狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

ゴールデン・ウイークと老子の教え

2006-04-30 14:05:56 | 身辺雑感

去年のゴールデンウイークには何所へ行ったか。

何所へも行っていない。 

行っていないから記憶が無い。

毎日がゴールデンウイークの人もおれば、GWが稼ぎ時の人もおる。

昨日は友人の文を借りて旅への誘い、今日はGWに家に篭る。

矛盾と混沌は老子の教え。

 

戸を出ずして 天下を知り
 
窓を窺わずして 天道を知る
 
其の出ずること弥いよ遠く
 
其の知ること弥いよ少なし
 
 
是を以って聖人は
 
行かずして知り
見ずして名づけ
為さずして成す
 
訳すほどのことも無いと思うが、敢えて訳すと、
 
外出しなくても 世の中を知り
窓から外を覗くことなくても 世の道を見る
遠くに行くほど、知るものは少ない
 
それ故に、聖人は
行かぬうちに知り
見ないうちに名づけ
為さぬうちに果たす
 
なるほど老子の教えは奥深い。
 
ところで「河北春秋」氏のGWはどうでしたでしょうか。

河北日報 「河北春秋」

昨年のゴールデンウイークは何をしたのか。思い出そうとしても、全く浮かんでこない。備忘録を見たら案の定、ごろ寝と読書▼「どこか行きませんか」「うーん、どこも込むからな」。大概こうなる。延々の渋滞にうんざりした昔がトラウマになる。テレビに映る長蛇の連なりを見て「やはりな」。夫婦で顔を見合わせる

 ▼出かける人がいれば、受け入れる人がいる。販売職を含めたサービス産業の勤め人だ。先の『国民生活時間調査』(NHK放送研究所、2005年)を見てみよう。土、日曜の過ごし方を尋ねた▼答えは、土曜で70%、日曜で49%が「仕事」だという。農家や漁業者、また自営業者には及ばないが、他の勤め人を圧倒する。休みが決まっていないという人も多く、44%。人の休みこそ、わが稼ぎ時―を証明している

 ▼休日の楽しみは朝寝坊という向きも多かろう。しかし日曜の場合だが、過半は7時までに床を離れ、早起き傾向が強まっている。遊びに出かける人が増え、出勤者も増加しているのかもしれない▼連休、海外へ56万人。全体で6200万人がどこかへお出かけ。お宅はいかが。天気もよさそうだ。だが、出はなをくじくようにガソリン値上げのニュース。気にし過ぎては何かと障りになる。事故のもと。

2006年04月29日土曜日


コメント

全国屈指の強豪八重山商工! チバリヨー!

2006-04-30 10:17:50 | 未分類

「全くレベルが違った」。

高校野球で九州屈指の名門高校・熊本工業の狩場隆明主将の敗戦の弁である。

相手勝者に完全に脱帽したのは狩場主将だけではなかった。

九州と云うより全国にその名を知られ、打撃の神様・川上哲治の母校でもある熊本工業・林幸義監督もプライドをかなぐり捨てていた。

「パワーが違った。 どういう筋トレをしているか、教えてほしい」。

「大嶺投手はすごい投手」。

高校野球では敗戦後相手勝者を褒め称えるコメントを述べるのが恒例だが、今回の監督と主将の発言は相手の賞賛を通り越して、相手の強さに完全に度肝を抜かれているのが良く判る。

ところで、「それは一体いつの試合で相手は何所の高校か」って?

九州・沖縄以外の読者がいたらきっとそう聞き返すだろう。

順序が後先になったが、取り敢えずその試合の模様を紹介しておこう。

◆琉球新報 (4/28 16:31)

八重山商工が初優勝 春季九州高校野球

 高校野球の春季九州大会(第118回九州大会)第5日は28日、熊本市の藤崎台県営野球場で正午から決勝が行われ、県代表の八重山商工は17―2で熊本工を下し、九州大会初優勝を果たした。
 先発は先攻の八重山商工が大嶺、熊本工が前田。八重山商工は一回表、無死満塁から暴投で先制した後、無死二、三塁から4番羽地の3点本塁打が飛び出し、この回4点を奪った。
 先発大嶺は初回、走者を許したものの、後続を3者三振に抑え、六回までに11三振を奪った。
 八重山商工は、三回にも大嶺の2点本塁打と相手エラーで3点、五回にも2点を加えた。四回裏に1点を返されたものの、10―1と大きくリードを奪い、優位に試合を進めた。


試合翌日29日、つまり昨日の琉球新報はスポーツ欄の紙面一面を全部使ってこの快挙を再報道している。

それならば、もうそれで充分だとも考えたが、わが狼魔人日記にも記録に留めるべきと思い地元新聞記事を中心に取り上げることにた。

まだ記憶に新しい春のセンバツでの活躍や今回の九州大会での快挙。

八重山商工の活躍は、一定以上の世代にとっては、
「今昔の感ひとしきり」であろう。

米軍占領下の沖縄で初めて甲子園の土を踏んだ首里高校の話、持ち帰った甲子園の土を「入域検疫」で海上に投棄した話などはもう伝説上の話になってしまっている。

「沖縄代表高校と戦うのはいやだ」・・嘗ては弱い沖縄チームに同情の大応援があるからだ、といわれた。

今では強くて憎たらしい沖縄代表と対戦するのはいやだ、と言われるまで時代は変わった。

その間の流れを野球弱小県・山形出身の熱心な「高校野球の沖縄ファン」が熱っぽく綴った文がある。

その文中の「・・他チームを圧倒する強豪・沖縄水産・・憎らしいとさえ思っていた沖縄のチーム・・」と言った表現があるが、これも今では決して誇大表現では無い。

≪・・・私は出身が野球弱小県・山形です。野球のルールを覚えた頃から高校野球は見ていましたが、ご存知の通り山形県勢はもう「出ると負け」の状態です。他の東北・北海道勢もほとんど大会序盤で次々と敗れてしまうことが多く、もうどうにかならないものかと思ってました。
 それで近畿とか四国とか野球レベルの高い地区のチームを逆恨みしていたようなところがあります。その中には他チームを圧倒する強豪・沖縄水産も当然のように含まれていました。
 認識が変わったのは沖縄水産が二年連続準優勝を果たした頃だったでしょうか。沖縄の戦後と高校野球の歴史を知ってからです。憎らしいとさえ思っていた沖縄のチームは、かつて甲子園の土を持ち帰ることが許されなかったことを知り、一気に沖縄ファンに変わりました。・・・・≫(Baseball 野球雑文コンテンツ http://hw001.gate01.com/star-fro/okinawa.html

八重山商工の登場で沖縄の高校野球は更に大きく前進し、高校野球の沖縄ファンは地域の枠を越えて全国に広がっている。

4月4日の日付けで野球関係ブログのコメント欄で次のようなコメントを見た。

≪今大会、振り返って印象に残ったチームは優勝した横浜はもちろんですが、
清峰、岐阜城北、早実、関西、日本文理辺りの名前を個人的には挙げたいです。
ですがなんといってももう1チーム、八重山商工ですね。印象度ではナンバーワン。
離島初の甲子園ということで注目されましたが……
とんでもない、全国屈指の強豪でした!
優勝した横浜が間違いなく一番苦戦した試合です、本当にあと一歩のところまで追い詰めましたから。

九州準優勝は伊達じゃない、そういえば清峰が九州チャンピオンでしたな。
ここ最近は東高西低が続く高校野球でしたが、今年は九州勢が元気……なのか?≫

話を戻そう。

上記コメントにもある「今年は九州勢が元気……なのか?」、その元気な九州大会で準決勝では「センバツ準優勝校・清風」を相手ににコールド勝ち

そして決勝戦の相手熊本工業に冒頭の発言をさせたのが、沖縄本島から更にはるか南に下った石垣島の八重山商工だ!・・というわけ。

話が回りくどくて書いてる本人も疲れるが、読むのに疲れるという声も偶に聞く、・・・が、その声を物ともせずに敢えて熊本工業に話を脱線する。

≪◆熊本県立熊本工業高等学校『ウィキペディア(Wikipedia)』

2005年現在でセンバツ19回、夏17回の計36回の甲子園出場を誇り、これは熊本県内の高校の中では、ダントツの甲子園出場回数となる。甲子園春夏通算勝敗は39勝36敗で、準優勝3回・ベスト4が3回。往年は「伝統の熊工打線」と言われる、・・・・
・・・これまでプロ野球界へ輩出した数は61名にも達し、 川上哲治、吉原正喜、山森雅文、伊東勤、井上真二、緒方耕一、前田智徳、塩崎真、田中秀太、荒木雅博をはじめ、数多くの名選手を生んでいる。≫

これだけの説明で熊本工業の強豪ぶり判るとと思うが、どうしても書き加えておかなければならない事があった。

沖縄の高校野球の歴史を辿ると、必ず「廃棄された甲子園の砂」が話題になる。

今でも敗退高校の選手が涙を浮かべながら甲子園の土を袋に詰め込む姿はテレビで全国に放映され甲子園大会の風物詩とさえなっている。

迂闊にも「甲子園の土」といえば首里高校との連想があり、無意識ながら首里高校が初めの方かと思っていた。

ところが「甲子園の土」を初めて持ち帰ったのは熊本工業であったのだ。

でも、驚くのはまだ早い。 それを実行したのは打撃の神様・川上哲治その人だった。

打撃の神様は高校野球ではよくあるエースで打撃の中心打者。 後の巨人に入団した時は投手として入団している。

以下同じく『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用。
≪甲子園の砂
敗退したチームの選手が涙を流しながら、甲子園の砂を持ち帰る姿が一つの風物詩のようになった昨今だが、実はこの砂を持ち帰る行為こそ、1937年の中京商業学校との夏の選手権大会決勝戦で敗れた熊本県立工業学校の当時のエース川上哲治が思い出にと、熊工のグラウンドに撒くために、甲子園の土を記念にポケットに入れた行為が起源と言われている。≫

われ等が八重山商工の大嶺投手もエースで打撃の中心、対熊本工業の決勝戦でもエース自らもホームランを放っている。

もう一つ蛇足を加えると、首里高校が甲子園初出場した時喫した「被奪三振13個」の不名誉な記録は八重山商工・大嶺投手が甲子園センバツ大会でシッカリ借りを返している。

以下記録のため沖縄タイムスと八重山毎日の記事を貼り付けるが、末尾に毎日新聞の「<駒大苫小牧高>野球部員飲酒で辞任の香田氏が5月監督復帰」という記事も蛇足として張り行けた。

