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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「日本軍憎悪」の館  沖縄県平和祈念資料館

2007-11-20 07:05:12 | ★集団自決

先の戦争を太平洋戦争と呼ぶか大東亜戦争と呼ぶかでその人の大体の歴史観が分かるといわれる。

ところが沖縄の糸満市にある「沖縄県平和祈念資料館」が、そのどちらでもなく、「15年戦争」という中国の歴史観で貫かれたモニュメントだと聞くと驚く人もいるだろうが、逆に納得する人も多いだろう。

この資料館の各都道府県別の沖縄戦戦死者数が分かるサイトがある。http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL100.htm
 

この資料館の沖縄戦・戦死者の数字に疑念を抱いた人がいた。

メルマガ「商社マンに技あり!」http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/index.htmlの発行者泉幸男さんが、偶々家族で沖縄旅行をした時、同資料館を見学した際の率直な驚きを記している。

以下は、そのメルマガからの引用。
 
< 
昭和6年9月18日(柳条湖事件)から昭和20年3月25日(沖縄戦前日)までの沖縄県出身の日本軍将兵の戦死者が、「沖縄戦の戦死者」に勘定されている。
 
■ 沖縄戦は昭和6年に満洲で始まった? ■

 
 13年半にわたる沖縄戦開始前の沖縄県出身戦死者の数を、「沖縄戦の戦死者」に勘定する言い分がふるっている。
 
 ≪沖縄戦が昭和6年の満州事変に始まる15年戦争の帰結であることから≫昭和6年9月以降の戦死者は「沖縄戦」の戦死者として勘定するのだそうだ。
 
 これが許されるなら、日露戦争はおろか、日清戦争や戊辰(ぼしん)内戦の戦死者も、第二次世界大戦の戦死者の数に含めうるであろう。
 歴史を語ろうとするときに必要な真摯さを欠いているのではないだろうか。
 
 なぜこのようなことを沖縄県の公的機関が平然と行うのか。
 
沖縄県出身の「犠牲者」の数をできるかぎり多く書くことを称賛する勢力がいるからではないのか。>

まだまだ続きます。

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                    ◇

 

渦の中に巻き込まれると左右はおろか上も下も分からなくなるという。

若者が真面目な気持ちで戦史を勉強し、戦争の無い平和な社会を作る運動を起こしても本来これをとがめる人は居ないはずだ。

ところが彼らの気持ちが純粋であればあるほど周囲を取り巻く集団の熱気に巻き込まれると、

自分の立つ位置を見失ない、気がつけば特定勢力の政治プロパガンダを声高に叫ぶようになる例は多い。

沖縄はいたるところに熱気に満ちた渦がそのような若者を飲み込まんと待ち構えている。

赤頭巾ちゃん気をつけましょう。


沖縄タイムス 2007年11月18日(日) 朝刊 27面  
 
沖縄戦継承 若者同士で/大学生、中高生向けガイド

県民大会受け「やるなら今」来月本番
 県内の中高校生に沖縄戦を見つめ直すきっかけにしてほしいと、
県内の大学生が中高校生を対象にした沖縄戦戦跡ガイドを十二月十五日に行う。元ひめゆり学徒隊の女性たちと若者が語り合い、戦争の記憶を受け継ぐ活動を続ける「虹の会」(赤嶺玲子代表)が中心となり、琉球大学の「学生平和ガイドの会」のメンバーらが十七日、同大学内で勉強会を始めた。「大学生から中高校生へ」という若者たちによる沖縄戦の継承。学生らは息の長い活動にしたいと意気込んでいる。
 大学生らは、これまで主に修学旅行生を対象に戦跡を案内していたが、県内の中高校生にも沖縄戦への関心を持ってもらおうと初の取り組み。

 「虹の会」の北上田源さん(25)は、入会した三年前から県内の中高校生向けのガイドを考えていた。九月の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の後、「中高校生の問題意識が高まった。やるなら今だ」と思い立った。

 中高校生の素朴な疑問や質問に答えながら、壕や県平和祈念資料館など南部戦跡を巡るこのガイドでは、ひめゆり資料館で証言者を交えた交流会も予定している。

 琉大での勉強会は、「沖縄戦研究はどのように日本軍の『集団自決』強制を明らかにしているか」をテーマに、中高校生からの質問を想定し、新聞記事や沖縄戦関係資料を参考に一人一人に意見を求めながら進められた。

 「集団自決」の新たな証言や教科書問題の動きなどが、報道で取り上げられる機会が増え、メンバーらは「沖縄戦の歴史を語り継ぐために、もっと若い人が学んでほしい」と語る。

 昨年、初めて戦跡ガイドとして県外の修学旅行生を案内した同大四年の田真健弥さん(22)は「初めはそれほど関心がない人にも、沖縄戦の悲惨な過去と教科書問題や辺野古の基地移設など現在の沖縄とつながっていることを伝えたい」と語った。定員は三十人(先着順)。

                ◇

>琉大での勉強会は、「沖縄戦研究はどのように日本軍の『集団自決』強制を明らかにしているか」をテーマに

先ずこの大学生たちは「集団自決」の起きた原因を研究・解明するのではなく「『集団自決』は日本軍の強制である」という結論を前提に行動している。

彼らの行動に学生らしい真実の解明への真摯な態度は見られず、左翼学者の「沖縄戦研究」を鵜呑みにして、中高校生を啓蒙していくということらしい。

昨日のエントリにも関連するが自分で勉強するより、教えてもらう方が得意な最近の大学生気質なら初めに結論有りきで「沖縄戦研究」を鵜呑みにする大学生の思考停止的行動パターンにもうなずける。

>県平和祈念資料館など南部戦跡を巡るこのガイドでは、ひめゆり資料館で証言者を交えた交流会も予定している。

県平和資料館は「日本軍への憎悪」で満ちていると言われる。

これを説明する平和ガイドは左翼運動のスローガンとなりかけている「命どぅ宝」と一緒に更に日本軍への憎悪をかき立てる。

反戦平和ではメシは食えぬ 「命どぅ宝」では生きてはいけぬ!

彼らは平和ガイドとして「沖縄県平和祈念資料館」を案内しても、何の疑問も持たず左翼的な「15年戦争史観」の説明のため見学の中高校生の前に立つのであろう。

                      ◇ 

前述メルマガは次の記事も紹介している。

http://www.mag2.com/m/0000066872.htm
「ウィークリー沖縄 ― 本土に伝わらない沖縄の真実 ―」。
 
  平成14年2月25日号のレポートが衝撃的だったので、読者の皆さんにぜひご紹介したい。

■沖縄レポート

◎「反日展示物」並ぶ平和祈念資料館
 
 沖縄本島南部の糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)にある「沖縄県平和祈念資料館」は沖縄戦の実相を次世代に伝えることを目的に、二〇〇〇年四月にオープンした。
  しかし、展示物は旧日本軍の残虐さを強調する反日的なものばかりで、修学旅行生をはじめ全国から訪れる見学者は、反日感情を植え付けられている。
 
◎生徒の反日感情を醸成
 
 「一番印象に残った事実は、アメリカ兵は民間人だと分かれば殺されないということでしたが、日本兵は自分達が生き残るために民間人をも殺すということです」
(二〇〇一年十一月二十五日、女子高校生)
 
 「いくら戦争中だからといっても、人間のすることではないと思った。人間がゴミのように扱われていて、特に、日本兵の住民に対する態度は最悪だと思った」
(同十一月八日、神奈川県の女子高校生)
 
 これは平和祈念資料館に寄せられた見学者の感想文だ。資料館を訪れた生徒が旧日本軍に対して強い反感を抱いていることが分かる。
 
 資料館は老朽化した旧資料館の代わりとして、大田昌秀(おおた・まさひで)前県知事時代に計画され、沖縄戦の犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に隣接する形で建設された。
 屋根は全て沖縄の伝統的な赤がわらを使用するなど豪華な造りで、七十四億円もの事業費がかかっている。
 
 二〇〇〇年度は四十八万人以上が来館。
 二階が常設展示室で、 (1)沖縄戦への道  (2)鉄の暴風  (3)地獄の戦場  (4)証言  (5)太平洋の要石(かなめいし) の5つのセクションに分かれ、沖縄戦のパネル写真や模型・資料などが並べられている。
 
◎ジオラマ展示で「残虐さ」を強調
 
 中でも反日的展示の象徴ともいえるのが、沖縄戦当時のガマ(洞窟)の様子を再現した模型だ。
 
 銃剣を持った日本兵の前で住民がおびえているという構図で、住民の中には泣く赤子の口を手で押さえる母親の姿もある。人形は小学生くらいの大きさでリアル感が漂う。
 模型に説明文はないが、日本兵が住民を虐げていたことを連想させるものであることは間違いない。
 
 このほか、左足を失った負傷兵とそれを看護する衛生兵の横で、日本兵が青酸カリ入りのコンデンスミルクを作る場面や、投稿ビラを取ろうとする住民を日本兵がスパイ視して銃剣を向けるという模型もある。
 
 ガマの展示をめぐっては、検討段階で"騒動"が起きている。九八年十一月の知事選で大田氏を破って稲嶺恵一(いなみね・けいいち)知事が誕生すると、県は日本兵の人形から銃を取り外させるなど、展示内容の変更を進めた。
 
◎沖縄戦は「米国との戦い」ではなかった?
 
 だが、これに対して大田前県政時代に任命された資料館の監修委員や市民団体などが猛反発。
  結局、県は左翼勢力の反対キャンペーンに屈する形となり、銃剣を元に戻すなどほぼ原案通りとなった。
 
 また、館内に掲示されている解説文も「反日」のオンパレードだ。
 
「日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった」
「食糧を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食糧強奪が相次いだ。なけなしの食糧を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった」──等々。
 
 沖縄戦では米国との戦いで多くの犠牲者が出たにもかかわらず、資料館の展示は沖縄の住民は日本軍の犠牲になったかような記述ばかり。
 見学した生徒が米軍よりも日本軍に敵意を覚えるのも無理もない。
 
◎一面的な展示が踏み躙(にじ)る沖縄の心
 
 資料館の開館前に、県議会に陳情書を提出して展示内容の変更を求めた国旗国歌推進沖縄県民会議の恵(めぐみ)忠久会長は、
二十万人の沖縄守備の日本兵には、民間からの召集兵もおり、いろんな人間像があるのであり、追い詰められた死の恐怖から生じたごく一部の兵士の行動をもって、すべての日本軍の行動と勘違いさせるような展示をすべきではない」
と指摘する。
 
 日本兵の残虐さを強調する一方、県出身者を含む日本兵が沖縄防衛のために尊い命を捧げて戦い抜いたことを示す展示は一つもない。
 海軍司令官の大田実少将は
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜タマハランコトヲ」
と、作戦に対する沖縄県民の献身的な協力に理解を求める電文を送っているが、資料館にはこの電文さえ紹介されていない。
 
 恵会長は
大田少将が訴えたように、日本兵が県民と和合一体となって戦い抜いたことは間違いない史実だ。戦死された多くの将兵や県民の犠牲のおかげで、われわれは平和を享受できたのであり、それを不確定な資料や他人からの聞き取りなどで判断してはならない」
と語る。
 
◎監修委員に一坪反戦地主
 
 さらに、「展示内容が反日に偏っているのは、
大田前知事が選任した監修委員に大きな問題がある」とも恵(めぐみ)会長は続ける。
 
 十三人の監修委員のうち、会長を務めた宮城悦二郎・元琉球大教授をはじめ、石原昌家・沖縄国際大教授、内海恵美子・雇用開発推進機構調査研究部長、著述家の安里英子氏の四人は、米軍基地内にわずかな土地を共有する一坪反戦地主だ。
 
 約三千人いる一坪反戦地主の中には、極左過激派や共産党員も多数含まれており、こうした偏った思想の持ち主たちと関係のある人が、公正さの求められる資料館の監修に携わっていたことは明らかに不適切である。
 宮城氏は現在も、資料館の運営委員として関与している。
 
 開館以来、県内だけでなく全国から児童・生徒が数多く訪れている。
 二〇〇〇年度の小中高、大学の団体見学は県内が三百七十八校、三万二千四百七人で、県外は千五校、十五万九千三百六十四人にのぼった。
 
修学旅行生の約半数が来館しているといわれ、多くの児童・生徒が修学旅行の最中、反日感情を植え付けられていることになる。
(C) 2002, 世界日報>


 
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コメント (3)

船場吉兆と行列のできるコロッケ 【追記】吉兆贔屓の声

2007-11-19 20:11:48 | 食文化

常日頃安くて旨いものを求めて食いあさって、・・・もとい、食べ歩いている筆者にとって、但馬牛がどれだけ美味であるかは、しょせんは縁の無いもの。

だが、それがブランド牛肉の中でも飛び切り高い肉であることぐらいは想像できる。

その高価な食材に、日本一といわれる和食の吉兆ブランドが付くと高価な食材の料理が更に手の届かない高価な物となる。

料理というものは同じ食材でも料理人の創意工夫でその価値に天と地の差が出るものと信じているが、高い食材を超一流の料理人が調理すればそれが高くとも喜んで食べる人が多くても当然だ。

その高くて当たり前、いや、高いのを誇りにしてその代価を支払った人にとって、船場吉兆の食品偽装は単なる産地偽装なんてものではなく衝撃の事件だったであろう。

高価な贈答品を貰った人も、高価な料理で接待を受けた人も「流石は吉兆」なんてウンチクを傾けていたら、まさに顔に泥パックものだから。

高級料亭とは縁なき衆生のB級グルメで良かった、良かった。

【追記】20日

  • 大阪「船場吉兆」問題 「吉兆を贔屓にしてきましたが今回の件は残念です」@50回以上利用した顧客の声
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    但馬牛、3月以降仕入れず──船場吉兆の偽装問題

    2007/11/17配信
     高級料亭「吉兆」グループの「船場吉兆」(大阪市中央区)が九州産牛肉を使った商品の原材料を「但馬牛」や「三田牛」などと偽って販売した食品表示偽装事件で、同社が今年3月以降、但馬牛と三田牛を仕入れた実績が一切なかったことが16日、農林水産省の調査や大阪府警生
    家宅捜索を終え押収物を運び出す大阪府警の捜査員(16日午後、大阪市中央区)
    活環境課の調べで分かった。

     同課は16日の家宅捜索で、牛肉商品を偽装して販売した際に利用したとみられる他産地牛肉の発注、納入伝票を押収。同社の上層部が一連の偽装を事前に把握していた可能性があるとみて湯木正徳社長(74)らから詳しい事情を聴く方針。

     調べによると、同社は今年3月から10月の間、「牛肉みそ漬け」「牛肉みそ漬けと鶏肉みそ漬けセット」「牛肉みそ漬けと明太子セット」の3セット商品の原材料として、佐賀県産や鹿児島県産の牛肉を使って加工した商品を箱詰めした。

     その上で「但馬牛」や「三田牛」と表示したシールを張り、東京都内のギフト販売会社と阪急百貨店(大阪市)に計101個を販売した疑いが持たれている。3セットの商品は約1万5000円から約3万円で販売した。

                            ◇

    超高級食品の偽装は吉兆に譲るとして、安い食材で偽装食品のはしりととなったミートホープの偽装コロッケは、考えようによってはまことにお気の毒だ。

    ミートホープのコロッケは、牛の代わりに安い食材の豚で工夫して美味しい味を造り、その安さも相まって行列のできる伝説のコロッケだったという。

    してみるとミートホープは吉兆と違って安い食材で「旨くて安い」コロッケを造ったわけで、これで迷惑した人は居ない。

    むしろ安くて美味しいコロッケがなくなって残念という人もいたという。

    個人的にはミートホープより吉兆のほうが悪質に思えるのだが、手錠を付けられて逮捕される田中社長の姿をテレビは放映していた。

    これって不公平ではないの?

