狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

カラオケで歌った阿久悠の詩

2007-08-04 06:45:17 | 音楽

8月4日付 編集手帳
 朝、グラスに昨夜の酒が残っている。男がいる。ぼくが書く詩の男は、起き抜けに酒を流しに捨てるだろう。なかにし礼さんが書く詩の男は多分、グラスをそのままにしておくだろう…◆ある対談で阿久悠さんが語ったことがある。濃密な物語世界の“密室”を作り出すなかにしさんと、日常生活への“窓”をもつ阿久さんと、歌謡曲全盛期に人気を分け合った作詞家二人の肌合いの違いだろう◆「もしもピアノが弾けたなら」「時代おくれ」といった阿久作品には、不器用で、日だまりの土の匂(にお)いがする男たちが描かれていた。身の回りにいるような、いないような。“窓”の詩人である◆と、その詩業をまとめれば異議が出よう。「UFO」はどうした。「舟唄(ふなうた)」がない。「北の宿から」を忘れるな。「ジョニィへの伝言」はどこに行った。「ピンポンパン体操」で育った私の立場はどうなる…◆夜空を飾る星座を見るようでもある。獅子がいて、サソリがいて、白鳥がいて、乙女がいて、琴もある。各人各様、どの星座に心を寄せてもいい。日本人の心の夜空に数えきれない星をちりばめて、阿久さんが70歳で逝った◆「しけた煙草(たばこ)をまわしのみ/かけた茶碗(ちゃわん)で酒をのみ/金もないのに楽しくて/いつも誰かに惚(ほ)れていた…」(下宿屋)。口ずさむと遠い日に戻り、にじむ星もある。

(2007年8月4日1時29分  読売新聞)
                    ◇

 

 

阿久悠が逝った。

今朝の琉球新報に音楽評論家反畑誠一氏が「時代とキャッチボール」というタイトルで阿久悠の追悼文を寄稿している。

夢は砕けて夢と知り

愛は破れて愛と知り

時は流れて時と知り

友は別れて友と知り

阿久悠のCD集「人間万葉集」の巻頭文だという。

 

カラオケで阿久悠の詩は良く歌った。

「青春時代」は好きなレパートリーだった。

二年前の8月、友人グループのプライベートサイトでサミエル・ウルマンの「青春の詩」が話題になった。

そのサイトで阿久悠について書いたのを想い出した。

その中でウルマンより阿久悠の「青春」に軍配を上げていた。

二年前、阿久悠はまだ元気だった。

以下同サイトよりの「再掲」です。(一部・加筆修正)

                     ◇

From:  ★狼魔人
Date:  2005年8月8日(月) 午後0時58分
Subject:  青春談義



青  春サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、

逞しき意志、

炎ゆる情熱、

怯懦を却ける勇猛心、

安易を振り捨てる冒険心,

こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。

理想を失う時に初めて老いがくる。(
略)
http://home.h03.itscom.net/abe0005/ikoi/seishunn/seishunn.htm



1世紀前の詩人の詩に感動し夫々の思いをコメントに託し、久々にサイトが活発化しているのは青春を懐かしんでいるから?

だが、青春とは有名詩人が美文で綴る画一的なものではないはず。

各々の心の奥にくすぶる悔やみの思い出もあるあるだろう。

自分の脳の中の「青春」を検索してみたらメロディーと共にカラオケでよく歌った「青春時代」が飛び出してきた。

うろ覚えながら歌詞は大体覚えていた。

が念のため検索をしてみた。

●[青春時代] 昭和51年(1976)発表。
作詞:阿久悠  作曲:森田公一

歌っているときはメロディーとリズムに気をとられ歌詞の深い意味にまでは気が回らなかった。

今改めて歌詞を良んで見て阿久悠の才能を再確認した。

ウルマンの[青春・・]もいいが阿久悠の「青春・・」のほうが身近に感じる。

「青春」は1世紀前も今も変わらないと思う「○○会」の皆さんの気持ちも理解できるが此処では狼魔人は阿久悠に軍配を上げたい。



◆4,5年前のこと東京に出張の折りに大学時代の在京の旧友4名と再会、食事をして2次会まで盛り上がった。

カラオケを歌いおえて

「青春時代の真ん中は胸に刺(とげ)さすことばかり」というところで、

友人の一人が「ほんとにそうだよなァ」

と嘆息するようにつぶやいた。

顔に刻まれた皺が印象的だった。

道に迷い、胸に刺(とげ)さすことも多かった時代から、

星霜既に40余年が夢のように流れ去っていた。

友と別れて駅から1人ホテルへ向う道すがら、諸行無常の風が枯れ葉を舞い上げていた。

さーお待ちかね我らの「青春時代」の全歌詞。

しみじみ味わってください。         

●青春時代
作詞:阿久悠
作曲:森田公一
唄:森田公一とトップ・ギャラン1 卒業までの半年で

  答を出すと言うけれど
  二人が暮らした年月(としつき)を
  何で計ればいいのだろう
  青春時代が夢なんて
  あとからほのぼの想うもの
  青春時代の真ん中は
  道に迷っているばかり

  (間奏)
2 二人はもはや美しい
  季節を生きてしまったか
  あなたは少女の時を過ぎ
  愛に悲しむ女(ひと)になる
  青春時代が夢なんて
  あとからほのぼの想うもの
  青春時代の真ん中は
  胸に刺(とげ)さすことばかり

(間奏)

  青春時代が夢なんて
  あとからほのぼの想うもの
  青春時代の真ん中は
  胸に刺(とげ)さすことばかり

◆青春談義に参加を乞う。

かつて詩人を自認していたTさん。 青春のカケラを語ってください。

                 ◇                    

良く歌ったカラオケナンバーで阿久悠を偲びたい。

【動画】

また逢う日までhttp://www.youtube.com/v/IKV0pF3uoT0

勝手にしやがれhttp://www.youtube.com/v/_YB0nHVUEJw

舟歌http://www.youtube.com/v/kQLFKxukD3I

ジョニーへの伝言http://www.youtube.com/v/j_j7XlaCIIo

 

 

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「忘れられた日本の音楽家」が蒔いた種 

2007-07-21 09:38:42 | 音楽

本格的クラシック音楽音楽を生で聴いたのは、中学3年の時、元NYフィルのメンバーで構成された「シンフォニー・オブ・ジ・エアー」のべートーベンだった。

確か次の機会は、東京で大学に入学した頃、上野の東京文化会館で聴いた「三大協奏曲の夕べ?」だった。

勿論正確なコンサートのタイトルは覚えていないが、曲目と演奏者は鮮明に覚えている。

と言うのは、コンサートのタイトルに「日本音楽入賞者による」という文字が入っていた記憶があり、その前年1959年の日本音楽・ヴァイオリン部門は、

1位/特賞 宗倫匡 (当時は知忠)
2位/特賞 前橋汀子
3位  久保陽子

となっており、確かコンサートはその翌年で、新人ヴァイオリニスト紹介のコンサートだったと記憶する。

当時としては無名のヴァイオリニストたちだが、プログラムメニューはまことに贅沢だった。

宋がベートーベンのヴァイオリンコンチェルト、前橋がチャイコフスキー、久保がメンデルゾーンを熱演した。 だだ女性二人が演奏した曲が入れ替わっている可能性は否定できない。

宗 知忠(倫匡)はその後スイスに在住の20世紀のヴァイオリンの巨匠・ヨゼフ・シゲティ (1892-1973) に師事しており、その長時間に渡るレッスンの模様をラジオで聞いたことがある。

 レッスンの曲はやはりヴェートーベンの協奏曲だったが、その頃のシゲティは既に自分で弾いて

模範を示すことは出来ないほど老いており、専らメロディーを声で歌って指導していた。

「指が動いたらなー」と嘆くシゲティの声が印象的だった。

宋はよっぽど師に気に入られたのかその後シゲティの助手も務めた。

◆シゲティの演奏:「モーツァルト:ヴァイオリンソナタ K454 変ロ長調」

 

日本音楽コンクールで1位で特別賞も貰った宗倫匡 だが、その前年は2位に甘んじていた。

長い前ぶりからやっと本題に入るが、その前年の日本音楽コンクールで、2位の宋や3位の石井志都子を抑えて1位に輝いた女性ヴァイオリニスト 建部 洋子 の名は日本のヴァイオリニストとしては既に忘れ去られている。( 過去の入賞者一覧

第27回(1958年)バイオリン部門
1位 建部 洋子
2位 宗知 忠(倫匡)
3位 石井 志都子
入選 二宮 夕美、深井 浤(碩章)

建部洋子はその後ニューヨークに渡り、名門ニューヨークフィルハーモニーのヴァイオリニストと結婚し、現在でも同オーケストラの現役のヴァイオリニストだという。

建部洋子は日本のヴァイオリニストとしてはすっかり忘れ去られているが、どっこい世界のヒノキ舞台で頑張っていた。

ちなみに五嶋みどりの弟五嶋龍はニューヨークで建部洋子に師事している。

建部 洋子の蒔いた種がNYで見事に結実していた。

 めでたし、めでたし。 

 

ところが、これで話は終わらない。

彼女のご子息アラン・ギルバートさんがニューヨークフィルハーモニーの音楽監督に就任したというのだ。 

あの名門NYフィルでアルトゥーロ・トスカニーニレナード・バーンスタイン の後を継ごうと言うのだ。

日本人では小沢征爾が1973年、38歳でボストン交響楽団の音楽監督に就任したが、これに勝るとも劣らない快挙だ。

早速アラン・ギルバートさんの動画インタビューを。http://www.whatsonmedia.com/Alan%20Gilbert%20tv.mpg

ん? ギルバートさん、モロアメリカ人じゃない。

 

NYフィル次期音楽監督に日系米国人のギルバート

 【ニューヨーク=佐々木良寿】米国屈指の名門オーケストラであるニューヨーク・フィルは18日、次期音楽監督に日系米国人のアラン・ギルバート氏(40)が就任することを明らかにした。

 2009年のシーズンから、ロリン・マゼール氏(77)の後任として指揮を執る。

 ギルバート氏はニューヨーク出身。母親の建部洋子さんは同フィルのバイオリン奏者で父親のマイケル・ギルバートさんも同フィルの元バイオリン奏者。ハーバード大、ジュリアード音楽院などで学び、バイオリン奏者から指揮者に転向した。現在、スウェーデンのロイヤル・ストックホルム管弦楽団の首席指揮者を務めている。

 ニューヨーク・フィルの音楽監督にニューヨーク出身者が就くのは初めて。

2007年7月19日20時42分  読売新聞)
 
                                                ◇

見かけはアメリカ人でも半分は日本人の血も混じっている

と言う引用元の「唸声」さんに後は丸投げ。

これまでは長い前触れであり本題は↓。

■唸声米国/日系人アラン・ギルバート氏、NYフィルの音楽監督へ ニュース記事に関連したブログ 2007/07/21 05:14

 

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神尾真由子さん、バイオリン部門で優勝・チャイコフスキー国際コンクール

2007-07-01 05:56:34 | 音楽

チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、笑顔を見せる神尾真由子さん=29日、モスクワ〔共同〕

尾真由子さん、バイオリン部門で優勝・チャイコフスキー国際コンクール

 【モスクワ30日共同】モスクワで29日に開かれた第13回チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門本選会で、日本の神尾真由子さん(21)=大阪府豊中市出身=が優勝した。

 4年に1回開催される同コンクールは若手演奏家の登竜門として世界的に知られる。バイオリン部門で日本人が優勝したのは1990年の諏訪内晶子さん以来、2人目の快挙。演奏・声楽の4部門での日本人の優勝は4人目となる。

 また、ドイツから出場した日系の有希マヌエラ・ヤンケさん(20)が3位になった。

 優勝発表後、神尾さんは「本当にうれしい。このコンクールに自分が来るなんて思っていなかった」と喜びを語った。

 神尾さんは4歳でバイオリンを始め、10歳の時にシャルル・デュトワ指揮の交響楽団との共演でデビュー。国内外の著名オーケストラと共演し、前評判が高かった。

 ストラディバリ製作のバイオリンを使用。29日の本選では最後の奏者としてチャイコフスキーとシベリウスのバイオリン協奏曲を演奏した。

 原田幸一郎氏や、ニューヨークの名門ジュリアード音楽院プレカレッジのドロシー・ディレイ氏らに師事。桐朋女子高を経て、現在はスイスのチューリヒでザハール・ブロン氏の指導を受けている。

 バイオリン部門では2回の予選の後、神尾さんら6人が本選に進んでいた。

 同コンクールでは98年に声楽で佐藤美枝子さん、2002年にピアノで上原彩子さんが優勝している。

 昨年は会場となるモスクワ音楽院が改修中で延期され、今回は5年ぶりの開催となった。 (11:18)

                     ◇

日本人で同コンクールに優勝したのはバイオリンの諏訪内晶子さん(1990年)、声楽の佐藤美枝子さん(98年)、ピアノの上原彩子(2002年)さんに次いで4人目。

昨日の琉球新報夕刊の一面トップがこのニュース。

最近一面トップの取り扱い記事がヘンだ。

チャイコフスキーコンクール優勝がニュースバリューは有るとしても地方紙の一面トップを飾るほどなのか。

一瞬、優勝した神尾さんは沖縄出身かと思ったくらいだ。

核については議論も許さないと言う割には、

「原爆投下しょうがない」という防衛大臣談話を大阪出身のヴァイオリニストの記事より小さく扱うバランス感覚が分らない。


「原爆投下しょうがない」 久間防衛相が講演
共同
久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。 ...

