狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄タイムスvs田母神沖縄講演会

2009-05-31 09:50:49 | 未分類

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新聞は読まれてナンボのものであり、どんなに目立つ記事を書いても誰にも読まれなかったら、今時弁当の包み紙にもならない。

沖縄タイムスが昨日の田母神講演会をどのように読者に伝えるか・・・これは今回の田母神講演会のもう一つの関心事だった。

昨日の講演会は会場は満杯で熱気ムンムンの大成功で無事終了したが、さて今朝の沖縄タイムスをめくって見たら・・・・

ない!?

自分の嫌なものは黙殺という形で対処するのは、照屋証言を始め多くの「軍命は聞いたことがない」という証言のスルーや、最近では『うらそえ文藝』最新号への沈黙など枚挙に暇がないほどの沖縄紙の得意技である。

だが、現役の自衛隊最高幹部が政府に反旗を翻したわけでもないのに、その論文が怪しからんといって辞任に追い込まれたことは全国的に話題になった「危険人物」(本人談)の話である。

その危険人物が沖縄タイムスのお膝元で講演会をするのだとしたら、沖縄タイムスが関心がないはずはない。

「田母神氏の自論」への賛否はさておき、地元を代表する新聞と自負するなら読者に講演会の様子を伝える義務があるはずだ。

 これまで同紙が黙殺してきた100人前後の保守系講演会ならともかく、田母神論文に関しては沖縄タイムスは並々なる関心を示し、その証拠にこれまで何度も社説やコラムで批判してきたではないか。

一寸例を挙げてもこの通り。

[空幕長更迭]【11月02日】 タイムス社説

⇒ [前空幕長招致]【11月12日】 タイムス社説

更には社説やコラムではあき足らず、田母神氏が他県で講演会をした内容まで記事にして「県民の怒り」を露にしているではないか。

同記事を読むと昨日の沖縄講演会でも同じことを話していたので、長くなるが以下に引用する。

 2008年11月29日 社会  

田母神前空幕長、一坪反戦運動を批判/現職時講話「国邪魔している」【11月29日】

 【東京】政府見解と異なる歴史認識の論文を発表し、更迭された田母神俊雄前航空幕僚長(三日付で定年退職)が今年一月、航空自衛隊熊谷基地(埼玉県)で行われた講話で、基地への土地提供を拒否する「一坪反戦運動」について、「これはただ、国がやることを邪魔しているだけだ」と批判していたことが二十八日、分かった。共産党の井上哲士参院議員が入手した講話録で明らかになった。

 田母神氏は、空幕長在任中の今年一月三十一日、熊谷基地で「我が愛すべき祖国日本」と題して講話。南西航空混成団司令部幕僚長として航空自衛隊那覇基地に勤務していた一九九七年当時の一坪反戦運動について言及した。当時「一坪反戦地主」が約三千人いたが、半数は沖縄に住んだことのない人たちで、「いわゆる共産党員だ」と述べた。

 土地を共有する一坪反戦地主一人あたりの平均面積は「テレホンカードの半分」と指摘。その上で「これらの人たちの土地代は半年で四円。四円を振り込むのに手数料が八百八十円かかる。これはただ、国がやることを邪魔しているだけだ」と非難した。

 同講話について一坪反戦地主会代表世話人の池宮城紀夫弁護士は「沖縄戦など過去の歴史を踏まえ、戦争に供する基地に土地を提供しないとの思いで土地提供を拒否し続けているが、こうした運動を侮辱する発言で許せない」と憤った。

 今月十一日の参院外交防衛委員会に参考人として出席した田母神氏は、講話の内容を問われ、「しゃべっているのは多分(更迭の原因となった)論文に書いているのと一緒だと思う」と述べていた。

                 ◇

沖縄タイムスが問題にする『当時「一坪反戦地主」が約三千人いたが、半数は沖縄に住んだことのない人たちで、「いわゆる共産党員だ」と述べた』の部分は、昨日の講演会でも話されていた。

これだけ関心があるのに黙殺するのは、逆に関心の裏返しだと思う・・・ここまで一気に書いてきて、コーヒーを飲む為手を休め、そばに広げたタイムスの第一、第二社会面を隅から隅までなめまわすように見直してみたところ、・・・

あった!!

第二社会面の最下段右の隅っこに二十数行のベタ記事で「歴史認識で自論 田母神氏、那覇で講演」とあるではないか!

見逃すのも無理はない。

直ぐ上に二段抜き見出しで「普天間アセス 『やり直し』相次ぐ 学者らシンポ開催」と大きな見出しが読者の目を奪うという巧妙な紙面構成になっているのだ。(笑)

同じ日に「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」主催のシンポがあったという記事だが何故か参加人員の記述はない。人数の記載が無いということは、せいぜい20名前後の集会だと推定する。  「ジュゴンの肉の美味しい料理法」というシンポだったら興味があるのだが・・・。

ちなみに、つい見過ごした田母神講演会は沖縄タイムス報道によると、850名となっている。

席は800席用意したと聞くので、追加席や立ち見も含めると筆者の目算では、900名から1000名近くと推定した。 タイムスの850名は当日の満席の様子を表していてタイムスにしては大体真っ当な数字だと思う。

沖縄紙の田母神講演会についての報道は、事前報道がないのは想定内としても、事後の報道に関心を持つ人が多いようで、当日も会場でお会いしたブログ仲間の逆風って気持ちいい!
の縁側さんが「田母神講演会 」という興味深いエントリーをしているので是非読んで欲しい。 縁側さんは見出しまで予想しているが「自論を展開」は予想通りで、さすがは沖縄紙ウォッチャー、お見事である。

 

脱線は当日記のいつものことだが、講演会の内容は後に譲って、心理学ではド素人の筆者が新聞記事に関する「体験的心理学講座」に脱線するのしばしお付き合いください。

新聞記事で一番目に付く場所はご存知一番上のトップ記事だが、それも上の右側が一番目に付く。

従って同じ一番上でも左側は「左トップ」といって一ランク注目度は落ちる。 

更に同じ社会面でも見開き右側の偶数ページは、第二社会面といって見開き左側の奇数ページの第一社会面より数段注目度が落ちる。

第二社会面のトップ記事は第一社会面とは逆に上段左側である。 

従って注目度が数段落ちる第二社会面で最も読者の注目度が落ちるのは、言い換えれば、見落としやすいのは最下段の右端である。

田母神沖縄講演会の記事は、見事に第二社会面の最下段の右端にあった!

沖縄タイムスは、これまで再三社説などで批判してきた手前、全く無視するわけにはいかないと考え、見事に第二社会面の最下段の右端のベタ記事という栄誉ある場所を田母神講演会に用意したわけだ。 

おまけに同記事を上から包むように二段抜きで左翼シンポ記事で読者の目を逸らすという巧妙な紙面構成で・・・。

不覚にも最初の一瞥で田母神講演会の記事を見落としたが、タイムスの整理部が心理学の専門家かどうかは知る由もないし、縷々述べたのはあくまでも筆者の独断による「体験的心理学講座」である。

 

さて、肝心の講演会に話は戻るが、当日11時から開場と聞いていたので、余裕を持って11時半までには会場入りしようと早めに家を出たのだが、泊大橋から会場のパシフィックホテルに近づいた付近で急に車が混雑し始めた。

田母神人気による混雑かとも一瞬思ったが、それにしてもいつものこの時間にしては混雑が激しすぎる。

近づくにつれ、ホテルに右折する信号の直ぐ手前が道路工事でボトルネック状態。 おまけにホテル駐車場横の路地も工事中で、ホテルを取り囲むような道路工事が渋滞の原因だっが、先ほどの右折信号の場所にやっと来たら、今度はいつもは出来るはずの右折が工事のため右折禁止の標識。

さては、左翼の妨害工作の魔の手が道路工事にまでまわってきたのか・・・!

それは冗談にしても、土曜日の昼間というホテルにとっては稼ぎ時の時間帯に道路封鎖とは営業妨害ではないのか。

仕方なくそのまま直進し大きく右回りでホテルへ迂回して結局会場に入ったのは予定より15分ほど遅れの11時40分頃だった。

それでもいつもの講演会なら「沖縄タイム」でまだ空席が多くおるという予想は見事に裏切られ、会場は既に満席状態で後ろの方に予備席が設けられていた。 知人が席を確保してくれていたので、前の席で聴講することが出来た。

講演内容は論文その他で既に知っているつもりでいたが、やはり生の声で、本人の表情を見ながら聞くと訴える迫力は活字で読むのとは雲泥の差がある。

それに何より見事だったのは、予定の二時間をオーバーする熱弁の間、細かい歴史の年代や日付、それから昭和史現代史に数多く出てくる欧米のカタカナ人名をメモを見ることなく、よどみなく話されたことである。

更に聴衆を引きつけたのは多少東北訛りがあって訥弁のような印象があったが、意外や意外、話の上手いのは驚きであった。

勿論中身が無くてはいくら話が上手くとも二時間余の長ちょうばでは中だるみがあるものだが、独特のユーモアで味付けした講話は最期まで聴衆の関心をひきつけた。

講演終了後、受付では田母神さんの多くの著書が販売用に山積みされていたが、講演終了後列の後ろから覗いて見たらほとんどが完売で、「後は書店でお求め下さい」と係員が断るのに嬉しい悲鳴を上げていた。

講演内容の詳細については折をみて当日記でも触れて見たいと思う。

最後に、田母神さんの本音とも取れる一言を紹介する。得意のギャグでまぶして、聴衆の笑い取ったものです。

「公職を止めてこんなに自由に発言できるなら、むしろ辞めてよかった」(ここで拍手あり)

「これまで発言できずに肩に圧し掛かっていた重圧が一気に取れたおかげで、身長も伸びたような気がする!」(ここで爆笑と拍手あり)

ちなみに田母上神さんの全国講演行脚の予定はここで分かる。

田母神講演会

 

                    ◇

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「転向者」ー林教授の「強弁物語」!『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』より

2009-05-30 08:44:35 | ★集団自決

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講演会は本日正午開催です

田母神沖縄講演会告知前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

                    ◆

 

■簡単に証言を翻す「転向者」たち■ 

「集団自決訴訟」の特徴の一つは、被告側証言者が次々と証言を翻したことがある。
 
分かりやすく言えば、「軍命はなかった」から「軍命はあった」への転向である。
 
特に信じられら無いのは実体験者である母初枝さんの遺言であり原告側の証拠物にもなっている自著『母の遺したもの』 の記述を、証言台に立つわずか一ヶ月前になって翻し、その後改訂版を出版して「軍命はなかった」から「軍命はあった」に「転向」したた戦後生まれの娘・晴美氏の行動である。 
 
外にも自著の記述を翻した学者と称する人物が被告側には数多くいるが、中でも被告側の学術的中心人物とされる林博史関東学院大学教授の「前言撤回」が一際目につく。
 
その理由を強弁をする様はとても学者の言説とは信じがたい破廉恥ぶりである。
 
林氏を良く知る現代史の重鎮・秦郁彦氏が、『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』で、林氏がこのように安易に「転向」した理由を「三つ子の魂、百まで」とか「同じ癖が出たな」述べているくだりは興味深い。
 
林氏は「論文盗用」など学会で問題を起こし、止むを得ず専門の「大正期の労働運動」を途中から「沖縄戦史」に変更した経緯を解説し、それが「三つ子の魂」だとしている。
 
林氏の「転向」の理由はさておいても、それを弁解する手法を秦氏はその内容によって「開き直り型」、「こじつけ型」等七種類に分類して解説しているくだりは秦氏の意外なユーモアセンスが光って思わず笑ってしまう。
 
以下『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』からの引用です。(太字強調は引用者)
 
文科省は「近年沖縄戦に関する研究者の著書で隊長の命令の存在は必ずしも明らかでないとするものも出てきており、その後、これを否定する研究者の著書等が見られないことから、軍の命令の有無が明らかでないという見解が定着しつつある」と判断して、「軍の命令の有無について確定的な記述を避けるのが適当」だとして、一部を修正させた。 ただし「この検定意見は、集団自決に関する軍の関与(手榴弾の配布や壕からの追い出しなど)を否定するものではない」と付言している。
教科書会社や執筆者は当然の要請と思った、特段の抵抗なしに受け入れたが、「研究者の著書」とは何かと聞かれ、担当官が林博史『沖縄戦と民衆』(大月書店、2001)を挙げたことから、本人が激烈な反論をくり返す事態となった。 そしてそれに連動する形で興奮した沖縄の世論が政府、文科省へ検定意見の撤回を求める激しい抗議運動へ発展する。
どんな反論かを示す前に、彼が『沖縄戦と民衆』Ⅱ5「集団自決の構造」で集団自決に触れた部分を抜き出してみよう。
 
A 「赤松隊長から自決せよという形の命令は出されていないと考えられる。(161ページ)=渡嘉敷島
 
B 「軍から明示の自決命令は無かった・・・・(自決)を主導したのは村の幹部や校長ら学校の教師たちと見られる。(162ページ)=座間味島
 
C 「慶留間に上陸した米兵が、保護した住民になぜ(自決)したのか聞いたところ、15歳の少年は「日本兵が死ねと命令したわけではなく、みんなただ脅えていたんだ」と答えた。 さらに別の住民も『彼らは脅えていた』と答えたという」(166ページ)=慶留間
 
D 「家族のもとへ逃げてきた防衛隊員が、持っていた手榴弾で家族ごと自爆したケースも少なくない」(167ページ)=沖縄本島
                  
 
私も刊行直後通読して、さすがに10年かけた労作だけのことはあると感銘し、事実関係、特にA~Dの部分は共感する思いが強かった。 最左翼と目されていた林さえ「軍の命令があったというような記述はない」と認識しているのだから、検定意見に異存はあるまいと文科省が考えたのもむりはない。
教科書検定にさいし、著書が参考にされたと聞けば喜ぶ著者は多いだろうが、林は違った。謙虚に傍観するでもなく、血相を変えて、あちこちで抗弁に乗り出したのである。 目についたものを列挙し、類型化してみたのが表4である。
 
 
 
■林教授の強弁物語■ 
 
1ページにわたる「表4」は省略する。
 
秦氏によると「林博史の文科省への強弁例」の型は次の7種類に分類される。
 
a【開き直り型】⇒「問題なのは当日の軍命の有無ではなく、従来の研究成果を無視した暴論」(毎日新聞 07・3・31)
 
b【こじつけ型】⇒「日本軍が住民に手榴弾を配り、自決せよと言っている。 これは命令以外の何ものでもない。(季刊戦争責任 (07 夏)
 
c【強弁型】⇒「防衛隊長である助役の『指示』は、戦隊長の『命令』となる構造になっている」(通販生活 07・11)
 
 
d【すり替え型】⇒「村の幹部が『集団自決』を主導したとしても(軍は無関係ではない)」(同上)
 
e【局所肥大型】⇒「怒りを通り越してあきれてしまう・・・全体の文脈を無視して一行だけ利用するのは極めて悪質だ」(沖縄タイムス 07・11・9)
 
f【肩すかし型】⇒「日本軍がいない島では<集団自決>は起きなかった」(歴史地理教育 08・3)
 
g【闘争型】⇒「貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して厳重に抗議したい」(文科省日本史小委員会への意見書 07・12・25)

