狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

首相の靖国参拝は結局何だったの

2006-08-30 08:55:12 | 県知事選
 小泉首相が靖国参拝をした8月15日前後。
 
マスコミはテレビ・ワイドショーは勿論のこと産経以外の大手新聞はこぞって首相の靖国参拝に反対した。
 
そして夏の高校野球の熱気とともに、靖国の「熱狂と偏見」は静寂に戻った。
 
来年の夏まで靖国騒動はやわらぐだろう。
 
だがマスコミには虚偽の仮面を剥ぎ取る理性を持ち合わせていない。
 
又来年の夏がくれば「熱狂と偏見」に満ちた靖国騒動が再燃するであろう。
 
メディアは虚偽の仮面をかぶり直して。
 
もったいぶって難解な表現をしているのではない。
 
パール判事の言葉を借用してメディアの「熱狂と偏見」に満ちた「虚偽の仮面」を皮肉ったまで。
 
パール判事とはいうまでもなく「東京裁判」のインド代表判事ラダビノード・パール博士のこと。
 
この裁判で11人の判事のうちただ一人、被告全員無罪の判決(少数意見)を下した判事である。
 
靖国神社の境内にそのパール博士顕彰がある。
 
その碑文にいわく、

≪時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には

その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに

そのところを変えることを要求するであろ

 

大手新聞社説

 
 ★参拝反対
 
                    ◇
 
東海新報 ☆★☆★2006年08月29日付
 
 首相の靖国参拝とは結局のところなんだったのか?参拝すれば中国、韓国との冷え切った関係がさらに悪化し、深い断層ができるだろう、とマスメディアはほぼ一致して解説していた▼にもかかわらず、直後の世論調査は参拝賛成が反対を上回り、それ以前の調査とは反対の結果が出たのである。そして猛反発するはずだった中韓の反応も、あっけないほど鈍かった。これはなにを意味するのだろうか。誤解を恐れずにいわせていただけるなら、これはメディアというものが事の本質を見誤っていたという他はない▼つまり参拝が中韓にいまわしい思い出を蘇らせるという決まり文句は、表層をなぞっているに過ぎず、本心は別なところにあるということ。そして反対が賛成を上回っていた国民世論というものも、実はメディアのリードによってムード的に醸成されてきた一面も否定はできない▼誰だって隣人とは仲良くしたい。国もそうであり、事実これは戦後日本の一貫した風潮だった。だからこそ「冷静に」、「まず対話」というのが大切なキーワードとされてきた。靖国問題も同様で、産経のみが賛成、他はおしなべてというよりこぞって反対していた。多彩な言論を重んじる民主主義国家にとって、これは当のメディアがもっとも嫌う“大政翼賛”的狭窄症状である▼誰も戦前回帰など望まず、小泉さんにも他意があるわけではない。戦没者を悼むために日本には日本の流儀があり、これはどの国であろうと不可侵の領域なのである。その流儀にのっとった小泉さんの姿を見て、国民も本来の心を取り戻したということではないか。中韓との関係は大事だが、拠って立つ基盤まで失ってはならない。守るべきは守る。通すべき筋は通す。それだけの話である。
 
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歴史を変えた一冊 「ある神話の背景」

2006-08-29 19:27:33 | ★集団自決
沖縄戦における日本軍の残虐さを「鉄の暴風」で叩き込まれた若き日々。 
 
そして、沖縄戦を描いた著名人の著作が少なかった当時、大江健三郎の「沖縄ノート」は衝撃だった。
 
偶然本屋で出会った曽野綾子著「ある神話の背景」や「生贄の島」は更に衝撃的だった。
 
軍と行動をともにした新聞記者がその真相を克明に記録した沖縄戦記の古典的名著とされる「鉄の暴風」に対して、物語の創造が本業の作家が著した「ある神話の背景」。 ある種の予断を持ちながらも貪り読んだ。
 
だが予断は木っ端微塵に打ち砕かれた。
 
目からウロコが落ちるとはこのことかと思った。
 
≪当時私はまだ30代で若く体力があったことと、作家になって15年以上が経過していたので、いくらか自分で調査の費用を出せるという経済的余裕があったことが、この調査を可能にしました。」≫
 
このような曽野さんの実証的ドキュメンタリー記述に圧倒され、そして感動した。
 
現地調査の中で「鉄の暴風」が伝聞を元に書かれていたことが結果的に暴かれる事になった。
 
それから曽野さんの長い戦いが始まった。
 
私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。≫
 
≪グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。≫
 
≪渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。≫
 
鉄実地調査もせず伝聞で書かれた「鉄の暴風」。
 
それを鵜呑みにした大江健三郎氏は「残忍な日本兵」と言う予断で赤松大尉を断罪し「沖縄ノート」を著した。
≪『沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物』は第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです。≫

≪当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました。≫

沖縄戦史最大の謎に光を当てた名著「ある神話の背景」がタイトルを変えて復刻した!
 
                   ◇
  



 沖縄戦集団自決の真相に迫った作家、曽野綾子さんの『ある神話の背景』が復刻され、二十二日、WAC文庫から『沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実』というタイトルで発売される。

 『ある神話の背景』は曽野さんが昭和四十年代半ば、沖縄県渡嘉敷島の集団自決について現地で取材した結果をまとめたノンフィクション。

 それまでは、沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』などにより、集団自決は旧日本軍が命令したとされてきたが、曽野さんはこの“旧軍命令”説に初めて疑問を投げかけた。

 『ある神話の背景』は四十八年、文芸春秋から単行本が出版され、その後、PHP研究所で文庫本化されたが、いずれも絶版となり、入手が難しくなっていた。

 沖縄戦集団自決をめぐる“旧軍命令”説は現在も、大江健三郎氏の『沖縄ノート』(岩波新書)や歴史教科書などで独り歩きしている。

 昨夏、同島守備隊長の遺族らが大江氏らを相手取り、名誉回復を求める訴訟を大阪地裁に起こしている。


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沖縄に住む事は「情報異空間」に住む事

2006-08-29 11:28:51 | ★集団自決

まるで別世界の出来事のようだ。

沖縄県に住むことは「情報異空間」に住むことなのか。

一昨日産経新聞が沖縄渡嘉敷島の「集団自決」に関する重要証言報道があったのがまるでウソだったかのような今朝の沖縄メディアの沈黙振り。

証言報道の翌日は沖縄では琉球新報、沖縄タイムス二紙揃って休刊日だったので、昨日の夕刊がそれぞれスルーしたことは良しとしよう。

だが一日間をおいた今朝の朝刊でも一行も報じないとは。

日頃、やれ言論の自由だ、やれ知る権利、知らせる権利だと声高に叫ぶ姿はどこに消えたのか。

自分の主義主張にそぐわない報道は封殺するのが報道の自由なのか。

ことは沖縄戦史の謎の部分に関わる重要人物(当時の琉球政府担当職員)の生々しい証言である。

自分に都合が悪い情報だからといって、沖縄県民を「情報異空間」に追い込む権利は無かろう。

他の地元メディアはともかく、杜撰な伝聞取材の「鉄の暴風」の出版により「集団自決」問題の火付け役を果たした沖縄タイムスまでもが昨日の夕刊は「集団自決」新証言については完全スルーである。

そして今朝の朝刊もネット記事に関する限り完全スルー。

「鉄の暴風」を出版した沖縄タイムスはある意味で当事者ではないのか。

今までの運動の根拠を根底から覆す新証言対策の為の会議、会議でで記事を書く暇がないのか。

「集団自決」を集団死と言うのか、集団自殺と表現するかは別にして、沖縄戦で多くの住民が集団で自らの命を絶ったことは事実であり、これについては議論の余地は無い。

戦後60年に渡って激しく論議されてきたことは、これが「軍の命令でなされたかどうか」の1点に尽きる。

「軍命令があった」と主張するグループは去年の時点で既に自分達の主張の論拠が崩れ出したことを察知していた。

先ず去年の6月5日、東京都内で「沖縄平和ネットワーク首都圏の会」を開催した。

『2005年6月6日(月)「しんぶん赤旗」によると、次のようなことに危機感を募らした。

沖縄戦の「集団自決強要」
教科書から削除狙う 「つくる会」副会長ら
体験者や作家ら集会で批判

「軍命令は無かった」ということが露見する事を予感するかのように60歳の元高校教師を証言者に引っ張り出して「・・・軍の直接の命令がなかったとしても、それまで軍の命令を伝えていた役場の職員などが命じれば住民は従う。強要であることにかわりはない」と苦しい予防線を張っていた。

その二週間後の6月19日(日)、今度は沖縄の那覇市で「集団自決」が教科書から消えるのを懸念する八つの「平和団体」が緊急集会を持った。

題して「『軍隊の支配する世界』~沖縄戦の『真実』にせまる~」

安仁屋政昭・沖国大名誉教授の「部隊長の直接命令がないから、軍命による『集団自決』はないとはいえない」という発言には、自分達が固執してきた論拠が一つずつ覆されていく焦りが感じとれる。

東京と沖縄で同じ時期に立続けに行われた「緊急集会」に左翼反日グループのあせりを感じる。

両集会で特徴的なのは、あれほど激しく主張してきた「軍命令の存在」にお得意の「広義解釈」を適用して「直接の軍命令の有無は関係ない」とすり替え理論に持ち込む地ならしをしている事。

 谷沢永一関西大学名誉教授が何かの本で言っていた。

現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」

当時の村長、琉球政府職員等関係者が赤松大尉を説得して作った「歴史の捏造」を、現代の豊かな社会にひたった現代日本人の誰が咎めよう。

日本人は惻隠の情を尊ぶ。

政府も今更「捏造で支払った年金を払い戻せ」なんて野暮なことは言わないだろう。

ただ真実の解明こそ無くなった人たちへの一番の供養。

これ以上「鉄の暴風」、「沖縄ノート」に固執し続けたら、これら一握りのグループの面子を護るために沖縄県民全てが大嘘つきのそしりを受けかねない。

                    ◇

しかし照屋証言を認めてしまったら、反日左翼グループが死守してきた「住民を虐殺した残虐非道な日本軍」と「住民を助けた人道的アメリカ軍」という図式が一気に崩れ去ってしまう。