参考:エントリー:

チャイコフスキーコンクール トヨタが救いの神に

悪魔に魂を売った男 パガニーニ

ハイフェッツと工作員の弟と大学教授

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チャイコフスキーコンクール トヨタが救いの神に

2007-06-15 06:04:45 | 音楽
5年ぶりにチャイコフスキーコンクール

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 若手音楽家の「登竜門」といわれるチャイコフスキー国際コンクールの第13回が、日本の企業の援助を受けて、13日からモスクワで始まりました。
 開会式に先立って行われた記者会見では、主催者側から「復活」という言葉が漏れました。

 「あらゆることを考慮して準備が終わった今は、以前の権威を取り戻せます」(ソコロフ文化マスコミ大臣)

 5年前の12回大会では予算不足に陥り、著名な審査員に十分な待遇を用意できなかったり、審査内容に疑問が出されるなど、「チャイコフスキーコンクールはおしまいだ」という声も聞かれました。

 チャイコフスキー国際コンクールは、4年に1度の開催が決まりですが、昨年の開催予定を1年延期した結果、この窮地を救ったのが、ゼネラルスポンサーについた自動車メーカー、トヨタでした。

 今年は6億円の予算が組まれていますが、その3分の1の2億円が「トヨタマネー」です。日本人のエントリーはピアノ、バイオリン、チェロ、声楽の各部門合わせて14人。先立って行われたバイオリン製作者部門では、菊田浩さんが優勝するなど、日本にとって幸先の良いスタートとなっています。

 日本企業の支援で甦ったチャイコフスキー国際コンクールは、これから足かけ3週間、30日まで続きます。(14日09:50)

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HEADLINE NEWS

                                                 ◇

 

えっ?  チャイコフスキーコンクールが中止していたの?

それも財政難で。

トヨタがスポンサーというが、1994年にはパイオニアもスポンサーとなっているらしい。

日本企業もたまには良いことする。

このコンクールには日本人もずい分お世話になっている。

第12回(2002年)

ピアノ部門  第1位 上原彩子(日本)

ヴァイオリン部門  第2位 川久保賜紀(日本/アメリカ)、

第9回(1990年)

ヴァイオリン部門

 

こんな人もいたようだ。

第4回(1970年)ヴァイオリン部門  第1位 ギドン・クレーメル(ソ連)

第3回(1966年)チェロ部門  第6位 ミッシャ・マイスキー(ソ連)

【動画】クレーメルとマイスキーの「ブラームス・ダブルコンチェルト」
指揮者はバーンスタインという豪華版http://www.youtube.com/v/oShiUgfSLYo

そういえばパガニーニコンクール、本家のイタリアだけかと思ったらロシアでも行われたという記事を見たが・・・。

◆関連エントリ: 悪魔に魂を売った男 パガニーニ

 

「トヨタ、国際コンクールの主幹スポンサーに」『産経新聞』2007年2月1日、 http://www.sankei.co.jp/kokusai/world/070201/wld070201000.htm

 

 

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「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」

2007-05-08 18:31:51 | 音楽

「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」
チェロ巨匠の貴重なドキュメンタリー

2007/5/ 2      このエントリーを含むはてなブックマークはてなRSSに追加この記事を含むECナビ人気ニュースこの記事を含むECナビ人気ニュース -->   コメント   トラックバック

   昨年公開され評判を呼んだ昭和天皇の苦悶を描く「太陽」のアレクサンドル・ソクーロフ監督は作品群の中で記録映画が半分を占める。その監督作品で、20世紀の最も偉大なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの80歳記念ドキュメンタリー映画が4月21日から公開されている。突如、その主人公ロストロポーヴィチの逝去の報が4月28日にもたらされた。

ロストロポーヴィチ

   映画は天才の足跡を追う。1927年、旧ソ連アゼルバイジャンの首都バクー生まれ。50年にプラハの国際コンクールで優勝し、チェロ演奏家として世界的に名を馳せる、モスクワ音楽院で師事したショスタコーヴィチをはじめとする著名作曲家が楽曲を提供した。61年にはロシア・ゴーリキー(現ニジニーノブゴロド)市で指揮者としてデビューした。

   69年以降はブレジネフ政権と対立して、ノーベル賞作家のソルジェニーツィンを別荘にかくまうなど反抗の精神を示した。そして74年には夫人のソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤとともに亡命し、75年からワシントンに定住。78年にソ連の市民権を剥奪された。アメリカは暖かく夫妻を受け入れ、音楽活動は中断されなかった。90年に16年ぶりに市民権が回復されて帰国。祖国で演奏を続けていた。

   ソクーロフ監督は、天才を目撃し記録することをこの上ない喜びとするトーンで二人を追う。誕生パーティなどデジタルで撮りデジタルで編集しているので臨場感が溢れる。ショスタコーヴィチとの交流でロストロポーヴィチが「作曲家と演奏家は二つの人間の類型だ。演奏家は娼婦で作曲家と恋に落ちる」とのコメントは興味深い。

   夫人はボリショイ劇場のオペラで一世を風靡したソプラノ歌手、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ。結婚後も夫婦別姓でそれぞれ独自に活動する。二人の天才を監督は「2人のお陰で音楽は孤児にならなくて済んだ」と語っている。天才を見ることで、天才と同じ世界に身を置くことの幸せを画面に生き生きと描いている。

   興味あるシーンはウィーンフィルでの共演。ペンデレッキの新曲を演奏した時の指揮者、小沢柾爾との談笑だ。小沢とは1965年にトロントで知り合って以来、兄弟のように親しい友達だと言う。何語で話しているか会話は聞こえないが2人の表情は和やかで微笑ましい。「スラヴァは音楽においても人生においても私の兄貴分である。彼から沢山のことを学んだ」との小沢の言葉に親しみを覚える。この映画の中でも健康を気遣う点が多々見られるが、昨年から入退院を繰り返していたという。その意味でもこの映画はロストロポーヴィチの晩年を記す貴重な記録だ。 (Jー CASTニュース)

                     ◇

今日は朝からPC不調で午後6時ごろになってやっと回復。

手抜き記事ながら、過去記事で閲覧者の多かったロストロポーヴィッチの記事で手抜きさせてもらいます。

◆【動画】ロストロポーヴィッチの死亡を伝えるABCニュース。ヨーヨーマーのコメントやベルリンの壁の前でバッハを演奏する在りし日の巨匠の珍しい動画がありますhttp://www.youtube.com/v/AJL_7An87h4

 

::: ロストロポーヴィチ 人生の祭典 :::

映画『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』公式ホームページ
 
 
 
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鰹と亡き師を肴に初夏の酒宴 ロストロポーヴィッチ追悼 その2

2007-05-03 07:17:28 | 音楽

◆鰹のたたきでで亡き師を偲ぶ

昨日友人N君宅で鰹のたたきで小宴を開いた。

同じく仲間のK君が釣りで鰹を大漁し、そのお裾分けにあずかった次第。

鮮やかな包丁捌きで鰹を捌いて素人離れの腕前を披露してくれたのはN君。

彼が先日物故した世界的チェロ奏者ロストロポーヴィッチさんを勝手に師匠と仰いでいた事を前稿で触れた。

◆参考:世界的チェロ奏者ロストロポービッチさん死去

話題は変ること止め処もないのは何時もの事。

旨い酒と肴で暫し時の経つのを忘れたが、結局は亡き「師匠」の話に及んだ。

実はN君、「師匠」についての当日記を見た後、友人間のプライベイト・サイトに次のような追悼文を配信していた。

≪○君、久しぶりです。<O:P></O:P>

師が無くなり意気消沈しているところです。師との付き合いは、かれこれ40年ぐらいになる。LP時代にハイドンのチェロ協奏曲1番、2番を買ったのが始まりである。勿論、ジャケットの写真でしか顔を見ていなかったので、どのように演奏しているのか皆目見当が付かなかった。<O:P></O:P>

今から25年前にレーザー・ディスクが出て、レーザー・ディスクの音楽盤第一弾としてロストロポーヴィッチとカルロ・マリア・ジュリーニ、ロンドン・フィル協演のドヴルザークとサン=サースのチェロ協奏曲集(1982録音、録画)が出た。ロストロポーヴィッチ55歳の映像と音楽である。ドボコンは、貴君が動画として貼り付けたものと同じである。勿論其のときLDCDプレーヤー(CDLDは、1981年にほぼ同時に発売されている)と件のディスクを購入したのは言うまでもない。<O:P></O:P>

以来、このディスクを視て、訊いていたが、25年前といえば、チェロから遠く離れ、チェロを弾こうなどとは夢想だにしなかった。貴君も承知のようにチェロの練習を再開したのは5年前である。以来何十回、何百回とディスクを再生し天才演奏家の技術を盗もうと日夜努力しているのはいうまでもない。もっともロストロポーヴィッチは、技術が盗まれていることを知る由もない。<O:P></O:P>

彼が、微に入り細に渡り映像と音を残してくれたことは、大家を師としてもてない素人には大変ありがたいことである。我々が高校生の頃ハイフェッツの映画を見てヴァイオリンとはああいう風に弾くものかと感動し、感激したのを覚えているだろうか。映画では、何回も繰り返し見ることは出来ず、只唖然としただけである。それに比べると、このLDは、師と呼べるほどに有り難いものである。<O:P></O:P>

話は替わるが、陛下ほどに教示を受けた師であれば、追悼演奏で安らかに眠ることも出来ようが、一度も見えなかった者の追悼演奏では、寝覚めも悪かろう。寝覚めは無いか。≫

 

◆毎日新聞が追悼記事

身に覚えのない「弟子」の追悼演奏で巨匠が寝苦しい思いをして寝覚めてくれるのが喜ばしい事かどうかはともかく 、遅くまで鰹と亡き師を肴に久しぶりに酒が進んだ。

奇しくも昨日の毎日新聞が巨匠を偲んで追悼のコラムを書いていた。

亡き師の人柄を表す<日本も愛し、音楽家の育成に貢献した。指揮者の小沢征爾さんと岐阜県などで無料演奏会も開いた。外国で村から村へ音楽をプレゼントして歩いた体験からといい「音楽はみなのもの」の思いがにじむ>という件は同じ感慨を持つ。

美智子皇后陛下の古希の祝いに、ご自身も心もチェロを弾かれる天皇陛下の前で巨匠はお祝いの演奏をした。

その一方巨匠自ら、日本の山村でクラシック音楽に縁のないお爺さんお婆さんのを集めお寺の講堂で無料演奏会をしたりもした。

その様子はNHKの番組で放映された。

彼の日本びいきを伝える毎日新聞の追悼記事で巨匠も今度は安らかに永眠できるだろう。

合掌。

毎日新聞 筆洗
2007年5月2日

 愛称を「スラーヴァ」と言った。先日、八十歳で死去したロシアの世界的なチェロ奏者で指揮者のムスチスラフ・ロストロポービッチ氏だ▼民主化運動に加わって迫害を受け海外に移ってから市民権を奪われた。ペレストロイカ(改革)で復権し、十六年ぶりに帰国したとき、人々が空港で掲げた看板は「ロストロポービッチに栄光(スラーヴァ)あれ」。愛称とロシア語で栄光を意味するスラーヴァとをかけた言葉だった▼かつてこう語った。「人間にとって困難や闘いは有益なことですよ」(ソフィア・ヘントヴァ『ロストロポーヴィチ』)。それも支えだったか。保守派クーデター未遂では市民とビルに立てこもってエリツィン氏を励ますなど、闘士と言うにふさわしい▼心の底にあるものは人間や芸術への深い愛情だったのだろう。日本も愛し、音楽家の育成に貢献した。指揮者の小沢征爾さんと岐阜県などで無料演奏会も開いた。外国で村から村へ音楽をプレゼントして歩いた体験からといい「音楽はみなのもの」の思いがにじむ▼「自分は世界市民でありたい」と語り、一方で「祖国は常に私の心の中にある」。それは両立する気持ちだったに違いない。死去はとりわけロシアの人に惜しまれようが、その生涯は魂の気高さや「栄光」というものを教え続けるはずだ▼「この組曲ほどかけがえのないものはありません。神がいろいろな色を与えてくれた。涙も笑いもすべての色が凝縮されています」。六十五歳で録音したバッハの無伴奏チェロ組曲を聴けば、氏の深い人生と重なり合うようでもある。

 

