狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

反戦平和ではメシは食えぬ 「命どぅ宝」では生きてはいけぬ!

2007-11-15 06:36:42 | 未分類

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沖縄タイムス 2007年11月14日(水) 朝刊 1・2・25面  
 
ハンセン共同使用容認/金武・宜野座・恩納 3首長が姿勢転換
 【北部】在日米軍再編に基づく米軍キャンプ・ハンセンの陸上自衛隊の共同使用問題で、地元の儀武剛金武町長、東肇宜野座村長、志喜屋文康恩納村長は十三日、負担増になるとして反対していた従来の姿勢を一転させ、共同使用を受け入れると発表した。三町村長は「ハンセン内の海兵隊から一部がグアムへ移転することや、三町村が求めていた金武地区消防本部の統廃合などに防衛省の協力が得られることから、受け入れを決めた」と説明した。
 この決定を受け、防衛省は同日、在日米軍再編への協力度合いに応じて支払われる再編交付金の交付対象に三町村を加える方針を決めた。十九日に石破茂防衛相が「再編関連特定周辺市町村」に指定し、同日の官報で告示する予定。来年度予算に交付金の10%、再来年度以降100%が交付される見通しだ。

 訓練開始時期は「年内開始は困難」(陸自関係者)とされており、年明けになる見通し。

 防衛省は、米軍が使用しない期間を前提に、陸上自衛隊第一混成団が九州の演習場で行ってきた中隊規模程度の訓練を、キャンプ・ハンセンで実施するとしている。

 ロープ降下、警戒・防護、行進などを中心とした戦闘訓練を、二百人程度の部隊が二十一週間ほど金武町と宜野座村のエリア内で実施。また、レンジ3、4を除く金武町エリア内の既存射撃場で百人程度が九週間、小火器などを使用した射撃訓練を行う。さらに、金武町と恩納村の計二カ所の施設で最大百人が年一週間程度、不発弾処理などの訓練を行う。

 儀武町長は「グアムへの移転や消防本部の統廃合への協力が得られ、総合的に判断して受け入れを決断した」と述べた。また、再編交付金については従来のハード事業主体とは違って子育て支援や福祉などのソフト事業にも使えるため、地元にとって利用価値が高いと判断したという。(略)

三町村長が集まったのは八日深夜。それぞれの考えや議会の反応などを報告して、受け入れを決めた。儀武町長が九日に沖縄防衛局を訪れ、鎌田昭良局長に受け入れを伝える文書を手渡した。

 にもかかわらず、報道各社には、十三日午後になって受け入れを伝える文書をファクスしたのみだった。会見を行う予定はなく、各首長が個々で対応することをひそかに確認していた。

 各社からの強い要望で、急遽同日午後六時から会見が開かれたものの、会見を予定していなかったことは「日程調整がつかなかった」と説明された。(略)

                      ◇

腹が減っては戦は出来ぬ。

腹が減っては平和も叫べぬーby 金武町長。

 

諺にはしばしば背反する意味の諺がある。

例をあげれば、

「君子危うき近寄らず」に対して

「虎穴にいらずんば虎子を得ず」のように。

沖縄の諺の中では「命どぅ宝」が特に有名だ。

 

■イデオロギー化した「命どぅ宝」■

「命どぅ宝」とは「命ぞ宝」の沖縄訛りで、

「命こそ何よりも大事だ」という意味だが、特に日本復帰以後は、

左翼団体の反戦平和のスローガンに使われ、本来の意味から大きく外れてイデオロギー化している。

その結果反戦平和・基地反対を訴えるブログ等のタイトルにも良く使われている。

例:「命どぅ宝」http://www.asahi-net.or.jp/~qg2n-tir/

一方、「命どぅ宝の」対極の意味を含む、

「物呉(く)ゆ者どぅ我が御主(うしゅ)」という諺もあるが、これはあまり知られていない。

これは、自分たちに利益を及ぼす者であれば、どんな者であれ支配者(御主)として受け入れるという意味である。

言葉を変えれば、メシを食わす者には誰にでもついていくという自棄的表現にもなる。

■「命どぅ宝」と「物呉ゆ者どぅ我が御主」の狭間■

反戦平和団体と偏向マスコミの狭間に揺れ動く沖縄の首長の悩みを端的に表したのが上記引用記事である。

反戦平和・反基地を叫んでマスコミのご機嫌を取る一方、反戦平和ではメシは食えぬ・・・。

党首の悩み町長の悩み、村長さんも悩んでいます。 

防衛省:「米軍キャンプ・ハンセンに陸上自衛隊の共同使用を受け入れて欲しい」

町長:「基地負担が増えるので反対だ!」 ⇒ 「命どぅ宝!」

防衛省:「それでは米軍再編交付金の対象外です」

町長:「むむ! (陸自の共同使用を)受け入れる方向になると思う」

マスコミ:「え? それってお金のため?」

町長:「金が理由ではない」

マスコミ:「では理由は何ですか」

町長:「うーん、そうしないといけないだろう」⇒「物呉ゆ者どぅ我が御主」

平和団体:「金が欲しければ基地を受け入れろという政府の差別的な政策に、自治体がいとも簡単に屈服した」

プロ市民:「金に目がくらんだ暴挙だ!」

この町長と村長、マスコミと平和団体によってカメラの前に引きずり出され、まるで人民裁判のようで気の毒だった。

やはり、反戦平和じゃメシは食えないと思うのだが、反戦平和団体とマスコミの追求が辛かったのか、当初は記者会見を避けていたようだ。

≪・・・会見を行う予定はなく、各首長が個々で対応することをひそかに確認していた。

 各社からの強い要望で、急遽同日午後六時から会見が開かれたもの・・・≫(沖縄タイムス)

首長たちが手のひらを返すように態度を変えたのには、「金が欲しい」という「物呉ゆ者どぅ御主」が本音だけではない。

この諺には文字通りの意味の他に、首長としては恐ろしい裏の意味も秘められている。

沖縄には支配者が自分たちに利益をもたらさなくなったら、自らの手でその支配者を放逐するという革命の論理があり、

この諺の裏には町長、村長が町民、村民に利益をもたらさなくなったらたちまち放逐されてしまうという厳しい意味が含まれている。

沖縄がその地政学的に重要な位置にあるため、

沖縄人はこうして日本や中国、そして戦後は米国という支配権力の間でバランスをとりながら今日までその存在を維持してきた。

その先祖伝来のバランス感覚のDNAが、「命どぅ宝」と「物呉ゆ者どぅ御主」という相反するの二つの諺に引き継がれて居る。

揺れ動く首長さんの判断軸にもこのDNAはあると思うのだが・・・。

 

■「命どぅ宝」をスローガンにするいかがわしさ■

とにかく、反戦平和ではメシは食えない。

物事に表があれば裏もある。 

光があるところには影がある。

「君子危うきに近寄らず」と「虎穴にいらずんば虎穴を得ず」は同時に成立する。

「命どぅ宝」のみを誇大に主張する勢力には胡散臭さを感じる。

「物呉ゆ者どぅ御主」という現実にも目を向けるべきであろう。

だって、給料を貰って初めて社長であり、育ててくれてこそ親でしょう。

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