。
     北海道大学大学院の数学者、本多尚文准教授はこのごろ、この言葉の予見性をかみ締める。

     何事にも前兆があり、急にある事態が出現するのではない-。兼好法師はそう言っているのだが、日本の今の若い世代の学力の衰退ぶりに重ね合わせて、本多氏には大いに痛感するところがあるという。「今から考えると、現状への兆しは、20年ほど前からありました」

     本多氏は1984年8月に韓国ソウル市で学生を対象に開催された日韓合同の数理科学セミナーを思いだす。

     4年後にオリンピックを控えた当時の韓国には、近代化を目指す活気が満ちていた。しかし、乗用車の性能ひとつをとっても、日本との産業・科学技術力には、大きな差があった。

     この合同セミナー開催にあたった日本側は広中教育研究所。当時、米ハーバード大と京都大の教授であった広中平祐氏が主宰する民間組織だった。韓国側は明知大学校で、日韓合わせて61人の高校生から大学院生までが集まり、数学やコンピューターなど数理科学の勉強に取り組んだ。

     「このとき、日本と韓国の高校生や大学生の間に歴然とした差が表れたのです」

     当時、東大の大学院生であった本多氏は、セミナーの運営を手伝うスタッフとして参加していたこともあり、より客観的に見ることができた。

     驚いたのは、知識や学力の差ではない。数学や物理の力では日本側が圧倒的に上だった。英語力も韓国側が後れをとっていた。しかし、学生として最も基本的な部分の判断力や、ものを考える力で、日本の参加者が劣っていたのだ。

     5泊6日のセミナーが進むにつれて韓国側の教授陣が驚き始めた。交流のための市内見学などの際にも日本の参加者は緩慢だった。相手の意をくみ取り、次を読んで適切に動く韓国の若者たちの行動との間に、際立った差が表れた。

     「あのときの日本からの学生は、いわばエリート的な集団でした」と本多氏は補足する。

     40人の日本勢は、広中教育研究所が全国から選抜した若者だった。高校生たちは、各都道府県の優秀校でも5~10年に一人、現れるかどうかという数学の才能の持ち主で、なおかつ活力を備えた男女だった。

     才能育成のために、ソウルへの旅費も滞在費も無料という信じられないほどの好条件で選抜された顔ぶれだった。

     「隣国同士の同じ関心を持つ若者を集団で見比べることになった結果、次の世代を支える日本人に浸透しつつあった凋落(ちょうらく)傾向が、
    線の透過画像のように、はっきりと見えたのです」

     
    自分の頭で考えない。言われたことしかできない。自己本位。確認の甘さ。希薄な責任感…。基本的な部分であまりにも差があった。

     「自分を含めて、この世代が社会の中核になる20年後、日本と韓国の力は逆転するのではないかと感じました」

     本多氏はソウルの夏を振り返る。明知大学校の教授は「このセミナーで自信を与えられた」と言ったそうである。

     それから23年-。日本の停滞傾向は予兆から現実へと変わった。日本での理科離れは、加速して止まらない。

    ■3けたの計算なくした「ゆとり」

     1970年代、日本の学校教育は、「ゆとり」に舵(かじ)を切った。当時、受験戦争や詰め込み教育への批判が起きるとともに、暗記型から考える力を養う必要性が指摘されていたからだ。

     「ゆとりのある授業・楽しい学校」。日教組が1976年5月に発表した教育課程改革試案のねらいだ。試案では小学4年からの「総合学習」新設、「授業時間2~3割削減」などを提言した。2割を超える授業時間削減は、その後の学習指導要領改定で現実になってしまう。

     小、中、高校などの教科内容や授業時間数などを定める学習指導要領改定は、ほぼ10年ごとに行われてきた。1977年改定では、その名もずばりの「ゆとりの時間」(学校裁量の時間)が登場した。この時間は地域や学校の特色を生かした教科外活動などに使われるはずだった。だが「子供たちを遊ばせている」「何もしない時間」などの批判が起きて消えた。

     1998年改定の現行指導要領では、完全学校5日制に伴って減る授業時間以上に学習量を減らした。ゆとり教育の象徴として新設された「総合的な学習の時間」(総合学習)は教師の指導力に左右されるなど、効果があいまいだった。次期学習指導要領で削減される。

     教育施策の失敗はなかなか目に見えない。しかし、ゆとり教育の弊害は大学生の学力低下に表れた。「分数ができない大学生」の編著者の西村和雄氏(京都大経済研究所長)らが、経済学部の学生が基本的な計算が理解できないなどの実態をもとに警鐘を鳴らした。

     2004年12月。3年ごとに行われる経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA、2003年調査)が公表され、世界でトップと思われてきた日本の“学力神話”が揺らいだ。41カ国・地域の15歳を対象としたその調査で、日本の高校1年生の学力は、「数学的能力」が2000年調査の1位から6位に、「読解力」が8位から14位に落ちた。

     文科省は、数学的応用力について「統計誤差の範囲でトップグループ」と弁明したものの、読解力不足は「1位グループとは差がある」と認めざるを得なかった。

     読解力は文章や地図、グラフからデータを読み取り、回答理由を記述させるなどの問題だった。文章を理解し、分析、評価する考える力を問うもので、ゆとり教育がねらいとしてきたものだ。

     数学者の桜美林大教授、芳沢光雄氏は、論理的思考力や読解力が養われていない現状を心配する。ゆとり教育で小学校で3けたの計算がなくなった例を挙げ、「あみだくじを思い浮かべれば2本だけでは、いったり、きたりだけだが、3本以上になると全く変わる。計算問題も2けただけでは数学的思考力を育てる上で問題がある。なのに3けたを安易に消してしまった」と語った。

     十分な検証なしで思いつきのようにゆとり教育が進められたことが、考える力を奪い、日本の衰退を招く結果になっている。(沢辺隆雄)

     
                      ◇

    ざっと一読しただけでも次のような大学生の劣化が目に付く。

    >自分の頭で考えない。言われたことしかできない。自己本位。確認の甘さ。希薄な責任感…。基本的な部分であまりにも差があった。

    >読解力は文章や地図、グラフからデータを読み取り、回答理由を記述させるなどの問題だった。文章を理解し、分析、評価する考える力を問うもので、ゆとり教育がねらいとしてきたものだ。

    >数学者の桜美林大教授、芳沢光雄氏は、論理的思考力や読解力が養われていない現状を心配する。

    全国学力テスト以降、各県は教育の底上げに努力をしているようだが、(学力向上チーム設置など学力テスト結果で動き出す自治体

    具体的にどこから手をつけるかと考えたとき、藤原正彦御茶ノ水大学教授の「国語教育絶対論」が脳裏をよぎる。

    藤原教授によると、小学校における国語教育こそ教育の本質と考える。

    その理由は、学校教育で教科書も参考書も国語で書かれており、知識習得・情報伝達は、読む、書く、話すの国語力不十分では、不可能だからである。 

    国語が出来なければ理科や社会はもちろん、数学の応用問題も 英語の和訳も、学習に困難をきたす。

    更に藤原教授の「国語教育絶対論」では、言語は思考した結果を表現する道具にとどまらず、思考そのものでもあり、思考を深めるためには国語の読解力を深めねばならないという結論に至る。

     

    『祖国とは国語 』


        国語教育絶対論

    (一)日本再生の急所


      我が国の直面する危機症状は、足が痛い手が痛い頭が痛いという局所的なものではなく、全身症状である。すなわち体質がひどく劣化したということである。国家の体質は国民一人一人の体質の集積であり、一人一人の体質は教育により形造られる。すなわち、この国家的危機の本質は誤った教育にあるということになる。
     教育を立て直すこと以外に、この国を立て直すことは無理である。これは時間のかかることであり、即効薬も起死回生の一手も逆転満塁ホームランもない。即効薬のないことを肝に銘じないで、これまでのように、これこそ即効薬と思い次々に小手先の改革に走っていては、事態を悪化させ、いたずらに時間を空費するばかりである。数十年かけて落ちてきた体質を元に戻すには数十年かかると肝に銘じた方がよい。
     教育を立て直すことが、すべての中核であることに異論の余地はありえないが、これをどう立て直すかがすこぶる難しい。政治、経済、社会から現代という時代までが絡んでおり教育界は百家争鳴を呈している。「ゆとり教育」「人権教育」「個を育てる」「国際人を育てる」「自主性や創造性を養う」「生きる力を育くむ」「指導でなく支援」「新しい学力観」などの処方箋がここ二十年ほど唱和されてきたが、いかほどのこともなかった。
     教育の質はそれを受けた者の質を見ればたちどころにわかる。大学生を見れば質の低下は著しい。これらスローガンが単なる美辞麗句に過ぎなかったことは明白である。
     親が悪い、先生が悪い、大人が悪い、文部科学省が悪い、社会が悪い、時代が悪いなどと犯人探しも行なわれてきたが、プラスとなるものは何も産み出さなかった。どれも悪い、という当たり前の事実が確認されるだけだった。
     問題は我が国の劣化しきった体質を念頭に、いかに教育を根幹から改善するかである。そのため、具体的に何から手をつけたらよいのか、ということである。私には小学校における国語こそが本質中の本質と思える。国家の浮沈は小学校の国語にかかっていると思えるのである。