 【追記】17:35

ベルリンの壁の前でバッハを演奏するロストロポービッチの貴重な動画をアップしておきます。

http://www.youtube.com/v/zPRDU_KIuZI

 

 

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世界的チェロ奏者ロストロポービッチさん死去

2007-04-28 15:56:02 | 音楽

世界的チェロ奏者・指揮者 ロストロポービッチさん死去 80歳(04/28 09:34)

札幌コンサートホール「キタラ」でロンドン交響楽団を指揮するロストロポービッチさん=2001年2月17日

札幌コンサートホール「キタラ」でロンドン交響楽団を指揮するロストロポービッチさん=2001年2月17日

 【モスクワ27日藤盛一朗】ロシアの世界的チェロ奏者で指揮者のムスティスラフ・ロストロポービッチさんが二十七日、モスクワ市内の病院で死去した。八十歳だった。昨年十二月に入院し、肝臓がんの手術を受け、その後は入退院を繰り返していた。

 旧ソ連時代の民主化の闘士としても知られ、二十三日に死去したエリツィン前大統領、ノーベル賞受賞の文学者ソルジェニーツィンさん、指揮者の小澤征爾さんらと親交を結んだ。

 一九二七年、バクー(現アゼルバイジャンの首都)で生まれ、モスクワ音楽院でチェロと作曲を学んだ。師でもあるショスタコービッチの二つのチェロ協奏曲などを初演。六七年からは指揮活動も始めた。

 六九年に反体制作家のソルジェニーツィンさんを擁護したことを理由に当局の圧力を受けるようになり、七四年に出国。七八年に市民権をはく奪された。九一年のクーデター未遂事件では、フランスから一時帰国し、民主主義擁護のため、エリツィンさんとともに街頭に立った。

 親日家として知られ、昨年十二月に東京で新日本フィルを指揮してロシアに帰国後、健康が悪化した。

 六五年と九二年に札幌でチェロのリサイタルを開催。二○○一年二月には札幌コンサートホール「キタラ」で行われたロンドン交響楽団の演奏会で指揮者を務めるなど、北海道でも名演を披露した。 (北海道新聞)

                    ◇

カザルス、カサド、フォイアーマン、ピアティゴルスキー、フルニエそしてロストロポービッチ。

20世紀を代表するチェロの巨匠が逝った。

  • パブロ・カザルス (1876-1973)
  • ガスパール・カサド (1897-1966)
  •                     *

    プロの演奏家にとって誰に師事したかは重要な問題である。

    辻久子さんのように父親の個人指導だけで大成した例は最近では見当たらない。

    名のある師を求めて海外に行っても師匠の名を頂いて箔をつけるだけの演奏家も多いと聞く。

    アマチュア演奏家でもローカルなりにどの先生に師事したかが問題になる。

    友人のN君はアマチュア楽団でチェロを弾いて楽しんでいるが、殆ど独学でチェロを習得した。

    楽団に入った頃ご多分に漏れず誰に師事したかが話題になった。

    件のN君、すかさず言った。

    「私はロストロポービッチに師事した」。

    勿論誰も信じるものはいない。

    そのままではチェロを弾くと言うより、大ボラ吹きと云われかねない。

    間髪を入れず彼は次のようにフォローした。

    「ロストロボービッチのCDを繰り返し聴いて音楽を身に付けたので、師匠はロストボービッチです」。

    N君のCDのストックは膨大なものでクラシック音楽に関しては演奏と言うより鑑賞の方が本格的。

    彼が心酔するロストロポービッチはバルトークを師と仰いでいたと言うから、バルトークの孫弟子ということになる。

    田舎のへぼ楽団でもバルトークの孫弟子が必死になって演奏していると考えると気宇壮大になり楽しくなってくる。

    ロストロポービッチは親日家としても知られ、1958年以来たびたび来日しており寿司が大好きと言う。

    指揮者小澤征爾と親しく、日本のジュニア・コンサートのような巨匠に似合わない仕事も、好んで受けていた。

    皇后美智子様の古希のお祝いに来日、両陛下御臨席の下でチャリティー・コンサートを開いたことはあまり知られていない。

    因みに天皇陛下は皇太子時代の1970年から25年間、故 清水勝雄さんにチェロの師事を受けていた。

    そのキャリアから判断するとロストポービッチを師と勝手に仰いでいるN君より陛下の方が遥かに腕はお上手だと思うのだが・・・。

     

     天皇陛下:清水勝雄さんの死を悼み、チェロを演奏される 
    2002.02.21 
     
     天皇陛下のチェロの先生だったチェリストの清水勝雄さんが78歳で死去した20日の夜、天皇陛下は御所で皇后さまのピアノの伴奏に合わせて約1時間、チェロの演奏をしていたことが21日、分かった。側近は、指導を受けた清水さんの死を悼んで演奏したのではないかと話している。
     演奏は夕食後、御所の居間で両陛下だけで行われた。天皇陛下は70年から92年まで清水さんに400回以上にわたってチェロ演奏の指導を受け、皇太子時代は東宮御所で職員を交えて演奏会を開くなどしていた。しかし、即位後は公務が多くなり、こうした演奏会を開く機会はなく、時々、御所で一人あるいはピアノの皇后さまと演奏している程度だという。

     清水さんが亡くなったことはその日の午後、報告されており、両陛下は28日の葬儀に向けて生花を贈った。

    [毎日新聞2月21日] ( 2002-02-21-20:26 )
                     
                     *

    チェロの「恩師」に捧ぐ、両陛下が「追悼演奏」

     天皇陛下のチェロの進講役だった清水勝雄さん(78)が亡くなった20日の夜、天皇、皇后両陛下が“追悼演奏”されていたことが21日、侍従の定例会見で明らかにされた。侍従によると、食後の約1時間にわたり、皇居・御所の居間から天皇陛下のチェロと皇后さまのピアノによる合奏が聞かれた、という。

     陛下は清水さんを「温厚で穏やかな人だった」としのび、20日夕には侍従を通じ「長い間教えて頂いたことを思い出しています」と家族にお悔やみの言葉を伝えられた。その際には、皇后さまからも「皇室にいい音楽をくださってありがとうございます」との言葉が添えられた。

     清水さんは陛下が皇太子時代の1970年から25年、計約430回のレッスンを受け持った。両陛下は一昨年4月、都内で開かれた清水さんの「喜寿記念3大チェロ協奏曲演奏会」を鑑賞されている。

    (読売新聞2月21日19:33)
     

     

    【動画】ロストロポービッチの「ドヴォルザークチェロ協奏曲」全曲
    前奏が長いので一寸我慢して・・・4分過ぎ辺りで巨匠の力強いソロが始まります。

    http://www.youtube.com/v/xxYbF-Yzdf0

    http://www.youtube.com/v/lRRHhCAUDI4

    http://www.youtube.com/v/Iuw1ieM2Ejg

    http://www.youtube.com/v/4-GlL_qlvBM

    http://www.youtube.com/v/Fj0GMQCi3gY

    http://www.youtube.com/v/K7e7LFhfN_s

     

    【追記】ドヴォルザークの「チェロ協奏曲」を「ドボコン」と言うと音楽通に聞こえる。

    なお、ドヴォルザークにはこの曲の他にもう一曲、習作時代(1865年)のチェロ協奏曲(イ長調、B.10)があるが、こちらはオーケストレーションも完成して<WBR>いない未完成作品で演奏される機会はほとんどない。 ...
    コメント

    オペラ歌手が歌う「ナツメロ」は芸術か悪趣味か

    2006-12-03 07:55:57 | 音楽

    「ナツメロ」とは本人にとって懐かしい歌だ、と定義すれば世代によって該当する歌の範囲は広い。

    生まれ育ったその時代、その場所そして関わった人々を、そのときに流行った歌のメロディーで回想する。 まさにナツメロの世界だ。

     ≪新曲を 覚えた頃は もうナツメロ≫

                     *

    あるコンサートにナツメロを聴きに行ったら、想い出の詰まった懐かしい歌をオペラ歌手がベルカント唱法で歌った。

    ◆ベルカント:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88

    暫しあの日、あの頃の友の顔でも回想しようという言う思いは、歌手の声量たっぷりのオペラ風の美声で打ち砕かれた。

    期待はずれにブツブツ文句を言っているだけだったら良く聞く話で、特に問題も無かった筈なのだが、・・・。

    このナツメロンファン、メルマガの主唱者で、期待はずれの鬱憤を自分のメルマガの記事にしてしまった。

    ≪オペラ風に歌われる歌謡曲には戸惑いを感じた。更に欧州
    帰りのオペラ歌手古川精一さんとのデュエットデ歌われた「旅の夜風」
    には悪趣味を感じた。≫

    それが転送、転載によって件のオペラ歌手の目にとまってしまったからさー大変。

    早速歌手本人から反論があった。

    しかもこのコンサートは「霧島昇・松原操夫妻の持ち歌」が目玉で、件のオペラ歌手が霧島・松原夫妻の実の娘さんだと言うから問題は複雑化。

    さー、ベルカント唱法で歌い上げる「旅の夜風」は芸術か、はたまた唯の悪趣味か。

    ことの顛末は当事者の記事で。

     

    ━━━━━━━━━
    冒涜と悪趣味の意味
    ━━━━━━━━━


              渡部亮次郎

    <東京・渋谷のホテルセルリアンタワー東急ホテルの教会で開かれるサロ
    ン・オーケストラ・ジャパンのコンサートが9日夜、3ヶ月ぶりに開かれ
    た。

    今回は嘗ての歌謡スター霧島昇・松原操夫妻(いずれも故人)の三女でオ
    ペラ歌手(ソプラノ)大滝てる子さんが両親の持ち歌を敢えて歌うとい
    うプログラムがはさまれていた。

    「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」のほか森山良子作曲の「涙(なだ)
    そうそう」も。オペラ風に歌われる歌謡曲には戸惑いを感じた。更に欧州
    帰りのオペラ歌手古川精一さんとのデュエットデ歌われた「旅の夜風」
    には悪趣味を感じた。

    オペラはオペラ、歌謡曲は歌謡曲なりの歌い方があって、ファンを納得
    させている。融合は不可能である。花も嵐も踏み越えて、をオペラ風に
    歌うとご両親を懐かしむより冒涜しているように感じた。

    次回は「セルリアン・ニューイヤーコンサート」として、1月11日(木)
    午後2時半と午後7時だそうです。4000円。>(「頂門の一針」11月10日
     625号 身辺雑記)

    これに対して「頂門の一針」を転載した上海発のメルマガに当の大滝て
    る子さんから9日後に以下のような文が寄せられていると伝えてきて、
    直ちに私のところへ転送されてきた。

    <文中の霧島昇・松原操、両親の歌を「冒涜」というお言葉本当に悲し
    く思いました。両親の歌を歌うようになるまでにはいろいろな深い思い
    そして経緯がございます。

    融合は不可能もという言葉も、本当に残念に思います。安易な、そして
    顔の見えない批判を私自身も慎みたく思います。主催の方にお尋ねになっ
    て是非一度お手紙を下さいませ。お話が出来ますのを楽しみにしており
    ます。(2006/11/19 04:15:04 PM)>

    「両親の歌を『冒涜』というお言葉」はおかしい。ご両親の歌をオペラ
    風な歌い方で歌われるのは、あの歌に対する冒涜と言っているのであっ
    て、私は歌手を冒涜したのではない。企画が悪趣味だといっているのだ。

    例は悪いが、逆に演歌歌手がオペラを歌ったら、オペラ界は「融合」
    「成功」といいますか。お父上とお母上のデュエットには独特の息継ぎ
    とか情感の込め方とかが存在し、いわば独特の世界を形成して今日に至
    っている。

    それをオペラ調で歌われると、音吐朗々ではあるが、途端に歌謡曲でも
    演歌でもなくなる。霧島もミス・コロムビアも消される。だから子が親
    を消してしまうのだから冒涜と敢えて言ったのである。

    子が親を思う事は美しい。しかし、それを演歌でもない、ォペラでもな
    い、わけの分らないものにしてカネを取るというのは、少なくとも企画
    は悪趣味と反省すべきだ。

    大滝さんが演歌を演歌なりに歌えるなら許そう。ドイツだかベルカント
    だかの唱法でしか歌えないのに、親の歌を子供が歌ってどこが悪いと開
    き直るのは悪趣味だ。人格的に問題がある。親の歌は親のもの、子供は
    自分の歌を歌うべきだ。

    音楽の発声法には疎いがドイツ唱法とかベルカント唱法とかで演歌を歌
    われると気持が悪い。以前、霧島昇・ミスコロムビアご夫妻のご長男で
    東京音楽大学教授の坂本紀男さんがラジオ番組で父上の名作「胸の振り
    子」を歌われて、やはり違和感を覚えた。クラシックの歌い方だったか
    らである。

    お兄さんの坂本さんも大滝さんも演歌を歌っているようで演歌ではない。
    ファンは懐かしくて1度は聴くが、似て非なる歌だから2度は聴きたくな
    い。それを「受けた」と感じるのは勘違いだ。兄妹ともに勘違いしてい
    る。あまりにも鈍感だ。