ファンとしては強い監督の復帰は喜ばしいことだろうが、一寸待てよ。

ほとぼりが覚めたころ、メデイアが忘れた頃、ヌメッと復帰した印象で、結局本当に責任を取らされたの生徒達だけという感は否めない。


◆八重山毎日新聞 2006-04-29 | スポーツ |

猛攻で熊本工を圧倒/沖縄県人会駆けつけ応援

試合後、熊工応援団が夏大会にエール

八商工

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熊本工

【熊本】8重山勢初の九州地区大会制覇がかかった第118回九州大会決勝戦。八商工側の三塁側スタンドには八重山からの応援団をはじめ、郷友や八重山ファンなど大勢の観客が詰め掛けた。相手側の熊本工業高校は開催地の地元校とあって、学校を挙げての大応援団で一塁側スタンドを埋め尽くし、バックスクリーン側も満席になるほどの熊本県民が応援に駆けつけた。試合が始まると、八重山側の応援団は圧倒的な人数の差に負けじと太鼓や指笛で選手らに声援を送っていた。

なかでも、熊本市内の崇城大学沖縄県人会(儀保岳斗会長)は八重山出身者8人を含む会員6人がエイサー用の太鼓と指笛で応援。八商工ナインを励ました。

同会の比嘉幸宏さん(十九)は「八商工の試合をはじめて見ることができてうれしい。離島ということで大変だとは思うが、夏も頑張ってほしい」と話しながら、指笛でスタンドを盛り上げた。

具志堅大力さん(二十二)は「熊工側の応援スタンドには負けて悔しい」と話しながらも「八商工の子供たちは打撃がすごい」と攻撃のたびに太鼓を打ち鳴らしていた。

また、宮古島出身で熊本県に移り住み、約40年間にわたって熊本から沖縄県勢を応援。今大会も1回戦から全試合を見てきた前川博志さん(五九)=熊本県八王子町=は「八商工ナインは1試合ごとに強くなっている。決勝戦もリラックスしているようで、夏が楽しみだ」と話した。

決勝戦進出で急きょ、石垣から駆けつけた添石邦男校長も「優勝旗が八重山に渡る意義は大きい。高校野球はモチベーションが大切だ。夏の大会に向けてこのまま頑張ってほしい」と夏への期待を寄せる。

夢実現甲子園の会の高木健会長も「子供たちは優勝旗を八重山に持ち帰り、夏に向けた手ごたえを感じている。われわれも、夏に向けて頑張らないといけない」と述べ、夏の大会に向けた支援を呼びかけていくという。

試合終了後の閉会式までの合間には、熊工応援団が総出で「八重山商工高校ありがとう!」と八重山商工にエールを送る場面もあり、両校が夏の甲子園に向けて決意を新たにした。

 

 

◆沖縄タイムス 2006年4月29日(土) 朝刊 1・14・15面 
 
八商工、九州初制覇/春季高校野球

 第118回九州高校野球春季大会最終日は二十八日、熊本市の藤崎台県営野球場で決勝戦が行われ、八重山商工が17―2の大差で熊本工を退けて初優勝を飾った。県勢の九州大会優勝は昨年春季大会の沖縄尚学に続いて2季ぶり7度目、春は2年連続4度目。
 八重山商工は一回表から打線が爆発。満塁での相手ワイルドピッチで1点を先制後、走者二、三塁で四番羽地達洋が右翼席に3点本塁打を放ち、この回4点を奪った。

 三回には5番大嶺祐太の右翼席への2点本塁打などで3点を追加。八回には3番金城長靖の2点本塁打を含め、打者12人を送る猛攻で6点。計17安打で熊本工を引き離した。先発の大嶺は四回と七回にそれぞれ1点を取られたものの、14奪三振の好投で相手打線に的を絞らせなかった。

 八商工ナインは同日夜、福岡から那覇空港に到着し、県高野連関係者らから祝福を受けた。友利主将は「選抜という大舞台の経験が生きてこの一週間集中力が切れなかった。再び甲子園に行くため夏まで練習するのみ」と初優勝を喜んだ。


     ◇     ◇     ◇     
[ハイライト]
「夏」照準 着実に成長

 八商工の優勝が決まった後、選手に胴上げされて伊志嶺吉盛監督の体が宙に舞った。「夏に向けて、一度は優勝を取りたかった」。監督の期待に、選手は打っては17安打の猛攻。マウンドを託されたエースの大嶺祐太は14奪三振の好投で期待に応えた。

 畳み掛ける打撃で得点を積み重ねる攻めは、準決勝までと同じだった。さらに決勝では、序盤から長打で熊本工の長身エース前田に襲いかかり、攻撃の手を緩めることはなかった。走者二、三塁で打席に立った4番羽地達洋は「ストレートを打った瞬間、これは入る」。右翼席に飛び込む3ランに、選手が触発された。

 「点を取っても攻撃を止めない。つぶす気持ちだった」と気合が入っていた羽地。三回に右越え本塁打の5番大嶺は「スライダーだったが、どこに飛んだか分からないほどだった」と一振りに集中した。

 五回に二死一塁で右中間に三塁打を放って9点目を挙げた9番の仲里拓臣は「これまで打てなくてがけっぷち。でも自分の成績より優勝したかった」。走者をかえすことだけを考えて、初球の直球をたたいた。

 「照準はあくまで夏」選手らは一様に口にする。ゴールデンウイークには石垣島にとどまり、一日12時間の猛練習を含めた合宿を行う。伊志嶺監督は「優勝しても浮かれることはない。緊迫した場面でも守れる精神力を付けたい」。全国制覇を虎視眈々と狙う。


[スポット]
緩急使い分け大嶺14K


 八商工の先発は、2連投のエース大嶺祐太だった。「疲れはあっただろうが、前日から決めていた」と伊志嶺監督。マウンドに立った大嶺は、慎重に変化球でストライクを取りに行く投球を見せた。終わってみれば2点を取られたものの14奪三振の好投。日ごろ厳しい伊志嶺監督も「ピンチで要所をよく抑えた。成長した証拠」と褒めた。

 一回裏、先頭打者にいきなり三塁打。内野守備の乱れで次打者の出塁も許して無死一、三塁となった。

 前日の準決勝では同じ展開で2失点を喫した。しかし、この日は「速球だけでは駄目。コントロールに気を付けた」。スライダーを決め球に、3者連続三振に取って切り抜けた。

 「直球と変化球を使い分けたところがよかった」と大嶺。最後まで気持ちを切らさず、マウンドを守りきった。甲子園で横浜を苦しめたことが自信につながっている。「決勝ではみんなが自分の役割を果たせた」と満足そうだった。


最多得点差を更新/15点差


 ○…八商工が決勝戦で記録した17得点は、105回大会(1999年秋)の決勝戦(柳川17―3佐賀商)に並ぶ決勝戦での最多得点タイ記録。15点差をつけての優勝は、これまでの14点差を抜いて最多得点差を更新した。
 
 

◆毎日新聞 2006年4月26日(水) 14時20分

「<駒大苫小牧高>野球部員飲酒で辞任の香田氏が5月監督復帰

 駒大苫小牧高(小玉章紀校長)は、3年生部員(当時)の飲酒、喫煙問題で野球部監督を辞任した香田誉士史前監督(35)=同部顧問=を5月1日から監督に復帰させる方針を固めた。26日午後に記者会見を開く。

 香田氏は不祥事の責任を取り、3月に監督を辞任、4月から顧問として野球部の指導に当たっていた。5月15日開幕の春季大会室蘭地区予選からさい配を振るう見通し。香田氏の監督復帰を巡っては、保護者らからの要望のほか、全国のファンからも署名が寄せられていた。【笈田直樹 2006年4月26日(水) 14時20分 毎日新聞】」


 

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小学校からの英語教育 揺れる親心

2006-04-29 10:29:52 | 教科書

今日はGW連休の第一日。

朝からどんより曇っていると思ったら、先ほどから雨もパラついてきたようだ。

ガラス戸超しに見える路面が湿って見える。

午前10時というのに部屋の中は薄暗い。

朝っぱらから明かりをつけなきゃ新聞も読めやしない。

「暗い日曜日」だ、・・と思ったら今日は土曜日だった。

何の祭日かと聞いたらミドリの日、・・そう、以前は天皇誕生日だった。


今日のブログ更新は昨夜の内に友人の奇行・・いや、紀行・・でもなく、「寄稿文」で手抜きをさせてもらった。

手抜きついでに新聞コラムで、もう一つ手抜きを。

小学校からの英語教育について、開国派と攘夷派に分けてその間を揺れ動く親心が垣間見えて興味深い。

今日の「世迷言」氏はいつに無く迷っているようだ。

                     ◇

◆東海新報 「世迷言」☆★☆★2006年04月29日付
 

 小学生から英語を習わせよ、という意見がある一方、それよりはきちんとした日本語を教えることが先決、という反対論もあって、かんかんがくがくの世上だが、なにやら開国派と攘夷派の争いに似た趣きを呈してきた▼戦後の大きなキーワードは「国際化」で、極端に言えば、「国際人にあらずんば人にあらず」といった風潮が弥漫(びまん)するようになった。要するに世界平和を希求するには、国境の壁を超えて相互理解を深めなければならない。それができるのが国際人だというわけだ▼その国際人になるためには、意思疎通のための道具、つまり共通理解言語が必要であり、少なくとも英語ぐらいは覚えなければならない、という理屈がまかり通っている。英語を話せば国際人になれるなら、英語圏の人間はみな国際人かという屁理屈はともかく、国際交流が盛んになっても相変わらず紛争が絶えないのは原因が別なところにあることは明らかだ▼とはいえ、英語を話せるにこしたことはない。しかし英語を何年習っても読み書きはともかく、会話はまったく苦手というのが日本の英語教育だった反省に立ち、小学生から習わせろ、というのが開国派。だが、攘夷派も負けてはいない。「日本語もろくにできないで国際人になれるわけがない。従来通りでいい」と、むしろ国語教育の充実を訴える▼話せぬ英語を習った?体験から、小欄は多少開国派だが、数学者で「国家の品格」を書いた藤原正彦さんの「読み書きそろばん第一」「一に国語二に国語、三四がなくて五に算数」説にも傾く。英語にも強い人の発言だから、説得力があるのだが、何も正課とはせず、土曜休校日や放課後の自由選択科目にするといった方法もあるのではないか。

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旅への誘い 「木曽路を歩く」

2006-04-28 19:44:38 | 身辺雑感

今時の若い者は良く旅をする。

「可愛い子には旅をさせよ」と言う言葉にもあるように、一寸昔までは旅する事は困難を克己するといった意味合いも含まれていた。

成人すると旅は人間の余裕の象徴となる。 勿論ここで云う旅から出張旅行が除かれるのは云うまでもない。

定年になって時間と金に余裕ができて、愛妻と共に歴史や文学の旅をする。

理想の老後と言えよう。

が、人生はそれほど甘くは無い。

ささやかな夢を妨げる障害が次々と行く手に立ちふさがる。

この老後の楽しみも誰もが享受出来るとは限らない。

時間はたっぷりあるが金が無い。

はたまた、金はあるが健康が許さない。

金も時間も健康も大丈夫! さー、妻よ旅に出かけよう。

「貴方一人で行ってらっしゃい!」。

「その代わり私の分の旅費は現金で置いて行ってください!」。

・・・そう、健康も金も時間もあっても、肝心なものが欠けるとこのささやかな夢も成就しないのだ。

その肝心なものは、・・・愛だった!

