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政府の施策、68%「不満」 沖縄アイデンティティ調査07
今の政府の沖縄施策に68・3%が不満―。琉球大の林泉忠(リム・チュンアンティオン)准教授らが実施した「沖縄住民のアイデンティティ調査2007」では日本に対する沖縄の意識や思いが浮き彫りになった。41・6%が「沖縄人」だとの意識で、日本との差異を意識して依然として20・6%が独立志向。だがその一方で林准教授は若者の「日本志向」を指摘し「いくら反発はしても日本の枠組みは離れない」と分析している。
調査は3年連続で今年が最終年。3、4日に電話で実施。2000人のうち1201人から回答を得た。
日本政府の対沖縄姿勢への意識は「どちらかというと」を含めると「友好的」と見ているのが22%にとどまり、「友好的ではない」が54・7%に上った。沖縄施策への満足度は「どちらかというと」を含めると68・3%が満足しておらず、「満足」は17・9%だった。
帰属意識の設問では「沖縄人」が41・6%、「日本人」が25・5%、「沖縄人で日本人」が29・7%だった。林准教授は過去2年の調査も踏まえて「時には沖縄人と日本人の間に葛藤(かっとう)する姿も見られるが、沖縄人はあくまで日本人という枠組みの中で存在することで安心感を覚えているようだ」と分析した。
沖縄独立の是非をめぐっては独立に否定的な人は64・7%に上るが、一方で20・6%が独立を支持している。否定派は経済的理由を最大理由に挙げ、独立派は「政治的・経済・社会的、歴史的経験が本土と違う」ことを挙げた。
(琉球新報 11/29 16:01)
◇
林と名の付く二人の大学の先生が連日沖縄の新聞を賑わしている。
1人は「極悪非道の日本軍」の印象を植え付けようとする林博史関東学院大学教授。
もう一人は「沖縄人は独立希望が多い」と琉球独立を煽る林泉忠(リム・チュンアンティオン)琉球大学准教授。
二人の共通項はいずれも「反日教授」ということ。
後者の林先生は助教授と呼ばれていた時は林泉忠助(はやしいずみ・ただすけ)という名の日本人教授だと勘違いされたが、工作員の疑いもある中国籍の教授である。
林准教授は、例年この時期になると「沖縄は日本ではない」という印象を植え付けるようなアンケート調査をしている。
これに呼応した地元マスコミが「沖縄人の四人に1人は独立希望」と騒ぎ立てて、
その尻馬に乗った忘年会の酔客が日頃夢想だにしていなかった「琉球独立論」をぶち上げ「居酒屋独立論」と揶揄されるのがお決まりのコース。
だが、「居酒屋独立論」だろうが何だろうが、日頃考えてもいない「独立論」が県民の口に膾炙(かいしゃ)され,
マスコミで「琉球独立論」が話題になれば、それだけで工作員としての情報作戦は成功したことになるのだろう。
今年の調査では独立希望者は「五人に1人」らしいが、そんなことはともかく琉球新報より沖縄タイムスの方が林准教授の情報作戦に協力的なのは記事を読めば一目瞭然だ。
沖縄タイムス 2007年11月28日(水) 朝刊 26面
「日本で良かった」7割/林琉大准教授 県民1200人調査
「琉球処分」から百三十年がたつのを前に、県民の七割が「日本の一部になって良かった」と考えていることが、琉球大学の林泉忠(リム・チュアンティオン)准教授の「沖縄住民のアイデンティティー調査2007」で分かった。一方、教科書検定問題の影響もあり、自分を「日本人」ではなく「沖縄人」と考える人は前年に比べてさらに増え、四割になった。千二百一人に電話調査した。
一八七九年の廃藩置県で琉球藩に代わって沖縄県が置かれ、日本の一部になったことについて、「良かった」は63・0%、「どちらかというと良かった」は8・4%。「どちらかというと」を合わせた「良くなかった」は計7・6%だった。
政府が認めた場合に独立すべきかを聞いたところ、「独立すべきでない」が64・7%で、「独立すべき」の20・6%を大きく上回った。
一方、政府の沖縄に対する姿勢は「友好的ではない」が43・8%で、「どちらかというと友好的ではない」10・9%と合わせ、過半数が不満を示した。「友好的」は15・3%、「どちらかというと友好的」は6・7%にとどまった。
自分が「沖縄人」だと考える人は41・6%で、「沖縄人で日本人」は29・7%、「日本人」は25・5%。調査は三年連続で実施されており、「沖縄人」との回答は前年より11・3ポイント増えた。
別の設問で、「沖縄人意識」がさらに高まる要因は「『集団自決』などの歴史観が政府と食い違った場合」が38・9%で最多だった。林准教授は「歴史認識で政府と衝突し、怒りや不満が高まった。日本人との距離を感じ、沖縄人意識を強めた」と分析。
同時に、独立志向の低さは一貫しているとし、「沖縄への愛着は強いが、日本の一部であるという複合的アイデンティティーが固まってきている。日本は『悪くても親』なのではないか」と指摘した。
このほか、道州制については「沖縄だけで州とする」が52・1%だったが、「九州と一緒になる」も35・7%あった。
