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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

罠にかかった小林よしのり 護送船団方式の沖縄論壇

2021-06-30 07:41:44 | ★改定版集団自決

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罠にかかった小林よしのり 護送船団方式の沖縄論壇2009-07-18

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所



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琉球新報の紙面を土俵にした論争である。

小林よしのり氏の「沖縄は言論封殺の島だ」という沖縄紙批判に対し、作家の目取真俊氏が、激しく反論した。

曰く、「新聞社側の編集権」だの「掲載に耐える内容がないから」だのと的外れの議論だ。

このお方、沖縄にお住まいだというのに沖縄の新聞の実情には疎いようだ。

いや、疎いはずはない。極左に凝り固まった赤い脳ミソが思考停止に陥っているのだろう。

沖縄は「活字のある所にサヨク在り」と言われている。

沖縄2紙は目取真氏のような極左作家にとっては極めて住み心地のよい言論の場所カも知れない。

だが、目取真氏を批判する人にとっての沖縄は、これほど住み心地の悪い所も類稀である。

沖縄紙の一読者として二紙を購読してきた筆者が見るに、沖縄論壇は目取真氏がいうような甘いものではない。

例えば目取真氏が縷々弁明する小林よしのり氏との琉球新報紙上の論争が好例だ。

論争の土俵であるべき琉球新報が目取真氏を援護しているし、小林氏には反論のチャンスを与えないまま、別のサヨク学者に大きな紙面を提供して、数を頼んで(三回連載)小林叩きをしている。 

そこには「編集権」とか「反論権」等を通り越して、新聞が首謀した「護送船団方式」による小林氏の言論封殺としか読者の目には映らなかった

「護送船団方式」とは目取真氏のようなサヨク論者を沖縄紙が援護しながら、一見公平を装って反対論者と討論させる。

しかし、結果的には数を頼んで袋叩きにする卑劣な討論方式のことである。

そのときの状況は「罠にかかた小林よしのり」という見出しで、雑誌『WILL』に寄稿した。

記事では新聞社を中心にした「護送船団方式」による卑劣な異論封じ込めを「沖縄イニシアティブ方式」として説明した。 

『WILL』の記事も引用してある過去ブログの抜粋を以下に再掲する。

目取真氏が主張する沖縄紙の「編集権」や「反論権」がいかに見せ掛けだけの噴飯物であるかは『WILL』記事の引用部分を読めば一目瞭然である。

                   ◆

小林よしのりvs佐藤優の大戦争!罠にかかった小林よしのり

佐藤優氏は「護憲」、「沖縄の血」、「沖縄独立」といった沖縄紙が喜ぶようなキーワードで沖縄紙に擦り寄って、「集団自決訴訟」では「手榴弾で自決したのだから隊長命令がないはずはない」と沖縄紙に尻尾を振って見せている。
 
おまけに中央文壇で売れっ子のラスプーチン先生とあれば、沖縄紙が、泣いて喜んで紙面を望みどおり提供する。
 
沖縄紙は自分と異なる意見には編集権云々で言論封殺しておきながら、同じ意見であれば、内容を検証することなく無節操に紙面を提供する。
 
これは沖縄紙の特質をモロに表した大爆笑劇である。

琉球新報の大失態!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

 
沖縄紙は偏向しておらず、むしろ公平である」という佐藤氏の意見は、沖縄紙に対する不勉強か、さもなくば佐藤氏独特の「相手に近づくためには無節操に揉み手をする「インテリジェンス・ポリシィ」と揶揄されてもしかたがない。
 
沖縄には、少なくとも沖縄マスコミには、小林よしのり氏がいう「同調圧力」や言論封殺は存在する。
 
沖縄紙の言論封殺については、「沖縄イニシアティブ方式」と揶揄される卑劣な手段で沖縄紙の論壇から異論を述べる多くの「識者」が放逐されている。
 
実は小林よしのり氏もこの「沖縄イニシアティブ方式」犠牲者である。
 
沖縄の作家・目取真(めどるま)氏が琉球新報で小林氏を批判というより、罵倒したのがことの発端であった。
 
ことの詳細は雑誌『WILL』増刊号に「これが沖縄の言論封殺だ」というタイトルで、筆者(狼魔人)が寄稿してあるので読んで欲しいが、一部を抜粋して以下に引用する。
 
『WILL』増刊号掲載
 
『これが沖縄の言論封殺だ』
 
(前略)

■「沖縄イニシアティブ」方式
 平成二十年三月二十七日付け琉球新報「声」欄に次のような投稿が載った。
《県民大会論争について  浦添市 S・S・(62歳)
 3月20日(の)本欄は良かった。県民大会への賛否両論が併記され、どうすべきか迷った人も結論が出せたと思う。新聞の使命は「偏見なく真実を報道」。だが、偏りがちなのも現実。その点、投稿は両論併記が簡単だ。 賛否を決めるときは多少稚拙でもそうしてもらえばと願う。(以下略)》
 琉球新報は時折、アリバイ作りのように自社論調にそぐわない「投稿」「寄稿」を掲載する。右のS氏は琉球新報の一見公平に見える両論併記の裏に潜む「沖縄イニシアティブ」方式という卑劣な言論封殺手段をご存知ないのだろう。
 二十日の「声」欄の論争も一見両論併記に見えるが一人の投稿者を複数の反論者で袋叩きにする「沖縄イニシアティブ」方式そのものであった。
 「沖縄イニシアティブ」方式の由来は後に譲るとして、最近の例では目取真俊氏と小林よしのり氏の論争に琉球新報はこの汚い手を使った。

■罠にかかった小林よしのり
 その経緯を「ウィキペディア」が、次のように書いている。
《目取真は『琉球新報』でも小林を中傷。小林は自ら申し出て反論文を掲載。だが反論一回きりという条件だったため、以降は『琉球新報』と目取真のコラボによる小林中傷特集としか言い様がない些かアンフェアな状況に。沖縄に巣食う同調圧力の象徴とも見なされている。》
 また、最近発売された小林氏の著書『誇りある沖縄へ』(小学館)には、琉球新報と小林よしのり氏とのやり取りが次のように説明されている。
だいたい、この連載には「目取真(めどるま)・小林論争を中心にというサブタイトルがついとるけど、わしは目取真俊への反論は一回しかさせてもらっていないんだからね。 〇七年十一月三日に目取真が「風流無談」というコラムでわしを批判した後、琉球新報の記者が「何回かの連載になってもいい」と言うから反論を書くことにしたのに、書き始めた途端に「小林さんの反論は今回限りにさせてもらいます」と言ってきた。(中略)。
 で、わしの反論が掲載された一週間後には、目取真の再反論が紙面に載った。さらに渡名喜(渡名喜守太・沖縄紙を根城にする左翼学者―筆者注)の連載も始まった。でも、わしはもう反論させてもらえない

 このくだりを読んで、琉球新報の罠に見事に引っかかって憤慨する小林氏の姿が想像され、失礼ながら思わず吹き出してしまった。
 琉球新報の常套手段を知らずにこの「論争」を読んだ読者は、おそらく次のような印象を植え付けられただろう。
「沖縄の作家や学者はすばらしい。あの論客の小林よしのりが、たった一回しか反論できず論破されたあげく尻尾を巻いて逃げたのだから」と。

■沖縄紙の共同開発
 では、そもそも沖縄マスコミの常套手段である「沖縄イニシアチブ」方式とは何なのか。
「沖縄サミット」を目前にした二〇〇〇年五月~六月、沖縄の新聞紙面を賑わせた「沖縄イニシアティブ」論争に端を発する。
 沖縄の新聞を舞台に、沖縄の保守系学者が沖縄の将来を展望した政策論を発表したが、これを、数を頼んだ沖縄の左翼学者が袋叩きにした。その論点は肝心の政策論からイデオロギー論に摺りかえられ、左翼学者を支援する沖縄紙の画策もあった。
 そのために以後、沖縄の保守系学者は物言えば唇が寒い状態に置かれ、沖縄二紙は左翼学者の独占状態になる。(略)(『WILL』2008年8月増刊号 「これが沖縄の言論封殺だ」より抜粋)

                   ◇

「佐藤優講演会」で「小林よしのり講演会」に関して述べた部分で書き漏らしたことは次の通り。

佐藤氏は、沖縄紙の言論封殺を知ってか知らずか、「沖縄紙は公平だ」と述べて、「反対意見は載せてくれない」という沖縄大学M教授の言葉を引用して同氏を次のように批判した。

新聞が掲載しないのは載せる内容ではないからだ。新聞が掲載するような中身のある論文を書いてみよ」(要旨)

その後続けて、会場の記者にM教授との公開討論を呼びかけていた。

沖縄紙主催の論戦には、くれぐれも「沖縄イニシアティブ方式」にご用心を。

「おまけ」

沖縄紙の言論封殺を書いたエントリ

「輩」は使用禁止用語?小林よしのり氏沖縄講演会

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コメント (2)

米軍ヘリ不時着で宜野湾市議会が抗議、不時着抗議は搭乗員・住民の生命軽視

2021-06-30 05:38:10 | 外交・安全保障

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米軍ヘリの不時着を拒否したら、ヘリ搭乗員や近隣住民の生命軽視につながる。

不時着は生命重視の緊急避難である。

航空機の使用に不時着は不可避である。

津堅島米軍ヘリ不時着で宜野湾市議会が抗議 外務・防衛局へ意見書

配信

琉球新報

外務省沖縄事務所の梶田拓磨副所長(左)に、意見書を手渡す宜野湾市議会の上地安之議長(右から2人目)ら=28日、那覇市久米の同事務所

琉球新報社

【関連記事】

最終更新:

               ★

 

道路を走る自動車が故障したら道路の端に緊急避難する。

空を飛ぶ航空機が故障したら緊急避難で不時着をする。

仮に機体の故障であったとしても神ならぬ身の人間が作る機器に故障がないはずはない。

エンジントラブルで不時着する航空機は世界では枚挙にいとまがないほど発生している。

世界各地で自動車事故が頻発しても自動車反対運動が起きないのは、事故による人間の被害より自動車が人間にもたらす有用性の方がはるかに大きいからだ。

自動車が故障するのを抗議したら、自動車は使えなくなる。

航空機の不時着を拒否したら、航空機は使えなくなう。

不時着を拒否しながら航空機を利用することは操縦士の人命けいしであり、近隣の住民の人命軽視である。

日本における飛行機の不時着は、2020年になってからも次の通り頻発している。

産経ニュース-2020/01/16
17日午前10時10分ごろ、高知県上空を飛行していた関西発マニラ行きフィリピン航空407便が、油圧機器に異常を示す表示が出たため緊急事態を宣言して引き返し、同35分ごろ関西空港に緊急着陸した。乗客乗員107人にけがはなかった ...
「航空機 緊急着陸」のストーリーの画像(Yahoo!ニュース)
Yahoo!ニュース

デルタ機、成田に引き返す 脚に不具合か 

産経ニュース-2020/01/04
4日午後7時ごろ、脚の不具合のため緊急事態を宣言した成田発ポートランド行き米デルタ航空68便ボーイング767が、成田空港に引き返して着陸した。同便は欠航した。乗客乗員計245人にけがはなかった。 国土交通省成田空港事務所 ...
 
           ★
 
  • kak*****

     | 

    宜野湾市議会って、アメリカ人の生命を軽視してるんだな。
    故障しない機械はない。
    そしてその時に備えて安全管理教育やプロセスが、しっかり決められており、それに則ってしっかり対処し、被害等を皆無に抑えた。

    あんたら偏向議員こそ、総とっかえしてもいいくらいだ。

    こんな議員を送り込んだ宜野湾市民は猛省した方がいい。

  • __s*****

     | 

    >所属機の徹底点検や飛行場の一日も早い閉鎖・返還の実現、日米地位協定の抜本改定などを求めた。
    普天間返還の為には辺野古移設が必要です。
    住宅街に取り囲まれ住宅街を通過せずには離着陸できない普天間より海に囲まれた辺野古の方が離着陸の危険性も騒音被害も確実に低減する。
    (因みに、市長は「選択肢として排除すべきでない」と言う所までは明言している)

    日米地位協定は沖縄、宜野湾市だけの問題ではありません。沖縄だけの問題に矮小化されないように県外での事例も含めて日本国民としての視点で言うべき事を言って頂きたい。
    「抜本改定」というような抽象的な話ではなく、より具体的にどの部分をどう改定すべきかの提言が有ってもいいのでは。

  • xnl*****

     | 

    もし 今現在アメリカ軍基地が沖縄になかったら 尖閣諸島は中国に確実に取られている。
    アメリカ軍が日本のために戦うかは疑問だが中国への睨みはかなり効いている。
    アメリカ軍が覇権主義中国への抑止力になっていることを沖縄県民の皆様どうかご理解ください。

  • tea*****

     | 

    米軍は、何をやっても日本人が擁護してくれるから都合がいい。
    女性が被害にあえば『こんな時間に女性が歩いているのが悪い』や、『女性が誘惑した』と女性を叩き、米軍不祥事が発生すれば、沖縄のデータを持ち出し、沖縄人の方が犯罪が多い。と沖縄を叩き、墜落事故が起きれば、交通事故や旅客機の事故率を持ち出し、一貫して沖縄叩きの立場で米軍を擁護するのである。
    ただし、日本人のこの米軍擁護の姿勢は沖縄限定であり、日本においてその被害が及んだ場合は、日本人は一転して米軍を批判し、日本において大きな不祥事が起きにくい環境を作り守っているのである。
    日本人が、沖縄限定で米軍不祥事を擁護するのは、米軍不祥事から日本を守り、かつ、米軍が活動しやすい環境を沖縄限定で提供する事で、憲法9条に基づく片務的な日米安保を守るためである。
    沖縄を苦しめているのは地位協定ではなく、憲法9条なのである。

  • Banana

     | 

    その意見書はそのままシュレッダー行きで良いと思う。

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コメント (4)

沖縄タイムス・新川明が捏造した「白旗の少女」、捏造された卑劣な日本兵

2021-06-29 10:30:57 | ★改定版集団自決

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沖縄戦の再検証のため過去ブログ新川明と白旗の少女 捏造された一フィート運動2009-08-12 を編集・再掲します。

                ★

『うらそえ文藝』の集団自決特集の対談で、「一フィート運動」の創始者である上原正稔氏が「沖縄タイムス恐喝事件」を暴露したことが話題になった。

当時富村順一氏の恐喝に50万円を脅し取られた沖縄タイムス編集局長新川明氏(後に社長)は、定年退社後も極左評論家として健筆を振るっている。当日記には何度も登場した沖縄タイムスOBである。