人間、還暦も過ぎるとその人生も千差万別、必ずしも意のままにならない。
これも又人生なのであろう。

旅には行きたし、還暦後の一人旅も絵にならない。

私の場合、たっぷりの時間と同行してくれる妻はあれども三年前の脳卒中で歩行は三本足のヨチヨチ歩き。  ささやかな夢を叶えるのも難しいものだ。

友の旅話に夢を駆け巡る今日この頃、・・・友人の一人が「友人サイト」に愛妻との旅の紀行文を寄稿した。

人間の記憶と言うものはあてにならないもので、年を取ると特にその儚さを感じる。

一年も過ぎると記憶も朧(おぼろ)になり、折角の旅も只の「楽しい想い出」に終わってしまいがちである。

その記憶の危うさを補おうと大抵の人は記録の写真撮りに必死になる。

中には名所旧跡を自分の目では殆ど見ないで、カメラの目を通してしか風景を見なかったというカメラマニアもいる。

が、写真は風景は記録しても心の動きそして感動は記録できない。

事前に調べたデータと自分で見た風景がもたらす感動を紀行文として残すと、自分の心の記録としてだけでなく、それを読む人に感動や情報のお裾分けが出来る。

学校時代に習った「地理」、「歴史」、「文学」等を全部かき混ぜて渾然と綴った「紀行文」は写真に勝る。 特に老後の愛妻旅行ではなお更のこと。

下記に引用の、その友人寄稿の「木曽路を歩く」で旅心を誘われてください。


◆「木曽路を歩く」

中山道は江戸日本橋から京都三条大橋間を結ぶ重要な街道であり、69宿ある。
その中で木曽路には11宿、風土と景観がそこにあったということが、木曽路と言われる所以だという。

江戸時代の宿場の風情を色濃くのこしている千本格子の家々や石畳の道、古びた柱、煤けた天井、まさに江戸時代にタイムスリップをしたような異空間を感じる。

これを保存、維持管理をするのがたいへんなことだと思う。
そこに住む人たちの歴史を大切にする心が感じられる。

今回の旅は馬籠宿~妻籠宿間約9k、高さ約800m(馬籠峠)と薮原宿~奈良井宿約7k、高さ1197m(鳥居峠)の行程だった。

・馬籠宿~妻籠宿
 馬籠は明治の文豪、島崎藤村の故郷であり小説「夜明け前」は黒船襲来から明治維新前後の激動期に生きた父の歴史(小説では青山半蔵)を追体験しようとしたものである。
激動の時代の中、江戸の事件が中山道をとうして宿場町にも伝わって来て、地域の問題等も絡ませながら時代が変わっていく。
そんな時代背景の中で木曽谷の人々の生き様をえがいている。

小説の冒頭は「木曽路は全て山の中である。あるところは岨(そば)ずたいに行く崖の道であり、・・・・一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。馬籠は木曽11宿の1つでこの渓谷の尽きたところにある。西よりする木曽路の最初の入り口に当たる。」から始まるが、今でもそのまま昔の状況がよく伺える。

 古(いにしえ)の旅人が行き交い、参勤交代の行列、そして芭蕉や正岡子規等が通りぬけた歴史を物語る街道。 その踏まれ磨り減った石畳を自分も踏み込んでいくかと思うと何か感慨深いものがある。

昔のままにゆっくり、のんびり、てくてく回り道をし、そして坂道を登り、下る。
ときには額の汗を拭きながら妻と語らい、そぞろ歩くのが木曽路には良く似合う。

宿場には所々に直角に曲がった道がある(桝形)。
これは幕府により防災施設として又、敵の侵入を防ぐために設けられたという。

また大名や武士は「本陣」「脇本陣」と言う所があって、そこに宿泊した。
島崎家は本陣と庄屋を兼ねていたという。

・薮原宿~奈良井宿
 間に1197mの鳥居峠があり、かって深い山を分け入って進む古道は江戸の旅人にとってわらじ履きの足をなかせる屈指の難所だった。
菊池寛の「恩讐の彼方に」の中で、主人公市九郎は主人である中川三郎兵衛を殺し、妾(お弓)を奪い逃げ延びて来た。
そして、ここ鳥居峠で茶屋を開きながら旅人を襲い悪事を働いた。
その後改心した主人公は僧侶になって大分の「耶麻渓」で苦節21年の末トンネルを掘ることになる。

また、皇女和宮が京都から徳川家(家持)へ御降嫁される際もここ、薮原宿から峠越をし、お供の数は2万5千、行列の先頭が入宿し、最後尾が通過するまで4昼夜かかったと伝えられている。

樹齢数百年ものヒノキ、スギや栃の木、白樺。
森にひっそり咲きこぼれる可憐な草花。
一歩一歩、季節を踏みしめ、大地の生命力に見とれながら、木々との出会いに喜ぶ森の散策。

途中雪もちらつき、また頂上に雪をかぶった中央アルプスや南アルプスの連山が見え隠れする。
その自然の壮大さに圧倒される。

短い旅ながら多種多様な花々にも出会うことができた。
山ザクラ、山ツツジ、花ミズキ、花モモ、・・・・・・・。
道脇に咲くカタクリの花、水仙、レンギョ、雪柳、・・・・・・・等。

もう中山道一体が花・花・花・・・の世界であった。

伊那市の高遠城址公園では約1500本ほどの小彼岸ザクラが一斉に咲き誇っていた。

今が満開。 まさに荘厳そのものであった。

愛妻と共に自然を歩く楽しさを充分満喫し帰路についた。
 
 
眞榮平勝


 

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老教授の苛立ち

2006-04-28 08:42:30 | 未分類

「もう一人の老教授の怒り」で亀川教授の事をを書いたら、教授の元教え子で私の友人でもある福原さんから恩師を懐かしむコメントを頂いた。

もう一人コメントを頂いた「横浜のかっちゃん」も沖縄出身の友人である。

狼魔人日記の拙い文を読んで貰えるだけでもありがたい。

それにコメントまで貰えると元気が出て、例え駄文でも書き残す事に意義ありと己に言い聞かせ、萎えかかった意欲が又蘇って来る。 両君にはこの場を借りて感謝します。

やはり郷土の先輩が活躍している噂を聞くのは嬉しいもの。

が、かく云う私は亀川教授に個人的面識はない。

・・・いや、何度か安酒場のカウンターで並んで酒を飲んだことはあった。
とはいってもお互い別の連れがあって、偶々隣で飲んだに過ぎず教授の記憶にあるはずは無い。  著名人をこちらが一方的に認識したと言うに過ぎなかった。

あれは確か今から9年ほど前のこと。
 
1997年の暮れ頃から翌年の1998年にかけて、那覇市の桜坂と言う飲み屋街にある安酒場が私の友人達の溜まり場だった。

教授は偶にその酒場で、これも友人らしき同世代の紳士と一緒に良く談論されているのをお見かけした。

丁度その頃は知事三選を狙う現職の大田知事と対立する新人の稲嶺候補が激しく選挙戦を戦っている時期であった。

再三このブログでも書いているが沖縄は革新勢力の最後の聖地。

地元メディアは選挙戦では中立をを装いながらも明らかに、革新の大田陣営に好意的な報道を連日流していた。

亀川教授は大田知事を批判する立場にいたが、地元メディアには大田批判の場所は無かった。

それで件の安酒場等で、著者の名は失念したが「茶柱が倒れた」と云う大田県政を批判した本を飲み客に勧めていた。

その時の印象は団結して大田候補側に立つ地元メディアに対して、書店でも余り見かけないような本で老人が一人立ち向かっていると言った、今考えると失礼な印象であった。

多少誇張して言えば、失礼ながらブルドーザーに立ち向かう蟷螂(かまきり)のような・・・。

教授の地元メディアに対する苛立ちはその後「世界日報」に掲載の文章のタイトルに伺い知る事ができる。

「無神経な沖縄在米軍撤退論」(2006年1月24日)
「沖縄で思う真の言論の自由」(2005年11月25日)
「『ひめゆりの塔』と憲法」(2005年8月2日)


知事選の結果は圧倒的大田優勢かと思ったが、亀川教授の安酒場での地味な応援のせいなのか、新人稲嶺の圧勝であった。

その時太田陣営の応援に沖縄に来ていた筑紫哲也氏は、地団太踏んだように悔しがる文を沖縄タイムスに寄稿している。


                   ◇


◆沖縄タイムス  <1998年11月22日> 朝刊 1版 総合1面(日曜日) 
 
[筑紫哲也の多事争論かわら版]

 大田さん 輝いていた沖縄の知事

 「残念だ」「がっかりした」。

 沖縄県知事選挙の取材から戻ってきた私は、未だにこの二種の感想にしか出会っていない。

 選挙結果と引き較べると、どうやら大田昌秀氏は、当の沖縄より本土の方が人気があったのではないか、と思えるほどである。

 普段は沖縄のことにそう関心を持っているとは思えなかった人たちの口から、そういう感想を聞かされると、なぜなのだろうと考えてしまう。

 そういう人たちをふくめて、全国的知名度のある唯一の沖縄の人が、安室奈美恵さんを除けば、大田さんだったということが、まずある。沖縄から本土に向かって何事かを問いかけ続けた「発信体」であり、「象徴」でもあった。

 "大田人気"の第二の理由は、その発信のなかみである。そこには、中央政府への「抵抗」、異議申し立ての要素が多分にふくまれていた。

 週末は東京以外の全国各地に身を置くことを習慣にしてきた私は、地方保守政界にすら根強い大田人気、と言うより期待があることを発見して驚いたことがある。箸の上げ下ろしまで指図しかねない中央集権、権力の一極集中にうんざりしてきた人たちは、米軍基地をいわば"人質"にして中央政府に抵抗を示す大田さんがどこまでやれるかを、半ばわがことのように注視していたのである。


 人気の第三の理由は、大田さんがこの国の諸々の指導者のなかで珍しく、理想、理念、原則を語り、それに従おうとした人物だったことだと思う。時あたかも、中央ではそれらを全て欠いた権力争い、離合集散が続いたから、この対照は一層鮮やかであり、「いっそ大田さんを首相にしたら」という巷の声ともなった。

 この夏、私がかかわっている郷里の市民大学は、二日間にわたる特別講座を催した。参加者も全国各地から集まったが、講師も中坊公平、菅直人の各氏をはじめ、多彩な顔ぶれで、大田知事にも加わっていただいた。「これからの日本をどうする」という大テーマに、沖縄は外せないと思ったからである。