    (二)国語はすべての知的活動の基礎である
     情報を伝達するうえで、読む、書く、話す、聞くが最重要なのは論を俟たない。これが確立されずして、他教科の学習はままならない。理科や社会は無論のこと、私が専門とする数学のような分野でも、文章題などは解くのに必要にして充分なことだけしか書かれていないから、一字でも読み落としたり読み誤ったりしたらまったく解けない。問題が意味をなさなくなることもある。かなりの読解力が必要となる。海外から帰国したばかりの生徒がよくつまずくのは、数学の文章題である。読む、書く、話す、聞くが全教科の中心ということについては、自明なのでこれ以上触れない。
     それ以上に重大なのは、国語が思考そのものと深く関わっていることである。言語は思考した結果を表現する道具にとどまらない。言語を用いて思考するという面がある。
     ものごとを考えるとき、独り言として口に出すか出さないかはともかく、頭の中では誰でも言語を用いて考えを整理している。例えば好きな人を思うとき、「好感を抱く」「ときめく」「見初める」「ほのかに想う」「陰ながら慕う」「想いを寄せる」「好き」「惚れる」「一目惚れ」「べた惚れ」「愛する」「恋する」「片想い」「横恋慕」「相思相愛」「恋い焦がれる」「身を焦がす」「恋煩い」「初恋」「老いらくの恋」「うたかたの恋」など様々な語彙で思考や情緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。これらのうちの「好き」という語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身がよほどひだのない直線的なものになるだろう。人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言でない。母国語の語彙は思考であり情緒なのである。
     言語と思考の関係は実は学問の世界でも同様である。言語には縁遠いと思われる数学でも、思考はイメージと言語の間の振り子運動と言ってよい。ニュートンが解けなかった数学問題を私がいとも簡単に解いてしまうのは、数学的言語の量で私がニュートンを圧倒しているからである。知的活動とは語彙の獲得に他ならない。

     日本人にとって、語彙を身につけるには、何はともあれ漢字の形と使い方を覚えることである。日本語の語彙の半分以上は漢字だからである。これには小学生の頃がもっとも適している。記憶力が最高で、退屈な暗記に対する批判力が育っていないこの時期を逃さず、叩き込まなくてはならない。強制でいっこうに構わない。
     漢字の力が低いと、読書に難渋することになる。自然に本から遠のくことになる。日本人初のノーベル賞をとった湯川秀樹博士は、「幼少の頃、訳も分からず『四書五経』の素読をさせられたが、そのおかげで漢字が恐くなくなった。読書が好きになったのはそのためかも知れない」と語っていた。国語の基礎は、文法ではなく漢字である。
     読書は過去も現在もこれからも、深い知識、なかんずく教養を獲得するためのほとんど唯一の手段である。世はIT時代で、インターネットを過大評価する向きも多いが、インターネットで深い知識が得られることはありえない。インターネットは切れ切れの情報、本でいえば題名や目次や索引を見せる程度のものである。ビジネスには必要としても、教養とは無関係のものである。テレビやアニメなど映像を通して得られる教養は、余りに限定されている。
     読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つのは至難である。
     大局観は日常の処理判断にはさして有用でないが、これなくして長期的視野や国家戦略は得られない。日本の危機の一因は、選挙民たる国民、そしてとりわけ国のリーダーたちが大局観を失ったことではないか。それはとりもなおさず教養の衰退であり、その底には活字文化の衰退がある。国語力を向上させ、子供たちを読書に向かわせることができるかどうかに、日本の再生はかかっていると言えよう。

    (三)国語は論理的思考を育てる
     アメリカの大学で教えていた頃、数学の力では日本人学生にはるかに劣るむこうの学生が、論理的思考については実によく訓練されているので驚かされた。大学生でありながら(-1)×(-1)もできない学生が、理路整然とものを言うのである。議論になるとその能力が際立つ。相手の論理的飛躍を指摘する技術にかけては小憎らしいほど熟練しているし、自らの考えを筋道立てて表現するのも上手だ。(略)(『祖国は国語』抜粋)

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    【教科書問題】左翼学者の「すり替え論」

    2007-11-25 08:04:54 | 教科書

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    今朝(25日)の琉球新報オピニオン面の読者の「声」欄。

    基地と平和は矛盾  那覇市 Iさん(83歳)

    軍命か否か、今問題になっている慶良間の集団自決は、日本軍がこの島にやってこなければ起こるわけわなかった。 なにゆえに、日本軍が行った事実を隠そうとするのか。 9.29県民大会に終結した11万人の県民は、怒りのこぶしを突き上げた。  しかし、彼らとて好き好んで住民を自決に追いやったわけではなかった。  その背景には戦争があった。(以下略)

                         ◇

    上記Iさんの「声」を読んで、「軍命有り派」の指導者・林博史国学院大学教授の「すり替え論」が脳裏をよぎった。

    林教授の「すり替え論」に触れる前に、上記Iさんの「声」を勝手に弁明しておくと、Iさんにとって「軍命の有無」は左翼学者とは違って、最初から大した問題ではなかったのだろう。 

    つまり、反戦平和の立場にあれば当然日本軍は否定すべきであり、その「日本軍がこの島にやってこなければ集団自決なんて起こるわけわなかった」のだ。

    文面から見て「反戦平和主義者」らしいIさんにとって小さな島で起きた「軍命有無」論争なんかはどうでも良く、

    その背景にある「戦争の当否」こそ問題であるのだ。 

    勿論「教科書にウソを書いてはいけません」には賛意を示したからこそ9・29県民大会にも参加し、怒りのこぶしを突き上げただろう。

     

    で、林教授が自著『沖縄戦と民衆』の引用が文科省調査官の「教科書検定意見」の根拠になったということに怒りの発言をしたことは当日記で再三取り上げた。(林教授の理屈は「画一的教条論」

    2006年教科書検定で、文科省は沖縄の「集団自決」での軍命について、林教授の著書『沖縄戦と民衆』での、

    「兵器軍曹が手榴弾を2個づつ配り、いざというときはこれで自決するよう指示した(中略)なお赤松隊長から自決せよという自決命令は出されていないと考えられる」という1行の記述でもって、軍命がなかった事の根拠の一つに採用したとされている。

    これに対して林教授は、この渡嘉敷島の集団自決についても軍命はなくとも日本軍の強制である事、

    自著全体で何度も「集団自決」とは日本軍の強制性はあると記述しているのであり、

    文科省の検定は「ある1行だけをつまみ食いされて全部の根拠にされている」「非常に恣意的でひどい検定」と反論している。

    この「ある1行だけつまみ食い・・・」を見て、一瞬、係争中の裁判被告側証人・宮城晴美氏の苦しい弁明とイメージが重なった。

    宮城氏は、相手側(原告)の証拠として提出された自著『母の遺したもの』に関し「自著が誤解されている」と苦しい証言をしていた。

    軍の命令がなかったことを一番承知しているのは宮城氏であり、林教授であることはこれまでの彼らの苦しい弁解に現れている。

    当初の渡嘉敷島、座間味島の「両隊長の命令の有無」で戦ったのでは勝ち目が無いと判断し、

    「軍命の有無は問題で無い」

    「日本軍という組織全体が、あるいは日本軍によって指導された当時の日本国家体制全体が住民をそこに追いやったんだ」

    と、問題を限りなく拡大し、最後は「戦争をしたのが悪い」と論点を摩り替えられたら、もはや焦点がぼけて議論にはならない。

    これは「戦争か平和か」と議論をすり替えたに等しい。 

                          ◇

    これまでの林教授の発言を拾ってみると、

    調査官の意見の根拠とされた著書の作者の反論
     『沖縄戦と民衆』の著者・林博史氏(関東学院大学教授)

    ・「著書では(『集団自決』は)日本軍の強制と誘導によるものであることを繰り返し強調している。これが検定の理由にされているとしたら心外だ」(「沖縄タイムス」6月17日付)

    ・「私は、著書の中で1つの章を『集団自決』にあて、その中で『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考えるとの認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷島のケースでは『軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと』を指摘している」(同10月6日付に掲載された意見から抜粋)

     [「集団自決」を考える](20) (沖縄タイムス2005年7月4日) 
    (20)識者に聞く(3)
    林博史関東学院大教授

    命令有無こだわり不要
    前提に「逆らえない体制」

     ―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。

     「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」略)

    冒頭に掲げたIさんの「声」と論旨が重なることが分かる。

    Iさん⇒「その背景には戦争があった」。

    林教授⇒「戦争体制によって強制された死であり、」

    これが沖縄戦史の専門家と称する林博史関東学院大学教授の「軍強制論」の正体である。

    現代史の専門家秦郁彦元千葉大教授も、林教授の理屈を「画一的教条論」として厳しく批判している。
     
    『まずは沖縄タイムスだが、『鉄の暴風』の発行元であるだけに責任は重いはずなのに、・・・(略)・・・なぜこんなに挑戦的なのか理由は不明だが、沖縄タイムス社の役員が梅沢氏を訪ねて丁重に謝罪し、善処を約したことへの反発かもしれない。』
     (中略)
    『この新聞を呪縛している「沖縄のこころ」風のイデオロギー性は、前述した「<集団自決>を考える」シリーズでも濃厚である。連載の終わりの4回分は「識者に聞く」として安仁屋政昭、石原昌家、林博史などの四氏を起用しているが、「集団自決は厚生省の(援護用語)で、(強制集団死)とよぶべきだ」とか「軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、、、、状況を作ったのは軍を含めた国家」のようなたぐいの見事なまでに画一的教条論の羅列ばかり。

     盧溝橋事件や南京虐殺事件の論争でいつも出てくる「第一発を誰が撃ったかは重要ではない」「虐殺の数にこだわるな」と同類の異議で、争点をそらす時に好んで用いられる論法ではある。
     (「歪められる日本現代史」(秦郁彦著・PHP研究所 第29~第32ページより引用)

                          ◇

    左翼学者・林教授については、引き続き「すり替え論」に言及して生きたいと思うが『マガジン9条』に林教授の対談が乗っているので次回に触れてみたい。

    この人に聞きたい
    林博史さんに聞いた その1沖縄戦の集団自決問題の真相http://www.magazine9.jp/interv/hayashi/hayashi.php


    今年の夏、沖縄戦での集団自決に関する記述をめぐる教科書検定の問題が、大きな議論を呼び起こしました。
    このとき、文科省が「軍の強制」の記述を削除する根拠として挙げたのが、『沖縄戦と民衆』という1冊の本。
    その著者である林博史さんにお話を伺いました。(略)


    サヨク学者を沖縄戦の専門家として、「審議会」に入れることに反対の方、
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    コメント

    緊急!教科書が危ない 左翼学者林教授を排除せよ!