    演歌は演歌、オペラはオペラでいいと思うのである。演歌には小節が不
    可欠だが、ドイツ唱法とかベルカント唱法で歌われると、全く似て非な
    るものになってしまう。

    主催者は99%の人が喜んで帰ったといってきた。他人はどうであれ、私
    は気持が悪かったからあのように書いたのである。音楽もまた感性の芸
    術である以上、賛否のある事は当然であって、多数だから正しいという
    ものではないだろう。

    松原操(ミスコロムビア)に関する『ウィキペディア』を見ると「霧島
    ・松原夫妻の忘れ形見である長男の坂本紀男と三女の大滝てる子は、現
    在も父母のヒット曲を歌い継いでいる」とある。二人して両親を歌い継
    いでいると思いながら両親を否定していることに気付かないだけなのだ。

    特に大滝さんはご両親の歌を歌うことを仕事にされているようだから、
    私のような素人からの批判には厳しい抵抗をして当然である。

    そうですか。なるべく聞きたくないものだ。それにしても見ず知らずの
    者に手紙を寄越せとは大滝さん、思い上がりだろう。2006.11.22 

     

    ━━━━━━━━━━━
    分類すれば「ゲテモノ」
    ━━━━━━━━━━━


                 渡部亮次郎

    メイルマガジン「頂門の一針」の1愛読者から、以下の投書を戴いた。
    霧島昇・松原操夫妻の3女でソプラノ歌手の大滝てる子さんが両親の遺作
    をオペラ調で歌ったことを咎めたことに対するご「感想」なのである。

    <演歌は日本の文化に根ざしている。ご維新から昭和まで突っ走った歴
    史の裏で泣いた庶民の哀歓が日本の歌調を生んだ。

    ワインも日本酒もそれぞれの土壌、文化から生まれており、ブレンドす
    る事は考えない。それぞれに味わうことが普通だろう。

    最近、外国の歌手でも日本の歌曲をすばらしく歌う人がいるが(ロスチ
    ャイルド一族の女性)、さすがに演歌は歌わない、いや歌えない。

    ワグナーに「夕星の歌」という哀切きわまりないアリアあるが、小節を
    利かせて歌っても感動は呼ばない。

    演歌を音吐朗々とバリトンで歌うことは罰せられはしないがそれは1回
    だけでお許し願う「座興」に過ぎない。分類すれば「げてもの」に入る。
    (長岡新太)>

    この方は昭和1桁。幼少の頃から、78回転、モノーラルでクラシックを聴
    き続け、長じてはナマの演奏会を梯子し、多分、家を1軒建てるほどにつ
    ぎ込んだという人である。

    それほどなのに演歌に関する理解も深いこと。音楽というものを高いと
    ころから俯瞰しておられること、日本人としては最高のレベルと言って
    も過言ではあるまい。

    オペラ歌手となった霧島・松原の遺児たちが「旅の夜風」初め両親の遺
    作を有料で歌うことについて、私は私のメルマガ「頂門の一針」11月10
    日号で強く非難した。

    2006年11月9日に渋谷のホテルで行われたクラシックの演奏会に出てきて
    ご両親の遺作を何曲か歌われた後、ヨーロッパ帰りの男性オペラ歌手を
    わざわざ舞台に招いて「旅の夜風」をオペラ調で朗々とデュエットされ
    たからである。

    <東京・渋谷のホテルセルリアンタワー東急ホテルの教会で開かれるサロ
    ン・オーケストラ・ジャパンのコンサートが9日夜、3ヶ月ぶりに開かれ
    た。

    今回は嘗ての歌謡スター霧島昇・松原操夫妻(いずれも故人)の三女でオ
    ペラ歌手(ソプラノ)大滝てる子さんが両親の持ち歌を敢えて歌うとい
    うプログラムがはさまれていた。

    「一杯のコーヒーから」「蘇州夜曲」のほか森山良子作曲の「涙(なだ)
    そうそう」も。オペラ風に歌われる歌謡曲には戸惑いを感じた。更に欧州
    帰りのオペラ歌手古川精一さんとのデュエットで歌われた「旅の夜風」
    には悪趣味を感じた。

    オペラはオペラ、歌謡曲は歌謡曲なりの歌い方があって、ファンを納得
    させている。融合は不可能である。花も嵐も踏み越えて、をオペラ風に
    歌うとご両親を懐かしむより冒涜しているように感じた。

    次回は「セルリアン・ニューイヤーコンサート」として、1月11日(木)

    午後2時半と午後7時だそうです。4000円。>(「頂門の一針」11月10日 
    625号 身辺雑記)

    私は演歌は演歌でしかなく、オペラとは異質のものと考える立場から、
    こうした試みは悪趣味であり、ご両親のご功績たる確立された演歌に対
    する冒涜であると非難したわけだ。

    趣旨をこのように「頂門の一針」625号に掲載したところ、それを上海在
    住の日本人の方が御自分のブログに転載し、それをたまたまご覧になっ
    た大滝さんが書き込みをされ、私に手紙を下さいとして居られた。

    しかし、メルマガに書くのではなく手紙を寄越せという言い分に正直、
    立腹した。なんで私がわざわざ手紙を書く必要があるのか。そこで演奏
    会の主催者を通じて抗議すると共に、メルマガにその怒りを公表した。

    ところが、今度は主催者が怒った。主催者宛の私信をメルマガに掲載(公
    開)したのは許せない、という怒りである。だが私の書いた手紙を公開質
    問状とするか親展とするか平信とするかは執筆者の勝手であると考える
    私は、主催者の抗議文掲載要求を拒否した。

    私宛に来た私信を断りなしに公表したら、プライバシーの侵害だから抗
    議されて当然である。だが私が書いた文章を私が公開しようが、すまい
    が、私の勝手である。それを勝手に怒るのは非常識であり、その非常識
    を天下に晒すのは可哀想だから未だに晒していない。

    大滝さんは、コトを逆にとらえて私が主催者からの私信を私のメルマガ
    に断りなしに掲載したと完全に誤解して例の上海のブログに抗議の書き
    込みをしているらしい。大滝さんは私と年が近いだけに、主催者の非常
    識にはお気づきにならなかったようで、笑いを誘われる。

    オペラ調で歌われた演歌の1曲が、私の過剰な反応から非常識な反応を呼
    び、誤解に基づく反応を呼んだが、長岡新太さんの投書を「裁定」とし
    てこの問題にケリを付けたい。主催者も一瞬の隙でつい座興を興行して
    しまったものとして許したい。2006.1129

     

     

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    悪魔に魂を売った男 パガニーニ

    2006-12-01 07:35:51 | 音楽

    ◆東京出身の米元さん優勝、ロシアのバイオリンコンクール

     【モスクワ30日共同】モスクワで開催されていた第4回パガニーニ国際バイオリンコンクールの最終選考会が29日夜開かれ、東京都出身の米元響子さん(22)が優勝した。同コンクールで日本人の優勝は初めて。

     米元さんは「聴衆の前で力を出し切れたのがよかった。今回の優勝は大事なワンステップになる」と喜びを語った。

     6人による最終選考会で米元さんはドボルザークのコンチェルトを演奏。「難しい曲でありながら美しく情緒的で、熟達したプロフェッショナルの演奏だった」と審査員から高く評価された。コンクールには50人が参加した。

     米元さんは3歳からバイオリンを習い始め、13歳の1997年にイタリア・パガニーニ国際コンクールで4位に入賞、最年少入賞者として注目を浴びた。2002年には若手演奏家の登竜門、ロン・ティボー国際音楽コンクール(バイオリン部門)で3位に入賞するなどの経歴を持つ。日本国内でも多くの演奏活動を行っている。(日本経済新聞)  (09:32)

    音楽家の名を冠した音楽コンクールは多数あるが作曲家でかつ当時の最高の演奏家でもあった音楽家の冠コンクールというとショパン・コンクールとパガニーニ・コンクールがすぐ脳裏に浮かぶ。

    パガニーニと言えばそのあまりの技巧の素晴らしさに、悪魔に魂を売って代償にヴァイオリン技術を得たと言う噂が流れるほどの超越技術のヴァイオリニスト。

    肖像画で見るパガニーニはやせ細って本人自身が死神の風貌である。

    日本人俳優でパガニーニを演じられる俳優は死神博士で子供の人気を得た怪優・天本英世さんくらいのものだろう。http://chopinthethird.nobody.jp/puro/puro.html

    そんなことはどうでもいいが、鬼神のようなヴァイオリン奏者パガニーニの名を冠した国際ヴァイオリンコンクールはチャイコフスキーコンクール、シベリウス・コンクールと並んで入賞するだけで難関の一流ヴァイオリニストの登竜門だと聞く。

    そのパガニーニ国際コンクールで日本女性が優勝と言うから最近の日本のヴァイオリンのレベルアップも著しい。

    だが、一寸待てよ。

    パガニーニ国際コンクールに優勝した女性には史上最年少の16歳で優勝した庄司沙矢香さんがまだ記憶に新しいけど・・・。

    それに一寸前にこんな新聞報道もあった。

    ◆調布の女子高生3位 パガニーニ国際バイオリンコンクール

     桐朋女子高校(調布市若葉町)音楽科3年の正戸里佳さん(17)が、9月にイタリアで行われた「パガニーニ国際バイオリンコンクール」で3位入賞を果たした。最近のバイオリニストには珍しく、かつての巨匠を彷彿(ほうふつ)とさせる「温かく、美しい」音を奏でるのが最大の魅力だ。国際的な知名度はまだ高くないが、大型新人の登場に注目が集まっている。(山本雄史)

     パガニーニコンクールは、19世紀に活躍した超絶技巧で知られるバイオリニスト、ニコロ・パガニーニの名を冠した由緒ある国際コンクール。日本人では、庄司紗矢香さんが平成11年に史上最年少の16歳で優勝を果たしている。(★印参照)

     正戸さんは、広島市出身。テレビで見たバイオリン演奏に感動して「やりたい」と母親にせがみ、3歳からバイオリンを始めた。「祖父がバイオリン、母もピアノをやっていたので、音楽に向いている家系かもしれません」と話す。

     中学時代に学生コンクールで入賞。「なるべく早く東京の音楽学校に行くべきだ」という師のアドバイスに従い、桐朋女子高へ進学。寮生活を送りながら、毎日5~6時間以上の練習をこなしている。

     高校入学後、国際大会での入賞が期待されるようになったが、これまでセミ・ファイナル止まりが続いていた。

     「コンクールは期待すると裏切られるので、入賞を聞いて本当にびっくりしました」と振り返る。

     コンクール本選で、チャイコフスキーのコンチェルトを弾き終えた際、2000人の聴衆の拍手が最高潮に達した。風邪で熱を出すなどコンディションは最悪だったが、後で関係者から「なぜあなたが1位でないのか」と言われたほどの演奏だった。

     技巧や力強さで勝負するバイオリニストが多い中、正戸さんはやわらかい、深みのある音を奏でる。

     「コンクールはただの通過点。もっとうまくなって、早く自分の演奏会を開きたい」

     17歳とは思えないプロ意識で、世界の「マサトリカ」を目指す。(産経新聞)

    (11/20 10:04)


    結局パガニーニの名を冠したヴァイオリン国際コンクールがパガニーニの母国イタリアとロシアの2カ国であるって事か。

    そういえばモスクワのパガニーニ国際コンクールは今回で第四回だと言うから、未だ四年目の歴史の浅い大会で、日本人の優勝者は今回が初めてと言うのも道理だ。

    だが、それにしても本家イタリアからはクレームはつかないのだろうか。

    こんなややこしいヴァイオリンコンクールを持たなくともロシアには伝統のあるチャイコフスキー国際コンクールがあるじゃないか。

    1999年には諏訪内晶子さんが史上初めて優勝もしている。

    そのロシアにまた一つヴァイオリン国際コンクールを創るのなら紛らわしいパガニーニなんて止めてアウァー・コンクールにでもして欲しかった。

    アウァーはロシアの大ヴァイオリニストで20世紀のヴァイオリンの巨匠エルマン、ジンバリスト、ハイフェッツ、ミルンシュタインを育てた。

    20世紀最高のヴァイオリニストといわれるヤッシャ・ハイフェッツが演奏するパガニーニのカプリースを聴いてみよう。

    因みに映像の最初に出てくる楽譜表紙によるとこの曲は演奏者ハイフェッツの師匠アウァーの編曲による。

    ◆パガニーニ作曲「カプリース 24番」(演奏ヤッシャ・ハイフェッツ)
    http://www.youtube.com/watch?v=vPcnGrie__M  

    【蛇足】上記映像に関して:  ヴァイオリンは左手の指で弦を押さえ音程を取り、右手の弓で弦を摩擦して音を出す。 弓で弾かずに右手の人差し指で弦を弾いてギターや三味線のように音を出す技法があり「ピッチカート奏法」と言う。  ところが映像中、右手の弓で弾きながら左手の弦を押してない指でピッチカーとをしたり、右手も弓とピッチカーと交互に弾く場面が途中(3分45秒くらい)から出てくるが、作曲者パガニーニと演奏者ハイフェッツの面目躍如と言ったところ。

    最後の部分(5分20秒前後)は圧巻で、弾き終わって「どうだ!」という感じで伴奏者を見るハイフェッツ。自分の技術に対する自信が滲み出しているシーン。 なおこのややこしい奏法は後のスペインの作曲家で大ヴァイオリニスト・サラサーテのお馴染みツィゴイネルワイゼンの最終部分に見事に引き継がれている。

    【蛇足】その2:ハイフェッツ兄弟子に当たるアウァー門下のエフレム・ジンバリストは日本のヴァイオリニストの長老江藤俊哉の先生であり、息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニアはアメリカの有名なテレビ俳優で、孫も世界的に人気のある女優である。


    庄司紗http://www.universal-music.co.jp/classics/shoji/

    1999年12月23日 特集 天才ヴァイオリニスト、庄司紗矢香の世界http://www.tbs.co.jp/news23/onair/tokusyu/1999_12/19991223.html
    あの筑紫哲也先生もパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで、日本人として初めての優勝を史上最年少の16歳で飾った庄司紗矢香さんを番組で特集していたようだ。... このコンクールは、時によっては優勝者が出ないほど厳しい審査で知られ、これまでにギドン・クレーメルなどが優勝している。 ...