 「大田さんの輝きの前に、わが県の知事は色あせて見えた」と地元参加者が感想を語った。「わが県の知事」は、実績も個性もあり、他県とは群を抜いた存在だと私は思ってきたのに、である。

 結果的には、第二、第三の理由は選挙戦で大田さんの足を引っぱることになった。そして、沖縄は有能な「スポークスマン」を失うことになった。沖縄だけでなく、この国のありようを問い、考えさせてくれた大田さんに「ありがとうございました。そしてご苦労さまでした」と申し上げたい。

 「残念」「がっかり」の感想のなかには、自分たちが自分たちの場でなすべき努力を棚上げして、他者にそれを期待する、例によっての身勝手がふくまれている。が、現実として、そういう人たちの沖縄への関心は当面は潮が退くように遠くなるだろう。「中央とのパイプ」の代償に、そういうこともあることを覚悟して、稲嶺さんにはがんばっていただきたい。

                   ◇

「選挙結果と引き較べると、どうやら大田昌秀氏は、当の沖縄より本土の方が人気があったのではないか」と思える大田昌秀という人物はメディアが作り上げた虚像である事をそのメディアの先頭を切る筑紫哲也氏は気がついていなかった、・・いや、今でも気がつかない。

何よりも「民意」は大差を持って大田候補を否定していたのだ。

尤もこの「民意」ほど当てにならないものは無いが、ここでは深入りしない。

筑紫氏は復帰前(施政権返還前)朝日新聞の沖縄駐在員として沖縄タイムス社の中に事務所を構えていた。

今でも沖縄は好きらしく、時々沖縄を訪れていると言う話を聞く。

その時、彼の周囲に集まる人々は当然の如く地元メディアや筑紫氏を慕う一部のインテリ層である。

何度も繰り返してきたが、沖縄は一握りのインテリに「民意」を握られている。

筑紫哲也氏が半世紀以上前と全く同じの思考停止状態に陥るのもむべなるかな、である。


                   ◇

話は老教授から大田前知事、筑紫哲也氏へと脱線していったが、亀川教授に話題を戻そう。

前に亀川教授と大田前知事は同世代だと書いたが、実際は10年ほど教授の方が先輩に当たる。 驚いた事に現在90歳になられると言う。

「山岡コラム」の中で紹介されている「長命よ長寿で長生きを」で次のように意気益々盛んな様子を書いている。「http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/k7/170929.htm

(・・・略・・・)
百歳どんと来いの意地と執念

 私は今年九十歳になる。辛口の評論を書き続けて六十年になる。その間、琉球大学教授
 時代に学長の話があったが、頑として固辞した。自由な言動が制約され、偽善のパフォ
 ーマンスをしなければならす、物書きとしてペンを折るのがつらかったからだ。

 アンドレ・ジードはかつて、安息の日々を送るよりも絶望の日々を送れと言った。文学
 や物書きの世界に生きる者にとって、個性、野放図、知的野人こそが健康の母体なので
 ある。「伸びんとすれば、敵をつくれ」は私のモットーだ。

 縁側に寝そべって日向ぼっこをする猫の姿勢や個性を殺し世間の鼻息をうかがう姿勢か
 らは文学、芸術は花が咲かない。偽善の中で名誉と安全を保護され安易な夢を貪る姿勢
 からは、教訓や説教は生まれても、文芸は生まれるものではない。

 八十歳を過ぎれば、残りの人生は儲けもの。老後は自分のために自由に使ってよいと思
 う。「自分の寿命は神様まかせ」と考えるのは消極的だ。「百歳どんと来い」という意
 地と執念が無ければ長寿はできない。

 一人しかいない自分、一度しかない人生。人間は明日の命があるかどうか分からないか
 ら、今日を精一杯生きることだと思う。老醜と若さの違いは、日頃の生活習慣と食事に
 ある。遺伝子の解明が進歩すれば、人は百二十歳まで生きることができるそうだ。自然
 の摂理に反する者は病気になる。

 

 

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我慢も限界産経抄 広報戦争を開始した韓国

2006-04-27 15:31:00 | 県知事選

盧武鉉大統領の特別談話に通常は真っ先に反発しそうな産経新聞が翌日の社説では呆れ返ったのか黙殺で答えたか、と書いた。

我慢しかねたのか今朝の産経抄がその憤懣を爆発させた。

その文章の一字一句に一日我慢した怒りが漲っていて興味深い。

怒りには満ちても竹島問題の正鵠をつく軽妙な文を下記で鑑賞しよう。


◆産経抄  平成18(2006)年4月27日[木]

 居丈高に言辞を弄(ろう)し、正義もどきに酔うのは「人生の一大快事」である。韓国の盧武鉉大統領のことだ。竹島の領有権にからむ日韓交渉で外務次官に合意させ、終わると相手国を罵倒(ばとう)した。でも、誇張や曲解ばかりだと、お国では「快事」でも、日本には「珍事」でしかない。
 ▼盧大統領は特別談話で、「日本が朝鮮半島の侵略で最初に奪った土地だ」と非難した。江戸時代から竹島を認知し、漁業を営んできた歴史には目をつぶる。何でも植民地支配に結びつけて、揚げ句の果てに「挑発には断固対応する」との虚勢だ。これを「珍事」といわずに何といおう。

 ▼盧大統領もツキがなかったから同情はする。ソウル大教授によるES細胞の捏造(ねつぞう)研究では、彼を国民的英雄に祭り上げてしまった。北朝鮮に拉致された韓国人が、実は横田めぐみさんの夫であるとのDNA鑑定が、あろうことか日本から届いた。盧政権の拉致被害者への冷たさがすっかりバレた。

 ▼そこに、竹島問題が飛び込んできたから韓国は久々に燃えた。愛国心を刺激される快感にすっかり酔ったらしい。だから日本が竹島周辺海域を調査する構えをみせると、警備艇を繰り出し「拿捕(だほ)するぞ」と沸いた。

 ▼ところが、せっかく拳を振り上げたのに、日韓政府が次官交渉で問題を先送りしてしまった。日本から国際司法裁判所など「出るところへ出ようぜ」といわれて分が悪くなったか。そこで大統領は、過激談話で韓国民のガス抜きを図ったらしい。

 ▼半島は日中の大国にはさまれた回廊にあり、昔から虚勢でしのいできた。でも日本政府はそのつど反論すべきだ。放っておくと、あの「独島(竹島の韓国名)はおれのモノだ」論が勝手に世界を歩きだす。

                   ◇         
                  
4月21日の「竹島問題と歴史の法則」で次のように書いた。

≪領土の法則とは、・・・兎に角いち早く実効支配し、例えその根拠が不明(不法占拠)でも自国領土であると声高に主張し続ければ結局世界はこれを認知する≫。

ここで重要なのは「世界に認知させる」ということだ。

大体他所の国の揉め事を歴史を遡って判断してくれるような物好きな国は滅多にない。

そこでコ難しい理屈よりも判りやすい「実効支配」と「声高に叫び続ける」ことに意味がある。

韓国は実効支配の次の手を打ち始めた。

在韓外国の各高官に対して広報戦争を開始した。

標的は米国、中国、ロシア、英国、ドイツ、フランス、豪州、ニュージーランド、東南アジア諸国など。

尹炳世(ユン・ビョンセ)次官補と、対日問題主務局長を務める李赫(イ・ヒョク)アジア太平洋局長が担当する。

世界の世論と日本の国民に、日本政府の不当な仕打ちを絶えず告発していく」との盧武鉉大統領の特別談話に基づく後続措置と分析される。

 ◆中央日報(韓国紙) 2006/04/27 11:48 

駐韓外国公館で「独島広報戦」、外交通商部が展開 
 
 【ソウル27日聯合】外交消息筋が明らかにしたところによると、外交通商部は27日から2日間、駐韓外交公館の大使・公使級高官を外交通商部に招き、1対1で韓国の「独島主権」を積極的に説明する。
  対象とするのは米国、中国、ロシア、英国、ドイツ、フランス、豪州、ニュージーランド、東南アジア諸国など。説明は尹炳世(ユン・ビョンセ)次官補と、対日問題主務局長を務める李赫(イ・ヒョク)アジア太平洋局長が担当する。世界の世論と日本の国民に、日本政府の不当な仕打ちを絶えず告発していく」との盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の特別談話に基づく後続措置と分析される。

  外交通商部は、既に全在外公館に盧大統領の談話内容を通知し、駐在国政府に談話の趣旨を説明させているほか、駐韓外交団にも該当国の言語に翻訳した談話内容を伝達している。外交通商部では、談話内容の通り独島は単純な領有権問題ではない、完全な主権回復の象徴だという点を強調する考えだ。

  外交通商部はこれに先立ち、独島問題に効率的に対応するため、駐日公使を歴任した柳光錫(ユ・グァンソク)前シンガポール大使を対策チーム長に任命し、対日外交全般を管轄するアジア太平洋局、排他的経済水域(EEZ)交渉を担当する条約局、国際水路機関(IHO)関連業務を行う国際機関局などの業務を指揮・調整することを決定している。 
 
   
 
  
 

 
 

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サムライがまだ日本の政治家にいた!

2006-04-27 07:02:18 | 未分類

中国・韓国には何時も声高に批判されっぱなしで、せいぜい遠慮がちのに「不快感」を表す程度の対応しかできない日本の首脳。

それでも当たり前の事を言ったため中・韓の逆鱗に触れて首を切られる閣僚が最近はいなくなった。

それだけでも大きな進歩と思う今日この頃、・・・わざわざ敵地に乗り込んで中国首脳に論戦を挑んだサムライがいた。

ことの発端は先月、3月7日。

中国の李肇星外相は、国会に相当する全国人民代表大会において記者会見し、「ヒトラーやナチスをドイツの指導者は戦後、崇拝していない」とした上で「ドイツ人も、日本の指導者がばかげた不道徳な行為をなぜ行うのか理解できない」と述べ日本を批判した。

これに対して「我慢も限界」とブログに書いたサムライがいた。

原田義昭・衆議院議員(自民党)がその人。

以下本人の3月8日付けブログ日記の引用。

◆我慢も限界、中国2題  3月8日(水)
 
常軌を逸した中国、というのが率直な感想だ。
その1、東シナ海のガス田開発を巡る日中協議が終わったが先方が出してきた対案たるや遂に唖然とした。日本が日中中間線をはさんだ海域(白樺、樫などの海域)を共同開発しようと提案しているのに対し中国側は日本の領海たる尖閣列島海域なら共同開発をしてもいいと言ってきた、「不真面目」としかいえない提案でわが国として検討出来るわけもない。
(中略)
その2、李肇星外相が北京の人民大会堂での演説で小泉首相の靖国参拝、歴史認識を巡り口を極めて非難し、挙句は「ヒトラー、ナチス」までを比喩に持ち出したがもはや度が過ぎている。大体この国にはまともに友好関係を築こうとする意志は薄く、靖国問題も単なる外交カードにしか過ぎないのだ。小泉首相や安倍官房長官が、「他国の指導者に対する品格に欠ける表現」などど必死にことばを選びながら反論しているのが、痛々しいほどである。いよいよ誰かが立ち上がらねばならないのではないか。
 