    2007/11/14-18:57 時事通信

    ミートホープ元社長を起訴=詐欺罪など、1200万円分追送検-ひき肉偽装・地検
     北海道苫小牧市の食肉加工卸会社「ミートホープ」のひき肉偽装事件で、札幌地検は14日、同社元社長田中稔容疑者(69)を詐欺と不正競争防止法違反(虚偽表示)の罪で起訴した。
     田中容疑者と共に逮捕された元専務ら元幹部3人については、事件は田中容疑者の主導だったとして処分保留で釈放した。
     一方、道警捜査本部は同日、新たに田中容疑者と元幹部3人が昨年6月から今年5月にかけ、6道県の14業者から同様に約1200万円をだまし取ったとして、詐欺容疑で追送検した。

                         ◇

    偽装が発覚した時、逮捕された社長のことを、当日記は『偽装コロッケ 「牛頭豚肉」それが何か?』で、「天才だ!」と書いた。

    <このコロッケ、大手スーパーの「コープ」や、コンビニ等では美味しいと評判のコロッケだったと聞く。

    この社長、謝罪の態度が悪いとブーイングを受けている。

    牛肉の代わりに豚肉のほかレバーや血液、それに牛脂も使っていたと言う。

    その結果、大幅コストダウンで、

    消費者が喜ぶ「安くて美味しいコロッケ」が出来たのなら、

    人相と態度は悪いが、

    この社長って、 天才?>

     

    偽装表示は悪かったが、安い豚肉ミンチの絶妙な混合でより「美味しくて安い」コロッケを創出した。

    やはりこの社長、天才と思う方、・・・いや、思わない方も、

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    コメント (3)

    教えてくれなきゃ勉強しない 江戸時代と戦前の否定が日本をダメにした!

    2007-11-19 06:45:55 | 教科書

    自分でやるより全部授業で 大学生4人に3人が回答 (11月18日 16:00)

     大学生の4人に3人は「自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい」と考え、授業内容では「最先端の研究」よりも「学問の基礎」を重視している学生の方が多いことが18日、東大研究グループによる調査で分かった。

     授業と直接関係のないことを、独自に学ぶのは少数派であることも判明。高度な専門知識を自ら習得するという学生のイメージからは程遠く、受け身の傾向の強い現在の学生像が浮かび上がった。

     調査は今年、全国の国公私立127大学の協力を得て実施。約4万5000人の学生が回答した。

     調査結果によると、意味があったと思う授業は「教養・共通教育」が44%、「専門教育」は59%。その内容については複数回答で「学問の基礎を教えてくれた」がトップの55%、「実践的な知識や技能」が50%で「最先端の研究成果」は14%だけだった。

    (共同)

                                                     ◇

    これまでの経験から教育のことをエントリすると、

    「勉強しろ!」といウザイおやじを想いだすのか、「人気ランキング」は確実に下がる。

    うーん、苦しいところだがランキングの上下で一喜一憂して書きたいことも書かないのもストレスがたまる。

    まさにシェークスピアの心境・・・なんて高尚なものではなく、筆者の「若い頃もっと勉強しておけばよかった」、という自戒・悔悟の念を込めて昨日に続き教育問題のエントリです。

    まぁ、嫌がらずに付き合ってください。↓出来たらクリックも・・・。

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    沖縄の基礎学力が全国最下位の不名誉を全国に晒して久しいが、基礎学力の低下は沖縄の小学生のみならず全国の大学生の読み書き読解力が中学生並だというのが昨日のエントリの主旨だった。

    古い日本映画を見て当時の社会風俗を見るのに興味を持つが、映画に出てくる戦前の大学生は詰襟に角帽、それに絶えず本を携帯している。

    そして、カルト、ントやショウペンハウエルを熱っぽく語り、ここから「デカンショ節」という学生歌が流行ったくらいだという。

    ちなみにデカンショ節の冒頭の歌詞は・・・・

    ♪ デカンショ デカンショで半年暮らしゃ ヨイ ヨイ

    後の半年や 寝て暮らす ♪

    (ん? 昔の大学生も半年寝て暮らしたってか・・・)

    戦後大学制度も大きく変わって現在の大学生とそのまま比較するわけには行かないだろうが、少なくとも中学生並の読み書きしか出来ない大学生は論外だし、

    そのままところてん式に卒業して社会に放り出されるとしたら時間的、経済的そして社会的にも大きな損失である。

    >大学生の4人に3人は「自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい」と考え、授業内容では「最先端の研究」よりも「学問の基礎」を重視している学生の方が多いことが18日、東大研究グループによる調査で分かった。

    大学生は自主的に勉強し先生はその手助けであり、これが小中高生との根本的違いだと信じていた筆者は既に過去の遺物になりかかっているのだろうか。

    大学生がこの有様じゃ文科大臣も当分全国学力テストを止めるわけにはいかないのだろう。

  • 学力テストやめる考えない 国民対話集会で文科相 (11月18日 19:19)
  • 昨日も基礎学力の向上には藤原御茶ノ水大学教授の「読み書き算盤」説を強く押したが、結局読み書きが弱いと自分で本を読んで理解できない⇒

    自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい」

    という大学生が増加することになる。

    昨日のエントリに引き続き藤原教授のインタビューを引用する。

    一部重複する部分もあるが敢てそのまま転載した。


     ――『この国のけじめ』では、価値観の再構築と真のエリート教育の再生について言及されています。そもそも、現在の日本における問題はどのようなことなのでしょう?


    「一番大きな問題は、祖国への誇りと自信を持てなくなったことでしょう。なぜ祖国に誇りと自信を持てなくなってしまったのか? 答えは簡単、そのように教育されてきたからです」


    ――戦後教育ですか?

    「いやいや、日本人はこれまでに、2回も過去を捨てさせられてしまっているんですよ。最初は明治維新。薩長が“封建制の圧政で庶民が抑圧されてきた”と大ウソを言って江戸時代までを否定した。日露戦争に勝ったから明治政府は偉いみたいに言われているけれども、大きな間違いもしている。その最たるものが江戸時代の否定です。たとえば江戸時代の日本は、260年もの間、世界最高の識字率を誇っていた。幕末、日本にやってきた欧米人が“一般の町人が本を立ち読みしている。こんな国はとても植民化できない”と驚いたぐらいだった。そうやって長い間をかけて培ってきた文化と伝統を、全部なかったことにしてしまったわけです」


    ――では、2回目はいつだったのですか?

    第二次大戦後です。今度はアメリカと日教組が、すべてが日米戦争につながったとして、戦前の日本を全否定した。そのせいで、またもや日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。戦後教育を受けた70才以下の人々にとって、誇るべき過去がない状態になってしまったのです


    ――日本人は2回、根無し草になってしまった?

    「そう。文化も伝統もすべて否定されてしまったのだから。根無し草になってしまい、よるべき文化や価値観がないから、現在のようにアメリカのまねばかりするようになったんですね


    ――誇りや自信がないから、欧米から来たものに飛びついてしまう。

    「会社は株主のものだという説が、このところ跋扈(ばっこ)していますよね。会社は経営者と従業員のものに決まっている。株主なんて、ある程度の権限はあるが、基本的にはなんの関係もない。組織に対する愛着心がぜんぜん違うんだから」


    ――株主と経営者や従業員とは、イコールパートナーであってもよいが、株主だけが重視されるべきではない、と?

    「だって、日本は長年そうやってきたでしょう。会社に対する忠誠心と、その見返りとしての終身雇用。これはある意味、世界で最も進んだ資本主義だったんです。その日本式をかなぐり捨ててしまった。たとえば、不況になったらトップから順に給料をカットして、一般社員は最後まで守るのが日本のやり方。ところが、いまは末端から先にリストラしてしまう。祖国への自信と誇りがないから、ちょっとバブルが弾けたら、不況になったら、グローバルスタンダードだとか理屈をつけて、すぐにアメリカ流に飛びついて、取り入れようとするんです。
     たとえば、自由競争と政府が言った場合、これは規制を取り払って、競争しましょうという意味ですね。しかし、小学校の6年生と1年生が公平に競争できるはずがない。力の差がありすぎる者どうしのけんかというのは、本来、日本人にとって許しがたい行為だった」


    ――日本人のメンタリティが許容できるものではない?

    「卑怯(ひきょう)なことなんです。6年生と1年生がまともにけんかできるはずがないでしょう。ところが、いま言われている自由競争は、全員一緒に競争して、勝った者がすべてを取っていっていい、というもの。負けた者への優しい視点がない。世界に誇るべき卑怯を憎むという価値観さえ捨ててしまった。そして、残ったのは勝ち馬に乗るということだけ。みんな、勝ち馬にどうしたら乗れるかばかりを考えるようになって、少しでも早く勝ち馬になびく、そういう時代になってしまったのです」


    ――小学生の例が出たところで、社会を構成する人々の基本となる教育にも揺らぎはありますか?

    「ありますよ。教育について日本人は昔から“読み書きそろばん”といって、読むことが最初に大切で、その次に書くこと、次に計算すること、この3つが人間にとって最も大切だとしてきた。これは本質中の本質。ところが、それも“ゆとり教育”だのと理屈をつけてなしにしてしまった。それどころか、最近では小学校や中学校で金融、株の教育をやろうと言っているでしょう。“読み書きそろばん”をまともに教えずに、金融だ経済だなどとやるのは本末転倒、甚だしい」


    ――これもまた、アメリカのまねでしかない、と。多様な興味に応え、創造性をはぐくむことが主眼とされていますが?

    「独創性、創造性をはぐくむというのは、余計なお世話。よるべき価値観のない教師に中身のないことを教えられるよりも、校庭でけんかでもさせておいたほうがよほど独創性や創造性は身につきますよ。そもそも漢字が読めません、計算ができませんで、何の独創性、創造性だというのか。ハウトゥ的な方法論を与えられるだけでは、他人のまねをすることを覚えるだけにしかなりませんよ

     

    ――では、これから先、よるべき価値観、根本を再び構築するためには、どのようにすればよいのでしょう?

    「いま政府がやっている構造改革、私はこれが上手くいくとは思えないんだけど、たとえ上手くいったとしても、庶民の生活が多少良くなるだけで、失ってしまった精神を取り戻すことはとても難しいと思う。精神を取り戻すことは、政治改革、経済改革とは無関係です。誇るべき高い精神性を取り戻すためには、教育しかない。では、教育をどのように変えていくか、どのようにすべきか。これが一番大事なことになってくるのです」


    ――折りしも、教育基本法の改訂が議論されています。

    「ゆとり教育なんてばかなことを言って、教育そのものを壊してしまったからね。もっとも重要なことは、初等教育における国語力を鍛えることにあるんです。まずは国語をきちんとやる。漢字の読み書きを徹底的に訓練する。そして、自ら本に手を伸ばす子どもを育てる。これをやらない限り、教育の再生はありえない」


    ――本を読む時間、本が好きな子ども、それぞれがもうずっと減りっぱなしです。ある調査では、一般的な大学生は新聞さえほとんど読まないそうです。

    「ちゃんとした本さえきちんと読んでいれば、ものの考え方も知識も情緒も、本来は身につくんですよ。物語を読んで家族愛に涙する、郷土愛、祖国愛を感じる。あるいは美的感受性、弱いものに対する優しい視線に気づく。こうした経験がなければ、かつて世界に誇った精神性、道徳心など取り戻しようがありません。ですから、まず本を読むための準備、基礎知識としての国語力をはぐくまなければいけないのです」


    ――精神性や価値観を持ちえるための土壌を、はじめに鍛えることが重要?

    「そうです。それから中学校になれば、恋愛や自分を取り巻く環境、世界といったものに目覚めていく。貧しくて学校に行けない、家族が生活していくために野良仕事を手伝わなければならない。そうした現実がかつてあった、ということを文学や物語を通して学ぶ。文学のなかでも、日本が独自に発達させた詩歌に触れる。『万葉集』の時代から、優れた詩歌は山ほどあります。あるいは俳句、短歌。そうしたことに触れるなかで自然と自信が芽生え、美意識やバランスの取れた価値観が育っていくのです」


    ――ご自身の経験からそのように思われるのですか?

    「たとえば、私がアメリカやイギリスで教えていた時のことです。海外で学者の集まりに出ると、それこそノーベル賞学者にぐるりと囲まれてしまうような状況になることが多々ある。さすがに圧倒されそうになることもある。そんなとき、小さいころに暗唱した島崎藤村の詩を心の中で思い出すと、不思議と力がわいてきたんですね。それは〈小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし 白銀の衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る〉というものでしたが、“あの信州の美しい自然のなかで、日本人は独自の文化をはぐくんできたのだ。お前たちには、こんな素晴らしい自然も文化もないだろう”という気持ちで、相手を睥睨(へいげい)する心持ちで挑むんです。そうやって自らを奮い立たせ、阿修羅のごとく研究に励んだものです」


    ――世界で活躍しようとすればするほど、実は祖国への誇りや自信が大切になってくる?

    「WBC(ワールドベースボールクラシック)のときにイチローが、日本の野球は世界一だと何度も言っていたでしょう。韓国に2回負けて“人生最大の屈辱だ”とまで言った。私はあの気持ちがよくわかる。彼は何も突然愛国者になったのではなく、いつもああいう気持ちで戦っているのだと思います。メジャーリーグの選手は、みんな体も大きいし、パワーもある。そのなかで小柄なイチロー選手は歯を食いしばってやっているんでしょう。支えになるのは、日本と日本人に対する誇りと自信しかない。日本の野球は緻密さにおいて世界一だと信じていて、そこでトップだった自分が負けるはずがない、と。祖国に対する誇りと自信がないと外国ではやっていけないですよ。慰めの言葉をいくらかけられても、なんの力もない。体の芯(しん)から出てくる民族的な誇り、これがないとダメです」


    ――しかし、道徳心や祖国への誇りといったものは、いったんタガが外れて失ってしまうと、なかなか元に戻せないのではないでしょうか? 昨今の事件や出来事についても、モラルの問題としか言いようのないことが増えている気がします。

    「だからこそ、日本人が古くから持つ精神性――別の言い方をすると“情緒と形”を見直すことが重要になります。情緒は豊かな自然や文化がはぐくんだ感受性、形のほうがモラルですね。形=モラルとは、簡単に言ってしまえば武士道精神のことです。慈愛、誠実、正義、勇気、忍耐、惻隠(そくいん)、名誉と恥、卑怯を憎む心、公の精神。これが武士道精神であり、日本人の原形を成すメンタリティなんですね。ところが、さっき言ったように、戦後になってアメリカと日教組が、日本がもっていた素晴らしい武士道精神を戦争に結びついたとして捨てさせた。忠君愛国の部分が戦争に結びついたのは事実だが、ほかは関係ないんです。忠君愛国を除けば、ほとんどイギリスの紳士道(ジェントルマンシップ)と変わらない」


    ――ディベートで勝ち負けを決めるような理屈優先ではなく、心のもちようこそが大切?