    ◆参考:チャイコフスキー国際コンクール

     【蛇足】その3:ロン・ティボー国際コンクールは「ロン・ティボーさん」の名を冠したコンクールではない。

    ロン=ティボー国際ヴァイオリンコンクールhttp://www.gorodiary.com/long-thibaud/thi5.php

     

     

     

    コメント

    エリザベス・テーラー主演「ラプソディー」を鑑賞

    2006-11-18 08:21:21 | 音楽

     一時期クラシック・音楽を主題にした映画が流行ったことがある。

    古くは「オーケストラの少女」やヴァイオリンの巨匠ハイフェッツが本人役で出演する「彼等に音楽を」、そしてディズニー映画で「ファンタジア」。

    「彼等に音楽を」http://www.youtube.com/watch?v=S3HnjQQR40I&mode=related&search=

    1939年製作。貧乏な少年がヴァイオリンが好きで、これも貧乏な父と娘が経営する音楽学校に通う事になる。

     音楽学校の経営を立て直すべく娘の恋人の新聞記者の青年とともに音楽会開催を企画する。主人公の少年はふとしたことで大ヴァイオリにストハイフェッツ(本人が演じている)と知り合い自分達の音楽会出演を頼む。
     
    超売れっ子の有名ヴァイオリスト・ハイフェッツが出演できるはずも無くていよく断られる。
    ハイフェッツのヴァイオリン盗難事件に主人公の少年が巻き込まれたりする挿話があって、既に音楽会が始まった学校のホールに駆けつけると、・・・・廊下に溢れた父兄に混じってホールから流れる妙なるヴァイオリンの音を聴くと、・・・・・・。
     
    とても学生の演奏とは思えない神業のような樂の響き。
     
    メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 第三楽章 最後まで全曲演奏します。
     
    画面はパトカーに先導されて、タクシーで主人公達が会場に駆けつけるところから。

    なお主人公の一人の新聞記者役の俳優は見覚えがあると思っていたら、最後のクレジットで見るとジョエル・マックリーと言って少年時代のB級西部劇の主人公をやっていた俳優。
    ゲイリークーパーやジョンウエインがA級西部劇のヒーローなら、ランドドルフ・スコットやジョエル・マックリーはB級映画で子ども達にとっては同じくヒーローだった。

    だが少なくともレーガン大統領よりは格上の西部劇スターだった。

                           ◇

     

    録画したビデオで古い映画を見た。

    1954年製作のエリザベステーラー主演の音楽映画「ラプソディー」。

    この映画を見るのはこれで3度目。

    始めて見たのは時を遡ること半世紀、クラシック音楽に興味を持ち始めた中学生の頃,国際大通りから入った通りにあった「グランド・オリオン」という映画館で見た。

    音楽好きの知人の勧めで見たのだが、ストーリーは二の次だった。

    当時音楽と言えばラジオか公民館等で行われていた「レコードコンサート」でしか聴く機会の無い13歳の少年にとって、この映画は、クラシック音楽を目で見て同時に耳で聴く生演奏会のような映画だった。

    芳紀まさに22歳の美女エリザベステーラーを中心に展開する美男美女のラブストーリーには正直言ってあまり関心が無かった。

    当時のアメリカの美人女優ではエリザベス・テーラーよりはむしろヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘプバーンの方が美人だと思っていたせいかも知れない。

     

    二度目に見たのは十数年前、NHKのBSで放映されたとき録画したビデオでストーリー部分は早送りして音楽演奏のシーンだけを見た。

    それまでにも日本映画「ここあり 」でヴァイオリニストやピアニストの演技ぶりを見ていた。

    俳優が演ずるので仕方が無いとは言え、岸恵子ふんするピアニストや岡田英二扮するヴァイオリニストが劇中で演奏する時はカメラアングルによる演奏の誤魔化しがやたら目に付いた。

    例えばピアノを弾くシーンでは後姿が多く、顔が映るときは演奏する手はカメラから外す。 後は上半身だけで手は映さない顔の表情だけの演技。

    岡田英二のコンサートマスターはもっとひどかった。

    右手のボウイングのギコチナサは勿論、左手首の硬さもとてもヴァイオリニストの演奏には見えなかった。

    要すれば、一流ヴァイオリニストの妙なる楽の音を演奏する演奏者が画面ではゴチゴチに固まった初心者の姿といった具合。

    この違和感が折角の岸恵子、岡田英二の美名美女の熱演を白けさしていた。


    話が脱線したが「ラプソディー」二回目の鑑賞では音楽映画と銘打っていただけあって、劇中の演奏場面でもハリウッド映画の実力を感じずにはおれなかった。

    エリザベス・テイラーふんするルイズの恋人の音楽学生の恋人ポールを演じたヴィットリオ・ガスマンのヴァイオリニスト振りは見事の一言に尽きた。

    楽器の構え方に弓の持ち方、それに左手のビブラートもサマになっており、とても音楽の素人が演じているとは思えない演技であった。

    ルイーズに横恋慕するピアノの学生ジェームスを演じたジョン・エリクスンのピアニスト振りも見事であった。

    岸恵子や岡田英二の迷演奏とは比べ物ではなかった。

    それもそのはずこの映画の音楽映画としての力の入れようは大変なもので、陰の演奏者に当時51歳で、既に20世紀を代表する大ピアニストの名声を得ていたクラウディオ・アラウと18歳の新進気鋭の天才ヴァイオリニスト・マイケル・レビンを配したことでその力の入れようが分かる。

    ◆陰のピアニスト:クラウディオ・アラウ

    ◆陰のヴァイオリニスト:マイケル・レービン

    更にスタッフ・クレジットを見ると「ヴァイオリン・スーパーバイザー」と「ピアノ・スーパーバイザー」という専門のスタッフを配して劇中の演奏振りをより本物に見えるように訓練したことが伺えた。

    このように折角の若き日のエリザベス・テーラー主演のラブ・ロマンス映画も、二度ともストーリー無視の映画鑑賞としては邪道ともいえる見方をしていたのだ。

    ところが三度目の正直で、先日見た時は音楽映画としては勿論、ラブ・ストーリーとしてもよく出来た映画であることに半世紀の時を越えて新鮮な驚きを感じた。(続く)

     

     

     


     

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    時代を超えた「流行歌」(はやりうた)作家 GSからサザエさんまで

    2006-10-29 18:02:36 | 音楽

    【8月2日エントリーの再掲載です】

    取りあえず次の五十音順に並べた歌手名とその代表作を一覧して欲しい。

    リスト1 五十音別 歌手一覧
    麻丘めぐみ
    『めばえ』(作詞:千家和也)
    『わたしの彼は左きき』(作詞:千家和也)

    朝丘雪路 :昭和10年生まれ
    『雨がやんだら』(作詞:なかにし礼)

    浅田美代子
    『赤い風船』(作詞:安井かずみ)
    『しあわせの一番星』(作詞:安井かずみ)
     
    浅野ゆう子
    『セクシー・バスストップ』(作詞:橋本淳)

    安倍麻美 :昭和60年生まれ
    『Our Song』(作詞:326)2003年 オリコン初登場4位
    『きみをつれていく』(作詞:326)
    『卒業』(作詞:安倍麻美)
    『理由』(作詞:326)

    飯島真理
    『夢色のスプーン』(作詞:松本隆)
    『リンゴの森の子猫たち』(作詞:松本隆)

    いしだあゆみ
    『ブルー・ライト・ヨコハマ』(作詞:橋本淳)1968年 初のチャート1位
    『あなたならどうする』(作詞:なかにし礼)

    稲垣潤一
    『エスケイプ』(作詞:秋元康)
    『ドラマティック・レイン』(作詞:秋元康)
    『君のためにバラードを』(作詞:秋元康)
    『夏のクラクション』(作詞:売野雅勇)
     
    井上順
    『お世話になりました』(作詞:山上路夫)
     
    井上陽水
    『カナディアン・アコーディオン』(作詞:井上陽水)
     
    岩崎宏美
    『シンデレラ・ハネムーン』(作詞:阿久悠)
    『センチメンタル』(作詞:阿久悠)
    『ドリーム』(作詞:阿久悠)
    『ファンタジー』(作詞:阿久悠)
    『ロマンス』(作詞:阿久悠)
    『想い出の樹の下で』(作詞:阿久悠)
    『二重唱-デュエット』(作詞:阿久悠)
    『未来』(作詞:阿久悠)
    ヴィレッジ・シンガーズ
    『バラ色の雲』(作詞:橋本淳)

    内田有紀
    『TENCAを取ろう!-内田の野望-』(作詞:広瀬香美・川咲そら)
     
    欧陽菲菲
    『雨のエアポート』(作詞:橋本淳)
    『夜汽車』(作詞:橋本淳)

    尾崎紀世彦
    『また逢う日まで』(作詞:阿久悠)1971年 日本レコード大賞

    太田裕美
    『雨だれ』(作詞:松本隆)
    『木綿のハンカチーフ』(作詞:松本隆)
    『しあわせ未満』(作詞:松本隆)
    『九月の雨』(作詞:松本隆)

    大橋純子
    『たそがれマイ・ラブ』(作詞:阿久悠)
     
    沖田浩之
    『E気持ち』(作詞:売野雅勇)
     
    荻野目洋子
    『さよならの果実たち』(作詞:売野雅勇)
    『北風のキャロル』(作詞:売野雅勇)
     
    小沢健二
    『強い気持ち・強い愛』(作詞:小沢健二)
    『それはちょっと』(作詞:小沢健二)

    ジ・オックス(オックス)
    『スワンの涙』(作詞:橋本淳)
    『ガールフレンド』(作詞:橋本淳)
     
    河合奈保子
    『UNバランス』(作詞:売野雅勇)
    『エスカレーション』(作詞:売野雅勇)
     
    KinKi Kids
    『やめないで、PURE』(作詞:伊達歩)1999年 チャート1位
    『一秒のOthello -君に選ばれたい-』(作詞:秋元康)

    桑名正博
    『セクシャルバイオレットNo.1』(作詞:松本隆)

    小泉今日子
    『なんてったってアイドル』(作詞:秋元康)
    『ヤマトナデシコ七変化』(作詞:康珍化)
    『水のルージュ』(作詞:松本隆)
    『魔女』(作詞:松本隆)
    『夜明けのMEW』(作詞:松本隆)
     
    郷ひろみ
    『男の子女の子』(作詞:岩谷時子)
    『裸のビーナス』(作詞:岩谷時子)
    『モナリザの秘密』(作詞:岩谷時子)
    『花とみつばち』(作詞:岩谷時子)
    『あなたがいたから僕がいた』(作詞:橋本淳)
    『よろしく哀愁』(作詞:安井かずみ)
    『美貌の都』(作詞:中島みゆき)
     
    近藤真彦
    『スニーカーぶる~す』(作詞:松本隆)1980年
    『ギンギラギンにさりげなく』(作詞:伊達歩=伊集院静)
    『ふられてBANZAI』(作詞:松本隆)
    『ブルージーンズメモリー』(作詞:松本隆)
    『ホレたぜ!乾杯』(作詞:松本隆)
    『ヨコハマ・チーク』(作詞:松本隆)
    『情熱☆熱風セレナーデ』(作詞:松本隆)
     
    西城秀樹
    『恋する季節』(作詞:麻生たかし)
    『勇気があれば』(作詞:山川啓介)
    『悲しき友情』(作詞:山川啓介)
     
    斉藤由貴

    『情熱』(作詞:松本隆)
    『卒業』(作詞:松本隆)
     
