狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄タイムスその2  「手りゅう弾が唯一の“証拠”」

2007-06-19 08:33:35 | ★集団自決

沖縄タイムス 2007年6月18日(月) 夕刊 1面  
 
自民、意見書案合意へ/「集団自決」修正撤回
 高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から「軍命」を削除した文部科学省の教科書検定の撤回などを求める意見書への賛成方針を決めた県議会最大会派の自民党は十八日、議員総会を開き、文教厚生委員会の前島明男委員長から提示された意見書案を協議、合意する方針を決定した。
 一方、野党側は「集団自決」の軍命に対する意見書案の見解で、「沖縄戦の史実を自ら否定する表現になっている」と反発。野党会派は十八日午後に対応を協議し、独自の意見書案を提示する構え。文厚委員会は意見書案をめぐり、与野党の激しい議論が予想される。

 文厚委員会で可決された後、代表質問が始まる二十六日の本会議冒頭で可決される見通しだ。

 意見書案は、「集団自決」の軍命について「県内のほとんどの資料が灰じんに帰し、今後文書的な証拠が出る可能性は極めて乏しく、事実の検証は厳しい状況」と指摘。

 投降が許されなかった極限状態にあったとした上で、「軍しか持ち得ない手りゅう弾が配られ、多くの住民が自決に追いやられたこと多くの証言から紛れもない事実」とし、「今回の修正は到底容認できない」と検定意見の撤回、記述の回復を要請している。

 だが、野党側は「軍命については生き証人がいる。『検証が厳しい』とするのは、沖縄戦の史実を自ら否定している」「軍の命令なくして、起こり得なかったのは事実」と委員長案を批判した。

 自民の伊波常洋政調会長は「合意できるぎりぎりの線。意見書合意に向けて譲れない」と強調。前島委員長も「全会派が折り合いがつけられる内容を検討した。決裂させるわけにはいかない」と述べた。


     ◇     ◇     ◇     
本部議会決議


 【本部】教科書検定で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が高校の歴史教科書から削除された問題で、本部町議会(小浜利秀議長)は十八日開幕した六月定例会冒頭、検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決した。

 意見書では「係争中の裁判を理由にし、かつ一方の当事者の主張のみを取り上げることは、文科省自らが課す検定基準を逸脱するばかりか体験者の証言や沖縄戦の実相を再び否定しようとするもの」として、文科省の検定意見を批判している。あて先は内閣総理大臣、文部科学大臣、沖縄担当大臣。

                      ◇  
 

 

6月に入ってからのの沖縄タイムスの「集団自決」絡みの時事の露出度は実に凄まじい。

記事・特集はさておいても、社説だけでも16日までに4件も書くという異常ぶり。

半月で4件だから、およそ一週間に二つの社説を書いていることになる。

そんなに書く内容があるのか。

内容なんか如何でも良い。 

とにかく書き続けて“民意”を装うのが目的だから。

沖縄タイムスが煽る“民意”とは、こぐのを止めると倒れる自転車のようなもの。

沖縄タイムスはいつまでこぎ続けるのか。

沖縄タイムス<社説一覧>

2007年           タイトル

6月16日 【文科省意見書】「削除」の根拠が薄弱だ
6月15日 【「集団自決」修正】真実から目をそらすな
6月11日 【検定撤回決議】歴史の事実を直視せよ
6月 4日 【「集団自決」と軍命】「魂の叫び」に応えたい
  

5月 2日 【「集団自決」調査】住民証言が軍関与裏付け

4月 1日 【「集団自決」検定】歴史の事実を踏まえよ

                   ◇

従軍慰安婦問題のときもそうだったが、何事かが「存在した」か「存在しなかった」を争う場合、「存在した派」が「証拠」を出すべきである。

「証拠」のない感情的論議は、罵詈雑言の応酬という不毛な結果になるる。

集団自決問題では「軍命令あり派」が唯一証拠とすることは住民が自決した「手りゅう弾」の存在である。

◆唯一の「証拠」手りゅう弾

上記記事でも「軍しか持ち得ない手りゅう弾が配られ、多くの住民が自決に追いやられたこと多くの証言から紛れもない事実」

厳しい軍管理下にある筈の手榴弾が住民の手にあったことは軍がそれで自決を命じたことと同じという三段論法だ。

手りゅう弾について証言をしたのは当時の村の職員だった富山(新城)真順さんである。
   
富山証言に登場する手榴弾(しゅりゅうだん)の配布については、既に作家、曽野綾子氏が著書『ある神話の背景』の中で、赤松嘉次元隊長に尋ねている。
自決命令は出さないとおっしゃっても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね
 曽野氏の質問に対して、赤松氏はこう答えている。
 「手榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵には、これは正規軍ですから一人一、二発ずつ渡しておりました。艦砲でやられて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したのです。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいていない防衛召集兵たちに、手榴弾を渡したのがまちがいだったと思います」
(世界日報 6月16日付本文より)

≪(2)続いて、被告らが依拠する富山証言の信用性を弾劾しています。被告らは富山証言をもとに米軍が上陸する直前の昭和20年3月20日、手榴弾を村民に配ったといいます。富山証言は第3次家永訴訟において、沖縄国際大学の安仁屋政昭氏が公に持ち出したものでありま
すが、日本軍の第32軍も渡嘉敷島の第3戦隊である赤松部隊も米軍が慶良間諸島を最初に攻撃することはないと考えていました。だから地上戦も予定していませんでした。安仁屋氏もそのことを明確に認めています。3月25日8時海上に敵機動部隊船影を確認するまで米軍の渡嘉敷島への上陸を全く予想していなかった赤松部隊が3月20日に米軍の上陸した場合の戦闘に備えて村の少年や役場職員に手榴弾を配布することはありえません。富山証言はデッチアゲそのものです。≫(沖縄集団自決冤罪訴訟・準備書面)http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/25/


 

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