狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

【沖縄集団自決訴訟の詳報】 梅沢裕さん(90)本人尋問

2007-11-09 17:36:14 | ★集団自決

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】11.9 15:12 (1/4ページ)

  沖縄の集団自決訴訟で、9日、大阪地裁で行われた本人尋問の主なやりとりは次の通り。

 《午前10時半過ぎに開廷。冒頭、座間味島の守備隊長だった梅沢裕さん(90)と、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟の秀一さん(74)の原告2人が並んで宣誓。午前中は梅沢さんに対する本人尋問が行われた》

 原告側代理人(以下「原」)「経歴を確認します。陸軍士官学校卒業後、従軍したのか」

 梅沢さん「はい」

 原「所属していた海上挺身(ていしん)隊第1戦隊の任務は、敵船を撃沈することか」

 梅沢さん「はい」

 原「当時はどんな装備だったか」

 梅沢さん「短機関銃と拳銃(けんじゅう)、軍刀。それから手榴(しゅりゅう)弾もあった」

 原「この装備で陸上戦は戦えるのか」

 梅沢さん「戦えない」

 原「陸上戦は予定していたのか」

 梅沢さん「いいえ」

 原「なぜ予定していなかったのか」

 梅沢さん「こんな小さな島には飛行場もできない。敵が上がってくることはないと思っていた」

 原「どこに上陸してくると思っていたのか」

 梅沢さん「沖縄本島だと思っていた」

 原「昭和20年の3月23日から空爆が始まり、手榴弾を住民に配ることを許可したのか」

 梅沢さん「していない」

 原「(米軍上陸前日の)3月25日夜、第1戦隊の本部に来た村の幹部は誰だったか」

 梅沢さん「村の助役と収入役、小学校の校長、議員、それに女子青年団長の5人だった」

 原「5人はどんな話をしにきたのか」

 梅沢さん「『米軍が上陸してきたら、米兵の残虐性をたいへん心配している。老幼婦女子は死んでくれ、戦える者は軍に協力してくれ、といわれている』と言っていた」

 原「誰から言われているという話だったのか」

 梅沢さん「行政から。それで、一気に殺してくれ、そうでなければ手榴弾をくれ、という話だった」

【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】 (2/4ページ)
2007.11.9 15:12
 
 原「どう答えたか」

 梅沢さん「『とんでもないことを言うんじゃない。死ぬことはない。われわれが陸戦をするから、後方に下がっていればいい』と話した」

 原「弾薬は渡したのか」

 梅沢さん「拒絶した」

 原「5人は素直に帰ったか」

 梅沢さん「執拗(しつよう)に粘った」

 原「5人はどれくらいの時間、いたのか」

 梅沢さん「30分ぐらい。あまりしつこいから、『もう帰れ、弾はやれない』と追い返した」

 原「その後の集団自決は予想していたか」

 梅沢さん「あんなに厳しく『死んではいけない』と言ったので、予想していなかった」

 原「集団自決のことを知ったのはいつか」

 梅沢さん「昭和33年の春ごろ。サンデー毎日が大々的に報道した」

 原「なぜ集団自決が起きたのだと思うか」

 梅沢さん「米軍が上陸してきて、サイパンのこともあるし、大変なことになると思ったのだろう」

 原「家永三郎氏の『太平洋戦争』には『梅沢隊長の命令に背いた島民は絶食か銃殺ということになり、このため30名が生命を失った』と記述があるが」

 梅沢さん「とんでもない」

 原「島民に餓死者はいたか」

 梅沢さん「いない」

 原「隊員は」

 梅沢さん「数名いる」

 原「集団自決を命令したと報道されて、家族はどんな様子だったか」

 梅沢さん「大変だった。妻は頭を抱え、中学生の子供が学校に行くのも心配だった」

 原「村の幹部5人のうち生き残った女子青年団長と再会したのは、どんな機会だったのか」

 梅沢さん「昭和57年に部下を連れて座間味島に慰霊に行ったとき、飛行場に彼女が迎えにきていた」

【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】 (3/4ページ)
2007.11.9 15:12
 
 原「団長の娘の手記には、梅沢さんは昭和20年3月25日夜に5人が訪ねてきたことを忘れていた、と書かれているが」

 梅沢さん「そんなことはない。脳裏にしっかり入っている。大事なことを忘れるわけがない」