反日グループにとって「集団自決」はもはや真実解明の問題ではない

「集団自決」は残酷非道な日本軍を印象付けるイデオロギー塗(まみ)れのプロパガンダに変質した。

その意味で教科書からの削除は組織を挙げて阻止せねばならぬ。

そのためには「広義の解釈」か・・・。

しかしメディアが沈黙しようと「広義解釈」をしようとも、大江健三郎さんには一言コメントしてもらわなきゃなるまい。

一人の人間・赤松大尉を「人非人」、「人面獣」、「罪の巨魁と「沖縄ノート」で現在も糾弾し続けているのだから。                   
 
 

                      ◇
 
 
沖縄タイムス 2006年8月20日
 
「集団自決」書き換え懸念
揺らぐ教科書の沖縄戦記述/8団体がシンポ
 
 県内八つの平和団体が主催する緊急集会「『軍隊の支配する世界』~沖縄戦の『真実』にせまる~」が十九日、約百二十人を集めて那覇市で開かれた。旧日本軍による「集団自決強要」を否定し、教科書からの削除を主張する自由主義史観研究会の活動を憂慮して企画された。軍の統制下で発生した「集団自決」の背景に焦点をあてながら、沖縄戦の教訓を伝えていく教育の重要性などについて、熱心な発言が相次いだ。
 安仁屋政昭・沖国大名誉教授は講演で、「部隊長の直接命令がないから、軍命による『集団自決』はない」とする同会の主張に対し、沖縄戦の戦場が、民政の機能しない戒厳令に似た「合囲地境」だったと指摘した。

 「役場の幹部が『集団自決』に言及したとしても、住民が『軍命』と受け取るのが事実関係から適当。個々の命令の有無でなく、大局的にみる必要がある」として、軍政下の軍と住民の位置づけを強調した。

 琉球大教育学部の山口剛史講師は「沖縄戦で何を学ぶか」と題した報告で、「集団自決強要は虚構」と結論づける同会の模擬授業を例に、教育現場から反論するための視点を示した。

 会場発言では、沖縄戦の教訓の「ゆらぎ」や教育現場の問題点にまで視点を広げた。

 沖縄戦体験者が「皇民化教育で自ら進んで死ぬことを徹底された。教育の恐ろしさを痛感する」と述べると、小学校の教員は「自分よりも国を重視する教育が進んでいる。現場で上にものが言えない状態がつくられている」と戦前の教育との類似性を指摘した。

 「集団自決」の史実の書き換えの動きを「『沖縄戦の真実』という過去の問題ではなく、教育基本法の改正や教科書採択など現在の問題としてとらえるべきだ」との声や、有事を想定した国民保護計画を例に、「沖縄戦の『集団自決』などの教訓を住民保護最優先の立場から生かしていくべきだ」との意見もあった。

 集会は最後に、「集団自決強要」の削除を求める動きに抗議した上で、教科書や出版物に沖縄戦研究の成果を記述するよう求めることを決議。教科書採択への関心や沖縄戦の認識をさらに高めていくことを確認した。 (略)

     ◇     ◇     ◇     
参考サイト【沖縄・渡嘉敷島の集団自決】はhttp://shupla.w-jp.net/datas/Tokashiki.html


 
 

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渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

2006-08-28 10:21:06 | ★集団自決

 勇気ある証言をした照屋さんの言葉から現れる赤松大尉の像は大江氏の描く残虐非道な「人非人」「人面獣心」や「罪の巨魁」では無く「自ら十字架背負った」心優しき日本の兵隊さんの姿だ。

 最初は匿名証言に拘ったが、「赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。」と語る照屋さん自身にとっても戦後沖縄で生きることは赤松大尉と同じく「十字架を背負った」人生だったのだろう。

照屋さん、良くぞ勇気をもって証言してくださいました。

                  *

渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

 

渡嘉敷島の集団自決を軍命令とした経緯などについて語る照屋昇雄さん=那覇市内のホテル

、≪「大尉は自ら十字架背負った」≫
 
 「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。
 赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。

 戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。

 照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。

 こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。

 ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。

 45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。

 渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。

 同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。

 今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。

 照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。
 
                     ◇

≪照屋昇雄さん「真実はっきりさせようと思った≫

 照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。

 --なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか

 「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」

 --当時の立場は

 「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」

 --渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか

 「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」

 --その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか

 「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」

 --ではなぜ集団自決をしたのか

 「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」

 --集団自決を軍命令とした経緯は

 「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」

 --赤松元大尉の反応は

 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」

 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」

 --住民は、このことを知っていたのか

 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」

 --あらためて、なぜ、今証言するのか

 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」
産経新聞【2006/08/27 東京朝刊から】
(08/27 12:18)
                     ◇
 
曽野綾子さんが大江健三郎氏の「沖縄ノート」に疑問を持ち、「ある神話の背景」を書くに至った経緯については、「司法制度改革審議会の議事録」が参考になる。
 
以下に一部抜粋引用。
34回司法制度改革審議会議事録
第34回司法制度改革審議会議事次第 日 時:平成12年10月16日(月) 9:29 ~12:10 場 所:司法制度改革審議会審議室
出席者
(委 員) 佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、木 剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本 勝、吉岡初子
(事務局) 樋渡利秋事務局長
 
【曽野委員】
過日ちょっと触れましたが、私は過去に書きました数冊のノンフィクションの中から、一つの作品を例に引いて、その作業の困難さをお話ししたいと思います。
 
 ここに持参いたしましたのは『或る神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』という本です。この話は、終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件です。当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130 人が、ベニヤ板の船に120 キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊としていました。
 
 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。
 
自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。
 
 当時の資料を列挙しますと、
1)沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』
2)渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』
3)渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』
4)岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)
5)時事通信社刊『沖縄戦史』(上地一史著)
6)沖縄グラフ社『秘録沖縄戦史』(山川泰邦)
7)琉球政府『沖縄県史8(沖縄戦通史)各論篇7』(嘉陽安男著)
8)岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)
9)平凡社『悲劇の沖縄戦』「太陽」(浦崎純著)
 などがあります。
 
これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。
 
 私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するなら、作家として会ってみておきたいという無責任な興味からでした。
 
私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚関係にもなかったので、気楽にそう思えたのです。もちろんこの事件は裁判ではありません。
 
しかし裁判以上にこの事件は終戦後25年目ころの日本のジャーナリズムを賑わし、赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。
 もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。
 
グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました
渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。
 
大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。
 
 当時私はまだ30代で若く体力があったことと、作家になって15年以上が経過していたので、いくらか自分で調査の費用を出せるという経済的余裕があったことが、この調査を可能にしました。
 
 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした
 
第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること
 
また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。
 
つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。
 
 第二に、資料です。
 先に述べました資料のうち、1~3までを丁寧に調べていくと、実に多くの文章上の類似箇所が出てきました
 
今で言うと盗作です
 
ということは一つが原本であり、他の資料はそれを調べずに引き写したということになります
 
それをさらに端的に現しているのは、これほどの惨劇のあった事件発生の日時を、この三つの資料は揃って3月26日と記載しているのですが、戦史によると、それは3月27日であります。
 
人は他の日時は勘違いをすることがありましょうが、親しい人、愛する者の命日を偶然揃って間違えるということはあり得ません。
 
 つまり「沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物」は第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです。
 
 当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました
 
この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった、と言ってはいません。
 
ただ今日までのところ、その証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」と答えたのを覚えています。しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。
・沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会

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「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決

2006-08-28 07:43:20 | ★集団自決

渡嘉敷島の「集団自決」について当日記では「『鉄の暴風』(沖縄タイムス社刊)』の間違った記事が一人歩きして誤報が教科書にまで載った例だと再三述べてきた。

「従軍慰安婦」と同じパターンである。

誤報元の『鉄に暴風』が、例えば「梅沢ごときは、朝鮮人慰安婦二人と不明死をとげたらしい」といった明らかな事実誤認の部分を削除したにもかかわらず、ノーベル賞作家・大江健三郎著「沖縄ノート」(岩波書店)は訂正もせずに「軍命令を出した」として赤松大尉を鬼畜のように断罪し続けた。

以来、半世紀に渡って沖縄の「集団自決」と言う言葉は、沖縄戦における「住民を助けた米軍」に対して「残虐非道な日本軍」を象徴する言葉として生き続けた。

又この「事件」は著名作家である大江健三郎、曽野綾子両氏を巻き込んで大きな論争を引き起こした。

いや、正確に言えば沖縄タイム刊『鉄の暴風』を鵜呑みにした大江氏の「沖縄ノート」に対して疑問を持った曽野氏が現地調査の結果「軍の命令があったと言う証拠は無い」とその著書「ある神話の背景」で書いたと言うのが正しい。

半世紀以上の時の重みを破って「軍の命令は無かった」と言う最重要人物の新証言が出た。

その最重要証言者とは、

終戦直後の昭和20年代後半から琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった人。

琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた照屋昇雄さん(82)。

照屋さんは「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。

遂に沖縄戦史最大の謎に最重要証言者が現れたのだ。

照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。

今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った

人間人生の残りが少なくなると真実を隠しとおせないのであろう。

曽野綾子氏が綿密な現地調査の結果「軍命令あったという証拠は無い」と言った論旨で「ある神話の背景」(文芸春秋)を書いた当時、

地元二紙の猛烈なバッシングを受けた。かみそりの刃の入った封筒などが沖縄から送られてきたとも聞く。

名前を明かしたら沖縄では生きていけない・・・」と言う照屋さんの言葉は沖縄在住の者にしか分らない真実味が伝わる。

                  ◇

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん

08:37

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん 

 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。
 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英)
                  ◇


【用語解説】渡嘉敷島の集団自決
 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。


【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法
 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。(産経新聞)1006年8月27日
                  ◇

 

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小泉首相が変えた北朝鮮の呼称

2006-08-27 08:00:57 | 県知事選

「目からウロコ」の例えがピッタリの愛読メルマガがある。
(国際派時事コラム「商社マンに技あり!」 http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/

以下その最新号の引用。

≪世に言う「北朝鮮」のことをこの配信で「朝鮮国」と呼び続け
ているのは、長年の読者がご存知のとおり。

 「南朝鮮」という概念が流布しているわけでもないのに、何の
「北朝鮮」か。

 「朝鮮国」と「韓国」という2国が「朝鮮半島」に並存し、国連
に並列加盟しているという現状。
  この2国分立状態を「異常事態」と見なすイデオロギーが、
「北朝鮮」という言い方にはぷんぷん臭うのですな。

  朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国を簡称するなら、北だ南だ
ということなく、「朝鮮国」「韓国」が素直でしょうよ。≫

なるほど! 朝鮮国にわざわざ北を付ける理由はどこにも無い。

その瞬間ウロコが一枚剥げ落ちた!

