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仲井真県知事は29日の県議会の答弁で「慰安婦」「虐殺」表記問題に関し、さらに一歩踏み込んで「書かないのは常識」と、自信満々に復活拒否の態度を示した。
当たり前の話である。
沖縄タイムスは例によって識者を登場させ、復活は当然だという印象操作の特集を組んで読者を誤誘導しようと必死の様子。
「慰安婦問題」の基本を下記の対談記事でおさらいしてほしいのだが・・・・。
それにしても「ひめゆり学徒隊にも従軍慰安婦はいた」と主張する高嶋伸欣琉球大学名誉教授の妄言には言葉を失う。
どこまで英霊を冒涜すれば気がすむのか。(怒)
左翼の皆様、自分のオバーが侮辱されるのを黙ってみているのですか。
Monthly WiLL
(マンスリー・ウィル)
2007年08月緊急増刊号
「従軍慰安婦」と断固、戦小林よしのりVS上坂冬子
小林よしのり氏と上坂冬子氏の対談です。
安倍の "追加黙認"になる
- 小林
- そもそも「従軍慰安婦」などという言葉自体がなかったんです。<
- 上坂
- 私もついうっかり使ってしまうけど、従軍というのはまちがいですね。
- 小林
- 千田夏光が一九七三年に書いた『従軍慰安婦 正編』(三一書房)で「従軍慰安婦」という造語を使ったのが最初なんですよ。造語が一人歩きして一般化してしまった。
- 編集部
- 括弧でくくったり、「いわゆる」とつけたりしているんですけどね。
- 小林
- この問題を論ずるときに、通りがいいから、つい使ってしまうんですよね。
- 上坂
- 日本は昭和二十八年に戦犯を法務死としたから、以後「戦犯」は存在しないわけだけど、この言葉を使わないで靖国問題を論じようとすると難しいから、つい使ってしまうのと同じですね。
それに比べるとアメリカはうまかった。戦後、進駐軍のために作った慰安施設は「RAA(Recreation and AmusementAssociation)」、直訳すると「レクリエーション及び娯楽協会」だもの。 - 編集部
- そのくせ、マイク・ホンダが提出した対日非難決議で日本軍の慰安婦のことは「セックス・スレイブ(性奴隷)」なんてどぎつい表現をつかっています。
- 小林
- 「アメリカの下院決議など年間百件くらい通っているし、法的拘束力もない から騒がない方がいい」と言う人がいます。麻生外相なんて「相手にすることは ない、がはは」なんて笑っていますが、とんでもない。麻生さんは北方領土二分 割案など、どうもその場の合理性だけで簡単にものを言う傾向があるんですよ。しかし決議案の中身は河野談話を上回る「女性を性奴隷にした」という史上最大の冤罪であり、すでに向こうのマスコミでも日本を糾弾していてカナダにまで飛び火しているじゃないですか。
今回の下院決議を黙認するということは、「河野談話+安倍首相の追加黙認」に なる。単なる「河野談話の継承」だけではなく、安倍総理は性奴隷をも認めたと いうことになる。河野以上の国賊になってしまうんです。 - 上坂
- さすがにあの河野さんも「性奴隷とした」とまでは言っていませんものね。
- 小林
- そうです。河野談話を超えた「安倍追加黙認」が「性奴隷」です。
わしは、安倍総理がこの問題を受けて「狭義の強制はなかった」と発言した時点で、「これは危ない」と思ったんですよ。
そもそも「狭義の強制」「広義の強制」という言葉を作ったのは朝日新聞や吉見 義明(中央大学教授)なんです。彼らが作ったトリックワードなんですよ。 要するに、「狭義の強制」というのは軍による強制連行を指し、「広義の強制」というのは軍の関与を指している。「広義の強制はあった」となれば、どんな関 与であったのかはともかく「強制性はあった」と印象づけられる。まさにトリッ クワードです。
はじめは吉田清治の証言に基づいて「慰安婦狩りをやった」ということだけだっ た。「人攫いをやったかどうか」というところが争点だったわけです。 - 上坂
- ところが吉田本人は「嘘でした」って全面的に謝ったのよね。
- 小林