    「そのとおり。何か不具合や不都合が出てくると、すぐに法律で片付けようとする。そして六法全書がどんどん厚くなっていく。私に言わせれば、六法全書の厚い国は恥ずかしい国家なんです。本当の理想国家は六法全書がない国。それぞれの人間が普遍的な倫理観に基づいて自己を規制する国。まあ、それは絵に描いた餅(もち)だけど、六法全書は薄ければ薄いほど良いんですよ。アメリカの弁護士は日本に比べて人口比で20倍、精神カウンセラーは60倍。そういう国に日本はなっていくのか、なりたいのか。現実を見るとある程度は仕方がないと思うが、あくまで邪道であると認識しないとダメ」


    ――そこで、やはり教育の復興が大切である、と。

    「そう。では、誰が後進に理想を伝え、教えるか。70歳以下は、いまの政治家や官僚も、戦後教育に毒されているからダメ。80歳以上なら大丈夫だが、いかんせんほとんどが第一線から身を引いているし、数も少なくなってしまっている。結論的に言えば、現在の学童、児童の世代に任せるしかない。いまの小学生、中学生が日本人がもともと持っていた精神性を学び、さらに後進に伝えていくことを期待するしかない。だからこそ、今現在の国語教育が大切になってくるんです。私は、読書を“教養を獲得して人間の知的レベルを高める極めて重要な要素”と考えています。そこで、大学のゼミ生には、1年次から新渡戸稲造、内村鑑三、福沢諭吉らの思想書や、民俗学者である宮本常一の本などを読ませます。最初は興味もなく、読み解けない学生も、1学期ほどの間にどんどん成長するから驚きです。“読み書きそろばん”といった日本人のやり方は、決して間違っていないのです」
     

    日本は愚かにも、 明治維新で江戸時代を否定し、第二次大戦敗戦で戦前を否定した。

    先人が長年培ってきた世界に誇るべき日本文化を否定し、アメリカの尻馬に乗ってみたり日教組に誑(たぶら)かされて来たことが、

    現在の日本の教育の荒廃を招いた・・・と思う方、

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    “中学レベル”の大学生急増

    2007-11-18 12:01:18 | 教科書

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    “中学レベル”の大学生急増「ゆとり教育影響」 オンライン学習・大学ネット設立
    2007年11月12日11時14分

     少子化による大学全入時代で入試そのものの機能が問われる中、日本語の設問すら理解できない大学生が急増している。講義が成立しないとの大学側の悩みに応え、千葉市美浜区のメディア教育開発センター(NIME)が事務局となり、基礎学力向上のためのパソコンを使った自習教材、eラーニングの普及へ「オンライン学習・大学ネットワーク」を設立。来年四月から、参加大学が独自に開発した教材を共用し、大学生の学力底上げを目指すことになった。

     学生の学力低下について研究するNIMEの小野博教授(62)は、全国の大学生四万六千人を対象にテストを行ったところ、国公立大学で6%、私立大学で20%、短大では35%の学生の日本語力が中学生レベル。私大や短大の中には60%を超えた学校もあった。

     別のアンケートでは、ふりがな付きにもかかわらず、設問中の「怠惰」や慣用句の「話を聞いて骨が折れる」の意味が分からない学生すら多かったという。

     小野教授はゆとり教育と少子化による大学全入時代の影響を指摘。「入試が機能せず、(同じ大学でも)入学する学生のレベルが開いている」と分析する。

     今月一日、立ち上った「オンライン学習・大学ネットワーク」には、全国から同様の悩みを抱える百七の大学が参加を申し込んだ。

     オンライン学習は、「読み書きそろばん」など大学で教えない基礎的な学習や講義の予習・復習を個々に自習できる。ただ、大学単体でシステムを構築するにはコストや人手がネックとなり、普及率は16・5%にとどまっていた。

     同ネットワークでは、各大学が独自に開発したパソコンで自習できるソフトを参加大学で共用することで、これらの壁を解消。五百の学部の参加を目指している。

     開発中の国語や英語ソフトは音声認識やアニメーションを取り入れ、さながらゲーム感覚。来年四月から一年間実験的に無料でシステムを運用するが、二〇〇九年度からは学生一人当たり三百~五百円程度の利用料を取り、ソフトを開発した大学に還元する予定。

     小野教授は「ここまでやらなければいけないのかという声もあるだろうが、こうでもしないと、今の大学は生き残れない」と話した。(千葉日報ウェブ)

                        ◇

    学力低下に関するエントリ・「キチガイにペン」で次のように書いた。

    ≪長年、県立工業高校の数学教師を勤めた友人の1人は、四月に新入生に先ず教える事は数学の授業に困らない程度の読み書きだと述懐していた。

    読み書きもままならぬ新入生を高校に迎え、数学どころの騒ぎでは無いと嘆いていた。

    彼が嘆くには基礎学力の無い生徒を高校に送り込んだ中学の責任だという。

    で、中学にその責を問えば、・・・責任転嫁は果てしなく続く。≫

    読み書きの能力の無い生徒を高校に送り込まれる高校教師の嘆き節を友人の言葉を借りて書いたつもりだったが、時代の流れはまことに速いもの。

    中学生並みの読み書きを嘆くのは今では高校教師ではなく、大学教授だというから最近の大学生は中学生並ということになる。

     >日本語の設問すら理解できない大学生が急増している。

    >国公立大学で6%、私立大学で20%、短大では35%の学生の日本語力が中学生レベル。私大や短大の中には60%を超えた学校もあった。

    >ふりがな付きにもかかわらず、設問中の「怠惰」や慣用句の「話を聞いて骨が折れる」の意味が分からない学生すら多かったという。

    >、「読み書きそろばん」など大学で教えない基礎的な学習や講義の予習・復習を個々に自習できる。

    以前,英語教育を小学校に取り入れるかどうかが議論になったとき、

    藤原正彦御茶ノ水大学教授の初等教育論に膝を打って感心したことを想いだした。

    藤原教授は、「日本語もろくにできないで国際人になれるわけがない。従来通りでいい」と、むしろ国語教育の充実を訴える。

    通常「識者」は自分の専門分野を教育に重要視する。

    英語の専門家は小学校からの英語教育の重要性を説くし、数学、国語の専門家自分の専門分野の主張では負けてはいない。

    数学者であり外国の大学で教鞭をとったことのある藤原正彦教はその著書「国家の品格」で、「読み書きそろばん第一」だと時代劇にでも出てきそうな教育論を主張する。

    同教授の「一に国語二に国語、三四がなくて五に算数」説は、英語にも強い人の発言だけに説得力がある。

    藤原教授は『国家の品格』の中でも国語の重要性を説いていたが、この国のけじめでも国語の重要性、特に子どもの頃の読書の重要性を説いている。

    以下に藤原教授の教育に関するインタビュー記事を抜粋する。

    ――本を読む時間、本が好きな子ども、それぞれがもうずっと減りっぱなしです。ある調査では、一般的な大学生は新聞さえほとんど読まないそうです。

    「ちゃんとした本さえきちんと読んでいれば、ものの考え方も知識も情緒も、本来は身につくんですよ。物語を読んで家族愛に涙する、郷土愛、祖国愛を感じる。あるいは美的感受性、弱いものに対する優しい視線に気づく。こうした経験がなければ、かつて世界に誇った精神性、道徳心など取り戻しようがありません。ですから、まず本を読むための準備、基礎知識としての国語力をはぐくまなければいけないのです


    ――精神性や価値観を持ちえるための土壌を、はじめに鍛えることが重要?

    「そうです。それから中学校になれば、恋愛や自分を取り巻く環境、世界といったものに目覚めていく。貧しくて学校に行けない、家族が生活していくために野良仕事を手伝わなければならない。そうした現実がかつてあった、ということを文学や物語を通して学ぶ。文学のなかでも、日本が独自に発達させた詩歌に触れる。『万葉集』の時代から、優れた詩歌は山ほどあります。あるいは俳句、短歌。そうしたことに触れるなかで自然と自信が芽生え、美意識やバランスの取れた価値観が育っていくのです」


    ――ご自身の経験からそのように思われるのですか?

    「たとえば、私がアメリカやイギリスで教えていた時のことです。海外で学者の集まりに出ると、それこそノーベル賞学者にぐるりと囲まれてしまうような状況になることが多々ある。さすがに圧倒されそうになることもある。そんなとき、小さいころに暗唱した島崎藤村の詩を心の中で思い出すと、不思議と力がわいてきたんですね。それは〈小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし 白銀の衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る〉というものでしたが、“あの信州の美しい自然のなかで、日本人は独自の文化をはぐくんできたのだ。お前たちには、こんな素晴らしい自然も文化もないだろう”という気持ちで、相手を睥睨(へいげい)する心持ちで挑むんです。そうやって自らを奮い立たせ、阿修羅のごとく研究に励んだものです」


    ――世界で活躍しようとすればするほど、実は祖国への誇りや自信が大切になってくる?

    「WBC(ワールドベースボールクラシック)のときにイチローが、日本の野球は世界一だと何度も言っていたでしょう。韓国に2回負けて“人生最大の屈辱だ”とまで言った。私はあの気持ちがよくわかる。彼は何も突然愛国者になったのではなく、いつもああいう気持ちで戦っているのだと思います。メジャーリーグの選手は、みんな体も大きいし、パワーもある。そのなかで小柄なイチロー選手は歯を食いしばってやっているんでしょう。支えになるのは、日本と日本人に対する誇りと自信しかない。日本の野球は緻密さにおいて世界一だと信じていて、そこでトップだった自分が負けるはずがない、と。祖国に対する誇りと自信がないと外国ではやっていけないですよ。慰めの言葉をいくらかけられても、なんの力もない。体の芯(しん)から出てくる民族的な誇り、これがないとダメです」


    ――しかし、道徳心や祖国への誇りといったものは、いったんタガが外れて失ってしまうと、なかなか元に戻せないのではないでしょうか? 昨今の事件や出来事についても、モラルの問題としか言いようのないことが増えている気がします。

    「だからこそ、日本人が古くから持つ精神性――別の言い方をすると“情緒と形”を見直すことが重要になります。情緒は豊かな自然や文化がはぐくんだ感受性、形のほうがモラルですね。形=モラルとは、簡単に言ってしまえば武士道精神のことです。慈愛、誠実、正義、勇気、忍耐、惻隠(そくいん)、名誉と恥、卑怯を憎む心、公の精神。これが武士道精神であり、日本人の原形を成すメンタリティなんですね。ところが、さっき言ったように、戦後になってアメリカと日教組が、日本がもっていた素晴らしい武士道精神を戦争に結びついたとして捨てさせた。忠君愛国の部分が戦争に結びついたのは事実だが、ほかは関係ないんです。忠君愛国を除けば、ほとんどイギリスの紳士道(ジェントルマンシップ)と変わらない」


    ――ディベートで勝ち負けを決めるような理屈優先ではなく、心のもちようこそが大切?

    「そのとおり。何か不具合や不都合が出てくると、すぐに法律で片付けようとする。そして六法全書がどんどん厚くなっていく。私に言わせれば、六法全書の厚い国は恥ずかしい国家なんです。本当の理想国家は六法全書がない国。それぞれの人間が普遍的な倫理観に基づいて自己を規制する国。まあ、それは絵に描いた餅(もち)だけど、六法全書は薄ければ薄いほど良いんですよ。アメリカの弁護士は日本に比べて人口比で20倍、精神カウンセラーは60倍。そういう国に日本はなっていくのか、なりたいのか。現実を見るとある程度は仕方がないと思うが、あくまで邪道であると認識しないとダメ」


    ――そこで、やはり教育の復興が大切である、と。

    「そう。では、誰が後進に理想を伝え、教えるか。70歳以下は、いまの政治家や官僚も、戦後教育に毒されているからダメ。80歳以上なら大丈夫だが、いかんせんほとんどが第一線から身を引いているし、数も少なくなってしまっている。結論的に言えば、現在の学童、児童の世代に任せるしかない。いまの小学生、中学生が日本人がもともと持っていた精神性を学び、さらに後進に伝えていくことを期待するしかない。だからこそ、今現在の国語教育が大切になってくるんです私は、読書を“教養を獲得して人間の知的レベルを高める極めて重要な要素”と考えています。そこで、大学のゼミ生には、1年次から新渡戸稲造、内村鑑三、福沢諭吉らの思想書や、民俗学者である宮本常一の本などを読ませます。最初は興味もなく、読み解けない学生も、1学期ほどの間にどんどん成長するから驚きです。“読み書きそろばん”といった日本人のやり方は、決して間違っていないのです」

    沖縄の学力低下に関して、教育長は政府に「金をくれ」と言ってみたり、どうだらこうだら「識者」が百家争鳴のようだが、沖縄の場合こそ藤原教授の「読み書き算盤」を先ず実行すべきだ。

    話が大分脱線したが、冒頭記事の中学生並みの大学生の話に戻ろう。

    >小野教授は「ここまでやらなければいけないのかという声もあるだろうが、こうでもしないと、今の大学は生き残れない」と話した。

    去年の10月、茶髪とピアスをやめた学生には報奨金1万円提供すると言って世のひんしゅくを買い中止にした大学が合った。

    当然、当日記もこれにエントリし批判した。

    茶髪・ピアス報奨金見送り? あったり前だろう!

    少子高齢化の波をまともに受けるのは大学なのだろう。

    戦後、全国各地で国立大学が急増し、これが「駅弁大学」という呼び名で揶揄された。

    評論家の大宅総一氏(大宅映子氏の父)が「急行の止まる駅に駅弁有り、駅弁あるところに新制大学あり」と発言したことからこの名が生まれたといわれている。

    少子化で誰でも大歓迎の低レベルの大学が増え続けたら、誰でも大学に入れる一方、難関大学は愈々競争が熾烈になり大卒者にも「格差社会」が出来るのだろう。

    ある意味、今まで以上の厳しい学歴社会になるのかもしれない。

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    犬が咬んだらニュースになる!沖縄の侍、同調圧力との戦い

    2007-11-18 06:20:40 | ★集団自決

    犬が人間を咬んでもニュースにならないが、人間が犬を咬むとニュースになるとは良くいわれる。

    平凡なことはニュースにならないが、あり得ない事が起きるとニュースになることを例えた話。

    この咬み付き人間ほど極端な例ではないとしても、沖縄で新聞社と違う意見を実名、職業、顔写真入りで投稿するとニュースになるらしい。

    9月29日の「県民大会」を目前にして沖縄中が人数動員にヒートアップしていた頃、

    新聞論調に真っ向から反抗するように、「県民大会開催に反対する」という意見を新聞のオピニオン面に投稿した公務員がいた。

    新聞の投稿欄は概ねその新聞の論調に擦り寄るような意見が採用されやすいというが、

    「9・29県民大会」にいたる約半年の間、沖縄の地元紙の読者欄はまるで金太郎飴のような同じ主旨の「声」で埋め尽くされていた。

    そんな中、9月9日の琉球新報の「論壇」の宮平修氏の「県民大会開催に反対する」と題する投稿は読むものに新鮮な感動を与えた。

    真っ当な読者の意見を新聞社が取り上げただけで本土の新聞にはニュースになるのか、昨日17日の世界日報がこれを特集記事の一環として記事にした。

    世界日報は基本的に有料なので全文転載するわけにはいか無いが、その一部を抜粋引用する。

     

    ≪平成19年11月17日
    真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から62年 第2部 <24>

    (24)同調圧力(下)-「県民大会反対」と投稿した宮平氏/「沖縄県民は保守的」 07.11.17 

     那覇地裁において、沖縄戦集団自決裁判の出張法廷が行われる前日の九月九日。琉球新報「論壇」に、「県民大会開催に反対する/自決は家族愛の尊厳死」と題する投稿が掲載された。筆者は、那覇市内に住む公務員、宮平修さん(42)。

     宮平さんはまず、<日本軍関与の記述の有無が高校生の歴史教育に大きく影響するとは思えない。沖縄戦の悲惨さは日本軍関与の有無とは関係なく十分子供たちに伝わるはずだ>と指摘。逆に、この問題で、<「軍国主義化」「戦前回帰」「戦争のできる国へ」など恣意(しい)的で論理がめちゃくちゃな言葉を述べることが、子供たちの教育に多大な悪影響を及ぼすということになぜ気付かないのか>と、過熱気味の報道・論調を諫(いさ)める。・・・・・・(略)・・・・・・

    掲載翌日の月曜日、出勤すると早速、職場の先輩から批判された。

     「あれは右翼でも書かないような記事だね」

     「県民大会絶対反対とは何たる言い草だ」

     宮平さんは、前年度まで職場の労組分会の執行委員をしていたが、労組の先輩がわざわざ職場に彼を訪ねてきて、こう告げた。「君は組合の主張とは意見が違うようだから、執行委員はできないね」

     普段、何気なく挨拶(あいさつ)を交わす知人も、バツが悪そうな顔。宮平さんの親も、内容に文句を付けるわけではないが、世間体を気にしてか困った様子だったとか。≫(世界日報)

    更に詳しい記事を読みたい方は、世界日報に各自アクセスしていただくとするが、

    幸いにして当日記も上記宮平氏の「論壇」記事が新報に掲載 された翌日10日のエントリー「県民大会開催に反対する」でこれを取り上げていたので宮平氏の「論壇」は全文を読むことが出来る。