そういえばメディアがその「北朝鮮」と言う呼称さえ堂々と言えるようになったのはつい最近のこと。

少なくとも小泉首相の「朝鮮国」訪問までは、メディアは「北朝鮮 朝鮮民主主義共和国」と長ったらしい呼称を平気で垂れ流していた。

あえて略称を使う朝鮮国親派は「共和国」と言っていった。

ここでウロコをもう一枚。

何が共和国だ、何が民主主義だ。

金王朝じゃないか。

任期終了直前で小泉改革の功罪が連日テレビのネタになっている。

が、これまでタブーとされていた朝鮮国の神秘の扉をこじ開けて腕を突っ込んでかき回したこと。 これはどう見ても「功」だろう。

その結果少なくとも金正日に拉致の存在を認めさせたこと、

複数の家族が帰国できたこと。

その結果国内の朝鮮国関連団体に対する「不当な優遇策」にメスが入れられ始めたこと。

これだけを取り上げても小泉改革は歴史に残る。

今朝の産経も朝鮮国のタブーに挑戦した船橋市の英断を報じている。

先に「朝鮮総連」の固定資産税減免廃止を決定した横浜市役所や東京都庁などに今月18日、脅迫文が送りつけられておるとのこと。

それ以後で減免廃止を打ち出す自治体は初めてというから、・・・・。

東京都や横浜市もえらいが、強迫にも負けない船橋市はエライ!

                    ◇


朝鮮総連施設の税免除を撤廃 船橋市方針 2006年8月27日 03:46
 
 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関連施設の固定資産税などの支払いを減免する措置を千葉県船橋市が廃止し、平成18年度分から徴税する方針を固めたことが26日、分かった。減免措置の廃止をめぐっては、廃止を表明した横浜市役所や東京都庁などに今月18日、脅迫文が送りつけられおり、それ以後で減免廃止を打ち出す自治体は初めて。
 船橋市は総連千葉県西部支部(約160平方メートル)について、16年度から固定資産税と都市計画税を免除していた。免除額は年間数十万円とみられる。
 総務省の調査に対し、これまで船橋市は「減免継続」と回答していたが、熊本朝鮮会館への熊本市の減免措置の取り消しを命じた今年2月の福岡高裁判決などを踏まえ、減免の前提となる公共性が総連施設に認められないとして、方針を転換することになった。
 7月には、北朝鮮のミサイル発射を受けて横浜市が減免措置の取り消しを表明。一方で札幌市や長野県松本市が減免措置を続けるなど対応は分かれている。

<産経新聞>

 

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汚物強盗逃亡す 「クサイ奴を追え!」

2006-08-26 09:01:29 | 県知事選

昨夜のテレビ。

ミステリー作家・故山村美沙と同じくミステリー作家・西村京太郎の「愛」そして山村美沙のご主人を加えた「三角関係」・・・と言えばあまりにも通俗的だがこの三人の織り成す世俗の愛を超越した愛の物語には驚きを超えて感動さえ覚えた。

 この三人の愛の物語の経緯にはここでは触れまい。 

凡人が触れると話が卑しくなる。 あえて一言言わせて貰えば、

 ≪事実は小説より奇なり

いずれご本人の西村京太郎さんが俗世を越えた二人の男と一人の女の愛の物語を書いてくれると期待したい。

                      *

 作家でもない凡人の想像力なんてしれたもの。

 強盗と言えば凶器で相手を脅して金品を奪うもの、そして凶器といえば拳銃に刃物と、この程度で凡人の想像力は枯渇する。

小説や映画に出てくる強盗も大体このパターン。

 だが、現実では銃刀法の厳しい日本では凶器を選ぶのにも苦労するらしい。

切羽詰った強盗は何でも凶器に応用するらしい。

ボールペン突きつけ「金出せ」 容疑で男逮捕 

泉佐野 2006年08月25日  

25日午前7時55分ごろ、大阪府泉佐野市日根野のコンビニエンスストア「セブンイレブン泉佐野日根野駅前店」に男が押し入り、女性店員(38)にボールペンを突きつけ「金を出せ」と脅した。女性が店の奥に逃げると、男は何もとらず逃走。泉佐野署が約30分後に西へ約100メートル離れたJR日根野駅の上りホームで男を見つけ、恐喝未遂の疑いで緊急逮捕した。調べでは、男は住所不定、無職千葉裕之容疑者(48)。「生活費に困ってやった」と供述しているという。

 ◆敦賀のアイフルに強盗  日刊県民福井 2006年8月25日

 14万8000円奪った男逮捕 店内にガソリン?液体まき脅す

 白昼に犯行があったアイフル敦賀店=24日午後、敦賀市本町2丁目で  二十四日午後二時三十五分ごろ、敦賀市本町二丁目の消費者金融「アイフル」敦賀店に男が押し入り、ペットボトルからガソリンのような液体をカウンターにまいてライターを見せ「金を出せ」と脅した。男は女性店員が差し出した十四万八千円を奪ったが、店内にいた男性客に取り押さえられ、駆けつけた敦賀署員に強盗の現行犯で逮捕された。  同署の調べでは、男は滋賀県木之本町大音、運転手高森哲也容疑者(49)。≪略≫

◆女児抱え「金出せ」名古屋で刃物強盗、男逃走 

23日午前11時ごろ、名古屋市南区、会社員臼井重喜さん(46)方に刃物を持った男が侵入。里帰りしていた長女の西島美喜さん(22)の娘で生後約1カ月の涼夏ちゃんを抱え、西島さんと臼井さんの二男純基さん(18)の2人を脅してもみ合いになり、約5万円とキャッシュカードを奪って約15分後に逃げた

 ボールペンを突きつけ れた女店員、・・・そりゃー逃げるでしょう、ボールペンなら。

 同じ凶器とは言ってもボールペンなら人によっては笑ってしまうだろうが、これがガソリンともなると事は大事になる。

火付け盗賊改め「鬼平」の登場願わねばなるまい。

名古屋で起きた刃物強盗などは、現場にいた女児を抱え「金出せ」と言ったそうだから、強盗仁義も地に落ちたものだ。  

女児は凶器じゃないっちゅの。

でもここまでは切羽詰った強盗が在りあわせのものを凶器に転用した気持ちはなんとなく想像がつく。

だが、事実はミステリー作家の想像力をはるかに超える。

現金を扱うパチンコ景品交換所の窓口から突然大型ホウキのようなものに鎮座したウンコを差し出されて「金をだせ」と言われらアナタならどうする、・・・きっと夢と現実の狭間で判断力を失うだろう。 

≪昨夜の安酒がまだ脳に残っているのか≫って。

 それで実際はどうだったかと言うと、「女性従業員(51)がひるんだすきに、窓口近くにあった現金約12万円を奪って逃げたという。

従業員にけがはなかった。姫路署が強盗容疑で調べている。」とのこと。

 「従業員に怪我はなかった」って、やはりウンコは凶器なんだ。 

でもどうやってウンコで怪我するのだろう。

この律儀な強盗、自分のケツは自分で始末するつもりか、「凶器」は現場に残さず持ち帰ったとの事。

 しかし姫路署も大変だ。 

事件の解決は先ず「凶器」の発見と言うから。

でも事件は思ったより簡単に解決するかもしれない。

だって、クサイ奴を探せば済むから。

◆景品交換所の窓口から汚物突き出し現金奪う 姫路 2006年08月25日  

24日午後9時20分ごろ、兵庫県姫路市花田町一本松のパチンコ店「ランドマーク」から「景品交換所に来た男に現金を奪われた」と110番通報があった。

姫路署によると、男が景品交換所の窓口から、突然、汚物のついたほうきのようなものを突き出し、女性従業員(51)がひるんだすきに、窓口近くにあった現金約12万円を奪って逃げたという。

従業員にけがはなかった。姫路署が強盗容疑で調べている。

 同署によると、男は20~40歳くらいで、身長170~175センチ。白い軍手をつけていたという。汚物のついたほうきも持ち帰ったとみられる。

 

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ブッシュ、アーミテージの靖国観

2006-08-25 12:33:16 | 県知事選

会長に加藤紘一氏、自民党「アジア外交研究会」発足  

自民党の加藤紘一・元幹事長、山崎拓・前副総裁らが24日、都内のホテルで「アジア外交のビジョン研究会」の設立発起人会を開いた。

中国、韓国両国との関係改善を進めるのが目的で、衆院議員21人が出席し、会長に加藤氏を選んだ。  

党総裁選で優位に立つ安倍官房長官の外交姿勢に懸念を示す議員が多く、「安倍政権」ができた場合、「非安倍」勢力の受け皿になるとの見方が出ている。(略)(2006年8月24日23時5分 読売新聞)