- 秦郁彦さんやソウル大学の教授が済州島で調査を行ったのですが、かえっ て、強制連行の事実はなかったことを証明することになってしまった。
そこで朝日新聞と吉見は「まずい、強制連行の事実がないぞ」と焦りだしたんで す。その時に「狭義の強制」「広義の強制」という言葉を作った。 - 上坂
- 朝日と吉見教授の造語を、安倍首相がそのまま使ったとは知らなかった。
いい関与はあった
- 小林
- そうなんです。軍の関与という意味では、「いい関与」はあったんですよ。
- 上坂
- 性病などの衛生面の管理や、賃金の支払いなどの制度をきちんと定めたの よね。いわば慰安婦の立場を守るための「関与」。
- 小林
- それを「いい関与はしたんだ」と言う勇気がないんです。それで「広義の強制」なんて言ってしまう。すると「やはり強制はあったんだ」となる。
- 編集部
- われわれにだってわかりづらいんだから、アメリカ人に分かるわけがな い。
- 小林
- だからわしは知り合いの松山政司参議院議員にメールを送った。安倍総理に「狭義の強制」なんて言葉を使わず、「性奴隷」という言葉を否定するべきだ と言ってもらおうと思って。
世耕内閣補佐官までは直接届けたらしいんですが、そのときはすでに問題を黙認するという方針を決めたあとだったのか、無視されてしまいました。結局は事を荒立てないようにという「事なかれ主義」で片付けてしまった。 - 上坂
- 本来は河野洋平さんが出てきて「私が談話を発表したばっかりにこんなこ とになりました。慰安婦の方々のお話を聞いて同情はしたが、調査を重ねた結果 、『強制性』に関する根拠はありませんでした。
こういう結果が出た以上、私の談話は取り消します」と言えば済むことなのよ。 - 小林
- それが言えれば河野洋平の評価も少しは上がると思う。
- 上坂
- 国家のためを思うなら事実無根と言えないはずがない。
- 小林
- しかしこの男は言わないんだろうな。国賊とまで言われても、未だに撤回しない。旧日本軍に対する差別感があり、戦後平和主義どっぷりなんでしょう。
基本的にこの人は「カタカナサヨク」という部分がある。
バンコクで行われたASEAN会議に参加する際に、悪天候で飛行機が台湾に緊 急着陸したときも、飛行機から一歩も外へ出なかったような人間ですから。 - 上坂
- それを台湾に踏み込まなかったとして、わざわざ中国側に伝えたと噂され ている(笑)。そういう人に衆院議長をやってもらってちゃ困る。
- 小林
- そんなヤツばっかりなんですよ。加藤紘一、山崎拓、福島瑞穂、辻元清美……。
事実がどうであれ、過去の日本はとにかく断罪してしまって、戦後平和主義で歩いてきたってことだけを強調しておけば世界との外交はうまく行く、と単純にそ れしか考えていない。 - 上坂
- 国会議員として一生母国を断罪しつづけるつもりなのかしら。
現実主義というまやかし
- 小林
- しかもそれを「現実主義」だと思っている。自民党のある政治家が産経新 聞の記者に「小林よしのりは思想をやっているんだからそれでいい。しかし政治 家は現実主義でしか動けない」といったそうです。
- 上坂
- その発言は分からんでもない。私たちと違って政治家は、事実と世論の妥 協点を、実務として見つけなきゃならないでしょうから。 先日、キッシンジャーさんの話を聞きに行ったのですが、「自分はハーバード大 学の教授をやって、そのあと国務大臣もやったけれど、学者と大臣では、同一人 物でも発言が違う」と言っていました。なるほど、と思ったわ。
- 小林
- しかし、果たして現状の政治は「現実主義」なんでしょうか。たとえば河 野談話は当時韓国から「補償はもういらない。今後問題にはしないからとにかく謝ってくれないか」と言われて、彼らの言うところの「現実主義」的に考えて出したものです。 要するに「現実主義」ではなくて「事なかれ主義」だから、国益を損なう結果に なるんです。この状況にあれば、もう韓国との間にどんな密約があったのかをア メリカ側に説明するしかないんですよ。でも言わない。安倍首相は政治は結果責 任だと言いますが、負の効果を生む「現実主義」でいいのですか?