    以下にこれを引用します。 ↓その前にクリックをお願い。

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                          ◇

    いつも地元二紙をブログのネタにさせてもらっているが、今日は新聞の休刊日。

    午後から行われる金城重明氏の法廷尋問の記事は夕刊か明日の朝刊を待たねばならぬ。

    昨日の新報朝刊には注目すべき記事が掲載された。

    一日に一つしか載らない「論壇」に二つの記事が出たのだ。

    二つとも「集団自決」関連で、対立する意見を載せて公平を装うアリバイ作りかと思ったが、もしそうだったとしたら編集者の意図は見事に裏切られる結果となった。

    先ず一つは新報と意見を同じくする「軍命令あり」の意見。

    福岡県在住の九州大学法科大学院生の下地健太氏(23歳)の投稿のタイトルは、

    「乏しい論拠で安易な修正 集団自決は軍命令が通説」。

    内容の大部分は「通説」を繰り返して沖縄マスコミの意見に擦り寄っているが、最後のくだりが目を引いた。

    ≪もっとも、集団自決で軍の直接の命令があったどうかについては、関係者の証言はあっても、それを裏付ける確たる証拠や公的資料は決して多くない。 この点、今後の沖縄研究の蓄積に期待するところが大きい。≫

    ん? このくだりを読む限り、「軍命令なし」派とも取れる非常にバランス感覚のある方と見た。

    だが、あえて正確を期すと「・・・それを裏付ける確たる証拠や公的資料は決して多くない。」ではなく「・・・それを裏付ける確たる証拠や公的資料は皆無である。」が正しい。

    「軍命あり」派が唯一の物的証拠としているのが手りゅう弾であるが、これでもって「軍が命令した」証拠にするには説得力に欠ける。

    何よりも今日の法廷証言者の金城重明氏も手りゅう弾ではなく石や棒を使ったし、自殺のために殺鼠剤を探し回ったという証言もあるくらいだ。

    筆者の下地氏は福岡在住なので地元の異常な熱気に毒されずに冷静に判断できたのだろうか。

     

    一方「軍命令無し」派の意見は、那覇市在住の地方公務員の宮平修氏(42歳)でタイトルは、

    「自決は家族愛の尊厳死 県民大会開催に反対する」。

    タイトルから見て集団自決を賛美する極端な「軍命なし」派かと思いきや、これも要点を網羅した実にバランスの取れた意見である。

    特に、「・・・沖縄戦における集団自決の歴史教育に軍関与の記述の有無など大した影響はないと言え、県民大会の開催など絶対反対である。」の部分は公務員でありながら堂々と「県民大会反対」を述べた勇気には拍手を送りたい。

    全県の公務員も見習ってほしい。

    言うまでもないが,当日記はイデオロギーまみれの「県民大会」に断固反対する。

    当日記が御託を並べるより以下に全文を引用するので熟読していただきたい。

    県民大会開催に反対する

    自決は家族愛の尊厳死

    沖縄戦の集団自決における日本軍関与の教科書記述が、教科書検定により削除された問題で、大多数の方々が政府や文科省を批判しているが、日本軍関与の記述の有無が高校生の歴史教育に大きく影響するとは思えない。

    沖縄戦の悲惨さは日本軍関与の有無とは関係なく十分子供たちに伝わるはずだ。 それよりもこの問題に対する一部世論が、「軍国主義化」「戦前回帰」「戦争の出来る国へ」など恣意的で論理がめちゃくちゃな言葉を述べることが、子供たちの教育に多大な悪影響を及ぼすということに何故気がつかないのか。 また、県議会が撤回を求める意見書を可決し文科省に撤回要請し、各労組や市民団体も撤回を求めて県民大会まで開催する勢いになっているが、このまま問題を拡大すると「沖縄蔑視の本土人」対「被害者意識から脱せ無ない沖縄人」の戦いにすり替わる可能性もあり、沖縄を戦前以上に日本から乖離させるもので厳に慎むべきだし、繰り返すが沖縄戦における集団自決の歴史教育に軍関与の記述の有無など大した影響はないと言え、県民大会の開催など絶対反対である。

    翻って筆者は「軍の間接的関与」はあったのだろうと思うが、「軍の命令」があったとは思えないし、軍命があったと主張する方々に言いたいのは「死者を冒涜するな」の一言に尽きる。 当時、サイパン玉砕など伝え聞いた住民が、先人君の訓(おし)えと相まって「事ここにいたっては・・・」の精神状態になったとすれば無理からぬことであろう。

    また、一般住宅に寄宿していた軍人から「捕虜になるより玉砕すべきだ」と説教を受けていたという話も聞くが、それもあったのだろう

    これらを踏まえても軍命があったということにはならないし、仮に軍命により自決したとすると「肉親の命より軍命が大事」という結論に達しはしないか。 皇民化教育下でもそんなことはあるはずもなく、断じて認めるわけにはいかない。

    彼らの死は、生き残ることにより死よりつらい生き地獄が愛する肉親に降りかかることを恐れての行動であり、家族以外の何物でもなかったのだろうと考える。

    その彼らの尊厳死を強制集団死と貶め、「命どぅ宝」や「反戦平和」を声高に叫ぶ方々には、何をか言わんやである。

    反戦平和は結構な事だが、それなら米国や中国に向かって運動すべきところを、その覚悟もなく集団自決は軍国主義や皇民化教育によるものだと、過去に生き、当時を生き、未来に生を受けるであろう同胞を守るために立ち上がった方々を批判し卑下する人々がわれわれと同じ日本人であるのかはなはだ疑問である。

    筆者の祖父も守備隊に徴用されて戦死しているが、すべての戦没者の犠牲の上に現在の安定した社会が成り立っていることに感謝し祈りをささげることのみが、今日を生きるわれわれに必要なことではないだろうか。(那覇市、地方公務員、42歳 宮平修)≫

     

    琉球新報さん、この「論壇」の掲載は気の緩みがなした業ですか。

    アリバイ作りにしては宮平さんの論旨は明快でインパクトがありますよ。

    これを掲載したのは失敗では無かったですかね。

    それにしても宮平さん、お見事。

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    「飲酒、断る勇気を」・・飲酒運転防止標語ではありません

    2007-11-17 18:13:41 | 未分類

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    「飲酒、断る勇気を」 非行防止で県警課長 カメラ  (11/17 10:31)

    真剣な表情で講話を聞く児童ら=真和志小学校

     未成年者の飲酒防止をテーマにした「親子非行防止講話」が9日、真和志小学校(山盛淳子校長)で開かれた。同校4年から6年の児童と保護者約400人が集まり、県警本部少年課の當山達也課長が飲酒が未成年者に与える影響などを説明した。
     當山課長はことし8月から10月末までに未成年者の飲酒が44件発生、321人が補導されていると説明。未成年者飲酒の事例を補導現場の写真などを交えながら紹介した。また、飲酒の理由として誕生会や同窓会を挙げる少年が多いと指摘して「最近は興味本位というより大人と同じ理由で飲酒しているケースが多い」と強調した。
     飲酒が未成年者に与える影響として脳の機能低下や内臓障害、アルコール依存症の危険性などを指摘して「急性アルコール中毒になったり事故に巻き込まれるケースも少なくない。飲酒を誘われても断る勇気を持ってほしい」と児童らに呼び掛けた。
     保護者や地域がやるべきこととして(1)規則正しい生活を指導し、夜間外出をさせない(2)友人宅に外泊させる場合でも相手の家に確認する(3)夜間に出歩いている子供を見たら注意する―などを挙げた。當山課長は「大人の無関心が非行につながる。地域や家庭で子供たちを守り育てることが大切だ」と訴えた。

    (11/17 10:31)

                          ◇

    元々このブログを立ち上げた理由の一つに、頑張る沖縄の若者に声援を送りたいということがあるので、上記記事を読むとちょっとたじろいでしまう。

    禁酒とか断酒とかの講習会といえばたいていはアル中オヤジが対象かと思っていたのだが・・・。

    >真和志小学校(山盛淳子校長)で開かれた。

    何よりも、「飲酒、断る勇気を」の見出しと、聞き入る子ども達のあどけない顔のアンバランスさに違和感を感じるのだ。

    アル中はともかく、「断る勇気」・・・なんて、居酒屋のオヤジに忠告する「飲酒運転防止」の標語ではなかったのか。

    少なくとも未成年の集団飲酒といえば、高校生のことだと思っていた。

    中学を通り越して、小学生対象の講演会に、さすがは沖縄は進んでいるなんて喜ぶわけにはいかない。

    自殺報道をすれば連鎖自殺が起きると聞くが、

    講習会で飲酒に興味の無かった子どもたちも逆に飲酒に興味を待つのではないかと老婆心にかられる。

    「今夜も、さーふーふー」さんが張り合ってるの? と思うほど最近は未成年の集団飲酒が増えている。

    以下「2007/11/17 09:36 」の記事引用。

    昨夜も県警から未成年の集団飲酒の連絡が2件。

    嘉手納署管内では墓地で飲酒中の男子中学生3人を補導。

    糸満署管内ではゲートボール場の建物で高3生を中心に7人を補導。

    これだけ連日のように報道されても、止まらないとは
    もはや地域ごとに張り合っていると思ってしまうほどです。

    2007/11/15 14:56

    宮古毎日新聞の社会面トップ。
    わかっていてもギョっとする見出しです。

                          ◇

    沖縄の「学力最下位」を案ずる前に、未成年の飲酒の解決が先決のようだ。

    小学生向けに保護者や地域がやるべきこととして次のことを挙げているが、これは特に飲酒に限らずごく当たり前のこと。

    その当たり前が出来ない保護者、地域があることに問題の深さを感じる。

    >(1)規則正しい生活を指導し、夜間外出をさせない

    >(2)友人宅に外泊させる場合でも相手の家に確認する

    >(3)夜間に出歩いている子供を見たら注意する―などを挙げた。

    やはり大人の責任なんでしょうか。

    真志喜中、未成年飲酒でシンポジウム 大人の責任問う声続々 カメラ  (11/4 10:18)

    少年7人集団、飲酒補導 八重瀬  (11/11 9:55)

    中高生ら集団飲酒 那覇署補導

     県議会 未成年飲酒防止を決議  (10/15 16:03)

     

    頑張っている高校生もいるのにね・・沖縄高専グランプリ 全国高校パソコン甲子園

     並里(福岡第一)来春渡米 スラムダンク奨学金第1号 カメラ  (11/13 10:02)

     

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    「同調圧力」と勝ち組負け組み

    2007-11-17 06:38:54 | ★集団自決

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    沖縄は「同調圧力」が異常に強く異論は許されない「言論空間」にあると良く言われる。

    圧倒的シェアーを誇る沖縄タイムス、琉球新報の2紙が極端な偏向記事でこの同調圧力を支え、 地元大学の教授陣は勿論教育界もこれに迎合して、ひたすら地元2紙に揉み手をするような意見しか新聞には掲載されない。

    新聞が造る“民意”、そして島ぐるみの“県民感情”には何人も批判は許されない。

    これに「おじー、おばーの言葉」や「命どぅ宝」が絡んでくると、もはや一切の「理」を拒絶する「情念」の世界に引きずりこまれてしまう。

    今回の教科書検定問題における仲井真知事も、当初は不勉強を口実に集団自決と軍命令の関係について明言を避けていた。

    それが、新聞の「同調圧力記事」が強くなってくるとその発言の軸足が変ってきた。

    六月には「軍命はあったと思う」と発言が変りだしたが、県民抗議大会への参加に依然として消極的だった。

    沖縄タイムスはすぐさま、社説で「知事の真意が計りかねる」と、知事に詰め寄った。知事は八月に入り、「大会が超党派であれば参加する」と態度を変えた。(世界日報)
    知事主体の開催否定/検定撤回県民大会(沖縄タイムス)
    副知事、参加は「検討」
     仲里全輝副知事は七月三十一日、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる日本軍の関与を削除・修正した高校歴史教科書の検定意見の撤回を求める超党派の県民大会の開催について、「県知事が大衆運動の先頭となって主体的に開催することは、行政トップの立場上できない」との考えを示した。一方、県民大会への仲井真弘多知事の参加については、「集会があれば検討する」と答えた。

    沖縄で地元新聞の論調に異論を唱えるのには勇気が要る。

    左翼勢力が主催する「県民大会」に対して、当初マスコミの前で「正論」を吐いていた県知事でさえも「同調圧力」の前には脆くもその判断軸を狂わしてしまった。 

    かくいう筆者も過去のブログ・コメントで、論理で反論するならともかく、新聞論調に反対することを書いたというだけで感情的な罵詈雑言を受けたことは再三ある。

    罵詈雑言ならまだしも、「沖縄人のくせに云々」の暴言にはほとほと始末に困ったものだ。

    気のおけない友人同士だと異論を戦わして平気だが、これが他人と相席の居酒屋などで“民意”に反する意見を大声で論じるには他人の耳が憚れる。

    「集団自決」で連続特集をしている世界日報は、この辺の沖縄の「同調圧力」について次のように書いている。

     占領下でつくられた「日本軍罪悪史観」は、沖縄が復帰後も、地元メディア、教職員組合、自治労、革新政党などが構築していた“財産”なのだろう。それに異論を挟むことは、たとえ相手が知事であろうと容赦しない。これが「同調圧力」と呼ばれる、一種の言論弾圧である。異議を唱える者を、「非沖縄県民」視する。

     産経新聞那覇支局長、小山裕士氏は個人のブログで、県民大会の「十一万人」という数字を、主催者発表という断りなしで報道する地元メディアに疑問を呈したところ、ネットへの書き込みやクレーム電話などが相次ぎ、緊張を覚えたという。小山氏の存在を煙たく思っている人々がいるのだ。

     彼のブログは、一日五千人前後が訪れる人気だ。比較的軟派のブログだが、沖縄タイムスの報道姿勢をたしなめたことがある。七月七日付で、座間味村在住の上洲(かみす)幸子さん(84)が、「梅沢部隊長は村民を集め『米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい』と話した」と一面、社会面に大きく報じた記事に関連してのことだ。同記事は全くの誤報と、後に判明。沖縄タイムスは「隊長」ではなく「日本軍の中尉」であったとの訂正記事を、同月二十一日付朝刊と、同二十四日付朝刊の二度にわたって掲載した。(世界日報)

    自分と異なる意見を許さない状況に似た例として、沖縄県人が半世紀以上前に遠いブラジルの地で犯した「勝ち組負け組み事件」のことを前に書いた。

    エントリーしたのは、丁度9月29日の「県民大会」直前で参加者動員のためマスコミを中心に沖縄全体が狂乱状態にあった時期であった。

    あれから約二ヶ月経過して、「11万人」集会も幻だったと分かった現在、再度「勝ち組負け組み」と「同調圧力」について考えて見たい。

    以下再掲です。

     

    「勝ち組、負け組」というと、「格差社会」を連想する人が多いだろう。

    六本木の高層ビルに居を構え、一夜にして巨万の金を動かす若者集団がいる一方、その日のねぐらを求めてネットカフェを渡り歩く若者集団が存在するのも事実だ。

    だが、ここで言う「勝ち組、負け組」は日本の格差社会の問題ではなく、遠く離れたブラジルでの60数年前の「事件」のことである。

    ブラジルというと日本人は何を連想するか。

    サッカー、サンバ、最近では格闘技でブラジル柔術があるが、日本人が明治期に初めて本格的移民をした国がブラジルだということを知る人は少ない。

    そして終戦後ブラジルの日系社会で起きた忌まわしい「勝ち組、負け組」のことを知る日本人が果たして何人いるか。

    1945年8月15日。

    天皇陛下の玉音放送はブラジルにも短波放送で伝わったが、その放送をほとんどの日系人が聞くことは出来なかった。

    また、例え聞いた人の中でも、それが敗戦を告げる放送だと信じるものも少なく,日本でそうだったように「解説」してくれる人もいなかった。

    それどころか逆に不確実な風評が飛び交い「日本が勝った」というデマは一夜のうちに日系人社会を駆け巡っていった。

    英語のわかる一部日本人の中で、アメリカの放送も聞き、日本の戦況を良く理解する人もいたが、大多数の日系移民は「不都合な真実」には頑なに聴く耳を閉ざした。

    日本ではマッカーサーが日本占領開始した頃、ブラジルの各地の開拓地では、「日本が勝った、日本が勝った、」と戦勝記念日の祝賀会を開催するところまで現れた。

    一方、状況判断の出切る良識派は「日本は負けたんだ」と主張し、日系社会は「勝ち組、負け組」に別れて不毛な争いを続け、ついには殺人事件にまで至ったという。
     
    ■「集団自決」と「勝ち組、負け組」の共通性■

    沖縄の宜野湾市で9月9日(「県民大会直前)に行われた講演会「沖縄戦『集団自決』の真実を探る」で、講演に先立って亀川正東琉球大学名誉教授の挨拶があったがその冒頭でブラジル日系人社会の「勝ち組、負け組」の話をされた。