                   ◇

 小泉首相の8月15日の靖国参拝前後、最もテレビに露出した政治家の一人に加藤紘一がいる。

 これまでも加藤は中国を代弁するかのように、絶えず小泉の靖国参拝に反対してきた。

テレビのトーク番組でも事あるごとに、首相の靖国参拝には「『アジア諸国』だけではなくアメリカも反対している」と言った発言をして、アメリカを靖国問題に引きずり込むような意図を見せていた。

北朝鮮は別格として「アジア諸国」の中で国として靖国参拝に異を唱えているいるのは中国と韓国の二国しかない。 

いや世界で靖国参拝に反対する国はでこの二国以外寡聞にして知らない。

それが常識ある国であり、中韓二国が異常なのである。

加藤紘一はあたかも世界中が「靖国参拝反対」しているかのような印象の発言を垂れ流している。

共産党一党支配で言論の自由を封じられた中国、そして形だけは民主主義の体裁をしていても、親日派の財産を没収するような韓国、・・・この異常な二国と違って、言論の自由の認められた国なら時の政府と異なる意見もメディアに発表される。

 だからこそ日本では加藤紘一のように政府与党に属しながら政府と反対の意見をメディアは取り上げる。

アメリカでも一部の新聞、学者が靖国参拝反対の意見を発表したりするが、これも言論の自由の現れでありアメリカ政府の見解とは別の次元である。

「日本の首相が日本国内の如何なる設備を参拝しようとも中・韓にとやかく言われる筋合いはない。・・・・ 例えブッシュ大統領が参拝を反対しても私は参拝する。  もっともブッシュ大統領はそんな大人気ないことは言わない、・・・」

小泉純一郎首相は靖国神社を8月15日に参拝した後、記者団の「アメリカの言いなりではないか」の質問にそう答えた。

加藤紘一は「小泉首相の靖国参拝( 原因)が日中関係悪化(結果)」と主張するが、ブッシュ大統領及びアーミテージ元米国務副長官の見解はその真逆だ。

 「ブッシュ大統領が『日中関係は単なる神社への参拝よりずっと複雑だ』と述べたように、靖国論議は日中関係を難しくした原因ではなく、難しい状態があることの症候(つまり結果)だ」とアーミテージは産経新聞に語っている。

 つまり日中関係の悪化は原因であり、その結果中国は靖国にいちゃもんを付けているというのだ。

 と言うことは靖国参拝を止めても中国は何か他のいちゃもんをつけてくるとアーミテージはお見通しなのだ。

では日中関係悪化の主要因は何か。

 アーミテージは明快に指摘する。

 「歴史上、初めてほぼ同じパワーの両国が北東アジアという同じスペースを同時に占めるようになったため、安保や領土など多くの問題が起きてきたことだ」

 「過去の歴史では日本と中国のいずれかが総合国力で他方よりもずっと優位にあったのが対等な位置で競合するようになったことが現在の摩擦を引き起こしている」

 遠隔地の国ならともかく、お隣さんでは「両雄並び立たず」との地政学的な見方。

つまり外交と言うパワーゲームは、お隣さんだから仲良くしようといった柔な気持ちでは対処できない厳しいものだと言外に示している。

ブッシュがいみじくも指摘した通り、日中関係は単なる神社への参拝よりずっと複雑だなのだ。

友好、友好だけではやっていけない。

大体、歴史も文化も政治体制も異なる隣国と意見が異なる点が無いほうが可笑しい。

複数の意見の相違点を常に持ちながらパワーゲームに競り勝つのが外交ではないか. 

アーミテージはさらに中国のいいがかりを厳しく断じる。

 「中国政府は日本の首相に靖国神社に参拝するなと指示や要求をすべきではない」

 「民主的に選出された一国の政府の長が非民主的な国からの圧力に屈してはならない。

小泉首相には中国が靖国参拝反対を主張している限り、参拝をやめるという選択はない」

 アーミテージはつい最近までブッシュ政権の東アジア担当の国務副長官、現在民間人とは言えその発言の重みは大きい。

 もっともアーミテージは靖国神社にも一言苦言を呈することを忘れなかった。

 靖国境内にある軍事博物館の遊就館については「戦争に関する一部展示の説明文は日本で一般に受け入れられた歴史の事実とも異なり、米国人や中国人の感情を傷つける」と述べた。

今朝の産経新聞によると、これに対しては遊就館に動きがあったようだ。

                    ◇

 ◆産経新聞

 国・戦史博物館、展示内容変更へ 歴史観が一面的と  

靖国神社が運営する戦史博物館「遊就館」が、館内で展示している第二次世界大戦での米国の戦略に関する記述の一部について、「誤解を招く表現があった」として見直し作業を始めたことが24日、わかった。この記述をめぐっては、遊就館の歴史観に理解を示す言論人からも「一面的な歴史観」との指摘があり、同館としても主観的な表現があることを認め、内容を変更することを決めた。同館展示物の大幅な記述の変更は異例。 内容を変更するのは「ルーズベルトの大戦略」と題して、第二次世界大戦での米国の戦略について触れた部分。  この記述では、まず「大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた」と当時の米国経済の窮状を説明。また、「早くから大戦の勃発(ぼっぱつ)を予期していたルーズベルトは、昭和14年には米英連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた」として、米国内に反戦世論があったことを紹介している。  その上で、「米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」と表現し、米国は国内経済の復興を目的に対日開戦を志向したと解釈できる内容だった。  こうした記述について、同館では4月ごろから見直しの検討を始め、7月ごろから本格的に見直し作業に入ったという。  この記述をめぐっては、元駐タイ大使の岡崎久彦氏も24日付本紙「正論」で、「安っぽい歴史観は靖国の尊厳を傷つける」と指摘、同館に問題の個所の削除を求めていた。岡崎氏は「早急に良心的な対応をしていただき感動している」と話している。 (08/25 03:56)

                    * 

産経新聞 07/20 01:35

靖国参拝、米中の非関与提唱 アーミテージ前米国務副長官に聞く

 ◆ 【ワシントン=古森義久】リチャード・アーミテージ前米国務副長官は産経新聞と会見し、米国の視点から日中関係の現状や靖国問題について語り、中国政府が日本の首相に靖国参拝の中止を指示することは不当であり、米国も靖国問題にはかかわるべきではないとの見解を表明した。 ブッシュ政権一期目に国務副長官を務めたアーミテージ氏は「ブッシュ大統領が『日中関係は単なる神社への参拝よりずっと複雑だ』と述べたように、靖国論議は日中関係を難しくした原因ではなく、難しい状態があることの症候(つまり結果)だ」と語り、日本の一部にある「首相の靖国参拝が日中関係を悪化させた」という主張を排した。日中関係の改善についても「日本よりまず中国が何をすべきかを考えるべきだ」と強調した。 日中関係悪化の主要因としては、「歴史上、初めてほぼ同じパワーの両国が北東アジアという同じスペースを同時に占めるようになったため、安保や領土など多くの問題が起きてきたことだ」とし、過去の歴史では日本と中国のいずれかが総合国力で他方よりもずっと優位にあったのが対等な位置で競合するようになったことが現在の摩擦を引き起こしているとの地政学的な見方を示した。 首相の靖国参拝について、(1)米国社会で犯罪者も丁重に埋葬されるように、A級戦犯も含めて戦没者などの先人をどう追悼するかは日本自身が決めることで、とくに死者の価値判断は現世の人間には簡単に下せない(2)中国は日本への圧力の手段として靖国問題を使っているため、日本側が譲歩して首相の参拝をやめたとしても、必ず別の難題を日本にぶつけてくるだろう(3)小泉首相は公人ではなく私人として参拝することを強調したが、中国側はその「譲歩」を全く認めず、靖国だけを問題にしているのではないことを印象づけた-などという点を指摘した。 アーミテージ氏はさらに「中国政府は日本の首相に靖国神社に参拝するなと指示や要求をすべきではない」と中国の対日要求を不当だと断じ、とくに「民主的に選出された一国の政府の長が非民主的な国からの圧力に屈してはならない。小泉首相には中国が靖国参拝反対を主張している限り、参拝をやめるという選択はない」と強調した。 ただし、靖国境内にある軍事博物館の遊就館については「戦争に関する一部展示の説明文は日本で一般に受け入れられた歴史の事実とも異なり、米国人や中国人の感情を傷つける」と述べた。 同氏は米国の対応についても、「米国政府が靖国や他の戦没者追悼の方法に関して小泉首相やその後継首相にあれこれ求めるべきではない。助言や意見を非公式に述べることは構わないだろう」と非関与を提唱した。    

                    ◇  

《リチャード・アーミテージ前米国務副長官が産経新聞に語った日中関係や靖国問題に関する見解の詳細》

 一、靖国問題は日中間の他の諸問題の症候だと思う。小泉首相の靖国参拝は日中関係を難しくした理由や原因ではない。ブッシュ大統領の「日中関係は単なる神社への参拝よりずっと複雑だ」という言明のとおりだ。中国は靖国を日本への圧力に使っているため、日本がもしこれまでに靖国で譲歩をしたとしても、必ずまた別の難題を持ち出し、非難の口実にしただろう。現に小泉首相は前回の参拝は平服にして、公人ではなく私人であることを強調したが、中国側はその譲歩を全く認めなかった。 