 原「団長以外の4人の運命は」

 梅沢さん「自決したと聞いた」

 原「昭和57年に団長と再会したとき、昭和20年3月25日に訪ねてきた人と気づかなかったのか」

 梅沢さん「はい。私が覚えていたのは娘さんだったが、それから40年もたったらおばあさんになっているから」

 原「その後の団長からの手紙には『いつも梅沢さんに済まない気持ちです。お許しくださいませ』とあるが、これはどういう意味か」

 梅沢さん「厚生省の役人が役場に来て『軍に死ね、と命令されたといえ』『村を助けるためにそう言えないのなら、村から出ていけ』といわれたそうだ。それで申し訳ないと」

 《団長は戦後、集団自決は梅沢さんの命令だったと述べていたが、その後、真相を証言した。質問は続いて、「集団自決は兄の命令だった」と述べたという助役の弟に会った経緯に移った》

 原「(昭和62年に)助役の弟に会いに行った理由は」

 梅沢さん「うその証言をしているのは村長。何度も会ったが、いつも逃げる。今日こそ話をつけようと行ったときに『東京にいる助役の弟が詳しいから、そこに行け』といわれたから」

 原「助役の弟に会ったのは誰かと一緒だったか」

 梅沢さん「1人で行った」

 原「会って、あなたは何と言ったか」

 梅沢さん「村長が『あなたに聞いたら、みな分かる』と言った、と伝えた」

 原「そうしたら、何と返答したか」

 梅沢さん「『村長が許可したのなら話しましょう』という答えだった」

【沖縄集団自決訴訟の詳報(1)】 (4/4ページ)
2007.11.9 15:12
 
 原「どんな話をしたのか」

 梅沢さん「『厚生労働省に(援護の)申請をしたら、法律がない、と2回断られた。3回目のときに、軍の命令ということで申請したら許可されるかもしれないといわれ、村に帰って申請した』と話していた」

 原「軍の命令だということに対し、島民の反対はなかったのか」

 梅沢さん「当時の部隊は非常に島民と親密だったので、(村の)長老は『気の毒だ』と反対した」

 原「その反対を押し切ったのは誰か」

 梅沢さん「復員兵が『そんなこと言ったって大変なことになっているんだ』といって、押し切った」

 原「訴訟を起こすまでにずいぶん時間がかかったが、その理由は」

 梅沢さん「資力がなかったから」

 原「裁判で訴えたいことは」

 梅沢さん「自決命令なんか絶対に出していないということだ」

 原「大勢の島民が亡くなったことについて、どう思うか」

 梅沢さん「気の毒だとは思うが、『死んだらいけない』と私は厳しく止めていた。責任はない」

 原「長年、自決命令を出したといわれてきたことについて、どう思うか」

 梅沢さん「非常に悔しい思いで、長年きた」

 《原告側代理人による質問は、約40分でひとまず終了。被告側代理人の質問に移る前に、5分ほど休憩がとられた》

【沖縄集団自決訴訟の詳報(2)】
2007.11.9 17:12
  《休憩後、審理を再開。被告側代理人による質問が始まる》

 被告側代理人(以下「被」)「戦陣訓として『生きて虜囚の辱めを受けず』という言葉があるが、こういう教えが座間味の島民に浸透していたのは知っていたか」

 梅沢さん「島の長が島民に教育していたと思う」

 被「島民に浸透していただろうということは、分かっていたか」

 梅沢さん「それくらいは浸透していたと思う」

 被「鬼畜である米英に捕まると女は強姦、男は八つ裂きにされるので玉砕すべきだ、ということも浸透していたと知っていたか」

 梅沢さん「そういうことは、新聞や雑誌が言っていたことだ」

 被「物資の運搬などに対する島民への指示は誰がしたのか」

 梅沢さん「基地隊長がやっていた。炊事の手伝いとか、食料の世話とか」

 被「元々の指示は梅沢さんから出されたのか」

 梅沢さん「私から基地隊長にお願いした」

 被「軍の装備について。軍にとって手榴(しゅりゅう)弾は重要な武器か」

 梅沢さん「はい」

 被「女子青年団長が軍曹から『万一のときは日本女性として立派な死に方を』と言われて手榴弾を渡されたことは知っているか」

 梅沢さん「はい。団長から聞いた」

 被「(座間味村史を示し)『民間人だし足手まといになる』『万一の時は自決を』と言われて手榴弾を渡された、と書いている女性のことは知っているか」

 梅沢さん「知らない人だ」

 被「こんなことがあった、というのは知っているか」

 梅沢さん「こんなことはありえない」

 被「『明日は米軍の上陸だから民間人を生かしておくわけにはいかない。万が一のときはこれを使って死になさい』と軍人から手榴弾を渡されたという女性の手記は知っているか」