- 編集部
- 河野談話が出てからもう十四年もたっています。
- 小林
- そのまま放置した結果、今になってもっと謝罪して、もっと補償をしなけ ればならない状況になっている。ついにはアメリカの議会から糾弾されるまでに なってしまった。
これが現実主義ですか。現実主義だというのなら、せめて結果をいい方向へ持っ ていってくれと言いたい。どんどん悪い結果へ持っていくのは現実主義ではない。事なかれ主義が今の政治家のイデオロギーなんです。
同情心に惑わされ
- 上坂
- すでに終わった話を十四年もたってから掘り起こされて、相変わらず手を こまねいているなんて。
- 小林
- みんな「慰安婦に同情するいい人」だと思われたいんでしょうか。しかし政治家なら一時期悪人のレッテルを貼られることくらい覚悟してもらいたいもの です。
- 上坂
- ホント、私も悪人待望論!
- 小林
- 知日派といわれるマイケル・グリーン(前国家安全保障会議上級アジア部 長)は「慰安婦が強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関 心はない。問題は慰安婦たちが悲惨な目にあったということであり、永田町の政 治家たちはこの基本的な事実を忘れている」と言っていますが、これは十年前の左翼の言い方と同じなんですよ。「ここに泣いているおばあさんがいるじゃない か」と。「いますよ、そりゃあ」って言うしかない(笑)。
- 上坂
- 沖縄の集団自決も同じ構図ですね。
- 小林
- 集団自決の語り部さんたちがイメージを喚起するように証言する。それは それは壮絶なんです。お互いの子供の首を絞めたり、刃物でクビを掻っ切ったり、手榴弾で爆死して肉片が飛び散った、というような、思わず耳をふさぎたくな るような情景なんですよ。それをテレビで流すんです。
話を聞かされた若い女子アナなんかは何も知らないから絶句してしまう。そして「悲惨なことがあった、日本軍の責任なんだ」となってしまう。脳がしびれちゃ うんですね。そして直接的な強制はなくても、「皇民化教育、軍国主義が悪い」となる。
時代の空気を知れ
- 上坂
- これは時代の空気を知らなければ解釈できません。 慰安婦にしても集団自決にしても、今の平和な状況で考えれば「自分からそんな ことをするはずがない」と思うでしょう。でも「兵隊さんのためなら」と慰安婦になり、「米兵に犯されるよりは潔く死にたい」と自決することは当時の日本女 性としては無理なく考えたでしょうね。
- 小林
- とくに沖縄は近代国家から後れを取っていて、本土からの差別もあり、早く日本人になりたい、ならねばいけないと思っていた。だから余計に意識が強か ったんです。
- 上坂
- 非難を覚悟して言うけれど、ひめゆり部隊だって、当時の死生観から言え ば、ある意味で幸せだったかもしれません。
- 小林
- 先日、「報道2001」に出ていた高嶋伸欣琉球大学教授は「ひめゆり部 隊が慰安婦になっていたことがある」と発言したことがあるんですよ。全くの嘘 話なのに、ひめゆり部隊の語り部さんたちは抗議の声を上げないんです。結局、 反戦平和側の人間だから、仲間割れすれば右派・保守派を利すると考えたんでし ょう。これには腹が立ちました。「ひめゆり部隊」の名誉をしっかり守れ、と言いたい。
- 上坂
- 私がこんな説教がましいことを言うのも、この歳になったからであって、 当時の空気を知る世代がいなくなれば、言ったもん勝ちになって、嘘の証言が事 実として通ってしまう。だから私は生きているうちに声を大にして言っておきた いのよ。
- 小林
- サイパンのバンザイクリフだって、米兵が押し寄せてきてどんな目に遭わ されるか分からないから、次々に身を投げた。当時の日本人のモラルの感覚、貞 操観念は今とは全く違います。
- 上坂
- アンタ、五十二歳なのに正確に想像してるわね。年齢に関係なく本気で考えた人には、当時の空気がわかるってわけね。 小林 『戦争論』を書いたときも、当時の時代の空気を知っている人に確認を取っ ていました。当時の兵隊さんに意見を聞いて、確信を深めて、「自分はまちがっ たことを書いていない」と自信を持つんです。そういえば十年前、初めて上坂さんとお会いしたときも「従軍慰安婦」をテーマ に対談したんでしたね。その時に「私だって、あのころ成人していたら、兵隊さ んのためにお役に立とうと思ったかも」とおっしゃっていた。
- 上坂
- そうそう、そうだったわね。今、そんなこと言うと「上坂冬子は慰安婦志 願」なんて書かれちゃうから言わなかったけれど、小林さんにはつい気を許して(笑)。
- 小林
- そのときも「若いのによく分かってるわねぇ」って言われたんですよ(笑 )。
慰安婦の半分が男!?