一、歴史上、初めて北東アジアでは日本と中国の両国がほぼ同じパワーを有し、同じスペースを同時に占めるようになった。このため安保や領土など多くの問題が起きてきた。そのことが日中関係を難しい状態にするようになったのだ。それ以前の歴史では両国のいずれかが総合国力で他方よりずっと優位にあったのだが、最近は対等な位置で競合するようになり、それが摩擦を引き起こしている。靖国問題はその症候なのだ。

 一、米国社会では殺人者のような犯罪人までキリスト教などの教えに従い埋葬される。同様に日本でも祖先、とくに戦没者をどう追悼するかは日本自身が決めることだ。その対象にはA級戦犯も含まれる。死者の価値判断は現世の人間には簡単には下せない。中国は日本の首相に靖国参拝中止の指示や要求をすべきではない。米国政府も日本の首相に戦没者追悼の方法についてあれこれ求めるべきではない。見解や助言を伝え、協議することはできるだろう。だがとくに日中関係でいえば、民主的に選出された一国の政府の長である日本の首相が中国のような非民主的な国からの圧力に屈し、頭を下げるようなことは決してあってはならない。

 一、小泉首相には中国から靖国参拝を反対されている限り、その要求に従って参拝をやめるという選択はないだろう。中国は日本の現首相、次期首相の参拝中止が表明されない限り、日本との首脳会談には応じないとして、自らを袋小路に追い込んでしまった。だが次期首相にその条件がそのまま適用されるかどうか。安倍晋三氏はもし首相になっても靖国に参拝するかどうかはわからないままにしている。米国は日中関係に対しては決して中立者ではない。日本は同盟国であり、中国はそうではないからだ。だから米国は靖国の論議の段階では中立を保つかもしれないが、日本が本当に小突き回されれば、日本を支援する。

 一、日本の首相の靖国参拝には問題がなくても、靖国境内にある遊就館の一部展示の説明文は米国人や中国人の感情を傷つける。太平洋戦争の起源などについて日本の一般の歴史認識にも反する記述がある。日本が自国の戦争を記録するための軍事博物館を持つことは大切だが、そこにある記述があまりに不適切なことは日本側でも再考されるべきだ。

 一、日中関係の改善について日本側ではよくそのために日本が何をすべきかという問いかけが出るが、まず中国が何をすべきかということをもっと考えるべきだ。ダンスを踊るには2人の人間が必要なのだ。中国自身が長期の利害関係を考えて、日本を含む隣人諸国ともっと仲よくしようと決めれば、靖国を含め、いろいろな手段がとれる。中国は日本への姿勢を今年3月ごろからいくらか柔軟にし、対決を避けるという方向へ動き始めたかにもみえる。日中外相会談の開催もその一つの兆しだ。

 一、中国は民主化の方向へ動く気配もあるが、なお基本的に一党独裁は変わらず、国内の矛盾や格差も激しくなる一方だ。秘密に包まれたままの軍事体制での軍拡もなお続いている。このまま軍事力を中心とする国力を強めた末、覇権を求める野心的なパワーとなるのか、それとも既存の国際秩序の保持に加わるステークホルダー(利害保有者)となるのか、自分たちもまだわからないのではないか。日米両国は同盟パートナーとして、そのどちらのケースにも備えるヘッジ(防御)戦略を協力して構築する必要がある。    

                    ◇

 《リチャード・アーミテージ氏の略歴》 1967年、米海軍兵学校卒、海軍軍人としてベトナム勤務。73年に退役し、国防総省勤務、上院議員補佐官を経て83年にレーガン政権の国防次官補。2001年から04年末まで国務副長官。現在はコンサルタント企業「アーミテージ・アソシエイツ」代表。

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投票で決まる「天文学」

2006-08-24 07:51:48 | 未分類

文系の学問に比べて理系の学問は、より「科学的」だと思っていた。

 ましてやそれが天文学の領域になると例え学者と言えども個人の意志や、「世論」で「事実」が決まるとは夢にも思っていなかった。

太陽系の9つの惑星が三つ増えて13個になると聞いたのが一週間ほど前の事。

学校で習った「水金地火木土天海冥」という呪文のような言葉が消えるのを淋しく思っていたら、・・・。

 「世論」の動きで最も外側の冥王星の地位が危うくなっている。

 今頃になって「惑星の定義」を国際天文学連合総会で論じていると言うから天文学の素人は驚いてしまう。

その結果では長年9惑星の末っ子として親しまれていた冥王星が仲間はずれにされると言う。

 「・・・の定義」ということは文系学問の得意とするところだが。しっかり「惑星の定義」を決めて欲しい。

日本時間の今夜の深夜から明日未明にかけて、投票による採決の結果が出ると言う。

 なるほど、冥王星の運命は「投票」で決まるんだ。

 

◆惑星「12個」一転8個!? 

冥王星格下げ、きょう採択 2006年8月24日05:34

太陽系の9つの惑星の中で、最も外側の冥王星の“立場”が揺れている。「惑星の定義」を焦点にチェコのプラハで開催されている国際天文学連合(IAU)総会。16日に冥王星を惑星にとどめたうえで3個の新惑星を誕生させる「3増案」が公表されたが、反対意見が続出したために大幅に軌道修正され、冥王星を外して太陽系惑星を8個とする「1減案」が24日の採択にかけられる見通しとなった。(中本哲也) 総会に出席している国立天文台の渡部潤一助教授からの報告では、「3増案」に対しては多くの反対意見が挙がり、「そもそも惑星の定義など必要ないのでは」という意見まで飛び出したという。 議論の中心は、3増案で冥王星と2個の新惑星候補に付けられた「プルートン(冥王星族)」という新しい分類を、地球や火星などと同じ惑星とみなすかどうか。結局、冥王星を惑星にとどめる方向では、合意は得られないと判断した。 「1減案」では惑星の定義を、(1)恒星の周りを回り自己の重力で球形となった天体(2)軌道上で「圧倒的に大きい天体」-の2項目を満たすものと規定した。(1)は「3増案」を継承したものだが、(2)の条件が加わったことで、冥王星や新惑星候補とされた3天体は惑星とはみなされなくなる。                 ◆◇◆  冥王星は1930年に米国人のクライド・トンボーが発見した。細長い楕円軌道で公転面が水星から海王星までの8惑星に比べて大きく傾いている。軌道の一部は海王星と重なり、79年から99年にかけての20年間は海王星の内側に位置した。 「冥王星を惑星とみなすかどうか」は90年代にも議論されたが、IAUは99年に「惑星としての位置づけに変更はない」との見解を発表した。 昨年7月、米航空宇宙局(NASA)などがカイパーベルトと呼ばれる太陽系外縁部で見つかった「2003UB313」について、冥王星より大きいことを理由に「太陽系第10惑星」と発表したことで、「惑星とは何か」という議論が再燃した。 冥王星を惑星から外す「1減案」が24日の投票で承認された場合、IAUは99年の見解を撤回することになる。 「冥王星が外れると、米国人が発見した惑星がなくなる」ことが、どう影響するかも24日の採決の焦点になりそうだ。                 ◆◇◆  冥王星が発見された76年前、ディズニー映画に初めて登場した犬は「プルート」と名づけられた。それほど、米国民の冥王星への愛着は強い。 「3増案」が公表されたとき、米国民の思い入れに配慮した「大いなる妥協」の産物ともいわれた。反対意見の中に「政治的過ぎる」との批判もあった。 「3増案」では、歴史的に定着していた惑星の概念が大きく変わってしまう。そのうえ、小惑星や彗星をひとくくりに「太陽系小天体」としたため、長く親しまれてきたハレー彗星や「小惑星イトカワ」まで、天文学用語としては使えなくなる弊害も予想された。 「1減案」では、これらの批判は解消される。日本からの参加者や国内の研究者の多くは科学的に妥当と「1減案」に賛同しているが、「プルート」が大好きな米国人研究者は、最後まで悩むかもしれない。 投票による採決の結果が出るのは、日本時間の24日深夜から25日未明にかけての時間帯になる見通し。<産経新聞>

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亀田興毅vsランダエタの再戦 KO勝利で批判もKOや!

2006-08-23 10:29:48 | 県知事選

亀田興毅vsランダエタの再戦が10月に正式決定!

甲子園の熱気を伝えるメディアのフィーバーは今朝も続いている。

20日の「浪速乃弁慶」亀田大毅のプロ5戦目は、沖縄では録画放映も無かったのでyou tube動画で見たのだが、甲子園の熱気に当てられてすっかり当初のエントリーの気持ちを失っていた。

結果は大毅の一方的な1ラウンドKO勝利だったようだが、試合後、観戦の共同通信記者に「笑いをこみあげ」させ「異次元の世界」と感じさせたことが、この試合の性格を物語っている。

試合はボクシングと銘打った余興付きの“歌謡ショー”であったようだ。

 

一方WBAは事実上亀田興毅にランダエタとの再戦を命じた形になった。

「亀田フィーバー」はプロボクシングに対する一般の関心を掘り起こした反面、色んな点でボクシングに対する不信感をも生み出した。

それは大きく分けて次の三つに分類できる。

①対戦相手を弱い者に選ぶ⇒「噛ませ犬」

②対戦者同士は真剣だが、ジャッジが八百長

③強い対戦相手が故意に手を抜く

今回の「疑惑の試合」は①の相手・ランダエタが噛ませ犬と言うバッシングは殆ど無い。

大半は②の「疑惑の判定」に尽きている。

だが、一部には②と③が同時にあったという説もある。

いわく、(初回のダウンは、)「まさかあんなパンチでダウンするとは思わなかった。 それで中盤は興毅に十分打たせたが、11ラウンドでスタミナ切れで立っているの精一杯になった。 最終ラウンドまで何とか立たせておけばジャッジが何とかしてくれる」、・・・これがランダエタの心境だったと言うのだ。

いずれにせよ、これらの「疑惑」を払拭させ得るのは亀田興毅自身の「拳(こぶし)」以外には無い。

「避けた、逃げたと言われたくない」、「100%負けることは無い!」

「もう一度やる以上、KOで勝ちます。」

亀田興毅のこの言葉を「大口叩き」では無く、彼の「本音」と信じたい。

彼を本音どおり存分に戦わす為には周りの大人たちが変な策略を弄しないこと。

ガチンコで死闘を尽す者には勝者も敗者も無い。

真のボクシングファンなら例えリングに崩れ落ちても惜しみない拍手を亀田興毅に送るだろう。

                   ◇

亀田興毅vsランダエタの再戦が10月に正式決定!