    2007-11-24 08:33:58 | 教科書

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    左翼学者・林関東院大学教授が教科書審議会の意見聴取に参加する動きがあるという。

    林教授の「軍命すり替え論」は素人でも論破できる幼稚なものだが、「11万人」集会以降、「県民感情」という魔物に後押しされて文科省も意見聴取に動いたようだ。

    更に、「沖縄条項」が設定されて要るとしたら、今までのように安閑としてはおれない。

    当日記は「林教授の幼稚な理論は専門家の議論に晒して木っ端微塵に粉砕し、後顧の憂いの無いようにしたほうがよい」と述べたが、これは撤回しなければならない。

    何しろ「理」で議論するのではなく「県民感情」という「情」で議論するらしいのだ。

    その根拠が「沖縄条項」(近隣諸国条項」内規)ではまともな議論は期待できない。

    林教授は学者というより政治プロパガンダーといったほうが相応しい。

    これまでも敵であった米軍側の文書のみを何度も持ち出して「軍の強制」を主張してきた「軍悪者説」の首謀者である。

    その首謀者に意見を聴くことは、犯人に裁判の判決を書かせるようなものです。(藤岡信勝拓大教授)

    断固、林教授の意見聴取に反対すべきだ。

    教科書が危ない!

                          ◇

    以下のメールをいただきました。抜粋、整理してお送りします。

    しっかり抗議をして勝ちましょう!

    要するに、次の2点を含んだ意見をぜひ送って下さい!!



    沖縄集団自決に関する教科書検定について、


    ①検定審議会による専門家の意見聴取の中に、

     「軍の強制」説の首謀者である、

     林博史・関東学院大学教授が入ることに反対!!


    ②秦郁彦、中村あきら、曾野綾子の各氏のような、見識のある学者・研究者・作家から意見を聴取すべきである。


    ■初等中等教育局の教科書課

     直通電話は、03-6734-2409

     FAXは、 03-6734-3739

                          ◇


    以下、転送します


    沖縄集団自決に関する教科書検定が今決定的な局面を迎えています。

    ご尽力くださっている日本中のすべての皆様のご努力が無駄になるかどうか、すべてここしばらくの文科省への局地的な力関係で決まります。

    この件に関わる文科省のほとんどの方々は皆さん単なる役人であり、決して愛国者でも何でもないのですから,すべては局地戦的な、その場の小さな力関係で決します。

    そして保守はそう言うところでいつも一致団結した行動がとれず、左翼の組織的運動に負けてきたのです。

    日本中の心あるすべての方が文科省に1本電話を入れてくださるだけで、この戦いは必ず勝てると私は確信できます。もし誰も電話を入れなれば、必ず負けるでしょう。

    いつもそういう風にして事は決して行きます。

    大阪地裁の前に集まってくださった皆様。1本、文科省へお電話ください。

    このメールを受信されるすべての方が1本文科省へ電話を入れてくだされば、この戦い、必ず勝てます。

    案外電話を入れる方は少ないのです。私も必ず電話を入れます。

    文科省の担当官は

    文科省(03-5253-4111)

    「教科書課」

     ・教科書課長  伯井(はくい)美徳

     ・教科書企画官 串田俊巳

    です。


    以下、藤岡 信勝 先生からのメール転送です。


    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


    ◆検定審議会の意見聴取の人選につき文科省に抗議の電話を!

     沖縄集団自決の教科書検定問題につき、各位へ、緊急のお願い。

     藤岡信勝です。


     本日(22日)、自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」沖縄問題小委員会(萩生田光一委員長)の第3回会合が開かれました。第1回は私が話をし、第2回は沖縄の恵忠久氏が証言し、そして本日の第3回は全日本学生文化会議のグループが沖縄で行った世論調査の報告をしました。

     今回も教科書課長など文科省の役人が同席しました。萩生田委員長は、「訂正申請に基づき、教科書を再度書き換えるならば、必ずその根拠を明らかにしてもらう」と文科省側に問いつめたところ、教科書課長の表情がこわばりました。「軍の命令・強制」記述の根拠がないことを、課長は知っているからです。

     また、萩生田氏が「検定審議会による専門家の意見聴取は、中立的に人選をしているか」と問うたところ、課長は、「はい。中立でやっています」と返答しました。

     しかし、教科書課長はあきらかに嘘をついています。なぜなら、沖縄タイムスと琉球新報(20日付け)は、文科省が今月末までに、林博史・明治学院大学教授と沖縄在住の琉球史の専門家の二人に、訂正申請についての意見を文書で出してもらうことにした、と報道しているからです。こんな人選は「中立」どころではありません。林氏は「軍の強制」説の首謀者です。これは、さしずめ、犯人に裁判の判決を書かせるようなものです。

     こういう、論外ともいうべき偏った人選について、月曜日から文科省に抗議の電話をしてほしいのです。金沢の諸橋茂一さんが今朝(22日付け)の産経新聞「正論」欄の私の文章を読んで、早速文科省に電話をしたところ、応対した事務官は「藤岡先生の意見は、自分もそうだと思う」という反応をしたそうです。教科書課の次の二人が中心ですから、

    文科省(03-5253-4111)から「教科書課」を呼び出し、この二

    人のうちのどちらかを呼び出して、がんがん意見を言って下さい。


     ・教科書課長  伯井(はくい)美徳

     ・教科書企画官 串田俊巳


     夕方、沖縄タイムスの社会部の記者から電話がかかってきました。「文科省は、幅広い範囲の人から意見を聞くことになったとの情報がある。先生の所には何か話はあったか」という質問でした。もちろん、私の所にはそんな話は来ていませんが、ひょっとしたら、


    (1)産経朝刊の私の論説、

    (2)議連小委員会での萩生田委員長の発言、

    (3)諸橋さんの電話、などの効果があるのかもしれません。


     左翼は熱心に電話をかけ、集会・デモをやり、マスコミに働きかけ、政治家を動かし、官僚に圧力をかけます。こちら側がおとなしくしていれば、当然敗北します。

    「もうダメだ」というあきらめムードに入っている人や、こういう運動をす

    るのは左翼の裏返しの「右翼原理主義」だなどと、自ら行動しない「理論付け」をしている愚劣な教科書団体の「指導者」もいますが、そんな俗論に惑わされず、ぜひ、行動して下さい。今一歩で、逆転させる可能性があります。

     今の焦点は、検定審議会が意見聴取する専門家の人選です。「正論」欄に書いたように、秦先生、中村先生、曾野綾子さんを入れさせることができれば、こちらの勝ちです。なぜなら、結論が両論併記になり、検定前の記述に戻す理由が消失するからです。もともと、福田内閣と渡海文相の指示で動いている文科省の官僚は、訂正申請を認めるという検定制度否定の方針に一片の理もないことを知り抜いていながら、保身と出世のために付き従っているのです。

     なお、20日付け沖縄タイムスの記事に接しましたので、急遽、林博史批判の以下の文章を草しました。参考にしていただければ幸いです。


    ◆林博史氏は教科書検定審議会の意見聴取の対象として適格か

                              拓殖大学教授   藤岡 信勝

    ●林博史氏による論点のすりかえ

      林博史明治学院大学教授は、「自虐史観」を推進する研究者の代表的な人物である。集団自決問題ではあらゆるところに顔を出し、丁度「従軍慰安婦」問題の時の吉見義明中央大学教授と同じ位置にあるといえばわかりやすいであろう。

     カタログ雑誌『通販生活』の11月号は、集団自決についての文科省による記述の修正について、「修正肯定派」として私が、「修正否定派」として林氏が登場した。編集者がインタビューした内容をまとめた記事である。その中で、林氏は、教科書検定で「軍の関与を否定する根拠として私の本を唯一の具体例として挙げたそうです」と言い、「驚くとともに、恣意的に参考資料を使っていることに怒りを覚えました」と語っている。

     では林氏はどのような根拠で文科省による教科書の「修正」を否定するのか。林氏は次のように語る。

     〈確かに私の本には「赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる」(同書161頁)というような一文はあります。しかし、これは「集団自決」当日に「自決せよ」という軍命令が出ていなかったとみられるということを書いただけで、軍による強制がなかったということではありません〉