- 上坂
- それで思い出したけれど、以前、新潟で予定されていた私の講演が直前で断られたことがあったんです。社会党と共産党の力が強かった頃でした。その抗 議文には「上坂冬子という人は、従軍慰安婦に同情すらしない悪いやつだ」と書いてあった。何をさしているのかと考えたら、私が「朝鮮半島の女性も差別する ことなく慰安婦として雇った」と書いたことに抗議していたようです。 昭和十三年一月の記録として、中国で彼女らの身体検査をした婦人科医が「慰安 婦の内訳は半島女性が八十名、内地女性が二十名」と書き残しています(『上海より上海へ』麻生徹男)。それを吉見さんたちが「半島女性の方が圧倒的に多か った」と書いた。それに対して「たまたま一度の記録がそうだったからといって、拡大されては困る」と、父と同じ婦人科医の娘さんが抗議しています。
- 小林
- 慰安婦は全体では日本人女性のほうが圧倒的に多かったんですよね。
- 上坂
- それなのに、日本人女性で補償を求めてきた人は一人もいない。韓国の人は声高に求めてきたけれど、彼女らの思い出話を鵜呑みにするのもオカシな話で す。 宮沢喜一さんは彼女たちの話をまとめた報告書を読んで涙をこぼしたそうですね。紙芝居を見て泣くのはいいけど、思い出話で泣きながら国の方針を決められち ゃ困る。
- 編集部
- 韓国の女性だって、吉田清治が本を書き、朝日が書き立てるまでは補償なんて求めてこなかった。
- 上坂
- アジア女性基金なんてものを作ったでしょ。インドネシアで「日本が補償 金を出すと言っているから、慰安婦だった人は申し出なさい」と言ったら、二万 人が名乗り出たそうです。その半分は男だったって(笑)。 一同 ええっ(笑)。
- 上坂
- 駐インドネシア日本大使館で聞いたから確かな情報です。結局、インドネ シアとは話し合いの末、個人補償をやめて一括三億八千万円を女性の自立に役立てるという名目で政府に渡しています。
- 小林
- とくに韓国では慰安婦は差別され、蔑視されます。ところが反日的行動を とれば愛国者として認められる国ですから、嘘の証言でもなんでもする。
ないといったら袋叩き
- 上坂
- とにかく、是非はどうであれ、日韓併合後に日本と朝鮮半島は一体化しま した。だから朝鮮の女性も慰安婦にしたわけで、彼女らを締め出していれば差別じゃありませんか。これを口にしたら、私は「女性の敵だ」ということになって(笑)。
- 小林
- 上坂さんみたいな強い女性なら言えるんですけどね(笑)。 「新しい歴史教科書を作る会」を立ち上げ「従軍慰安婦」を問題にしたとき、阿 川佐和子さんと林真理子さんも賛同してくれたんですが、記者会見のときに二人は来なかった。その後連絡があって、賛同者から外してくれと言われ、わしが徐 々に目立たぬようにフェードアウトさせました。当時は女性がこの問題にかかわ ると、仕事を失いかねないような状況だったんです。普通の女性なら耐えられな いでしょう。 十年ほど前のことですが、わしがはじめて「ゴーマニズム宣言」で慰安婦問題を書き始めた時も、福岡から四十三もの市民団体が「連載をやめろ」と抗議してき ました。その連中とはテレビでも五対一で対決しましたよ。
- 上坂
- えらいわねぇ。くたびれもうけだから私だったら、行かないわよ(笑)。
- 小林
- ひどい目に遭ったんですから(笑)。読者もどんどん離れていきました。 国内だけではありません。『台湾論』の中で二・二八事件のことなどと一緒に台 湾の慰安婦について、許文龍さんとの会話で「強制連行はなかった」と書いたん です。中国語に翻訳されて台湾で発刊されたんですが、猛反発を浴びて焚書され る有様でした。わしの顔写真が焼かれたり、連日大きく報道されたんですよ。
- 上坂
- 許文龍さんは商売第一の人で、信念でペアを組む相手じゃない(笑)。
- 小林
- しまいには台湾のブラックリストに載せられて入国禁止にまでなりました よ。
慰安婦問題に関しては欧米のメディアまでどんどんやってきて、「日本の右翼だ」「ネオナチだ」と書き立てられて、まるでわしが強姦魔かと言わんばかりの報 道でした。ストレスで髪が抜けてしまうかと思いましたよ(笑)。
白人ジャーナリストから何度もインタビューを受けました。記者クラブでは個人 対集団になってしまうので、取材には個別に応じていたのですが、とにかく最初からとんでもないほどの偏見なんです。「小林よしのりなんて、どうせネオナチ みたいなやつだろう」と。