 梅沢さん「言うはずがないと思う」

 被「別の女性は『昭和20年3月25日の夜、忠魂碑の前で日本兵に、米軍に捕まる前にこれで死になさい、と言われて手榴弾を渡された』と証言しているが」

 梅沢さん「そういうことは知らないし、ありえないと思う」

 被「手榴弾は重要な武器だから、梅沢さんの許可なく島民に渡ることはありえないのでは」

 梅沢さん「ありえない」

 被「日本兵が『米軍に捕まるよりも、舌をかんででも前に潔く死になさい』などと島民に言っていたのを知っているか」

 梅沢さん「知らない」

 被「部下がそういうことを言っていたのを知らないか」

 梅沢さん「知らない」

 被「原告側準備書面の中で『多くの住民は忠魂碑の前に集合する命令を、軍からの命令と受け取ったと考えられる』と書いてあるが、これは認めるか」

 梅沢さん「ニュアンスが違う。イエスかノーかで答えられるものではない」

 被「準備書面の記述と同じ考えかと聞いている」

 梅沢さん「同じだ」

 被「昭和63年12月22日に沖縄タイムス社の常務と話をした際に『もうタイムスとの間でわだかまりはない』と言ったか」

 梅沢さん「言った」

 被「覚書を交わそうとしたとき、『そんなもん心配せんでもいい。私は侍だから判をつかんでもいい』と言ったか」

 梅沢さん「言った」

 《沖縄タイムス社から昭和25年に刊行された沖縄戦記『鉄の暴風』には、集団自決を軍が命令したとの記載がある》

 被「助役の弟の証言に関することだが、この証言はあなたが『家族に見せるため』と書いてもらったのではないか」

 梅沢さん「違う」

 被「別の機会の会話の録音テープがあるのだが、助役の弟が『公表しないでほしい』と言ったのに対し、あなたは『家族や知人には見せる。公表は考える』と答えているが、間違いないか」

 梅沢さん「はい」

 被「じゃあ、家族に見せるためと、証言を頼んだんでしょう」

 梅沢さん「それだけのためじゃないですよ」

 被「大江健三郎氏の『沖縄ノート』を読んだのはいつか」

 梅沢さん「去年」

 被「どういう経緯で読んだのか」

 梅沢さん「念のため読んでおこうと」

 被「あなたが自決命令を出したという記述はあるか」

 梅沢さん「ない」

 被「訴訟を起こす前に、岩波書店や大江氏に抗議したことはあるか」

 梅沢さん「ない」

 被「昭和55年に出した島民への手紙で『集団自決は状況のいかんにかかわらず、軍の影響下にあり、まったく遺憾である』と書いているが、集団自決は軍の責任なのか」

 梅沢さん「私は『軍は関係ない』とは言っていない」

 被「手紙を出した当時、軍の責任を認めているということか」

 梅沢さん「全然認めていないわけではない」

 《50分近くに及んだ被告側代理人の質問に続き、再び原告側代理人が質問》

 原告側代理人(以下「原」)「忠魂碑の前に集まれという軍令を島民に出したか」

 梅沢さん「出していない。兵も配置していない」

 原「軍は何かしたのか」

 梅沢さん「人を集めておいて、私のところに弾をくれと言いに来たのは事実らしい」

 原「忠魂碑の前に島民がいて、軍もいるというのはあり得るか」

 梅沢さん「ありえない」

 原「軍は全島に展開していたからか」

 梅沢さん「はい」

 原「先ほど『沖縄ノート』を読んだのは去年だと話していたが、その前から、(曽野綾子さんの著書で軍命令説に疑問を示した)『ある神話の背景』は読んでいたのか」

 梅沢さん「はい」

 原「その中に『沖縄ノート』のことが書かれていて、『沖縄ノート』に何が書いてあるかは知っていたのか」

 梅沢さん「知っていた」

 原「先ほどの『沖縄ノートに私が自決命令を出したという記述はなかった』という証言は、梅沢さんの名前は書かれていなかったという意味か」

 梅沢さん「そういう意味だ」

 《被告側代理人も再び質問》

 被「『沖縄ノート』には、あなたが自決命令を出したと書いてあったか」

 梅沢さん「そうにおわせるように書いてある。『隊長が命令した』と書いてあるが、この島の隊長は私しかいないのだから」

 《梅沢さんの本人尋問は午後0時10分過ぎに終了。午後1時半まで休廷となった》

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント

「同じ土俵」に立つか 大江氏の論点は?◆朝日社説

2007-11-09 12:13:37 | ★集団自決

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

沖縄タイムス 連載「11・9「集団自決」訴訟尋問」(1)  
 