      だが、これはひどいすりかえである。従来集団自決に軍命令があったと教科書に書かれてきたのは、『鉄の暴風』とそれを引き写した多数の出版物が、梅澤・赤松両隊長の「命令」を記述してきたからだ。それが、林氏の研究でも隊長命令がなかったとすれば、従来の教科書記述が修正されなければならないのは当然なのだ。だから、要するにこのあとは、「隊長命令説」を引っ込めて、いろいろな理屈をつけて、日本軍が集団自決を「強制」したと言いつくろうのである。林氏の発言を拾ってみよう。

     〈当日の部隊長命令の有無は、実はそれほど大事な問題ではありません〉

    〈いざとなったら死ぬことを日本軍によって住民が強制・誘導されていたことが「集団自決」問題の本質なのです〉

    〈本質的な問題は、軍命の有無ではなくて、軍による強制・誘導だったのです〉


      いいわけのオン・パレードである。では、その「軍による強制・誘導」と
    は何か。

    林氏は、次の四つの内容を挙げている。

    (1)捕虜になるのは恥だから自決せよと教育されていた。

    (2)米軍につかまれば、男は戦車で轢き殺され、女は辱めを受けたうえでひどい殺され方をすると、米軍に対する恐怖を日本軍が煽っていた。

    (3)捕虜になるのは裏切り者で、殺されて当然だという考え方を植え付けられていた。

    (4)軍が玉砕する時は住民も一緒に死ぬという「軍官民共生共死」の意識がたたき込まれていた。

      だが、これらは沖縄に限ったことではない。戦争末期には、多かれ少なかれ日本中がこういう意識を共有していた。だから、米軍が侵攻してくるという、沖縄と同じ条件が現出すれば、似たようなことが本土でも起こった可能性がある。また、これらの意識を植え付けたのは、何も日本軍だけではなく、学校や社会全体がそういう意識の醸成にあずかっている。新聞ならば朝日新聞あたりが最も「誘導」の責任があるだろう。要するに、当時の時代風潮を日本軍にだけ責任を帰していこうとするのが、林氏の「軍の強制・誘導」説であるが、これは成り立たない。

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    渡海大臣 何をもって軍命? そんなの関係ない!

    2007-11-23 10:33:13 | 教科書

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    沖縄タイムス 2007年11月23日(金) 朝刊 2面  
      
    渡海文科相 何をもって「軍命」?/「教科書検定」県民大会後に雑談
     【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書検定問題で、渡海紀三朗文部科学相は二十二日午後の閣議後会見で、沖縄の県民大会後に石破茂防衛相と意見交換した際、石破防衛相が「『軍命』とは通常は隊長が出したことをいうのかな」などと話していたことを明らかにした。渡海文科相が「軍命」の意義を問うたことに答えたという。
     渡海文科相は「学説がどうか分からないが、何をもって軍命というのか、と雑談した。自衛隊も軍隊といえば軍隊だから、どうなっているのかを聞いた。明快な回答を求めたわけではない」と説明した。

     また、県民大会後に所属する派閥の山崎拓会長(前副総裁)から電話があったことを明らかにし、「この問題を文科相として適正に処理してくれということだった。『ちゃんとやれ』という内容だった」と話し、検定意見見直しへの働き掛けがあったことを認めた。

     山崎前副総裁は同問題に関し、大会前日の県内での講演会で「検定に過誤があった場合、文科相は(省令で)見直しを勧告できる。文科相と話し合う」などと述べていた。

                        ◇   

    当日記で再三繰り返し述べてきたことだが、

    歴史教科書に記述するような学術的検証を要する事項に政治家が介入すべきではない。

    当然、「教科書記述」は政治家の集団である議会が決議することにも馴染まない問題である。

    1人で考えればごく当たり前のことだが、これが集団となると当たり前の判断が出来なくなる。

    担当の文科大臣といえども政治家の1人ゆえ、軽々に教科書記述に口を挟むべきでないのは当然のことだが、

    渡海文科大臣の発言は「11万人」集会以来、自分の対場を忘れ揺れ動いているのが気にかかる。

    >山崎前副総裁は同問題に関し、大会前日の県内での講演会で「検定に過誤があった場合、文科相は(省令で)見直しを勧告できる。文科相と話し合う」などと述べていた。                  
     
    >県民大会後に所属する派閥の山崎拓会長(前副総裁)から電話があったことを明らかにし、「この問題を文科相として適正に処理してくれということだった。『ちゃんとやれ』という内容だった」と話し、検定意見見直しへの働き掛けがあったことを認めた。

    昔のように派閥の領袖が大臣に影響力を及ぼすとは思わないが、

    渡海文大臣の態度がグラグラしていたら、派閥の親分の「ちゃんとやれ」という一言も

    命令、いや、強制、・・・少なくとも誘導には聞こえるだろう。

    だが、日本は法治国家である。 大臣の態度が揺れ動いても文科省役人は法令に基づいて粛々と、そして「ちゃんとやる」ものと思っていた。

    その証拠として、以前に次のように書いていた。

    検定問題、訂正勧告を要求 自民・山崎氏が文科相に  (9/29 9:41 

    山拓の妄言には、文部省が一蹴してはいるようだ。

    「今回の場合なじまない」 文科省教科書課 
    文部科学相の訂正勧告に関する山崎拓氏の発言について文科省教科書課は28日「発言については承知していない」とした上で、「訂正勧告の制度は市町村合併など客観的に見て明らかな事情の変化などがあったにもかかわらず、教科書発行者が記述訂正に応じない場合に行われるものだ。 今回の場合、制度上なじまない」と説明している。 同制度は1989年に創設。 「事情の変更」が発生した場合、通常は教科書出版社が自主的に訂正申請を行う。 同制度に基づく大臣勧告は一度も行われていない。(琉球新報 2007年9月29日ーウェブサイトには載っていない)
     
    つまり山拓や渡海大臣が文科省役人にいくら「ちゃんとやれ」といっても、彼らは法律に基づく制度の下に「ちゃんとやる」と信じていたのだが、・・・。
     
    昨日のエントリで述べた「沖縄条項」が昭和57年の時点で「近隣諸国条項」の運用内規として定められていたとしたら問題は大きく異なってくる。
     
    「11万人」集会による「県民の意思に配慮」して、法律(運用内規)に従って、粛々とそして「ちゃんと」(軍命復活記述)やることも考えられる。
     
    文部官僚にとって文科大臣なんてくるくる変る置物のような存在であり、例え「内規」といえども法は法で、内規に従うことを優先順位にすると考えられる。

    琉球新報の電話インタビューに答えて山拓は、

    「検定に関する省令を点検すると、文科相は検定で過誤が認められることがあった場合には、教科書検定の見直し申請を勧告することができる 」と述べている。

    前記教科書課の言う通りで、今回は過誤では無いから「今回は制度上馴染まない」。

    >文科省の教科用図書検定規則によると、文科相には発行者に対し訂正の申請を勧告する権限が与えられている。

    >渡海文科相は自民党山崎派から入閣しており、派閥会長が見直し勧告に言及したことで、検定意見撤回に向け大きな影響を与える可能性がある。(琉球新報9月29日)

    新報記事では山拓⇒文科大臣のプレッシャーに期待するような内容だが、冒頭に述べたようにこれこそ絵に書いたような「政治介入」であり、これを期待するような琉球新報は既に新聞の誇りを放棄している。

    だが、渡海文科相が今頃になって「何をもって『軍命?』」なんてトボケたことを言ったが問題ではない。

    「そんなの関係ない!」

    当面の問題は「政治介入」ではなく、介入の口実を与える「沖縄条項」(内規)が既に存在することが、教科書の危機に大いに関係ある。

     

    【追記】8;24

    林教授の「意見聴取反対」に関しては焦点がぼけるので、急遽独立した別の記事でエントリしました。

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    歴史認識の共有必要? 左翼新聞との共有は無理でしょう!