    「集団自決」と「勝ち組、負け組」とは何の関係が有るのかと思ったが、さすが日本エッセイスト協会員でもある亀川教授、現在の沖縄社会のマスコミによる「情報閉塞状態」が、当時のブラジル日系社会の「情報閉塞状態」と酷似しているとを見事に指摘してくれた。

    しかも、驚くことに「勝ち組」の中でもっとも熱狂的で「不都合な情報」に耳を塞ぎ、勝ち組にあらずば「非国民」と騒ぎ立て、殺人まで犯したのは日系人の中でも沖縄出身者社会に多かったという。

    現在の沖縄の新聞を見ているとブラジルの「勝ち組、負け組」を例に出して現在の沖縄の情報閉塞状態を批判した亀川教授の慧眼に改めて感服した。

    亀川教授は、沖縄県民の民度の低さを嘆き「沖縄県民として恥ずかしい」とも述べた。
     
    ■情報閉塞が起きる理由■

    勝ち組の中でも沖縄出身者は特に熱狂度が激しく、敗戦を認める「負け組」幹部らに非国民のレッテル貼るとどまらず、

    ついにはテロ行為の結果数十人を暗殺し、百人余りの負傷者を出したという。

    この事件はブラジルの日本移民社会においては現在でもタブーであり、半世紀以上もの間、日系社会では封印されてきた。

    今では二世、三世の間でさえ知るものは少ないという。

    では何故このような情報の閉塞状態が起きたのか。

    その原因は主に日本語による情報入手の困難性にあった。

    60数年前の、しかも日本から遠く離れたブラジルの地で、ポルトガル語が分からず日本語しか話せない日本人移民は、新聞にも雑誌にも見放された状態で戦時中をすごした。

    つまり当時の日本人移民は日本語は読み書きができても移民先では一種の文盲状態にあった。

    それだけではない。

    自分で判断することを避け、自分の主張(日本が勝った)に対立する意見(日本は負けた)には耳を閉ざした。

    つまりブラジルの「勝ち組」は自ら情報の門戸を閉ざしていたのだ。

    ブラジルでは戦後かなり経過しても「戦勝○年記念祝勝日」と称して戦勝を祝っていたというから、現在のブラジル日系社会がこの話を封印したくなる気も理解できる。
     
    ■自ら情報の門戸を閉ざす沖縄メディア■

    連日沖縄の新聞を賑わす「証言」は全て一方のグループの主張に偏った証言で、反対意見の「証言」はまるでデマの如く扱い、まともに紙面に載ることは無い。

    現在の沖縄の狂乱振りが「県民大会」の狂乱に留まらず、教科書の書き換えにまでエスカレートしたとしたら、沖縄県民の子孫は後の世に、これを「県民の恥」として歴史から抹消、封印せざるを得なくなるだろう。 ブラジル日系社会の忌まわしい「歴史」のように。

    沖縄移民が60数年前にブラジルで犯した大愚を、情報社会と言われる21世紀で再び犯してはいけない。

    【追記】

    狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては常態である

    一人は個、二人は対、三人以上になると集団性を帯びる

    集団は時に人を変えてしまう

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    マッカーサーと七つの顔の男

    2007-11-16 18:11:50 | 未分類
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    子供の頃、心踊らして観た時代劇、と言うよりチャンバラ映画には数々の想いい出がある。

    片岡千恵蔵と言っても50歳以下の世代には片岡鶴太郎の弟子かと間違えられるほど遠い人になってしまったが、千恵蔵は当時のチャンバラ映画のヒーローだった。

    若い人の中には名前だけは知っていると言う人もいる。

    林家木久蔵がオーバーなモノマネをするセリフ不明瞭な昔の時代劇スターと言った程度の知識だろう。

    昔の時代劇スターは歌舞伎出身が多く現代劇に出る事は殆ど無かった。

    ちょん髷に刀を振り回す立ち回りにも歌舞伎の所作が取り入れられていたと聞く。

    そのチャンバラ専門の片岡千恵蔵がちょん髷代わりに黒のソフト帽をかぶり、刀の代わりに二丁拳銃を構えてバタバタとギャング団を撃ち倒す映画には面食らった。

    今で言えば高橋英機の桃太郎侍のイメージが突然黒い背広に黒ソフトで拳銃を乱射するようなモノだ。

    いや、もっと衝撃的だった。 高橋英機は元々日活デビューの頃は現代劇青春スターだったし、テレビのトーク番組でもファンにはお馴染みなので背広姿もけしておかしくは無い。それに時々はテレビドラマの現代劇にも出ているようだ。

    片岡千恵蔵のギャング映画登場の衝撃は今の時代劇スターでは、例え里見浩太郎や、松方弘樹をもってしても例える事は出来ない。

    その衝撃の映画は「名探偵・多羅尾伴内シリーズ」と言うシリーズもので最初に観たのは小学校3年か4年生の頃「国際劇場」か「平和館」のどちらかで見た。

    シリーズのうち何編見たかは曖昧だが、筋書きは大体決まっていた。

    場面は客の帰ったキャバレーか遊技場。

    悪の親玉と十数名の子分達が捕らわれの身の令嬢を脅している。

    令嬢の悲鳴! 親玉が「殺(や)っちまえ!」と命ずる。

    令嬢に迫る危機。

    其処へフラフラと1人のお馴染みの人物が現れる。

    八の字髭にロイドめがね。 ソフト帽子にくたびれた背広で悪漢の前に立つ。

    今までの騒音は一瞬沈みかえり、一同は動きを止めてこの男を凝視する。

    沈黙を破って親玉が怒鳴る。

    「お前は誰だ!」

    待ってました! 

    ここでお馴染みの極め台詞!

    「七つの顔の男だぜ。」

    勿論演ずるは時代劇のヒーロー(だった筈)の片岡千恵蔵。

    悪の親玉はこれも時代劇の悪役でお馴染みの進藤英太郎。

    「七つの顔の男 多羅尾判内シリーズ」の名場面である。

    この進藤親分、時代劇では越後屋から小判の贈答を受け、

    「越後屋、お前もワルだのう」

    「そういう代官様はもっとワルで御座います」

    「ケッ ケッ ケッ・・」

    ・・と声を潜めて何度笑ったことか。

    最後は千恵蔵扮する正義の剣士に何度切られた事か。

    そして虚空をつかんで何度死んだことか。


    進藤親分は懲りもせずに、ギャング映画でも悪事の限りをつくしていた。

    次の場面は愈々この映画のクライマックス。

    七つの顔の男は拳銃を構えている悪漢の群れを前にして変装(しているつもり)のロイドメガネ、八の字ヒゲ、くたびれた背広を一気に剥ぎ取る。(本当に瞬く間に)。

    おー! 何とその下から現れたのは黒の背広の上下に何故か茶色っぽかった帽子も黒に変ってしまっている。 勿論シワ一つ無いビシッとした筋目入りだ。

    それから延々と自己紹介を始める。

    「ある時は片目の運転手、ある時は謎の中国人、ある時は多羅尾伴内、ある時はパイプの画家、またある時はセムシ男、しかるにその実体は!?」

    「 正義と真実の人、藤村大造だ!」

    (この藤村大造の出自は良く分からない・・・が、そんな事はどうでも良かった)。

    変装の達人と言う設定らしいがどうみても千恵蔵がバレナレというのに当時は何の疑念も持たず手に汗を握って観ていた。

    自己紹介がやっと終わると、今度は事件の謎を解説する。

    敵地に乗り込むのに得意の変装で敵を欺いて秘密を探ると言う筋書きだ。

    何故かその間悪漢の群れは手に拳銃を持ったまま凍りついたように動かない。

    一同の前に仁王立ちで長演説をする千恵蔵を手に拳銃を持った悪漢の手下が何故撃たないのかは問うヤボなファンはいなかった。

    長い解説が終わった頃合を見計らって進藤親分が又しても怒鳴る。

    「殺(や)っちまえ!」

    その一声が合図だ。

    拳銃の乱射戦で入り乱れる。 ・・・が何故か悪漢の弾は一発も当たらない。 

    窓ガラスは派手な音を出して割れるが。

    ところが千恵蔵の拳銃は確実に敵を倒していく。
     
    何十発撃っても拳銃の弾が尽きないのにも誰も疑念は抱かなかった。

    大方勝負がついた頃を見計らったようにパトカーのサイレンが鳴り、警官隊が現場に雪崩込み悪漢の残党を取り押さえる。

    救出された令嬢が我に返って警部(何故かいつも間抜け)に尋ねる。

    「あのお方は?」

    一同が辺りを見回すと既に「あのお方」の姿はない。

    警官の1人がわざとらしく叫ぶ。

    「警部! ここにこんな手紙が!」 

    さすがに手紙の内容までは憶えていない。

    七つの顔の男は一枚の置手紙を残して何処(いずこ)へともなく去っていく。

    去りゆく男の背中に「完」の文字。


    この映画は全部で11シリーズあって第一作は終戦の翌年の1946年に作られている。

    私が始めて見たこのシリーズは第四作目の「三十三の足跡」というタイトルだった。

    制作年は1948年というからかなり古い映画だ。

    結局1960年の11作目でこのシリーズは終わってしまい、千恵蔵も進藤親分も晴れて時代劇の世界に戻った。

    千恵蔵と並ぶ時代劇のスターに市川右太衛門がいる。

    真っ白に塗った顔、ド派手な衣装それに眉間の刀傷が売り物の「旗本退屈男シリーズ」も子どものころ良く観た。

    やはり7歳前後に栄町にあった「沖縄劇場」で観た映画であの右太衛門が黒いソフトに黒背広そして拳銃を携えていたのを憶えている。

    タイトルははっきり憶えていないが「海のジーメン?」とかいったようなタイトルだったような気がする。 

    映画を観た後、ジーメンとはどういう意味か、と親にしつこく聞いた憶えがある。

    こちらの方は七つの顔シリーズほど人気が無かったのか、右太衛門の拳銃を持つ姿を見たのはこの一作だけだった。

    時代劇専門のスター千恵蔵や右太衛門が戦後の一時期、ちょん髷を黒のソフト帽子に代え、刀を拳銃に持ち替えたのには深い訳があった。

                      *


    昭和21年、日本占領中のGHQは、日本刀を振り回すチャンバラ時代劇は軍国主義を煽り立てる危険があるとして禁止の通達を出した。

    学校の体育教科では剣道や弓道と言った武士道に関わるような教科も禁止された。

    以後、連合軍の占領中は剣劇が製作できないことになり、時代劇スターを含む映画界は対応策を迫られた。

    時代劇の大スター片岡千恵蔵のために現代活劇の構想が練られた。

    試行錯誤と苦心の末、黒いソフト帽に黒い背広で決め二丁拳銃を構える名探偵「多羅尾伴内」を主人公とする『七つの顔シリーズ』の登場となる。

    時代劇のチャンバラは拳銃による銃撃戦に置き換えられ、内容は毎回ワンパターンの千恵蔵が七変化をするミステリ活劇というものであった。

    映画は大評判となり、大ヒットを記録して、以後はシリーズ化されることになる。

    千恵蔵と並ぶ時代劇スターで旗本退屈男で有名な市川右絶太衛門(北大路欣也の父)も黒のソフトに黒背広で現代活劇映画に転進を求めたが成功しなかった。

    まもなくGHQにも「チャンバラ映画禁止令」のバカバカしさが分かり解除されたが、「多羅尾伴内シリーズ」は千恵蔵の代表作となり時代劇に復活後もシリーズは続いた。

    名探偵多羅尾伴内は瓢箪から駒で、マッカサーの判断ミスによって生まれたともいえる。

    余談だが、マッカーサーのチャンバラ映画や剣道の禁止令を解除した後も「剣道は人殺しを教える武道だから学校では禁止すべき」と叫ぶ婦人団体がいた。
     
    1945年、マッカーサー日本を占領するや沖縄出身の共産主義者・徳田球一を獄中から解放した。
     
    徳田はマッカーサーを解放者だと賛美した。
     
    マッカーサーが解放者だという徳田の理念は、
     
    故郷沖縄で「米軍は解放者」だと言い換えられ、
     
    『鉄の暴風』に見事に受け継がれた。
                        
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    防衛省の闇はグアムにある

    2007-11-16 08:09:33 | 県知事選

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    財務相の宴席同席は問題なし、接待ないと聞いている=官房長官 2007年 11月 15日 16:37 JST 

     [東京 15日 ロイター] 町村信孝官房長官は15日午後の会見で、額賀福志郎財務相が「山田洋行」元専務の宮崎元伸容疑者との宴席に同席していたと守屋武昌前防衛次官が参院外交防衛委員会で証言したことについて、何ら問題はないとの見解を示した。

     官房長官は「いろいろな会合に出席する方がいても、それがどうかしたのか」として、「額賀財務相への対応は特に考えていない」と述べた。

    また「額賀財務相の秘書官からは、額賀氏は宮崎氏や守屋氏から接待を受けたことはないと聞いている」とした。

     守屋前次官は15日の参院外交防衛委員会で、2年ほど前に額賀財務相と、ジェームズ・アワー元米国防総省日本部長が来日した際に宮崎氏も交えて会議を行ったと述べた。

     これについて官房長官は「ジェームズ・アワー元米国防総省日本部長を囲む会に出席していたとしてもすぐ退席したので、誰が出席していたのか記憶にはないとのことで、何ら問題はない」とした。国会での法案審議に支障がないのかとの質問には「これは次元の違う話だ」として、野党は法案の審議を始めてもらいたいと述べた。

                                                   ◇

    守屋前次官の重い口から現役閣僚を含む大物政治家二人の名前が飛び出した。

    額賀財務大臣と久間元防衛大臣。

    任命責任者は敵前逃亡、ならぬ米国外遊中。

    留守を預かる番頭役の町村官房長長官としては、

    「いろいろな会合に出席する方がいても、それがどうかしたのか」、

    「額賀財務相への対応は特に考えていない」と言うしか無いだろう。

    だが、少なくとも現役大臣の名前が疑惑の男から名指しされたら、説明責任はあるだろう。

    早速証言を受け、民主党は久間、額賀両氏の国会招致を求める考えを表明した。

                          *

    久間氏、額賀氏といえば防衛庁長官時代から沖縄とは馴染みの深い名前。

    二年前の日米安保協議委員会(2プラス2 )に時、頻繁に名前が出た。

    日米両国は米国防総省で2005年10月29日(米国時間)、外務・防衛担当の4閣僚(日本側:外務大臣、防衛庁長官、米側:国務長官、国防長官)による日米安保協議委員会(2プラス2 )を開催し、在日米軍と自衛隊の再編についての基本的な考え方や当面の二国間の安全保障・防衛協力で態勢強化に不可欠な措置をまとめた中間報告「日米同盟: 未来のための変革と再編」[3] で合意、再編計画の大枠を決めた。(ウィキ)

    そのときの主な合意内容は「普天間飛行場の移設」、そして

    在沖海兵隊のグアム移転」が大きな課題だった。

    久間氏と額賀氏はこの二つの重要案件にも日本側責任者として関わってきた。

    「在沖海兵隊のグアム移転」はその経費を日本側思いやり予算 で行うということで賛否両論が活発だった。

    だが、家主の都合で借家を立ち退く場合にも立退き料があるので、思いやり予算 もやむなしといった形でマスコミから話題は消えた。

    だが、2014年までに、第3海兵遠征軍司令部を主とする、約8,000人及びその家族約9,000人がグアムへ移転するとなると膨大な予算が見込まれる。

    グアムに建設される施設の整備費102.7億ドルのうち、日本側が60.9億ドルを支出するという。

    海外での経費だととかく世論の目が届きにくいものだが、これに疑念を持ち、グアム移転の米兵住宅が8000万円で米国側作る場合の4倍になるという。

    10月28日のテレビ朝日、サンデープロジェクトで民主党の浅尾慶一郎氏が、「在沖海兵隊のグアム移転」について次のような疑念を呈した。

    日本側は3500戸の米軍住宅を建設予定だが、日本側の試算によると一戸当たり、73万ドル、日本円で8000万円にも及ぶが、米側の試算では17万ドル程度で、4倍以上もするのだという。(最近の円高で計算すると焼く1800万円で出来る)

    何と一戸あたり4000万円も高い予算を計上していたのだ。

    3500戸×4000万円=2100億円!