言い訳と居直り風強弁が揺れながら混交しているふしぎな言説で、特徴は文科省と検定審議会の控えめな表現とは対照的に、「詭弁」「支離滅裂」「歪曲」「暴論」といった日本語が乱舞していることであろうか。 しかし、こうした汚い日本語は林の言説自体にそっくり返上すべきだと思う人は少なくないだろう
たとえばfの引用部分につづいて83人が集団自決した読谷村の「チビチリガマでは、日本軍はいなかったが、中国戦線の経験のある元軍人と元従軍看護婦が日本軍の代弁者の役割りを果たしていた」」との言い訳が同居している。 当時の日本全国を見渡して、健常な成人男子で軍人か元軍人でなかった者はほとんどいなかったのにである
 
秦氏も感銘を覚えるほどの林氏の労作『沖縄戦と民衆』で、「軍命はなかった」と明言しておきながら文科省が教科書から「軍命削除」の根拠の参考にされたと知って、突然自論を翻し抗弁して廻る様を次の章「言い訳と強弁の狭間」で詳しく述べているが、林氏が米国の公文書館を漁って、どうでもいいような史料を「軍命の証拠」として、鬼の首を取ったように舞い上がり新聞に発表するおなじみのパフォーマンスを、当日記でも過去に何度か取り上げた。

又しても? 林教授の新発見  集団自決の米軍文書

林氏は米軍資料を鵜呑みにし、・・・いや、鵜呑みならまだしも、恣意的誤訳をつけて新聞発表するほどの手の込んだことをするお方である。

一例を挙げると、住民が「soldiers told」(兵隊さんが言った)というくだりが、

このお方の翻訳にかかると「軍が命令した」(commanded )となるから驚きである。

 
つまり前述の「言い訳と強弁の狭間」で述べられている林氏の学者にあるまじき行状が、「三つ子の魂」として復活し、米軍資料を恣意的に誤訳して新聞発表するという姑息な行動の原点であるようだ。
 
現在「軍命あり」派の論者には、外にも自説を「転向」した学者が見られるが、一方の「軍命なし」派の論者に自説を「転向」したものは筆者の知る限り皆無である。
 
長年沈黙を守っていた照屋昇雄さんの場合のように、沖縄に在住していながら「軍命はなかった」と証言すると脅迫まがいの嫌がらせを受けるのは必至なので発言する人が少ない。
 
ただ、沖縄出身で天皇糾弾の極左活動していた人物が、ひょんなことから座間味島の集団自決を聞き取り調査し、地元マスコミが真相を歪曲報道をしている事実を知って「軍命はなかった」と「転向」した例はある。
 
だが、この反戦活動家は集団自決に関する「転向」で、左翼グループに「裏切り者」として襲われ、車椅子生活を余儀なくさせられている。
 
この沖縄出身の極左活動家・富山順一氏については『うらそえ文藝』掲載の「星、上原対談」で触れているが、当初その極端な反日活動のため沖縄のマスコミや文化人にちやほやされ、執筆や講演会活動で著名人となり沖縄タイムス刊で出版もしていた。
 
だが、集団自決の「転向」以来、浪々の身となり現在は大阪に在住し、「集団自決訴訟」の原告側応援をしているという。
 

詳しくは国民新聞に⇒左翼に襲われ車椅子生活に!

集団自決問題に思ふ

沖縄の「真」と「偽」

座間味島の梅澤裕元隊長、渡嘉敷島の赤松嘉次元隊長が住民に玉砕を命令・強制もしなかつた事実が明らかになつたのも、かつての自分の誤解や嘘を率直に認めて告白した何人もの沖縄人の道義的勇気に負ふところが大きい。

座間味について申せば、住民に自決を命じながら自らは「不明死」を遂げたと『鉄の暴風』で非難された梅澤元隊長の健在を突きとめ、隊長命令のなかつたことを確認し、その事実を座間味の宮城初江さんに伝へた沖縄出身の反戦運動家・富村順一氏こそ、真実究明への端緒を開いた第一の功労者である。(略)>

                    ◆





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倉沢被告が自白!“係長の上司 郵便局に電話” 

2009-05-29 07:39:12 | 県知事選

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講演会が明日に迫りました!

田母神沖縄講演会告知前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

                    ◆

 

“係長の上司 郵便局に電話”

  • 動画形式を変更する

5月29日 4時19分

厚生労働省の係長らが、郵便の割引制度を悪用していた、自称、障害者団体のために内部文書を偽造したとして逮捕された事件で、この団体の代表が大阪地検特捜部の調べに対し「係長の上司と会った際、上司が郵便局の幹部に、電話で『政治案件なのでよろしく』と伝えていた」などと供述していることが、関係者への取材でわかりました。

この事件は、厚生労働省の係長、上村勉容疑者(39)ら2人が、障害者団体のための郵便の割引制度を悪用していた、自称、障害者団体の「白山会」のために、厚生労働省の内部文書を5年前に偽造したなどとして逮捕されたものです。これまでの調べで、当時「凛の会」と称していた「白山会」を障害者団体として認めた厚生労働省の証明書も偽造されていたことがわかっていますが、この団体の代表で、郵便法違反の罪で起訴された倉沢邦夫被告(73)が特捜部の調べに対し「証明書の発行を働きかけるため、上村係長の当時の上司と会った際、この上司がその場で郵便局の幹部に電話して『政治案件なのでよろしく』と伝えていた」などと供述していることが、関係者への取材で新たにわかりました。倉沢被告は、この際、国会議員の関係者であることを示す名刺を出したなどとも話しており、特捜部は、厚生労働省側の対応について慎重に調べを進めるとともに、郵便局の幹部からも事情を聴くことにしています。

閉じる

                                             ◇

典型的な「政産官癒着疑惑」の事件である。

厚生労働省を巡る不正の構図
厚生労働省を巡る不正の構図

この図には出ていないが、厚生労働省幹部を動かしたといわれる石井一民主党議員の名が黒澤被告の「黒革の手帳」に記されているという。 その役割りは?

現在逮捕されているのは産側の幹部倉沢邦夫被告と河野克史被告そして官側の下っ端役人上村係長だが、一介のノンキャリ係長はトカゲの尻尾で、問題はどの程度役所の上層部が関与していたかである。

審査を担当する障害保健福祉部企画課の当時の課長で現・局長が、04年5月、日本郵政公社の当時の幹部に電話をかけ、証明書を発行したと伝えた疑いのあることが大阪地検特捜部の調べでわかった。

倉沢被告が「係長(上村)の上司(現・局長)と会った際、上司が郵便局の幹部に、電話で『政治案件なのでよろしく』と伝えていた」などと供述しているが、これが正しければ、少なくとも局長までは事件に関与していたことになるから、組織ぐるみの事件だといわれても仕方ない。

朝日報道によると現局長は「全く知らぬ」とのこと。

それはそうだろう。現局長が「民主党の大物石井先生の指示した案件、と電話しました」とあっさり認めるはずはない。

郵便不正:「厚労省幹部から証明書」地検が任意聴取へ

  ◇現局長「全く知らぬ」
 関係者の話によると、04年2月ごろ、倉沢容疑者ら凜の会関係者数人が、制度適用に必要な証明書の発行について相談するため、企画課を訪問した。

 当時の企画課長が応対した後、証明書の発行や審査を所管する、別の部屋にある社会参加係に移動。会議室で、企画課幹部ら数人が倉沢容疑者ら凜の会側数人と協議したという

 凜の会側からは、国会議員の名前が出され、課内の職員らは、企画課幹部から「この件は議員案件」と指示されたという。その後、04年4月に社会参加係長に就いた上村容疑者が、同会幹部、河野克史(こうのただし)容疑者(68)からの依頼で証明書発行の手続きが進んでいるとする、偽の稟議(りんぎ)書を作成したとされる。当時の職員らによると、証明書の早期発行への重圧があったという。

 一方、当時、企画課長だった局長は「凜の会は全く知らないし、関係者と会った記憶もない。だから、証明書発行を頼まれたことは絶対にない」と話している。

                              

仮に疑惑が局長どまりだったとしても、局長まで上り詰めたエリート官僚が、倉沢被告の「黒革の手帳」に記載の議員名(石井一前民主党副代表)をちらつかすだけという極めて曖昧な、「お願い」だけで公文書偽造という役人としては致命的な犯罪に加担するだろうか。

このような危ない橋を渡る対価は一体何であったか。

厚労省は担当大臣はおろか総理大臣が指示しても、面従腹背する腐敗した組織である。 

省内の政府に不利な情報を民主党に流すといった話も聞くし、新型インフルエンザで陣頭指揮する枡添大臣をパーフォーマンスだと批判する民主党応援のテレビコメンテーターが飛び上がって喜ぶような発言をする職員もいるくらいだ。

お前の方こそパーフォマンスだろうが↓

「機内検疫はパフォーマンス」検疫官、参院予算委で批判 

石井一民主党議員は倉沢被告の関係を否定しているが、ネズミ講も応援する石井議員が巨額の利権のからむ本件に無関与とは考え難い。

推理小説だとこういう場合、全てを知る下っ端役人が自殺して,

「やはりトカゲの尻尾切りで一件落着か。 官と政の闇に潜む巨悪の高笑いが聞こえるようだ」といったところで幕になるが・・・。

倉沢被告を締め上げれば、必ずゲロを吐く。

そこで民主党の命運は尽きる。

 

「証明出した」と厚労元課長が郵政側に電話か 代表供述
朝日新聞 2009年5月29日3時7分 
 厚生労働省の係長が自称・障害者団体を郵便割引制度の適用団体と認める虚偽の証明書類を作ったとされる事件で、審査を担当する障害保健福祉部企画課の課長(現・局長)が04年5月、日本郵政公社(現・郵便事業会社)の当時の幹部に電話をかけ、証明書を発行したと伝えた疑いのあることが大阪地検特捜部の調べでわかった。自称・障害者団体代表がその趣旨の供述をしているという。

 郵便側は証明書の発行からまもなくして割引制度の利用を団体に認めており、特捜部は、厚労省側の組織的な関与の有無とともに、郵便側の承認の経過に不審な点がなかったか調べている。

 一方、厚労省の当時の課長は朝日新聞の取材に「郵便側に連絡したことはない」と回答。当時の郵政公社幹部は「課長とは面識もなく、やりとりした記憶もない」と説明している。

 自称・障害者団体「白山会」代表の倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で再逮捕=が特捜部に供述したとされる内容によると、倉沢代表は04年5月、前身団体「凛(りん)の会」を障害者団体と認定するよう依頼するため、障害保健福祉部企画課を訪れ、課長に面会した。その際、課長が郵政公社幹部に電話し、「厚労省としては凛の会に障害者団体の証明書を出しています」という趣旨の説明をしたという。

 特捜部の調べなどによると、その直前の4月下旬、凛の会に障害者団体の実態がないと知りながら、企画課係長の上村勉容疑者(39)=虚偽公文書作成・同行使容疑で逮捕=が、証明書の発行を認めるうその決裁文書を作成。同5月28日付で証明書が発行された。同会側は東京・日本橋の郵便窓口から制度を利用する内諾を得られ、6月に入って正式に認められていた。

障害者団体の関係者によると、郵便側から制度の利用が認められるには本来、審査に数カ月程度の時間がかかるとされる。凛の会が異例の早さで郵便側から承認されたことについて、団体関係者は「何らかの配慮がないと難しいのではないか」と話している。

 当時の企画課長をめぐっては、特捜部の調べなどで、凛の会あてに発行された証明書を、倉沢代表に課内で直接渡したとの供述も出ている。
                

                    ◇

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サイパン!手榴弾による県民の集団自決 これも軍命か

2009-05-28 06:47:46 | ★集団自決

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来る5月30日に開催の田母神沖縄講演会が明後日に迫りました。 改めて同講演会のご案内です。

 

    前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

「大東亜戦争が終わりを告げてから、60年以上もの歳月が流れました。戦争によって犠牲となられた方々に、あらためて哀悼の意を表します。同時に、戦死された方々のおかげで私たちの今日があることに深く感謝の意を表します。
沖縄を含め日本は戦後、人類が歴史上経験したことのない占領政策を受けました。戦争に負けた日本は、自分たちの歴史観を奪われ、戦勝国の歴史を強制的に押し付けられてしまいました。自虐史観に基づいた日本の歴史教育は、国民から自信と希望を失わせていくものでしかありません。日本は、かつて戦勝国から奪われた歴史観を取り戻し、かつて我が国がもっていた誇りを取り戻すべきです。」
(『田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)より抜粋)

                    *

昨年10月、民間の懸賞論文へ応募した作品が日本の過去の侵略行為を正当化する内容で政府見解と対立するものであったとして航空幕僚長を更迭され、空将として定年退職した田母神俊雄氏がいよいよ沖縄にやってきます。論文の意図したものは何だったのか。今、日本にとって何が必要なのか。将来の日本と日本人はどうあるべきなのか。前航空幕僚長の田母神俊雄氏が沖縄県民の皆様に直接語りかけます。
ご多忙とは存じますが、県民の皆様方には万障お繰り合わせの上、多数ご参加くださいますようお願い申し上げます。          

演 題 『日本は本当に侵略国家だったのか』
    ~日本の歴史をもう一度見直そう~

【日 時】平成21年5月30日(土)        
              午前11時30分受付 正午開会~午後2時閉会

【会 場】パシフィックホテル沖縄 万座の間
                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162

【会 費】1000円

【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会

【連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里
              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037



★懇親会(14:30~16:30)

講師を囲んで食事を含めた懇親会を行います。
お時間の許す限り、お気軽にご参加ください。

【会場】 パシフィックホテル沖縄 珊瑚の間・カネオヘの間

【会費】 5000円 (80名限定)

※懇親会出席ご希望の方へ:

出来ましたら錦古里(電話:090-9780-7272)までご予約頂ければ幸いです。

                                             ◆

 

 