    堺正章
    『さらば恋人』(作詞:北山修)
     
    榊原郁恵
    『ROBOT(ロボット)』(作詞:松本隆)
    『太陽のバカンス』(作詞:三浦徳子)
     
    桜田淳子
    『リップスティック』(作詞:松本隆)
     
    C-C-B
    『Romanticが止まらない』(作詞:松本隆)
    『ないものねだりの I WANT YOU』(作詞:松本隆)

    ザ・ジャガーズ
    『マドモアゼル・ブルース』(作詞:橋本淳)
    『星空の二人』(作詞:橋本淳)

    ジュディ・オング
    『魅せられて』(作詞:阿木燿子)1979年 日本レコード大賞

    少年隊
    『仮面舞踏会』(作詞:ちあき哲也)
    『バラードのように眠れ』(作詞:松本隆)
    『デカメロン伝説』(作詞:秋元康)
    『君だけに』(作詞:康珍化)

    庄野真代
    『飛んでイスタンブール』(作詞:ちあき哲也)
    『モンテカルロで乾杯』(作詞:ちあき哲也)

    田原俊彦
    『抱きしめてTONIGHT』(作詞:森浩美)
    『かっこつかないね』(作詞:松井五郎)
     
    東京JAP
    『摩天楼ブルース』(作詞:売野雅勇)
     
    TOKIO
    『AMBITIOUS JAPAN!』(作詞:なかにし礼) 2003年 オリコン初登場1位

    Toshi & Naoko(田原俊彦、研ナオコのユニット)
    『夏ざかり、ほの字組』(作詞:阿久悠)
     
    中島みゆき
    『美貌の都』(作詞:中島みゆき)
    『肩幅の未来』(作詞:中島みゆき)
    『兆しのシーズン』(作詞:中島みゆき)
     
    中西圭三
    『MUST BE HEAVEN』 (作詞:高見沢俊彦)
     
    中原理恵
    『東京ららばい』(作詞:松本隆)
     
    中山美穂
    『「C」』(作詞:松本隆)
    『WAKU WAKUさせて』(作詞:松本隆)
    『ツイてるね、ノッてるね』(作詞:松本隆)
    『派手!』(作詞:松本隆)
     
    長山洋子
    『肩幅の未来』(作詞:中島みゆき)
     
    NOKKO
    『人魚』(作詞:NOKKO)
     
    野口五郎
    『オレンジの雨』(作詞:吉田栄子・大日方俊子)
    『青いリンゴ』(作詞:橋本淳)
    『甘い生活』(作詞:山上路夫)
    『真夏の夜の夢』(作詞:阿久悠)
     
    平山みき(平山三紀
    『ビューティフル・ヨコハマ』(作詞:橋本淳)
    『真夏の出来事』(作詞:橋本淳)
     
    藤井フミヤ
    『タイムマシーン』(作詞:藤井フミヤ)
     
    本田美奈子
    『1986年のマリリン』(作詞:秋元康)
    『Oneway Generation』(作詞:秋元康)
    『Temptation(誘惑)』(作詞:松本隆)
    『Sosotte』(作詞:秋元康)
     
    松本伊代
    『センチメンタル・ジャーニー』(作詞:湯川れい子)
    『TVの国からキラキラ』(作詞:糸井重里)
     
    南沙織
    『17才』(作詞:有馬三恵子)
    『色づく街』(作詞:有馬三恵子)
    『潮風のメロディ』(作詞:有馬三恵子)
     
    森高千里
    『八月の恋』(作詞:森高千里)
     
    薬師丸ひろ子
    『あなたを・もっと・知りたくて』(作詞:松本隆)

    アニメソング
    『おれは怪物くんだ』
    『サザエさん』(作詞:林春生)
    『エルガイム-Time for L-GAIM-』(歌:MIO、作詞:売野雅勇 「重戦機エルガイム」前期主題歌)
    『風のノーリプライ』(歌:鮎川麻弥、作詞:売野雅勇 「重戦機エルガイム」後期主題歌)
    『TRANSFORMER~トランスフォーマー~/Peace Again~ピース・アゲイン~』(歌: 下成佐登子、作詞: 大津あきら、編曲: 鷺巣詩郎 「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」主題歌)
     
    SMAP

    『心の鏡』
    『負けるなbaby』

    先ず第一に気が付くことは歌手の年代に関係なく並べられていること。

    歌のジャンルもレコード大賞のジュディ・オングから一発歌手の中原理恵まで、何の関係もないように見える。

    麻丘めぐみや浅田美代子が現役歌手とは言いがたい歳だとしても、昭和10年生まれの朝丘雪路と昭和60年生まれの安倍麻美とは実に50歳の歳の差がある。

    これは親子というよりお婆ちゃんと孫の歳の差だ。 当然ファン層にもその差はある。

    次にこの歌手リストで目に付くのは歌のジャンル、そしてソロ又はグループに関係なく並べている。

    グループサウンズもあれば、郷ひろみ、西条秀樹、野口五郎の「新御三家」から「たのきんトリオ」。

    そして中島みゆき、庄野真代 、大橋純子等の「ニューミュージック系」から少年対、SMAP、TOKIO 、KinKi Kids にいたる「ジャーニーズ系」。

    そしてあの「サザエさんのテーマソング」まで。

    見れば見るほど五十音順にだけ頼った、何の脈絡も無い歌手リストにも見える。

    次の年代別ヒット曲リストも煩雑を承知で見て欲しい。


    リスト2 年代別ヒット曲

    昭和42年(1967年)  バラ色の雲  ヴィレッジ・シンガーズ

    昭和43年(1968年)  ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ

    昭和45年      あなたならどうする いしだあゆみ

    昭和46年      また逢う日まで 尾崎紀世彦
                さらば恋人    堺正章
                17才       南沙織
                真夏の出来事   平山三紀

    昭和47年      男の子女の子 郷ひろみ

    昭和48年      わたしの彼は左きき 麻丘めぐみ
                赤い風船 浅田美代子

    昭和49年      よろしく哀愁 郷ひろみ
                甘い生活 野口五郎


    昭和50年      木綿のハンカチーフ 太田裕美
                ロマンス 岩崎宏美
                センチメンタル 岩崎宏美

    昭和53年      飛んでイスタンブール 庄野真代
                たそがれマイ・ラブ 大橋純子
                東京ららばい 中原理恵

    昭和54年      魅せられて ジュディ・オング
                セクシャル・バイオレットNo.1 桑名正博

    昭和55年       スニーカーぶる~す 近藤真彦
                ヨコハマ・チーク 近藤真彦
                ギンギラギンにさりげなく 近藤真彦
                センチメンタル・ジャーニー 松本伊代
               
    昭和56年      スニカーブルース近藤真彦
                ブルージーンズメモリー 近藤真彦
     
    昭和57年      情熱☆熱風・せれなーで 近藤真彦
                ふられてBANZAI 近藤真彦

    昭和59年      迷宮のアンドローラ 小泉今日子
               
    昭和60年      Romanticが止まらない C-C-B
               あなたをもっと知りたくて 薬師丸ひろ子
               なんてったってアイドル 小泉今日子
               仮面舞踏会 少年隊

    昭和61年     1986年のマリリン 本田美奈子
               ツイてるね、ノッてるね 中山美穂
               デカメロン伝説 少年隊

    昭和62年     君だけに 少年隊


    昭和42年から62年までの20年間、色んな年代の、色んなジャンルの歌手が夫々その時代を反映するヒット曲を歌っている事がわかる。

    尾崎紀世彦 が『また逢う日まで』を大ヒットさせたあの頃。

    汗を流しながら腹のそこから絶叫して歌う姿は新鮮だった。

    が、その数年前イギリスの熱唱派歌手・トムジョーンズが『ラブミー・トゥナイト』をヒットさせファンの間に尾崎の熱唱を受け入れる下地は既に出来上がっていた。

    時代に敏感に反応してトムジョーンズの熱唱路線で尾崎紀世彦に『また逢う日まで』を歌わせた作曲者はエライ!

    流行歌手は時代の流れと共に、そして自分の年輪と共に、時代について行くのがきつくなる。

    そして何時しか第一線から消えて行く。

    これはスポーツ選手ほど激しくはないとしても避けがたい現実である。

    前に沖縄出身の作曲家渡久地政一さんのことを書いたとき、歌手と同様に作曲家にも残念ながら賞味期限があるものだと感じた。

    感性が時代の流れについていけなくなるのだろうと。

    上記の煩雑な二つのリストには作詞家の名はあるが作曲家の名は無い。

    これらは作曲家という一つの共通項によって括られている。

    その共通項と何か。

    (続く)  最強の作曲家 筒美 京平


     

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    第38回思い出のメロディー 

    2006-08-13 11:44:59 | 音楽

    昨夜は途中からだが、NHKの「思い出のメロディー」を見た。 今までの先入観で、引退しかかった古い歌手を引っ張り出して歌わす「ナツメロ番組」かと思ったが、・・・NHKも味なことをやる。 手抜きでなく、増えつつある「団塊の世代ウォッチャー」を意識した番組構成。 古い曲を扱いながらも飽きさせない気配りが感じられた。 司会進行のアナウンサーと秋吉久美子には異論もあろうが、間に入れた「ヤスキヨ漫才」もサビが効いていた。 太平サブローのやすしになり切りトークはもう一つの芸になっている。

     きよし:「わしは、このホールに来るのにはるばる大阪から来た」。

    やすし:「わしもじゃ」。

    きよし:「いや、あんたは青山墓地からきたんやろ」。

     太平シローはお遊びのつもりだろうが、やすしのモノマネ芸の方が本業にみえる。 いらん心配だが、ギャラの一部でもやすしの遺族に廻すのかね。

     きよし:「あんたがNHKに最後に出たのはいつだった」。

     やすし:「7時のニュース以来や」。

    やすし:「じゃが、あれはギャラが出ないワ」。

    NHKもシャレが分るようになったね。 NHKギャグでも笑わしてくれた。

    で、肝心の歌の方は、って?

    ゴダイゴ ヒットメドレーから見始めた。 「モンキーマジック」は長女が幼い頃テレビを見ながら「モンキーマジック」を連発していたのを想いだした。「ガンダーラ」は今聴いても新鮮さを失っていない不思議な曲。 伊東ゆかり・中尾ミエの「ザ・ピーナッツ・メドレー」は即席ディユエットにして良く歌っていた。 中尾ミエもちゃんと歌えば綺麗にハモれるんだ。 同時代の歌手なのにご本家の「ザ、ピーナッツ」はどうして出て歌わないんだろう。勿体無い。 宮川秦の話題になって、

    中尾ミエ:「宮川先生は、いい曲はみなピーナッツの方に持っていって、大ヒットさせた」。

    伊東ゆかり:「違うでしょう。いい曲を私達に持ってきてもみなダメにしちゃったんでしょう」。

     いい突込みしている!

    宮川秦の息子さんがバックバンドの指揮をしていたが、一寸した表情、しぐさが親父さんにソックリ。 DNAの凄さを感じる。 40年の時を超えてツーショットで「君といつまでも」を歌った、加山雄三と星由里子はいい企画だった。 当時の「若大将」と「すみちゃん」の映画を流して二人に当時を語らした。 二人とも素敵に歳を重ね「40年後の若大将とすみちゃん」の映画を撮っても可笑しくない程お似合いのツーショットだった。 金井克子・由美かおる・奈美悦子のレ・ガールズはさすがダンスで鍛えているだけあって、今でも充分様になっている。 宮川秦の追悼という事で「宇宙戦艦ヤマト」。 そして、ささきいさおの登場。 ささきいさおと言えば「宇宙戦艦ヤマト」しか思い浮かばない人が多いと思うが、彼が未だ10代の頃、リージェントをグリスで固めて「和製プレスリー」で売り出すべくポップを歌っている頃の佐々木功を知る人は少ないだろう。 当時、「東大進学を諦めてロックの世界に身を転じた」というのが売り物だった。 究極の一発屋、新谷のり子は一見金美麗さんかと思った。 一つの歌を長年歌いこんだせいか、以前より上手くなっているような気がする。 オオトリを夏川りみの「花」でしめたのは、今一番筍の歌手ということで納得だが、途中で川田正子の追悼で歌ったときの衣装は一体何じゃこりゃ。 同県出身の歌手を応援したい気はあるが、小林圭樹さんまで引っ張り出しての川田正子さん追悼なのにネックレスにバスローブに見まがう衣装は無いと思うが・・・。 トリの「花」を歌ったときの衣装も一見アイヌの衣装かと思ったが、どうもそうではないらしい。

    今日は夏川りみの出身地、八重山・石垣島の八重山商工が長野代表松代高校と対戦する。

    チバリヨー! 八重山商工!