新川明

新川明氏は、一人の論者を集団で袋叩きにする「沖縄イニシアティブ方式」という言論封殺方式の主導者として当日記に登場している。

実は小林よしのり氏もこの言論封殺の犠牲者である。
 
ことの発端はこうだ。
 
沖縄の作家目取真氏が琉球新報で小林氏を批判というより、罵倒した。
 
それに反論した小林氏が犠牲になった。
 
体のいい言論封殺だ。
 
目取真氏が「沖縄版・言論封殺魔」といわれる所以である。
 
ことの詳細は雑誌『WILL』増刊号に「これが沖縄の言論封殺だ」というタイトルで、筆者(狼魔人)が寄稿してあるので読んで欲しい。 『WILL』の記事は、ここで読める。⇒罠にかかった小林よしのり 護送船団方式の沖縄論壇
 
そして、新川明氏の当日記へのもう一度の登場は「一フィート運動」の記録フィルムを歪曲する卑劣な絵本作家としてである。

新川明氏は、米軍が写したフィルムの中に、偶々写っていた白旗を持つ少女の映像を発見し、絵本という形で子供たちに「悪逆非道な日本兵」を教え込む平和教育教材を作った。

これに関しては当日記で過去に再三エントリーしたが、今でも一日に100件近くアクセスのある人気エントリーである。

ちなみに「1フィート運動」は左翼集団に乗っ取られイデオロギー化したため、創始者の上原正稔氏は現在これに関わってはいない。

以下は白旗の少女の神話ー改定版を編集した再掲です。

                   ◇

 

「白旗の少女」や長寿の秘密 高校英語教科書に“沖縄” 

 

米軍によって撮影された記録フィルムの中で、戦争に翻弄される子どもたちの姿は見るもの胸を打つ。

中でも特に有名な二枚の少女の写真は、戦争の残酷さを伝えて圧倒的迫力で見る者の心を大きく揺さぶる。

その写真の一枚が白旗の少女として知られ、もう一枚は「うつろな目の少女」として後に有名になる写真である。

うつろな目の少女が、実は女装した男の子であったということを知る人は少ない。⇒「うつろな目の少女」の秘密!

  

白旗の少女とは、沖縄戦で白旗を掲げ投降した少女のことで、大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』に写真が初めて登場。

「1一フィート運動」の成果である1986年公開の米軍撮影記録フィルムの中の少女の笑顔が県民の印象に残った。

少女は当時7歳の比嘉富子さんであった。

手製の白旗を掲げ投降する少女の姿は、男服を作り変えたと思われるボロボロのもんぺに裸足のみすぼらしい姿で、健気にも白旗を右手に、左手でカメラのレンズから顔を隠しているように見え、見る者の心を打った。(映画版を見るとカメラに手を振っている様子)

後の調査によると、少女を写したカメラマンは二人いて、一人が記録映画、もう一人がスチル写真を撮影した。

以後白旗の少女の写真は多くの沖縄戦記出版物に転載され見るもの全てを圧倒的感動の渦に巻き込んでいく。

白旗の少女の発掘は、『写真記録「これが沖縄だ」』(1977年)の初版発行の7年後になるので、同書掲載の写真は1987年の改訂版で新たに掲載したのだろう。

新川明が白旗の少女を捏造ー卑劣な日本兵を創作

白旗の少女が公開されたその翌年の6月には、左翼ジャーナリスト新川明氏(元沖縄タイムス社長)と画家・儀間比呂志氏がコンビを組んで『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』という絵本が出版され、同書を原作にしたアニメ映画まで製作されている。

 白旗の少女が教科書に載ったり、修学旅行生に紹介され、写真やフィルムを見た多くの人々がその場面に衝撃を受けるのは、白旗を手に投降する少女のけなげな姿にあったのではない。

読者が衝撃を受けたのは、「平和教育」のため、歪曲され、捏造された醜悪な日本兵の姿である。

米軍が提供する沖縄戦の写真を歴史教育に使用するのは異存はない。

だが、事実を捻じ曲げ日本兵貶めるとなると話は別だ。

記録写真を見た「識者」の色メガネを通して、歴史が捏造される典型的例が「白旗の少女」だ。

新川明著『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』には、少女(りゅう子)が白旗を掲げて銃剣を構える米兵に投降する場面(先頭のりゅう子の後ろには両手を上げた多くの日本兵が追随している版画絵)で、少女は日本兵と住民が雑居する壕にもぐりこむが、壕を取り囲む米軍に投降勧告をされ、誰が最初に壕をでるかで日本兵達が醜く言い争う。

そのクライマックス・シーンで次のようなくだりがある。

 兵隊たちがいいあらそいをはじめました。

「おとなしく出れば殺さないはずだよ」

「では、だれがさいしょに出るのか」

「こういうときは、兵隊さんがさきだよ」

ほかの人たちもいいあらそっています。

「あなたたちは、そんなに死ぬのがこわいのか!」

りゅう子をガマに入れまいとした女の人が叫び出すと

隊長はあわてて雑のう(ものをいれるもの)から白い布をとりだしていいました。

「ためしに子どもをさきに出してみよう!」

ゆっくりと目をあけると

すきとおるひかりのむこうに

アメリカ兵のすがたがみえました。

戦車のかげで鉄砲をかまえたまま

白い歯をみせてわらっています。

 

ふりかえると、日本兵たちが

両手をあげてついてきました。

おじいさんや女の人も

よろよろとつづいていました。

そのむこうに、ガマが黒い口をあけていました。

 

同書の「あとがき」には次のように書かれている。

 
  <さる太平洋戦争では中国をはじめたくさんの国の人たちが犠牲になりました。日本の国民もヒロシマやナガサキに代表される大きな被害をうけました。しかし、沖縄戦は、ほかにみられない軍隊の姿をさらけ出しました
 本来、軍隊は国土と国民を守ることをタテマエにしていますが、究極的には自国の国土の中でさえ、自国の国民に銃口を向けて食糧を奪い、無闇に住民を殺す存在でしかないことを明らかにしたのです。それが、戦争であることを沖縄戦は教えました
 >
 
私たちはこの絵本作りで、沖縄戦世を追体験しました。
 はじめに、沖縄一フィート運動の会が入手した米軍の沖縄戦記録フィルムに、爆砕された山の石ころ道を、白旗をかかげて米軍に近づいてくる少女がありました。おかっぱ頭で、モンぺはずたずたに裂け、焦土を踏む素足が痛々しい。
 
さらに映像は、ロングになり、少女の約十メートル後から、両手をあげて、ついてくる日本兵たちの醜い姿まで写していました。それは、わずか数秒のカットでしたが、見ている私たちにあたえた衝撃は小さくありませんでした。 >
 

日本軍への憎悪を掻き立てるような文章を書いた新川明氏は、元沖縄タイムス社長で、沖縄紙の論壇からから保守論客を放逐した左翼ジャーナリスト。

また、版画絵を担当した儀間比呂志氏は、沖縄ではよく知られた文化人で、このコンビで作られた絵本は読者に大きなインパクトを与えた。

絵本が糾弾するのは、白旗を持った少女を盾に米兵に命乞いする日本兵の卑劣な姿であった。

■実際はどうであったのかー比嘉富子さんの証言

記録映画版の映像で動画を見ると、虚脱したようにゾロゾロ歩く避難民の列の中に少女を見たカメラマンが、その姿に興味を持ってカメラの焦点を合わせ、気が付いた少女がカメラに手を振ったという印象である。

それを示す他の角度の写真には少女の背景に反対方向に向かって歩く日本兵らしき人(防衛隊という民間人の可能性も)のリュックを背負った姿も映っており、「識者」たちが主張する少女を盾にした卑劣な日本兵という雰囲気は画面からは読み取れない。

 


1985年、新川明氏が創作した『沖縄いくさものがたり りゅう子の白い旗』の発刊で、「卑劣な日本兵」という神話が一人歩きを始めた。

それを見たご本人の比嘉富子さんが、1987年「白旗の少女は私です」と名乗り出て話題を呼んだ。

そして1989年、今度は比嘉さん自著による『白旗の少女』(講談社)が刊行される。

比嘉さんは当初名乗り出ることも、自著を出版することも躊躇していたと記されている。

そして比嘉さんが、あえて自筆による出版に踏み切った動機を次のように書いている。

・・・ところで、沖縄戦の記録映画が公開されて以来、あの映画のなかで、白旗をもって投降するわたしのうしろから歩いてくる兵隊さんたちが、わたしを盾にしてついてきたかのようにごかいされてているのは、大変残念なことです。
この兵隊さんたちは、わたしの歩いてきた道とは別の道を歩いてきて、偶然、一本道でわたしと合流した人たちです。 そして、私のほうが先に一本道には入ったため、あたかも白旗をもった私を弾よけにして、あとからついてきたかのように見えるのです。
したがって、わたしと、背後から歩いてくる兵隊さんとは、いっさい関係がなかったのです。 このことは、事実として書き加えておかなければなりません
(204、205頁)>

比嘉富子さん、よくぞ無事で生きておられて、よくぞ真実を告白してくださいました。

不幸にして比嘉さんが生きてはおられず、また生きてはいても何かの都合で名乗り出ることなく沈黙を守っていたら、どうなっていたか。

「少女を盾にした卑劣な日本兵」は歴史として永久に沖縄戦の歴史に刻まれていた語であろう。

ここで登場する日本兵は名も顔も知られぬ無名兵士ゆえ、梅澤、赤松両隊長のように名前を特定されることはない。

だが、日本軍の代表として「醜悪な日本兵」の印象が沖縄戦史に刻まれていたであろう。

記録映画を見た観客は、真実をそのまま写すカメラの目を通して事実を見る。

だが、新川明氏や儀間比呂志氏のような「識者」の文や絵を通して伝えられるものは真実とは遠くかけ離れたものである。

では、「白旗の少女」のご本人である比嘉富子さんが、名乗り出て真実を告白したため「白旗の少女」の神話は崩れ去ったのか。

否、そうではない。

相も変わらず「卑劣な日本兵」を断罪する『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』は一行の訂正もされず発売されているし、全県の図書館で読むことが出来る。 そして子どもたちへの「平和教育」では「悪逆非道」のイデオロギーで日本軍を貶め続けている。

デタラメな記事を満載しながら、今でも発売し続ける『鉄の暴風』と同じ構図である。

「りゅう子の白い旗」の書評

●沖縄タイムスの書評(1988年6月22日)「琉子」は沖縄戦を描いた絵本「りゅう子の白い旗」を映画化したもの。主人公・琉子の体験を通して、日本軍の住民に対する残虐な行為など戦争の悲惨な実態を描いたもの。対照的に沖縄の自然や情景を織り交ぜた美しい映像で、命の尊さを訴えている

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戦争マラリアは援護金の対象、軍の強制だから

2021-06-29 07:15:26 | ★改定版集団自決

沖縄タイムス紙面掲載記事

戦後76年]戦争マラリア 教訓継承 遺族の悲しみ癒えず 竹富犠牲者の冥福祈る

2021年6月29日 05:00有料

 【竹富島=竹富】町主催の戦没者追悼式が23日、竹富島の慰霊之塔前で行われた。西大舛高旬町長や仲田森和教育長、遺族ら約20人が出席。先の大戦の犠牲者に対して手を合わせ、祈りをささげた。西大舛町長は式辞で「戦争マラリアで多くの住民が犠牲になった。今も忘れることができない深い悲しみで、決して癒やせるものではない。戦争の教訓を風化させることなく継承し、八重山から世界へ平和を発信していくことが私たちの責務だ」と訴えた。

 県遺族連合会女性部長の大山幸子さん(79)=石垣市=は、喜友名盛允同会八重山支部長の「追悼のことば」を代読。「二度と私たちのような戦没者遺族を出さないために、平和のありがたさを後世にわたり語り継いでいかなければならない」と語った。

 大山さんは台湾で郵便局員として働いていた父を亡くした。通信兵として軍に従事していた南洋諸島で戦死したという。「ただ、どうして死んだのか、最期にみとった人がいたのかなどは一切分からない。この年になっても親は親。手掛かりが知りたい」と唇をかんだ。

 一般参加の島仲彌喜さん(75)=竹富島=は「伯父が犠牲になった。当たり前のことだが戦争のない平和な社会が望ましい」と話した。

(写図説明)慰霊碑に手を合わせ犠牲者の冥福を祈る遺族の女性=23日、竹富島

                ★

沖縄2紙は、「残虐非道の日本軍」の印象付けとして教科書に「集団自決」に加えて「戦争マラリア」の記述を次のターゲットに持ち出している。

軍の命令は「集団自決」のみならず「戦争マラリヤ」も、軍の強制連行の結果だというのだ。

ということは「戦争マラリア」も軍の命令で在り、結局「援護法」の対象になるということだ。

戦時中に病死した県民は全て軍への協力で衰弱死したので「援護法」の対象になるということか。

第一部 風は南から⑥ 戦争マラリア

「島に“亡霊” いれぬ」

≪八重山地域の中学校でこち氏4月から使われる公民教科書採択をめぐっては、竹富町教委だけが「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版の採用を拒み続けている。
戦争マラリヤに関する記述がない出版社の公民教科書を拒否する同町の慶田盛安三教育長(70)の毅然とした姿勢の背景には、自身の戦争体験がある。
慶田盛教育長は波照間島出身。 4歳のとき由布島に疎開し故郷に戻ってマラリヤに罹患(りかん)した
親族が犠牲になり、ムシロでくるまれた遺体を運ぶ光景や腐臭は今も記憶から消えない。
「スポンジのように吸収する子どもには、尖閣で国防や愛国心をあおるのではなく、八重山であった悲しい悲しい歴史を通し、平和を考える教育が必要だ」。 慶田盛教育長は「二度と子どもたちを犠牲にしない」という思いと戦争への怒りを何度も口にした。
波照間島で教科書問題について尋ねると、慶田盛教育長の姿勢を支持する人がほとんどだった。 元波照間公民館長の浦仲博さん(88)もその1人だ。
浦仲さんは、今回の教科書問題と、31年前の苦い記憶を重ねる。 1981年8月7日、太平洋戦争末期に島民を日本刀で脅し、マラリヤの汚染地域に強制的に疎開させた山下虎郎(本名・筒井清)軍曹が、ひっそり島を訪れていた。
・・・戦前の軍国主義の亡霊を呼び戻すように来島したことについて、全住民は満身の怒りをこめて抗議する」。 島の代表として本人に付き付けたた抗議書。 両親と親戚9人を失った妻の苦しみを思うと、今も怒りに震える。
「島民の傷は一生消えない。 戦争につながるものは島に入れさせない」。 浦仲さんは八重山の今を思い、言葉に力をこめた。(復帰40年取材班・吉川毅)≫(沖縄タイムス 2012年1月11日)