しかしわしが理論的に完全に論破してしまうと、相手は屈辱感を感じるだけなん です。バカにしていたやつに言い負かされるわけですから。悔し紛れに顔を真っ赤にして帰っていって、むこうで目茶苦茶な記事を書く。ドイツ人なんて特にひ どかった(笑)。
ドイツ人は自分たちがナチスの末裔で世界最悪の民族だと思われたくないから、 日本人を自分たちのところまで引き摺り下ろそうと必死なんです。ヘンリク・ボルクというドイツ人記者も、わしと議論しているうちに負けて顔を真っ赤にして帰っていった。そして目茶苦茶な記事を書いたので、わしはドイツ の全新聞社に抗議文を送りましたよ。一通一通日本語で書いたものを翻訳しても らって。 - 上坂
- あら、えらいじゃない。政治家にもそれくらいの几帳面な度胸があればい いのだけど。
- 小林
- その頃はわしもカッカしている人間だったから、徹底的にやりました(笑 )。 返事をよこしたところもあったし、記事にしたところもありましたが、相手は最 終的には反論できないから逃げてしまうんですね。
親米派の思考停止
- 上坂
- 日本が軽く見られてるってことよね。今回のだって、マイク・ホンダなる人物が発端。どんなヤツかと思っていたら、〇七年五月号の『WiLL』の古森 義久さんの記事(40Pに転載)を見て、なるほどと思ったわ。中国系反日団体か ら資金を得ているんですね。からくりが分かりました。
- 小林
- そういう意味では中国を非難してもいいのかもしれないけれど、それより問題なのは、アメリカから発せられると、日本人も簡単に受け入れてしまうこと です。これが中国や韓国から発生したものなら、日本人も猛烈に反発していたで しょう。しかしアメリカ発だとなると「アメリカとの関係が悪くなるくらいなら国としての名誉を捨てよう」と言いかねない雰囲気がある。
- 上坂
- シーファー駐日大使が「日本が河野談話から後退していると米国内で受け とめられると、破壊的な影響がある」と発言したんですよね。
- 編集部
- シーファー大使にインタビューを申し込んだら断られました。「NO! 」だって(笑)。
- 小林
- 日米関係を持ち出されると、いわゆる親米派の人たちは震え上がってしま うんですよ。それを言われたらおしまい。完全に思考停止ですよ。脳がしびれち ゃうんですから(笑)。竹村健一にしても、「過去の悪いことは悪いことだった と認めた方がいい」なんて言っている。しかしそんなことで日米関係が壊れてしまうなんてことはありえないと思います よ。一時期は議会やマスコミで紛糾するかも知れませんが、事実を検証していけ ば「従軍慰安婦」の真偽は自ずと分かってしまうことですから、破壊的な状態に なるとは思えない。
- 上坂
- 駐日大使たるもの、あの段階で、慰安婦問題にクチバシを入れるべきじゃ ありません。私が大統領なら「立場を考えてものを言え」と叱りつけます。
次の十年が勝負
- 小林
- しっかり抗議すればいい話なんですけど、ブッシュと安倍総理が直接電話 会談したときには「河野談話は基本的に継承する、慰安婦の方々には同情してい る」と、それしか言わない。これでは河野談話以上の内容を追認していると取ら れてしまいます。こんなことを許していては、これから先の問題はすべてアメリカ発になりかねま せん。
- 編集部
- すでに「南京大虐殺」の映画も何本かアメリカ発で製作されています。
- 上坂
- あることないこと問題にされて、大人しくしているべきじゃない。 小林 「あることないこと」ならまだしも、「ないことないこと」なんですよ。捏 造でかぶせられたことがすべて日本の責任になってしまいます。
- 上坂
- でも十年ほど前なら私も小林さんも「従軍慰安婦はいなかった」なんて言ったら袋叩きだったけれど、少なくとも、この十年間でだいぶ状況は変わったわ ね。
- 小林
- そうですね。十年がかりで日本国民は変わることが出来たんです。今の政 治家、外務官僚も今から十年がかりで世界の世論を変えるくらいのつもりでやっ てもらいたい。