話はこれでは終わらなかった。

このサムライの発言は口先だけやペンの上だけの虚勢ではなかった。

不言実行、・・・じゃなく、有言実行を身をもって示すべく、このサムライは立ち上がった。

標的は、流暢な日本語を操る慇懃無礼な態度で知られる王毅中国大使。

この男、駐日大使でありながら外務省が抗議のため出頭を要請してもこれを拒否するほどのしたたか者。

サムライ原田も面会を取り付けるのにてこずったようだ。

詳しい経緯は再び同氏のブログで。

◆中国大使との会見  3月25日(土)

去る3月22日、私は王毅中国大使を大使館に訪ね会見しました。先週初めから申し入れを行いようやく実現したものです。ホームページ公開がおくれたのは官邸、党など首脳部への報告を済ませる必要があったからです。

私はまず中国李肇星外相の「愚か、不道徳」「ヒトラー、ナチス」などの不適格発言(日記、3月8日参照)が日本国民の尊厳を大きく傷つけたとして厳しく抗議をしました。
その上で昨年5月に突然の帰国をした呉儀副首相の行為といい「礼節の国」中国にとって今や国際的礼節はどこに行ったかと問いました。大使はこの発言はドイツ首脳の言葉を引用しただけだと答えましたが苦しい弁解に過ぎません。
東シナ海での天然ガス田協議について、中国は新たな対案を出してきましたが尖閣諸島の領土問題を絡めるなど日本が検討するに値いしない代物で、中国に真面目に解決する気はないのではと問いました。
靖国問題」についても、これは日本の「内政問題」であり他国が干渉すべきものではないこと、参拝は心の問題,死生観の問題であること、日本は戦後60年間戦争の反省と謝罪をしながら平和主義を貫いていることなどを説明しましたが、A級戦犯は別であると譲らず(もちろん)納得を得ませんでした。
日本では極く限られた愛国者的人々が靖国参拝を支援しているのではという大使の認識にはいささか驚きました。首脳が会うことについては事務折衝が済まない限り難しい、会っても解決しないなら意味が無いという。政治指導者というのは解決の目処をつけるために活動するものではないかとの私の主張と平行線。
反日暴動、大使館投石、潜水艦侵犯問題など正式な謝罪も済んでいないこともとりあげ激しいやりとりをしました。頻繁に会える相手ではありませんので、この際に言うべきことはしっかり言ったつもりであります。それでも会見は紳士的に行われ、最後には両国とも関係改善には全力で努力しようと握手して別れました。

Posted by 原田 義昭 2006.03.26 10:05

話はまだまだ続く。

原田サムライは中日大使との論戦だけでは腹の虫が納まらなかった。

今度はその攻撃の矛先を北京に定めて敵地に乗り込んでいった。

その詳しい経緯は本人のブログに譲るとして、ここまで徹底すると流石にメディアもこれを報じるものが現れる。(原田義昭ブログhttp://www.election.ne.jp/10375/)

テレビでは報じられなかったが25日の産経新聞がこれを取り上げた。


◆「靖国」で中国要人と激論 原田衆院外務委員長

 中国を訪問していた原田義昭衆院外務委員長(自民党)は24日、北京市内で中国の武大偉外務次官、姜恩柱全人代外事委員会主任委員らと相次いで会談、靖国問題などで激論を交わした。

 武次官は小泉純一郎首相の靖国神社参拝について「両国の政治外交関係が頓挫しているのは、日本のごく少数のリーダーがA級戦犯が祭られた靖国に参拝するからだ」と批判した。

 原田氏は「靖国神社は敬愛されており、首相の参拝は当たり前。中国の批判に圧倒的多くの日本国民と議員は怒りを感じている。中国と同様に日本も誇り高い独立国であって、内政干渉に屈するのは断じてできない」と中国側の再考を促した。

 原田氏は東シナ海の日中中間線付近での中国のガス田開発の中止を要求したが、武次官は拒否した。また原田氏は中国原子力潜水艦の領海侵犯事件、上海領事館員自殺事件、反日暴動について「中国の謝罪は行われていない」と指摘。中国の軍拡には懸念を示した。

 同日夜帰国した原田氏は「意見の違いを認めつつ極めて重要な日中関係を築くのが両国の政治家の役目だ。中国は日本国内の意見を正確に知るべきだ」と話している。 (04/25 01:55)

 

日本の政治家にもイロイロいる。

サムライもおれば、腰抜けもいる。

メディアが日韓緊張の竹島に集中しているその目を避けるように訪中し、副主席との会談でガス田開発について「平和的解決で一致!」とか、「東シナ海を対立の海ではなく、平和の海」とか、中韓を含めた『東アジア包括的FTA・EPA構想』をぶち上げて中国に媚びを売る二階産経大臣は、どこの国の大臣なのだろうか。

因みにこの二階という人物 は、名立たる媚中派政治家である事は知られているが、次のような彼の愚行はわすれてはいけない

江沢民が国家主席だった頃、二階氏は自身の選挙区の和歌山県のみならず、全国に反日教育の元祖・江沢民の銅像を建立しようとして、運動を推進した人物だ。 流石にの話は世論のヒンシュクを浴びて実現はしなかったが・・・。

また、王毅駐日大使は昨年11月13日、二階氏の地元、和歌山県高野山で二階グループの研修会に招かれ、靖国参拝への厳しい批判を交えて講演している。

王大使は二階氏と同じ宿坊に泊まったと報じられたが、中国大使が一政治家グループの会合に泊まりがけで参加することは、きわめて珍しいだろう。

二階氏の媚中国派としての面目躍如だ。

このような人物の経産相就任、東シナ海問題の担当は日本の国益にとって憂慮すべき事態となりかねない。(参照:「二階大臣と中国兵法書」http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/6663188d3d6c9216d31a50
fed37f8462
)

くれぐれも云っておきたい。 

「君、国売りたもう事なかれ!」

 

東シナ海ガス田開発:日中、平和解決で一致--二階経産相が訪中

 【博鰲(中国海南省)共同】二階俊博経済産業相は22日、訪問先の中国海南省博鰲で曽慶紅国家副主席と会談、日中間で対立が続く東シナ海のガス田開発問題について、両国に利益となる平和的解決を求める考えで一致した。

 二階経産相によると、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題について曽副主席は「3月末に胡錦濤国家主席が日本側の友好7団体代表団に述べたので、繰り返さない」と語った。

 ガス田問題では、経産相が解決への支援を求めたのに対し、副主席は「東シナ海を対立の海ではなく、平和の海にするとの経産相の考えに同感だ」と語った。省エネルギーや環境問題で近く日中間のフォーラムが開催されることに関して、曽副主席は「日本が進んでいる分野で、しっかり協力関係を築きたい」と述べた。

 経産相は、22日に開幕した博鰲アジアフォーラム出席のため現地入りした。

毎日新聞 2006年4月23日 東京朝刊

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朝日新聞に愛想つかされた盧大統領

2006-04-26 08:23:39 | 普天間移設

韓国の盧武鉉大統領は二十五日、本人は初めてというテレビを通じて「特別談話」を発表した。

まさに負け犬の遠吼えだ。

云うまでもないが、「負け犬の遠吼え」とは真正面から喧嘩をしたら負けることを知っている弱い犬が戦う気も無いくせに大声で吼えることを意味する。

「そんなに自信があるなら一丁やるか!」、これでは子供の喧嘩になる。

これを大人がやるとドスを振り回すヤクザの出入りで常識あるある普通の大人はこれをやらない。

では、どうするか。  話し合いをする。

竹島に関わる今回の「争い」は話し合いで一応決着したはずだ。

盧武鉉大統領の発言は子供の喧嘩かヤクザの脅しだ。

こういう無法の輩をを相手には、常識ある大人は普通このようにいう。

(話し合いで納得できないなら)「出るところに出て話をしましょう」と・・・。

今朝の読売新聞の社説の見出しが日本のあきれた気持ちを表している。

盧武鉉竹島談話]「自信があるなら国際司法裁へ

出るところに出たら負けるのは盧武鉉自身が良くご存知の筈だ。

このような時に真っ先に反応するはずの産経新聞も流石にあきれ返ったのか今朝の社説や産経抄では完全無視。

えー! この社説はどの新聞の?・・・と驚いたのがあの朝日の社説。

「盧大統領 原則一本やりの危うさ」。
と題して流石に韓国の無法ぶりに愛想をつかした模様。

 「怒りのボルテージを上げているうちに、収まりがつかなくなっているかのようだ」という書き出しで始まる論調はとても朝日の社説とは思えない。

こと、ここに及んで従来の韓国弁護の論を張ると読者に見放されると危機感を感じたのだろうか。

親分の態度変えに子分の沖縄タイムスや琉球新報がどのように対応するのか今後の社説が楽しみだ。

特に朝日社説本文中の「・・・日本も領有権を主張する根拠を持っている。『植民地支配の歴史を正当化するもの』とは別の話だ。そこを混同し誤解されては心外である」のくだりは沖縄メディアの思考停止に刺激を与えるだろうから良く復唱して欲しい。


◆4月26日付・読売社説(1)
 [盧武鉉竹島談話]「自信があるなら国際司法裁へ」

 韓国の盧武鉉大統領自ら、そうまで言うのであれば、やはり国際司法裁判所の裁定に委ねるべきではないか。

 大統領は日韓関係についての特別談話で、竹島の領有権を主張する日本を強く非難した。

 注目すべきは、大統領が、竹島問題で「これ以上、静かな対応で管理できない問題」として、今後、「公開的に、堂々と対処していく」と強調した点だ。

 韓国内には、竹島問題で騒ぎ立てれば領有権紛争の存在を認めることになり、日本の術数にはまるだけ、という見方もある。だが、大統領は、「歴史の清算と完全な主権確立を象徴する問題」と位置づけ、最も重視すべき課題とした。

 そこまで自信があるなら、国際司法裁に委ねても何の問題もあるまい。

 日本は過去2回、国際司法裁に付託するよう提案したが、韓国は拒否した。紛争の存在自体を認めない韓国の頑(かたく)なな態度が、紛争解決への道を閉ざしてきた。日本政府は今後も、機会あるごとに国際司法裁への付託を提案すべきだ。

 盧大統領は、日本の主張を、「植民地の領土権を主張するもの」と断じた。日露戦争中に、竹島が植民地として「真っ先に併呑(へいどん)」された、との認識からだ。

 日本からすれば、一方的な解釈、と言うしかない。島根県が竹島を編入したのは植民地統治と何の関係もない。

 盧大統領は先に、「国粋主義的傾向がある」と、小泉政権を非難した。だが、竹島の領有権を巡る日韓の応酬はもう半世紀以上続いている。これまでも“国粋主義”政権だったと言うのだろうか。