このところ沖縄タイムスに集団自決の記事は見られないが、戦争関連で今日(28日)も含めて四日連続南洋墓参団の記者同行記事を掲載している。

唐突で恐縮だがクイズを出します。

問; 次の言葉はいずれも真っ当な日本人なら誰でも感じる戦没者への哀悼の気持ちだが、各々誰の発言でしょうか。

①:「日本の繁栄と平和は御霊の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない」

②:「戦死された方々のおかげで私たちの今日があることに深く感謝の意を表します」

ヒント:今日のエントリーを読めば分かりますが、答えはエントリーの最後に記します。

例によって、沖縄紙のウェブ記事更新は遅いので、引用記事は昨日付け。

沖縄タイムス 2009年05月27日 社会 

南洋群島慰霊祭 350人が戦没者の冥福祈る【社会】

 太平洋戦争中、日本の統治領だった旧南洋群島で亡くなった県出身者らを弔う最後の合同慰霊祭が27日、サイパン島北部にある「おきなわの塔」で開かれた。現地の人も含め約350人が参加し、1万3000人ともいわれる県出身戦没者の冥福を祈った。

 遺族代表の富本裕英さん(75)は「米軍の上陸後の民間人を巻き込んだ戦闘で、平和な島はにわかに地獄の島となった。戦争に正義はなく、無残な殺りくと残虐な死だけがある。日本の繁栄と平和は御霊の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない」とあいさつした。

 式典では、人間国宝の照喜名朝一さん(77)による歌三線演奏、玉城流翔節会家元の玉城節子さん(68)らによる琉球舞踊の奉納もあった。

 帰還者や遺族らは、塔の前で献花や焼香をし、当時をしのびながら手を合わせていた。

                    ◇

「もう一つの沖縄戦」とも呼ばれるサイパン玉砕では多くの沖縄県出身の住民が集団自決をした。

同じ状況の戦死でありながら、サイパン戦の遺族が戦没者に伝える思いは沖縄戦戦没者に伝える思いと大きく異なる。

その違いの理由は一体何だろうか。

>遺族代表の富本裕英さん(75)は「米軍の上陸後の民間人を巻き込んだ戦闘で、平和な島はにわかに地獄の島となった。戦争に正義はなく、無残な殺りくと残虐な死だけがある。日本の繁栄と平和は御霊の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならないとあいさつした。

上記引用の富本さんの言葉と冒頭に引用の田母神さんの言葉が、期せずして同じ表現なのはサイパンなど南洋で戦没した沖縄県人は決して「悪逆非道の日本軍人によって強制死させられた」なんて微塵も考えていないことが分かる。

<戦争によって犠牲となられた方々に、あらためて哀悼の意を表します。同時に、戦死された方々のおかげで私たちの今日があることに深く感謝の意を表します。>(田母神俊雄著『田母神塾』より)

同じ状況下で同じ沖縄県民が戦争の被害に遭遇しているにも関わらず当時11歳の富本さんの発言と、沖縄戦集団自決の生存者のこうも違うのは一体何なのか。 

沖縄タイムスは一度でも考えたことはあるだろうか。

富本さんが集団自決の悲劇を味わっていないからだと反論するなら、それは大きな間違いである。

サイパンの沖縄県人の集団自決というと、バンザイクリフから見投げする沖縄県民らしい婦人の生々しい投身シーンが有名だが、サイパンでも手榴弾による集団自決があったことを富本さんが証言している。

記事では報じられていないが26日のRBCテレビの報道では、兄弟二人で逃避中、最後の壕で兄が一緒に自決しようと持参していた手榴弾を石にカチカチとぶつけているのを見て、当時11歳の富本さんは「死にたくない」と一人でその場を逃げた。 兄はそこで手榴弾の爆発で自決したという。

沖縄市で司法書士事務所を経営しているという富本さんはしっかりした口調でインタビューに答えていたが、富本さんの口から「手榴弾で自決したのだから、兄の死は軍の命令だった」とか「兄の死は軍の強制だった」いった日本軍に対する怨嗟の言葉や責任転嫁は一言もなかった。

「軍命論者」が「援護法の適用の有無に関係なく軍の命令だ」と主張するなら、

13000人といわれるサイパンの沖縄出身戦没者の遺族も、沖縄タイムスのキャンペーンに便乗して、「軍の命令」を叫んだだろうし、富本さんも穏やかな表情で墓参団に参加することもなく、「兄が手榴弾で自決したのは軍の命令に他ならない」といったこじつけ論で表情を引きつらしていたであろう。

生き残った弟の富本さんが「兄は軍の命令で自決した」と主張したら一番悲しむのは他ならぬ天国のお兄さんであることを一番知っているのは現場にいた富本さん自身と推察する。

 

◆クイズの答え

蛇足とは思うが、念のため記すと、こうなる。

①⇒手榴弾による自決で兄を失った南洋墓参遺族団代表・富本裕英さんの言葉(沖縄タイムス 2009年5月27日)

②⇒田母神俊雄前航空幕僚長の言葉(田母神俊雄著『田母神塾』双葉社)

                    ◇

 【追記】

 <一か月近く転々と逃げた後家族は、最後の壕に隠れた。 上から米兵の投降を呼び掛ける声が聞こえることにおびえ、家族や周囲の人ら14、5人が輪になって日本兵からもらった手りゅう弾で死ぬことを試みたが、不発に終わり救われる。 (琉球新報 2009年5月28日)>

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倉沢邦夫被告が民主党に止め?黒革の手帳の国会議員

2009-05-27 17:57:45 | 県知事選

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郵便不正「凛の会」 議員名使い厚労省接近か
証明書依頼「暗黙の了解」
 郵便不正を巡る厚生労働省の偽公文書事件で、自称障害者団体「凛(りん)の会」(解散)の元会長・倉沢邦夫被告(73)(再逮捕)が、障害者団体証明書の発行を厚労省に依頼した前後の時期に、同会元メンバーと国会議員の名前を手帳に記していたことがわかった。倉沢被告は以前、この議員の秘書を務めていた。同会関係者は読売新聞の取材に対し、「厚労省に証明書を発行するよう、議員に頼んでもらうことが暗黙の了解だった」と説明しており、同会が証明書入手のため、議員の名前を利用して厚労省側に接近したとみられる。

 関係者によると、同会は2003年秋、設立。倉沢被告を会長とし、規約にも国会議員の元秘書との記載があった。

 倉沢被告は04年2月頃、障害者団体向けの郵便料金割引制度を受けるための証明書発行を厚労省に依頼。同時期の倉沢被告の手帳に、元メンバーと国会議員の名前が並んで書かれていたという。

 さらに、この元メンバーが同年2~3月に数回、小規模団体の制度利用を支援するNPO法人「障害者団体定期刊行物協会」(東京都世田谷区)を訪れた際に対応した同協会関係者の当時のメモにも、同じ議員の名前が記されていた。(略)

 

(2009年5月27日  読売新聞)

                     ◇

>「凛(りん)の会」(解散)の元会長・倉沢邦夫被告(73)(再逮捕)が、障害者団体証明書の発行を厚労省に依頼した前後の時期に、同会元メンバーと国会議員の名前を手帳に記していたことがわかった。

「凛(りん)の会」なんて言うから分かり難いが、これは現在の白山会であり、倉沢邦夫被告は元民主党議員の秘書をしていた。

白山会と日本郵便、不正DMに民主党の牧議員が絡んでいることは前に(★で引用)触れた。

で、その「凛(りん)の会」の元会長倉沢容疑者が

「黒革の手帳」?に記した元民主党議員とは民主党の副代表・石井一氏の弟・一二元参院議員のこと。

倉沢容疑者は長年、永田町をわたり歩いてきた政界ブローカーであるだけに人脈も、利権も広範囲で、民主党の「娯楽産業議員連盟」の事務局長格でもある。

パチンコ業界の応援団体である同議員連盟は、さきの石井一副代表、小沢代表の側近・山岡国対委員長などが中心になっている。

郵便不正、政界人脈のキーマンは倉沢元会長

ここでも、石井、山岡とネズミ講議員が顔を出すとは。

やはり民主党はネズミの巣窟か。

大山鳴動ネズミ議員は何匹だ?!

 

以下は再掲です。

★「民主党の沈没!日本郵便、不正DM一度は拒否 牧議が覆す」で

そして、民主党に止めを刺すのはこのニュース。

日本郵便、不正DM一度は拒否 牧議員秘書の来訪後覆す2009年4月19日3時1分

 家電量販大手「ベスト電器」のダイレクトメール(DM)広告をめぐる郵便不正事件で、自称・障害者団体「白山会」(東京都文京区)の刊行物を装ったDMが郵便事業会社(JP日本郵便)の新東京支店(同江東区)から発送される前、埼玉県の郵便窓口で一度断られ、民主党の牧義夫・衆院議員(51)=愛知4区=の秘書が、関係支社を訪れていたことが関係者の話でわかった。白山会については注意文書が日本郵便内で流され、不正の窓口になった新東京支店にもDMのサンプル付きで届いていたが、秘書の訪問後に発送が認められていた

 注意喚起の文書について、大阪地検特捜部は、DM発送の審査にかかわった日本郵便の社員らが不正に気づきながら黙認した可能性を示す文書として重視。牧議員の秘書が動いた経緯についても、白山会会長の守田義国容疑者(69)=郵便法違反容疑で逮捕=らから詳しく事情を聴いているとみられる。

 関係者によると、白山会側は07年1月末、ベスト電器の不正DMを埼玉県の二つの郵便窓口に持ち込み、通常のDMなら郵送料金が1通120円かかるところ8円に割り引かれる「心身障害者用低料第3種郵便物制度」を使って送ろうとした。しかし、郵便物が相手に届かなかった場合の返送先が刊行物発行元の白山会ではなく、ベスト電器になっていたことから窓口で利用を断られたという。

 これを受けて、白山会の名前を挙げたうえで制度の悪用が疑われる不審なDMの取り扱いに注意を呼びかける文書が、埼玉県の郵便窓口を管轄する日本郵便関東支社や、近隣の東京支社の管内で配られ、新東京支店にもサンプルとともに届いていたという。

 一方、埼玉の窓口で断られた白山会側は、牧議員側に経緯を説明し、協力を求めたとされる。牧議員の秘書は、白山会の関係者とともに日本郵便の関係支社を訪ね、低料第3種郵便物の条件などについて問い合わせたという。 (略)

                    ◇

いやいや、これは驚いた。

日本郵政側が、判断力の甘さで不正を黙認したのかともとれる報道がされていたが、窓口担当者が不正と気がつき断っていたというではないか。

しかもその後、このような不正には気をつけるようにとの文書が内部で流れていたという。

そして民主党牧議員側が日本郵政側にねじ込んだろ、以後不正発送が認められたという。 典型的な悪代官の手口ではないか。

しかもこの牧議員、以前からマルチ商法などの悪徳商法がらみで悪徳組織を援護するような国会質問をしていたという札付きのネズミ議員である。

 

支援者の競合団体を国会で批判 郵便不正で民主・牧議員

2009年4月14日3時0分

チャート:  拡大  

 民主党の牧義夫・衆院議員(51)=愛知4区=が、障害者団体向けの郵便割引制度が悪用された事件で捜索を受けた「福祉事業支援組織・白山会」(東京都文京区)のライバル団体を批判する質問を国会でしていたことが分かった。白山会の会長は牧議員の長年の支援者で、会長側は議員側に政治献金もしていた。

 批判された団体は、郵便事業会社(JP日本郵便)の調査を受けて、ダイレクトメール(DM)広告に悪用していた刊行物を廃刊。一方で白山会側は業務を継続。関係者によると、DM広告の「顧客」を増やしていたという。

 国会質問があったのは、08年5月23日の衆院経済産業委員会。牧議員は、兵庫県尼崎市内などの三つの障害者団体が制度利用の承認を受けて発行していた定期刊行物を掲げながら、精力剤やアダルトグッズの広告が載っていることなどを指摘。「悪徳商法の温床になっている」などと批判し、日本郵便の対応を求めた。

 批判された団体は、尼崎市内の広告会社と提携する形で、制度を悪用したDM広告を取り扱っていたが、広告の受注をめぐって、白山会や白山会と提携していた大阪市西区の「新生企業」=大阪地検特捜部が郵便法違反容疑で社長らを逮捕・起訴=と、激しい価格競争をしていたという。

 白山会は昨年末、制度を悪用していたとして日本郵便から利用の承認を取り消され、免れた数億円の郵便料金を請求されているほか、今年2月には特捜部から、新生企業の容疑の関係先として捜索されている。

 一方、複数の関係者によると、白山会の会長は牧議員の長年の支援者で、97年から02年にかけて複数の会社の役員として共に名を連ねていたほか、白山会の運営に関係している男性が牧議員の秘書を名乗っていた時期もあったという。

また、白山会の会長は自ら社長をしている興信所名で、牧議員が代表を務める「民主党愛知県第4区総支部」に07年2月に12万円を寄付している。

 牧議員は、国会議員の秘書などを経て00年に衆院議員に当選。現在3期目。昨年10月には、マルチ商法業界の政治団体から資金提供を受けていた問題が発覚している。

     ◇

 牧議員の事務所は取材に対し、「白山会の会長とは議員に当選する以前からの付き合いであることは事実です。しかし、白山会との関係は現在も過去もありません」などと回答。白山会の会長は、牧議員について「牧さんは長年の知り合いで、応援のために献金した。違法なことは何もない」と言っている。

                   ◇ 

 
>牧議員は、国会議員の秘書などを経て00年に衆院議員に当選。現在3期目。昨年10月には、マルチ商法業界の政治団体から資金提供を受けていた問題が発覚している。

>批判された団体は、郵便事業会社(JP日本郵便)の調査を受けて、ダイレクトメール(DM)広告に悪用していた刊行物を廃刊。一方で白山会側は業務を継続。関係者によると、DM広告の「顧客」を増やしていたという。

>牧議員は、兵庫県尼崎市内などの三つの障害者団体が制度利用の承認を受けて発行していた定期刊行物を掲げながら、精力剤やアダルトグッズの広告が載っていることなどを指摘。「悪徳商法の温床になっている」などと批判し、日本郵便の対応を求めた。

この牧ネズミ議員、何とも分かりやすいことをしてくれている。

自分の関連団体である白山会と競合関係にある団体の刊行物にアダルトグッズや精力剤の広告があり、悪徳商法の温床になっているとして、特別郵便料金によるDMを廃止させ、自分は悪用を続行する。

おまけに自分は悪徳商法業界の献金を受ける。

こんな絵に描いたような悪代官も最近の時代劇では珍しくなった。

                  ◇

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北朝鮮と「1000円カットサロン」 核保有国クラブへの朝鮮

2009-05-27 10:32:21 | 普天間移設

 

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ある一定の年齢以上の男性は散髪のため美容室に行くことは思いもつかないが、若い人は美容室も抵抗がないらしく、少なくとも芸能界では老若男女美容室にいくという。