               ☆

   

ブログ「ヒジャイ」さんの引用

「罪を憎んで人を憎まず」は竹富町にはないのか

  「スポンジのように何でも吸収する子どもには、尖閣や国防や愛国心をあおるのではなく、八重山であった悲しい歴史を通じ、平和を考える教育が必要」と感じ「二度と子どもたちを犠牲にしない」という思いと戦争への怒りを理由に、八重山採択地区協議会の採択した育鵬社の教科書を採択しないで東京書籍の教科書を採択したことは法律上なんの問題もない。


 問題なのは八重山地区の無償給与教科書を八重山採択地区協議会で育鵬社の教科書と決めたのに、東京書籍の教科書も無償給与しろと国に要求したことである。


 無償給与教科書以外の教科書を無償給与することは法律違反だから国はやるはずがない。竹富町は慶田盛教育長の政治思想を優先して東京書籍の教科書を採用するのなら、竹富町が教科書代金を負担するのは当然だ。

 竹富町が育鵬社の教科書を拒否し、東京書籍の教科書を採択したのは明らかに政治思想が原因している。慶田盛教育長の戦争体験は戦争の一部である。戦争は国家の問題であり、戦争の原因、戦争の規模、戦争の過程、犠牲などを全体的に教えるのが教育の基本である。


 「八重山であった悲しい歴史」を教えるのはいいが、一部の戦争被害を教えるのでは教育とはいえない。なぜ戦争が起こったか、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内乱など子どもの視野を世界に広げる教育が大事だ。
 尖閣、中国、アジア問題はこれからの日本には重要な問題である。「尖閣で国防や愛国心をあおるのではなく」という理由で教えないのは間違っている。

 慶田盛教育長は「二度と子どもたちを犠牲にしない」と述べているが、八重山の悲しい出来事を教えることが「二度と子どもたちを犠牲にしない」にはならない。日本が軍国主義に戻ることはない。
日本全体をそして世界を見れば分かる。

 アフガン、イラクは民主主義国家になり、エジプト、リビア、チュニジアの市民革命は成功した。これから民主主義社会をつくっていく。ミャンマーも民主主義国家になった。シリアも市民運動が続いている。アジアでも韓国、台湾、フィリピン、カンボジアは民主主義国家になった。世界の流れは民主主義へと流れている。

 日本が軍国主義国家に戻ることはあり得ない。それどころか日本の民主化はわずかながら進んでいる。
 「八重山の悲しい出来事」にこだわりすぎると日本、世界の現実を知らない子どもを育てることになる。慶田盛教育長の自分の体験にこだわった教育は間違っている。八重山だけでなく、沖縄、日本、アジア、世界を知る教育をするべきだ。


 太平洋末期に島民を日本刀で脅し、マラリアの汚染地域に強制的に疎開させた山下虎雄軍曹が、1981年にひっそりと島を訪れた時に、「・・・戦前の軍国主義の亡霊を呼びもどすように来島したことについて、全住民は満身の怒りをこめて抗議する」と浦仲さんは抗議書を突きつけたという。
 戦後66年が過ぎた今も怒りは消えず、「島民の傷は一生消えない。戦争につながるものは島にいれさせない」と浦仲さんは述べている。

 浦仲さんは「恨みつらみ」を子や孫たちへ伝えるというのだろうか。それでは子や孫たちがかわいそうだ。
 なぜ山下虎雄軍曹は島を訪れたのか、「恨みつらみ」の強い浦仲さんはその理由を聞かかった。ただひたすら「恨みつらみ」を山下虎雄氏にぶつけた。山下虎雄氏が好き好んで島民を日本刀で脅し、マラリアの汚染地域に強制的に疎開させただろうか。山下虎雄氏も軍国主義の犠牲者ではなかったのか。
 戦前はみんな軍国主義教育を受けた。戦後の日本を牽引した多くの政治家や知識人も戦前は天皇崇拝者であった。山下虎雄氏もそのひとりだ。

 山下虎雄氏もどこか田舎に生まれ育った普通の人間であっただろう。赤紙で徴兵されて軍国主義を叩き込まれた若者のひとりだっただろう。戦争が終わり、戦争中の自分の行為を死ぬほど後悔したかもしれない。悔いても悔いても悔いきれない罪を背負った人間であると自分を責め続けたかもしれない。
 彼が懺悔をしたいのなら、懺悔をさせるべきだった。そして、山下虎雄氏と腹を割って話し合い、二度と軍国主義や戦争のやってこない国にするのをお互いに誓うべきであった。
もし、彼が悔いていなければ唾を吐けばいい。

 憎むべきは軍国主義であり戦争だ。人間ではない。66年を経ても直接手を下した人間を恨むのは間違っている。これでは軍国主義の本質を理解することができない。戦争の本質を理解することができない。

「罪を憎んで人を憎まず」という諺は竹富町にはないのか。

  引用終了          ☆

優れた論評で、付け加えると蛇足になるが、敢て蛇足を加えると、「戦争マラリア」という言葉そのものを詳しく知っている人は、沖縄県民でさえ非常に少ないという事実である。

かく言う筆者も若いころ初めてこの言葉に接したとき、このように誤解した。

「残虐非道の日本軍」は沖縄人虐殺のため「死亡率の高い特殊なマラリア」を研究し、多くの八重山住民がその犠牲になったことを指す、と真剣に考えていた。

さて、沖縄タイムの沖縄戦シリーズの第6回だが、先ず目に付くのは記事の冒頭から相変わらずのデタラメを撒き散らしていることだ。

>戦争マラリヤに関する記述がない出版社の公民教科書を拒否する同町の慶田盛安三教育長(70)の毅然とした姿勢の背景には、自身の戦争体験がある。

で「戦争マラリア」とは沖縄戦の問題であり記述するとしたら歴史教科書が適当であるが、八重山地区協議会は戦争マラリアの記述のある帝国書院版歴史教科書を選定しており、これには慶田盛竹富町教育長も、当然事ながら、何の反対も示していない。

「戦争マラリアに関する記述がない出版社の公民教科書は拒否する」とは、これこそヤクザの言いだ。

では、そもそも戦争マラリアとは一体何なのか。

沖縄タイムス上記シリーズの悪意に満ちた「解説記事」によるとこうなっている。

 ▼[ことば]

戦争マラリア

太平洋戦争末期、八重山の住民が旧日本軍の命令でマラリアの有病地帯の西表島屋石垣島の山岳部などに強制疎開させられ、多くの人々が亡くなった。 八重山平和祈念館によると、犠牲者は3647人。 波照間島では、スパイ養成機関の陸軍仲の学校を卒業した人物が偽名で島に忍び込み、全党住民1600人を日本刀で脅し、マラリア汚染地域に疎開させた。 島民のほとんどが感染、477人が犠牲になった。

            ☆

事実誤認と「残虐非道な日本軍」の印象操作に必死の悪意に満ちた「解説記事」だが、ここで明らかのなのは戦争マラリアと言っても、日本軍が特殊なマラリア菌を培養したわけではない。

戦前は八重山地区のみならず沖縄県全域、いや、日本全国で見られた一般的マラリアのことである。

八重山地区の離島の山岳地帯には特にマラリアを媒介する蚊の群生が見られ、戦時中米軍の攻撃から避難するため離島の山岳地帯への疎開を誘導した日本軍への恨みつらみを込めて「戦争マラリア」と特別に呼称しているのだ。

これを「軍の強制」と性格付けすることにより「集団自決」と同じように「援護法」の対象にしようというのが「ゆすりたかり」を生業(なりわい)とするサヨク集団の主張なのである。

従って、喧伝されるされるように、日本軍が八重山住民を「マラリア非発生地域」から「マラリア発生地域」に強制連行したわけではない。

それは波照間島出身の慶田盛氏が疎開地の由布島では罹患せずに、故郷の波照間島に帰郷してからマラリアに罹患した事実を見ても明らかである。

筆者の小学校時代は、夏の蚊のシーズンになると「蚊に刺されるとマラリアになる」とはごく普通の会話で語られていた。

戦前からマラリアに悩まされていた沖縄がマラリアに決別を告げるのは、結局は沖縄を占領した米軍の殺虫剤の大量散布などのマラリア撲滅活動の賜物である。

八重山のマラリア撲滅運動は大正時代から始まるが成功せず、戦後、米軍の圧倒的なマラリア撲滅活動により、最後の患者が出たのは1963年であるとのこと。

ドキュメンタリー作家上原正稔さんが検証した米軍側の資料によると、マラリアの罹患者は八重山地区より沖縄本島の方が多く、沖縄全体がマラリア撲滅に成功するのは祖国復帰後、沖縄県公衆衛生大会において沖縄から風土病としてのマラリアがなくなったことが宣言される1978年のことである。

さらに疎開という言葉さえ死語になりつつある現在「日本刀を突きつけてマラリア汚染地域に強制疎開させた」という「解説」は、まるで「空気の清浄な地域の住民を放射能汚染地域に強制移住させた」といった極めて悪質な印象操作を感じる。

結局、沖縄タイムスが言いたいことは、こうだ。

戦争マラリアは軍の強制!援護金の対象だ、

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普天間の危険を長引かせた翁長・デニー県政、元沖縄県知事 仲井真弘多氏[返還合意50年 沖縄の今]

2021-06-29 05:42:10 | 政治

 

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同じ沖縄県知事でも、翁長前知事の記事が頻繁に沖縄2紙の紙面を飾ることはあっても、仲井真元知事の記事が紙面を飾ることはほとんどない。

沖縄タイムスに取って仲井真元沖縄県知事とは、「金で沖縄をアメリカに売り渡した最悪の沖縄県知事」であるからだ。

沖縄2紙やデニー知事は毎年3000億以上一括交付金を7年間給付する約束を取り付けたのは仲井真元知事の功績である事実を忘れたのだろうか。

普天間の危険除去 優先…元沖縄県知事仲井真弘多氏[返還合意50年 沖縄の今]<7>

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読売新聞オンライン

移設遅れ 県民に不幸

 

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新(7)貶められた旧日本兵、石原昌家氏「歴史捏造を恥じる」靖国合祀取消で原告証人/「自決軍命は虚偽」と証言

2021-06-28 11:08:59 | ★改定版集団自決
 

 

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■世界日報 7月15日掲載

【連載】貶められた旧日本兵 石原昌家氏「歴史捏造を恥じる」「援護法」に隠された沖縄戦の真実(7)

石原昌家氏「歴史捏造を恥じる」靖国合祀取消で原告証人/「自決軍命は虚偽」と証言


   集団自決は、沖縄だけではなく樺太や満州でも起きていた。それでは、なぜ沖縄の集団自決だけが大きく問題にされるのだろうか。

 理由の一つが「援護法」の沖縄県民への拡大適用。もう一つが沖縄タイムス社編「鉄の暴風」(朝日新聞)、大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波出版)などの沖縄戦関連書籍による元隊長に対するいわれなき誹謗(ひぼう)である。

   集団自決で特に問題にはならなかった沖縄本島中部の金武村(きんそん)(現在の金武町)では、援護金申請の依頼を受けた村の指導者が、すべての申請書に「軍の命令による」と記入し、命令を発した軍人の名を「田中軍曹」という架空の名前を使用した。

   架空の軍人を申請書に書いて援護金の受給を受けた成功談は、戦後金武町教育委員会町史編纂(へんさん)室に務めた奥間俊夫氏が高橋秀美著「からくり民主主義」(新潮社)の中でこう証言している。

   <もらえるものはもらいなさい、という役所の指導があって病気や空襲で死んだ人たちの遺族も便乗して申請したんです。申請書類には誰の命令で行動したか、を記入する欄があるんですが、なぜかほとんどが“田中軍曹”でして、調べてみるとそんな人は実在しないんです。

   「援護金」を受給するために“田中軍曹”という架空の日本兵をでっち上げ、村民が「口裏合わせ」をしたことで金武村の場合は丸く収まった。

   しかし、この場合、「戦闘参加者概況表」で示された集団自決の地域(座間味村、渡嘉敷村、伊江村)には該当しない。援護法が拡大適用され、それが黙認されたことが分かる。

   一方、渡嘉敷、座間味両村の場合は、実在の梅澤裕氏と赤松嘉次氏を「軍命を下した日本兵」と明記したため、その後に大きな問題を残した。歪曲(わいきょく)・捏造(ねつぞう)された証言も一旦、公的刊行物に掲載されると公式見解としての「沖縄戦史」として独り歩きすることになってしまう。

   石原昌家沖国大名誉教授は、「沖縄靖国合祀(ごうし)取消訴訟」では原告(遺族)側の証人となって法廷に意見書を提出した上、証人にもなっている。石原氏は、沖縄戦で犠牲になった住民を靖国に合祀するため政府主導で「軍命による自決」などと「戦闘参加者」をつくって援護金を与え口封じした、という趣旨の意見書を提出した。

   ところが被告側弁護士の尋問で「歴史の改竄(かいざん)」について次のような証言をした。


 <被告弁護士 「事実と異なる内容の申請書を最初から出して、何の問題もなく適用された人も当然いますよね

 石原証人 「そうです。圧倒的ですよ」>

 
   「戦闘参加者」という援護法の受理条件を与えるため、「虚偽記入」を指導して援護法を適用させた事実を認めた。

   石原氏は、「大江・岩波集団自決訴訟」では被告側を支援し「軍命あり派」の論陣を張った一方で、「沖縄靖国合祀取消訴訟」では、「軍命は『戦闘参加者』を作るための虚偽記入」であると主張したのだ。

      (「沖縄戦の真実」取材班)

                ☆

 

沖縄メディアに登場する日本兵は、幼児を抱く母親を銃剣で威嚇する蝋人形(沖縄県平和祈念資料館)が象徴するように、米軍と戦うというより沖縄住民を虐殺するために沖縄に派遣されたかのような印象さえ与える。


 

実際はどうだったのか。

典型的な日本兵の暴状として頻繁に証言される「壕の追い出し」は、実際は一般住民を米軍の馬乗り攻撃から守るためだった。 

米軍の馬乗り攻撃とは、壕の上に米軍が馬乗り状態になり壕の中に潜む日本兵を火炎放射器、手榴弾などで攻撃し、日本兵の全滅を図る攻撃。

その際民間人が壕に留まったら、玉砕の巻き添えを食うことになる

昨年の6月、「沖縄靖国合祀取消訴訟」の原告敗訴が確定し、原告側証人石原昌家氏の証言が拙ブログ「石原教授の致命的証言!援護法申請で」などで、批判されるようになった。

■歴史捏造を恥じた石原氏

その後石原氏はジャーナリスト佐野眞一氏の取材に応えて「(自分らが歴史を)捏造した」「恥ずかしい」とまで吐露している。(佐野眞一著『僕の島は戦場だった』)

佐野氏の最新著『僕の島は戦場だった』から該当部分を引用する。

ーー「援護法」の適用にあたって最も多かったケースは何でしたか?