(11月5日朝刊社会面)
(1)隊長命令の有無・旧軍復権狙い提訴/「名誉回復」透ける思惑

 (略) 沖縄戦時の慶良間諸島における住民の「集団自決(強制集団死)」で、住民に命令を出したと書物に書かれて、旧日本軍の元戦隊長らが「すさまじい人格的な非難」を受け続けているという。被告はノーベル賞作家の大江健三郎さんと、著作「沖縄ノート」などを出版している岩波書店。

 「沖縄戦の問題は日本人として大変に重要で、世に語り継いでいかなければなりません。しかしながら、そういう重大な歴史を決定付ける事実がないがしろにされてきた。沖縄戦をめぐる戦後の言論空間を見直したい」

 訴訟の最大の争点は、戦隊長が住民に直接「集団自決」を命じた事実があるかどうかだという。代理人や支援者の中には「靖国応援団」を自称する人たちの姿も。元戦隊長ら個人の名誉回復を強調する背後に、皇軍復権の狙いがちらつく。

 軍による命令や強制と戦隊長命令とを明確に区別する論理に、沖縄平和ネットワークの津多則光・沖国大非常勤講師は、沖縄戦の実相をとらえる上でナンセンスと話す。

 住民に対する日本軍の加害行為だった住民虐殺や食料強奪、壕追い出しを含め、軍や戦隊長による「集団自決」への命令・強制はもともとあったと指摘。戦隊長は部隊の最高責任者として、それを止めずに行使したかどうかだととらえる。

 岩波側の支援者の一人は「隊長命令が重要ではないと強調するほど『結局、隊長による個別の命令はない』という原告の主張を勢いづかせる。どう支援すればいいのか初めは距離感がつかめなかった」と振り返る。

 津多さんは「それでも隊長命令が争点と言うなら放っておけない。同じ土俵に上がって勝負をつけ、こちらの土俵に引っ張り込まねば」。提訴から二年余、被告と同じ立場で原告側の主張に分析を重ね続けている。(略)

                     ◇ 

2005年8月の提訴から二年三ヶ月、今日の本人尋問で訴訟は愈々大詰を迎える。

当初出廷を拒否したといわれる被告大江健三郎氏も証人喚問という形で原告梅沢元隊長本人、そして元赤松隊長の実弟と法廷で対決をする。

ある意味では裁判の当事者である沖縄タイムスは、

今日の裁判を山場と見たのか、11月5日より連載で

「11・9「集団自決」訴訟尋問」を掲載し始めた。

当事者なら止むを得ない得ないだろうが、

記事内容は「被告側応援記事」に徹している。

これまで主張してきた、

「軍命の有無は問題でない」(林教授)

「軍官民共生共死一体化」(宮城晴美氏証言)

「軍命なしに集団自決はありえない」(金城重明氏証言)

といった抽象論では不利と見たのか作戦を変更を迫られているようだ。


>隊長命令が重要ではないと強調するほど『結局、隊長による個別の命令はない』という原告の主張を勢いづかせる。どう支援すればいいのか初めは距離感がつかめなかった」

>それでも隊長命令が争点と言うなら放っておけない。同じ土俵に上がって勝負をつけ、こちらの土俵に引っ張り込まねば」

いつまでも「論点ずらし」を続けても、

法廷という「論理の場」では被告が不利になることに今頃気がついたのだろうか。

早めに「同じ土俵」に上がって、論理で戦って欲しいものだ。

被告側支援団体の山口剛史琉球大学準教授も、

「同じ土俵」に気がついたのか、次のように述べている。

隊長の直接命令の有無という原告側が敷いた土俵に大江氏が乗るかどうか。 大江氏がどう準備しているかも注目だ。(琉球新報 11月9日)

