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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

老醜を晒すノーベル賞作家  毒を食らわば皿まで

2007-11-10 10:12:40 | ★集団自決

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大江健三郎氏「軍命令説は正当」と主張 沖縄集団自決訴訟11.9 21:44  

 先の大戦末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする本の記述は誤りとして、当時の守備隊長らが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償や書物の出版・販売差し止めなどを求めた訴訟の口頭弁論が9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であり、本人尋問が行われた。大江氏は「参考資料を読み、執筆者に会って話を聞き、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」と述べ、軍命令説の正当性を主張した。今回の訴訟で大江氏が証言するのは初めて。  

 一方、大江氏に先立ち尋問があった原告の一人で元座間味島守備隊長、梅沢裕さん(90)は「(自決用の弾薬などを求める住民に対し)死んではいけないと言った」と軍命令説を強く否定。もう一人の原告の元渡嘉敷島守備隊長、故赤松嘉次元大尉の弟、赤松秀一さん(74)は「大江さんは直接取材したこともないのに、兄の心の中に入り込んだ記述をし、憤りを感じた」と批判した。

 訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、集団自決を「軍の強制」とした記述を修正した根拠にもなったが、その後、教科書会社が削除された記述を復活させる訂正申請を出している。

 大江氏は座間味、渡嘉敷両島の元守備隊長2人が直接自決を命じなかったことは認めたうえで、住民に手榴(しゅりゅう)弾が配布されたケースがあることを指摘。「当時は『官軍民共生共死』の考え方があり、住民が自決を考えないはずがない」と軍の強制があったと述べた。自著『沖縄ノート』について「強制において(集団自決が)なされたことを訂正するつもりはない」と語った。

大江氏言葉に詰まる場面も 沖縄集団自決訴訟11.9 23:08  

 元守備隊長が集団自決を命じたのか否か。9日、大阪地裁であった沖縄戦の集団自決をめぐる訴訟の本人尋問では、“無実”を訴える原告側と、軍命令説を崩さない大江健三郎氏の主張がぶつかりあった。大江氏の尋問時間は約2時間に及び、軍命令説の根拠を重ねて問う原告側弁護士に対し、言葉に詰まる場面もみられた。閉廷後、原告の元守備隊長は「(大江氏の主張は)自分の書いた本の弁護ばかりだった」と不満を述べた。

 この日午後からあった原告の一人で元渡嘉敷島守備隊長、故赤松嘉次元大尉の弟、秀一さん(74)と大江氏の本人尋問。先に秀一さんが証言台に立った。

 冒頭、渡嘉敷島での軍命令説を記述した大江氏の著書『沖縄ノート』の感想を原告側代理人から聞かれた秀一さんは、一気に思いのたけをぶちまけた。

 「兄に会ったこともなければ渡嘉敷島に行ったこともないのに、兄の心の中にまで入り込んだような内容だった。まるではらわたを火の棒でかき回すようなやり方に憤りを感じた」

 被告側の当事者席から身を乗り出しながらも、表情一つ変えない大江氏。秀一さんは曲がった背中を証言台で支えながら、「『私は集団自決の命令をしていない』という手記を残した兄の無念を晴らしたい」と力強く訴えた。

しかし、その後、証言台に進んだ大江氏は、被告側代理人の尋問に答え、淡々とした表情で「日本軍総体としての命令、強制はあった」と述べ、「著書の記述を訂正するつもりはない」と言い切った。

 また、大江氏は軍が集団自決の約1週間前、住民に手榴(しゅりゅう)弾を手渡した点に言及。「(赤松元大尉は)集団自決を予見できた」と述べたため、原告側代理人が「米軍の上陸前なのに予見できるわけがない」として根拠を繰り返し追及。大江氏は言葉に詰まり、気色ばむ場面もあった。

 閉廷後、大阪司法記者クラブで会見した原告の秀一さんは「大江さんは著書で個人攻撃をしているのに、問題点をすり替えている」。もう一人の原告の元座間味島守備隊長、梅沢裕さん(90)も「ダラダラとした尋問だった」と批判した。

                      ◇

一言で言えば昨日の大江証言に、一つとして説得力のあるものは見られなかった。

>参考資料を読み、執筆者に会って話を聞き、集団自決は軍隊の命令という結論に至った

ここで言う参考資料とは『鉄の暴風』で、執筆者とは沖縄タイムスの大田良博記者のこと。

大江氏にとってネタ本とその作者を信じること、

それに作家としての想像力、それが『沖縄ノート』著作の全てであった。

ノーベル賞作家大江健三郎氏の『沖縄ノート』とそのネタ本『鉄の暴風』の関係を考えていて、ふとこんなことを考えてしまった。

 もし、高名な作家が稀代の詐話師・吉田清治の著書『私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行』をネタ本にして、

「従軍慰安婦」の物語を創作してもその文学作品の評価とネタ本とは別の議論だろう。

だが、同じネタ本を鵜呑みにして「従軍慰安婦」に関すいる歴史ドキュメントを書いたら、そのネタ本の信憑性がそのままこの作家の信用を壊滅させることは論を待たない。

言うまでもないが、吉田清治の著書『私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行』が全くのデタラメな創作であったことは現代史家秦郁彦氏が綿密な実地調査で証明している。

 