「壕の提供でした」

ーー壕の提供というと、自ら申し出たように聞こえますが、実際には軍の命令で強制立ち退きをさせられたわけですよね。

「ええそうです。一般の人の感覚で言えば、壕を追い出されたと感じたと思いますね。」

ーーでも、「壕を追い出された」では「戦闘参加者」にならず、「援護法」の対象にもなりませんよね。

「ええ、だから、マニュアルに従がって、”戦闘参加者”になるようにわれわれが代筆してあげたわけです」

ーー「つまり捏造した?」

「はい、そういうことです。 最初の通達では”戦闘参加者”は14歳までだったんです。 それが7歳まで引き下げられ、最後は0歳児まで認められるようになった」

零歳児が”戦闘参加者”に認められたのは、アメリカ軍が最初に上陸した慶良間での「集団自決」のケースである。

ーーそうしたことも”戦闘参加者”と認める業務をやってきたわけですね。 いま振り返ってどう思いますか。

まあ、恥を感じますよ。 おっしゃる通り、ゼロ歳児が”戦闘参加者”になるはずがありませんしね。 いまでも後ろめたく思っています(50頁~51頁、佐野眞一著『僕の島は戦場だった』)

       ☆

石原昌家沖縄国際大学名誉教授は、「沖縄靖国合祀取消訴訟」の原告側証人として証言台に立った。

そして「戦闘参加者」という援護法の受理条件を与えるため、「虚偽記入」を指導して援護法を適用させた事実を認めた。

石原氏は「大江・岩波集団自決訴訟」では被告側を支援し「軍命あり派」の論陣を張った。

その一方で、「沖縄靖国合祀取消訴訟」では、「軍命は『戦闘参加者』を作るための虚偽記入」であると白状したのだ。

石原氏は、同じ事案を同じ証拠物件で検証しておきながら、学者としての意見と、サヨク活動家としての意見が全く正反対であることを恥もなく法廷で証言してしまった。

学者の立場では、存在もしない「隊長命令」を援護金受給の方便として書いたと主張した。

イデオロギー活動家の立場では、国が援護法により歴史を捏造した主張する。

 しかし、いずれの場合も、結局は軍命は援護金受給のために「軍命による集団自決」と虚偽記入した事実を自供した結果になるのは皮肉である。

【追記】

下記引用の琉球新報は、タイトルは「歴史を政府が書き換えた、不実の記録」となっているが、実際は政府が援護法認定のために「軍命令があった」と申請すれば良いと示唆した内容である

結局、存在しなかった「軍命令」を政府が無理やりでっち上げて「援護法」の対象にしたというのだ。

したがって、そもそも軍の命令はなかったという証明にもなっている。

なお筆者の石原昌家教授は「集団自決」の「軍命あり派」の1人である。

学者の良心とイデオロギーの狭間に立たされる悩ましい論文ではある。

                     ◇

琉球新報 2006年12月7日(水)文化面

問われる「沖縄戦認識」 4  石原昌家 沖縄国際大学教授

不実の記録 政府が書き換え指導  援護法認定、「軍命」基準に

「援護法社会」の沖縄では、日本政府が琉球政府を介在して、沖縄戦体験者に「不実の記録」を指導していた。その構図は、「援護課」資料が浮き彫りにしている。

援護法」適用にのためという日本政府の「善意の外形」によって、一般住民の沖縄戦体験は「軍民一体の戦闘」という「靖国の視点」による沖縄戦認識として決定付けられることになった。「援護法」で一般住民を「戦闘参加者」として認定するにあたって、日本政府は軍命があったか否かを決め手にしていた。それでは沖縄県公文書館の「援護課」資料で、日本政府の「沖縄戦書き換えの指導」を具体的に見ていきたい。

▼軍命と積極的戦闘協力

1957年8月以降、一般住民の「戦闘参加者の申立書」の提出業務が開始されるや、「援護課」は、58年12月までには38,700件を受付して、厚生省に進達した。その後、5万件受付した段階で、那覇日本政府南方連絡所から61年6月30日で受付業務を締め切るよう通達を受けた。それで「援護課」としては4ヵ年で52、682件を受付処理したが、保留してあるのが12、241件にのぼった(61年7月14日援護課「沖縄戦関係戦闘参加者の処理について」)。

これらの援護業務の記録である「援護課」資料の1960年「戦闘参加者に関する資書類」の中に以下のような具体的「書き換え」指導文書が含まれている。

それは昭和34年10月12日付けで、厚生省引揚援護局未帰還調査部第4調査室長から、琉球政府社会局援護課長殿という宛書きで、「戦闘協力により死亡したものの現認証明について」というタイトルの文書である。

その内容は「別紙記載の戦闘協力者に対し、遺族より弔慰金の請求をされましたが、戦闘協力の内容が消極的に失すると審査課より返却されましたので、死亡者は、要請(指示)事項のみに終始したのではなく、当時の戦況から判断して現認証明事項の如きこともあったものと推定されるので、其の旨、審査課に回答した処、死亡の原因が回答のような積極的戦闘協力によるものであれば現認証明書を添付されたいとのことですが、現認欄記載の如き事項は、当時何人かが現認していると思われるがそうであったら然るべく御とりはからい願います」とある。ここで注目すべき点は、積極的戦闘協力が認定基準になっている、と窺われることである。

更に、62年1月、「戦闘参加者に関する書類綴」(援護課調査係)には、「戦闘参加者の申立書」に対して、厚生省から琉球政府への「要調査事項」として「昭20・5・10食料を求めるため部隊に行ったのは軍命令か、申立書の記述ではその点が不明確であるから解明されたい」と、軍命令の有無を重視しているその点については、「現認証明書を要する戦闘協力者氏名」の一覧表ではより明確な文言が記されている。

当時50歳の県庁職員が、「壕生活の指導並びに避難誘導のため麻文仁村に派遣された」が、「麻文村麻文仁で難民誘導の任務遂行中砲弾の破片により胸部に受傷戦死」したという現認証明に対して、「上記の理由では積極的戦闘協力とは認めがたいとの審査課の意見であるが、積極的戦闘協力の事実はないか 例えば軍命令により弾薬運搬又は食料の輸送の指導若しくは陣地構築の指導等の如きものとか、公務遂行中殉(職)というが、公務の内容はなにか 軍の命令により何か積極的戦闘協力はしたのか」などと具体的に書き方を指導しているのである。

▼0歳児の「準軍属」決定

同じく戦闘参加者についての申立書で未認定の当時9歳の学童のケースとして「壕」提供の記述例をあげよう。日本軍による住民に対する一般的な「壕追い出し」行為は、「艦砲弾が激しいため殆どの壕が破壊されたので作戦上壕を提供せよと命じられたので、軍に協力して他に避難場所を探し求めて彷徨している際、敵の小銃弾で頭部を撃たれ治療も出来ず出血多量で数時間後に死亡した」という表現パターンで、「壕提供」ということに書き換えが行われていった。

62年の同書類綴には、援護法の認定が保留になっていた座間味村の明治9年生が昭20年3月28日、「隊長命令による自決」という内容で「戦闘参加者」として認定されている。さらに66年「援護関係表彰綴」には、宮村幸延座間味村総務課長の「功績調書」に、「1957年8月、慶良間戦における集団自決補償のため上京す 1963年10月 集団自決6歳未満から0歳児まで(148名)準軍属に決定」と記されている。

「援護法で」で一般一般住民を「戦闘参加者」として認定し、「準軍属」扱いするには、6歳以上のもの対して「軍命令」によって「積極的戦闘協力」したものに限られていた。しかし、この「援護課」資料によれば、例外的に軍の命令を聞き分けられないと判断した6歳未満児でも、63年以降確定することになったようである。しかし、それは6歳未満への適用が一般化されるのが81年以降であるので、「戦闘参加概況表」の⑮集団自決に該当するケースのみであった

かくて、集団自決と認定されると、沖縄戦では0歳児でも「準軍属」扱いされ、軍人同様に「靖国神社」に祭神に祀られることになったのである。

                                 

           ★

以下に出典を記して、「援護法と軍命の捏造」の実態を列記する。

出典:那覇市史2-6 島尻郡旧真和志村戦争記 8頁(戦争と市民生活198頁)

証言者:金城 嘉味(明治32年生)

    金城 光順(明治26年生)

    比嘉 康進(明治20年)

内容: 

【金城 嘉味】空襲の時には区民は各自で掘った防空壕や墓などに入ったが、区民の大部分は戦車壕に避難した。私も戦車壕に入ったが、二十年三月二十五日にここを追い出された。その日壕の入口から海を見たら、一面米軍の艦船で埋まっていた。一緒にいた兵隊から「米軍はここに上陸するかもしれないから、一般民は出ろ」といわれて戦車壕から出された。それから私たちは国頭に行った。壕を出てからの行動は皆バラバラであった。夜は艦砲射撃がないとわかったので、昼間は寝て夜だけ歩いて四月一日に大宜見村の根路銘に着いた。

【金城 光順】私は戦車壕を出てからチブガーバル(壺川原)の親戚の墓に行った。そこに一ヵ月位住んでいた。そこにいる時には墓の入口に畳をたててあったので、それで爆風をまぬがれることもあった。米軍が勢理客に近づいた時に、軍命令によって玉城村に行けといわれた。

【比嘉 康進】私は戦車壕に入らず、石部隊の兵隊と一緒に協同で掘ったナーチュの壕にいた。壕には七家族,三十七人が隠れた。戦いが激しくなってからは、毎晩十人位の兵士が斬り込みに出かけたが、帰ってくるのはほとんどいなかった。斬り込み隊員が出かける時には、同僚たちは「斬り込みにいったらけがをしてはだめだよ、死んで帰ってこいよ」と励ましとも慰めともつかない見送りをしていた。

 石部隊が全滅したので、かわって球部隊がきた。彼らは壕に入ってくると私たちに「壕から出て行け」といったので、「出ない」といったら「殺すぞ」と脅迫した。―略

 

■優しかった兵隊さん

那覇市史第2巻中の6

114頁、公募原稿・市民の戦争体験沖縄戦32頁

8少年時代の悲惨な戦争体験    那覇市識名五 玉城秀時

昭和20年5月下旬頃、識名から西方凡そ六百米の大石森から機関銃の銃声が聞こえて来たので、私達は日本軍の機関銃の銃声だと思い込んでいたら日本の兵隊さんが、その銃声は敵だから君達は南部へ避難しなさいといって道順まで教えてくれた。識名東原を通り通称泊下橋を渡り現在の四十四号線に出た。そこに与那原へ向かっておよそ百米の地点で、日本の兵隊さん約三十人にであった。その際私達に向かってみなさん元気でなあ、と声をかけてくれた。その時兵隊さん達は鉢巻をしていたが、武器らしい物は持たず、なにか爆薬らしい小さな遺骨箱の様な物を持っていて、みんな歌を歌っていた。―略―

■その他、壕からの善意の追い出し

*6月18日 ひめゆり学徒の居た第三外科壕で比嘉軍医は、学徒に解散を命じ壕から出てゆくようにたしなめたが、なかなか出ようとしない学徒を追い出す為に日本刀を抜き、出なければ斬ると脅し出した。 出なかった者たちは米軍のガス弾で戦死した。

 

*沖縄第六十二師団 特設警備第二二三中隊 永岡敬淳隊長は、6月22日山城(旧喜屋武村)に集結したものわずか四名遂に負傷し戦闘する力尽き自決する。

岡隊長は暗い壕の中で手探りで一人びとり握手され「ご苦労さまでした。君たちは若い、死んではいけない!捕虜になりなさい。アメリカ軍は君たちをころすようなことはしないと思う。だから武器を(手榴弾)捨てて出なさい」と、「隊長さんは?」と訊くと、「私は、沢山の部下を失ったので・・」とおっしゃったあと、懐から数珠を出され、私たちの無事投降を祈られるように、「安子、生きて私の家族に巡り逢うことがあるはずだから、この数珠を預かってくれ。よろしく頼む」と私の首に掛けられました。それから、「だれも私の後について来るな」と言われ壕の出口方向に行かれました。多分そののち自決なさったと思います。(翁長安子)

*野戦病院長小池勇助隊長(少佐)は、6月26日真壁村糸洲の壕から積徳高等女学校の学徒に解散命令をだした。

「長い間、軍に協力してくださりご苦労だった」「・・・決して死んではいけない。必ず生きて家族のもとに帰りなさい。そして凄惨な戦争の最後を、銃後の国民に語り伝えてくれ。」と言われ看護隊一人一人と別れの握手をされた。

■壕の追い出しは、県民を救う為に行なったものであ

 

 1、 西平 守盛 元警視正(沖縄戦当時 警部補)玉城村付近一帯受

 

「銃突き付け日本兵は、住民を救うため」

 

 「ひらめき」14号21頁(国旗国歌推進沖縄県民会議会誌)平成12年2月11日

 

米軍の飛行機は「非戦闘員は、知念半島に避難せよ」という趣旨の「ビラ」を摩文仁方面で撒いた。それで、日本兵は、壕の中にいる住民に、「知念半島は安全だから壕を出て知念半島に行け」と言った。しかし、住民は聞き入れなかったから「銃突き付けたら聞き入れるだろう」と思って銃突き付け「出て行け」と言ったのである。・・・日本兵が自分の身の安全を図るために、沖縄住民を犠牲にしたと曲解して、「日本兵は悪者である」と悪宣伝しているのが、沖縄の現状である。

 

*ビラを拾った人は、壕の外に出て行動した人々であり、より勇敢な人たちだった*

 