    2007-11-23 08:35:06 | 教科書

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    歴史認識の共有必要 教科書問題でシンポジウム カメラ

    【東京】教科書問題や沖縄戦などを考えるシンポジウム(主催・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科)が21日夕、早稲田大学で開かれ、文部科学省の教科用図書検定調査審議会・日本史小委員会の波多野澄雄筑波大教授ら3人が講演した。波多野教授は「集団自決」検定問題について「多くの国民が一致して支持できるパブリックメモリー(公的記憶)が形成されていないことに根本的原因がある。戦争責任や賠償が決着しないでずるずると来ていることが、現在の問題につながっている」と述べ、沖縄戦をめぐる歴史認識を国民の間で共有できていないことを指摘した。
     我部政男山梨学院大教授は「教科書問題を国内で画一的に理解するのが困難なのは、共通の体験をしていないことに由来する」と指摘。軍命の有無をめぐる議論について「問題を矮小(わいしょう)化している。当時の軍官民一体化の方針を考えれば、軍命という議論はなくなる。住民虐殺や集団自決は(軍官民一体化)体制全体の最後の帰結として行われた」と述べた。
     早稲田大非常勤講師の鄭根珠(ジョンクンジュ)氏は、2001年の第3次教科書問題での日韓関係について講演した。司会は後藤乾一同大アジア太平洋研究センター教授。

     

    (琉球新報 11/22 9:50)

                          ◇

    昨日に続き「沖縄条項」に関連するので、昨日のエントリを概略おさらいするとこうなる。

    ①昭和57年(1982年)、「朝日の誤報「侵略・進出騒動」で「近隣諸国条項」設定。

    ②同じ年、中国、韓国の抗議のドサクサ紛れの「沖縄条項」設定。(「近隣諸国条項」の運用内規として)

    ③この「沖縄条項」設定以降、教科書記述に大きな変化が見られるようになる。

                       *

    歴史教科書研究家・上杉千年氏の研究によると昭和57年の「沖縄条項」以降、教科書記述は次のように変っていく。

    それまでの小中高の歴史教科書には、沖縄戦に関して「県民殺害」や「集団自決強要」の記述はまったくなかったのだが、この心検定方針によって昭和59年度(84年)以降の中高教科書から一斉に記述が始まった。 

    昭和62年度(87年)使用の中高歴史教科書の中で「県民殺害」と「集団自決強要」の双方かいずれかを記述していたものは

    「高校日本史」全18冊中のうち11冊、

    「高校世界史」では全全18冊中3冊、

    「中学歴史的分野教科書」7冊中、4冊あった。
    (歴史教科書研究家・上杉千年氏「集団自決“強要”問題」の基礎知識、「わしズム」掲載)

    今回(3月)の「教科書検定意見」は上記昭和57年以降、「沖縄戦の実態について誤解を与える表現」に抵触する記述を文科省が野放しにしていたのを、57年以前の本来の教科書記述に戻したに過ぎない。

                                               * 

    冒頭引用記事の二人の大学教授の発言に論評してみよう。

    >波多野教授は「集団自決」検定問題について「多くの国民が一致して支持できるパブリックメモリー(公的記憶)が形成されていないことに根本的原因がある。

    >戦争責任や賠償が決着しないでずるずると来ていることが、現在の問題につながっている」と述べ、沖縄戦をめぐる歴史認識を国民の間で共有できていないことを指摘した。

    いくら日本の国土が狭小だといっても日本各地にはそれぞれの戦争体験がある。

    東京には東京の、広島には広島の、長崎には長崎の戦争体験があり、夫々の記憶がある。

    いや、日本人が体験した戦争の記憶は国内だけに留まらず、サイパン等の南方にもあれば、満州等の大陸にもある。

    それを、「集団自決」検定問題について「多くの国民が一致して支持できるパブリックメモリー(公的記憶)が形成されていないことに根本的原因がある。」とはどういう意味なのか。

    日本国民が金太郎飴のように同じ記憶を持てというのならそれは無理というもの。

    我部教授の意見は更にエスカレートする。

    「教科書問題を国内で画一的に理解するのが困難なのは、共通の体験をしていないことに由来する」という意見。

    これは、無いものねだりというもの。

    「共通の体験」なんて、・・・沖縄でさえ本島と慶良間島では戦争体験が違ういうのに沖縄出身の我部教授、一体何を言いたいのか理解に苦しむ。

    >軍命の有無をめぐる議論について「問題を矮小(わいしょう)化している。当時の軍官民一体化の方針を考えれば、軍命という議論はなくなる。住民虐殺や集団自決は(軍官民一体化)体制全体の最後の帰結として行われた」

    典型的な左翼学者の意見。

    軍命の有無が唯一最重要な論点であり、矮小化という言葉で論点をずらすのは左翼学者の常套手段だ。

    当初、軍はかなりの数の民間人を九州各地や台湾に疎開させていた。

    対馬丸の悲劇も、こういった軍の疎開政策に対して、米軍が民間の輸送船と知りながら攻撃した結果である。

    那覇市に住む元保育園経営者吉武進氏(90歳)は中国戦線体験した元軍人であるが国の「疎開政策」に関して次のように語っている。

    日本と日本軍は沖縄の人々を守らなかった」と非難するメディアに対して、吉武氏は「どの国で戦争になるから疎開しなさいという国があるでしょうか。それは国民のことを心配される天皇陛下の大御心が末端まで浸透していた証拠ですよ。日本を悪く言う人に言いたい。日本人の心を取り戻してもらいたい、と>(「ダイジェスト版世界日報」)

     

    さて、波多野教授は教科書の審議委員をしているらしいが、

    沖縄タイムス記事では次のような意見を述べている。

    教科書検定問題「来月初旬までに結論」/波多野審議委員が見解
    審議の状況では「なかなか難しい対応を迫られている」とし、各社が申請した記述通りに審議会で承認することは困難との認識を示唆した。>

     <教科書会社が検定結果に不服がある場合「意見申立書」で異議を唱えることができるが、今回の検定では「すべての会社が(検定)意見に従って(修正表を)書き、軍の存在や関与が一斉になくなり、びっくりした」と述べた。>(タイムス)

    「修正後に軍の存在や関与が一斉になくなり、びっくりした」と言うが読む人の方がびっくりしてしまう。

    このようなエライ先生のいい加減な感想で沖縄県民がミスリードされるのだろう。

    それとも、これって沖縄タイムスの誤報?

    <その上で「文科省だけでなく、執筆者や出版社にも一端の責任がある。裏付けがあるなら自信を持って書くべきだ」と強調した。>(同)

    そう、教科書会社も裏付けがあるなら、自信を持って書くべきだ。

    裏づけの無い証拠・証言が跋扈するから問題なのだ。

    <「集団自決」への日本軍の強制が削除された検定後の記述については「軍(の関与)を否定しているわけでないと解釈できなくもなく、検定意見の範囲と言える」とし、検定意見に即した記述だと説明した。>(タイムス)

    ん? この先生、何を言っているのか良く分からない。

    波多野教授がおかしいのか、やはり沖縄タイムスの記事が・・・?

    この先生、先月琉球新報のインタビューに答えている。

    ウェブサイトには載っていない一問一答の最後の部分で「県民大会」の感想を問われ、

    「驚いた。あらためてこの問題の重要性を知った。そういう意味ではもう少し慎重にすべきであった」

    とすっかり沖縄メディアの術中に陥ってしまい、「県民感情」に配慮した意見に終始している。

     

    文科省調査官が介入、波多野委員が初明言 教科書検定審議 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

     【東京】文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除・修正された問題で、教科書出版社の申請本の合否や検定意見を決定する「教科用図書検定調査審議会」の審議に、文科省の教科書調査官が具体的に関与していることが10日、分かった。琉球新報社の取材に対し、同審議会の日本史小委員会委員の波多野澄雄筑波大教授が明らかにした。同教授は「集団自決」検定での教科書調査官の検定意見についても「違和感はあった」と指摘した。政府は審議会を「中立公平、第3者機関」と位置付けているが、検定意見の原案を作成する調査官が、審議過程にまで介入している実態が浮かび上がった。
     検定過程では、審議会の下部組織に当たる小委員会が実質審議する。2008年度から使用される教科書について、日本史小委員会は06年10月、11月の2回、都内のビルで会合を開いた。文科省側は調査官4人を含めて10人程度、大学教授や高校教師ら専門家側は10人程度が出席した。
     会合では、調査官が自身が作成した検定意見の原案となる「調査意見書」を読み上げる。審議内容について波多野教授は「調査官はもちろん議論に入ってくる。いろいろなことを意見交換する。全く委員だけで話すことはない」と話し、調査官を交えて議論すると説明。審議会の位置付けについては「文科省から独立した(第3者的)機関ではない」と明言した。
     ただ、
    沖縄戦の「集団自決」について「議論はなかった」としている。
     波多野教授は審議会の在り方について「
    沖縄戦の専門家がいなかったのは事実だ。専門家に意見を聞く機会があっていい。透明性という点でも不十分だ」と問題点を指摘した。
     「集団自決」に関する記述に初めて検定意見が付いたことに「学術的に、沖縄戦の集団自決をめぐる大きな変化があるかと言えばそうではない。わざわざ意見を付けることにやや違和感があった」と述べた。
     伊吹文明前文科相は今年4月に「公正な第3者の審議会の意見」と発言。渡海紀三朗文科相も10日の衆院予算委員会で「審議会は専門的、学術的立場から中立公平に審議するものだ」と答弁している。だが、調査官の具体的な議論への関与を許す審議会の公正・中立性は確保されていないと批判が高まりそうだ。
    (与那嶺路代)

                           ◇

    「教科書検定」一問一答
    波多野澄雄審議会委員に聞く

    教科用図書検定調査審議会日本史小委員会委員、波多野澄雄教授との一問一答は次の通り。

    -審議の内容は。

    「教科書調査官が中心になって説明する。こういう意見を付けたいが、どうでしょうかと。やりとりがある場合もあるし、ない場合もある。今回のケース(集団自決)で議論はなかった。調査官が、こういう意見を付けたい、理由は本が出たとか裁判があるとか説明した」

    -「集団自決」に意見が付いたことをどう思うか。

    「集団自決をめぐる学術的な大きな変化があったとは思えない。それなのに2005年まで認めてきたことを変更する。わざわざ意見を付けることにやや違和感はあった」

    -なぜ議論しなかったのか。

    「沖縄戦の専門家がいない。調査官の方がよく調べており、委員より知っている。説明を聞いて、納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家が入っていれば(結果は)だいぶ違っただろう」

    -何が問題だと思うか。

    「検定意見は妥当だったと思う。ただ、調査官が教科書会社に十分に説明したかどうか疑問だ。集団自決は日本軍の存在を抜きにしては語れない。それをどう書くかだ。教科書会社は文科省の顔色をうかがうだけじゃなく自信を持って書くべきだ」

    -今の審議会の在り方をどう思うか。

    「教科書が文科省の下で作られている限り、審議会を全くの第三者機関にすることは難しい。検定そのものを文科省と切り離してしまうことはできない」

    -調査官が議論に入ることはあるのか。

    「もちろんある。いろんなことを意見交換する。全く委員だけで話すことはない。調査官も専門家だとみなしている」

    -委員会に調査官が入ると、全く独立した第三者機関ではないのでは。

    「そうだ。正しい意味では独立してはいない。文科省の役人が直接委員会に入るのは望ましくない」

    -現行制度も問題点は。

    「委員以外の専門家に意見を聞く機会があってもいい。公開性や透明性という点でも不十分だ。最終的な検定意見になってから(世間に)公表される。例えば部会が終わった段階で、こういう意見でこういう修正をすると公表してもいい」

    -県民大会の印象は。

    「驚いた。あらためてこの問題の重要性を知った。そういう意味ではもう少し慎重にすべきであった」

    (琉球新報2007年10月11日)

                            ◇

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    続・狼魔人流沖縄語講座  年寄は尊敬の的!