    ★第38回思い出のメロディー 8/12 19:30-22:00 総合(再放送はBS1 8/16)  http://www.nhk.or.jp/omoide/

    コメント

    最強の作曲家 筒美 京平 【追記】動画

    2006-08-05 11:39:37 | 音楽

    この稿は前にエントリーの「時代を超えた『流行歌』作歌 GSからサザエさんまで」の続編です。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/6e19922e442fb22ad698d562
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    出来たら先に上記を読んでもらうとシアワセです。

                         *

    フォークやニューミュージックという音楽ジャンルの登場以来、作詞、作曲をして自ら歌うシンガーソング・ライターが現れた。

    ふと思いつく名前でも吉田卓郎、井上揚水、小椋佳、さだまさし、かづや姫、アリスと、きりが無い。

    シンガーソングライターの系譜は現在のヒットメーカー、ビギンやオレンジ・レンジにも受け継がれている。

    フォークの登場以前は、歌手、作詞家、作曲家は厳然と分業化していた。

    誰でも懐かしい歌を歌った歌手の歌声、顔と重ね合わせて思い出す。

    だが、作曲家というと流行った歌の数だけおるわけだが、すぐに名前と顔をお見だす作曲家は少ない。

    名前と顔が一致する作曲家を思いつくままに挙げると、古賀政男、古関裕而、服部良一、吉田正、市川昭介、船村徹、そして同郷のよしみで渡久地政一。

    テレビのアイドル時代と共に現れた作曲・都倉俊一はその若くてハンサムな風貌で山口百恵やピンクレディーの作曲家として人気を博した。

    だが、ピンクレディーの解散、山口百恵の引退と共にその名前を聞かなくなった。

    作曲家も歌手と共に賞味期限の頚木からは避けられないもの。

    旬の時期には時代に合った曲を量産しても時代の流れと共に才能は枯渇する。

    最近の例でいうと安室奈美恵やTRFの作曲者としてヒット曲を連発した小室哲也の最近の低迷がある。

    そのような思い込みを覆す作曲家がいた。

    筒美 京平。

    1940年5月28日生まれだから筆者より一つ年上。

    東京都出身で青山学院大学経済学部卒業というから同じ時期に東京で学生生活を共に過ごしたはずだ。

    グループサウンズからTOKIOや安倍麻美まで、長年にわたって主にアイドルを通じてヒット曲を世に送り出している。

    「匿名性をどこまで維持しながら、音楽活動を行なえるか」をコンセプトに活動しているとの事で未だにその顔を知らない。

    そのため、一時期「実在しないのでは?」「ゴーストライター集団による擬人ペンネームでは?」といった噂がよく流れた。 だが実在の人物である。

    前回のエントリーでもったいぶった終わり方をしたが、歌謡曲に詳しい人なら、何の脈絡も無い羅列のように見える二つのリストから一つの共通項を見つけ出していつだろう。

    朝丘雪路の『雨がやんだら』から安倍麻美の『Our Song』にいたる「リスト1」と昭和42年。ヴィレッジ・シンガーズ『バラ色の雲』から昭和62年の少年隊『の「リスト2」に含まれる全楽曲の作曲を筒美京平という作曲家一人でやってのけているのだ。

    あたかも勝手に思い込んだ作曲家の賞味期限をあざ笑うように。

    1971年、1972年、1973年、1975年、1976年、1981年、1982年、1983年、1985年、1986年、1987年と16年間を通して、11回にわたって日本の作曲家別レコード売り上げ年間1位を記録。

    作品の総売上は7,400万枚を超えるというから改めて畏れ入ってしまう。

    筒美 京平の初期の局はGS人気に便乗しているが、GS人気が真っ盛りの頃は奇抜な衣装にオーバーなパフォーマンスの印象が強く、音楽も騒々しいだけのものと言った偏見があった。

    最近GSもナツメロの仲間入りして何度かカラオケで歌った覚えがあるが、改めて歌詞を見たりメロディーを聴くとロマンチックできれいなメロディーの曲が多いのには驚かされる。

    最強の作曲家は誰かと問わば、その息の長さとジャンルの多様さ、ヒット曲の多さからいって筒美 京平で決まりだろう。

     

     【動画】筒美京平コレクション1http://www.youtube.com/v/jjqDkZYMEFc

    ・バラ色の雲
    ・スワンの涙
    ・ブルーライト・ヨコハマ
    ・京都
    ・雨がやんだら
    ・また逢う日まで

    筒美京平コレクション2 http://www.youtube.com/v/z1JRpRKjylQ

    筒美京平コレクション 3 http://www.youtube.com/v/rb-U0vDpY_8

    筒美京平コレクション 4 http://www.youtube.com/v/EsE4Wiu_Xoo

                  5http://www.youtube.com/v/Eb7sbJOCM-I

                  6http://www.youtube.com/v/OuEjdJLPztE

                  7http://www.youtube.com/v/27YZ5e6CEWE

                  8http://www.youtube.com/v/bNAKfUSb3oQ

                  9http://www.youtube.com/v/yaDAgNB030Q

                 10http://www.youtube.com/v/XOv8MjLlVkM

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    時代を超えた「流行歌」(はやりうた)作家 GSからサザエさんまで

    2006-08-02 10:15:46 | 音楽

    取りあえず次の五十音順に並べた歌手名とその代表作を一覧して欲しい。

    リスト1 五十音別 歌手一覧
    麻丘めぐみ
    『めばえ』(作詞:千家和也)
    『わたしの彼は左きき』(作詞:千家和也)

    朝丘雪路 :昭和10年生まれ
    『雨がやんだら』(作詞:なかにし礼)

    浅田美代子
    『赤い風船』(作詞:安井かずみ)
    『しあわせの一番星』(作詞:安井かずみ)
     
    浅野ゆう子
    『セクシー・バスストップ』(作詞:橋本淳)

    安倍麻美 :昭和60年生まれ
    『Our Song』(作詞:326)2003年 オリコン初登場4位
    『きみをつれていく』(作詞:326)
    『卒業』(作詞:安倍麻美)
    『理由』(作詞:326)

    飯島真理
    『夢色のスプーン』(作詞:松本隆)
    『リンゴの森の子猫たち』(作詞:松本隆)

    いしだあゆみ
    『ブルー・ライト・ヨコハマ』(作詞:橋本淳)1968年 初のチャート1位
    『あなたならどうする』(作詞:なかにし礼)

    稲垣潤一
    『エスケイプ』(作詞:秋元康)
    『ドラマティック・レイン』(作詞:秋元康)
    『君のためにバラードを』(作詞:秋元康)
    『夏のクラクション』(作詞:売野雅勇)
     
    井上順
    『お世話になりました』(作詞:山上路夫)
     
    井上陽水
    『カナディアン・アコーディオン』(作詞:井上陽水)
     
    岩崎宏美
    『シンデレラ・ハネムーン』(作詞:阿久悠)
    『センチメンタル』(作詞:阿久悠)
    『ドリーム』(作詞:阿久悠)
    『ファンタジー』(作詞:阿久悠)
    『ロマンス』(作詞:阿久悠)
    『想い出の樹の下で』(作詞:阿久悠)
    『二重唱-デュエット』(作詞:阿久悠)
    『未来』(作詞:阿久悠)
    ヴィレッジ・シンガーズ
    『バラ色の雲』(作詞:橋本淳)

    内田有紀
    『TENCAを取ろう!-内田の野望-』(作詞:広瀬香美・川咲そら)
     
    欧陽菲菲
    『雨のエアポート』(作詞:橋本淳)
    『夜汽車』(作詞:橋本淳)

    尾崎紀世彦
    『また逢う日まで』(作詞:阿久悠)1971年 日本レコード大賞

    太田裕美
    『雨だれ』(作詞:松本隆)
    『木綿のハンカチーフ』(作詞:松本隆)
    『しあわせ未満』(作詞:松本隆)
    『九月の雨』(作詞:松本隆)

    大橋純子
    『たそがれマイ・ラブ』(作詞:阿久悠)
     
    沖田浩之
    『E気持ち』(作詞:売野雅勇)
     
    荻野目洋子
    『さよならの果実たち』(作詞:売野雅勇)
    『北風のキャロル』(作詞:売野雅勇)
     
    小沢健二
    『強い気持ち・強い愛』(作詞:小沢健二)
    『それはちょっと』(作詞:小沢健二)

    ジ・オックス(オックス)
    『スワンの涙』(作詞:橋本淳)
    『ガールフレンド』(作詞:橋本淳)
     
    河合奈保子
    『UNバランス』(作詞:売野雅勇)
    『エスカレーション』(作詞:売野雅勇)
     
    KinKi Kids
    『やめないで、PURE』(作詞:伊達歩)1999年 チャート1位
    『一秒のOthello -君に選ばれたい-』(作詞:秋元康)

    桑名正博
    『セクシャルバイオレットNo.1』(作詞:松本隆)

    小泉今日子
    『なんてったってアイドル』(作詞:秋元康)
    『ヤマトナデシコ七変化』(作詞:康珍化)
    『水のルージュ』(作詞:松本隆)
    『魔女』(作詞:松本隆)
    『夜明けのMEW』(作詞:松本隆)
     
    郷ひろみ
    『男の子女の子』(作詞:岩谷時子)
    『裸のビーナス』(作詞:岩谷時子)
    『モナリザの秘密』(作詞:岩谷時子)
    『花とみつばち』(作詞:岩谷時子)
    『あなたがいたから僕がいた』(作詞:橋本淳)
    『よろしく哀愁』(作詞:安井かずみ)
    『美貌の都』(作詞:中島みゆき)
     
    近藤真彦
    『スニーカーぶる~す』(作詞:松本隆)1980年
    『ギンギラギンにさりげなく』(作詞:伊達歩=伊集院静)
    『ふられてBANZAI』(作詞:松本隆)
    『ブルージーンズメモリー』(作詞:松本隆)
    『ホレたぜ!乾杯』(作詞:松本隆)
    『ヨコハマ・チーク』(作詞:松本隆)
    『情熱☆熱風セレナーデ』(作詞:松本隆)
     
    西城秀樹
    『恋する季節』(作詞:麻生たかし)
    『勇気があれば』(作詞:山川啓介)
    『悲しき友情』(作詞:山川啓介)
     
    斉藤由貴

    『情熱』(作詞:松本隆)
    『卒業』(作詞:松本隆)
     
    堺正章
    『さらば恋人』(作詞:北山修)
     
    榊原郁恵
    『ROBOT(ロボット)』(作詞:松本隆)
    『太陽のバカンス』(作詞:三浦徳子)
     
    桜田淳子
    『リップスティック』(作詞:松本隆)
     
    C-C-B
    『Romanticが止まらない』(作詞:松本隆)
    『ないものねだりの I WANT YOU』(作詞:松本隆)

    ザ・ジャガーズ
    『マドモアゼル・ブルース』(作詞:橋本淳)
    『星空の二人』(作詞:橋本淳)

    ジュディ・オング
    『魅せられて』(作詞:阿木燿子)1979年 日本レコード大賞

    少年隊
    『仮面舞踏会』(作詞:ちあき哲也)
    『バラードのように眠れ』(作詞:松本隆)
    『デカメロン伝説』(作詞:秋元康)
    『君だけに』(作詞:康珍化)

    庄野真代
    『飛んでイスタンブール』(作詞:ちあき哲也)
    『モンテカルロで乾杯』(作詞:ちあき哲也)

    田原俊彦
    『抱きしめてTONIGHT』(作詞:森浩美)
    『かっこつかないね』(作詞:松井五郎)
     
    東京JAP
    『摩天楼ブルース』(作詞:売野雅勇)
     
    TOKIO
    『AMBITIOUS JAPAN!』(作詞:なかにし礼) 2003年 オリコン初登場1位

    Toshi & Naoko(田原俊彦、研ナオコのユニット)
    『夏ざかり、ほの字組』(作詞:阿久悠)
     
    中島みゆき
    『美貌の都』(作詞:中島みゆき)
    『肩幅の未来』(作詞:中島みゆき)
    『兆しのシーズン』(作詞:中島みゆき)
     
    中西圭三
    『MUST BE HEAVEN』 (作詞:高見沢俊彦)
     
    中原理恵
    『東京ららばい』(作詞:松本隆)
     
    中山美穂
    『「C」』(作詞:松本隆)
    『WAKU WAKUさせて』(作詞:松本隆)
    『ツイてるね、ノッてるね』(作詞:松本隆)
    『派手!』(作詞:松本隆)
     
    長山洋子
    『肩幅の未来』(作詞:中島みゆき)
     
    NOKKO
    『人魚』(作詞:NOKKO)
     
    野口五郎
    『オレンジの雨』(作詞:吉田栄子・大日方俊子)
    『青いリンゴ』(作詞:橋本淳)
    『甘い生活』(作詞:山上路夫)
    『真夏の夜の夢』(作詞:阿久悠)
     
    平山みき(平山三紀
    『ビューティフル・ヨコハマ』(作詞:橋本淳)
    『真夏の出来事』(作詞:橋本淳)
     
    藤井フミヤ
    『タイムマシーン』(作詞:藤井フミヤ)
     
    本田美奈子
    『1986年のマリリン』(作詞:秋元康)
    『Oneway Generation』(作詞:秋元康)
    『Temptation(誘惑)』(作詞:松本隆)
    『Sosotte』(作詞:秋元康)
     