【おまけ】

「白旗の少女」として有名な比嘉富子さんは、沖縄メディアが記録映画にでてくる自分の映像を利用し、「白旗を掲げる少女を盾に投降する卑劣な日本兵」などと日本兵を貶めている事実を知った。 

そしてその捏造記事に出てくる日本兵の汚名をそそぐ目的で、自著『白旗の少女』で、日本兵の壕追い出しについて次のように述べている。

 

(比嘉さんが壕に潜んでいたら、日本兵が入ってきた。)

以下引用。

5、6人の兵隊さんがやって来て、「どけどけ、ここでまもなく戦闘が始まるぞ!はやくほかえいけ!」とどなりました。わたしは夜になるのを待ちきれず、まだ日のあるうちにぬけ出し、あちこちのガマ(壕)からガマへとわたって、「ネェネェ、ネェネェ(オネーチャン・引用者注)」といいながら覗いては、先にガマに住んでいる人から、シ、シとまるで犬か猫のように追い出されるしまつでした。

(負傷兵がいる壕に逃げ込んだ比嘉さんに、日本兵が語りかける。)

『ねぇ、そこの」女の子。逃げるならいまのうちよ!もうすぐ、入り口をふさいで、爆弾でみんながしぬのよ。 それとも、わたしたちといっしょに死ぬ?』 わたしは、ぴくっと体をふるわせて、あわててガマをとびだしました。そしてできるだけ遠くへ逃げようと崖をおりました。 しばらくすると、うしろで大きな爆発音がして谷間にごうごうとこだましました。

 

別のアングルから撮られた写真

少女を盾に投降する「卑劣な日本兵」とは、はメディアによって捏造された真っ赤な嘘であることがわかる

(「卑劣な日本兵」を捏造したのは沖縄タイムスの新川明記者(後に社長)である)白旗の少女

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赤木俊夫氏の自殺、朝日らメディアと野党の不毛な追及が追い込んだ

2021-06-28 08:59:45 | マスコミ批判

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赤木俊夫氏を自殺に追い込んだ理由は、沖タイの親分の朝日新聞らマスコミが不毛なモリカケ問題を追求し、朝日の尻馬に乗った野党が赤木氏糾弾で国会を空転させたからだ。

赤木氏を自殺に追い込んだ犯人はマスコミと野党である。

そう、阿部岳記者らマスコミの「アベガー」の大合唱が赤木氏を自殺に追い込んだ。

盗人猛々しく何の反省もない阿部岳記者の関連コラム。

 
[大弦小弦]赤木ファイルというともしび
2021年6月28日 06:26有料

 ところどころに懐かしい筆跡がある。赤木雅子さんは亡き夫、俊夫さんが残した「赤木ファイル」を自宅でめくっている。「夫が帰ってきたみたい。いとおしい」

▼財務省は安倍晋三前首相や妻昭恵氏との親交をひけらかす森友学園に国有地を安く売った。ファイルにある通り「特例的」だった。政治問題化すると、近畿財務局職員だった俊夫さんはそうした文言を消す作業を強いられた

▼文書改ざんから4年、俊夫さんの自死から3年。雅子さんは国を相手にした訴訟でファイルを取り戻した。俊夫さんにとって改ざんの事実を記録に残すことが最後の抵抗であり、職業的良心の証しだった

▼生前、「私の雇用主は国民」と知人に語っていた。「国民のために仕事ができる国家公務員に誇りを持っています」とも。誇り高い公務員の存在は私たちにとっても誇りだ

▼上層部はどうだったか。俊夫さんは佐川宣寿元理財局長が「開示により新しい情報を与えることがないよう」改ざんを指示したと書き残した。ここで情報は国民の物ではなく、「与え」たり隠したりねじ曲げたりしていい私有物になっていた

▼腐敗したこの国の統治機構の中で、赤木ファイルは希望の象徴だ。俊夫さんが命懸けで守り、雅子さんの勇気が世に出した真実のともしびを、かき消させてはならない。再調査を。(阿部岳

 

赤木俊夫氏を自殺に追い込んだのは誰か

森友事件で自殺した元近畿財務局職員、赤木俊夫氏の遺した「赤木ファイル」が開示され、これについて安倍前首相がFacebookでコメントしている。

財務省が提出した関連文書は580ページもあるが、赤木氏が2017年3月に書いた「備忘記録 本省の対応(調書等修正指示)」は1ページだけである。

・本省において、議員説明(提出)用に、決裁文書をチェックし、調書の内容について修正するとの連絡受。本省の問題意識は、調書から相手方(森友)に厚遇したと受け取られるおそれのある部分は削除するとの考え。現場として厚遇した事実もないし、検査院等にも原調書のままで説明するのが適切と繰り返し意見(相当程度の意思表示し修正に抵抗)した。

◎本省の修正指示を受け、3月7日午前、速やかに部長に報告。本件事案は本省と協議し当初の定期借地契約を締結している過程等が調書から削除されることは今後の検査院への説明等に支障が生じるため、現場の問題認識として既に決裁済の調書を修正することは問題があり行うべきではないと、本省審理室担当補佐に強く抗議した。

→3月9日、近畿財務局管財部長から局長に報告。今回の対応(修正等)は、本省理財局が全責任を負う。近畿財務局長の責任で対応するとの発言(部長と本省幹部間で話をしたと思われる)。当局は一切修正作業は行わず本省が修正作業を行うとの説明受(納得できず)。

◎本省で、議員からの資料要求に対する佐川理財局長への説明過程や、同局長からの指示等の詳細が当局に還元(説明なし)されず、詳細が不明確なまま、本省審理室(担当補佐)からその都度メールで投げ込まれてくるのが実態。本件の備忘として、修正等の作業過程を下記のとおり記録しておく。

朝日新聞が火をつけ、野党が炎上させた

この後に一連の経緯を時系列で記したメモが続くが、赤木氏の事実認識を記した「備忘記録」はこれが全部である。後半の佐川局長が改竄を命じたところばかり報道されているが、安倍氏も指摘するように、最初に「現場として厚遇した事実もない」と書いている点が重要だ。

赤木氏が本省の指示に抵抗したのは、問題の国有地を森友学園に特別に低価格で払い下げる「厚遇」はしなかったから。その後の国会質問でも、売却価格が不当に減額されたという結論は出ず、刑事事件にもならなかった。もちろん安倍首相とも無関係だった。

公文書偽造は犯罪であり、それを命じた佐川元局長の責任は重いが、最初に森友事件に火をつけ、あたかも安倍氏が指示して減額させたかのような報道を続けたのは朝日新聞である。赤木氏は、それが誤報であることを当時から知っていたのだ。

では佐川氏は、なぜ問題のない記述を削除させたのか。それは安倍昭恵さんの名前を抹消するためだった。これは首相の「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員もやめる」という軽率な答弁(2017年2月17日)のあと、佐川氏が「交渉記録はなく、面会などの記録も残っていない」と虚偽答弁をしたのが原因だった。

野党は1年以上にわたって国会で森友問題を追及し、2018年3月6日には立憲民主党の杉尾秀哉議員と小西洋之議員が、財務省に乗り込んで「森友の決裁文書を出せ」と要求した。

杉尾秀哉氏のブログより

               ★

赤木氏が自殺したのは、この翌日(3月7日)である。理財局から決裁文書を出せという命令が出たため、それに抵抗して自殺したものと思われる。彼を自殺に追い込んだ直接の圧力は本省の理不尽な命令だろうが、野党の執拗な追及が引き金になった疑いが強い。

事実無根の「疑惑」を1年以上にわたって騒ぎ続けた責任に口をぬぐって、財務省の責任ばかり追及する野党とマスコミに対して、政府はきちんと反論すべきだ

 

【おまけ】

元NHK職員「赤木氏が自殺したのは、杉尾議員と小西議員が財務省に乗り込んだ翌日…その因果関係も調査が必要だ!」

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河野大臣に問う!国内の医師ら450人がワクチン接種中止を求めて嘆願書を提出

2021-06-28 07:59:16 | 医学・健康

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国内の医師ら450人がワクチン接種中止を求めて嘆願書を提出

ワクチン接種の中止を求める「新型コロナワクチンに警鐘を鳴らす医師と議員の会」(代表・高橋徳氏)は国会内で会見した=24日、東京都千代田区

嘆願書に同意したのは国内の医師390人と地方議員60人で、発起人の高橋徳・米ウィスコンシン医科大名誉教授(クリニック徳院長)は同日午後に国会内で会見。「死亡率が非常に低く、感染者の80%が軽症にもかかわらず、安全性もまだ分かっていない遺伝子ワクチンを国民全員に接種させる必要があるのか疑問だ」と説明。出席した他の医師からも「治験が終わっていない」「接種後に少なくとも356人の方が亡くなっている」などの発言が相次いだ。

この日は河野太郎ワクチン担当相が自身のブログを更新し、ワクチン接種を巡って「医師免許を持っているにもかかわらず、デマを流す人もいます」と批判。「長期的な安全性がわからない」などの意見も具体例に挙げたが、高橋氏は「情報の出所は厚労省のホームページ」と話し、他の医師からも「大臣がデマだと言い切る根拠は何か」と驚きの声が上がった。

               ★

厚労省がコロナワクチン「死亡事例」の詳細を公表しなくなった不可解

配信

日刊ゲンダイDIGITAL

ワクチン接種のペースは順調(C)共同通信社

 

ワクチン接種後に副反応疑い 2人死亡 7人重症

配信

沖縄ニュースQAB
 

QAB 琉球朝日放送

女子高生と医者

 

歴史的ビデオ

 

 

コロナワクチン3社 ファイザー 武田・モデルナ アストラゼネカ 厚生労働省のコメント 副反応がある 新しいワクチンのためわからない 劇薬

【おまけ】

沖縄タイムス紙面掲載記事

職員5人に兼務発令 県、ワクチン加速へ人事

2021年6月28日 05:00有料

 玉城デニー知事は24日、新型コロナウイルスのワクチン接種加速化計画を進めるため、池田竹州総務部長が保健医療部参事監を兼務する人事を発令した。

 保健医療部との兼務発令の対象は、池田部長ら5人。総務部の茂太強総務統括監が参事、山田みさよ行政管理課長は副参事、班長2人が主幹を兼ねる。計画の策定や速やかなワクチン接種に関する業務を担う。

 玉城知事は「広域的な立場から、迅速かつ柔軟に業務を進めてほしい」と訓示した。

 池田総務部長は「接種率が改善できるように取り組みたい」と抱負を述べた。

 保健医療部は高齢者接種の計画の主体である市町村のサポートを担っており、兼務の対象になった職員はその他の分野を担当するという。

(写図説明)池田竹州総務部長(左)に保健医療部参事監との兼務を発令する玉城デニー知事=24日、県庁

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2度あることは3度!安倍、首相返り咲きの野望、

2021-06-27 21:37:07 | 政治

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安倍氏、首相返り咲きの野望 菅首相支持 令和のキングメーカーの胸の内 朝日新聞元記者・鮫島浩

安倍晋三前首相=衆院第1議員会館で2020年12月、竹内幹撮影
安倍晋三前首相=衆院第1議員会館で2020年12月、竹内幹撮影

 朝日新聞で敏腕政治記者として名をはせ、3・11後は福島第1原発事故を巡る「手抜き除染」の調査報道で新聞協会賞を受賞した著者が独立後、本誌に初登場。菅義偉政権の裏で、安倍晋三前首相を軸とした自民党内の権力闘争に迫った。

 生身の政治家は政党のために働いているのではない。自らが権力の頂点に立つことを目指して昼夜闘争している。それはサラリーマンの出世競争と似ている。ライバルは他の政党(会社)にいるのではない。もっと身近に、同じ政党(会社)の中にいるのだ。

 政治家は忠誠を誓う側近にも親しい記者にも滅多(めった)に本音を明かさない。むしろ本音を隠すために身近な人間を欺くものである。政治の実像を知るには、政治家の「胸の内」をのぞき込む政治記事が不可欠である。豊富な取材経験と独自の情報網、そして総合的な情報分析力をもとに政治家の本音を解き明かすのが、プロの政治記者の醍醐味(だいごみ)だ。

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集団自決、証人の石原昌家教授が馬脚、靖国合祀訴訟の二枚舌

2021-06-27 11:21:19 | ★改定版集団自決

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茶番劇の靖国合祀訴訟 戦争加害者と同列視するなだって

2010-10-31

 

那覇地裁で沖縄靖国合祀訴訟の判決が出た。

結果は、もちろん原告の敗訴。

常識ある人なら誰でも予想できた。

さらにこの真っ当な判決に「不当判決」といきり立つ「識者」がいるのも想定できる。

これだから世の中は面白い。(笑)⇒靖国合祀取り消し訴訟不当判決

この裁判は根っこで「集団自決」「援護法」そして「教科書記述」と複雑に絡み合う。 

筆者が一番注目したのはこの裁判の勝ち負けではない。

原告側証人の石原昌家沖国大教授の二枚舌発言だ。

石原教授「援護法に適用されることが結果的に(沖縄戦を)歪めないと適用されなかった」

石原教授「存在しない軍の命令を、『軍の命令による集団自決』と申請したら、援護法に適用された」

石原教授を当日記がブログで取り上げるのは今回が初めてではない。

集団自決に関してはしつこいほど書いている。

当日記がこれまで「靖国合祀取消訴訟」を避けてきた理由は、きわめて単純。

裁判の内容自体馬鹿馬鹿しくて論評に値しないと考えたからだ。

だが、その馬鹿馬鹿しい裁判も新聞が一面や社会面のトップで誇大に報道すると、多くの読者が誤解する。

それにしても「集団自決訴訟」の当事者といえる沖縄タイムスが、この裁判について社説を書いていないのは不可解だ。

沖縄タイムスは、この訴訟が「死者の尊厳」の問題にみせながら、その実イデオロギーがらみの茶番劇であることを一番分かっているからだ。

まあ、沖タイの社説はしばらく待つとして、この問題で張りきっている琉球新報の社説を引用する。

靖国合祀訴訟 戦争加害者と同列視するな

琉球新報社説 l2010年10月28日               

 沖縄戦で肉親を亡くした上、無断で靖国神社に「英霊」として合祀(ごうし)され、精神的苦痛を被ったとして、県内の遺族5人が起こした合祀取り消し訴訟で、那覇地裁は国、靖国神社双方への請求を退け、損害賠償も棄却した。
 今回、原告が問題視したのは、戦争の被害者である肉親が、加害者側に立つ軍人・軍属と同列視されているからだ。判決は、尊い肉親の御霊(みたま)を無関係な宗教団体が勝手に祭ることで当然生じる精神的苦痛に背を向け、非戦に向けて沖縄戦の歴史を正確に刻む営みに対する理解が欠けている。
 