                                             ◇

「集団自決裁判」では沖縄タイムスと共に当事者と言える朝日新聞(『鉄の暴風』の初版を発行)が大江氏出廷の日に「集団自決」辛味の社説を書いた。

だが、記事内容は大江健三郎氏の出廷については一言も触れず教科書検定に終始している。

そう、朝日新聞はこの裁判では既に敵前逃亡をしている。

朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 

スルーしようかとも思ったが一応付き合っておこう。

それにしても粗雑な論旨だ。

朝日新聞 社説 2007年11月9日

集団自決検定―審議会も問われている

 沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書の検定で、教科書会社が「日本軍の強制」を復活させる訂正申請を文部科学省に出した。文科省は検定調査審議会に諮って年内に結論を出すという。

 問題の発端は、今春の検定で「集団自決は軍に強いられた」という趣旨の記述が軒並み削られたことだ。訂正を申請した各社の執筆者らによると、新たな記述は、多少表現を変えてはいるものの、元の記述と同じ趣旨を盛り込んだという。

 私たちはこれまで社説で、検定を撤回すべきだと主張してきた。文科省は従来、「日本軍の強制」を認めてきた。それを覆さなければならないような理由が見当たらないからだ。

 文科省は、軍の命令を否定する証言が新たに出てきたと言う。

 しかし、軍の強制を証言する住民は現に数多くいる執筆者らは「すべての集団自決に軍の強制があった」と書いているわけではない。それにもかかわらず、「軍の強制」という表現をすべて削らせたのは乱暴極まりない。

 検定は、文科省職員である教科書調査官が「調査意見書」をつくり、それをもとに審議会が結論を出す仕組みだ。

 文科省は今回、検定の撤回には応じず、教科書会社に訂正申請を出してもらい、改めて審議会にかける道をとった。

 本来は検定を撤回するのが筋だが、せめて審議会はきちんと間違いを認め、記述を元に戻させなければならない。

 それにしても不可解なのは、なぜ審議会が「軍の強制」を消し去る調査意見書をそのまま通したのか、ということだ。調査官の姿勢はもちろん問題だが、その意見書について特に異論がなかったというのだから、驚いてしまう。

 審議会は学者や専門家で構成されている。教科書の記述が現在の研究実績から外れていないか論議する。今回のように文科省側から問題のある意見書が出てきた場合はブレーキ役となる。それが審議会に求められる役割だろう。

 いまの審議会には沖縄戦の研究者はいないという。しかし、それは意見書を黙認した言い訳にはなるまい。訂正申請の審議では、沖縄戦の専門家から意見を聞くという。なぜ、最初からそれができなかったのか。

 気になるのは検定当時の政治状況である。「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政権という時代の空気が、歴史の見直しというかたちで、文科省だけでなく、お目付け役の審議会にも影を落としていなかったか。

 とんでもない検定がまかり通ったことについて、文科省だけでなく、審議会もいきさつを明らかにする責任がある。

 渡海文科相は審議会のあり方について再検討すべきだと言い、「もう少し透明性を上げる必要はある」と述べた。

 検定の公正さを保つ機関というのなら、どんな論議をしたのかをきちんと公表していくのは当然のことだ。

                    ◇

>しかし、軍の強制を証言する住民は現に数多くいる

確かに悲惨な「集団自決」の証言者はいる。

だが「軍の強制」を客観的に証言する住民は1人もいない。

証言もしていないのに沖縄タイムスが「隊長が舌を噛み切って死ね」と言ったという誤報を流し、それを9月30日の社説にそのまま引用したのは朝日ではなかったのか。朝日の“捏造記事”タライ回し  沖縄タイムスが“捏造写真”

それに教科書会社の記述訂正申請も「伝聞による証言」と但し書きをつけたのも朝日ではなかったのか。

教科書執筆者が自爆テロ! 朝日も認める「軍命は伝聞」 

依然として現在のところ「軍の強制」を客観的に証言する住民は1人もいない。

>執筆者らは「すべての集団自決に軍の強制があった」と書いているわけではない。それにもかかわらず、「軍の強制」という表現をすべて削らせたのは乱暴極まりない。

だから、「誤解を受ける表現」に相当するのではないか。

教科書にわざわざ誤解を受ける記述をすれば、左翼教師がこれを根拠にどんなデタラメな思想を生徒に吹き込むかは明らかだろう。

教科書に誤解を受ける記述は不要である。

>せめて審議会はきちんと間違いを認め、記述を元に戻させなければならない。

審議会はこれまでの記述の間違いを認めたからこそ、検定意見通り記述変更したわけであり、これを元の間違いに戻す必要はない。

>その意見書について特に異論がなかったというのだから、驚いてしまう。

正当な意見書だから異論がないのは当然で、

当然の行為に驚く朝日の社説にこそ驚いてしまう。

この社説、事情を良く知らない人が書いたのじゃないの。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

コメント

大江健三郎氏が本日午後法廷に立つ!