そもそも散髪という言葉自体が死語になりつつあり、いまでは男女ともカットという。

1000円カットの美容室が流行っているが、ほとんどの客は男性だったのが、最近では女性客が増えているという。(元々美容室だから当然だと思うんだが・・・。)

昨日のテレビワイドショーで全国展開で躍進する「1000円カットの美容室」が話題になった。

美容室や理容室は元々徒弟制度的古い体質を抱えた職種であり、同業組合の力が強くお互いの利益を守るためと称してお互いの営業を規制しあっていた。

つい最近まで、いや地方によって今でも休日を一斉にし同じ日(美容室は火曜日、理容室は月曜日)にしたり、最低料金を設定したりして、安売り店を排除するというように組合で規制しあっていた。 

ところが「カリスマ美容師」がマスコミで話題になるようになると、一斉休日はおろか料金もピンからキリまで各経営者が自由に設定する傾向になる。

当然「安売りと年中無休」を売りものに店舗を増やすサロンが出てくる。 

普通の美容室のカットで5000~6000円のところを1000円で出来るのは、最近の不況ムードで歓迎されるのだろうが、人気の秘密は、価格以外にも10分程度で出来るそのスピードにもあるという。

安さとスピードの秘密はシャンプーを省くからだという。
勿論店舗は正式に開業届けを出しており、美容師も国家試験をパスした一人前の技術者なら男性のみならず女性に人気が出るの理解できる。

当日記が「1000円カットサロン」を取り上げたのは、高価格のカリスマ美容室と低価格の1000円カットサロンのバトルに興味があるからではない。

同業組合員の美容室が、「価格破壊」いや、「秩序破壊」で同じ業種に新規参入するという理由で、「1000円カットサロン」を業界から排除するように自治体に働きかけ、美容室開業にはシャンプー台の設置を義務化させるようにしている「後発排除の理論」に興味を覚えたのだ。

安売りとスピードの基である「シャンプー省略」に自治体が介入しては「1000円カットサロン」は強力な武器をもぎ取られたことになる。

組合美容室が「秩序破壊」を理由に「1000円カットサロン」の業界参入を妨害する様は、

戦勝国クラブであり、核保有国クラブでもある国連が、核保有に新規参入を図る北朝鮮に対し制裁を加える昨今の狼狽ぶりにそっくりである。

彼らの北朝鮮への批判は、先発核保有国による後発核保有国に対する「後発排除の理論」である。

安保常任理事国の核実験批判に対して、北朝鮮が「お前ら核保有国クラブにだけは言われたくない!」と言ったとしたら、これは正論だ。

今朝の東海日報lコラムが、その国連のいかがわしさを見事に炙りだしている。


東海新報☆★☆★2009年05月27日付

 
 理屈とは誰をも納得させるものであらねばなるまい。でなければ相手を納得も説得もさせることのできない単なる屁理屈に終わるだろう。北朝鮮の核実験に対して米中露が早速非難したが、こんな屁理屈が通用する?通用するわけがない▼核保有グループに新たな仲間が加わることになって、加入申請した。「あいつは協調性がないから入れるべきでない」という場合は確かにある。しかし会員として資格を有するのに、その会員資格までを否定し、「けしからん」と言って非難するのは屁理屈以前に論理破綻というものである▼したがって新たに会員資格を得た「金正日商事」が、「核開発協同組合」への加入却下の決定に「理屈が通らん」と憤慨し、よしそれなら一匹狼となって業界をかき回してやろうと思っても、組合はそれを阻止できない。屁理屈は結局屁に終わる▼国連の安保理は緊急会合を開いて非難決議をするようだが、そんなものは屁の突っ張りにもならないことは過去の例からも明らか。第一相手が「はいそうですか」と応じるようなタマでないことは誰もが承知だ。米国はともかく、中国もロシアも一応非難してみせるがその実、元々同じ穴のむじな。内心は「よくやった」と「舎弟」の成長を喜んでいる▼こうした虚々実々の駈け引きを見せられるのは空しいというよりうんざりだ。しかし元々組合は論理的抑止力を持たないから新しい「非組合員」は確実に増えていく。そしてそのうちどの国も核を持つようになる。「みんなが持てば恐くない」と。

 

                 ◇

 

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北の核実験!「戦争と平和」、「対話と圧力」

2009-05-26 07:32:59 | 普天間移設

 

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「対話と圧力」・・・対北朝鮮政策に何度この言葉が使われてきたことか。

「相手の嫌がることはしない」という脳テンキな首相は論外としても「対話と圧力」ほど北朝鮮に不向きな政策はない。

何しろ自国民を飢えさせながら核実験には莫大な金を使う国だ。

 

「戦争と平和」が必ずしも外交の対極ではなく、圧倒的優勢な武力により戦争を和平(pacify)した状態を平和というなら、平和も戦争も同じ外交政策の線上にあるとも定義できる。

「衣の下の鎧」とは日本では否定的な意味で使用されるが、

外交交渉では「対話」も衣の下に隠した「圧力」なしにはその有効性を発揮できない。 つまり程度の差こそあれ、圧力をなくした対話は、実りのない「外交辞令」の応酬に終わってしまう。

「対話と圧力」も相手によって各々の比率を変えねば効果はない。

現在の北朝鮮には「対話と圧力」ではなく「圧力と制裁」しかない。

この期に及んで「対話が足りない」とか「制裁しても効果がない」として圧力や制裁に躊躇する人は、こう言うのだろうか。

「そっちが核実験するなら、こっちは対話するぞ!」とか。(笑)

【北朝鮮情勢】 「北とまともに交渉できるのか」被爆・拉致関係者が非難写真付き (5月25日 14:38)

麻生首相発言要旨=北核実験
 麻生太郎首相が25日、北朝鮮の核実験を受け、記者団に語った内容の要旨は次の通り。
 -受け止めは。
 北朝鮮が核実験を実施したと発表した。核不拡散体制に対する重大な挑戦だ。
国連安全保障理事会決議に明確に違反している。断じて容認できない。国際社会が一致して対応しなければならない大事な局面だ。
 先ほど、李明博韓国大統領とも電話で会談した。今後、日米韓で緊密に連絡して毅然(きぜん)と対応しなければならない。
 -安保理緊急会合で追加制裁の決議を求めるか。
 今回の核実験は、この前行われた安保理決議への明確な違反だ。従って決議を求めていくのは当然だ。
 -日本独自の制裁は。
 
核実験を実施したときちんと確認した上で、どのように対応していくか検討していく。
 -わが国の安全に重大な影響を与える周辺事態に認定するか。
 今の状況は、極めて地域の緊張感を高める事態だと思っているが、直ちに周辺事態法を適用すべきものとは考えていない。
 -核実験を国際社会はなぜ止められないか。
 わたしが答えられる限界を超えている。(2009/05/25-18:09)

                    ◇

 

最終的に自国を護るのは自国であり、他国任せには出来ない。

となると「非核三原則」なるお題目が屁のツッパリにもならないことが分かる。

「持ち込まず」と叫んでみたとて、相手が撃ち込んでくる核の脅威には屁のツッパリの役目も果たせないというのだ。

同盟国と協調するの当然だが、米国は、北朝鮮が米国や中国、ロシアのように長距離ミサイルに搭載可能な核兵器を生産するまでには、依然「何年もかかる」と予想している。

従って北の核は現下の危機とは捉えていないし、日本ほどの深刻さはない。

ヨーロッパ諸国にとっては所詮は対岸の火事であり、中東紛争の方が自分の庭で起きた火事の脅威を感じている。

同じアナの狢の中国とロシアが安保理制裁決議に賛成するかどうか、そしてどのような種類の制裁決議をするのか・・・注目の的である。

 ⇒独裁国に囲まれた日本

対話を信じる「プロ市民」の方々も、怒っているようだが拳を天に突き上げて怒るだけでは核は止められない。

北朝鮮核実験 市民団体など怒りの声

 

さて、国連が全会一致で北への制裁決議をしたとしよう。

それでも北が強行したらどうなる?

制裁しても陰で中国とロシアが援助する、いつものパターンになれば制裁決議もただの紙切れ。

結果的には北の核実験強行が国連第一主義のインチキ性が暴露したことになる。

その意味では将軍様が、戦勝国だけの会員制クラブ・国連の本質を炙り出した、という皮肉な結果にならぬよう祈るしかない。

 

テレビコメンテーターたちが北朝鮮の核実験に対し口を揃えて「絶対許せない!」と叫んでいるが、それでも実験強行したらどうするつもりだろう。

 

麻生首相がここで断固たる制裁を実行すれば、支持率は上がる!

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関連記事:

北朝鮮核実験、広島や長崎の被爆者らは強く非難写真付き

 短距離ミサイルも発射か 北朝鮮、舞水端里から (5月25日 14:41)

                 ◇

 

田母神沖縄講演会告知前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

 

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バンザイクリフの投身自殺も軍の命令?

2009-05-24 10:28:55 | ★集団自決

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沖縄の出版物には蝿のように左翼文士が集まってくる。

過去の『うらそ文藝』もその例外ではなかった。

同誌のバックナンバーをめくると、「タイムス史観」で毒された文化人の名前が続出する。

古い号には『鉄の暴風』の執筆者の太田良博氏の名前も見られるくらいだ。

「集団自決軍命説」を唱えるお馴染みの面々をザット拾ってもこのようになるー石原昌家、嶋津与志(大城将保)、目取真俊、石川為丸の各氏、そしてこれに元琉球新報社長の宮里昭也氏や福地曠昭氏を加えると『うらそえ文藝』は「集団自決論争」に限ってみても左翼文士の巣窟と見られても仕方ないだろう。

その『うらそえ文藝』が発売されて既に2週間経過するが、予想通り沖縄二紙は黙殺でこれに答えている。

一方ネット上では当日記が火付け役になった感はあるが、『うらそえ文藝』の衝撃が駆け巡っているようだ。

だが、揶揄するものはあっても、まともに反論するものはいない。

沖縄タイムスは「米軍流弾事件」でもすっトボケているが、トボケついでのつもりか、次のような記事を平然と書いている。

空襲が途切れ、壕から出て海を見ると、島の周囲を埋め尽くすような黒い艦船の群れ。「遊軍が来たぞー」。バンザイしたのもつかの間、地鳴りのような艦砲射撃が始まった。日本軍ではなく、米軍の艦船だった。自宅のある○○○の街を見ると、天を突くような炎に包まれていた。

 途中で合流した父親は、戦車砲の破片で左足をえぐられ動けなくなった。もう家族みんなで死のう―。覚悟を決めたが、父親から「君らは逃げられるだけ逃げなさい」としかられた。父親を壕に残し、最北端の○○○岬を目指して歩き始めた。それが父親との別れとなった。>( 2009年05月24日 社会  )

わざと地名は伏せたが、これは沖縄戦の「集団自決」の記事ではない。

沖縄タイムス  2009年05月24日 社会 

わが祈り 海越えて/南洋墓参・最後の旅/名護市の仲村さん 深い心の傷 同行できず【社会】 画像あり


県人1万3000が戦没


 太平洋戦争中、日本の統治領だった旧南洋群島で亡くなった県出身者らを供養する南洋群島慰霊墓参団(主催・南洋群島帰還者会)が26日、サイパンに向け、沖縄を出発する。帰還者の高齢化などで、40回目の今年で打ち切りとなる。「もうひとつの沖縄戦」といわれ、1万3000人ものウチナーンチュが命を落とした戦い。多くの帰還者が高齢の身をおして参加する一方、過酷な記憶からいまも再訪に踏み切れない人も少なくない。「どうか自分の分まで手を合わせてほしい」。さまざまな思いを背負い、墓参団は最後の旅に向かう。(鈴木実)

 銃を手に、木にもたれかかった姿で息絶えた日本兵。うつろな目で空を見上げたまま、何の反応も示さなくなった友人。累々たる死傷者をかき分けるように、「鉄の暴風」の中を北へ北へと逃げた。

 サイパンへの米軍の攻撃が本格化した1944年6月。名護市の仲村繁一さん(78)は、現地の国民学校高等科1年生だった。

 空襲が途切れ、壕から出て海を見ると、島の周囲を埋め尽くすような黒い艦船の群れ。「遊軍が来たぞー」。バンザイしたのもつかの間、地鳴りのような艦砲射撃が始まった。日本軍ではなく、米軍の艦船だった。自宅のあるガラパンの街を見ると、天を突くような炎に包まれていた。

 途中で合流した父親は、戦車砲の破片で左足をえぐられ動けなくなった。もう家族みんなで死のう―。覚悟を決めたが、父親から「君らは逃げられるだけ逃げなさい」としかられた。父親を壕に残し、最北端のマッピー岬を目指して歩き始めた。それが父親との別れとなった。

 多くの避難民が海に身を投げたバンザイクリフの近くで、繁一さんも右足を撃ち抜かれた。唇や左手も被弾し、いまも傷あとが残る。近くにいたいとこの女の子は足の甲をえぐられ、みるみるうちに血の気がなくなり、息を引き取った。

 その後、捕虜になり、収容所に送られた。再会した乳飲み子の妹は、栄養失調と疲労でまもなく力尽きた。墓地の一角に穴を掘って埋め、「照子の墓」と書いた角材を立てた。写真はすべて焼け、父や妹の顔も、もう思い出せない。

 終戦後、仲村さんは当時の記録を書きつづった。だがあまりにもつらく、記憶を消し去るようにすべてを捨てた。墓参団にも参加せず、人に話すことを避けてきた。「後世に語り継がねば」と、少しずつ体験を口にするようになったのは、定年を迎えてからだ。

 だが、胃の全摘出や糖尿病の合併症で体力はなく、もはや現地行きはかなわない。「行きたい気持ちもあるが、どうしても勇気がなく、年も取りすぎた。せめて代わりに祈りをささげてほしい」と思いを託す。

                    ◇

このところ慶良間島の「集団自決」の記事を沖縄二紙の紙面で見ることはないが、それに代わって南洋群島慰霊墓参団の記事が続いている

いきなり冒頭引用の文を読んだら渡嘉敷、座間味両島の「集団自決」の記事と錯覚した人も多いだろう。

だが、サイパン玉砕時の県出身住民の「集団自決」とその翌年続いて沖縄で起きた「集団自決」は同じ状況で起きている。

両者の関連性を無視して沖縄戦を語ることは出来ない。

そう、サイパンの集団自決も慶良間島の集団自決も犠牲者のほとんどは沖縄県人という共通点があり、

圧倒的多数の米戦艦に島を包囲され、逃げ場を失った住民がパニック状態になって「集団自決」に走った状況はサイパンも沖縄も同じであった。

ところが沖縄戦・慶良間島の集団自決では戦後60数年も経っているのに、

集団自決は「軍の命令だった」として、自分が親兄弟を殺害したことを軍の命令に責任転嫁する一団がいる。

その一方、ほとんど同じ状況で起きたサイパンの「集団自決」では「軍の命令だった」といった責任転嫁の声は聞かれない。

その理由は「援護法」の集団自決に対する被害者適用の有無にあると書いた。

沖縄戦「集団自決」とサイパン玉砕ーその根本的相違

この事実だけ見ても「集団自決軍命論」がいかにこじつけであり、後付けの責任転嫁であることが自明である。

沖縄タイムスはサイパン玉砕の生存者たちが「集団自決は軍の命令だった」といわない事実に何の疑問も持たないのだろうか。

事実を報道するのが新聞記者なら当然疑問を持つだろうし、疑問を持てば必然的に『鉄の暴風』のいかがわしさ、すなわち「集団自決軍命説」のいかがわしさにも気がつくはずなのに。