沖縄戦で犠牲になった人たちの意思確認がない無断合祀を追認した上で、神社側の「信教の自由」を認める形の筋違いの司法判断が及ぼす影響は大きい。先例となる大阪地裁判決をほぼ踏襲し、激しい地上戦があった沖縄戦の特殊事情を深く考察した形跡もない。
 判決理由で、平田直人裁判長は、英霊として祭られたことへの原告の嫌悪感も理解できないわけではないとしながら、「合祀によって社会的評価が低下するとは想定できず、遺族の信教の自由の妨害とは認められない」と指摘した
 
国が神社に情報提供したことが合祀につながった点についても、「宗教的な色彩はなく、合祀の一部を構成しているとまでは言えない」と国の責任を否定している。
 判決によると、
靖国神社は援護法と絡んだ国による情報提供に基づき、遺族の同意なしに10人を合祀した。うち6人は避難壕から追い出され、砲弾の雨の中で死を迎えた主婦や2歳の幼児ら一般住民だが、「準軍属」として合祀された。判決はこうした矛盾と非人間性を正当化、追認した。
 遺族の苦痛が法的保護の対象か、権利侵害になるか否かという狭い解釈論にとらわれ、大局を見失ったという印象を抱かざるを得ない。
 
法廷でも証言した石原昌家沖縄国際大名誉教授は「壕から追い出され死亡した住民が壕を提供したとされるなど、沖縄戦の真実を捏造(ねつぞう)した」と強調し、合祀取り消しが沖縄戦の真実を正す手段と指摘してきた。
 事実と違う合祀に伴う遺族の二重の苦しみは救済されず、原告は控訴をすぐ決断した。控訴審は沖縄戦の本質に迫りつつ、被害者を戦争に馳せ参じた英霊として祭る無神経さを常識で問う曇りのない裁きにしてもらいたい。

                       ◇

 

突っ込みどころ満載だが、「集団自決訴訟」と「靖国訴訟」では真逆のことを平気で主張する石原昌家沖国大名誉教授と「援護金」について2、3述べてみたい。

 

■政府主導の「公金横領」■

原告は、肉親が英霊として靖国に祭られているのは精神的苦痛だという。

だが、戦死した親の墓を暴いて遺骨を靖国神社に持ち込んだわけでもなければ、また合祀して皆で英霊を侮辱し貶めているわけでもない。

それどころか毎日多くの参拝者が手を合わせて戦死者の鎮魂を祈っているのだ。

それが精神的に我慢できないというのなら、せめて金銭面では身辺をきれいにしてから言うべきではないか。

まず靖国に合祀された根拠となる「援護金」の受け取りを拒否し、過去に受け取った援護金の総額を国に叩き返してから、大口を叩くべきだろう。

英霊としての援護金はしっかりもらっていながら、精神的苦痛もヘッタクレもないだろう。

軍人でもない一般住民が、沖縄に限って靖国に合祀さたれた経緯は、戦後沖縄の市町村が援護法の一般人への適用を熱心に国に働きかけ、それに同情した国側が「拡大解釈」で支給するために軍人扱いしたことが原因である。

 その過程で2歳の子供も軍人あるいは軍属として靖国神社に連絡が行き、それが合祀に繋がった。

従って「援護法」を何とか沖縄の民間人に適用したいという国側の善意が、「軍への協力」や「軍の命令」を考え出させたのだ。

現在の弛みきった厚生省官僚達と違って、当時の厚生省援護課には、担当窓口職員にわざわざ沖縄出身者を配属し、沖縄の声を出来るだけ聞くという心優しき官僚がいた。 これは後述のタイムス記事から窺い知ることが出来る。

石原教授は、援護法について「靖国訴訟」では、「戦闘行為が不可能な2歳児が軍属扱いで合祀されるのは、国家による歴史捏造だ」と主張している。

 つまり国が援護金を沖縄の民間人に支給するため民間人が「壕提供」や「食料提供」等を軍の命令・強制で行ったと申請書の作成を指導したというのだこれらは自らの意思で行ったのでははなく、国が指導した書類上の方便であるための事実ではない。 

従って国の歴史捏造という論法だ。

ところがこの人物、「集団自決訴訟」では「集団自決」は軍の命令だと主張している。

一方では国が援護金支給の口実にするため「軍の命令」を捏造したと言いながら、その同じ口で「軍の命令」で集団自決をしたと主張する。

こんないい加減な人物が沖縄の新聞では「識者」として意見を吐くので事情を知らない読者は皆騙されてしまう。

「軍への協力」「軍命による行為」が書類上に記載されなければ、遺族は「擁護法」で救済されなかったのだ。

そこに国側の「善意」の思惑が働き、「援護法」が適用されるに文章を改ざんしてまで救済の道を開いた。 これがが事実である。

ところが石原教授は、この事情を一番良く知る人物でありながら、「靖国訴訟」では「国が歴史を捏造した」と原告側の応援団になり、その一方で「集団自決訴訟」では、国側が自決命令と方便を使った事実には目を閉ざし「集団自決は軍の命令だ」と被告側の応援団にまわるような二枚舌の人物である。

そこに教科書問題が絡むと石原教授はさらに、教科書にも「残虐非道な日本軍」と記述しなければならないと主張する。 

当時の厚生省は「援護法」申請者に可能な限り許可を与えるため、政令を連発して軍命を暗示、誘導して申請書を書き換えさせた。

拡大解釈してでも何とか「援護法」申請を受理しようとした当時の厚生省は、「軍命があれば受理出来る」と何度も誘導の文書を村役所の担当者に送っている。

沖縄への支給は政府ぐるみ(国・村役場・遺族)の公金詐取

言葉を変えれば当時の厚生省の措置は、村役場と遺族を含む三者が口裏を合わせて公金を詐取したと言われても仕方のない強引な処理であった。

従って靖国に合祀された戦死者の遺族が「合祀取り消し」を訴える裁判など馬鹿馬鹿しくて付き合ってはおれないのである。

ただ、実際には存在しない軍の命令を政府指導で捏造し、「援護金」と言う形の公金を詐取したことも現在の価値観や法律で断罪できない。

原告は、控訴をするというが、援護金の受け取りを拒否してからの控訴でなければ、恥の上塗りになるだけだ。

【追記】

沖縄戦遺族の敗訴確定 靖国合祀訴訟で最高裁決定: 日本経済新聞

https://www.nikkei.com › article
2012/06/16 — 
沖縄戦などで死亡した家族を無断で靖国神社に「英霊」として合祀(ごうし)され精神的苦痛を受けたとして、沖縄県内の遺族5人が靖国神社と国に合祀取り消しなどを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は15日までに、遺族側の上告を退ける決定をした。遺族側敗訴の一、二審判決が確定した。決定は13日付。

訴えていたのは、死亡した旧日本兵や民間人計10人の遺族。一、二審判決によると、靖国神社は1950~67年、10人を遺族の同意なく合祀し、国は戦没者の氏名などを神社に提供した。

一審・那覇地裁は「合祀で遺族の信教の自由を妨害したり、戦没者の社会的評価を低下させたりしたとは認められない」と指摘。「神社が何を信仰対象とするかは絶対的に保護されるべき価値。遺族感情を根拠に法的救済を認めることはできない」と判断。国の責任も「宗教的色彩はない」と否定した。二審・福岡高裁那覇支部も支持した。

一方で、一、二審判決は「英霊としてまつられることへの不快感や嫌悪感は理解できないわけではない」などと遺族感情に言及していた

 

【おまけ】

■厚生省の担当者に沖縄出身者を配属■

当時東京側の厚生省担当に配属された沖縄出身者の証言が沖縄タイムスの2005年3月5日付朝刊に掲載されている。

 沖縄戦の住民犠牲者が、援護法の対象となる「戦闘参加者」として、「該当」するか否か。最終的に決定したのは厚生省だ。その決定に携わっていたのが、沖縄県出身の祝嶺和子さん(77)=静岡県=だ。

 一九八九年に厚生省を退職するまで、中国残留孤児問題を含めて、援護畑一筋に働いた。

 沖縄戦当時、女子師範本科に在学していた。四五年三月、女師、一高女の学生が、看護隊として出陣する集合に、空襲に遭い、祝嶺さんは間に合わなかった。

 大勢の同級生や後輩が「ひめゆり学徒」として、亡くなった。戦後、そのことは「ずっと、頭を離れることはなかった」という。

 多くの友人を亡くし、生き残った元特攻隊員の祝嶺正献さん(故人)と結婚。沖縄から密航で日本本土へ渡った後、五四年、厚生省に入省した。

 沖縄出身ということで「『沖縄のことをこれからやるからね、援護局につくられた沖縄班に来なさい』と上司に言われ、決まっていた配属先から異動させられた」。

 前年から、米軍統治下の沖縄でも、軍人軍属に対して、日本の援護法適用が始まっていた。祝嶺さんの異動は、援護法の適用拡大に向けた動きだったようだ。

 「援護では最初に、軍人軍属の、その次に沖縄では学徒たちも戦ったらしいな、ということで、私が引っ張られたのだと思う」

 当時、沖縄班の人員は七、八人。祝嶺さん以外に、もう一人県出身で、後に国民年金課長を務めた比嘉新英さん(故人)がいた。

 沖縄の市町村が受け付け、琉球政府を経由して、厚生省に送られる援護の申請資料。防衛隊など軍人軍属への申請書類に目を通していた同僚が、祝嶺さんに、尋ねた。

 「普通のおじさんやおばさんも、軍のために働いたのか」

 沖縄戦では、一般住民が、武器らしい武器もなく、米軍への切り込みを命じられ、日本軍のために弾薬を運び、「集団自決」を強いられた。・・・ (社会部・謝花直美) >

                    ◇

【おまけ2】

政府が援護法認定のために、実際は存在してない「軍命令」を、「軍命令があった」と申請するように示唆した。

その「政府の書き換え指導」を調査した石原昌家沖国大教授の論文はこれ。

政府が書き換え指導  援護法認定、「軍命」基準に

語るに落ちたとはこのことだが、石原教授は「集団自決」という言葉さえ「強制集団死」とすべきだと主張している。

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コメント (2)

「大量破壊兵器と肩を並べつつあるドローンに全力で警戒するべき」という主張

2021-06-27 08:57:14 | 政治

「大量破壊兵器と肩を並べつつあるドローンに全力で警戒するべき」という主張!

1: すらいむ ★
 《 人間が搭乗しなくても空を自由に飛び回れる無人航空機(UAV)は「ドローン」という通称が定着し、荷物の運搬や高所からの撮影、イベントでの演出などさまざまな用途に使われていますが、そんなドローンの軍事転用についてはかねてから懸念の声があがっています。 》 

ここまで一部引用、続きは記事ソースをご覧ください。

EilNgnLXgAE8ag1
https://gigazine.net/news/20210612-protect-against-weaponized-drones/
引用元: ・https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1623571182/
7: 名無しのひみつ
強いレーダー波の照射で焼いてしまうのが最良だろうけど
そもそもレーダーには映らんだろうな

8: 名無しのひみつ
だが地上攻撃可能なドローンは結構高い
イランの司令官をミサイルで暗殺した米軍のリーパーは
攻撃ヘリと同じくらいコストがかかるし
より高度な「一度に複数台を操作できる(攻撃型の)ドローン」は
今後は戦闘機や他の兵器と同様にコストの問題に直面すると思う
自爆攻撃しかできない巡航ミサイルより高額なのは間違いないだろう

9: 名無しのひみつ
日本は首相官邸事件があって早々と規制したな
あれもどっかの横車だったのか?

15: 名無しのひみつ
>>9
1ヶ月気づかなかったんでしょ官邸

10: 名無しのひみつ
日本も中国との戦争に備えないと
やつらは必ず攻めてくる

11: 名無しのひみつ
戦略爆撃機から戦略ミサイルと
基本的には兵器は無人化して行くのが
通常進化だろう

現代兵器では特に重要な隠蔽性においても有人兵器より
小型化出来る為優位性があり自律型の場合は対抗措置が
限定される
中国はかなり研究開発しており対抗する為にも
絶対に研究が必要

12: 名無しのひみつ
問題は行動半径と搭載量だね<iframe src="https://richlink.blogsys.jp/embed/c6bbf48f-ee58-326e-9031-7d13734a9fdd" frameborder="0" scrolling="no"></iframe>




25: 名無しのひみつ
>>12
30分も飛べないからね。
距離伸ばすならラジコン飛行機のほうがいい。

13: 名無しのひみつ
ステルス戦闘機で、敵地に深く侵入し
多数のドローンを放って、すぐドロンして
帰還するとパイロットの戦死はほぼゼロな。
コメント (4)

辺野古阻止のイデオロギー、コンベヤー申請 県に不許可要請 市民ら、新基地巡り

2021-06-27 08:29:40 | 外交・安全保障
沖縄タイムス紙面掲載記事

コンベヤー申請 県に不許可要請 市民ら、新基地巡り

2021年6月27日 05:00有料

 【本部・名護】名護市辺野古の新基地建設に伴う本部港塩川港のベルトコンベヤーを巡り、建設に反対する市民らが24日、県の北部土木事務所を訪れ、7月分の申請を許可しないよう求めた。事務所は「港湾関係の法令に基づき適切に審査する」と述べるにとどめた。

 市民らは濁水対策として許可条件に「降雨時には作業を中止すると明記すべきだ」と指摘。事務所側は「実際に運用しながら、進めていきたい」と述べた。

 市民らは本部港の使用料がコンベヤー設置に伴い、大幅な減額となっていることも疑問視。事務所側は「条例に基づき算定している」と説明した。

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デニー沖縄県知事、辺野古移設反対!一括交付金「国の発展に」

2021-06-27 06:06:51 | 政治

 

沖縄タイムス紙面掲載記事

沖縄振興「国の発展に」 県議会代表質問 玉城知事が強調

2021年6月26日 05:00

 玉城デニー知事は25日の県議会6月定例会代表質問で、政府・与党が「単純延長はない」と厳しい姿勢を示している次期沖縄振興計画に関し「国の発展につながり、国家戦略としても大きな意義を持つ」と強調した。また、不合理な校則に関しては「人権やジェンダー平等で生徒が差別や格差を感じることがないようにすべきだ」と、見直しの必要性に言及した。西銘純恵氏(共産)の質問に答えた。