オレは逃げへん、KO勝利で批判もKOや!

2006年08月22日 )【スポーツナビ 】

亀田興毅とファン・ランダエタの再戦が決定!

 22日、協栄ジムの金平桂一郎会長が都内ジムで記者会見を開き、WBAライトフライ級王者亀田興毅(協栄ジム)と同級1位ファン・ランダエタ(ベネズエラ)の再戦を正式に発表した。試合の日程は現在調整中だが、10月の中旬から後半になる予定。興毅とっては、王者となって初の防衛戦となる。

「逃げた」「避けた」と言われたくない

  8月2日のWBAライトフライ級王座決定戦で、ランダエタを12R判定(2-1)で下し、王座を獲得した興毅だったが、微妙な判定を巡り、中継を担当したTBSや日本ボクシングコミッションには抗議などの電話やメールが殺到。その後、日本中を巻き込んだ騒動に発展した。

 試合内容に納得のいかない興毅は、試合翌日からすでに「もう一度やりたい」と再戦の希望を口にしていたが、減量苦の様子を見た金平会長が、「(次戦は)ウエイトを上げたほうがいい」と進言。父・史郎トレーナーも当初は、興毅の体調を心配し、ライトフライ級での再戦に否定的だった。さらに、その後も再戦を希望する興毅に対し、金平会長は「慎重になって考えたほうがいい。厳しいよ」と説得し続けた。
 しかし、興毅本人が、「『逃げた』『避けた』と言われて、ボクサーを続けていきたくない。コンディションを作って、今後は何も言い訳はしない」と再戦を強硬に主張したため、最終的には本人の意思を尊重する形をとり、20日に予定されていた二男・大毅の試合を待って、この日の発表となった。

100%負けることはない!

  WBAは18日付けで、最新の世界ランキングを発表。今月2日にライトフライ級王座決定戦で興毅に判定で敗れた同級1位のランダエタを指名挑戦権を保持する1位に据え置いた。この事実上の「再戦指令」で、両陣営の動きが加速すると見られていたが、亀田側はすでに先手を打っていた。ランキング発表の前にWBAに再戦の意思を伝え、すでに承認を獲得。ランダエタ陣営にも承諾を得た。

 興毅の体調を考え、当初は、再戦に否定的だった金平会長も、「筋として、逃げた形になるより、ランダエタと早期に防衛戦をやって決着つけたほうがいいと思って、私も結論を出した」と最終的な決断に至った経緯を説明。
 また、この日は会見場に姿を見せなかった興毅だが、金平会長によると、「100%負けることはない。もう一度やる以上、KOで勝ちます。一度グローブをあわせてランダエタの実力は分かった。あの時(2日の試合)は本来の亀田興毅じゃなった。次は本当の力を見せたい」と意気込んでいるという。
 今後は、日程と会場が決まり次第、興毅本人と史郎トレーナー出席による正式な記者会見が行われる予定で、9月早々にも海外からスパーリングパートナーを招へいして、調整に入る。

 日本中が注目する世紀の再戦。果たして、“浪速乃闘拳”はKO勝利で批判を払しょくすることができるのか!?

■WBAライトフライ級タイトルマッチ
10月予定 会場未定

[王者]亀田興毅(協栄ジム)
[挑戦者]ファン・ランダエタ(同級1位/ベネズエラ)


                    *

 笑い誘う「異次元の世界」 ファン層変化し問題も  

思わず笑いがこみあげてきた。試合後、KO勝ちした亀田大毅の“歌謡ショー”を見ていると、これまでのボクシングとは明らかに違う興行だと痛感した。まさに「異次元の世界」なのだ。 プロだからある程度のショー的パフォーマンスがあってもいいと思う。この日のKOタイムは1回1分45秒。要した時間はあまりにも短かったが、ファンは不満どころか、大毅の歌を今や遅しと待っている。そして、詰めかけた若い女性を中心とした観客は、試合より盛り上がっていた。しかも2曲も歌うサービスぶり。まるで「コンサート会場」だった。 しかし、その派手なシナリオ通りの演出の陰で問題点も浮上している。ボクシングを純粋なスポーツとして見てきたファンの冷ややかな反応だ。亀田3兄弟がリング内外で見せる強烈な個性に、意外にもこのスポーツを支えてきたファンのボクシング離れが目立っている。 亀田3兄弟の出現でブームが起きているようにも映るが、実情は違う。某専門誌は減ページを余儀なくされ、世界戦の生中継も驚くほど少なくなってきた。ボクシング界の課題は山積している。(了) [ 共同通信社 2006年8月20日 20:59 ]

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欲深い野球の神さま

2006-08-22 11:41:43 | 未分類

「欲深い野球の神さま」

準決勝の延長・引き分け・再試合を報じる昨日の琉球新報の見出しの一つ。

記事は≪・・・両投手の負けられぬという投手の業をにじませる力投。・・・とても、もうひとふん張りを期待するなどとは言えない。・・・≫と続く。

 壮絶な投手戦を「田中 気迫の165球」、「斎藤 冷静に178球」という別の見出しで両エースの意地の激突をつたえた。

そして昨日の投手斎藤対打者田中の対決という劇的な幕切れ。

 欲深い野球の神様はさらに欲深くドラマチックなフィナーレまでも準備したのだ。

とりあえず早稲田実業の優勝を祝し駒大苫小牧の健闘を称えたい。

 あらゆるメディアが斎藤、田中両投手を中心に両校の歴史的熱戦を伝えている。

その感動を伝える事は当日記の力及ばない事なのでプロの記事に委ねるが、・・・ でも、何か書いておきたい、そんな気にさせる試合だった。

今大会斎藤投手をはじめて見たのは大阪桐蔭との試合。

 桐蔭中田を三振で討ち取った瞬間、クールと言われた斎藤の表情がほころんだ。

そしてその冷静な表情の裏に秘めた炎のような闘志を垣間見た気がした。

今朝のワイドショーも当然のように斎藤投手の話題で持ちッきり。

だが田中投手の気迫に満ちた投球、いや打撃も見事だった。

スポーツ新聞の一面を紹介する中、数ある名ショットの中でオジサンを思わず涙ぐませる写真があった。

「笑顔、笑顔」が売り物の最近のスポーツ界。

そんな中で、試合中はほとんど笑顔を見せなかった斎藤、田中両投手の「笑顔のツーショット写真」(ニッカンスポーツ)には泣けた。

 ブルーのリボンの準優勝メダルを首にかけて、珍しく顔を崩して笑う田中投手。

その左側で赤のリボンの優勝メダルを首にした斎藤投手がこれも珍しく笑顔で田中の方を向いて何か語りかけている(ようにみえる)。

お互いの力量を認め合いながら死闘を尽した三連戦。(延長戦を含む)

二人の爽やかな笑顔にオジサンは不覚にも涙を堪えるのに苦労した。

 今大会のベストショットに「斎藤、田中両投手の笑顔のツーショット」を推したい。                   

                  ◇

早実エース斎藤 クールガイの裏に隠された2つのリベンジ

球史に残る死闘再び-。  

第88回全国高校野球選手権大会は21日、夏3連覇がかかる駒大苫小牧(南北海道)と夏初制覇を狙う早実(西東京)が、昭和44年の松山商(愛媛)-三沢(青森)以来、37年ぶり2度目の決勝戦引き分け再試合で激突。今大会最大の注目株となったのが、早実の右腕エース、斎藤佑樹だ。端正なマスクでファンを魅了し、連投を重ねてきた鉄腕。斎藤の「気迫」を支えるのが2つのリベンジだった。 大会規定により延長15回、1-1で引き分けた20日の決勝戦。延長15回表2死走者なし、マウンド上の斎藤が、駒大苫小牧の4番で主将の本間篤に投じた直球は147キロ。球場全体がどよめいた。最後は133キロのフォークで三振に仕留めた。 この勝負、斎藤にとっては、昨秋の明治神宮野球大会準決勝のリベンジでもあった。同試合で初回に2点を先制した早実は、斎藤が5回まで無失点に抑えたが6回に同点とされ、続く7回、本間に二塁打を浴び逆転を許すなど、3-5で敗れた。 斎藤は試合後、本間と携帯のメールアドレスを交換し、互いに夏の甲子園での再会を誓い、地区予選中から甲子園出場決定までエールを送り続けてきた。甲子園組み合わせ決定後は、「決勝戦での対戦を心待ちにしていた」という。 しかも、延長15回の最後のバッターが本間。燃えない理由はない。クールな斎藤をして、打ち取ったあと「ヨッシャ」と叫んだのは、そのときのリベンジともいうべき会心の三振に打ち取ったからでもある。 そして、斎藤にはもうひとつ、過去の自分へのリベンジがあった。今春センバツ2回戦の関西戦、延長15回の末に引き分け再試合。翌日勝利をものにして次の日、3連投となった準々決勝の横浜戦は3回6失点と打ち込まれて敗戦。そのときの自分に勝つためには、「優勝まで全試合、ひとりで投げ抜く」(斎藤)しかなかった。 まさか、決勝戦再試合で4連投は想像しなかっただろう。試合後、「まいったなあ」と思わず口にしてみせた。 マウンド上ではポーカーフェースを通し、相手に表情を読ませない。ポケットにきれいに折りたたんだ青いハンドタオルで汗をふきとる。タオルは母、しづ子さん(46)に買ってもらったもので、本人は「ゲン担ぎ」という。インターネット上では「ハンカチ王子」と名付けられた。マスコミにもその姿が注目されたせいか、決勝戦ではわずか数回使っただけだった。 そのスタイルと甘いマスクから「クールな剛腕」とも呼ばれる。「意識して始めた。男なんで気持ちでは絶対に負けたくない」。白川捕手にいわせれば、「戦略」だという。 20日の決勝戦を観戦した父、寿孝さん(57)は、「昔はあんなクールではなかった。早実に入ってから、それも2年秋にエースになってから顔つきが変わった」と明かす。クラスメートが「授業中もまったく表情を表に出さず、疲れた顔も居眠りするところも見たことがない」と話すほど、斎藤は「気持ち」を内に秘める。 それもこれも、昭和32年春のセンバツでエースとして優勝した偉大なOB、ソフトバンクの王貞治監督と優勝して肩を並べるため、同55年準優勝したエース荒木大輔投手(現西武投手コーチ)を超えるため。高校野球の歴史を斎藤が塗り替える。 <ZAKZAK>