2007-11-09 06:25:48 | ★集団自決
 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
 
沖縄集団自決冤罪訴訟第3回証人尋問予定
平成19年11月9日(金)
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/
大江健三郎氏証人尋問
沖縄集団自決免罪訴訟第3回証人尋問
傍聴券獲得に列ぶ人は彼我併せて
500人以上になる見込み
傍聴席は65席しかありません。
皆様是非傍聴券確保にご協力ください。
傍聴券の抽選は朝1回だけです。
途中休憩を挟んで再入廷するとき、
券を持っていれば人が交替しても問題ありません。
 
・日時 平成19年11月9日(金)午前9時半までに集合
    ※傍聴券の配布は、9時45分頃
・場所 大阪地裁(大阪市北区西天満2-1-10)
TEL 06-6363-1281
・内容 10時半~正午     梅澤  裕  氏 証人尋問
    13時半~14時10分  赤松  秀一 氏 証人喚問
    14時半~16時半    大江 健三郎 氏 証人喚問

                     
                     ◇
 
大江健三郎氏は当初出廷を拒否していたという。
 
その為大江氏が以前に出廷を宣言していた記事等を提示、原告側は大江氏の証人申請していた。
 
原告側には「大江氏を法廷に呼び出そう!」という運動も起きていたという。
 
本日の大江氏の出廷は裁判長の「召喚」で証人喚問になった模様。
 
結局、裁判当事者である大江氏は法廷に立って証言をすると言うより、法廷に引きずり出されるという形になった。
 
                     *
  

大江健三郎が出廷を宣言している新聞記事(05/27 )

大江健三郎氏は平成17年8月16日(火)朝日新聞の「伝える言葉」という欄に当裁判への出廷の意志を明確に示し、「求められれば、私自身、証言に立ちたいと思います。その際、私は中学生たちにもよく理解してもらえる語り方を工夫するつもりです。」と宣言しています。

当方弁護団は大江健三郎氏の証人申請をしています。
大江氏はよもや逃げるようなことはせず、堂々と出廷して、何故、何を根拠にその著書『沖縄ノート』において現地調査も一切せず、あのような誹謗中傷を書き連ねる事ができたのか、明らかにしもらわねばなりません。

                   *

 

大江健三郎氏を法廷に呼び出そう!(06/23 )
大島信三のひとことメモより。(雑誌『正論』編集長)
2007年03月31日

「定説」を広めたのは、主に岩波書店だった。そのうちの1冊は、曽野さんの著書が刊行される3年前の昭和45(1970)年に出版された大江健三郎氏の著書『沖縄ノート』(岩波書店)。大江氏らの著書で名誉を傷つけられたとして元守備隊長らが、大阪地裁に提訴。「沖縄集団自決冤罪訴訟」は、平成17(2005)年10月28日、大阪地裁で始まった。原告側の徳永信一弁護士は、『正論』(平成18年9月号)でこう述べている。
<大江氏は、まず、どんな調査のもとに、何を根拠にして、赤松元大尉を「罪の巨塊」などと断定し、アイヒマンのごとく絞首刑にされるべきだと断罪したのかを弁明しなければならない。やがて法廷の証言に立つという大江氏の約束が果たされる日を待ち遠しく思う。そのとき、彼はなにをどう語るのだろうか>
 この裁判で読み上げられた梅澤裕元少佐の意見陳述書が、今回の「軍命令」修正に大きな影響を与えたとされる。昭和20(1945)年3月23日、海上挺進第1戦隊の隊長として梅澤元少佐は、座間味島にいた。米軍上陸目前という緊迫感に包まれていたその夜、島の幹部が本部の壕をおとずれた。自決のための手りゅう弾や実弾をわけてほしいという。梅澤元少佐は、こう諭(さと)したという(『正論』参照)。
<決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。村民も壕を掘り、食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。共に頑張りましょう。弾薬、爆薬は渡せない> 梅澤元少佐の証言には、村民と部隊との良好な関係が端的に表されている。大江氏の『沖縄ノート』には、故意かどうか知らないが、そういう雰囲気はない。いずれにしても、
徳永弁護士が述べたように、こんどは大江氏が発言する番である。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (2)