    住宅建築だけで実に2100億円も高く支払わされることになるのだ。

    これは単に割高、割安の問題ではなく犯罪でしかない。

    防衛予算というと兵器、航空機等、一般の民間民間会社が提供できない軍事費の面で価格の競争原理が働きにくい一面があるが、その反面、一般の備品や建設費は大量購入の利を生かして民間以下で購入できるのが経済論理のはずだ。

    昨日の守屋承認喚問でゴルフ接待が300回とか、飲み食いの接待が同だとか追及していたが、どんな豪華な接待を受けても住宅建築予算が4倍要求に比べれば微々たるものだろう。

    一時が万事という。 ボッタクリ試算による要求金額が住宅建築だけにとどまるとは考えにくい。

    「在沖海兵隊のグアム移転」の総額60・9億ドルの中には、

    住宅の他にも同じようなボッタクリ予算の要求金額があるはずだ。

    昨日の証人喚問で本人は「知らない」と答えていたが、問題の山田洋行がグアムに土地購入の計画があったとの質問があった。

    少なくとも久間元防衛大臣と額賀財務大臣(元防衛庁長官)には説明責任がある。

    防衛省の闇は太平洋の彼方グアムにある!

     

     

     

    「おまけ」

    沖縄の前防衛施設局長がクラブ・ホステスびタクシー券を数枚上げたとか、束ごと上げたとか・・・「普天間移設」にからむ疑惑はあるのか。

  • 佐藤前施設局長、タクシー半券提出せず 内部規則に違反  (11/15 16:03)
  • 佐藤前施設局長、タクシー券私的流用  (11/15 9:38)

  • 2007年11月02日 掲載
    守屋接待 沖縄の夜守屋接待 沖縄の夜

     東京・赤坂の高級クラブで夜な夜なハメを外していた防衛省の守屋武昌前事務次官(63)。遥か沖縄の高級クラブでも、腹心の手引きで地元業者と飲みふけっていた。おまけに、腹心の前那覇防衛施設局長ときたら、守屋に輪を掛けた“タカリ魔”で連日のように地元建設業者とつるんで沖縄のクラブをはしごしていた。守屋タカリ一派は、疑惑の夜に、業者とどんな密約を交わしたのか。(ニッカン現代)

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    反戦平和ではメシは食えぬ 「命どぅ宝」では生きてはいけぬ!

    2007-11-15 06:36:42 | 未分類

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    沖縄タイムス 2007年11月14日(水) 朝刊 1・2・25面  
     
    ハンセン共同使用容認/金武・宜野座・恩納 3首長が姿勢転換
     【北部】在日米軍再編に基づく米軍キャンプ・ハンセンの陸上自衛隊の共同使用問題で、地元の儀武剛金武町長、東肇宜野座村長、志喜屋文康恩納村長は十三日、負担増になるとして反対していた従来の姿勢を一転させ、共同使用を受け入れると発表した。三町村長は「ハンセン内の海兵隊から一部がグアムへ移転することや、三町村が求めていた金武地区消防本部の統廃合などに防衛省の協力が得られることから、受け入れを決めた」と説明した。
     この決定を受け、防衛省は同日、在日米軍再編への協力度合いに応じて支払われる再編交付金の交付対象に三町村を加える方針を決めた。十九日に石破茂防衛相が「再編関連特定周辺市町村」に指定し、同日の官報で告示する予定。来年度予算に交付金の10%、再来年度以降100%が交付される見通しだ。

     訓練開始時期は「年内開始は困難」(陸自関係者)とされており、年明けになる見通し。

     防衛省は、米軍が使用しない期間を前提に、陸上自衛隊第一混成団が九州の演習場で行ってきた中隊規模程度の訓練を、キャンプ・ハンセンで実施するとしている。

     ロープ降下、警戒・防護、行進などを中心とした戦闘訓練を、二百人程度の部隊が二十一週間ほど金武町と宜野座村のエリア内で実施。また、レンジ3、4を除く金武町エリア内の既存射撃場で百人程度が九週間、小火器などを使用した射撃訓練を行う。さらに、金武町と恩納村の計二カ所の施設で最大百人が年一週間程度、不発弾処理などの訓練を行う。

     儀武町長は「グアムへの移転や消防本部の統廃合への協力が得られ、総合的に判断して受け入れを決断した」と述べた。また、再編交付金については従来のハード事業主体とは違って子育て支援や福祉などのソフト事業にも使えるため、地元にとって利用価値が高いと判断したという。(略)

    三町村長が集まったのは八日深夜。それぞれの考えや議会の反応などを報告して、受け入れを決めた。儀武町長が九日に沖縄防衛局を訪れ、鎌田昭良局長に受け入れを伝える文書を手渡した。

     にもかかわらず、報道各社には、十三日午後になって受け入れを伝える文書をファクスしたのみだった。会見を行う予定はなく、各首長が個々で対応することをひそかに確認していた。

     各社からの強い要望で、急遽同日午後六時から会見が開かれたものの、会見を予定していなかったことは「日程調整がつかなかった」と説明された。(略)

                          ◇

    腹が減っては戦は出来ぬ。

    腹が減っては平和も叫べぬーby 金武町長。

     

    諺にはしばしば背反する意味の諺がある。

    例をあげれば、

    「君子危うき近寄らず」に対して

    「虎穴にいらずんば虎子を得ず」のように。

    沖縄の諺の中では「命どぅ宝」が特に有名だ。

     

    ■イデオロギー化した「命どぅ宝」■

    「命どぅ宝」とは「命ぞ宝」の沖縄訛りで、

    「命こそ何よりも大事だ」という意味だが、特に日本復帰以後は、

    左翼団体の反戦平和のスローガンに使われ、本来の意味から大きく外れてイデオロギー化している。

    その結果反戦平和・基地反対を訴えるブログ等のタイトルにも良く使われている。

    例:「命どぅ宝」http://www.asahi-net.or.jp/~qg2n-tir/

    一方、「命どぅ宝の」対極の意味を含む、

    「物呉(く)ゆ者どぅ我が御主(うしゅ)」という諺もあるが、これはあまり知られていない。

    これは、自分たちに利益を及ぼす者であれば、どんな者であれ支配者(御主)として受け入れるという意味である。

    言葉を変えれば、メシを食わす者には誰にでもついていくという自棄的表現にもなる。

    ■「命どぅ宝」と「物呉ゆ者どぅ我が御主」の狭間■

    反戦平和団体と偏向マスコミの狭間に揺れ動く沖縄の首長の悩みを端的に表したのが上記引用記事である。

    反戦平和・反基地を叫んでマスコミのご機嫌を取る一方、反戦平和ではメシは食えぬ・・・。

    党首の悩み町長の悩み、村長さんも悩んでいます。 

    防衛省:「米軍キャンプ・ハンセンに陸上自衛隊の共同使用を受け入れて欲しい」

    町長:「基地負担が増えるので反対だ!」 ⇒ 「命どぅ宝!」

    防衛省:「それでは米軍再編交付金の対象外です」

    町長:「むむ! (陸自の共同使用を)受け入れる方向になると思う」

    マスコミ:「え? それってお金のため?」

    町長:「金が理由ではない」

    マスコミ:「では理由は何ですか」

    町長:「うーん、そうしないといけないだろう」⇒「物呉ゆ者どぅ我が御主」

    平和団体:「金が欲しければ基地を受け入れろという政府の差別的な政策に、自治体がいとも簡単に屈服した」

    プロ市民:「金に目がくらんだ暴挙だ!」

    この町長と村長、マスコミと平和団体によってカメラの前に引きずり出され、まるで人民裁判のようで気の毒だった。

    やはり、反戦平和じゃメシは食えないと思うのだが、反戦平和団体とマスコミの追求が辛かったのか、当初は記者会見を避けていたようだ。

    ≪・・・会見を行う予定はなく、各首長が個々で対応することをひそかに確認していた。

     各社からの強い要望で、急遽同日午後六時から会見が開かれたもの・・・≫(沖縄タイムス)

    首長たちが手のひらを返すように態度を変えたのには、「金が欲しい」という「物呉ゆ者どぅ御主」が本音だけではない。

    この諺には文字通りの意味の他に、首長としては恐ろしい裏の意味も秘められている。

    沖縄には支配者が自分たちに利益をもたらさなくなったら、自らの手でその支配者を放逐するという革命の論理があり、

    この諺の裏には町長、村長が町民、村民に利益をもたらさなくなったらたちまち放逐されてしまうという厳しい意味が含まれている。

    沖縄がその地政学的に重要な位置にあるため、

    沖縄人はこうして日本や中国、そして戦後は米国という支配権力の間でバランスをとりながら今日までその存在を維持してきた。

    その先祖伝来のバランス感覚のDNAが、「命どぅ宝」と「物呉ゆ者どぅ御主」という相反するの二つの諺に引き継がれて居る。

    揺れ動く首長さんの判断軸にもこのDNAはあると思うのだが・・・。

     

    ■「命どぅ宝」をスローガンにするいかがわしさ■

    とにかく、反戦平和ではメシは食えない。

    物事に表があれば裏もある。 

    光があるところには影がある。

    「君子危うきに近寄らず」と「虎穴にいらずんば虎穴を得ず」は同時に成立する。

    「命どぅ宝」のみを誇大に主張する勢力には胡散臭さを感じる。

    「物呉ゆ者どぅ御主」という現実にも目を向けるべきであろう。

    だって、給料を貰って初めて社長であり、育ててくれてこそ親でしょう。

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    倒産おやじが英雄に 左翼教科書がドサクサ再建

    2007-11-14 07:28:10 | 教科書

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    自虐批判で一度は倒産 信念貫き新社再出発

    教科書への愛情を語る日本書籍新社の池田剛さん=東京都文京区の日本書籍新社

     【東京】「自虐度が高い」と批判され、その後倒産した教科書出版社の編集者が曲折を経て再び出版社を設立した。日本書籍新社顧問の池田剛さん(63)。同社の教科書は、沖縄戦の「集団自決」について「軍は手榴弾を配るなどして集団的な自殺を強制した」と軍強制を明確にしている。「たった3行の文章でも、そこには執筆者や編集者の思いが詰まっている」。教科書の記述の大切さを、池田さんは身をもって感じている。
    採択激減
     前身の日本書籍は、歴史教科書で「中国侵略」「従軍慰安婦」などの用語を使い、日本軍の戦争責任を明確化していた。都市部に強く、1990年代の採択部数は歴史だけで約23万冊。東京は全23区で採択され、歴史分野の大手としての地位を保っていた。
     97年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、「日本書籍は自虐度が高い」と批判が始まった。99年に産経新聞が掲載した教科書通信簿では「つくる会」の書籍を扱う扶桑社は五段階評価で「5」、日本書籍は最低の「1」の評価が付けられた。
     分岐点は4年に一度訪れる教科書採択年の2001年。広島はほぼ全域で不採択となり、全区を抑えていた東京は2区まで激減し、売り上げは半減した。当時取締役編集部長だった池田さんは社内から「責任の一端は編集にある」と追及された。04年1月、会社は倒産した。
     心労が重なり、会社の前で心筋梗塞(こうそく)で倒れた池田さん。しかし株主の共同印刷や執筆者から支援が集まり、子会社として再出発することになった。現在は中学社会だけを扱う。

    証言を聞き取り
     新社になっても、日本軍の責任を明確化する書きぶりは変わらない。沖縄戦について「日本軍にスパイ容疑で殺されたり、『集団自決』を強制された人々もあった」と記し、さらに注釈では「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾を配るなどして集団的な自殺を強制した」と詳細に説明している。編集に当たっては執筆者が沖縄入りし、研究者や体験者から直接聞き取りを行ったという。
     今回の検定問題を池田さんは「今までの検定では通ってきた。何らかの政治介入があったはずだ」と指摘し、「右傾化の流れが後ろ盾になっている。県民大会はすごいパワーだった。新しい証言も出てきた。検定意見の撤回しかない」と話す。
     全国の私立中学約700校中、3割を超す約230校が同社の教科書を使用する。地区の教育委員会が一括で採択する公立と違い、私立は各学校の判断で選ぶことができる。「現場教諭の意見が反映される学校に強い」ことが池田さんの誇りだ。
     新版をつくったとき、重要な記述は編集者と執筆者で30回近く会議を開き、一週間の合宿も行った。「たった3行の記述でも、そこに至るまで相当議論する。子どもたちには真実に触れてもらいたい。頑張る教科書がないといけない」。池田さんは今後も教科書づくりに信念を貫くつもりだ。(与那嶺路代)

    (琉球新報 11/13 10:34)

                         ◇

    会社を潰したおやじが会社を再建する。

    どうでもいいようなネタでも沖縄では社会面のトップを飾る価値があるらしい。

    「11万人」集会を扇情的に報ずる地元新聞。

    それに押されて次次と「記述訂正申請」をする教科書会社。

    ドサクサ紛れに検定意見が付かず訂正も無かった会社まで「更なる訂正」を申請する会社も現れ、事前の5社より1社増えて6社が「訂正申請」をした。⇒非修正の教科書会社も訂正 集団自決検定で第一学習社 (11月9日 19:45)

    一連の教科書騒動を追い風にしたのはこれだけではない。

    このドサクサに再建を計る左翼教科書会社がある。

    事の発端はこうだ。

    左翼おやじの教科書会社があまりの反日的表現に、左翼では人後に落ちない教職員にも見放され倒産してしまった。

    そんな左翼おやじが今回の教科書騒動のドサクサに紛れて新会社で復活するという。

    ただそれだけの話だ。

    だが、これも琉球新報にかかると、まるで正義の味方の奇跡の復活劇のように大々的に社会面トップで飾ることになる。

    左翼出版社にとって沖縄は宣伝費の要らないパラダイスのようなところらしい。

    >前身の日本書籍は、歴史教科書で「中国侵略」「従軍慰安婦」などの用語を使い、日本軍の戦争責任を明確化していた。

    存在もしなかった「従軍慰安婦」などを平気で書くようなデタラメ教科書が、当然のように淘汰されただけの話ではなかったのか。

    >99年に産経新聞が掲載した教科書通信簿では「つくる会」の書籍を扱う扶桑社は五段階評価で「5」、日本書籍は最低の「1」の評価が付けられた。

    デタラメな教科書に例え「1」でも評価が付いただけましというもので、ウソを書く教科書は「マイナス」点が付いてもおかしくない。

    >広島はほぼ全域で不採択となり、全区を抑えていた東京は2区まで激減し、売り上げは半減した。当時取締役編集部長だった池田さんは社内から「責任の一端は編集にある」と追及された。04年1月、会社は倒産した。

    左翼の強い広島で不採択なら他の地域は推して知るべしで、倒産して当たり前でしょう。

    それにしてもよく文科省の検定に通ったもので、むしろその方がおかしいくらいだ。

    琉球新報がこの左翼おやじを英雄のようにが扱う一月前、雑誌『AERA』(2007.10.15号)が、同じくこのおやじについて英雄のように取り上げていた。

    題して「『沖縄集団自決』検定 教科書一筋おやじの怒り」というから笑ってしまう。

    保守ブログの「池内昭夫のヤフーブログ」が雑誌『AERA』の感想を述べておられるので引用させてもらいました。http://blogs.yahoo.co.jp/akio_i1960