さもなくば、バンザイクリフの投身自殺も満州での集団自決も「軍の命令だった」と主張すべきではないのか。

                   ◇

 

沖縄タイムスは報じていないが珍しく琉球新報が小野田さんの講演会を報じている。

教育者としての小野田さんの講演会なら黙殺も出来ないのだろうか。

「助け合いが大切」 元日本兵、小野田さん講演(2009.5.24) カメラ

生徒らを前に講演する小野田寛郎さん=23日、伊良部高校
小野田さんの話に聞き入る生徒ら=23日、伊良部高校体育館

 【伊良部島=宮古島】伊良部高校PTCAは23日、太平洋戦争の終結を知らないままフィリピンのルバング島で1974年までの約30年間生活していた旧日本軍の元陸軍少尉・小野田寛郎さん(87)を同校へ招き、講演会を開いた。同校の生徒らを前に小野田さんは「戦争は一番、人間がやってはいけないこと。人は一人では生きていけない。助け合いが大切だ」と呼び掛けた。
 講演会は小野田さんの妻・町枝さん(71)が、テレビ番組で離島で少人数ながら全国大会にも出場する伊良部高校バレー部について知り「励ましたい」と提案したことで実現した。
 講演会の冒頭、小野田さんが74年に帰国した際のニュースや、75年にブラジルへ移住し牧場を開発した様子、84年に再び帰国し、キャンプ体験を通し青少年育成を図る「財団法人小野田自然塾」を開いた経緯などを映像で紹介した
 小野田さんはルバング島での生活を「残って何年でも戦えとの命令だった。殺すか殺されるかが続いた。しかし一人で生きていたわけではない。仲間を亡くし最後の1年半の後に日本へ帰れた」と明かした。
 「皆さんが生きる中で自分だけ良ければ良いというのは駄目。伊良部高校がバレーボールで優勝したのも各選手が力を発揮する目的意識があるからだ」と語った。

                    ◇

 

田母神沖縄講演会告知前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

 

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コメント (2)

沖縄県警vs米軍調査団 「理解はするが訂正はしない」???

2009-05-24 06:40:51 | 金武町流弾事件

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刑事ドラマよくあるシーンにこんなのがある。

主人公の敏腕刑事が綿密な聞き込み調査の結果、犯人の鉄壁のアリバイを崩し、いよいよ逮捕を目前にして課長に呼ばれる。

捜査課長:「アリバイはそのままにして、これ以上この事件を追及するな」

敏腕刑事:「何故ですか。 理由を言ってください!」

課長:「俺にもわからん。 上からの命令だ!」

刑事:「ここで事件がウヤムヤになるのは悔しくないですか!」

課長:「俺も悔しいが、ここは我慢してくれ、上には逆らえん!」

夕暮れの屋台でコップ酒をあおりなが悔しがる二人を背景に、ここで物語りは・・・・[完]

 

事件が、現場の捜査を無視して政治的に決着することはドラマや小説の世界だけと思っていたら、沖縄の米軍がらみの事件では珍しくないケースだ。 

沖縄では「県民感情」が法律に優先するものらしい。

「米兵女史中学生暴行事件」、「米兵比女性暴行事件」と事件性はなくとも新聞が騒げば「県民感情」に配慮して「政治的決着」で終わっている。

昨年12月以来沖縄紙が号外まで出して大騒ぎした金武町伊芸区の「米軍流弾事件」は、米軍側のアリバイ調査にもかかわらず、上記ドラマの逆バージョンで終わりそうだ。

米軍の調査団はこう言って悔しがっているだろう。

「事件は現場で起きている。日本の国会で起きているわけではない」と。

まさに事実は小説より奇なり、である。

沖縄タイムス 2009年05月23日 政治 

12月10日で米軍認識/伊芸流弾発生 警察庁説明「理解を得た」【政治】
 【東京】金武町伊芸区の流弾事件で、発生日が県警と米軍で異なっていることについて、警察庁の西村泰彦審議官は22日の衆院外務委員会で「4月中旬の(日米)協議の場などにおいて、県警が12月10日と説明し、米軍側の理解を得たと承知している」と述べ、発生日の認識が一致したとの見解を示した。赤嶺政賢氏(共産)に答えた。

 これまで、県警は12月10日として米側に再三伝えていたが、米軍側は同月11日との考えを示し、食い違いがあった。米軍の最終報告書でも「事件発生は訓練終了以降の11日」と書かれていた。

 赤嶺氏は報告書撤回を米側に求めるよう促したが、中曽根弘文外相は「継続中の日本側捜査の結果を見ながら適切に対応する。現時点で調査結果の見直しを求めることは考えていない」と述べるにとどめた。

 一方、県警が米側に要請していた基地内への立ち入り調査について、西村審議官は「米側の同意が得られていない。現在まで実現に至っていない」と説明。「(県警は)米軍と協議を重ねて、関係者からの事情聴取やさまざまな情報収集に努めている」とした。

                    ◇

読めば読むほど奇怪な記事だ。

事件の検証を現場で行うシーンはテレビでもよく見るが、それを国会で行う不可解さはさておくとしても、

県警と米軍では事件発生日に1日の違いがあったはずだ。

県警の主張を米軍が「理解した」というのなら当然米軍の最終報告書が間違っているわけで、直ちに報告書を書き変えるのが筋だろう。

更に不思議なことに、米軍が「流弾は第三者が細工した」として米軍の関与を否定していたわけだから、それを翻して「県警の主張=米軍犯人説」を認めたのなら、

沖縄タイムスは号外はともかく、一面と社会面のトップで大きく報道しているはずだが、報道されたのは二面の政治面である。 

通常だったら社説やコラムもこの「朗報」を見逃すはずはないが、これもない。

目立たない「政治面」で報道したことが事件の政治決着を暗示する。

米軍が県警の主張を認めたのなら「卑劣な米軍に抗議する県民大会」を開催するのがいつものパターンではなかったのか。

県警が米側に要請していた基地内への立ち入り調査について、西村審議官は「米側の同意が得られていない。現在まで実現に至っていない」と説明

基地内に立ち入り出来ないのが調査の妨げになっているような印象操作記事だが、

事件は民間住宅街で起きており、県警が調査するまでもなく沖縄タイムスの機動力を持ってすれば簡単に聞き取り調査できる極めて単純な事件だ。

何もここでわざわざ基地内に立ち入り調査するほどの事件ではない。

琉球新報を読むと謎は更に深まる。

県警の主張は認めながら、「発生日変更求めず」?

琉球新報

伊芸被弾事件、発生日変更求めずl2009年5月23日
 【東京】2008年12月、金武町伊芸区の住宅地で発生した民間乗用車のナンバープレートへの被弾事件で、事件発生日時に関し米軍と沖縄県警察で認識が異なっている件について、警察庁の西村泰彦長官官房審議官は22日、衆院外務委員会で「発生日時について米軍は4月中旬の協議の場などにおいて、県警察が12月10日である旨を説明し、米軍側の理解を得たものと承知している」と述べ、これまで日本側が主張する事件発生日を否定していた米側の姿勢に変化が生じていることを明らかにした。
 赤嶺政賢氏(共産)の「事件の発生日に関し、米軍は認識を改めたのか」との質問に答えた。
 米側が11日を事件発生日とする当初の主張を撤回した場合、米軍と被弾事故とは無関係とした米軍の3月の最終報告書の信ぴょう性が問われることになる。
 委員会での質問に先立ち、警察庁から説明を受けた赤嶺氏によると、4月中旬に行われた県警と米捜査当局との協議で日本側が事件発生日を12月10日と説明した際、従来の協議では「10日発生説」に異論を唱えていた米軍が同日は反論しなかった。
 発生日について米側の姿勢に変化が生じているものの、22日の衆院外務委で中曽根弘文外相は「現時点で米側に調査結果の見直しを求めることは考えていない。引き続き日本側への捜査への協力を要請していく」と述べるにとどめた
 県警によると、9日と10日には発見現場に隣接する米軍キャンプ・ハンセン内で、被弾事件と同型の実弾を使った射撃訓練が実施されており、被害者の聞き取り調査などを基に10日が発生日だとしている。米側はこれまで、事件発生日は11日とし、3月に発表した最終報告書でも米軍と被弾事件は無関係としている。

                   

さすがに新報は「米軍基地への立ち入り調査云々」は報じていないが、国会で追及したのは沖縄県選出の共産党・赤嶺議員。

米軍と被弾事故とは無関係とした米軍の3月の最終報告書の信ぴょう性が問われることになる」というのなら、もっと大騒ぎして米軍の最終報告書の訂正まで追及すべきではないのか。 少なくとも「しんぶん赤旗」に「米軍の捏造報告書」くらいの記事が出るのが通常だが、今回は赤嶺議員が国会で追及したことさえ報じていない。

沖縄タイムス、琉球新報は昨日の記事で自分が点けた火を消火したつもりなのか。

以後沈黙を守るつもりならとんだ考え違いである。

事件のあった日は県警の主張と米軍の主張どちらが正しいのか、はっきり読者に知らせる義務がある。

ん?

国会で「県警の主張を米軍が理解した」って?

だったら、米軍の最終報告書を捏造報告書だとして、訂正するまで大キャンぺーンをする責任があるだろう。

それでもダメなら「抗議の県議会決議」⇒「抗議の県民大会」といった一連の得意技があるではないか。

関連エントリー:

 どんなことがあっても、真相を突き止めるよ!金武被弾事件

金武被弾事件一覧、 琉球新報記事

 

沖縄タイムス、琉球新報の記事は不可解だと思う方、

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◆田母神沖縄講演会告知⇒前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

 

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コメント (2)

前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

2009-05-23 07:01:22 | 未分類

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来る5月30日に開催の田母神沖縄講演会まで残すところ一週間になりました。 改めて同講演会のご案内です。

 

    前航空幕僚長田母神俊雄氏 沖縄講演会

「大東亜戦争が終わりを告げてから、60年以上もの歳月が流れました。戦争によって犠牲となられた方々に、あらためて哀悼の意を表します。同時に、戦死された方々のおかげで私たちの今日があることに深く感謝の意を表します。
沖縄を含め日本は戦後、人類が歴史上経験したことのない占領政策を受けました。戦争に負けた日本は、自分たちの歴史観を奪われ、戦勝国の歴史を強制的に押し付けられてしまいました。自虐史観に基づいた日本の歴史教育は、国民から自信と希望を失わせていくものでしかありません。日本は、かつて戦勝国から奪われた歴史観を取り戻し、かつて我が国がもっていた誇りを取り戻すべきです。」
(『田母神塾-これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)より抜粋)

                    *

昨年10月、民間の懸賞論文へ応募した作品が日本の過去の侵略行為を正当化する内容で政府見解と対立するものであったとして航空幕僚長を更迭され、空将として定年退職した田母神俊雄氏がいよいよ沖縄にやってきます。論文の意図したものは何だったのか。今、日本にとって何が必要なのか。将来の日本と日本人はどうあるべきなのか。前航空幕僚長の田母神俊雄氏が沖縄県民の皆様に直接語りかけます。
ご多忙とは存じますが、県民の皆様方には万障お繰り合わせの上、多数ご参加くださいますようお願い申し上げます。          

演 題 『日本は本当に侵略国家だったのか』
    ~日本の歴史をもう一度見直そう~
【日 時】平成21年5月30日(土)        
              午前11時30分受付 正午開会~午後2時閉会
【会 場】パシフィックホテル沖縄 万座の間
                   那覇市西3丁目6番1号  電話 098(868)5162
【会 費】1000円
【主 催】田母神俊雄講演会を歓迎する沖縄実行委員会
【連絡先】沖縄実行委員会 担当 錦古里
              電話:090-9780-7272  FAX:098 (868) 3037



★懇親会(14:30~16:30)

講師を囲んで食事を含めた懇親会を行います。
お時間の許す限り、お気軽にご参加ください。

【会場】 パシフィックホテル沖縄

【会費】 5000円 (80名限定)

※懇親会に参加ご希望の方はご予約頂ければ幸いです。

 

                                                  *

           

一時講演会は左翼妨害にあったり、「県民感情」に怯える自衛隊OBたちの反対もあって一時頓挫しかかったが、熱心な実行委員の努力で何とか開催にこぎつけた経緯があります。

告知活動にも嫌がらせがあるようで、その実態を次のブログが紹介しています。

左翼の正体は、言論弾圧団体だ! 沖縄を守ろう!

沖縄の新聞の言論封殺は当日記でも再三書いてきたが、一民間人になった田母神さんの講演会は全国いたるところで大盛況と聞く。

沖縄だけで講演会が妨害されるのは沖縄の恥である。

是非とも成功させるようご協力お願いします。

 

                            ◆

昨年まで怒涛のように続いていたイデオロギー塗れの「集団自決裁判」の被告側応援本の出版も一段落ついたところ、

今年になって「集団自決の真実」を検証する 中身の濃い本が次々出版され始めた。 

これまで筆者(狼魔人)のように沖縄県人でありながら、『鉄の暴風』や『沖縄ノート』を徹底的に批判することは被告応援団にとって信じられないのか、筆者のことを「沖縄を植民地にする目的で沖縄に棲息するヤマトンチュ」であるとか、或いは「ウチナンチュの裏切り者」とかはたまた「沖縄の敵」とか、吹き出しそうなカキコミや幼稚な罵詈雑言をウチナンチュと称する複数の人物から受けた。 元々郷土沖縄を愛し、地元の若者を応援するつもりで開始したつもりの当日記が「沖縄の敵」呼ばわりされるとは、一ブロガーとして身に余る呼称と恐れ入ってしまう。

理詰めでなく論理のすり替えや口汚く罵る手法は彼らの得意技なのでまともに相手にはしないが、筆者のような無名の1ブロガーならともかく、今回の星、上原両氏のように沖縄の知名士お二人が『鉄の暴風』や『沖縄ノート』を公然と批判し始めたのだが、沖縄左翼の方々はこのご両人のことも「エセ沖縄人のヤマトンチュ」或いは「沖縄の敵」と呼ぶのだろうか(爆)。  

 何しろ彼らの論理で行けば、

沖縄人ならすべからく『鉄の暴風』と『沖縄ノート』は神聖にして犯すべからざる聖書であるべし」というのだから。  

 あぁ、恐ろしきかな、沖縄を覆う同調圧力の恐怖! 