    2007-11-23 06:26:08 | 沖縄語講座

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    沖縄語は候文

    尊敬の為の接頭語と接尾

    「候文」という言葉があるが、現代ではほぼ死語になりかけており、筆者自身候文を書いたことも受け取った事も無い。

    「候文」とは、辞書の引用によると

    ≪文末に丁寧語の「候」を使う文語体の文章。書簡や公用文に用いられた。鎌倉時代に始まり、江戸時代にその書き方が定まった。≫ということになる。

    ところが我が沖縄語では「候文」が鎌倉や江戸の時を超えて、現代でもごく普通に使われている。

    「いらっしゃい」や「歓迎」を意味する言葉に「メンソーレー」という沖縄方言は沖縄ブームに乗って今ではかなり認知度が高まっている。

    ・・が、「メンソーレー、メンソレータム」と言ったギャグに使われるように、日本語とは異質な方言として捉えられている。

    この「メンソーレ」こそ、鎌倉時代に始まり江戸時代に完成した、古雅の趣溢れる「候文」そのものであり、

    「メンソレータム」などの「イフー(異風)な」単語とは出自が全く異なるのだ。(イフーナとは沖縄方言で「奇妙な」の意)

    その前に先ほどから「老人ハラスメント」の「たんめー、はーめー」はどうなった、と言う声が気になってしょうがない。

    けして忘れ去ったわけではないので暫くの我慢でお付き合いを願いたい。

    相手に尊敬を表す「接尾語・接頭語」に次のようなものがある。

    前、御、主、・・・これらを全部まとめて使いオマケに「様」までサービスしたのが、午前さま、・・じゃない、御前様。

    午前様の響きが懐かしいが、最近は専ら早寝早起きの「お前さん」になってしまった。

    尊敬語も使い慣れると、御前様→おまえさん、と変化してグッと庶民的にもなる。 

    で、メンソーレは?

    ハイ、・・・「前に候」→前にそうらえ→めーにそおらえ→めーにそーれー→メンソーレー

    ・・と、目出度く「候文」メンソーレの誕生となる。

    ■「老人ハラスメント語・その1・・・・ウスメー(薄命?)」、おじいさん(平民)」

    主(しゅ)という尊敬語の前後に御(お)と前(まえ)を付けて「御主前」これがおじいさんの尊敬語。

    御主前が訛って行く過程: おしゅまえ→おすめー(→O→U)→うすめー

    「うすめー」は決して「薄命」では無く老人を尊敬する「御主前」の沖縄訛りであった。

    ■「老人ハラスメント語・その2・・・・タンメー(短命?)」、おじいさん(士族)」

    士族のおじいさんはおだてて「殿」と祭り上げよう。

    そして尊敬の接尾語「前」を付けると「殿前」。

    例によってこれが訛って行く過程は簡単だ。

    殿前: とのまえ→とのめー→とんめー→たんめー

    やはり「たんめー」も「短命」では無く「殿前」と言う尊敬語で一件落着。

    ■「老人ハラスメント語・その3
    ①「はーめー」→おばあさん、祖母(平民の) 
    ②「うんめー」→おばあさん、祖母(士族の)
    ③「はんしー」→おばあさん。那覇で士族の」→おばあさん、那覇で士族の祖母・老婆

    残りは女性に対する「ハラスメント」なので特に慎重を期すべきだが、沖縄ではテーゲー(大概)・大雑把を尊ぶのでマトメテ説明しよう。

    女性の場合は全て「」というキーワードが入る。

    各々の「日本語由来」の言葉を書きおくので今までの類推で理解できるであろう。

    「はーめー」→「母前」(ははまえ)→「はーめー」
    うんめー」→「母前」(おもまえ)ここでの母は母屋(おもや)の母で「おも」→「うも」→「んも」→「んめー」→「うんめー」
    「はんしー」→「母主」(ははぬし)→「ははんし」→「はんしー」

    かくして老人苛めの沖縄語と思われた年寄りを表す沖縄方言は、男性は「主」や「殿」と祭り上げ、女性は「母」と尊敬するいかにも沖縄らしい老人思いの言葉であることがお判り頂けただろうか。

    その昔(明治時代?)八重山に「風のウスメー(御主前)」と異名を持つ測候所の学者がいて島の人達に親しまれていた。

    これをテレビドラマ化して高橋幸治主演で「風の御主前」と出して放映されたことがある。

    最後に沖縄方言の事を方言では「島言葉・シマ・クトゥバ」とも「沖縄言葉・ウチナー・クトゥバ」とも言う。  

    シマクトゥバはもはや説明不要だろうが、ウチナー・クトゥバは少し説明を要する。

    おきなわ→OKINAWA→UCHINAWA→UCHINAA→「うちなー」

    OがUに変わるの判るとしてK→CHと変わるのが子音の法則。

    沖縄料理で「いなむどぅち」と言う豚肉を白味噌仕立ての豚汁のような料理がある。

    この料理は元々猪の肉だったの豚肉で代用されるようになった。

    豚肉は猪肉ではない。 そこで「猪もどき」となる。

    「猪もどき」INAMODOKI→INAMUDUCHI→いなむどぅち

    空手などの「手さばき」は勿論「ティサバチ」と言う。 ここまで来たらもう説明は不要だろう。

    もう一つオマケに子音の法則: R→消音

    例: 森→MORI→MU×I→「むい」は森の立派な方言

    さー、貴方も今日から片言なら沖縄語がしゃべれる筈。

    こうして見ると音声として耳に聞こえる沖縄語は県外の人達にとってはイフーナムン(異風な物→方言で奇妙な物)に思えても、ルーツを辿れば日本語の優雅な古語にたどり着く事が判る。

    これを契機に沖縄語の世界へ「前に候」、・・・じゃない、「メンソーレー」。

    狼魔人流解説でも納得できると思う方

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    【追記】

    「メンソーレー」は「参り候」から来たという説がある一方、候文から来たのではないという説もある。

    これについては別稿で触れて見たい。


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    狼魔人流沖縄語講座 沖縄語は老人虐待語?

    2007-11-22 18:49:53 | 沖縄語講座

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    狼魔人流沖縄語講座

    先ず巷でよく聞く話から。

    「テレビから聞く沖縄出身タレントの沖縄訛りは判り易いが、・・・沖縄で聞く生の沖縄方言はさっぱり判らない。 まるでチンプンカンだ。」

    そして本音では止めの一発が入る。

    「やっぱり沖縄語は日本語の方言ではない。 これは外国語だ!」

    ブー! それは間違い。 

    沖縄語は紛れもなく日本語から分派した方言の一種である。

    沖縄ブームに乗って沖縄方言の独自性を殊更強調する人々がいる。

    そして中国語の影響を強調する人もいる。

    先日も琉球新報コラムで「沖縄方言と中国語」と題して中国語に語源を持つ沖縄方言を解説している地元の弁護士の先生がいた。

    その弁護士先生の博識の一つを紹介すると、沖縄方言の「チファーラ」は「いっぱい食べたこと」の意味だが、これは中国語の「喫飯了」から来ているという。

    なるほど、説得力がある。

    外にも種種の例を挙げて「沖縄方言・中国説」を書いていたが、闘鶏(沖縄方言・タウチー)や獅子(シーサー)、西瓜(シークヮー)はむしろ中国語と言うより日本語語源で説明できる。

    日本語も漢字を通じて中国語の影響は大いに受けている。

    そのコラムは最後をこう結んでいる。

    ≪さて、「沖縄方言話さずして、沖縄文化を知ったふりするなかれ」。方言に誇りをもって接すれば、中国語も堪能となること請け合いである。≫

    判ったような気もするが、文の前段はともかく、後段の部分は件の弁護士先生一寸筆のお遊びが過ぎたようだ。

    当ブログでは、沖縄方言にいくら誇りを持って接しても中国語に堪能になる事は請合いかねる。

    沖縄語がその地理的、歴史的特異性から中国の影響を受けたのは紛れも無い事実だろう。

    だが、沖縄語はその語法・文法に於いては中国語とは全く別の言語であり、起源は日本語と同じ語法を持つ。

    沖縄語を習得するには沖縄独特の単語を習得すれば足りる。

    沖縄独自の単語を日本語の話法で話せば、それで沖縄語は卒業だ。

    沖縄独自の単語は、①日本語の訛り、②日本語の古語由来③中国語由来、④その他に分類される。

    そのうち①日本語訛りを覚えれば大半は覚えた事になる。

    幸いな事に、訛りには覚えやすい法則がある。

    それを覚えれば沖縄語の日常会話は簡単にマスターできる。

    ■①日本語訛り 「母音の法則」

    先ず単語をローマ字で書いて見る。

    (例)
     手→TE   目→ME  毛→KE

    ここで E→I と変化する法則を覚えると「手」は沖縄語では「てぃ」、「目」は「み」、
    「毛」は「き」と沖縄訛りが三つ習得できる。

    これを応用すると泡盛を入れる「甕(かめ)」は?