    ≪私は昨日,電車の中吊り広告を見て,久しぶりにを駅のキヨスクで買った。「『沖縄集団自決』検定 教科書一筋おやじの怒り」という見出しに興味を持ったからである。が,その中身は散々なものであった。

     このおやじ池田剛(いけだ・つよし)氏は,日本書籍新社(旧・日本書籍)という左寄り歴史教科書を40年も作ってきたベテラン編集者であるという。
     

    中学の歴史教科書を見ると,大手教科書会社が,
    「沖縄の人々は,子どもや,学生をふくめて,多くの犠牲者を出しました」
     などの記述だが,日本書籍新社は,集団自決の記述に注釈をつけ,「手榴弾を配るなどして集団的な自殺を強制した」
     と書いてある。(2007.10.15号,p. 21)

    どうも他の教科書会社が権力に屈して記述を変えたのに対し,自分たちは堂々と記述していることを誇っているらしい。

    が,他の教科書会社が記述を変えたのは,軍が集団自殺を強制したという証言自体に疑義が生じ裁判すら起こっているからである。このことに対する何の反証もなく,<集団的な自殺を強制した>と書き続ける日本書籍新社の神経の方が私には疑われる。これは明らかに事実を記述しようという態度ではない。

    「子供たちが将来中国や韓国に行ったとき,何の歴史も知らず,恥をかかないようにしたい」
    (同)

    私もこの考え自体には賛成である。が,だからこそこれまでのイデオロギーがかった教科書記述に検証を加えることが必要なのである。

     これまでの記述を書き換えることを事実の改竄(かいざん)だと単純に考えるのは,すでにして何らかのイデオロギーに毒されている証拠である。疑義が呈されている問題については,事実をめぐる検証が必要なのである。その検証を拒否して,書き換えはすべて事実をねじ曲げるものであると言うのは学術的ではない。

    (新しい歴史教科書を)つくる会の登場で,教科書をめぐる風向きは変わった。つくる会が展開した政治運動で,教科書会社は記述を自主的に「右ぶくれ」させた。「南京大虐殺」「従軍慰安婦」の記述が消え,日本が固有の領土と主張する「竹島」を地図や写真付きで扱うようになってきた。
    (同)

    「左」の人間から見れば「右ぶくれ」なのであろう。が,自分たちを中心にして右か左かを言うのはあまりにも独善的である。

     事実無根の「南京大虐殺」「従軍慰安婦」が教科書の記述から消えるのはむしろ当然のことであって,これまでそのような記述がなされてきたことにこそ問題があると言えるだろう。中国や韓国の政治プロパガンダ(宣伝)によって,歴史の事実が書き換えられることの方が問題なのである。
     「侵略,加害の歴史と向き合っていかなければ,歴史の教科書にならないだろう。小手先で変えてみたところで生き残れるのか」
     と,池田さんは他の教科書会社の姿勢にも首をかしげる。(同)
    <侵略,加害の歴史>と簡単に歴史を裁断してしまうところに問題もあるが,百歩譲って<侵略,加害の歴史と向き合っていかなければ,歴史の教科書にならない>のだとしても,なかった侵略や加害の歴史に向き合う必要はない。
     日本が一体どのような侵略をし害を加えたのかを一つひとつしっかり検証すれば,これまでのように日本が一方的に悪かったかのような歴史観は払拭されていくに違いない。
     マルクス史観の教科書が,ベルリンの壁崩壊によって修正を余儀なくされている。そういうことなのではないか。≫ AERA教科書一筋おや... より
     
     
    いやはやデタラメ教科書で倒産した会社のトンデモおやじも『AERA』にかかると反骨の英雄になるから驚きだ。
     
    そして『AERA』を読んで早速これを社会面のとトップ記事に仕立てあげる琉球新報のパクリの腕も見上げたものだ。

    沖縄は左翼おやじの最後の楽園なのでしょう。
     
    そういえば、沖縄の大学は怪しげなマルクスかぶれ学者の掃き溜めになりつつある。
     
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    キチガイにペン

    2007-11-13 18:42:34 | 教科書

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    沖縄タイムス 2007年11月11日(日) 朝刊 24面  
     
    新聞使い調べる力向上/NIEフォーラム

     NIE(教育に新聞を)週間を記念し、教育現場での実践を紹介する県内初のNIE実践フォーラムが十日、那覇市天久の琉球新報社ホールで開かれた。県NIE推進協議会(山内彰会長)が主催。報告では、新聞を教材に取り入れている教諭らが教育効果の高さを強調した。中学生がその場で新聞紙面を作るモデル授業も行われ、参加した教員や学生、教育行政関係者など約六十人が熱心に聞き入った。
     協議会アドバイザーの兼松力教諭(与那原中学校)は、前任の長嶺中や東風平中で生徒が記者として地域ニュースを取材し、沖縄タイムス、琉球新報両紙に記事を掲載した取り組みを紹介。「生徒たちの調査能力、コミュニケーション能力が上がり、紙面の裏側を理解したりするメディア・リテラシーの力も付いた」と報告した。

     モデル授業では、長嶺中の三年生四人が両社の移動編集車「ワラビーGO!」と「りゅうちゃん号」を取材し、両車で新聞を作り会場で配った。仲吉輝さんは「その場で新聞ができてびっくりした」と驚き、船道陽子さんは「不安だったが、間に合ってよかった」とほっとした様子だった。

     末吉沙矢香さんは、記者体験について「身近にあるけど詳しく知らないことなどを取り上げた。いろんな反響があってうれしかった」と振り返り、花城鮎美さんは「絵を描いたり、文を書くのが好きなので、新聞記者になれたらいいなと思った」と話した。また石嶺中の新城健教諭と三和中の新垣光史教諭がこれまでの実践を報告した。

     参加した座間味小中学校の大嶺拡教諭は「難しく考えず気軽に取り組めることが分かり、目からうろこが落ちた。学校で実践できるかどうか考えてみたい」と話した。

                                                    ◇

    バカとはさみは使いよう、という言葉がある。

    うまく活用すればその能力を充分に発揮させることが出来るということだが、

    新聞が本来の使命に目覚め社会の木鐸の務めを果たしているのなら、

    学校教育の教材としての潜在能力があることは素直に認めよう。

    だが、振り返って我が地元の沖縄タイムス、琉球新報両紙の最近の狂乱報道を見て、尚且つこれを学校教材に使用するという教師がおればその教師は、狂師の誹りを受けても仕方ないだろう。

    キチガイに刃物という例えがあるが、刃物より危険なペンという凶器で事実を捏造し学校・生徒を狂乱の政治活動へ扇動した沖縄の新聞。

    まさに「キチガイにペン」の例えが相応しいだろう。

    その狂気の報道を学校の教材に取り入れる前に、教師の教育、そして新聞記者の教育が先決ではないのか。

    尤も新聞記者の教育は望み薄。

    だとしたら「触らぬ紙にタタリ無し」だ。

    沖縄の新聞は一切読まないのが一番の教育ではないか・・・これは皮肉ではない。

    全国最低の基礎学力。

    序列をつければどこかの県が最下位の不名誉を浴するのは当然だが、沖縄の最下位はブービー賞を通り抜けてダントツの最下位だという。 

    せめて「普通の」最下位になって欲しいものだ。

    沖縄の学力問題は「有名大学に何に入るか」といったレベルの問題ではない。 

    似て非なるもの、基礎学力の問題なのだ。

    長年、県立工業高校の数学教師を勤めた友人の1人は、四月に新入生に先ず教える事は数学の授業に困らない程度の読み書きだと述懐していた。

    読み書きもままならぬ新入生を高校に迎え、数学どころの騒ぎでは無いと嘆いていた。

    彼が嘆くには基礎学力の無い生徒を高校に送り込んだ中学の責任だという。

    で、中学にその責を問えば、・・・責任転嫁は果てしなく続く。

     

    最近の新聞報道で目に付く記事は「集団」といってもも「集団自決」ではなく、

    「集団飲酒」がやたらと目に付く。

    かくして責任転嫁は家庭環境・社会環境にまで及ぶ。

    生まれた家庭が悪いのか、それとも社会が・・・。
       
    少年7人集団、飲酒補導 八重瀬  (11/11 9:55)

    中高生ら集団飲酒 那覇署補導

    たまりかねて沖縄県議会がこれを決議したと言うから沖縄県議会は決議がよっぽど好きなのだろう。 県議会 未成年飲酒防止を決議  (10/15 16:03)


    仲村教育長が先ずやるべきと学力向上の簡単な施策。

    それは教師や生徒を「政治活動」と偏向新聞から遠ざけること。

    それを事もあろうか、生徒を狂乱の政治活動に扇動した元凶の偏向新聞を学校の教材にするとは。

    こんなことばかりしているから、「教科書にウソを書かないで下さい!」

    と叫ぶ幼稚な高校生が生まれるのだ。⇒授業前10分 教科書検定問題学ぶ/南風原高

    ≪高校生の視点で検定問題を考えようと、国語科の仲村将義教諭を中心に数人の教諭らが沖縄タイムスなどに掲載された記事をピックアップ。八時五十分から十分間の「読書タイム」に、黙読し各自で問題の背景などを考えている。≫(沖縄タイムス)

    左翼新聞を左翼教師が教材に使う!

    ブルブルッ!


    沖縄の新聞を学校の教材に使うには10年いや、20年早いと思う方
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    簡にして明!産経抄の大江批判◆文科省!「示唆」は問題だ

    2007-11-13 08:22:47 | ★集団自決


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    「集団自決」を長年追ってきた産経新聞なればこそ書ける今朝の産経抄。

    簡潔で寸鉄読む人の心を刺す名文。

    是非とも大阪地裁の深見敏正裁判長にも是非読んで欲しいものだ。

    【産経抄】11月13日【2007.11.13 03:51】
     
     沖縄戦について書かれた本の記述をうのみにして、大戦末期、当時の守備隊長らが、住民に集団自決を命令したと、決めつけただけではない。会ったこともない元隊長の心の中に入り込んでしまう。

     ▼「戦争犯罪人」であり「者」は、「あまりにも巨きい罪の巨塊」の前で「なんとか正気で生き伸びたいとねが」い、「かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめた」とまでいう。三十数年ぶりに『沖縄ノート』を読み返して、あらためてノーベル賞作家の想像力のはばたきに脱帽した。

     ▼もっとも、書かれた方はたまらない。個人名がなくても、隊長は島に1人しかいないのだから特定は容易だ。そもそも「軍命令などあり得ない」と、元守備隊長らが、著者の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償などを求めた訴訟を起こしている。

     ▼先週大阪地裁であった口頭弁論で、大江氏側から提出された陳述書を読んでまた驚いた。大江氏は元隊長ら個人に対してというより、当時の日本軍を貫いていた「タテの構造の力」、あるいは「日本人一般の資質に重ねることに批判の焦点を置いて」いるそうだ。

     ▼具体的な命令がなくても、皇民教育を受けていた住民が、最終的にはほかに道がないとの考えを、日ごろから植え付けられていたことも強調する。「すでに装置された時限爆弾としての『命令』」とは、いかにも“純文学的な”言い回しだが、元隊長のコメントに共感を覚えた。「要点を外し、なんとくだらん話をダラダラするのかといやになった」。

     ▼この裁判の意味は、原告の名誉回復にとどまらない。著名作家の想像力によって歴史がつづられ、政治的な圧力で教科書の検定結果が覆ろうとしている。歴史とは何かを問う裁判でもある。

                          ◇

     

     

    【主張】沖縄戦記述 訂正理由「示唆」は問題だ
    2007.11.13 03:53
     沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定問題で、教科書会社が文部科学省の「示唆」を受け、訂正申請の理由を「学習上の支障」としていた。

     訂正申請は、教科用図書検定規則で原則として誤記・誤植や明白な事実の誤りなどに限られる。「学習上の支障」は今回の訂正理由として無理があり、政治的な思惑に押されて訂正申請を受け付けたことを表している。

     こうした訂正申請を認め、検定審議会で再審議することは、検定制度をゆがめることになり、文科省の対応は将来に禍根を残しかねない。

     集団自決の記述をめぐり、来春から使われる高校日本史教科書では、検定意見がつかなかった教科書会社も含め、6社8冊が「学習上の支障」を理由に訂正申請した。

     教科書執筆者らが訂正内容を明らかにした教科書もあり、検定前より軍の命令・強制の記述に踏み込んだものとなっている。

     「学習上の支障」を理由とした訂正申請は検定規則で認められているものの、例えば、検定後に視覚障害者への色彩の配慮や難しい専門用語の脚注の追加の必要性が見つかった場合に限って行われてきた。

     文科省が訂正理由まで教科書会社に「示唆」し、安易に検定意見を翻すというのでは、検定意見に反発があるたびに訂正申請を許すことにもつながりかねない。

     軍民合わせ18万8000人が戦死した沖縄戦では、住民が地上戦に巻き込まれ、渡嘉敷、座間味両島の集団自決を含め多くの悲劇が起きた。検定意見は住民らの証言を否定するものでなく正確な史実の記述を求めたものだ。

     集団自決が軍命令だったとするノーベル賞作家、大江健三郎氏の著書をめぐる訴訟では、9日の大阪地裁の口頭弁論で、原告の1人である元座間味島守備隊長が改めて「死んではいけないと言った」「自決命令は出していない」と証言し、軍命令を否定した。

     軍命令・強制で集団自決したとする記述への訂正申請について、沖縄戦に詳しい専門家は「県民の名誉を汚すことにもつながる。逆に学習上の支障がでるのではないか」としている。教科書は実証ある正確な記述が命だ。ゆがめることがあってはならない。

                         ◇

     

    今、教科書が危険な状況です。

    拱手傍観は日本の将来に禍根を遺します。

    渡海文科大臣、文科省へ抗議のメールをしよう!

    抗議メールはこちら(文科省)へ教科書に対する意見提出窓口(ご意見欄へ)

    textbook@mext.go.jp

     

    【抗議文の一例】

    文部科学省 教科書課御中
     
    前略
     
    産経新聞の報道によると文科省は、軍命令・強制を修正・削除した教科書会社に対し、今回の教科書「記述変更申請」を10月24日の渡海大臣の答弁を根拠に、訂正申請の理由を「学習上の支障」とするよう示唆し、暗に誘導していたとの事。
     
    これに対して断固抗議いたします。
     
    これが事実なら大臣の一言で教科書記述が変えられるということになり、国の教育の根幹をなす教科書制度に政治が介入したことになります。
     
    「日本軍の命令、強制、関与等」は生徒に誤解を与えるだけで、記述は不要です。
     
    高校の歴史教科書には「集団自決」の記述のみで充分です。
     
    教科書記述変更の条件は従前と何ら変わっていないのにも拘らず、変更を認める愚を冒すことは、わが国の将来に大きいな禍根を残すことになります。
     
    断固、これらの申請を却下するよう申し入れます。
     
                              平成19年11月  日
     
    住所
     
    記名
     

    ◆左翼勢力はこんなことをしています。

    「真実隠しは駄目」 はがき1153枚、首相へ送る カメラ  (11/12 16:03)

    負けずにメールを!

     

    ◆関連エントリ:

    緊急!文科省が教科書を売る!  抗議メールを!