ブルブル。               

ところで、今朝の沖縄タイムスに地元大手書店・BOOKSきょうはんが『うらそえ文藝』の広告を出している。 

内容紹介は沖縄タイムスに遠慮してか、小さな文字で「対談;集団自決について」とだけ書かれているが、

同書店のHPによると『うらそえ文藝』は数ある沖縄本の中で現在8位のベストセラーらしい。

【おまけ】

昨日のエントリーで『うらそえ文藝』に触れたブログを紹介したが、こんなものがあったのを忘れていた。(笑)

コメント欄がオモシロッ! ↓

「沖縄集団自決裁判」騒動から遠く離れて…。

早く読まないとコメント欄削除のおそれあり!


 

★イデオロギー塗れの「集団自決本」を一気に粉砕する

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コメント (5)

ノーベル賞作家への配慮が裁判官を萎縮させた!秦郁彦氏

2009-05-22 07:28:37 | ★集団自決

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沖縄タイムス 2009年05月21日 コラム  [大弦小弦]

 SMAPの木村拓哉さんが検事に扮する映画「HERO」で、天秤を手にした目隠しの像が何度か出てくる▼司法・裁判の公正さを象徴する「正義の女神」である。右手には社会の悪徳から守る「剣」を持ち、左手には善悪を測る「天秤」。目隠しは、貧富や姿形など、予断から判断が曇るのを避けるとの意味が込められているという▼裁判が神の審判とされた古代や中世では、目隠しはなかった。目隠しをするようになったのは「法の平等」の概念が生まれた近世以降という。神に代わり、「人」が「人」を裁くには、目の前の物事に惑わされない理性が必要ということらしい▼目を閉じて考えてみる。殺害された幼い被害者がいる。残された遺族の悲しみがある。それを天秤の片方に載せ、それに見合う罰をもう片方に載せていく。その時、「許せない」という感情を理性で抑えることができるだろうか▼無実を訴える被告がいる。物的証拠も乏しい。判断を誤れば、被告の人生は大きく狂ってしまうかもしれない。自分ならどう判断するか。人を裁くことがいかに難しいのかをあらためて思う▼市民が司法参加する裁判員制度がきょうから始まる。裁判官とともに、市民が目の前の生身の人間を裁かねばならない。「女神」の精神を胸に誓うも、不安、迷いも消えない。(稲嶺幸弘)

                  ◇

裁判員制度導入についてのコラムで沖縄タイムスがキクムタクを導入に使っているので、これに対抗するわけではないが、当日記が男の中の男ケンさんをまくらにつかって同じく裁判の秤に触れてエントリーしたことを想い出した。

その「大江健三郎のいかがわしさ」から一部抜粋引用する。

<♪義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい 男の世界♪(映画『網走番外地』主題歌)

・・・と高倉健は唄った。

人権と表現の自由を秤にかけた、大阪高裁の小田裁判長は、

「表現の自由」が重いと裁決した!

                                              *

人権配慮にかまびすしい昨今のマスコミ世論の中で、大阪高裁の判決は人権尊重には後ろ向きともとれる判決である。

裁判長が、人権より表現の自由に重きをおいた理由は、原告と被告の社会的バックボーンにある。

人権を主張した原告の一人は高齢の元軍人である。

一方、表現の自由を主張する被告は、戦後民主主義を代表する大手出版社とノーベル賞作家。 

表現の自由を主張する被告が、そのものずばりの表現・言論の自由を体現する出版社と作家であれば、

裁判長の秤の目盛りが被告側に傾くのも、むべなるかなである。

更に原告の元軍人はかなりのご高齢。

裁判長の判断に、

「被告の表現の自由を守るためには、高齢の元軍人に少しぐらいの人権侵害はあっても、老い先短いのだから我慢せよ!」

といった驕りが潜んではいなかったか。

被告側から「判決の何処にそんなことが書かれてあるか!」と横やり飛んで来そうだが、

判決文には、こう書かれている。

仮に後から出た資料で誤りとみなされる主張も、言論のばにおいて無価値なものとはいえない。 これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものである

間違った主張でも寛容になれ、つまり「我慢せよ」と書いてあるではないか。

確かに「老い先短いのだから」とは書かれてない。

だが小田裁判長の心の中で、「被告のノーベル賞の重さと原告の短い老い先」が、天秤に掛かっていなかったと誰が否定できよう。>

                                                *

タイムスコラムは裁判官が原告、被告両者の貧富や社会的地位などで判決に予断が入る危険性を次のように表現している。

>目隠しは、貧富や姿形など、予断から判断が曇るのを避けるとの意味が込められているという

だが、大阪高裁の裁判長は被告大江健三郎のノーベル賞の虚名と岩波書店の「戦後民主主義の発信者」としてのブランドに慄いて判断の目を狂わした。

近現代史の専門家秦郁彦さんは著書『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』で次のように大阪高裁判決を批判している。

「傍論」だらけの高裁判決

(略)

一番気になった説示を次に引用したい。

《このような歴史的事実の認定は・・・・本来、歴史研究の課題であって、多くの専門家によるそれぞれの歴史認識に基づく様々な見解が学問の場において論議され、研究され蓄積されて言論の場に提供されていくべきものである。
司法にこれを求め、仮にも「有権的な」判断を求めるとすれば、いささか場違いなことであるといわざるを得ない。(124ページ)》

前半は高邁な民主主義の理念を高所から説いているかのようで、「御説ごもっとも」と相槌を打つしかない。 だが、他の説示と合わせ読むと、後半は半世紀以上も昔の歴史的事件は歴史家同士の学術論争に任せればよいのに、裁判所へ持ち込むな、原告のような元軍人(公務員》の場合は特にそうだ、とたしなめているようにとれる。
「放置しておけば足りる程度」(織田判決、276ページ)とか「司法的救済を求めることが遅滞した」(深見判決、100ページ)といった説示は、同じ流れから派生した「傍論」(暴論?)かもしれない。
しかし、刑法はわざわざ1章(第34章名誉に対する罪)を設け、「公然と事実をて摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以上の懲役・・・」(第230条)と既定している。 本件は民事訴訟であるが、原告(座間味島守備の梅澤裕少佐と渡嘉敷島守備の故赤松嘉次少佐の実弟)の名誉権と人格権を侵害したとして、『沖縄ノート』等の出版差し止め、謝罪広告、慰謝料の支払いを請求している。 しかも、この種の名誉毀損訴訟の事例は珍しくないというより、しばしば起きていると言ってよい。
裁判所は争点をピンポイントに絞り、法や判例に依拠した明快な判断を示すべきで、こんなことに関わりたくないと逃げ腰を見せるべきではあるまい
。 第一審判決も似た例はあったが、第二審の小田判決には他にも「傍論」がいくつかあり、法理にそぐわぬレトリックや非常識な説示が少なくない。 具体例はあとで取り上げることにして、大方の専門家の間で原告勝訴と予想された本件訴訟が、なぜか敗訴してしまった理由を関係者や事情通に聞いてみた。 意見はさまざまだが、つぎのような三説に集約できそうである。

1.ノーベル賞作家への配慮

ノーベル賞の受賞が最高のブランドとしてもてはやされるのは、先進国で日本だけだろう。 特に文学賞は100年間に二人(川端康成、大江)しかいないだけに、希少価値も加わり、半ば神格化している感もある。 実態は玉石混交(私見では『沖縄ノート』は石に属す)であるにせよ、その大江の著作を発行差し止めににすれば内外の大反発を招き、「文化・芸術の敵」呼ばわりされかねぬと裁判官が萎縮した。 その代償が、曽野綾子氏は「偏向したフィクション」の作家トランクづけされてさいまう。(略)

時系列的にいえば『うらそえ文藝』で星氏と上原氏が対談したとき(2008年12月27日)には『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』はまだ発行されておらず(2009年3月7日発行)、星氏が上記引用の秦さんの「ノーベル賞への配慮」のくだりを読む機会はない。

にもかかわらず星氏も大江を弁護する勢力が歴史論議は棚上げして、大江を批判する論者を「文化・芸術の敵」呼ばわりする大江狂信者の例を挙げ、ノーベル賞を論議に持ち出す愚さを批判している。

『うらそえ文藝』より再度引用。

近年来、この問題を論評する人たちが、大江健三郎を尊敬するあまりその問題の論文の中には、芥川賞を受賞した初期作品をずっと大江作品を愛読してきたとか、ノーベル賞作家云々の決まり文句添えて書いていたが、あれは逆効果だったし、説得力を弱めていた。

冒頭の沖縄タイムスのコラムに戻る。

大阪高裁の小田裁判長は、被告大江の社会的名声と岩波書店のブランドに幻惑され、ことの真偽を計る「天秤」の目盛りを読み違えてしまった。

そして裁判官本来の仕事である「争点をピンポイントに絞り、法や判例に依拠した明快な判断を示す」ことから逃避した。

裁判官が予断をそぎ落とし、刑法第34章(名誉に対する罪)の第230条「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以上の懲役・・・」を粛々と適用すれば万に一つも被告が勝訴するとは考え難い。

 

 

「浦添文藝」の衝撃はネット上を駆け巡っているようだ。

ザッと拾っただけでこんなブログがあった。

浦添文藝

「対談 集団自決をめぐって」(『うらそえ文藝』第14号)

うらそえ文芸第14号2009年が面白い!

 

東京発信でこんなのも(爆)。

うらそえ文藝発刊されたらしいが、 (05/16)

「うらそえ文藝」4月30日刊行 (04/17)

沖縄棲息ブロガーのつまみ食い

 

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所


 

 

 

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琉球新報の言論検閲を上原氏が暴露!うらそえ文藝の衝撃!

2009-05-20 15:57:11 | ★集団自決

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『うらそえ文藝』の対談引用の最終回です。

上原:当時の新聞記者も全部、敵はアメリカ、イギリスであって鬼畜米英思想があった。 そうじゃないと生きてはいけない時代ですから、所詮、沖縄の人は年寄りも子どもも皆天皇陛下のために死ぬのはなんでもないわけですから、だから自分の愛している子どもを殺すことができるわけです。 死んでもあの世で会えるという思いだったから、おまけにみんなの考えは、統一されていた・・・。 別な形で現在も通用してますよね。

: そうですね。現在でもある意味では統制されているわけですですからね。

上原: もう完全に右も左も統制です。 僕は琉球新報のM記者たちに『パンドラの箱・・・』の掲載をストップさせられた。怒鳴りつけてやった。 「君らは表現の自由を知っているか」ってね。 しかし動じる様子もなかった。 連載は2007年4月から4ヶ月も中断した。 

:社の方針に反するということだろうね。それはまたその人たちも統制の枠の中にいるってことが、意識してないかもしれない。

上原: 彼らはまず沖縄の知識人、自分たちは文化人だと思い込んでいるんですよ。 それで自分たちの発言や行動はすべて正しいと思っているのわけです。

: 正しいかどうかは何十年か何百年経たないと分からない。

上原: いつも彼らは正しいと思っている。 だから、僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。 これは新報の編集方針に反するからといってね。 
僕は2回にわたって4人組の記者から吊るしあげられ、連載を中止させられた。 1番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社をバックに空威張りしたのにすぎない。
 彼らも統制のオリの中にいるのですよ。 

星: あってはならないことだが、記者は往々にして個人の感情で誤った記事の扱い方をすることがある。 

上原: 僕は沖縄を徹底的に批判もしますけれど、しかし、根底にあるものは、沖縄に生まれて沖縄から逃げられないと思っていますから、ウチナーンチュであることを意識しながら批判しているわけだけど、多くの記者はこういう姿勢をとらないわけです。 だから今新聞は結局反戦平和に隠れて、自分たちはいい子ぶっている格好。 鬼畜米英を叫んでいた戦前の新聞と何も変わりませんよ。 ただ向きが違っているだけ。

                   ◇

 信じられないことではあるが、沖縄では下記のような言論封殺が今でも日常茶飯事で行われている。

僕は琉球新報のM記者たちに『パンドラの箱・・・』の掲載をストップさせられた・・

僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。 これは新報の編集方針に反するからといってね。 
僕は2回にわたって4人組の記者から吊るしあげられ、連載を中止させられた。 1番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社をバックに空威張りしたのにすぎない。

その当時、筆者(狼魔人)は琉球新報を購読していたが、この読者を無視した卑劣な言論封殺事件を契機に琉球新報の購読を解約した。

読者には一言の説明もなく連載中の企画「パンドラの箱・・・」を、検閲・中止させた経緯は二年前のエントリーで詳述してある。

 ⇒琉球新報によって削除された「沖縄戦記」

⇒ 「集団自決」 「パンドラの箱」を閉じたのは琉球新報自身

中止後、新報社に何度か電話で問い合わせしたが「調整中」の一言だけで、再開のめどを訊いても「調整中」と答えるだけで、最後まで日頃叫ぶ説明責任を果たさなかった。

当日記は琉球新報に蟷螂の鎌よろしく定期的に次のようなエントリーをした。

⇒ 【再掲】琉球新報の言論封殺に抗議します

「11万人集会」も無事?終了した後、琉球新報は今度も何の説明もないまま、そっと連載記事を再開したが、内容は掲載予定の「慶良間島の集団自決」を飛び越えて、米軍の本島上陸後の統治状況になっていた。

再開された上原正稔氏の特集  パンドラの箱は開くか?