 1952年に、韓国政府は公海上の水域に一方的に境界線を引き、その内側に竹島を含めた。韓国は、竹島を「独島」と呼び、警備隊員を常駐させ実力支配を続けてきた。日韓国交正常化交渉でも合意できず、事実上、棚上げされた。

 竹島周辺は、日韓双方が自国の排他的経済水域(EEZ)と主張する係争海域だ。先日も、この係争海域で、日韓は海底地形の名称を国際機関に登録する問題を巡り、あわや衝突か、という緊迫した状況に直面したばかりだ。

 話し合いの末、日韓は来月にも、EEZの境界線画定の交渉を再開するところまで来た。だが、「不当な主張の放棄」を日本に要求する盧大統領の態度は、そうした交渉を困難にするだけだ。かえって対立をエスカレートさせかねない。

 北朝鮮の核問題や拉致問題の解決に向けて、日韓の協力が重要な時期だ。領有権問題を巡る対立で、こうした問題に悪影響を及ぼすことは避けねばならない。両国とも冷静に対応すべきだ。

(2006年4月26日1時47分  読売新聞)


◆朝日新聞
盧大統領 原則一本やりの危うさ

 怒りのボルテージを上げているうちに、収まりがつかなくなっているかのようだ

 盧武鉉大統領が「特別談話」を出した。韓国で独島と呼ぶ竹島の領有権を日本が言うのは不当であり、「独島は、歴史の清算と完全な主権の確立を象徴する」と断じた。

 「日本が誤った歴史を美化し、それを根拠に権利を主張する限り、韓日間の友好関係は成り立たない」とも述べた。

 歴史教科書や小泉首相の靖国神社参拝の問題とあわせ、厳しく対処していくという。1年前には大統領府のホームページで「外交戦争もありうる」と語っていた。その頑(かたく)なさがさらに強まった。

 韓国が信ずる原則に基づき、言いたいことを言う。決して譲りはしない。政権の基盤が弱いがゆえの国内向けのポーズだ、などと矮小(わいしょう)化してはならない。そんな警告を込めたのだろう。自らの任期中は日韓の和解は無理だと言っているようにも響く。

 だがちょっと待ってほしい。領土問題を正面にすえたのでは、日韓の関係はにっちもさっちもいかなくなる。

 過去、日本は朝鮮半島を植民地にして多大な迷惑をかけた。そのことは真摯(しんし)に反省していかなければならない。侵略戦争の責任者もまつる靖国神社に首相が参拝するのは理が通らない。そうした点について、私たちは社説でこれまで何回も訴えてきた。

 韓国の人たちが被害の歴史に竹島の領有権問題を重ね合わせて見がちなのも、まったく理解できないとは言わない。

 けれども、日本も領有権を主張する根拠を持っている。「植民地支配の歴史を正当化するもの」とは別の話だ。そこを混同し誤解されては心外である。

 日本はことあるごとに抗議はしているものの、韓国はもう半世紀もの間、竹島の実効支配を続けている。

 「騒がないほうが得策だ」。かつてそう語ったのは、大統領自身である。騒ぎ立てるほどに他の国も関心を寄せる。それこそ、韓国が避けたがる「問題の存在を知らしめること」だろう。

 日韓の国交正常化にしろ漁業協定にしろ、島の帰属についての決着はあえて避けてきた。それを「逃げ」だと頭から否定すべきではない。棚上げしたうえで関係の進展をはかっていく現実的な知恵であった。

 「成功するには『書生的な問題意識』と『商人的な現実感覚』が必要だ」。前大統領の金大中さんは昨日の朝日新聞で語っている。両者の調和がとれてこそ政治がうまくいくというのだ。

 盧大統領の談話は、いかに指導者間の信頼関係が失われているかを如実に物語っている。だからといって、自らの原則をそれこそ「書生的」に主張するだけでは、解決の糸口さえ見つけられない。

 竹島をめぐる今回の対立は、双方の外交努力でとりあえず急場をしのいだ。そんな状況で最高責任者が突き進めば、肝心な時に外交の手足を縛ってしまう。

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ストリップ小屋のドアマンは市長!

2006-04-26 06:56:12 | 県知事選

偶には肩のこらない話題をと思っていたら先日思わず笑った記事を見た。

が、あまりバカバカしいのでそれっきりで失念していた。

昨日の新聞でこれを取り上げているコラムを見た。

まー取り敢えずはその笑える記事から。

                      *

昼は「市長」、夜はストリップ店の「ドアマン」

2006.04.21
Web posted at:  19:00  JST
- CNN

コロラド州フェデラルハイツ――フェデラルハイツ市の地元メディアによると、同市長が夜間、市内の「ストリップクラブ」でドアマンとして働いていた事実が発覚、市長は警察の捜査が終わるまで公職を10週間離れることになった。


ただ、市議会で市長を辞任する考えはないことを明らかにした。市長でいる間、同クラブではもう働かない、とも約束した。


売春、同市の遊興規制法違反容疑で警察がクラブを捜索した際、市長の勤務が分かったという。


捜索では、ダンサー5人、経営者、ディスクジョッキーらが逮捕された。全裸のショーを売り物にしていた。市長も約2時間聴取を受けたが、後で釈放された。


                   *
 
「昼は市長、夜はストリップ店のドアマン」!!

最初この記事を見て「イルンナ チュガ ウッサー」と半ばあきれ、半ば笑ったが、只それだけで記憶の中から削除してしまった。

因みに「イルンナチュガウッサー」とは沖縄の方言で「色んな人(チュ)がおるさー」と書き、(世の中には)奇妙な人がいるものだ、と言ったニュアンスになる。

ところが、この世にも奇妙なニュースも読む人が読めば只の笑い話には終わらない。

日本の地方自治体が抱える財政危機にまで話が及ぶ。

東北地方で鋭い論を張る、「東海新報」のコラム「世迷言」の筆者は何時も視点が鋭く決して「世迷言」は言っていない。

狼魔人にとっては只の笑い話も「世迷言」にかかると次のような文になる。

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☆★☆★2006年04月25日付 東海新報 「世迷言」

 
所変われば品変わる―国によって常識というものが異なるのは、住む場所も人も気候もそれぞれのお国ぶりがあるからだろうが、これはちょっと日本で考えられない話▼米国はコロラド州のある市で、市長が夜の副業をしていたことがバレ、一部市民から辞任要求を突きつけられている。その副業とは何だと思いますか?これがなんとストリップ劇場のドアマン。それも一年前から続けていたというのだから、いかに広い国とはいえ、これまで市民の目にふれなかったのが不思議▼この劇場の過激なショーが警察の知るところとなり、踏み込まれて経営者やダンサーなど七人が逮捕された。ここまではよくある話だが、そこでドアマンをしていた男を見た捜査官が「はて見覚えのある顔だな」とけげんに思ったのも一瞬、すぐ「はっ、市長様でしたか」という仕儀となった▼この市長は、経営するレストランが不振で、その穴埋めのためやむなく副業を始めたのだとか。首長はおろか、職員だって兼業禁止の日本とは違い、州によって尺度の異なる国だから、兼業可の州があっておかしくない。しかしよりによって夜のアルバイト、しかも手入れをされるような場所とあっては、不適格性を問われても仕方がない▼この記事を読んで一旦は大笑いしたが、しかし待てよと考えた。かの国では首長といえどもボランティアという自治体もあり、当然別の本業を持っているケースが少なくない。となれば本業レストラン経営者、副業市長という場合もあり得る。市のために尽くし、しかしおまんまも食わねばならないという公案にあなたならどう答える?▼けしからんと思うのが妥当だろうが、公金に手をつけたり、汚職するよりはまだましだーとここは同情したい。

 

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負け犬の遠吠え 韓国大統領

2006-04-25 13:00:21 | 未分類

竹島問題の「決着」は韓国にとっては想定外であった。

日本が今までのように脅しには乗らなかったからだ。

日本が勝ったことを中国は勿論、国内メディアまでが認めて韓国側の弱腰を非難する論調が韓国メディアにも見え始めた。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領としてはこれを拱手傍観するわけには行かない。

5月31日に行われるソウル市長選挙でモロ逆風となるからだ。

事前に世論を煽りつづけたツケが今頃廻ってきたのだ。

戦争も辞さないような大言壮語で火を点けて廻った燻りから火の粉が飛んで来たのだ。

かかる火の粉は払わニャならぬ!

そこで盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は韓国のテレビで国民に向かって又大言壮語の火を点けた。

「強硬手段も辞せず」って?

それを日本では負け犬の遠吠えと云う。

ノ・ムヒョンさん。 火遊びが過ぎて自分が火傷をしないように。

くれぐれも火の用心!

                       ◇

 竹島問題 強硬手段も辞せず 盧大統領

 【ソウル=福島恭二】韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は25日、テレビ演説を通して、対日関係に関する特別談話を発表した。

 盧大統領はその中で、竹島(韓国名・独島)領有権問題に関し、「韓国政府は対応方針を全面的に再検討する」と述べ、小泉首相の靖国神社参拝、歴史教科書問題などと同次元の問題として、強硬な態度を取る方針を表明した。

 大統領が、対日関係に関して談話を発表するのは、昨年3月、島根県の「竹島の日」条例制定を巡って領土問題や歴史教科書問題に対する断固とした態度を表明して以来。竹島周辺海域での日本の海洋調査を巡り国内世論の反発が高まったのを受け強硬姿勢を鮮明にしたもので、悪化した日韓関係がさらに冷え込むのは避けられないとみられる。

 大統領は談話の中で、竹島問題に言及し、「日本が独島に対する権利を主張するのは過去の植民地領土権を主張することで、韓国の完全な解放と独立を否定する行為だ」と非難。日韓がともに主張する排他的経済水域(EEZ)問題に絡めて、「独島問題に対し、堂々と対処していく」と述べた。

 大統領は、領土問題などの解決手段として、「物理的な挑発に対しては断固として対応する」と強硬手段も辞さない姿勢を示しながらも、世界や日本の世論に訴えると主張。「日本政府が誤りを正すまで、国家的力と外交的資源をすべて動員する」と強調した。

 大統領は日韓関係について、経済や文化交流が進展しても、日本が「誤った歴史を美化し、その権利を主張する限り、壁を溶かすことは出来ない」との考えを表明した。ただ、日本に対しては「新たな謝罪は要求しない」と述べたうえで、これまでの謝罪に見合った行動を取るよう要求した。

(読売新聞) - 4月25日12時24分更新


 

 

 

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もう一人の老教授の怒り

2006-04-25 08:52:05 | 未分類

4月19日のエントリーで「老教授の怒り」と題して鈴木教授について書いたが今日の話題は鈴木先生のその後を書いた訳では無い。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/ef127f1c59cf89ba141
c6225e58b8f42