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>先日、「報道2001」に出ていた高嶋伸欣琉球大学教授は「ひめゆり部 隊が慰安婦になっていたことがある」と発言したことがあるんですよ。全くの嘘 話なのに、ひめゆり部隊の語り部さんたちは抗議の声を上げないんです。結局、 反戦平和側の人間だから、仲間割れすれば右派・保守派を利すると考えたんでし ょう。これには腹が立ちました。「ひめゆり部隊」の名誉をしっかり守れ、と言いたい。
この高嶋教授のデタラメ発言については、次回に触れたい。
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沖縄縄戦を記した出版物が、一般刊行物から公的刊行物にいたるまで、虚偽の記述にあふれている事を再三指摘してきた。
市中に出回っている雑多の出版物に記載してある証言より、公的刊行物にある証言の方が正しいと考える人は多い。
ところが一般的に信憑性があるといわれる公的刊行物が歪曲と捏造に満ちているというのだ。
沖縄戦を綴った公的出版物の編纂・監修に安仁屋沖国大教授やその弟子の宮城晴美氏といった被告側応援団が加わっており、意図的に証言を歪曲・捏造していた事実が判明しているのだ。
集団自決訴訟の第2弾ともいえる「パンドラの箱掲載拒否訴訟」では、公的刊行物を歪曲・編集した左翼学者の犯罪も白日の下に晒らされることになるだろう。
「残虐非道の日本兵」と「人道精神に満ちたアメリカ兵」というイデオロギーを強調するあまり、聞き取りした執筆者の主観で想像を交えた作文をした例は珍しくない。
だが、「日本兵」と「アメリカ兵」そのものを、意識的に入れ替えて「残虐非道な日本兵」を作り上げた例は前代未聞である。
証言者が「(残虐行為をしたのは)アメリカ兵」であると二度も念を押したにもかかわらず、元琉球新報の記者の取材者は、公的刊行物である『那覇市史』に「残虐非道の日本兵」として記録しているのだ。
ことほどさように沖縄で発刊されている沖縄戦史はすべて眉につばして読む必要がある。
*
沖縄県文化協会会長の星雅彦氏は、県の依頼を受けて県内の知識人として初めて、『鉄の暴風』の著者よりも早い時期に、集団自決の行われた座間味、渡嘉敷両村の現地取材をした人物である。
沖縄の文芸誌『うらそえ文藝』(15号)が、同誌編集長星雅彦氏の執筆による「『集団自決』 その真相を墓場まで」と題する論文でこの公的刊行物の捏造記事を紹介している。
例えば、次のような氏独特の婉曲な表現で、従来の沖縄戦史を批判し、集団自決の核心に迫っている。(引用文の太字強調は引用者)
《隊長命令や軍命の有無について考えてみる。 すると思い付くことは、根拠がないのに当然あるかのような形を示し得るスタイルで、うまく誤魔化している場合があるということだ。また根拠や理由は不明瞭でも当然起きた筈だと言うような、妥当性の範疇の推量でもって真実性を想像させ得る背景もある。 たとえば軍命令の有無が裁判で争点になっていようとも、その背景や根本問題に真摯にむきあっていると受け取られることによって、賛同が得られる場合もある。 そしてそれらの間隙に、「捏造」が挿入され得るのである。》
公的刊行物の記述に疑念を持った星氏は、その中から御存命の証言者を精力的に追跡調査し、改めてその証言を採録した。
そして公的刊行物と実際の証言との矛盾点を指摘している。 ほとんどの証言者が、自分の証言が捏造されている事実を知らないままに長年過ごしてきた。
そして今回の星氏の指摘によって初めてその事実を知ったというから驚きである。
本文中の「避難壕の自決とその謎」という章から例を挙げてみる。
《去年(2009年)12月中旬に、筆者は那覇市の繁多川図書館で同地在住の知念勇(76歳)からミー壕(新壕)にまつわる話を聴かせてもらった。 そのいろいろ含みのある話の中には驚くべき事実が隠されていた。》
このような書き出しで始まるこの章には、当時国民学校6年生であった知念勇さんが、学校の授業はほとんどない毎日を壕掘り狩り出された様子が記されている。
そして昭和19年のいわゆる10・10空襲の時、警察署員と住民が逃げ込んだ壕に日本軍の将校が現れ、この壕は軍が使用するから民間人は移動せよと命ぜられた話を次のように記している。
《将校たちが去ったあと、壕内は打ちひしがれたように悄然となったが、それでも住民たちの多くは、身の回りの品をまとめはじめた。 署長代理は「今出て行くと危険だから、様子を見てから署員の誘導に従ってください」と告げた。