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“魔術界の貴公子”のルーツは沖縄である

2006-08-22 08:54:13 | 未分類

人気マジシャン・セロの実像はそのマジックの通りミステリアスである。

日本語が堪能なのは日本人の父とフランス人の母をもつからだだが、その日本人のルーツが沖縄であることはあまり知られていない。

セロは父親の出身地である沖縄の今帰仁で、4歳まで祖母に育てられた。

今帰仁村は那覇から名護に北上してそこから海洋博公園に向かう途中の農村である。

その後も小学生時代は夏休みを祖母宅で過ごし、小学6年の時には日本の小学校にしばらく通った。

セロは自分が子供の頃過ごした沖縄の山や川、そして今帰仁の農村風景をけして忘れてはいなかった。

セロが現在のようにブレークする数年前のこと、「第二の故郷沖縄」で養老院を慰問公演しているセロの地味な活動が沖縄のローカル・テレビで放映されていた。

オジー、オバーはどんな人であれ訪問してくれる慰問者は嬉しいもの。

後に日本で大ブレークするセロのマジックの凄さが解ったかどうかは別にして孫を見るような笑顔で拍手喝采するオジー、オバーの映像を想いだす。(このときのローカル放送映像はそのうちお宝映像になるかも・・ 。)

テレビを見ながらこんな凄いマジックなら全国放送をしたらきっと受けるだろうと思っていたら、その後の大ブレークに説明は要るまい。

“魔術界の貴公子”セロの隠れた素顔は?

08/20 サンケイスポーツ

“魔術界の貴公子”セロの隠れた素顔は?

 日本人の父とフランス人の母を持ち、“魔術界の貴公子”の異名を持つパフォーミングアーティスト、セロ(年齢非公表)が、9月5日から行われる「MAGIC REVOLUTION マジック革命セロ The Xperience」(東京国際フォーラム)で、新たなステージに挑戦する。端正なルックスと驚異的なテクニックで観客を魅了する“革命家”の、隠された素顔をタネ明かししちゃいました!?
(ペン・長崎右 カメラ・飯田 英男)

 街頭に設置された飲食店のポスターから本物のハンバーガーを取り出し、ファッションブランド「ラコステ」のロゴマークからは生きているワニが飛び出す…。

 奇想天外な発想で不動の人気を誇るセロの原点は、幼少時に見た“本物の魔法”だった。

 「マジックを始めたのは6、7歳のころ、ラスベガスのショーで初めてマジックを見たのがきっかけです。当時の僕は目の前で起こっていることが手品ではなく、本当の魔法だと信じ込んだんです。家に帰り、自分でもハトが出せないかとパワーを出してみたのですが、何も出ませんでした(笑)。マジックと知って、ハトを『飼う』ことから始めたんです」

 マジックの世界に魅せられたセロ少年は独学で練習に没頭。12歳のときに2度目の挑戦で、米ハリウッドに本拠地を置くマジシャンズクラブの世界的権威「マジックキャッスル」のジュニアメンバーに選出された。

 その後才能を開花させ、各地のコンテストでタイトルを獲得。その魅力を「マジックは人を“だます”ものではなく、夢と感動を与えるアートフォーム(芸術形式)。観客にすべてを忘れさせ、一瞬だけ子供の気持ちに戻してあげられる。初めてマジックに出会ったころの僕のようにね」と熱く語る。

 セロの代名詞は路上で行う「ストリートマジック」。従来の用意された舞台上だけでなく、場所を選ばずに行うパフォーマンスが人気を集め、現在10カ国以上で活躍。「マジックは世界共通の言葉。言葉が通じなくても、相手が驚いて笑顔になる瞬間はお金に代えられないほど意義がある」と手応えを感じている。

 大規模の東京ホール公演は今回が初めて。「あまり言うと楽しみがなくなる」と語り、ステージの詳細は開演まで不明だが、これまでストリートマジックやテレビで披露してきたものに加え、「今までにない“もう1人のセロ”を見せたい。大観衆の拍手は良い音がするんですよ」と気合十分だ。

 「1年に52万5600分(365日×24時間×60分)マジックのことを考えている」と豪語するセロ。もちろん、私生活ではパフォーミングアーティストならではの“悩み”もあるという。

 「実はただのセロ(一般客)としてパーティーに招待されたことがないんです…。必ずマジックをしないといけなくなる。それに“面白い道具”を持っているので、空港の税関ではいつも止められてしまいます。昔カナダに入国したときには、カバンの中の(未申請の)ハトが鳴いて、数時間事情を説明したことがありました。皆さん、ちゃんとルールは守りましょう(笑)」

 モデル顔負けの美男子で日本語も堪能。斬新な発想でマジック界に“革命”を起こしているセロに、「これまでマジックで失敗したことはあるか?」と意地悪な質問をすると…。

 「オーイエス、オフコース!!(もちろんあるよ) でも失敗にみせかけないのも違う楽しみ。失敗から生まれるものもいっぱいある。人生も同じ。僕の好きな言葉の1つは『マジック・イズ・ビリーブ』。マジックは信じること、信じることそれが本当のマジックです」

 “魔術界の貴公子”は表情を崩し、ちゃめっ気たっぷりの笑顔をみせた。

               ◇

★好きな女性のタイプは?
 女性ファンも多いセロ。好きな女性のタイプについて、「ルックスじゃないと思う。自分の気持ちをちゃんと表現できる人。刺激する会話ができる人がいい」とした。一方、今後の目標は「新しい発想を生み出してバージョンアップした作品をみてもらいたいので、海外で休憩したい。しばらくいなくても忘れないでね」と笑顔で語った。
<サンケイスポーツ>

     ★マジック革命セロhttp://www.magicrevolution.jp/

     

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    狼魔人流・沖縄語講座 オバーが造った標準英語

    2006-08-21 06:53:54 | 沖縄語講座

    高級レストランで食事を終えたセレブの奥様がウエイターを呼んだ。

    「美味しい食事でしたわ。 でも私小食なので残しちゃいました。 家の犬に食べさいたいので持ち帰りにしてもらえません」

    「かしこまりました、奥様。 それで割り箸は何本お付けしましょうか」

    犬用の割り箸付き持ち帰りは、日本では笑い話のオチになってしまうが、アメリカで持ち帰りはごく普通のことで笑い話にはならないという。

    もっともファーストフーズ店の普及で「テイクアウト」という言葉が一般化して何もわざわざ「うちの犬の・・」なんていう必要も無いのだろう。

    先日ラジオでレストランの「持ち帰り箱」が話題になっていた。

    英語の素人が考えるには「テイクアウト」と言って残り物を指差せば済むと思うし、少なくとも「テイクアウト ボックス」で通用すると思うのだが、・・・「ドギーボックス」[doggy box?]と言う便利な単語があると云う。

    だが、誰も犬用と考える人はおらず家で待つ家族用か後で自分が食べることは公然の秘密なので、それに割り箸を付けても当たり前過ぎて面白くも何とも無いのだ。

    この「ドギーボックス」のようにある意味が秘められた言葉を熟語と言うのだろう。

    もし「ドギー・ボックス」や「テイクアウト・ボックス」という便利な単語を知らなかったら、持ち帰り用箱は・・・・
    the box in which I pack the leftovers for my dog.とでも言うのだろうか。