 怒っているのは亀川正東琉球大学名誉教授。

この人も沖縄でも著名人である。

といっても最近の若い人は殆ど知らないだろう。 

最近は殆ど名前を聞かなくなった。

 亀川教授は、世代も出身大学(早稲田大学)も勤務大学(琉球大学)もアメリカ留学の経験さえも、大田昌秀元沖縄県知事と良く似た経歴を持つ。

ところがその政治思想においては大田前知事とは全く対極の位置にいた。

一方が県知事になって国にたてついた事で一躍左翼論壇の寵児となり参議院全国区で当選して現在悠々自適の生活を享受しているの承知していた。

が、亀川教授は定年まで琉球大学を勤め終えた、その後の活動は寡聞にして知らなかった。

 日本ペンクラブ名誉会員、日本エッセイスト会員の肩書きでも判るが、元々文才には長けた人で地元の新聞でも良くその名前を見た。

ところが再三述べて来たが、沖縄の新聞は何れも大田前知事と同じ左翼一色で沖縄では亀川教授の意見を述べる場所は無かったのだろうか。 

それとも高齢のためペンを折られたのだろうか、最近名前を見なくなった。

 ・・と、思っていたら久し振りに「世界日報」に懐かしい名前を見つけた。

ペンを折る等杞憂に過ぎなかった。 

県外にその活動の場所を見つけていたようだ。

教育について嘆きそして怒っているのが文面に漲っている。

老いて益々盛んなりである。

             

◆教育とは「抑制の訓練」だ  (世界日報 06・4・14)

琉球大学名誉教授 亀川 正東

日本人の質を取り戻そう  

精神文化の衰退は国の衰弱 ≪衣食足りないのに心の優しさ≫  

「クリスマスイブにポーランド人家庭の夕食に招かれました。当時は、物不足で大変でしたが、それでも心ばかりのご馳走が並べてあった。みんな着席して、いざ食べようとしたが、一人分の席が空いていた。  私は誰かが遅れてくるものと思った。しかし、後でわかったことは、もしも貧しい旅人でも来て、何か恵んでくださいと言われたら、満席ではダメで、空席にしていたのでした……」  この話は、平成五年四月八日にカンボジアでUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)のボランティアメンバーとして総選挙実施の支援活動をしていた中、銃撃されて二十五歳で亡くなった中田厚仁さんの父親の思い出話である。  十数年前、東西冷戦下のソ連とポーランドを旅した私は、衣食住の満足でない当時のポーランドを思い出した。衣食住足りて礼節を知るというのに、衣食住が十分でなかったこの国に、このようなヒューマニズムは一体どこからくるのだろうか。  ポーランド滞在のある日、バスに乗って空いている席に座ったところ、周囲の刺すような視線にハッと驚き、立ち上がってみると、そこはシルバーシートであった。  また、横断歩道で次のような光景を見た。向かい側から横断歩道をよたよたやってくるお婆さんを見た青年が、自分はすでに渡り終わったにもかかわらず、急に引き返して、そのお婆さんの手を引いて再び戻ってきた。それを見た私は、無言の感動に打たれたのである。  何という信じ難い心の優しさ……。  ポーランドは冬になると氷点下二〇度や三〇度になる。当時は、物不足、食糧不足のため、市民は行列をつくって店で買い物をする。冷蔵庫の中より寒い歩道で、二十分ないし三十分待って、やっと自分の番がきて店内に入る。  ある男が店内に入るのを見た。卵を買う様子だが、十個しか残っていなかった。その男は少しあたりを見渡して、五個買って出ていった。全部欲しいが、店外で震えている人のことを考えると、少しは残しておこうと考えたに違いない。私は途端に腕を組んで考え込んだ。もし日本人ならどうするだろうと。 ≪近代合理主義を偏重したツケ≫  親が我が子を殺すかと思うと、子が親を殺す昨今の日本の世情。一体、日本の家庭は死んだのか。日本の教育はどうなっているのか。  戦後、日本の教育で最も失敗したのは、道徳教育と正しい歴史教育をしなかったことだろう。マルクス主義と東京裁判史観に毒された日本教職員組合(日教組)は、これらの教育を拒否した。  中でも、沖縄県教職員組合(沖教組)は、日本一の団結を誇った。元日教組委員長の槇枝元文はかつて、そんな沖教組の忠誠を誉め称え、もちあげ、煽てたことがある。  日本は、明治時代に欧米の近代合理主義を導入して近代化を進めた。お陰で、経済的には大きく発展したが、一方では、精神文化は衰退の一途をたどり、従来の日本人の価値観、人間観を破壊してしまった。  今日みられる学級崩壊や青少年の残虐行為は、日本人が伝統的な心を忘れたところに原因があるのではないか。大学で五十数年教鞭を執り、人生の大半を子弟の教育に捧げてきた私にとって、今日ほど教育の現状が重く、つらく大きくのしかかってきたことはない。  その国の青年を見れば、その国の将来が読めると言われるが、このままで果たして日本に明日はあるのだろうか。戦後の教育によって、日本人の質は本当にダメになったのだ。  そもそも教育とは「抑制の訓練」である。戦後の親は、子供たちに「ムチ」ではなく、「アメ」を与えすぎたようだ。蚊に刺された赤ちゃんを救急車で病院に連れて行った母親の実話は単なる笑いごとではない。  過保護のために、肉体的にも精神的にもひ弱になった今日の子供たちは、欲望のままに行動し、気にくわないとすぐにダダをこねる。自分の欲望をコントロールできない。これは、親たち、特に母親の子供に対する躾に問題がある。 ≪経済大国カルタゴ滅亡に学べ≫  以前、ある用件で台湾に行った時、知り合いの台湾政府高官と対談していると、突然次のような質問を受けた。  「亀川さん、もし今、台湾と日本が戦争したら、日本は負けますよね」  理由を聞くと、「だって、今の日本の若者は軟弱で、銃も重くて担げないのでは」との返事が返ってきた。  かつて、カルタゴの将軍ハンニバルは、自国の滅亡を目の前にし、せせら笑ってこう言った。「国も体と同じく頑健に見えても内から衰弱していく。自分の金を失うのは苦痛だが、国家の損失はそんな比ではない」。  カルタゴは、ハンニバルの忠告を理解できず、逆に彼を追放した。果たして、その経済大国は、第二次ポエニ戦争(紀元前二一八年~二〇一年)敗北後、第三次ポエニ戦争(紀元前一四九年~一四六年)で五十五年目に滅びたのだ。  日本は今こそ歴史の教訓を学ぶべきである。

 

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声高に叫ぶ韓国が冷静な日本に負けた

2006-04-24 09:17:21 | 未分類

前の稿で竹島を巡る「衝突」が決着した事を「日本側の判定勝ち」と断定した。

舞鶴にあつまった海上保安庁測量船や巡視船。 測量船の職員は丸腰だった。
総指揮官は言葉は柔らかいが「国際法に乗っ取って粛々と行う」と譲らない。

今までに無い強い態度で臨んだ政府と外務省に一番驚いたのは、「特ア三国」と呼ばれる「中国・韓国・北朝鮮」だろう。

多少のスタンスの差はあっても、基本的には政府を支持したマスコミは多かった。

右翼系のブログには「問題の先送りにしか過ぎない」と交渉の実務に当たった谷内事務次官のことを批判するものいた。

特に事務次官という最高責任者が先方までわざわざ出かけていき、相手の柳次官が我居丈高な態度に終始しさせ、何度も席を立って、日本側は冷静になるようになだめ役に徹した印象が我慢ならんようだ。
一度は会場のホテルの地下駐車場にまで行った柳次官を日本側が呼び戻しに行ったと報道されている。
このような日本代表の「弱腰」は看過できない。 気持ちは判る。

が、今回の「衝突」はKO勝ちではなくとも日本の判定勝には間違いない。

当初、韓国側が「6月の国際会議に調査済みの近海の韓国名称提出は元々無かった話だ」と国内向けに発表して≪日本の不当な測量船を追い返すのに成功した≫と国内世論の鎮圧化を図ったが、先ず中国メディアが日本の勝利を認めた。http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=75012&servcode=200&sectcode=200

4月24日付けの「東亜日報」も「挑発の天才日本にやられた」ことを認める記事をしている。

又同じ日の「朝鮮日報」の社説も「声高に叫ぶ韓国、実利を持っていく日本 」という見出しで自国の敗北を認めている。

今回の「衝突」で特徴的だったのは,決着するまでの両国のメディアの論調である。

韓国メディアは挑発的な大統領や次官の声明を、大きく掲げて、日の丸を焼いたり、日本に抗議して切腹する人を放映してまるで今にも戦争勃発のような扇動をした。

日本のメディアは右から左まで論調に差があるのは当然にしても一貫して今回は韓国の暴挙と捉えていた。 

あの朝日新聞でさえ相変わらず軸足の定まらない論調ながら、竹島は日本領土であると言う論旨は文面から読み取れる。

ただ一部の痴呆、・・・もとい、地方紙には、何年も時間が止まったような、思考停止の論旨を繰り返しているのが目についた。

声高に今にも戦争勃発のように世論を煽った韓国政府は今後どのように世論を沈静させて行くのか。

既に朝鮮日報には「日本の膺懲を粉砕できなかった恥辱」という物騒なタイトルの社説が出ている。  

因みに膺懲(ちょうよう)とは「敵や悪者を打ちこらしめること」だそうだ。http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/23/20060423000021.html

高校野球の応援みたいで面映いが今度の「解決」は阿部総指揮官、谷内事務官次官それから場合によっては命の危険も覚悟の上で丸腰で現場に臨んだ海上保安庁測量船職員が国益を守るために一丸となりよくやった。

殆どのメディアも本音ではこれを支持した。

                    ◆

国内世論を配慮してかそれぞれ違う事務官次官の言葉。

朝鮮日報 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/24/20060424000026.html

 

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竹島「紛争」  今回は日本の判定勝ち!