数時間後にはミー壕から次々と住民は出て行き、民間人は具志堅夫婦とその息子の古康さんと勇さん(証言者・引用者注)と父親の五名が残った。(略)
突然、歩哨が駆け込んで来た。 とすぐ、那覇署員たちは移動し始めた。 その後、日本軍も間もなく撤退して出て行った。 米軍が押し寄せてくる予報があったのだろう。 小一時間後に、数人の米兵がどかどかと入ってきた。 彼らはすぐ合図しあって、具志堅古康さんと勇さんの父親を黙って引っぱって壕から外へ連れ出した。
一人の米兵は残って勇さんたちを見張っていたかと思うと、2、3分もたたぬうちにカービン銃の音がバラバラと外から聞こえた。 すぐに米兵が立ち去った後、少し間をおいて勇さんたちは父親たちを探しに外へ出た。 一面瓦礫の空間には人影らしきものは見当たらず誰もいなかった。 勇さんの父親は50歳くらいで一般住民の姿をしていたが、古康さんの父親は軍服を着ていたからまぎれもなく日本兵に見られたのだろう。 二人は抵抗しようとしたのか分からないが、何かトラブルで射殺されたに違いない。 連れていかれた二人はその後永久に姿を見せなかった。
・・・年老いた知念さんの話はここまでである。》
■日本兵と米兵を故意に入れ替える悪質な歴史捏造■
この面談の後、星氏は公的史料である『那覇市史」に掲載された知念さんの聞き取り調査の記述に明らかな作為的捏造部分を発見し、確認のため再度知念さんに面談することになる。
その驚きに満ちた経緯を上記文に続けてを星氏はこう記述している。
《ところが、筆者は『那覇市史 資料編弟3巻7』の中に「子どもと沖縄 繁多川の警察壕で」と題して知念勇さんの手記が載っているのを見つけた。 「《前略》父親はある日突然日本兵に連れ出された。 父親が連れ出された後、2、3発の銃声がしたが、父と共に連れ出された20歳くらいの青年と共に、再び壕には帰ってこなかった(後略)」(410頁)と記されている。 末尾に採話者「嘉手川重喜」とある。 筆者の知人であるがすでに鬼籍の人である。
後日、再び知念勇さんに会って確かめてみた。 「自分も不思議に思っている。なぜ、米兵に連れ出されたということを、取材する人に2度も3度も言ったのに、どうして日本兵に入れ替わったのだろう?」と本人はいぶかしがるのであった。》
この部分を読んだ時、星氏が昨年、雑誌『正論』12月号に寄稿した『「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった』と題する論文の次のくだりを、とっさに連想した。
沖縄戦の証言者がほとんど物故された現在、知念勇さんの例のようにご存命の方に証言を再確認して公的刊行物の意識的捏造を発見するのは奇跡に近い。
もし星氏の再調査が遅きに失し、不幸にして知念さんがなくなられていたら「知念さんの父親ら二人が、日本兵に壕から連れ出され射殺された」ということが、歴史の真実として刻まれることになる。
危うく沖縄タイムスが目論む「残虐非道な日本兵」の捏造の歴史に新たな頁が加わるところであった。
星氏はさらに、集団自決の史料として研究者なら一度は目を通したはずの『座間味村史』下巻の「村民の戦争体験記」を取り上げ、そこに記された20数名の体験記を「それらすべては伝聞であるが、隊長命令があったと記された証言が多い」として、各証言者の動きを検証している。 ここでその内容は省略するが、沖縄で集団自決を研究するに当たり異論を述べることが、いかに困難であるかを自分の経験を基に次のように述べて、論を結んでいる。
《ここで、沖縄の新聞を代表する世相を端的に言えば、沖縄では一般的に、二人の隊長の命令によって、集団自決が決行され、惨たらしく多数の住民が犠牲になったという見解だ。 それでは、もっともらしいが、よく考えると奇々怪々にさえ思えてくる。 今や軍命に意を唱えて探求すると、変人扱いされるか、他人の傷跡を暴く悪趣味に過ぎないと批判されるのだろう。 しかし沖縄戦の真実は、隠蔽されない限り、見えてこないのであろうし、そのような視線にこそ重要な意味があるような気がしてならない。(了)》