    はい、沖縄語では「かみ」でも通じるが、更に訛って「かーみー」となれば完璧。

    更に「O→U」の変化を覚えたら母音の法則は卒業。

    (例)
     タバコ→TABAKO→「たばく」が沖縄訛り。

    ※「E→I O→U」変化の応用例   米→KOME→「くみ」が沖縄訛り。

    卒業問題
     「そば」そしてそばに付き物の「かまぼこ」は?

    それを沖縄方言では「すば」、「かまぶく」と言う。

    退屈な話が続いたがたった二つの母音変化「E→I」と「O→U」を覚えるだけで沖縄訛りの語彙が無限に広がる。

    ■②日本語の古語由来
    沖縄でよく使われる「おじー」、「おばー」は説明の必要も無いだろうが、これが

    「たんめー」→おじいさん、祖父(士族の)
    「うすめー」→おじいさん、祖父(平民の)
    「はーめー」→おばあさん、祖母(平民の) 
    「うんめー」→おばあさん、祖母(士族の)
    「はんしー」→おばあさん、那覇で士族の祖母・老婆

    ・・・と、なると考え込んでしまうだろう。

    何れもお年寄りを意味する言葉のようだが随分年寄りに対して冷たい表現ではないか。

    「たんめー」は「短命?」、「うすめー」は「薄命?」、「はーめー」は「早命?」、
    「うんめー」は「運命?」、

    そして言うに事欠いて、「はんしー」を「半死」呼ばわりでは余りにも年寄り虐待が酷すぎる。

    沖縄方言とはこのように老人に冷たい言葉だったのか。

    「沖縄ではお年寄りを大事にすると聞いたが、この年寄りハラスメントは一体どう言うことだ!」

    ハイ、この謎は次回に解き明かしてみよう。

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    「沖縄条項」は既に設定済みだって!?

    2007-11-22 06:25:00 | 教科書

     

    ■「沖縄戦条項」は既に設定済み■

    当日記は教科書検定に「沖縄条項」を設定せよという沖縄の左翼勢力の運動に対し、絶対これを阻止すべきだと主張してきた。

    左翼勢力が騒ぐのはいつものことと思っていたら、何と県知事も「沖縄条項」を言い出すとつい我を忘れてしまった。

    抑えていた品性の悪さが顔を出して次のようなことを口走ってしまった。

    「沖縄条項」? ミソもクソもチャンプルーかよ

    でも、この時点では「沖縄条項」なんて出来るはずも無いとたかをくくっていた面もあった。

    ところが、これが既に設定されてされていたと知って仰天した。

    歴史教科書研究家上杉千年氏の研究によると昭和57年の朝日の誤報による「侵略・進出騒動」の結果「近隣諸国条項」が設定されたドサクサに紛れて、「沖縄戦条項」が運用内規として既に設定されているという。(「集団自決“強要”問題」の基礎知識・上杉千年ー歴史教科書研究家ー「わしズム掲載」)

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                         *

    ■朝日の誤報「侵略・進出騒動」で「近隣諸国条項」■

    昭和57年(1982年)、「検定で日本軍の華北侵略が進出に書き換えられた」という朝日新聞の誤報を発端に中国・韓国が猛反発してこれを契機に教科書記述には「近隣諸国条項」が適用されるようになった。

    今から思えば偶然だったのか、それとも確信犯だったのか、日本中のメディアが中国、韓国の抗議で騒然としていたその同じ時期に、実は国内でも教科書の書き換え問題が起きていた。

    実教出版の高校歴史教科書「日本史」に「戦闘のじゃまになるなどの理由で、約800人の沖縄県民が日本軍の手で殺害された」と記述が有ったため、検定意見が付いて一部記述が削除された。

    25年前の昭和57年、日本中のメディアは中国、韓国の抗議に気を取られていたので「国内の検定意見」は目立たなかったが、今回と同じ教科書騒動が沖縄で起きていた。

     

    ■当時も沖縄で抗議運動■

    沖縄では「民主教育を進める沖縄県民会議」などが抗議運動を起こし県議会も「教科書検定に関する意見書」が採択された。

    当時の沖縄県教育長を務めた新垣雄久氏はその時の様子を次のように回想している。

    <1981年度の教科書検定で、高校日本史教科書の沖縄戦の記述から「日本軍による住民虐殺」が削除されたことを知った時,これは大きな問題になるという意識を持った。 82年8月ごろ、当時の文部省に行き、初等中等局長に記述回復を求めた。  当然、教科書には「住民虐殺」の記述があるべきだと思った。 また、教科書で沖縄戦の記述が少なく、沖縄は住民を巻き込んだ地上戦が起きた場所であり、重視して取り上げて欲しいととの思いがあった。

    初等中等局長は「教科書検定は文部省で簡単に覆せるものではない」と言ったが、「出来るだけ県民の要望に沿うように検討したい」と答えた。

    その後、記述は回復した。

    沖縄が復帰して10年しかたっておらず、国の沖縄への思いも強かったように感じた。>(2007年9月22日琉球新報)

    「教科書検定は文部省で簡単に覆せるものではない」と言いながら、

    「出来るだけ県民の要望に沿うように検討したい」と25年前の文部省局長が新垣教育長に回答する姿が、最近の渡海文科大臣の沖縄抗議団に対する回答と二重写しになる。

    ■ドサクサ紛れの「沖縄条項」設定■

    新垣氏は「その後、記述は回復した」と簡単にしか触れていないが、その時実は「近隣諸国条項」と同時に運用上の内規として「沖縄戦条項」が決められていたという。
    (歴史教科書研究家上杉千年氏⇒【動画】沖縄戦・慶良間列島の集団自決 - 真実は一つ

    「沖縄戦条項」はマスコミでは報じられていないが、もしこれが事実だとしたら沖縄は25年前に既に中国や韓国と同じように歴史においては外国扱いされていることになる。

    昨日のエントリで触れたが、今回の教科書検定審議会で沖縄戦の専門家として林博史関東学院大学教授等の意見書提出を求めているという。

    沖縄タイムスには、係争中の裁判の事務局長をしている山口剛史・琉球大准教授の意見として、

    「意見書を提出させるのではなく、審議会に招いて審議委員への説明や議論を認めるべきだ」、

    「文書提出だけでは、読み違いが生じる恐れもある。今回の検定と同じことが繰り返されない保証はない」と指摘しているが、これは保守派としてはむしろ望むところではないのか。

    それどころかもっとオープンな紙上討論会などを実施して欲しいものだ。

    左翼学者の意見のみを掲載し、反対意見の学者にかたく門を閉ざしていたのは沖縄メディアはなかったのか。

    今回の「教科書検定騒動」を気に「近隣諸国条項」の運用内規にあるといわれる「沖縄条項」を撤廃すべきである。

    いや、臭いものは元から断たなきゃダメ。 「近隣諸国条項」そのものを撤廃すべきと思う方、

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    沖縄戦研究者に意見打診? まともな人はいるの?

    2007-11-21 07:35:41 | 未分類

    沖縄タイムス  2007年11月20日(火) 朝刊 27面  
     
    沖縄戦研究者に意見打診/文科省、県内外2氏へ文書求める

     文部科学省が高校の日本史教科書から、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に対する軍の強制を示す記述を削除させた教科書検定問題で、沖縄戦や琉球史の研究者らに意見提出を求めていることが十九日までに分かった。教科書会社からの訂正申請を受けて開かれる教科用図書検定調査審議会での参考意見にするとみられる。人選や経過が不透明なうえ、沖縄戦の専門家が審議会に直接加わらない形での意見聴取に「また歴史解釈を歪曲する審議が繰り返されるのでは」と懸念の声も聞かれる。
     意見提出を求められているのは、沖縄戦を含めた日本の戦争責任を研究している林博史・関東学院大教授や、県内の琉球史研究者らとみられる。

     文科省は今月中旬に意見提出を打診した。文書を提出するか、文科省職員が意見を聞いて審議会に伝える方法を示したという。今月最終週までに意見提出される予定で、訂正申請の是非を話し合う教科書審議会の開催はその後になる見込み。

     二〇〇六年度の教科書検定では、林教授の著書「沖縄戦と民衆」(大月書店)も参考にされた。林教授は同書の中で、日本軍が住民に手榴弾を配って「自決」を指示していた実例などを示し、「(『集団自決』には)日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たした」と結論付けている。(略)