             

玉城デニー知事は25日の県議会6月定例会代表質問で、政府・与党が「単純延長はない」と厳しい姿勢を示している次期沖縄振興計画に関し「国の発展につながり、国家戦略としても大きな意義を持つ」と強調した。

デニー知事の安全保障政策は支離滅裂だ。

コロナ関連の健康安全保障では、国の政策を仰ぎ、補助金を請求する。

そして細田元官房長官に「沖縄らしくない」と揶揄われ「バカじゃない」とまでいわれた。

一方、日米安保条約に基づく国の安全保障には「辺野古阻止」などと絶えず反対しながら、一括交付金を含む沖縄振興計画は「国家戦力として意義がある」として継続を要求するデニー知事。

いずれにせよ無為無策。

政府に金を要求するしか知恵の無いデニー知事が、バカにされるのは仕方がない。

次の知事選では引退してもらいましょう。

さもなくば恥をかくのは沖縄県民だ。

コロナ専門会議 知事出席は1度 「後ほど報告受けている」

2021年6月26日 05:00有料

 玉城デニー知事は25日の県議会代表質問で、県の新型コロナウイルス対策を話し合う専門家会議に出席したのは1度だったことを明らかにした。出席時も冒頭あいさつのみで、議事に入る前に退席したという。金城勉氏(公明)の質問に答えた。

 専門家会議はこれまでに21回開かれ、知事は昨年5月の第7回のみ冒頭に出席したという。

 金城氏は「県民の命や経済活動に関わり、さまざまなデータを用いて専門家が緊急事態宣言延長の可否などを協議をする重要な会議だ。直に専門家の意見を聴いて方針を出すのが責任者の姿勢ではないのか」と追及。知事は「保健医療部と新型コロナ対策総括情報部が担当なので、協議内容は後ほど報告を受けることになっている」と釈明した。

               

コロナウイルス対策専門会議に知事が一回しか出席せず、しかも冒頭のあいさつのみ退席したのは、デニー知事の怠慢ではない。

下手に知事が出席してトンデモ発言をしたら謝花副知事や知事公室長が「発言撤回」に四苦八苦するから。

知事が重要会議に出席しないのは無能な知事に発言させないための副知事の差し金である。

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続・「WiLL」10月号 沖縄集団自決裁判…暴かれた援護法のカラクリ

2021-06-26 19:31:14 | 政治

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続・「WiLL」10月号 沖縄集団自決裁判…暴かれた援護法のカラクリ

2020-01-25

「WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決
「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪」の続編です。

「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 
「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 


暴かれた援護法のカラクリ

 江崎:準軍属の身分を与えるため、積極的な戦闘参加という条件と軍命の捏造とのカラクリは、出来上がるまで数年の期間がありました

 まず、沖縄の援護課から遺族の申請を厚生省に出す。しかし、厚生省の担当部局から「これでは戦闘協力が消極的だ」と審査課から突っ返される。その時、「当時の戦闘状況から、××のような項目に当てはまることがあったのではないか、あったらそのように現認証明を添えて申請し直してくれ」と返してくる。

 つまり、積極的な戦闘協力と認められるというのは、「軍の命令によって云々」と申請することだったのです。政府主導でもって、ありもしなかった軍命をでっちあげた

 鴨野:援護法の問題の実態が暴露されにくいのは、お金をもらっているからでしょう。自分の父親は軍命で自殺したわけではないが、軍命を言わないと給付がもらえなかった。これを暴露してなお、お金をもらうことはできない。だから、当事者はわかっていても沈黙しているという面があると思います。

 江崎:その心理はよく理解できます。しかし、黙して語らないなら許せますが、たとえば米軍上陸の知らせを聞いて、兄と一緒になって家族のみならず村人まで手にかけ、戦後、牧師となった金城重明みたいに赤松隊長の名前を挙げて責任を転嫁するのは許せない。貧乏ななかで嘘をついてお金をもらう。みんなやっているし、共同工作もした。やむを得ないことだったとしたら、手を合わせながら過ごせばいい。ところが、「アイツ(軍)のせいで自決した」と責任を転嫁し、悪者扱いする。そこが問題なのです
(※参考:陶酔が集団自決をもたらした、金城重明氏の証言

 上原:渡嘉敷村の古波蔵惟好村長が、「最初に私が手本を見せる」と言って、宮城に三顧の礼、天皇陛下万歳をやって手榴弾のピンを抜いた。しかし不発だった。次に真喜屋元校長が、「じゃあ、私が見せる」と言って爆発した。それでみんな「私も殺してください」と続いていったわけです。

 このことを一番詳しく知っているのは金城武徳さんです。金城武徳さんは、その現場には金城重明はいなかったと言っている。金城重明は嘘ばっかり並べていて、彼の証言を集めるとみんな違っている。誰かが書いたものを都合のいいように解釈するからです。いまはわずか5、6歳の子供の証言もあるといっている


 集団自決問題のなかで、もっとも見苦しくて恥ずかしい人間でしょう。


沖縄二大紙のデマと捏造

 江崎:集団自決問題は、沖縄の新聞メディアが必死になって、時にデマを使って自分たちの声を大きくしています。上原さんの件もそうですし、他にも1970年に赤松元大尉が沖縄に来られた時に、新聞は、沖縄県民が怒りの拳を振り上げて「出ていけ」と言ったように書いた。しかし調べてみると、あそこにいたのは全て市役所の職労なんです。(【おまけ】参照)

 鴨野:当時、渡嘉敷村村長だった玉井喜八さんは遺族会誌でこの事件に触れ、「文献では自決命令云々と書かれているが、生き残った人々は各自異なった体験を語っている」とし、軍命を否定している。そして、「『赤松帰れ』と叫んだ者は皆、村民以外の民主団体だ」とも断じています。
(※参考:渡嘉敷島玉井村長の手記、沖縄タイムスが報じない

 極めつきは、昭和53年の33回忌に赤松さんの奥さんを呼んで、遺族会と元隊員と合同で慰霊祭を行った。その際、奥さんと住民が親しく交流していたことが、赤松さんに対する何よりの慰めだったと語っています。もし赤松さんが自決命令を出し、自分の家族を殺していたとしたら、住民が歓迎するわけがない。

 しかし、『鉄の暴風』で自決命令が登場し、生き残った人も援護法の兼ね合いで赤松や座間味の戦隊長だった梅澤が悪いと言う。そうやって重なっていき、社会に定着していった。タイムス、新報としては、その捏造を守らないといけないから、異を唱える人を排除する。星さんと上原さんはそれを身をもって体験された


 星:このような新聞社、マスコミにどう対応すべきですか。言論弾圧や封殺に対し、私たちはどう戦えばいいんでしょうね

 江崎:上原さんが行った訴訟は、一つの突破口でしょう。

 上原:僕が裁判に負ける要素は全くなかった。しかし重要なのは、僕が勝つことではないのです。赤松さんと梅澤さんの汚名を晴らすことができるかどうかが鍵なんです。

 江崎:繰り返しになりますが、新聞は自治労、沖教祖、大学の左翼の声を拡大させているだけなのです。沖縄二紙がパッと騒いで、他のメディアもワーッとついていき、それが沖縄の声だと勘違いしてしまう。

 鴨野:世論をコントロールしている人は一部の人。しかし、それらの新聞は、両方とも20万近い読者を抱えているのだから、厄介です。

 星さんや上原さんは沖縄に住みながらの言論活動です。当然、沖縄に住む友人がたくさんいるでしょう。そのお付き合いしている人や会社に対して、「おかしい」と疑義を呈しているわけです。沖縄という小さなコミュニティーのなかで孤立するかもしれないし、仕事がなくなうrかもしれない。そういう意味で、沖縄の体制派の言論人からみたらとんでもないインパクトがあると思います。

 江崎:しかもこれまでタイムス、新報とつきあっていたわけですからね。無難に原稿を書き続けていれば、社会的地位も安泰だし、収入もそれなりにある、友人関係も崩れずにやっていけるのに、あえて全部叩きつけて、喧嘩を売って意見も発表する場所もないような状況になる。その勇気はすごい。


八重山日報の孤軍奮闘

 上原:これまでに協力してくれたのは、ほんのわずかの人たちです。世界日報と八重山日報、そして江崎さんのブログ「狼魔人日記」くらいです。

 江崎:よく「新聞に書いているものを真っ向から否定して大丈夫か」「営業妨害で訴えられるんじゃないか」と言われますが、何も空想で書いているわけではない。全てネタをキチンと持って書いていますから平気です。最近では、新聞記者の実名も挙げて書いています。

 最初は罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられましたよ。お前はニセ沖縄人だ、沖縄人がそんなことを言うはずがない・・・しかし段々減ってきて、いまではたまにあるくらい。ブログは日に大体1万人、テーマを絞った場合は2万人もアクセスがある。それだけの読者がいるわけです。

 星:沖縄戦で、軍民あわせて18万の犠牲者が出たと言われています。住民と日本軍の数を比べると、住民のほうが若干多い、とも言われています。それだけ夥(おびただ)しい軍民が沖縄戦で犠牲になった。

 その死んでいった人たちを、まるで軍の強制だけによって死んでいった、と先入観を持った解釈をしてしまうのでは、あまりにも沖縄戦の真相から乖離しています

 集団自決のなかで、自ら死んだことを美しい物語にしようなどとは毛頭思っていない。どれが虚構で捏造なのか、頭を冷やして考えてみるとよい。彼らの多くが、当時の殉国の思想で自決した人たちだと理解している。我々がいま平和でいられるのは、戦史した軍民のおかげだと考えることもできる。これから意図的に歴史を捏造するのではなく、イデオロギーに偏向せずにきちんとした歴史(認識)をしなければなりません

 

【おまけ】

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パンドラ勝訴、WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決 「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪

2021-06-26 13:43:27 | ★改定版集団自決

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WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決 「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪

2013年8月13日・・・

 この日、沖縄のドキュメンタリー作家、上原正稔氏が琉球新報を相手取った訴訟で逆転勝訴が確定した。それはパンドラの箱裁判と呼ばれ、上原氏の集団自決をめぐる連載ノンフィクションが突如、打ち切られたことに対する裁判だった。

琉球新報が自紙に長期連載中の上原正稔著「沖縄戦記・パンドラの箱をを開けるとき」の最重要部分を一方的に削除した理由はこうだ。

当時、沖縄集団自決を巡る文科省の教科書検定に反対し、琉球新報と沖縄タイムスは「集団自決は軍の命令」と主張。 教科書から「軍命による集団自決」という文言の削除を求めた文科省に対し、沖縄2紙は「軍命説」を煽りたてる働きをしていたからだ。つまり、上原氏の連載では真実が明かされ、集団自決に軍命令はなかったことが貴重な証言や豊富な資料を以て書かれていたからである。

沖縄の全体主義はこのように情報統制を行っているが、今回の福岡高裁那覇支所の判決は、そんな特異な言論空間に風穴を開ける画期的なものだった。8月12日までに琉球新報が最高裁に上告しないことが明らかになり、上原氏の勝訴が確定したのだ。

しかし、上告しないことで裁判自体を闇に葬ろうとした琉球新報の意向に沿って、沖縄タイムスだけでなく、他のメディアもこの勝訴確定を黙殺したままだ。

琉球新報の敗訴確定を黙殺した沖縄2紙に対し、いち早く「沖縄集団自決裁判に画期的判決」と題する対談を企画したのは月刊誌『will』であった。

「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 
「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 

以下月刊誌『WiLL』10月号の抜粋である


WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決
「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪

WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決
「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪

フリージャーナリスト・鴨野守

詩人・美術評論家・「うらそえ文藝」編集長 ・星雅彦

ジャーナリスト(狼魔人日記管理人)・江崎孝

ドキュメンタリー作家・上原正稔

■「なかった」ことにするな

 鴨野:上原正稔さんは琉球新報の夕刊で、沖縄戦に関する連載「パンドラの箱を開ける時」をお書きになっていましたが、最終回の慶良間諸島の集団自決の真相に迫る箇所について、琉球新報から「これまでの原稿の焼き直し」と批判されて書き直しを求められた。上原さんはそれを拒否して08年8月に連載を打ち切り、最終回も掲載されなかった。

 上原さんはこの件について裁判を起こし、7月29日、5年越しに福岡高裁那覇支部は原告の請求を棄却した一審判決(那覇地裁)を覆し、琉球新報社の契約違反を認め、105万4千円の支払いを命じました。

 江崎:さらに上告期限である8月12日までに、琉球新報の上告申請がなされていないことが判明し、これによって「琉球新報の敗訴」という福岡高裁判決が確定しました。

 上原:私は絶対に勝てると思ったので、HPでも判決の日をXデーとして、「Xdayのカウントダウン・・・あと×日」と書いていました。

 これで、軍命令を出したと言われてきた梅澤裕さんと赤松嘉次さんの汚名を晴らすことができた。梅澤さんと赤松さんの弟の秀一さんに電話で報告すると、「(名誉回復は)もう諦めかけていた。涙が出るほど嬉しい」と喜んでくれました。

 判決の日には記者会見をすることを各新聞社などに伝えてありました。ところが、会見に来た大手の新聞社は共同通信だけ。しかも、共同通信は報道しなかった。朝日も読売も毎日も産経も報道しない。結局、琉球新報と沖縄タイムスがベタ記事で、あとは世界日報が大きく報じてくれました。世界日報はこの裁判が始まった時からずっと追っかけてくれて、ちゃんと報道してくれました。産経新聞は8月11日に石川水穂さんがコラムで詳しく書いてくれましたが、しかしタイミングが外れているのでニュースとしてはとても弱い。

 この判決は沖縄の歴史をひっくり返す、とても重要な判決です。集団自決の真実を伝えようとするのを琉球新報が潰そうとし、それに戦って勝ったわけですから。

 つまりこれは右も左も関係なく、メディア全体が敵だったわけです。僕はわりと楽観的な人間なんだけど、勝訴して初めて自分がどれだけ巨大な存在と戦っていたのかを実感して、この国のメディアはどうなっているのかと疑問に思いました


 江崎:上原さんがおっしゃったように、この判決をほとんどのメディアは報道していません。判決が出た時は琉球新報も沖縄タイムスもベタ記事とはいえ報道していたのに、上告せずに判決が確定したことは一切、報道していません。それ以外にも私が知る限り、新聞、テレビ、ラジオ、どのメディアも報道しておらず、私のブログ「狼魔人日記」で知った人が多いくらいです。