    松本伊代
    『センチメンタル・ジャーニー』(作詞:湯川れい子)
    『TVの国からキラキラ』(作詞:糸井重里)
     
    南沙織
    『17才』(作詞:有馬三恵子)
    『色づく街』(作詞:有馬三恵子)
    『潮風のメロディ』(作詞:有馬三恵子)
     
    森高千里
    『八月の恋』(作詞:森高千里)
     
    薬師丸ひろ子
    『あなたを・もっと・知りたくて』(作詞:松本隆)

    アニメソング
    『おれは怪物くんだ』
    『サザエさん』(作詞:林春生)
    『エルガイム-Time for L-GAIM-』(歌:MIO、作詞:売野雅勇 「重戦機エルガイム」前期主題歌)
    『風のノーリプライ』(歌:鮎川麻弥、作詞:売野雅勇 「重戦機エルガイム」後期主題歌)
    『TRANSFORMER~トランスフォーマー~/Peace Again~ピース・アゲイン~』(歌: 下成佐登子、作詞: 大津あきら、編曲: 鷺巣詩郎 「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」主題歌)
     
    SMAP

    『心の鏡』
    『負けるなbaby』

    先ず第一に気が付くことは歌手の年代に関係なく並べられていること。

    歌のジャンルもレコード大賞のジュディ・オングから一発歌手の中原理恵まで、何の関係もないように見える。

    麻丘めぐみや浅田美代子が現役歌手とは言いがたい歳だとしても、昭和10年生まれの朝丘雪路と昭和60年生まれの安倍麻美とは実に50歳の歳の差がある。

    これは親子というよりお婆ちゃんと孫の歳の差だ。 当然ファン層にもその差はある。

    次にこの歌手リストで目に付くのは歌のジャンル、そしてソロ又はグループに関係なく並べている。

    グループサウンズもあれば、郷ひろみ、西条秀樹、野口五郎の「新御三家」から「たのきんトリオ」。

    そして中島みゆき、庄野真代 、大橋純子等の「ニューミュージック系」から少年対、SMAP、TOKIO 、KinKi Kids にいたる「ジャーニーズ系」。

    そしてあの「サザエさんのテーマソング」まで。

    見れば見るほど五十音順にだけ頼った、何の脈絡も無い歌手リストにも見える。

    次の年代別ヒット曲リストも煩雑を承知で見て欲しい。


    リスト2 年代別ヒット曲

    昭和42年(1967年)  バラ色の雲  ヴィレッジ・シンガーズ

    昭和43年(1968年)  ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ

    昭和45年      あなたならどうする いしだあゆみ

    昭和46年      また逢う日まで 尾崎紀世彦
                さらば恋人    堺正章
                17才       南沙織
                真夏の出来事   平山三紀

    昭和47年      男の子女の子 郷ひろみ

    昭和48年      わたしの彼は左きき 麻丘めぐみ
                赤い風船 浅田美代子

    昭和49年      よろしく哀愁 郷ひろみ
                甘い生活 野口五郎


    昭和50年      木綿のハンカチーフ 太田裕美
                ロマンス 岩崎宏美
                センチメンタル 岩崎宏美

    昭和53年      飛んでイスタンブール 庄野真代
                たそがれマイ・ラブ 大橋純子
                東京ららばい 中原理恵

    昭和54年      魅せられて ジュディ・オング
                セクシャル・バイオレットNo.1 桑名正博

    昭和55年       スニーカーぶる~す 近藤真彦
                ヨコハマ・チーク 近藤真彦
                ギンギラギンにさりげなく 近藤真彦
                センチメンタル・ジャーニー 松本伊代
               
    昭和56年      スニカーブルース近藤真彦
                ブルージーンズメモリー 近藤真彦
     
    昭和57年      情熱☆熱風・せれなーで 近藤真彦
                ふられてBANZAI 近藤真彦

    昭和59年      迷宮のアンドローラ 小泉今日子
               
    昭和60年      Romanticが止まらない C-C-B
               あなたをもっと知りたくて 薬師丸ひろ子
               なんてったってアイドル 小泉今日子
               仮面舞踏会 少年隊

    昭和61年     1986年のマリリン 本田美奈子
               ツイてるね、ノッてるね 中山美穂
               デカメロン伝説 少年隊

    昭和62年     君だけに 少年隊


    昭和42年から62年までの20年間、色んな年代の、色んなジャンルの歌手が夫々その時代を反映するヒット曲を歌っている事がわかる。

    尾崎紀世彦 が『また逢う日まで』を大ヒットさせたあの頃。

    汗を流しながら腹のそこから絶叫して歌う姿は新鮮だった。

    が、その数年前イギリスの熱唱派歌手・トムジョーンズが『ラブミー・トゥナイト』をヒットさせファンの間に尾崎の熱唱を受け入れる下地は既に出来上がっていた。

    時代に敏感に反応してトムジョーンズの熱唱路線で尾崎紀世彦に『また逢う日まで』を歌わせた作曲者はエライ!

    流行歌手は時代の流れと共に、そして自分の年輪と共に、時代について行くのがきつくなる。

    そして何時しか第一線から消えて行く。

    これはスポーツ選手ほど激しくはないとしても避けがたい現実である。

    前に沖縄出身の作曲家渡久地政一さんのことを書いたとき、歌手と同様に作曲家にも残念ながら賞味期限があるものだと感じた。

    感性が時代の流れについていけなくなるのだろうと。

    妙にもったいぶった書き方をしたので先刻気がついた人も入るとは思うが、上記の煩雑な二つのリストは一つの共通項によって括られている。

    その共通項と何か。

    これについては次回に。

    (続く)

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    思い出の歌(五) 「島のブルースから池袋の夜」

    2006-07-04 07:45:45 | 音楽

    “人生とは旅であり、旅とは人生である” 2006.07.03
     
    中田英寿の衝撃的引退宣言を告げるHPの書き出しである。
     
    凡人が書くとクサイ文も実績のある人が書けばかくもカッコよく人の心に訴えるものなのか。
     
    ファンは、ブラジル戦に敗れた後ただ一人ピッチの芝生に仰向けになってジット空を仰いでいた中田の姿とダブらせてこのカッコいい文を読んだのだろう。
     
    月日は百代の過客にして、行き交う年も又旅人なり」
     
    筆者は何故か松尾芭蕉を中田に重ねて読んだ。
     
    中田ショックから体勢を立て直して、小さな我が「思いでの歌の旅」に踏み出そう。
     
                        ◇

     青春歌謡で吉田正に遅れを取った渡久地政信はかつて住んだ事のある奄美大島の民謡を取り入れた「島のブルース」で三沢あけみを昭和38年に歌手デビューさせる。

    三沢は当初女優をめざしており昭和34年に東映入りし、テレビ時代劇「笛吹童子」に出演していた。

    その後「酒は手酌でほろ酔いで」(作詞:吉岡治 作曲:渡久地政信)、「わかれ酒 」(作詞:吉川静夫 作曲:渡久地政信 )と酒場路線を狙ったが、結局ヒットは「島のブルース」一曲で終わった。

    ◆島のブルース(昭和38年)

    作詞: 吉川静夫  作曲: 渡久地政信  唄: 三沢あけみ


    ★三沢あけみ(1945- )
    長野の伊那出身。中学在籍中の昭和34年に東映入りし、テレビ時代劇「笛吹童子」に出演する。38年に歌手デビューし、「島のブルース」がヒット。45年に結婚し、ステージから遠ざかるが、54年に離婚、カムバックを果たす。その後もテレビ出演などを続けている。
    (「誰か昭和を想わざる」より引用)


    青江三奈と言うとデビュー曲の衝撃的なうめき声とハスキーな声の印象が強く「恍惚のブルース」が一番のヒット曲だと思っていた。

    だが調べてみると青江三奈の曲の売上ベスト1と2は実は渡久地政信の作曲だった。

    ①池袋の夜 吉川静夫 渡久地政信 150万枚 1969年 日本レコード大賞歌唱賞

    ②長崎ブルース 吉川静夫 渡久地政信 120万枚 1968年
      
    ③伊勢佐木町ブルース 川内康範 鈴木庸一 100万枚 1968年 日本レコード大賞歌唱賞

    恍惚のブルース 川内康範 浜口庫之助 80万枚 1966年 デビュー曲
     
    ④国際線待合室 千坊さかえ 花礼二 80万枚 1969年 同名映画の主題歌

    他にも渡久地は次のような曲を青江三奈のために作っている。
    夜の瀬戸内 」吉川静夫 渡久地政信 - 1970年 映画「女の警察 乱れ蝶」主題歌
    長崎未練」 吉川静夫 渡久地政信 - 1971年  
    日本列島・みなと町」 吉川静夫 渡久地政信 - 1972年  

    こうして見るとデビュー曲の「恍惚のブルース」こそ浜口庫之助に譲ったものの青江三奈の曲に一番多く関わったのは渡久地なのだが何故かその印象は薄い。

    青江三奈は2000年(平成12年)7月2日、すい臓がんのため54歳で他界する。

    渡久地の印象が薄いのは青江三奈の死後テレビを賑わした「国際線待合室」の作曲者・花礼二との事実婚のテレビ報道やデビュー曲「恍惚のブルース」のイメージが強すぎたせいだろう。


    ◆池袋の夜  昭和44年

    作詞 吉川静夫・作曲 渡久地政信  唄 青江三奈

      ★青江三奈(1945-2000)
    東京の江東出身。高校卒業と同時に横浜や銀座でクラブ歌手となる。川内康範の小説「恍惚」のヒロインから芸名を貰い、昭和41年に「恍惚のブルース」でデビュー。同曲は80万枚のヒットとなり、赤い髪にドレス姿、独特のハスキーボイスと色気に満ちた溜息などで人気を博した。43年には「伊勢佐木町ブルース」が大ヒット。同じ頃にデビューした森進一と並んで、それまで歌謡曲では悪声とされていたハスキーボイスのイメージを一変させた。同年には「長崎ブルース」、44年には「池袋の夜」「国際線待合室」がヒット。青江が先鞭を付けたハスキーボイス路線は八代亜紀が踏襲し、八代の登場と前後して爆発的なヒット曲は出なくなる。酒豪としても知られたが健康マニアとしても有名で「青江薬局」などと揶揄された。「国際線待合室」を作曲した花礼二との同棲生活を続けたが、生涯独身を貫いた。平成11年2月に膵炎の手術を行い、6月に再入院、12年7/2午後11時40分、膵臓ガンで死去。本名は井原静子。死の直前に花と入籍していた事が後に判明し、遺族も巻き込んでの騒動となった。平成13年には「伊勢佐木町ブルース」の歌碑が建立された。
    (「誰か昭和を想わざる」より引用)

     

    沖縄出身の芸能人の先駆者として渡久地政信を取り上げてみたが思ったより広範囲に活躍している事実に驚いた。

    現在沖縄出身のミュージシャンと言えば、オレンジレンジ、安室奈美恵、夏川リミ等沢山いるが沖縄出身で最初に全国区になった音楽家と言えば渡久地政信の功績を忘れてはいけない。

    戦後僅か6年で爆発的ヒットとなった「上海帰りのリル」を作曲した時が35歳。

    遅咲きの作曲家としての出発だった。

    それから最後の大ヒット曲「池袋の夜」までの約20年間。

    常に日本歌謡曲界の重鎮であり続け、現在の沖縄音楽ブームの先がけとなった。


    ★渡久地政信
    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

    渡久地政信(とくち まさのぶ、1916年(大正5年)10月26日 - 1998年(平成10年)9月13日)は、昭和・平成期の作曲家。

    沖縄・恩納村に生まれ、少年期を奄美大島で過ごす。日本大学芸術科卒業後、1943年(昭和18年)、日本ビクターレコードより貴島正一の名で歌手デビューしたが、断念し1951年(昭和26年)よりキングレコード専属の作曲家に転身(後に古巣のビクターに移籍)。以後、『上海帰りのリル』、『お富さん』、『島のブルース』など数多くのヒット曲を手掛ける。中山晋平メロディーが日本民謡、古賀政男メロディーが朝鮮民謡、服部良一メロディーがジャズを基調としているのに対し、渡久地メロディーは生まれ育った沖縄・奄美民謡をベースにしているといわれる。

    1998年9月13日、肺炎のため死去。享年81

    [編集]
    主な作品
    津村謙
    上海帰りのリル(1951年)
    春日八郎
    お富さん(1954年)
    大津美子
    東京アンナ(1955年)
    三浦洸一
    踊子(1957年)
    フランク永井
    俺は淋しいんだ(1958年)
    夜霧に消えたチャコ(1959年)
    松島アキラ
    湖愁(1961年)
    三沢あけみ
    島のブルース(1963年)
    青江三奈
    長崎ブルース(1968年)
    池袋の夜(1969年)
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    カテゴリ: 日本の作曲家 | 1916年生 | 1998年没

    (完) 

     

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