 

あってはならないことだが、記者は往々にして個人の感情で誤った記事の扱い方をすることがある。

>今新聞は結局反戦平和に隠れて、自分たちはいい子ぶっている格好。

彼らは、反戦平和の大義名分を掲げさえすれば事実を歪曲しても許されるという傲慢な態度で記事を書くが、それを読まされる読者こそとんだ大迷惑な話である。

内容盛りだくさんの星・上原両氏の対談は外にも沖縄タイムスの「語られたくない秘密」にも触れているが、後は同誌を読んでいただくとして、対談の引用は一応これで終了する。

昨日のエントリーでも述べたが,琉球新報と沖縄タイムスは新聞として最も恥ずべきことをして読者を愚弄したことをお二人に暴露されても依然として沈黙を守っている。

だが、時代は刻々変化している。 既にネット上には「うらそえ文藝の衝撃」をエントリーするブログが出始めている。

蟻の一穴が巨大ダムに亀裂を入れ、やがては強大な水圧に耐えかねてダムも決壊すると書いた。

今、沖縄二紙が構築した集団自決の「軍命という虚構」が、民意という水圧に耐えかねて崩壊寸前にある。

民意は次に挙げる「集団自決本三点セット」によって、日増しにに水圧を強くしている。

 

「集団自決本三点セット」

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秦 郁彦
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新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』 ◆沈黙は卑劣

2009-05-20 10:27:15 | ★集団自決
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雄弁は銀、沈黙は金

雄弁は大事であるが、沈黙すべき時やその効果を心得ているのはさらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。

ことわざ大辞典 小学館

                   *

沈黙は卑劣

この諺の意味は沈黙の方が物事の説明において雄弁に勝る場合があるということだが、

沈黙によって人びとの記憶が薄れるのを待つ卑劣な新聞がある。

今沖縄のマスコミがひたすら沈黙を守っていることが二つ。

一つは金武村の「米軍流弾事件」。 沖縄二紙が沈黙を守って以来既に一か月以上経過している。⇒どんなことがあっても、真相を突き止めるよ!金武被弾事件

そしてもう一つ。

地元の知名士二人が『うらそえ文藝』で告発した「集団自決の真相」。

同誌発売以来既に一週間以上経過しているが沖縄二紙は依然として沈黙を守っている。

沖縄二紙は読者が求める情報を、自身に不都合な場合は沈黙でこれに答えてきた。

だが、ネットの普及した現在、読者はこの沖縄紙の卑劣な沈黙作戦が、銀や銅どころか鉄、いや、それも錆びた鉄となって己の本体を腐食、崩壊させることに気がつくべきだ。

新聞にとって沈黙は卑劣である。

                   *

 

「集団自決」論争で被告側を応援する出版物は,原告側応援のそれに比べて圧倒的数量をほこり、さながら60数年前沖縄を襲った米軍の『鉄の暴風』のように各書店のコーナーを我が物顔に占拠している。

だが、今年になって「集団自決」の軍の命令は無かったと論証する本が毎月のように発刊され始めた。

その数こそこれまでの被告側応援本に比べてまだ劣るが、その中身の濃密さにおいて一騎当千の破壊力を有する本ばかりである。

★先ず3月に入って、これが出版された。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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筆者(狼魔人)も同書の第五章の執筆を担当させてもらいました。

五章では、戦後の噂話を面白おかしく書いた『鉄の暴風』の発端ともなった当時の座間味村助役山城安次郎氏のガセネタ売込みに焦点を当てた。

「赤松の暴状」や「梅澤の不名誉な死」というガセネタを沖縄タイムスに売り込んだ山城氏の不可解な行動が全ての発端だった。

氏の戦後と、そのガセネタを何の検証もなく書き綴った素人記者太田良博氏に焦点を当て、沖縄タイムスの犯した大罪を検証した。

そう、戦後の「集団自決の悲劇」は、山城氏が沖縄タイムスにガセネタを持ち込んだことから全てが始まったのです。

山城氏自分が体験していない渡嘉敷島の「赤松の暴状」を太田記者に訴え、自分が体験した座間味村に関しては「梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮慰安婦らしきもの二人と不明死した」(『鉄の暴風』初版に掲載)と個人の名誉を毀損するようなガセネタを売り込んでいた。

是非ともご一読をお願いします。

同書を自由主義史観研究会が紹介しているので、以下に全文引用させていただきました。(太字強調は引用者)

                   ◆

新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』

自由主義史観研究会会報編集部
 

◆法廷外言論戦の開始

実証的な歴史学者である秦郁彦氏が、言論戦の口火を切った。

秦氏は、本書の中で、大阪高裁の判決文のうち「いちばん気になった」のは、「このような歴史的事実の認定は……本来、歴史研究の課題であって、多くの専門家によるそれぞれの歴史認識に基づく様々な見解が学問の場において論議され、研究され蓄積されて言論の場に提供されていくものである。司法にこれを求め、かりにも『有権的な』判断を期待するとすれば、いささか、場違いなことであるといわざるを得ない」という箇所だったと述べている。

確かに、司法に歴史論争の決着を委ねるのは、今回の一件をみても危険だ。秦氏は、右の判決文に対して、「御説ごもっとも」と皮肉混じりに記しているが、そのようなことは、氏には百も承知であり、それゆえ本書を「学問の場」を通じて「言論の場」に提供されたのである。

今、法廷外における言論戦を展開しなければ、大江・岩波側、「軍命令説」論者の活発な署名活動やメディア戦術、小学生を使った寸劇パフォーマンスなどが、歴史論争の雌雄を決することになりかねない。ノーベル賞の権威や犠牲者への同情心理を利用した反軍イデオロギーに弓引けない司法への異議申し立て第1弾が本書となる。


◆沖縄戦研究者の転向と狼狽

秦氏は早くからこの問題に関心を寄せ、自著『現代史の虚実?沖縄大江裁判・靖国・慰安婦・南京・フェミニズム』(文藝春秋社 2007年)のなかでも、こう記している。

〈風向きが変わったのは『ある神話の背景』(1973年)が出現してからである。…曽野説を受け入れ、あっさり転向する人がいないではなかったが、地元の沖縄では既定の政治路線にしがみついたり、1957年から始まった援護法の打ち切りを懸念してか、どっちつかずの書き方を工夫するなど対応ぶりは分かれた

歴史学者として、もっとも避けるべきは史料批判から得た結論以外の何かーそれは「イデオロギー」であったり、「(同調)圧力」であったり、金銭的な得失であったりーによって、史実を曲げることである。史料精査を旨としてきた秦氏には、そうした日和見主義者を黙って見過ごすことはできなかった。

秦氏は本書で、歴史学者にとって最も恥ずべき醜態を晒した人物を暴露している。これは歴史学者の名誉を守るため、歴史学者にあらざる「転向」者を断罪する必要があったからである

特に、林博史関東学院大教授に対しては、処女作が「盗作」であったこと、そのもみ消しに至る学界の馴れ合いにまで踏み込んだ。  ここで、沖縄戦集団自決に関する林説を、いまいちど記しておこう。

《「「自決」を主導したのは村の幹部や校長ら学校の教師たちと見られる。村のなかの有力者であり、軍に協力して軍と一体化していた層である。島民にとっては「当時の役場の職員といったら、とても怖い存在でしたので、絶対服従」の存在…」(「集団自決の再検討」 『歴史評論』 1992年)

「(渡嘉敷島の)犠牲者は329人と言われている。赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる。これが一体どこからでてきたのかわからないが、自決せよという「軍命令」が語られ、それを受け入れるような精神状態が作り出されていた……」(『沖縄戦と民衆』大月書店 2001年)》

実は、林教授はこうした至極真っ当な説を述べていた。それゆえに、文科省教科書検定官は、林著『沖縄戦と民衆』を根拠に、「近年沖縄戦に関する研究者の著書等で隊長の命令の存在は必ずしも明らかでないとするものも出てきており、その後、これを否定する研究者の著書等も見られない」として、2007年3月の検定意見を付したのである。

しかし、林教授は自著が「軍命令否定」のもとになったと知るや狼狽し、「血相を変えて、あちこちで抗弁に乗り出し」(280頁)、文科省に対しても、「貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して抗議したい」「怒りを通りこしてあきれてしまう」と、逆ギレしてみせた。こうした人びとは他にも大勢いる。


◆日本政府・軍の「大方針」は玉砕ではない

高裁判決ですら《「軍官民共生共死」の大方針》などといい、当時のスローガン用語と方針・命令を峻別せずに使っている。

秦氏は、八原高級参謀の手記や、米軍に入手された「南西諸島警備要領(英文)」から、日本政府・軍の方針が「非戦闘員の疎開・避難」であったことを強調する。

疎開を拒んだ住民に戦火が迫ったとき、八原高級参謀は「目をつむって敵手に委せるほかない」と判断したことを挙げ、「捕虜絶対禁止」命令などなかったと述べる。しかし、当時のマスコミや村の空気もあって、「軍・官」の大方針である疎開に応じなかった非戦闘員は、最終的に、斬込みか、自決か、被爆死、敵軍への投降の道、いずれかを選んでしまった。

米軍の統計によれば、日本軍人・軍属の捕虜は1万人強、民間人の降伏者は28万5000人、一方、集団自決死者は1000人に満たない。1000人の生命を軽んじるわけではないが、仮に彼らが言うような「玉砕」が軍の命令・方針であったというならば、両者の割合は逆転しなければおかしい。


◆宮平証言の今後

本書には、集団自決前後の様子を詳細に述べた宮平秀幸陳述書全文と、藤岡信勝本会代表による解説も掲載されている。藤岡代表は、宮平証言の核心のひとつである「村長の解散命令」の裏付けを取るために、当時、忠魂碑付近にいた村民から証言を聞き取り、史料の発掘や調査を続けている。

また、宮平氏やその他の住民の証言から、村の幹部らが、どのように「玉砕」を決意・計画し、推進していったか、といった問題も徐々に再現されつつあるという。

誤解なきようにいえば、その作業は、決して村幹部を「悪玉」に仕立て上げようとするものではない。村長や助役らは、村と住民を思い、その責任感から玉砕を推進したという面もあるのだ。

だからといって、援護法適用のために「便宜上」軍命令と詐称したままの歴史が、後世に残ってしまうのを拱手しているわけにはいかない。今後も法廷外の言論戦は、公正な学問の場において続いていく。

                   ◆

★4月にはこれが出版された。↓

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★ そして5月にはこれ。↓

 

 

 

この三点セットをご購読いただいたら、沖縄戦の「集団自決」に軍の命令も強制も無かったということがよくわかり、『鉄の暴風』や『沖縄ノート』がデタラメなウソ塗れの本であることがよくわかる。

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新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』 ◆沈黙は卑劣

2009-05-20 10:27:15 | ★集団自決
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 『雄弁は銀、沈黙は金』 (Speech is silver, Silence is golden.)

雄弁は大事であるが、沈黙すべき時やその効果を心得ているのはさらに大事である。沈黙を守るほうがすぐれた弁舌よりも効果的である場合のあることをいう。イギリスの思想家・歴史家、トーマス・カーライルの「衣装哲学」に見えることば。

故事俗信 ことわざ大辞典 小学館

                   *

■沈黙は卑劣■

この諺の意味は沈黙の方が物事の説明において雄弁に勝る場合があるということだが、

沈黙によって人びとの記憶が薄れるのを待つ卑劣な新聞がある。

今沖縄のマスコミがひたすら沈黙を守っていることが二つ。

一つは金武村の「米軍流弾事件」。 沖縄二紙が沈黙を守って以来既に一か月以上経過している。⇒どんなことがあっても、真相を突き止めるよ!金武被弾事件

そしてもう一つ。

地元の知名士二人が『うらそえ文藝』で告発した「集団自決の真相」。

同誌発売以来既に一週間以上経過しているが沖縄二紙は依然として沈黙を守っている。

沖縄二紙は読者が求める情報を、自身に不都合な場合は沈黙でこれに答えてきた。

だが、ネットの普及した現在、読者はこの沖縄紙の卑劣な沈黙作戦が、銀や銅どころか鉄、いや、それも錆びた鉄となって己の本体を腐食、崩壊させることに気がつくべきだ。

新聞にとって沈黙は卑劣である。

                   *

 

「集団自決」論争で被告側を応援する出版物は,原告側応援のそれに比べて圧倒的数量をほこり、さながら60数年前沖縄を襲った米軍の『鉄の暴風』のように各書店のコーナーを我が物顔に占拠している。

だが、今年になって「集団自決」の軍の命令は無かったと論証する本が毎月のように発刊され始めた。

その数こそこれまでの被告側応援本に比べてまだ劣るが、その中身の濃密さにおいて一騎当千の破壊力を有する本ばかりである。

★先ず3月に入って、これが出版された。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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筆者(狼魔人)も同書の第五章の執筆を担当させてもらいました。

五章では、戦後の噂話を面白おかしく書いた『鉄の暴風』の発端ともなった当時の座間味村助役山城安次郎氏のガセネタ売込みに焦点を当てた。

「赤松の暴状」や「梅澤の不名誉な死」というガセネタを沖縄タイムスに売り込んだ山城氏の不可解な行動が全ての発端だった。

氏の戦後と、そのガセネタを何の検証もなく書き綴った素人記者太田良博氏に焦点を当て、沖縄タイムスの犯した大罪を検証した。

そう、戦後の「集団自決の悲劇」は、山城氏が沖縄タイムスにガセネタを持ち込んだことから全てが始まったのです。

山城氏自分が体験していない渡嘉敷島の「赤松の暴状」を太田記者に訴え、自分が体験した座間味村に関しては「梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮慰安婦らしきもの二人と不明死した」(『鉄の暴風』初版に掲載)と個人の名誉を毀損するようなガセネタを売り込んでいた。

是非ともご一読をお願いします。

同書を自由主義史観研究会が紹介しているので、以下に全文引用させていただきました。(太字強調は引用者)

                   ◆

新刊紹介:秦郁彦編『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』

自由主義史観研究会会報編集部
 

◆法廷外言論戦の開始

実証的な歴史学者である秦郁彦氏が、言論戦の口火を切った。

秦氏は、本書の中で、大阪高裁の判決文のうち「いちばん気になった」のは、「このような歴史的事実の認定は……本来、歴史研究の課題であって、多くの専門家によるそれぞれの歴史認識に基づく様々な見解が学問の場において論議され、研究され蓄積されて言論の場に提供されていくものである。司法にこれを求め、かりにも『有権的な』判断を期待するとすれば、いささか、場違いなことであるといわざるを得ない」という箇所だったと述べている。

確かに、司法に歴史論争の決着を委ねるのは、今回の一件をみても危険だ。秦氏は、右の判決文に対して、「御説ごもっとも」と皮肉混じりに記しているが、そのようなことは、氏には百も承知であり、それゆえ本書を「学問の場」を通じて「言論の場」に提供されたのである。

今、法廷外における言論戦を展開しなければ、大江・岩波側、「軍命令説」論者の活発な署名活動やメディア戦術、小学生を使った寸劇パフォーマンスなどが、歴史論争の雌雄を決することになりかねない。ノーベル賞の権威や犠牲者への同情心理を利用した反軍イデオロギーに弓引けない司法への異議申し立て第1弾が本書となる。


◆沖縄戦研究者の転向と狼狽

秦氏は早くからこの問題に関心を寄せ、自著『現代史の虚実?沖縄大江裁判・靖国・慰安婦・南京・フェミニズム』(文藝春秋社 2007年)のなかでも、こう記している。

〈風向きが変わったのは『ある神話の背景』(1973年)が出現してからである。…曽野説を受け入れ、あっさり転向する人がいないではなかったが、地元の沖縄では既定の政治路線にしがみついたり、1957年から始まった援護法の打ち切りを懸念してか、どっちつかずの書き方を工夫するなど対応ぶりは分かれた

