狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続「真珠湾」以前に日本と戦った米兵

2007-11-02 17:35:04 | 歴史

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フライング・タイガース アメリカの「卑劣なだまし討ち」の再掲です。

◆一昨年、「パール・ハーバー」と言うハリウッド映画を見た。

所詮はアメリカ側視点のハリウッド映画、ある程度の予測はしていたが、余りにも自分達のご都合主義で貫かれた映画だったのには驚かされた。

細部をここで取り上げる余裕は無いが、こんな映画でも全米で記録的ヒットをしたと言うから、たかが映画だと軽く見るわけに行かないと一人憤慨した。

映画の、キーワードは「リメンバー・パールハーバー」と「スニーク・アタック(卑劣なだまし討ち)」だった。

映画の中では再三この言葉が繰り返され日本憎悪に使われていた。

その鬱憤晴らしに、仲間のプライベート・サイトに、

「卑劣なだまし討ちはお前の方だろう」、と言う意味で

「真珠湾」の4年前から日本と戦っていたアメリカ人少将」を寄稿した。

そして、同稿を昨年12月、当日記に転載した。

以下はその続編として新たに書いたものです。

                 ◇

1991(平成3)年7月6日付ロサンゼルス・タイムズ紙の一面に、

米国民間人パイロットにより結成された対中国義勇団、通称フライングタイガースが、実は米国の正規兵であったことが米国当局によって公式に確認された、との記事が掲載された。

このフライングタイガースは、中国国民党(蒋介石)に協力して日本軍機を撃墜した部隊だが、これまで民間義勇軍であり米国陸軍省や米国大統領とは無関係であると米国防総省は主張してきた。

ところが同記事は、今までの主張を覆して米国務省がフライング・タイガース(AVG)の生存者100人を退役軍人と認定した、と伝えたのだ。

「日米開戦五十年」の記念日のこの年、フライング・タイガース結成から50年にして、

アメリカ政府は公式にフライング・タイガースを「義勇軍」ではなくて「正規軍」であったことを認めたのだ。

これは、日本の真珠湾攻撃以前に「中立国」であったはずのアメリカが、自国の「中立法」を侵して日中戦争に介入し、

宣戦布告なしの「SNEAK ATTACK」を日本にした、と政府が公的に認めたことを意味する。

フライング・タイガースと言っても日本では知る人は少ない。

だがフライング・タイガースの存在はアメリカでは第二次大戦の英雄として知らぬ者がいないといわれる。
 
中国やビルマ戦線での「活躍」は世界中に知れ渡り、いまなお出版物があとを断たないという。

フライング・タイガースのロゴ入りジャンパーその他のグッズは今でも人気で販売されていると言う。

そういえば沖縄では虎のマークを刺繍したジャンパーが米人のお土産グッズ店で今でも人気だと聞いた。

フライング・タイガースの創立には中華民国の蒋介石夫人・宋美齢が深く関わっている。
 
幼少の頃からアメリカに留学をして完璧な上流英語を話す蒋介石夫人・宋美齢は、アメリカの支援獲得に乗り出し、特にルーズベルト夫人メアリーの後援を受けた。

宋美齢はホワイトハウスで演説をした初めての東洋女性と言われている。
 
又タイム・ライフ社の社長の知己を得てタイムの表紙をも飾り、完璧な英語でラジオ等で中国の危機を訴える宋美麗の姿に、アメリカ人は「東洋に嫁に行った娘が里帰りして苦境を訴えている」と言ったイメージを抱き、蒋介石のアメリカの支援取り付け作戦は大成功した。