2006-04-23 08:59:16 | 県知事選

他人の別荘に勝手に上がりこんで暴力団の看板などを取り付けて我が物顔に振舞っているヤクザ集団がいる。 勿論武器も持ち込む無法振りである。

堪りかねて別荘の主が行動を起こした。 無法者は警察に任せれば良いのだがこの地域には警察は無い。 自分で立ち向かわなければならない。

別荘の主が重い腰を上げたのには訳があった。

近くこの暴力団はこの別荘周辺を暴力団名義で登録すると聞いたのだ。
そこで別荘の主も別荘界隈の測量をすると暴力団に通知した。

今まで大人しかった別荘主の意外な態度にヤクザはお定まりのこけ脅しに掛かった。

別荘近辺を武器で固めて調査を止めるように威嚇した。

止めなければ「拉致監禁」すると脅しの構えだ。

この近辺には訴える警察は無いが裁判所はあった。

これまで、別荘主は「出るところに出て話をしよう」と、再三提案するが相手がこれに同意しなければ裁判所は受け付けない決まりなので困っていた。

相手の「拉致監禁」強行は別荘主の望むところであった。

拉致監禁を実行したら否応無しに裁判所にヤクザは引きずり出される。

別荘主は不退転の意思を込めて「法律にのとって粛々と実行する」と脅しには乗らなかった。

ヤクザもこの辺は先刻承知で、振り上げた拳の下ろしどころの模索を始めた。
≪拉致監禁したら相手の思う壺。 出るところ(裁判所)に引き出される≫

結局、別荘主の投げかけた妥協案をヤクザが飲んで一応の決着がついた。

取り合えず今回の「紛争」は別荘主側の判定勝。

                                    *

 

これまでヤクザ側が脅しに使ったこけおどし文言。

ヤクザの親分(盧大統領)「第二の侵略行為」(4月19日)
ヤクザの番頭(柳次官)「大韓民国の存続をかけてでも(阻止する)」「今日は手加減しない」(4月22日)

一方「紛争」決着後のヤクザ新聞はやけに大人しい。

記事入力 : 2006/04/22 19:57
 
【海洋調査】韓日外務次官会談が妥結 
 
 日本の独島(日本名竹島)付近の海洋測量調査をめぐって2日間行われた韓日両国の外務次官会談は22日夜、妥結に至ったことがわかった。

 これにより、日本は6月30日までと予定していた海洋測量調査を見送るものとみられている。

 また韓国は、今年6月にドイツで開かれる予定の国際水路機構に韓国名の地名を登録する当初の方針を修正し、「十分な準備を経て適当な時期に行う」とした。

朝鮮日報
 
                     *


今朝のフジテレビ「報道2001」でソウルと東京とで小学生に「竹島・独島」についてアンケート結果を放映した。

韓国の子供達は「独島は韓国のもの!」で一致した意見で位置する場所も殆ど間違わなかった。
間違えた子供には通りがかりのオジサンが「それで韓国人か」と怒る場面もあった。

一方日本の子供達は「エー? タケシマー? 何それ、友達の名前かと思った」と言った雰囲気でまるで話にならない。

正確な場所を当てた人はいなかった。

国を愛する教育を放棄した国は結局亡国の民と成り果てる。

これも歴史の法則。

 

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竹島問題 泥沼にはまった韓国の愚

2006-04-22 15:16:50 | 普天間移設

竹島の海洋調査を巡る日韓の対立はチキンレースそのものだ。

「日本としては国際法に則って粛々と基本的に作業を進めていくということになる」。

今回の「作戦」の総指揮官である安倍官房長官の言葉だ。

言葉使いはソフトだが韓国側には強硬派安倍の不退転の決意が読み取れた。

韓国側にとって今回の日本の対応は「想定外」だった。

ドスをちらつかせ脅しをかければ引っ込むと思ったが、日本側の態度は従来と違っていた。

次期首相最有力候補の安倍官房長官が「作戦」の総指揮官だったのだ!

安倍官房長官は「今回のような調査は韓国側も行なっており、お互いに冷静に対応することが大切だ」と、あくまでも冷静だ。

それどころか韓国側にも冷静な対応を求め、政府として「粛々と」竹島周辺の海洋調査に着手する考えをあらためて示した。

自分に理が無い事を知りながら20隻の艦船と大砲で威嚇する従来の脅しが効かないと知って狼狽したのは韓国側だ。

日本が測量を実行して韓国がこれを拿捕したら、日本が「出るところに出て話をしよう」と言っているところ「国際司法裁判所」に引きずり出されるということは韓国自身が百も承知していた。(朝鮮日報http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/19/20060419000016.html)

しかし出るところに出るわけには行かない。

かといって日本が投げかけた「6月に行われる国際海洋会議に韓国名の海底地名を提出しなければ、調査船を引っ込める」と言う譲歩案を素直に飲むわけには行かない。

それまで散々日本の「旧悪」を声高に叫び,盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領までも「侵略戦争で確保した占領地に対する権利を主張する人たちがいる」よ発言するに及んでは、振り上げた拳を簡単に下ろせない。

国民を煽っているの大統領だけではない。

昨日来ソウルで日本の谷内正太郎外務次官と協議中の韓国外交通商省柳明桓(ユ・ミョンファン)も国民に拳を振り上げ誇示して見せている。


朝鮮日報 2006年年4月22日

【海洋調査】柳次官「大韓民国の存続をかけてでも」 
 
 独島(日本名竹島)近海水域における日本の海底探査計画に端を発した韓日間の問題を解決するため、交渉に当たっている柳明桓(ユ・ミョンファン)外交部第1次官が21日、これまでに例のない強硬な発言を繰り返し注目を集めた。 柳次官は交渉を控え、記者らと懇談し「大韓民国の存続をかけ、物理的な力を動員してでも(日本の探査は)防がねばならない」と話した。外交官としての33年の経歴を持つ柳次官によるこの発言は、会談会場の内外で大きな話題となった。

 柳次官はまた、別の場所で「今日は手加減しない」とも話した。日本の外交官らは普段慎重な言動で知られる柳次官の「非外交的」な発言に、驚いた様子だったと伝えられる。それだけに、一連の発言は今回の事態に対する韓国政府の厳しい姿勢を反映したものとの見方もある。

簡単に日本側の妥協案を飲んだらナショナリズムでヒートアップした国民の批判の矛先が大統領に向かうのは火を見るより明らかだ。

泥沼に足を突っ込んで抜き差しなら無い状況にあるのは盧大統領だ。

今日本側から投げたボールは韓国側にある。

 

◆朝鮮日報 2006年4月22日

【海洋調査】盧大統領の決断が交渉左右か 
 
 盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は21日、金寿煥(キム・スファン)枢機卿とチョン・ジンソク枢機卿との会談の席でも、独島(日本名竹島)近海での日本の水路測定計画を批判した。

 20日の国家朝餐祈祷会でも盧大統領は日本を指し、「今、この時になっても過去の不当な歴史により取得し、侵略戦争で確保した占領地に対する権利を主張する人たちがいる」と話した。18日午後には与野党の指導部との会談の席でも、外交部が現在まで繰り広げてきた「静かな外交」の再検討を明らかにしている。

 また盧大統領は、国防当局者から「準備は万端」との報告があったことも明らかにしている。日本の探査船派遣計画に初めて公式に触れたのも17日朝、大統領府でのことだった。

 それだけ盧大統領は、この問題が主権に関わる問題との認識を強めている。事態への対応も、他のどの政府部処(日本の省庁に当たる)よりも強硬だ。かえって関係部処は大統領府について行くのが精一杯な状況だとある政府当局者は伝えた。したがって韓日間の外交交渉は、盧大統領の決断次第で合意もしくは決裂が左右されそうな状況だ。


◆(2006年4月22日11時19分  読売新聞)

竹島問題で日韓次官が再協議、主張対立し平行線

竹島問題
 【ソウル=中島健太郎、福島恭二】竹島周辺海域での日本の海洋調査に韓国が反発している問題で、谷内正太郎外務次官は22日午前、ソウル市内のホテルで韓国外交通商省の柳明桓(ユ・ミョンファン)第1次官と再協議を行った。

 谷内次官は21日の協議で、韓国が6月の海底名称に関する国際会議にこの海域の韓国語表記を提案しないと約束すれば調査を見送る考えを示したが、柳次官は調査方針の即時撤回を求めており、両国の主張は対立している。

 柳次官は会談前、同ホテルで記者団に対し、「今日中に終わるかどうかは、展望するのが難しい」と語った。さらに、「譲歩する部分はあるか」という質問に、「ない」と答えた。

 21日の協議では、谷内次官は、韓国語表記の提案見送りを求めたほか、係争水域に入る際は事前に相手国に通報するルールを設けることを主張した。

 これに対し、柳次官は「日本が独島(竹島の韓国名)を編入したのが、植民地支配の始まりだ」と指摘し、「日本の海洋調査は科学的なものだと思っていない。直ちに調査撤回を表明するべきだ」と反論した。

 韓国側はこれまでに、韓国語表記の提案については6月の会議にこだわらない姿勢を示しているが、日本側がまず調査中止を決めるよう強く求めている。

 一方、海洋調査に当たる予定の、海上保安庁の測量船「明洋」と「海洋」の2隻は、22日午前も鳥取県の境港沖合で待機を続けた。
 

 

 

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沖縄のローマ知事 普天間移設問題

2006-04-22 10:45:11 | 未分類

3月5日に普天間基地のある宜野湾市で「沿岸案反対・県民総決起大会」が開かれたが、名島袋名護市長はこれには参加せず翌日東京の防衛庁長官室にいた。

そこで島袋市長が額賀長官に要請したのは「基地移設」に関わることではなく「防衛医官・産婦人科医」の派遣であった。

この辺の事情を当日記で「沖縄のローマ市長」と訳のわからないタイトルでからかった。
(http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/2958ba07615e6c985d3893e7e78337c8)

ここで云うローマとは勿論イタリアのローマの事ではない。

沖縄の方言で老耄(ろうもう)、つまり老いてモウロクした人の事ををローマと呼ぶ。
尤もこの言葉、今では地元沖縄でも死語になりつつある。

島袋市長には失礼な言を弄したが、彼の言動は常に判り難い。

しかし、結局島袋市長は自分の分をわきまえて「県民総決起大会」には欠席しても、市長としての職責を果たすべく上京して額賀長官に対峙したのだ。
市長としての「専管事項」を遂行する為に。

兎に角島袋市長の奔走で、名護・北部地域に待望の産婦人科医がやってくるのだ。
(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-13003-storytopic-3.html)

島袋市長は今、蜂の巣を突付いた後の蜂のような「反対派」に追われているようだ。

が、言動の判り難い嫌いはあるが市長としての職分を一番判っていたのは、島袋名護市長だったのかもしれない。

遅まきながら島袋名護市長の「ローマ市長」の不名誉な称号を撤回し、改めて稲嶺沖縄県知事に「ローマ知事」の称号を献上する。

「ローマ知事」さん、今頃何を今頃改まって、当たり前のことをモッタイブッテ云うの?

防衛問題は国の専管事項」だって・・・。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-13018-storytopic-3.html

それを大見出しで書く記者の目をシロクロした顔が目に浮かぶ。

島袋市長の「裏切り」に対して、「反対を叫ぶ苦渋の県知事」を演出してヒーローに祭り上げたのは地元メディアでしょう。

どうコメントしていいのか狼狽する記者の心が記事の行間に見えて爆笑ものだ。
批判が得意の地元新聞ならどうして鋭く突っ込まないの。

国の専管事項を無視して、『15年使用期限』や『軍民共用』の無理難題を吹っかけて、問題をこじらしたのは何所の誰だっけ?」・・・とか。

 

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