    「久し振り」と言う短い言葉には「長い間逢っていないのがやっと逢えた」と言った意味が織り込まれている。

    沖縄の方言には「お久し振り」という便利で熟した言葉は無い。

    強いて調べて見たら「ナガデー  ンーダン」がこれに相当する。

    「ナガデー」は長い間で「ンーダン」が見ないを意味する。

    長い間見かけなかったと言う意味になる。 そのまんまと言う感じだ。

    英語で「久し振り」を表現したらどうなるか。

    貧弱な受験英語を引っ張り出して模範解答?を試みてみると、

    ≪I haven't seen you for a long time.≫ 或いは

    ≪It has been a long time since I saw you last. ≫、・・・どうも硬すぎる。。

    これも、まんまじゃないか。

    だが、これで入試に合格するかどうかは保証の限りではないが、なんとなく意味は通じるだろう。

    ところが沖縄発の「久し振り」の熟語が一般英語として普及していると言う。

    沖縄のオジー、オバーは方言の「ナガデー ンーダン」をそのまま英単語を置き換えた。

    ≪Long Time No See≫

    沖縄方言が標準英語になったと言う話。

    沖縄パワー恐るべし。

    27年に及ぶ米軍占領時代に沖縄はしぶとくアメリカから多くのものを学び取ったが、その一方でアメリカも多くのものを沖縄から学んだ。

    その中の一つが≪Long Time No See・≫

    即ち「久し振り」と言う意味の沖縄イングリッシュだ。

    何と言う簡略にして明快な言葉だ。 くどくど説明は不要だろう。

    正式な英語教育を受けていない沖縄のオジー、オバーは耳学問で色んな英語を覚えた。

    レストランで出す「お冷や」は「アイスワラ」

    軽食店は「コーヒーシャープ」

    自動車修理工場は「バリーシャープ」

    あえてスペルアウトするとbody shopとなる。

    そんな中で文法も、主語も述語も無視したオジー、オバーが使う≪Long time no see.≫は純然たる沖縄イングリッシュだった。

    だが、それが米軍人達の間にその簡便さゆえ愛用されるようになった。

    その米軍人たちが帰国して本国で待つ知人、友人に久し振りに逢って発した言葉が沖縄仕込みの≪Long time no see≫だった。

    ≪Long time no see≫は本国アメリカで使われ認知され、そして正式な英語(米語)として日本に再上陸してNHKの英会話教室でも紹介された。

    うーん、確かに「お久し振り」には≪Long Time No See≫が言葉としては熟している。

    とは言っても英語の専門家でもない当ブログが言うと,どうせ何時ものヨタ話だろうと眉に唾つける人もいるだろう。

    だがこれは何時ものヨタ話ではない。

    きわめてアカデミックな応用言語学の話だ。

    英語・言語学の権威でNHKの語学講師も勤めた比嘉正範教授(★)の応用言語学の成果であると言えばこの話も信憑性を帯びるだろう。

    もし久し振りに逢う英語圏の友人がいたら、是非一度≪Long Time No See≫を使って欲しい。

    そして、もし「文法的に間違っている云々」といわれたら、沖縄のオジーやオバーが作り出した「沖縄英語」だと説明して欲しい。

    もし、「そんなスラングは使わない」といわれたら、ハーバード大大学院教育学研究科博士課程修了の専門家の応用言語学の研究成果であると説明してあげて欲しい。

    きっとネーティブ・スピーカーに畏敬の眼差しで見られること請け合い、・・・いや、少なくとも会話の絶好の話題になることだけは請合える。

     

    ★比嘉正範(ひが・まさのり) 一九二九年、沖縄県生まれ。ボストン大教育学部英語科卒、同大学院英米文学科修士課程修了。ハーバード大大学院教育学研究科博士課程修了。教育学博士。ハワイ大文理学部准教授、筑波大現代語現代文化学系教授、放送大教養学部教授などをへて、九六年から龍谷大国際文化学部教授兼同学部長。専門は応用言語学。実生活での言語の使用と外国語の習得を研究対象にしている。

     

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    公費で国を売る人々

    2006-08-20 07:56:53 | 県知事選

    前にも何度か書いたが東海新報のコラムで「その通り!」と思わず手を叩いたり「そんなことがあったのか!」と憤慨ししたリ、そして最後に感心する事が再三ある。

    昨日のコラムは後者の「そんなことがあったのか」の方だが、くどくど御託を並べる前に先ず一読願いたい。

    東海新報 転載。

    ☆★☆★2006年08月19日付

     日本人でありながら、外国に向けて日本の悪口をいう人物とはどんな精神構造をもっているのだろうか。こともあろうに日本政府の補助金で運営される公的機関が英文で「反日宣伝」をしていたというのだから、開いた口がふさがらない▼この事実を知らしめたのは、産経新聞の古森義久ワシントン駐在編集特別委員で、ワシントンでこの論文を目にして「びっくり仰天」したと書いている。そこには日本の対中政策が愚かで、挑発的、独善、不当だとみなす外国の見方を紹介し、「日本がナショナリスティックで軍国主義的でタカ派的だと認識されていることへの意識がほとんどない」との“認識”が示されていた▼あまつさえ、「日本は過去の侵略に長年、沈黙を保ってきたが、小泉首相の靖国への立場にも過去の帝国主義的侵略への反省欠如が指摘される」といった反日的記述が羅列されていたというのだから、古森記者ならずも仰天する▼筆者はその公的機関の編集責任者で、もともと日本政府の対外政策をたたいてきた左派学者だというから驚くにあたいしないが、それはフリーな立場でこそ許されることであって、その嫌いな日本政府が出す金で運営される機関に属しながら足許にツバを吐きかけるというのはおかしい、というよりは道議的に許されることではない▼古森記者がこの事実を書き、この機関への公開質問状としたところ、代表者が昨日の産経に「誤解を招く用語があり深く反省している」との回答を寄せた。そしてこうした発信を停止し、同論文をホームページから削除するとしている。当然のことだが、事前に審査しなかったところに問題がある。それにしても、こんな日本人がいるということに何よりも驚いているのは外国人だろう。

    日本は思想・言論の自由が認められた国だからいろいろな意見を自費で発表するのは自由だろう。

    だが、国の金を貰いながら日本の悪宣伝を海外に広報する機関があったとは。

    その元となる古森さんの記事が「桜魂」さんに保存されているとモレ聞き、順序が逆だが下記に保存用に転載させてもらいます。

    以下「桜魂」http://sakura4987.exblog.jp/3976580/より


     日本からの対外的な発信はますます重要となってきた。日本の実情を国際社会に向けて正確に説明し、あわせて意見をも明確に述べることは常に重要である。

     中国などから日本の現実とは異なる「軍国主義復活」というような非難が増すこのごろ、日本からの正しい反論はまさに基本的な国益にかかわる不可欠な作業となる。

     この点で外務省管轄下の日本国際問題研究所(JIIA)が今春から始めた英文での「JIIAコメンタリー」は時宜を得た発信だと思った。

     ワシントン在勤の私のところにも電子メールで送信されるし、同研究所のウェブサイトで読むこともできる。そのコメンタリーは英語の論文の形で定期に発信される。

     ところがその論文のいくつかを読んで、びっくり仰天した。日本の政府与党や多数派の考え方を危険として一方的に断罪し、中国などの日本攻撃をそのまま正しいかのように位置づける論旨なのだ。

     5月記載分の「日本はいかに中国を想像し、自国を見るか」という題の論文をみよう。冒頭に以下の記述がある。

     「(外国の)日本ウオッチャーたちはますます日本の対中政策を愚かで挑発的、独善、不当だとみなし、中日関係の悪化を日本のせいだと非難している。

     しかし日本国内では日本がナショナリスティックで軍国主義的でタカ派的だと(諸外国で)認識されていることへの意識がほとんどない」

     ワシントンでの中国に詳しい日本ウオッチャーは大多数がいまの日中間の緊迫を「中国の対決的姿勢」や「日中両国の戦略利害の衝突」「中国の反日の国是」に帰する。

     しかも同論文が述べる「日本を軍国主義的だとみる国際認識」など捏造(ねつぞう)である。

     BBC放送の昨年末の国際世論調査では全世界33カ国のうち31カ国の国民が「世界に最もよい影響を与えている国」として日本を筆頭にあげた。例外は中韓両国だけだった。国際問題研究所の対外発信はまったく事実に反する主張から出発するのだ。

     同論文には以下の記述もある。

     「『中国は脅威だ。なぜならそれは中国だからだ』というのが日本の国家安全保障識者間の基本的な前提のようだ」

     「日本は過去の侵略に長年、沈黙を保ってきたが、小泉首相の靖国への立場にも過去の帝国主義的侵略への反省欠如が指摘される」

     いずれも事実に反する暴論といえよう。

     この論文はいまの日本で多数派の意見といえる日本の安全保障面での「普通の国」らしい方向への動きを「タカ派的ナショナリスト」の危険な策動と断じ、非難することが主眼となっている。

     その英語の文章は靖国神社の参拝支持を「靖国カルト」と評するような偏向言語に満ちている。カルトとはオウム真理教のような狂信的宗教集団を意味する断罪言葉である。

     同論文には日本の現実派の思考を「反歴史的想像」と呼び、戦後の日本国民の戦争観を「記憶喪失症」と断ずるなど、全体として米欧の左派系や中国の日本たたきに頻繁に使われる扇情的、情緒的なののしり言葉があまりに多い。この点では「反日」と呼べる論文なのである。

     元国連大使の外務官僚だった佐藤行雄氏を理事長とする日本国際問題研究所は日本政府の補助金で運営される公的機関である。その対外発信は日本の政府や与党、さらには国民多数派の公式見解とみなされがちである。

     この英文コメンタリーの論文は「筆者自身の見解」とされてはいるが、佐藤理事長は対外発信の意図を「日本自身や国際問題への日本の思考」を広く知らせることだと述べている。

     この論文の筆者の名をみて、さらに仰天すると同時に、ある面、納得した。

     国際問題研究所の英文編集長の玉本偉氏だというのだ。玉本氏は在住の長い米国のその筋では知る人ぞ知る、日本政府の対外政策をたたいてきた過激な左派学者である。

     2003年のワシントンでのセミナーで「北朝鮮の拉致問題というのはすでに解決ずみであり、日本側は対外強攻策の口実にしているだけだ」とか「日本の自衛隊はイラクに派遣されるべきでなく、また派遣は絶対に実現しない」などと断言するのを私もまのあたりに聞いた。

     その玉本氏はいま国際問題研究所の対外発信の筆者だけでなく編集責任者だというのだ。

     4月分の論文では麻生太郎外相らが中国の民主主義不在を批判することを取り上げ、「日本の民主主義発見」と題し、日本がいま対中外交で民主主義の価値を説くことを「発見」だとちゃかしていた。

     現在の日本の外交や安保の根本を否定するような極端な意見の持ち主に日本の対外発信を任せる理由はなんなのか。この一稿の結びを佐藤理事長への公開質問状としたい。


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    2006-08-19 10:37:47 | 県知事選

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