 つまりこれは、「報道しない自由」によってフェードアウトする魂胆です。ちょうどオスプレイ、それから米軍ヘリ墜落事故があり、これを新聞は朝から晩まで報道し、裁判については触れないでいる。そしてほとんどの沖縄県民、そして日本国民に琉球新報の敗訴を知らせず、忘却するのを待つつもりなのです。

 しかし、これは非常に重要な裁判なのです。単に掲載拒否、契約違反といった問題ではありません。琉球新報が全面削除を要求した上原さんの原稿は、集団自決の核心である「(集団自決の)軍命はなかった」という部分だけで、この行為がおかしいのだと鉄槌が下された。

 つまりこれは言論の自由、そして日本の歴史にもかかわる重大な判決なのです。それを一切報道しないのは、不思議でしょうがない



理不尽な原稿ボツ

 上原:詳しい経緯を話しますと、僕は2006年初頭に、琉球新報から「連載をやってくれ」と頼まれました。その年の4月から年末まで「戦争を生き残った者の記録」を連載し、その次に2007年5月に、裁判となった「パンドラの箱を開ける時」が始まった。

 その最初の回で、伊江島(いえじま)戦について書きました。そしていよいよ集団自決について書くことになり、「慶良間(けらま)で何が起きたのか」の資料と原稿を連載担当者の前泊博盛(次長・編集、論説委員)に出しました。そうしたら編集部から呼び出されて、琉球新報の6階の空き部屋で枝川健治(文化部長)、上間了(編成、整理本部長)といま編集局長をやっている玻名城泰山が入ってきた。前泊はぼくの右隣に座り、3人は向こうに座って「慶良間で何が起こったのか」を発表しないと言うわけですよ。

 説明を求めたら、「これは編集方針に反しているから」とか「君は前に同じことを発表しているじゃないか」という。これを掲載しないのなら連載をストップすると言うと「かまわない」というので、余計に頭に来ました。

 それで連載がストップしたんですが、たくさんの人たちから「連載を再開しろ」という抗議の電話が殺到した。あまりに多いので2007年10月に連載は再開されたんですが、結局、慶良間で何が起きたのかを飛ばして違うものを書きました。

 08年まで続き、170回を迎えた頃、「もうそろそろ終わってくれないか」と言われたので、さすがにそれは承諾した。ただし、最終回の181回は集団自決の真相に絞り、赤松さんと梅澤さんのことを書いて、2人は決して軍命を出したことはない、赤松さんと梅澤さんに謝罪しなければならない、と書きました。ところが、社長を加えた編集会議が開かれ、書き換えろ、と言われた。僕は「これは絶対に書き換えません」と言ったのですが、結局、最終回は掲載されなかったんです。二度にわたる前代未聞の暴挙に、僕は怒って裁判を起こした。そしてこのたび、僕の勝訴となったわけです。

 星:上原さんと同じように、私も書いたものが理不尽にボツにされた経験がありました。

 私は長い間、集団自決問題について沈黙を守ってきていました。しかしある時、琉球新報から原稿依頼があり、それまでの集団自決についての報道に腹を据えかねて考えていることや思っていることを書いたら、すぐボツにされました。

 それだけではなく、ずっと担当していた美術月評から私は予告なしに外された。40年間、書いてきた月評を「もう終わりです」の一言だけで終止符を打たれてしまった。私が体調命令を否定して軍命はなかったと固執したため、封殺されたわけです。無礼千万な幕切れだった。

 そういう悔しさを持っていたんだけど、今回の判決で一歩前進したような気がしますね。これだけで急には明るくはならにだろうけど、一筋の光が届いたような気がします。


「沖縄の怒り」へ印象操作

 鴨野:集団自決については戦争当時、座間味、渡嘉敷の戦隊長であった梅澤裕さんと赤松嘉次さんの弟さんが、2005年に「私たちは集団自決の軍命を下していない」として、大江健三郎と岩波書店を訴えました。社会的にもクローズアップされた問題です。

 判決は控訴棄却ということになりましたが、しかしその間、様々な新証言も出てきましたし、裁判所の判決文には「軍が命令を出したということに関する直接的な証拠はない」という文言が盛り込まれており、そういった意味では、この問題について非常に前進した裁判でした。

 いまの沖縄の状況、教科書問題や米軍基地移転問題などの根本にあるのは、沖縄の本土と日本政府に対する怒り、アメリカに対する怒りのマグマです。この怒りがいろいろな形となり、政治や社会問題に火を付けているわけです。

 そこで、沖縄に長く住んでおられて、言論活動にかかわってこられた御三方とこれから先、沖縄戦をどのようにとらえ、またどのように伝えていったらいいのかについて、話し合いたいと思います。

 星:集団自決について言うと、第一に「軍命があったから集団自決が起きた」と、左翼の人たちは怒りのマグマとして発言し、琉球新報や沖縄タイムスがそのことを次々と報道して怒りを募らせている。

 私は名嘉正八郎氏とともに、40数年前から沖縄本島を中心に県史編纂のために取材して歩いてきた。慶良間にも3回行っています。そういった取材をした結果、軍命があったとはとても考えられなかった。

 鴨野:私は30年前、世界日報の記者として沖縄に1か月あまり滞在し、沖縄戦に直接参加された方、生き残られた方に取材をしました。つらい話も聞いたけれど、全体のトーンとしては「本当に県民が一致団結して日本を守るために、郷土を守るために戦ったんだ。戦って負けたけれども悔いはない」という、潔さみたいなものがあったことが印象に残っています。

 ただ、遺族会の金城和信先生が元気なうちはそういった証言はきちんと残っていたのですが、終戦から50年、60年経っていくなかで、だんだんとそのような手記は排除されて、「沖縄戦はつらかった」「壕から追い出された」といった暗い部分が協調されるようになっていきました。

 江崎さんは、小さい時に学校で教えられた沖縄戦の歴史と、その後、ご自分でいろいろな著作などを読んで知った歴史との違いを感じられたそうですね。


沖縄二大紙の情報偏向

 江崎:小学校高学年か中学校ぐらいの年齢の時に、『鉄の暴風』を読みました。もちろん、子供の頃ですからあまり理解はできませんでしたが、印象としては「日本というのは沖縄にひどいことをしたんだな。けしからんな」と思いましたね。

 しかし、20歳過ぎくらいになって読み返した時、「あれ、おかしいんじゃないか」という違和感、疑念が生まれてきた。そのあとに読んだのが、曽野綾子さんの『ある神話の背景』(現在『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実ー日本軍の住民自決命令はなかった!』として小社より刊行)です。これによって、疑念が確信に変わり、自分で本気で調べてみようと思いました。自分なりにいろいろな文献を調べていくと、どうしても沖縄の情報は沖縄にある二つの新聞、沖縄タイムス、琉球新報に偏っていることがわかった。この2つを無視しては語れない。
(※参考:[沖縄戦]『鉄の暴風』に関する面白い意見

 先ほど、沖縄の怒りのマグマという話があったけど、その怒りもはたして沖縄県民の本当の気持ちなのか。すべて沖縄タイムス、琉球新報の色眼鏡を通して本土に伝わっています。現在の普天間基地移設問題などもそうです。沖縄に住み、新聞を丹念に読み、様々なメディアを人一倍調べた結果言えることは、全てを一緒くたにして「沖縄の声」とか「沖縄の怒り」と言ってしまうのは、明らかに間違いだということです。

 もちろん、怒りがないとは言いません。しかし、新聞を通すと非常に大きく拡大されてしまう。拡大された「声」は、実はタイムスと新報の「声」なのです。もっと言えば、戦後顕著になってきた沖教祖、自治労、教育界、大学の教授・学者たちの声です。沖縄では、保守的な教授はちょっとした発言でたちまち排除されてしまいます。すべて左翼で固められている

 ですから、沖縄戦を調べるには、タイムス、新報という二大新聞の動きを調べていかないと、間違った印象になるんじゃないかと思います。

 鴨野:星さんは、曽野先生よりもっと前から取材をしておられました。

 星:取材をしてショックだったのは、集団自決をしようとしたけれど生き残ってしまった人が、死んでいる人を見て「うらやましい」と呟いたことです。

 ということは、死んだ人たちは必ずしも強制ではなくて、自ら国のために死ぬんだと自主的に死を選んだ人たちもいた。つまり、軍命だと主張するのは、自分に都合よくまやかしくさい感じがする。曽野綾子さんにも当時そのことを打ち明けたし、彼女もそれで何か確信を握ったようでした。

 江崎:なぜ、星先生は30年近く、集団自決について沈黙なさっていたのか疑問でしたが、あれは話しにくい状況だったわけですね。


宮城晴美の衝撃告白

 星:以前から革新的な思想家たち、たとえば川満信一、新川明、岡本恵徳らとの付き合いもあったので、政治的な発言は極力避けてきた。ただ、裁判が起きた時に、「この問題はこんなところにまで来てしまったのか。もう黙ってはいられない」という気持ちになった。
(※参考:新川明と白旗の少女 捏造された一フィート運動 / 水平軸の発想 ――沖縄の「共同体意識」について:岡本恵徳)

 江崎:しかし、星先生の発言にはタイムスも新報も一言も触れません。肯定も反論もしない、無視です。

 星:触れないのは、私の発言を歓迎しなかったからでしょう。

 鴨野:上原さんはこの集団自決問題についてどう思っていたんですか?

 上原:僕が沖縄戦の研究をはじめたのは1983年頃です。その頃、1フィート運動をはじめた(ひとり1フィート[約100円分]のカンパで、アメリカの国立公文書館等に保存されている沖縄戦の記録フィルムをすべて買い取り、戦争を知らない世代に沖縄戦の実相を伝える運動)。
(※参考:左翼に乗っ取られた1フィート運動
 当時、新聞に登場していた仲宗根政善、大田昌秀などに協力をお願いして、4か月の間に1千万円も集まった。運動は大成功でした。

 ところが、その間に悪い連中(共産党系や沖教祖)がこの運動の乗っ取り工作をはじめて大変でした。僕はその時、「人間ってこんなに汚いものか」とはじめて知り、それから反戦平和を言っている奴らを一切、信用しなくなりました

 集団自決の問題について、曽野綾子さんの『ある神話の背景』を呼んで知りました。その時はビックリしたけれど、それだけで詳しいことを調べることはしませんでした。

 ところが1995年6月23、24、25日に、沖縄タイムスに宮城晴美が「母の遺言 切り取られた自決命令」を発表した。そのなかで宮城晴美は、母親の宮城初枝がこれまで軍命があったという自分の証言は実は嘘だったと書いている。これには衝撃を受けました。
(※参考:「母の遺したもの」宮城初江氏の証言
 鴨野:ご存じのように、宮城初枝さんは「家の光」の懸賞論文で自分の体験、戦争体験を書いて、そこで軍命を書き、入賞した人です。その人が村からも「軍命があったことにしてくれ、そうしないと村にお金が落ちないんだ」と言われてそう書いた、と。

 上原:晴美はこう述べています。

 「母初枝はその著書で梅澤隊長が集団自決を命令した、と書き梅澤隊長を社会的に葬ってしまったが、実は母は島の長老らの圧力に屈し、国の役人の前で梅澤隊長の自決命令があった、と証言した。

 その裏には、援護法(軍人軍属等の公務上の負傷・疾病・死亡に関する国家補償の法律)があり、援護法は軍人、軍属に適用されるもので、一般住民には適用されないものだ。自決で亡くなった人は戦闘協力者として年金を受け取るべきだ、との動きがあった」


 いま問題になっている援護法について、最初に発表したのは宮城晴美です。これが集団自決の謎を解く鍵になり、ぼくの「沖縄戦ショウダウン」に続くわけです、。

 1996年6月に、僕は渡嘉敷の集団自決を目撃したグレン・シアレス伍長の手記を「沖縄戦ショウダウン」として発表し、そのなかで沖縄タイムスの「鉄の暴風」を批判し、赤松さんと梅澤さんをスケープゴートにしている沖縄のメディアを徹底的に非難したのです。

 星:1972年頃、私は宮城初枝さんに会って取材しました。私が「軍命はなかったんじゃないですか」と質問すると、うなずいた。「もっとはっきり言ってください」と言うと、「はっきりは言えないんです」と、心苦しそうな表情だった。
(※参考:母の遺したものへの裏切り~ 座間味島


最高裁判決の意味

 江崎:キーワードになるのは、援護法です。この実態を解明しないと、集団自決の真相はわからない。

 金武町(きんちょう:当時は金武村)で援護法を申請するのに、村長が誰の命令だったかを書く項目がある。村としては「なるべく貰えるものは貰いなさい」という指導をしているので、関係のない人でも「軍命があった」と書く。それは架空の人物でもよくて、たとえば「田中軍曹」と存在しない人の名前を書けばOKだった。このことを証言したのは、金武町の教育委員会の奥間俊夫さんです。

 厚生省も琉球政府も各市町村の援護課の窓口も、「何とかしてやろう」と思っての共同正犯だった。ところが、架空の人物ではなく、実際の人物の名前を書いてしまったために、現在の集団自決問題が起きることになってしまったのです

 星:「集団自決に軍命があったか、なかったか」という問いかけは、私に言わせるともう終わった問題でした。平成23年4月21日の最高裁の判決を受け、大江健三郎は勝った勝ったと喜んでいたけど、最高裁は、集団自決については「真実性の証明があるとはいえない」と結論を出した。ただし、大江健三郎と岩波書店を免責した理由は、「表現の自由の保護」を梅澤さんと赤松さんの人格権に優先させた結果だった。逆に言えば、「軍命はなかった」と受け取れるわけです。

 星:援護法のそういうカラクリは、数年遅れたからやむを得なかった部分のあるけれど、援護金を出したのは、ある意味で日本政府の善意からと受け取るべきです

 江崎:援護法の対象はあくまで軍人と軍属で、本来、非戦闘員である一般住民は対象外です。本土でも東南アジアの島々や中国大陸でも、多くの一般住民が犠牲になりましたが、沖縄以外は援護法の給付の対象にはなっていません。

 沖縄戦は壮絶な戦闘だったということもあり、特別に準軍属という身分を与えて援護法で救済することとなった。しかし、その準軍属という身分には積極的な戦闘参加が条件だった。この「積極的な戦闘参加」という条件と軍命にカラクリがある。

 星:しかし、安易に援護金を出し過ぎたんじゃないかと思う。また、実例を挙げることもできるが、左翼の発表のなかにはあまりにも捏造が多すぎる

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