歴史学者として、もっとも避けるべきは史料批判から得た結論以外の何かーそれは「イデオロギー」であったり、「(同調)圧力」であったり、金銭的な得失であったりーによって、史実を曲げることである。史料精査を旨としてきた秦氏には、そうした日和見主義者を黙って見過ごすことはできなかった。

秦氏は本書で、歴史学者にとって最も恥ずべき醜態を晒した人物を暴露している。これは歴史学者の名誉を守るため、歴史学者にあらざる「転向」者を断罪する必要があったからである

特に、林博史関東学院大教授に対しては、処女作が「盗作」であったこと、そのもみ消しに至る学界の馴れ合いにまで踏み込んだ。  ここで、沖縄戦集団自決に関する林説を、いまいちど記しておこう。

《「「自決」を主導したのは村の幹部や校長ら学校の教師たちと見られる。村のなかの有力者であり、軍に協力して軍と一体化していた層である。島民にとっては「当時の役場の職員といったら、とても怖い存在でしたので、絶対服従」の存在…」(「集団自決の再検討」 『歴史評論』 1992年)

「(渡嘉敷島の)犠牲者は329人と言われている。赤松隊長から自決せよという形の自決命令は出されていないと考えられる。これが一体どこからでてきたのかわからないが、自決せよという「軍命令」が語られ、それを受け入れるような精神状態が作り出されていた……」(『沖縄戦と民衆』大月書店 2001年)》

実は、林教授はこうした至極真っ当な説を述べていた。それゆえに、文科省教科書検定官は、林著『沖縄戦と民衆』を根拠に、「近年沖縄戦に関する研究者の著書等で隊長の命令の存在は必ずしも明らかでないとするものも出てきており、その後、これを否定する研究者の著書等も見られない」として、2007年3月の検定意見を付したのである。

しかし、林教授は自著が「軍命令否定」のもとになったと知るや狼狽し、「血相を変えて、あちこちで抗弁に乗り出し」(280頁)、文科省に対しても、「貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して抗議したい」「怒りを通りこしてあきれてしまう」と、逆ギレしてみせた。こうした人びとは他にも大勢いる。


◆日本政府・軍の「大方針」は玉砕ではない

高裁判決ですら《「軍官民共生共死」の大方針》などといい、当時のスローガン用語と方針・命令を峻別せずに使っている。

秦氏は、八原高級参謀の手記や、米軍に入手された「南西諸島警備要領(英文)」から、日本政府・軍の方針が「非戦闘員の疎開・避難」であったことを強調する。

疎開を拒んだ住民に戦火が迫ったとき、八原高級参謀は「目をつむって敵手に委せるほかない」と判断したことを挙げ、「捕虜絶対禁止」命令などなかったと述べる。しかし、当時のマスコミや村の空気もあって、「軍・官」の大方針である疎開に応じなかった非戦闘員は、最終的に、斬込みか、自決か、被爆死、敵軍への投降の道、いずれかを選んでしまった。

米軍の統計によれば、日本軍人・軍属の捕虜は1万人強、民間人の降伏者は28万5000人、一方、集団自決死者は1000人に満たない。1000人の生命を軽んじるわけではないが、仮に彼らが言うような「玉砕」が軍の命令・方針であったというならば、両者の割合は逆転しなければおかしい。


◆宮平証言の今後

本書には、集団自決前後の様子を詳細に述べた宮平秀幸陳述書全文と、藤岡信勝本会代表による解説も掲載されている。藤岡代表は、宮平証言の核心のひとつである「村長の解散命令」の裏付けを取るために、当時、忠魂碑付近にいた村民から証言を聞き取り、史料の発掘や調査を続けている。

また、宮平氏やその他の住民の証言から、村の幹部らが、どのように「玉砕」を決意・計画し、推進していったか、といった問題も徐々に再現されつつあるという。

誤解なきようにいえば、その作業は、決して村幹部を「悪玉」に仕立て上げようとするものではない。村長や助役らは、村と住民を思い、その責任感から玉砕を推進したという面もあるのだ。

だからといって、援護法適用のために「便宜上」軍命令と詐称したままの歴史が、後世に残ってしまうのを拱手しているわけにはいかない。今後も法廷外の言論戦は、公正な学問の場において続いていく。

                   ◆

★4月にはこれが出版された。↓

あばかれた「神話」の正体
鴨野 守
祥伝社

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★ そして5月にはこれ。↓

『うらそえ文藝』(2009年号)

 

この三点セットをご購読いただいたら、沖縄戦の「集団自決」に軍の命令も強制も無かったということがよくわかり、『鉄の暴風』や『沖縄ノート』がデタラメなウソ塗れの本であることがよくわかる。

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コメント (4)

沖縄タイムスは腹を切って詫びよ!星雅彦氏と上原正稔氏の対談

2009-05-19 06:48:04 | ★集団自決

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『うらそえ文藝』より星雅彦氏と上原正稔氏の対談を引き続き引用する。

赤松隊長に対する知念さんの話はぼくも40年ほど前に、会って聞きました。 あの時点で聞いた内容では、嘘はないと思ったな。

上原:1971年の『潮』に200人の証言が全部出ていますよ。 その中に赤松さんの「自決命令は出していない」という手記もあります。 また、大学生の娘さんから「お父さんはどうして村の人たちの命を助けなかったの」と責められる場面があったが、今でも胸が痛くなります。

:私もあの雑誌に書いていますけど、あれは、ノンフィクションにも受け取れるだろうし、どっちつかずで、右と左の両者に都合よく利用されたみたいですね。 しかし、それ以前に、新聞のコラムに隊長命令には疑問があるという意味のことを書いています。 そのことで、曽野綾子さんは私に訊きに来たことがある。後で、わかったことだが、前後して、牧港篤三さんもいろいろ質問を受けたようです。 
それから2年ほど経って『ある神話の背景』が世に出て話題になる。 私は別に曽野ファンでも何でもないけれど、彼女は作家たましいとでもいうべきか異常なくらい真相究明に熱中していたし、また大江健三郎に対する一種の敵愾心のようなものもあったようだ。 だだもう一つ、近年来、この問題を論評する人たちが、大江健三郎を尊敬するあまりその問題の論文の中には、芥川賞を受賞した初期作品をずっと大江作品を愛読してきたとか、ノーベル賞作家云々の決まり文句添えて書いていたが、あれは逆効果だったし、説得力を弱めていた。

上原:言っておきますけれど、僕は大江文学というものを全く読んでおりません。 思うに大江健三郎は、沖縄については多少の知識はあっても何も知りませんよ。 彼には幼稚園生程度の知識しかないのですよ。

集団自決の真相解明に関して「大江健三郎の文学的業績が曽野綾子のそれに勝るから、曽野綾子は大江の『沖縄ノート』を批判できない」といった幼稚な論旨で、曽野綾子氏を批判する「売れない評論家」のことは前に触れた。

大江文学を評価するから『沖縄ノート』は正しい。一方曽野文学を評価しないから『ある神話の背景』はおかしいといった子供じみた主張も論外だが、曽野批判の文ならなら何でもダボはぜのように食いつく琉球新報に新聞としての矜持は微塵もない。

この評論家センセの琉球新報掲載の論文?は内容を引用するのもバカバカしいのでタイトルのみを紹介して、その卓越したお笑いのセンスに脱帽した記憶がある。

上記対談の星氏の下記コメントはこのセンセのことと思われる。

近年来、この問題を論評する人たちが、大江健三郎を尊敬するあまりその問題の論文の中には、芥川賞を受賞した初期作品をずっと大江作品を愛読してきたとか、ノーベル賞作家云々の決まり文句添えて書いていたが、あれは逆効果だったし、説得力を弱めていた。

誤字を追及するセンセが自ら批判する曽野氏の本のタイトルや著者名を誤記し、最後のオチに「誤字を放置した」と結論付けるあたり、その秀逸な笑のセンスに思わずコーヒーを吹いたことを想い出した。

琉球新報の大失態!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

この評論家センセ、それ以後琉球新報にも見放されたのか紙上にその名を見ることはないが、

折角星氏もご指摘のようなので、その三回に渡る琉球新報論文の一回目を抜粋して紹介する。

例によって太字・赤字強調は引用者。

琉球新報・2008年2月25日掲載

大江岩波訴訟  

保守論壇を憂う  上 曽野綾子氏の「ある神話の景」 ・ 歴史記述は信用できず          
         
          山崎行太郎

   私は、先月、「月刊日本」という、どちらかと言えば日本の保守・右翼系のオピニオン雑誌に、「大江健三郎裁判」とも呼ばれる「沖縄集団自決裁判」をめぐって、「保守論壇の『沖縄集団自決裁判』騒動に異議あり!!!」という論文を発表し、保守論壇や保守思想家たちの勉強不足や思想的劣化現象を批判した。ここで、あらかじめ断っておくが、私は、政治思想的立場としては保守派・反左翼派に属する人間である。それにもかかわらず、私が大江健三郎を擁護し、保守論壇の面々を批判したのは、ノーベル賞作家・大江健三郎を被告席に引き摺り出し、大江氏の業績や人格を冒涜することだけを目的としたかのような、この「沖縄集団自決裁判」に、同じく文学の世界に生きる者として、あるいはかつて高校生の頃、「大江文学」の愛読者であり、「大江文学」の影響で文学や思想の道へ進むことを決断したという「大江健三郎体験」を持つ者として、何か許しがたいような、「不純なもの」を感じたからである。
 (略) 

私見によれば、曽野氏の『ある神話の背景』の歴史記述には、大江氏が「罪の巨塊」(モノ)と書いたものを、 「罪の巨魁」 (ヒト)と「誤読」し、 「誤記」したという例や、取材対象の赤松隊長側が提供し、改竄された可能性が高い文献「陣中日誌」を全面的に採用したり、赤松氏を批判する文献や証言者達を激しく批判する一方で、赤松氏や赤松隊員、あるいは赤松隊と最後まで行動を共にした「巡査」や「女子青年団長」の証言を無批判的に鵜呑みにするなどの例が示すように、学問的にも実証的にも欠陥や矛盾が多すぎて歴史資料としての価値は薄く、「沖縄集団自決裁判」の論拠となるべき文献としても信用できない。(略)


 

琉球新報・2008年2月26日   
      
保守論壇を憂う 中 

氏の「現地取材万能主義」 ・ 客観性無視し結論ありき   
  
(本文略)

 

琉球新報・2008年2月27日

保守論壇を憂う 下  

誤字・誤読を放置 ・ 思想的劣化は明らか

(本文略) 

                                               ◇

■事件は現場で起きている!会議室で起きているんじゃない!■

太田良博記者は、現場に一度も足を踏み入れることなく噂のみで『鉄の暴雨風』を書き上げた。

大江健三郎氏は、その『鉄の暴風』を鵜呑みにして『沖縄ノート』を書いた。 氏は何度も沖縄を訪問しながらも太田記者に倣ってか自身も現場には一度も足を踏み入れなかった。 

「評論家」センセは、現場を知らない大江氏を狂信的に擁護するわけだから、曽野氏が『ある神話の背景』を著した時に取った現地聞き取りの手法を『氏の「現地取材万能主義」 客観性無視し結論ありき』と、イヌの遠吠えをするしか批判の術を知らないのだろう。

センセにはかつて大ヒットしたドラマ『踊る大捜査線』でも見てもらうしかないだろう。 織田裕二扮する湾岸署の青島刑事は現場も知らず会議室で偉そうに御託を並べる頭でっかちの上司にこう言い放った。

事件は現場で起きているのだ!会議室で起きるものではない!」


さらに「売れない評論家」センセの「誤字論」は幻だとしても、「誤読論」は正しいという熱心な信者や弟子がいる。

大江氏の「誤読論」がいかに恥知らずかは、ここを読めば分かる。

「屁理屈ジャンケン」

さて、大江教狂信者の話でつい脱線したが、再度星氏と上原氏の対談に戻る。

■沖縄タイムスは腹をを切って詫びよ!■

星:日本も憲法で保障されているはずだが、自由な意見をいうと、右翼的発言をするなどと、すぐ規制される。

上原:ところが、勝手に自主規制というのがあって、今の沖縄の新聞は自分達に都合の悪いことは載せないわけですよ。 

星:載せない。 編集方針が偏っていると言えるだろう。

上原:こんなことでは沖縄の新聞の未来は全くない。 もう沖縄の新聞の良心は地に落ちたといってもいいじゃないかと思っています。

星:だからね、もちろん左翼の思想も尊重すべきものもあるけど、右翼の思想の中にもいろいろ傾聴に値するものがあるようだし、そういう理論かもいる。左翼と右翼の間にはいろんな反目があるとしても、この裁判の問題は、結局は争点が隊長命令の有無だけではなくなって、だんだん広がっていって、当時の戦前の空気を捉えて、全体の軍国主義の空気を現在に置き換えて、現在の視点で批判しているわけですね。 すると、政治的な運動になっていて、究極的には裁判の勝敗だけを問題にしているふしがある。

上原:3年前に岩波の(世界)の編集長が僕に会いたいと言ってきたのですけど、会えなかったんで、手紙を書きましたよ。 その中で言ったことは、裁判ではこの問題については何の決着も得られないだろうと。 真実は明かされない。 しかし、どんなことがあっても人の道を踏み外してはいけないということを

僕は間接的に言って、自分の本当の意見は言いませんでした。けれども、赤松さんと梅澤さんに対して、人間として対処するようにという手紙を書いたのですよ。 しかし、今問題になっているのは、岩波も大江さんも自分達を正当化するために、赤松と梅澤たちが命令したことにしているわけです。 でも完全な間違いなんだよね。 本当は裁判があってもなくても、きちんと誤るべきですよ。 そして『沖縄ノート』も書き替えるべきですよ。 それから『鉄の暴風』、これは何度頭を下げて謝ってもたりないですよ、本当はね。 昔の表現にすれば、腹を切らんといかんということですよ

:超党派的に、新聞社の良心が望まれている。 しかし、新聞社はどんなことがあっても謝罪しないし、一筋縄ではいかない。

大江健三郎氏も岩波書店も己の正当性を示すため人間の道を踏みはずし、遂に獣道(けものみち)へ迷い込んでしまった。

その両者を獣道に迷い込ませた沖縄タイムスは腹を切って詫びても足らないと上原氏。

沖縄に住んで文筆で生きるお二人が、これほど激しい調子で沖縄タイムスや岩波書店を糾弾するのはよっぽど彼らのデタラメさに確信があり、かつ真相究明に対する不退転の覚悟があるからであろう。

対談はまだ続く・・・。

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦

 

 

     

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