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    男はソーキそばを

    2007-11-13 06:50:22 | 食文化
    与那原在住の友人から昨日エントリの「絶品の沖縄そば」にクレームのメールが入った。
     
    地名の付く沖縄そばを羅列し与那原そばを最後につけたのがお気に召さないらしい。
     
    昨日に続いて沖縄そば談義ゆえ、興味の無い方はポチッ!だけしてスルーしてください。
     
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    久しぶりのソバのお話。
     
    ソバの味のついてはオーソリティーである狼魔人さん、Nさんに任すとして控えめにチョット一言。
    まず、狼魔人さんのブログで与那原ソバが最後になっているのに苦言を。
     
    かって、与那原ソバは全国とは言わないが全沖縄に名を馳せたソバであり、各地域から与那原までソバを食べに行くぐらい繁盛したものである。

    私も若いころ、昼休み時首里の職場から仲間と車を2,3台連ね、与那原までソバを食べに行ったものです。

    手打ちソバで具はカマボコと三枚肉そしてネギ、スープはあっさり味で、やっぱり与那原ソバはおいしい、と皆言ったものです。

    しかし、時代とともに観光化の波に乗って各地に観光客を取り込んだソバの店がどんどん出来てきました。

    それとともに、与那原ソバ店は1軒、1軒と消えはじめ、衰退の一途です。

    時代の波に乗れなかったということでしょうか。

    与那原に1軒、大きな店「与那原家」というのがあります。
     
    これについては狼魔人さんが詳しいようですが、本来の与那原ソバの味とは異なっているように思えます。
     
    現在、昔からの与那原ソバ店が2軒残っています。
     
    しかしながら2件とも道路の拡張工事のため、移転を余儀なくされることになっています。
    そのうちの1軒「ひかり食堂」(前に皆で言った店)は東浜(ニュータウン)にこれから出来るスーパー・カネヒデショップにテナントで入るか検討中とのこと。
     
    もう1軒の「辺土名食堂」(僕の同級生が経営)は今月で営業免許が切れることもあり、今月いっぱいで廃業するとのこと。
     
    どんどん消えていく与那原ソバの状況、・・・ただただ寂しい限りです。
     
    廃業と聞けばどこか哀愁を感じながら、かってのラーメン店「太陽軒」(那覇商業高校近く)のように通いたくなるのが人情です。
     
    そういうことで昨日食べてきました。
     
    最後に苦言というか蛇足を一つ。
     
    ソーキそばの「ソーキ」の語源を「正気」と書いてありますが、沖縄方言で竹で編んだ笊(ざる)のことを「ソーキ」ということはご存知でしょう。
     
    その竹の骨組みの様子が「あばら骨」に似ているので。「ソーキ」は笊(ざる)のソーキが語源ではないでしょうか。(与那原在住Mさん)
     
                          ◇
     
      
    なるほど、一昔、いや二昔ほど前までは美味しい沖縄そばといえば確かに与那原そばの名が上位に上がったものだ。
     
    だがご本人が嘆くように今ではその与那原そばも営業しているのは僅かに二店舗。
     
    しかもそのうち一店舗は今月一杯で廃業。
     
    残りの一店舗「ひかり食堂」も与那原そばの聖地・与那原市場通りを追われて新開地の大型スーパーのテナントになる予定だという。
     
    それもあくまで予定であり、決定にあらずというから、ご自慢の与那原そばの運命も今や風前のともし火というとこか。
     
    「ただただ寂しいかぎり」との嘆き節も肯ける。
     
    今でこそ観光沖縄の名物料理ともなっている沖縄そばだが、戦前まではこれを店舗で食する機会は殆どなかったという。
     
    そんな中で与那原町は戦前は隣の大里村の一部だった。
     
    周囲が農業を主体とした寒村だったのに比して与那原地区は交通の要所として商業の栄えた賑やかな「町」であり、
     
    近隣地域から人々が集まる南部でも有数の繁華街だったという。
     
    ちなみに戦前は与那原は那覇と結ぶ鉄道の終点であった。
     
    与那原そば保存会のS氏によると近隣から集散する人々を相手に大衆食堂が出来て其処でそばを提供したのが与那原そばの始まりであり、
     
    歴史的にいうと那覇よりも食堂で提供したのは与那原町のほうが早いという。
     
    もう一つおまけを言うと戦後那覇を中心に栄えた料亭の原型「料理屋」は与那原で最初に営業したという。
     
    現在与那原町の入り口近くで「Y家」という大型沖縄そば屋があり、その店名から伝統の「与那原そば」と勘違いしている人が多いという。
     
    消えかかった「与那原そば」が今更何をいっても虚しいが、「Y家」のそばが旨いかどうかはさて置き、伝統の「与那原そば」とは似ても似つかぬものとはS氏の弁。
     
    ところでMさん、拙エントリの【蛇足】にもクレームをつけている。
     
    ★蛇足2:「ソーキ」: あばら。 ソーキ骨(ブニ)はアバラ骨。肋骨。「ソーキそば」は豚のアバラ骨付き肉が具のそば。
    沖縄では女性に現(うつつ)を抜かすことを、「ソーキ骨を抜かれる」と例えることから「ソーキ」とは「正気」からの訛りだという説もある。

    突然下品で恐縮だが「尻の毛まで抜かれる」という言葉がある。

    男が女の手練手管にかかって有り金を全部とられてしまうことの例えだが、
     
    沖縄語では「蛇足」にいうように,「ソーキ骨を抜かれる」と例える。
     
    骨の無いタコやイカがふにゃふにゃな様子は、女に現(うつつ)を抜かし骨抜き状態を言い得て妙で、
     
    間抜けな男を例えるには沖縄式のほうが的を射てる。
     
    それにユーモアもあると思うのだが・・・、少なくとも、ケツの毛を抜かれるよりはましだとも思う。
     
    さて、「ソーキ」を「正気」から来たというのはあくまで「説」があるというレベルの伝聞、それも主に酒場の伝聞の類ゆえ、その信憑性に責任はもてない。
     
    酒場で流布する伝聞には「ソーキを抜かれる」を更に想像力巧みに「精気を抜かれる」という伝聞もあるが、ある意味この方が酒席では面白い。 
     
    沖縄では、男はソーキ骨が女より一本足らないと信じている女性が今でもいるという。
     
    で、ソーキの本当の語源はというと、M君の「笊(ざる)説」も尤もだと思うが正確なところは良く分からない。
     
    更に流布する伝聞によるとその昔女性を見るとすぐデレデレする嘉陽宗喜(そうき)という男の名が語源ともいうが・・・これも怪しい。
     
    こうなるともはや伝聞というより沖縄の「都市伝説」だ。

    この手の話は酒の肴には好適だが、由来、来歴が不明なところがよ酔い、・・・じゃない、良いのではないか。
     
    【蛇足】
    知らなかったけどこんなのもあるらしい。
     
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    コメント (4)

    緊急!文科省が教科書を売る!  抗議メールを!

    2007-11-12 06:00:22 | 教科書

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    文科省が「学習上の支障」と示唆・誘導 沖縄戦集団自決の訂正申請理由11.10 18:22  

     沖縄戦集団自決をめぐる高校日本史の教科書検定問題で、文部科学省が、軍命令・強制を修正・削除した教科書会社に対し、訂正申請の理由を「学習上の支障」とするよう示唆し、暗に誘導していたことが分かった。

     訂正申請の理由は、教科書会社が決めるもので、教科書検定規則では誤記誤植を原則としている。例外的に認められる「学習上の支障」を訂正申請の理由としたことには疑問の声が多く、文科省の姿勢にも批判がでている。

     集団自決の記述で、検定意見を受けて日本軍の命令・強制を修正・削除した教科書は5社7冊。検定意見がつかなかった教科書も含め、計6社8冊すべてが、「学習上の支障」を理由に訂正申請。軍命令・強制の記述の復活を目指している。

     訂正申請について、文科省では、「教科書会社から手続きの相談を受けた際、『検定規則に当てはまるように』と一般的な説明をした」としている。

     だが、教科書会社の訂正申請に先だって、10月24日の国会答弁で渡海紀三朗文科相は、小宮山洋子衆院議員(民主)の質問を肯定する形で、訂正申請の理由を「学習上の支障」と示唆しているほか、複数の教科書会社は「文科省と相談して決めた」「文科省からの要請を踏まえた」「国会答弁を参考にした」としている。

    「学習上の支障」は、原則的に視覚障害者への色彩の配慮、問題の並べ方の誤り、難しい専門用語に対する脚注の追加-などに限られてきた。これを安易に認めれば、検定意見に反する訂正申請が今後も行われる懸念があり、検定制度をゆるがしかねない。

     中村粲獨協大名誉教授は「軍の強制で集団自決したとなれば、自分の意思で自決した県民の名誉を汚すことにもつながる。逆に学習上の支障がでるのではないか」とし、「学習上の支障」は今回の訂正申請の理由に該当しないと指摘している。

         ◇

    ■訂正申請

     文部科学省の検定で合格した教科書の訂正は、同省の省令「教科書検定規則」が規定している。13条の第1項では誤記、誤植、脱字、誤った事実の記載、客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実の記載-がある場合に訂正を義務づけている。第2項では学習を進める上に支障となる記載、更新を行うことが適切な事実や統計資料の記載、変更を行うことが適切な体裁-がある場合に訂正できるとしている。(産経新聞)

                                                     ◇

    ■「11万人」の幻影に怯える文科大臣■

    「11万人集会」の幻影に怯えたのか、文科省は国の名誉を安易に売り渡そうとしている。

    教科書会社の「訂正申請」を受け付けるのではなく、

    文科省自ら教科書会社に申請するように働きかけたと言う。

    > 文部科学省が、軍命令・強制を修正・削除した教科書会社に対し、訂正申請の理由を「学習上の支障」とするよう示唆し、暗に誘導していたことが分かった。

    >訂正申請の理由は、教科書会社が決めるもので、教科書検定規則では誤記誤植を原則としている。例外的に認められる「学習上の支障」を訂正申請の理由としたことには疑問の声が多く、文科省の姿勢にも批判がでている。

    文科省の方から暗に示唆,誘導したとなると、「訂正申請」を希望していない教科書会社に対しても、それこそ文科省の(広義の)「訂正命令」になるのではないか。


    ■寝た子を起こした文科大臣■

    >・・・渡海紀三朗文科相は、・・・訂正申請の理由を「学習上の支障」と示唆しているほか、

    >複数の教科書会社は「文科省と相談して決めた」「文科省からの要請を踏まえた」「国会答弁を参考にした」としている。

    渡海文科大臣の弱腰答弁で、「その気」の無かった教科書会社まで「その気」になってしまっている。

    その証拠に、当初検定意見が付いて訂正した教科書会社は5社だったはずだ。

    だが、沖縄タイムス報道によると訂正申請した会社は1社増えて6社になっているではないか。 (検定合格社も訂正申請/全6社「軍の強制」記述

    検定意見が付かなくて訂正も無かった第一学習社が、

    ドサクサ紛れに訂正申請をしたのだ。

    非修正の教科書会社も訂正 集団自決検定で第一学習社 (11月9日 19:45)

    これを世間では、寝た子を起こしたと例える。

    大臣自ら寝た子を起こしてどうする気だ。


    ■「その日」(9/29)を境に態度豹変■

    「11万集会」が行われる前日の9月28日、文科省は記述訂正申請は「今回の場合なじまない」と拒否の態度を示していた。

    「今回の場合なじまない」 文科省教科書課 

    ・・・文科省教科書課は28日・・・「訂正勧告の制度は市町村合併など客観的に見て明らかな事情の変化などがあったにもかかわらず、教科書発行者が記述訂正に応じない場合に行われるものだ。 今回の場合、制度上なじまない」と説明している。 同制度は1989年に創設。 「事情の変更」が発生した場合、通常は教科書出版社が自主的に訂正申請を行う。 同制度に基づく大臣勧告は一度も行われていない。(琉球新報 2007年9月29日ーウェブサイトには載っていない)
     
    それが、「11万人集会」の後はこの豹変振りだ
     
    教科書会社の暴走に文部次官が不快感を示したのはパフォーマンスだったのか。文科次官が不快感 教科書訂正申請内容公表  

    >逆に学習上の支障がでるのではないか」とし、「学習上の支障」は今回の訂正申請の理由に該当しないと指摘している。

    >軍の強制で集団自決したとなれば、自分の意思で自決した県民の名誉を汚すことにもつながる。

    教科書会社、執筆者そして文科省も県民の名誉や国の名誉に一顧だにしていない。


    ■誤解を与えない教科書■

    「学習上の支障」をなくする一番の方法は、

    「集団自決」は記述しても「軍の命令、強制、関与」等、

    誤解のおそれのある記述は一切しないことだ。

    これで「学習上の支障」は一切無くなるはずだ。

    「集団自決」の事実の記述だけで、どんな「学習上の支障」があると言うのだ。

    少なくとも高校の歴史教科書は「集団自決」があった事実の記述のみで充分である。

    それ以上の勉強がしたければ大学なり大学院に進んで専門に勉強すれば済むことだ。

    検定で合格した教科書の訂正は、省令「教科書検定規則」の規定に従って行われる。

    >13条の第1項では誤記、誤植、脱字、誤った事実の記載、客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実の記載-がある場合に訂正を義務づけている。

    今回の訂正申請はこれには該当しない。

    >第2項では学習を進める上に支障となる記載、更新を行うことが適切な事実や統計資料の記載、変更を行うことが適切な体裁-がある場合に訂正できるとしている。

    文科省はこの第2項で何とか教科書会社の訂正申請にすり合わせを目論んでいるようだが、今回は「適切な事実や統計資料の記載、変更を行うことが適切な体裁」に該当しないことは明白だ。


    ■法に基づき粛々と■

    日本は法治国家である。 

    法に基づいて粛々と処理すれば教科書から国民に誤解を与える記述は消えるはずだ。

    教科書に対する意見提出窓口

    現在の教科書制度は次のように行われています。
    教科書検定制度上、学習指導要領の範囲内で教科書に具体的にどのような事項を取り上げ、それをどのように記述するかは教科書発行者の判断に委ねられています。従って、学習指導要領に具体的に示されていない事項について検定で教科書に記述を求めることはできません。
    また、検定済教科書について訂正ができるのは、教科用図書検定規則により、次のような記載がある場合に限られます。
    1 誤記、誤植、脱字又は誤った事実の記載
    2 客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実の記載
    3 学習を進める上に支障となる記載
    4 更新を行うことが適切な事実の記載又は統計資料の記載
    5 変更を行うことが適切な体裁
    これらに該当すると認められる場合に、お寄せいただいたご意見等を踏まえ、具体的にどのように修正等を行うかは、各教科書発行者が主体的に判断することとなります。

    各教科書会社においては、訂正を行おうとする場合、文部科学大臣に申請し、その承認を得ることが必要となります。

     

    ■抗議のメールを!■

    渡海紀三朗文科相は、小宮山洋子衆院議員(民主)の質問を肯定する形で、

    >訂正申請の理由を「学習上の支障」と示唆しているほか、複数の教科書会社は「文科省と相談して決めた」「文科省からの要請を踏まえた」「国会答弁を参考にした」・・・

    文科省の姑息な訂正行為は教科書を売国勢力に売り渡すことだ。

    国民の目は節穴ではない!

    教科書を歪曲しようとする勢力に土下座する、

    渡海文科大臣文科省へ抗議のメールをしよう!

    抗議メールはこちら(文科省)へ教科書に対する意見提出窓口(ご意見欄へ)

    textbook@mext.go.jp

     

    【追記:抗議文例】

    文部科学省 教科書課御中
     
    前略
     
    産経新聞の報道によると文科省は、軍命令・強制を修正・削除した教科書会社に対し、今回の教科書「記述変更申請」を10月24日の渡海大臣の答弁を根拠に、訂正申請の理由を「学習上の支障」とするよう示唆し、暗に誘導していたとの事。
     
    これに対して断固抗議いたします。
     
    これが事実なら大臣の一言で教科書記述が変えられるということになり、国の教育の根幹をなす教科書制度に政治が介入したことになります。
     
    「日本軍の命令、強制、関与等」は生徒に誤解を与えるだけで、記述は不要です。
     
    高校の歴史教科書には「集団自決」の記述のみで充分です。
     
    教科書記述変更の条件は従前と何ら変わっていないのにも拘らず、変更を認める愚を冒すことは、わが国の将来に大きいな禍根を残すことになります。
     
    断固、これらの申請を却下するよう申し入れます。
     
                              平成19年11月  日
     
    住所
     
    記名

    【追記】2:こんなことをしています。

    「真実隠しは駄目」 はがき1153枚、首相へ送る カメラ  (11/12 16:03)

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