昨日の大阪地裁に大江氏は証言台に立ったが原告が提示する「同じ土俵」に立つことは無かった。

いやむしろ立つことが出来なかったというのが正しい。

「子どもにも分かりやすい」説明には程遠く、「理」を避けて「情念」による場外(土俵外)乱闘に持ち込む以外に戦う手段を持ち合わせていなかったのだ。

>大江氏は軍が集団自決の約1週間前、住民に手榴(しゅりゅう)弾を手渡した点に言及。「(赤松元大尉は)集団自決を予見できた」と述べた・・

自決現場に居合わせず、敵の無差別艦砲射撃に「軍民共に」晒されている状況で隊長に対して大江氏は「自決を予見できたから止めるべきだった」と迫る。

原告側代理人が「米軍の上陸前なのに予見できるわけがない」として根拠を繰り返し追及したことに、

大江氏は言葉に詰まり、気色ばむ場面もあったという。

その一方、「予測・予見」に関して次のようなやり取りもあった。

原告代理人「赤松さんが、大江さんの本を『兄や自分を傷つけるもの』と読んだのは誤読か」

 大江氏「内面は代弁できないが、赤松さんは『沖縄ノート』を読む前に曽野綾子さんの本を読むことで(『沖縄ノート』の)引用部分を読んだ。その後に『沖縄ノート』を読んだそうだが、難しいために読み飛ばしたという。それは、曽野綾子さんの書いた通りに読んだ、導きによって読んだ、といえる。極悪人とは私の本には書いていない」

 原「作家は、誤読によって人を傷つけるかもしれないという配慮は必要ないのか」

 大江氏「(傷つけるかもしれないという)予想がつくと思いますか

 原「責任はない、ということか」

 大江氏「予期すれば責任も取れるが、予期できないことにどうして責任が取れるのか。責任を取るとはどういうことなのか」

戦時中の敵軍上陸直前で艦砲射撃の無差別攻撃の状況下で隊長には「予見」を要求し、

平和な時代の自分の「作品」の中の個人攻撃で傷つくことが「予期できない」と強弁する。

この人物の人権感覚は一体どうなっているのだ。

かつて筑紫哲也氏は「場」と言う言葉を使って糾弾されたことがあるが、大江氏は赤松氏のことを「者」と罵倒しても傷つくことが予期されなかったのだろうか。

1970年3月、渡嘉敷島の慰霊祭出席のため沖縄に訪れた赤松嘉次元隊長が抗議団に阻止させる記事を見て、赤松氏の「犯罪」の糾弾を開始する。

 大江氏は『沖縄ノート』(岩波新書)で次のように書いている。

新聞は、慶良間諸島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男が、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。...かれは25年ぶりのと生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想までもいだきえたであろう。(208頁)

当時まだ米軍占領下にあった沖縄は、大江氏の絶対平和主義にとっては、広島、長崎と並ぶ「平和の聖地」であった。

地元の記者が「沖縄戦の惨状を軍と共に行動しつぶさに報告した」とされる『鉄の暴風』に見られる反日的記述には一点の疑いを挟まなかった。

参考ネタ本は鵜呑みにすれば済むことだった。

絶対平和主義の大江氏にとって『鉄の暴風』は一冊のバイブルであり、

これと一片の新聞記事があれば自著『沖縄ノート』で赤松隊長をアイヒマン(ナチの戦犯)並べて断罪するには十分過ぎるほど想像力は豊かだった。

赤松氏の弟秀一氏は「大江さんは直接取材したこともないのに、兄の心の中に入り込んだ記述をし、憤りを感じた」と怒るが、

そこに描かれる赤松隊長は「残虐非道」の悪魔の象徴であり、悪魔を糾弾するのに一々本人に取材する必要は無かったのだ。

曽野綾子氏の調査により『鉄の暴風』のデタラメさが指摘された頃、大江氏は他の沖縄戦記本がそうした様に、

訂正するか絶版にするかの選択肢はあった。

だが、社会主義が1990年前後に崩壊し、それに寄生していた大江氏にとって沖縄は反日運動の最後の砦であり、

『鉄の暴風』の初版の発刊者である朝日新聞と

『沖縄ノート』の発刊者岩波書店の

【朝日=大江=岩波=沖縄】という左翼メディア結束の一角を崩すわけにはいかなかった。

大江氏は「日本軍総体としての命令、強制はあった」と述べ、「著書の記述を訂正するつもりはない」と強気の態度を崩さない。

日本軍総体の責任を問うのならば、島の守備隊長を者として罵る必要は何処にあるのだ。

だが、絶対平和主義のシンボルが今更逃げるわけには行かない。

大江氏はその時点で「毒を食らわば皿まで」の心境に達していたのだろう。

彼らが腐臭を放って社会主義の幻想にしがみついているかぎり、

「戦後レジーム」はしぶとく生きながらえ続ける。

大江氏は沖縄タイムスと手に手を取って滅びの道を驀進するつもりなのだろうか。

高名な作家が晩節を汚すのは見たくもないし、老醜を晒すのも見たくない。

 

法廷が「理」で戦う場であるとすれば、大江、岩波側は既に勝負に負けたことになる。

「軍命の有無」という「理の土俵」に上がらない(上がれなかった)のなら何を争おうというのだ。

これまでの被告側の証人(宮城晴美氏、金城重明氏、大江健三郎氏)の証言はいずれも「情念」で満ちており、その中に「理」の一欠けらでも見つけるのは困難だ。

【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任をとるとはどういうことなのか」11.9 20:49

【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」

【沖縄集団自決訴訟の詳報(3)】

【沖縄集団自決訴訟の詳報(2)】

【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】

 

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