星氏は、沖縄で沖縄紙を代表する論壇に異論を唱えることは「変人扱い」と婉曲な表現に止めているが、昨年の5月に『うらしえ文芸』14号で沖縄タイムスと琉球新報を真っ向から批判して以来、それまで両紙から定期的にあった原稿依頼も全く途絶えたと聞く。 これは同時に沖縄二紙に反旗を翻した上原正稔氏についても同じことが言える。
全体主義の沖縄で軍命に異論を唱えるのは変人扱いされるに止まらず、文筆で糧を求める人にとっては死活に関わる大問題でもあるのだ。
集団自決といえば沖縄タイムスやサヨク出版社の高文研や岩波書店によって発刊された本しか読まない人々にとって、星氏の今回の論文は是非とも一読を薦めたい最新の「集団自決研究」の書である。
■安仁屋教授の歴史捏造■
《私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編纂所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録ー』の執筆のため、北谷村から南部・中部の集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。
あれは確か1970年の暮れのことだった。 私は県資料編纂所の職員のAとBの訪問を受けた。 Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れるのか」と詰問してきたのである。 取材は各区長の家に集まってもらい、これを記録するという形で行った。 取材は私一人ではなく資料編纂所の名嘉正八郎と一緒であった。
この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。 県資料編纂所のA職員は県史編纂時の検閲の役割りを担っていたことになる。
因みにAはマルクス主義で、一つのイデオロギーに全ての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を「悪」とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。 そこには日本軍部と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。 まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国の戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められているのである。(190~191頁)》
これについて筆者はA氏の正体を続々・星氏が『鉄の暴風』を批判!県資料編纂所職員の正体のなかで次のように暴露しておいた。
1970年の暮れに星氏を訪問し、氏が提出した原稿に「なぜ日本兵の善行など書き入れるのか」と詰問したマルクス主義者の県資料編纂所のA職員のことである。
ご本人の星氏は「A氏はまだ元気で沖縄で活躍されている方なので・・・」と実名を語るのを憚っておられるが、沖縄は狭いところで調べればすぐ正体はばれるもの。
1970年当時に県資料編纂所の職員であり、しかもこのような過激な発言で星氏に詰問する人物は自ずと限られてくる。
安仁屋政昭沖国大名誉教授は、沖国大の前は1967年から5年間、沖縄県資料編纂所の職員であり、そのマルクス主義的発言は現在も衰えてはいない。
なお、安仁屋教授は「集団自決」訴訟の被告側応援団の理論的中心人物であり、宮城晴美氏の恩師であることは夙に知られたことである。
その後、星氏が聞き取りした「日本兵の善行」は、安仁屋氏により「沖縄県史」から削除された。
◇
昨日29日の沖縄タイムスで、在日コリヤンと思われる青山学院大学非常勤講師が、「削除された『慰安婦』『虐殺』という特集でだい32軍壕の掲示板の削除に反論の論文を書いている。
ないようはお得意の摩り替え論に終始しているのでまともにお付き合いするのは勘弁して欲しいのだが、何より驚くのはそのもう一つの肩書きである。
しれがこれ。
「名護市史編さん委員会専門委員」
名護市は今上陛下に火炎瓶を投げた極左議員を選任するに止まらず、自国の歴史を歪曲捏造する反日外国人に歴史の編さんを委ねるつもりなのか。
名護市は日本の市であることを自ら放棄するつもりなのか。
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