「独立すべきでない」と答えた人に理由を尋ねた設問では、「自立する能力がない」が二年連続で増えて43・4%に。「政治的・経済的・社会的状況や歴史的経験が本土と同じ」は逆に減り続け、14・9%になった。
調査は台湾、香港、マカオを含めた四地域でそれぞれ千人規模で実施された。年明けに報告書をまとめる予定。
◇
タイムス記事は出だしから激しい。
調査は電話によるアンケートで行ったらしいが、ある日いきなり電話がかかって来て「130年前の廃藩置県或いは琉球処分」が良かったかどうかを聞かれてまともに答えられ人が果たして何人いるか。
日頃考えてもいないことを突然の電話で質問されるのは、寝込みを叩き起こされ寝ぼけている人に思いも及ばぬ質問をするようなものだろう。
大学の先生がアンケート調査をし、その結果を新聞が報道すれば読者は何トン裂く信憑性のあるように思えるが、大体、130年前の琉球処分の話など無差別で抽出した電話相手にアンケートするのに相応しいテーマではない。
お役所風に言えば「この種のアンケートは電話アンケートには馴染まない」とでもいうのだろうか。
この種のアンケートは実施者や発表者によりどのようにでも恣意的に出来るもので落語のヨタ話程度に捉えておけばよいのだが、
大学の先生やマスコミが大々的に報じるところが問題なのだ。
>調査は台湾、香港、マカオを含めた四地域でそれぞれ千人規模で実施された
それに、調査を台湾、香港、マカオといった中国との関係が微妙な所と紛れもなく日本の一県である沖縄を並列で調査の対象にしている事実だけでこれを記事と読む新聞読者へ無言の「独立志向」メッセージとなる。
沖縄タイムスの「琉球処分」に対する歴史観は二年前に書かれた同紙コラムに見事に現れており、論調はむしろ中国を祖国と捉えているような節さえ感じられる。
その中で林泉忠准教授が紹介する、『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』よりの引用文を「琉球処分」当時の沖縄のインテリの言葉として次のように記している。
「生きて日本国の属人と為るを願はす、死して日本国の属鬼と為るを願はす」。
生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意を沖縄タイムスは支持しているのだろうか。
◆<2005年5月16日> 沖縄タイムス
[大弦小弦]
黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった▼実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった▼一八八六(明治十九)年に大迫貞清県知事が上申した「事変準備ノ件」が残る。清が軍艦を派遣するとの報に対し、政府派遣の知事は、対策十項目を提案。政府も北洋艦隊から戦艦九隻が派遣されると情報を得て、県に指示を出した▼日清戦争時にも清国の援軍は話題になった。それから百余年が経過し、あれほど待ちわびた援軍をも敵と間違うところに今の位置があるのか。林泉忠著『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』は当時の言葉を紹介する▼「生きて日本国の属人と為るを願はす、死して日本国の属鬼と為るを願はす」。生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。中国で死んだ幸地朝常が李鴻章へ送った書簡に残る言葉。歴史の反転は大きかったようだ▼百余年前はともかく、少なくとも最近の銃口や占領者を忘れてはいけない。境で揺れる島だからこそ、平和の選択肢を選び取る覚悟も必要だろう。(後田多敦)
一昨年8月の中国メディアに登場した「沖縄の日本復帰に疑義あり」という論文に中国の本音が見え隠れする。
◆(時事通信) -2005年 8月1日19時1分更新
【北京1日時事】中国の国際問題専門誌・世界知識の最新号は、沖縄の日本帰属をめぐる歴史的経緯を紹介した専門家の論文を掲載。この中で、「戦後の日本による米国からの琉球接収は国際法上の根拠を欠き、その地位は未確定のままだ」と主張した。
中国のメディアに沖縄の日本帰属に疑問を呈する論文が登場するのは異例。中国は沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権などを日本と争っている。日本側主張の基礎となる沖縄の帰属についても問題点を指摘し、日本側を揺さぶることが狙いとみられる。
復帰前の米軍占領下の沖縄には「潜在主権」は祖国日本にあり、と言う考えが議論になった。
尖閣問題の次には「潜在主権は中国にあり」という議論が起きてきかねない。
明治期の「琉球処分」の折、日本人になるのを拒み中国に助けを求めて亡命した琉球人がいた。
彼等は清のシンボルカラー黄色で飾った軍艦が沖縄救援のためやって来ると、本気で信じていたという。
彼等は「脱清人」という一握りのインテリではあったが、彼等の先祖は大陸渡来の中国人で、清を祖国と考えるDNAは現代の沖縄の新聞人、大学教授等の一握りのインテリ達に引き継がれている。
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