                         ◇

    >二〇〇六年度の教科書検定では、林教授の著書「沖縄戦と民衆」(大月書店)も参考にされた。

    >林教授は同書の中で、日本軍が住民に手榴弾を配って「自決」を指示していた実例などを示し、「(『集団自決』には)日本軍の強制と誘導が大きな役割を果たした」と結論付けている。

    林教授といえば、沖縄タイムス、琉球新報にその文が掲載され、両紙の論説顧問ではないかと疑うほど沖縄では有名人である。

    林教授は係争中の「集団自決裁判」では被告側の理論的中心人物で、彼の「研究」が被告側の証拠として提出されている。

    林教授の「集団自決」における立場は、「従軍慰安婦」における吉見義明中央大学教授と同じ立ち位置にあるといったら分かりよいだろうか。

    事実両者は共同研究もしている模様で次のような共著も出している。

    吉見義明・林博史編『共同研究日本軍慰安婦』大月書店、1995年。
     
    結局林教授がいくら研究をしても、「慶良間島の集団自決」では軍が命令を出したという客観的証拠、証言は出てこない。

    そこで手りゅう弾が証拠だと言い、これが論破されると今度は米公文書館から米軍の住民に対する尋問調書を探し出してきて、これを地元紙が「軍命令の新証拠発見」と何度も報道された。

    ところが英文のtold(話した)を命令した(commnaded)と故意に誤訳する等、とても学者の研究とは思われない「研究成果」であった。

    この林教授の「誤訳作戦」は目くらまし作戦② 「テルかコマンドか」 「沖縄・集団自決訴訟」で詳しく述べてある。

     

    そもそも当時の米軍は沖縄を永久占領するつもりであり、そのため住民に対する心理作戦は徹底しており「紙爆弾」と呼ばれた大量のビラにも住民と日本軍を分断させるような文面になっていた。

    当時投下されたビラの一例を挙げよう。

    住民に告ぐ

    日本軍は食物でも飲水でも沢山持っています。 皆様が生活出来なくなったのは日本軍の為です。(略)

    日本軍が町の中に留まって居た為に、皆様の家を壊され声明も危うくんりとうとう日本軍に頼らなければならないようになったのです。

    日本軍に食べ物や飲み水をくれるようにお願いしなさい。

    無いといっても聞き入れてはいけません。
    (「太陽の帝国」にビラの写真があります。
    http://empire.cocolog-nifty.com/sun/2007/11/post_8be2.html

    食べ物も飲み水も枯渇している日本軍と知りながら、敢てこのようなビラを撒いて住民に「無いものねだり」をさせ、断られると日本軍への憎悪が募るという構図だ。

    ちなみに、渡嘉敷島の生き残りの証言によると島民で餓死したもの居なかったが、日本軍にはが死者が数名出たと記されている。

    とにかく米軍は豊富な食料を具備しており日本側は軍民とも食物に飢えていたというのが事実であった。

    そんな状況で投降した住民に米軍が聞き取り調査をしたらどうなるか。

    米軍の心理作戦は大成功だった。

    詳しくは⇒「集団自決」の米公文書 「アメリカは解放軍だった」

                         *

    >意見提出を求められているのは、沖縄戦を含めた日本の戦争責任を研究している林博史・関東学院大教授や、県内の琉球史研究者らとみられる。

    当初、林教授のような極左学者は教科書検定の「沖縄戦専門家」から外すべきだと書いた。⇒林教授の理屈は「画一的教条論」

    だが、むしろ意見を提出させて木っ端微塵に粉砕したほうが後顧の憂いを遺さないような気もする。

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    以下は林教授の理屈は「画一的教条論」の抜書きです

     

    2007年10月12日(金)「しんぶん赤旗」

    論戦ハイライト沖縄戦集団自決「軍の強制」削除
    文科省が検証なしに20年来の記述覆す
    検定意見こそ政治介入

    (略)

    調査官の意見の根拠とされた著書の作者の反論
     『沖縄戦と民衆』の著者・林博史氏(関東学院大学教授)

    ・「著書では(『集団自決』は)日本軍の強制と誘導によるものであることを繰り返し強調している。これが検定の理由にされているとしたら心外だ」(「沖縄タイムス」6月17日付)

    ・「私は、著書の中で1つの章を『集団自決』にあて、その中で『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える』との認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷島のケースでは『軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと』を指摘している」(同10月6日付に掲載された意見から抜粋)

                         ◇

     何度でも言うが慶良間諸島の「集団自決は軍の命令であった」という証拠は何一つない。

    係争中の裁判で被告側が唯一の証拠としているものが手りゅう弾である。

    手りゅう弾は軍の管理下にあるはずだから、手りゅう弾で「自決」したのだから軍の命令と同じ、というのが「軍命あり派」の唯一つの論拠だ。

    だが、この論は手りゅう弾を配ったとされる富山兵事主任の証言に基づいており、その証言自体が崩れ去っていることは再三述べた。

    論拠を失った被告側は苦し紛れに反則技の「すり替え論」で対抗しようと悪あがきを始める。

    まるで、チャンピオン内藤の技に手も足も出ないと分かった亀田大毅があせって見苦しい反則技を繰り出したように。

    沖縄戦史の専門家と称する林博史関東学院大学教授の論法がまさにそれだ。

    「軍の命令」という証拠がないと次のような反則技(すり替え論)を繰り出してくる。

    >「『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考える』

    「戦争体制」?

    「日本軍によって殺されたと言っても妥当である」?

    これが沖縄戦史の専門家と称する学者の説とはにわかに信じがたい。

    本人の思い込みと推論だけの主張を、詳しく論評をするまでもないだろう。

    この「沖縄戦史の専門家」は「直接の軍の命令の有無は問題ではない」と主張している。

    「11万人の集会」が揺らいで来ると、「人数の問題ではない」といった誰かさんと理屈は同じである。

    おまけとして、林教授の「すり替え論」の例を沖縄タイムスで鑑賞してみよう。

    ◆沖縄タイムス<2005年7月4日 朝刊24面>

    [「集団自決」を考える](20)
    (20)識者に聞く(3)
    林博史関東学院大教授


    命令有無こだわり不要
    前提に「逆らえない体制」

     ―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。

     「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう

     ―沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は。

     「軍人がいると住民は投降できない。投降できないとしたら、壕に隠れていて、攻撃されるしかない。あるいは、軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る」

     「沖縄のような島では、逃げ場がなく、教育も徹底している。役場も軍も、そこから言われたことはお上の『命令』である。村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても、幹部自体が国家の末端だから、『村が勝手にやった』とはいえない。軍の免罪にはならない。個々の軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、住民が追いつめられ、『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」(略)

     

    お見事と拍手を送りたいくらいだが、ついでにもう一つおまけを付けておこう。

    現代史の専門家秦郁彦元千葉大教授も、林教授の理屈を「画一的教条論」として厳しく批判している。
     
    『まずは沖縄タイムスだが、『鉄の暴風』の発行元であるだけに責任は重いはずなのに、・・・(略)・・・なぜこんなに挑戦的なのか理由は不明だが、沖縄タイムス社の役員が梅沢氏を訪ねて丁重に謝罪し、善処を約したことへの反発かもしれない。』
     (中略)
    『この新聞を呪縛している「沖縄のこころ」風のイデオロギー性は、前述した「<集団自決>を考える」シリーズでも濃厚である。連載の終わりの4回分は「識者に聞く」として安仁屋政昭、石原昌家、林博史などの四氏を起用しているが、「集団自決は厚生省の(援護用語)で、(強制集団死)とよぶべきだ」とか「軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、、、、状況を作ったのは軍を含めた国家」のようなたぐいの見事なまでに画一的教条論の羅列ばかり。

     盧溝橋事件や南京虐殺事件の論争でいつも出てくる「第一発を誰が撃ったかは重要ではない」「虐殺の数にこだわるな」と同類の異議で、争点をそらす時に好んで用いられる論法ではある。
     (「歪められる日本現代史」(秦郁彦著・PHP研究所 第29~第32ページより引用)

     

    赤嶺  専門委員から事前の意見も寄せられなかった。今回の教科書検定は文科省の一職員が自分の考えで意見をつくって、学術的にも専門的にも、肝心の沖縄戦を体験した沖縄の県民の検証にたえられない意見だ。学問的検証もなされないで、文科省の役人の起案で、いつまでも残るようなことが許されるのか。

    文部省の一職員と誇張して云うが、この「一職員」は文部省の一般事務職員ではない。

    文部省教科書課の専門官はその名の通り「専門官」であり、歴史の素人ではない。

    他の省でも専門職の役人が有名大学の教授に転出した例は枚挙に暇がないはずだ。

    >沖縄戦の専門家がいない。(文科省の)調査官のほうがよく調べており、(審議会の)委員より知っている。説明を聞いて納得してしまう部分がある。沖縄戦の専門家がいれば結果はだいぶ違っただろう

    サヨク偏向の「沖縄戦の専門家」がいれば、当然不毛なイデオロギー論争が続き結果はどうなったか分からない。

    まぁ、この(文部省の)「一職員」の意見書作成資格の有無はさて置こう。

    だが、「沖縄戦専門家審議会に不在」という理由で、林教授のような学者というより、むしろ政治活動家といった方が相応しい人物を沖縄戦の専門家として審議会に加える愚だけは避けねばならぬ。
      


     

    サヨク学者を沖縄戦の専門家として、「審議会」に入れることに反対の方、
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