こうしたアメリカ上流階級との豊富な人脈からルーズベルト大統領の支援を取り付け、フライング・タイガースの創立者、退役軍人シェンノートとの遭遇に至るのである。
 
こうして「中立法」の壁を密かに踏みにじり、蒋介石は「人、物、金」を米国が提供し、中国空軍の識別マークで戦う異例の航空部隊を創設させる事に成功した。
 
まともに事を運べば明確な「中立法」違反であるから、シェンノートは身分を偽って「中国銀行員」を装い、軍事作戦は商行為の仮面をかぶって行われた。
 
1941年初頭から隊員の募集が始まった。
 
給料は月600ドルで、日本軍機一機を撃墜するごとに500ドルのボーナスが支給されるという破格の厚遇。
 
現役軍人から人員を募集する大統領特別令も出された。
 
ルーズベルトは500機からなる部隊を準備し、中国派遣を命じた。
 
これが「義勇軍」フライング・タイガース(AVG)の実態であった。
 
陸軍航空部隊長の1941年8月のメモによれば、米国正規軍としてのフライング・タイガース(AVG)の創設はすでに「大統領と陸軍省が承認していた」という。
 
フライングタイガースが米国を出発してビルマに到着したのは昭和16(1941)年春のことであった。

この事実は日本が開戦回避を必死で模索してワシントンで日米交渉を行っていた時、既に米国側は対日参戦にひそかに踏み切っていたことを示しているのである。

アメリカが「リメンバー・パールハーバー」と対で使う「SNEAK ATTACK」(卑劣なだまし討ち)は、実は真珠湾以前に既にアメリカによって行われていたのである。
 (続く)

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続・沖縄の高校教師の手紙  新聞社の内部国発?

2007-11-02 07:35:48 | ★集団自決

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沖縄の教師といえば「平和学習」に熱心で金太郎飴のような画一的思考の持ち主というイメージが浮かびがちが、これは必ずしも正しくはない。

声なき声を取り上げてくれる場所がないのでマスコミで喧伝される左翼教師のみが目につくだけだ。

先日当日記で「 沖縄在住教師の手紙」を紹介したら、沖縄にもこのようなバランスのとれた思考の先生がいるのは意外だったといった反響があった。

 

■沖縄の高校教師の手紙■

前回に続いて沖縄も高校教師トラネコ先生の「集団自決問題」に関する手紙を紹介します。


                     トラネコ


 今もくすぶっている沖縄の「集団自決の軍関与問題」にも関連しますが、第二次大戦当時東條英機の戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず。」は私の不確かな記憶では、日清戦争の頃でしたか、シナ兵に捕まった日本兵が非常に惨たらしい殺され方をした事例が多かったことから、捕虜になって殺されるよりはいさぎよく自害(玉砕)せよ、という戦陣訓につながったと理解しています。

 また「翼よあれがパリの燈だ」の著者・チャールズ・リンド
バーグ氏の日記には、太平洋各地で戦闘している米海兵隊は日本兵の捕虜を捕ることを禁じられ、降伏の意思を示した日本兵も容赦なく皆殺しにしていたそうです。

 さらに米兵は日本兵を殺した後に金歯や時計や万年筆を奪い、なかには遺体の骨でペーパーナイフを作ってお土産にした者も普通にいたそうです。まるで開拓当時にインディアンを狩のごとく楽しんで殺していたのと似ています。日本兵の遺体はブルドーザーで掘った穴に放り込み、後に残飯やゴミも捨てて埋めたといことです。

 沖縄戦でも米軍が住民を保護したのは終戦近くなってのことです。上陸当初米軍は1日につき約75000発の艦砲弾、
177万発の野砲、榴弾砲弾を沖縄島の各地に打ち込み、ナパーム弾でジャングルを焼き払いました。これは硫黄島と同じやり方です。さらにバックナー司令官が日本軍の砲弾に倒れると、その弔い合戦とばかりに民間人であれ、兵隊であれ、日本人はすべて火炎放射器や銃で殺戮しまくったのです。


 こういった米軍の日本人無差別虐殺(東京空襲や原爆も同じ)の事実には一切マスコミや沖縄関係者はふれませんが、集団自決の背景にはこのような事実もあったことを私たちは知る必要があります。

 日本占領時にWGIP(戦争犯罪情宣計画)があり、「日本
軍が一方的に悪玉で、日本人はその犠牲者であった。米占領軍は解放軍で日本に平和をもたらした。」というマインド・コントロールを徹底的に行いました。

 じつは沖縄にもこれと似たものがありました。
米陸軍第8心理作戦部隊が沖縄占領期間中に「沖縄は日本の犠牲者であり、日本から見捨てられた島である。アメリカは日本に代わって沖縄を豊かに平和にした。」という刷り込みをさまざまな形で行ってきました。

 これによって沖縄人には「アメリカは優しくて親切、ヤマト
(日本)は憎い。」という感性が身についたのです。このこと
も私たちは知っておくべきことだと思います。

 私は歴史を学んでいて思うのですが、共産主義者の言うように「歴史は科学的心理に基づいて発展する。」など、まったくのウソデタラメであると痛感します。

 歴史はさまざまな時代的諸要因が複雑に絡み合い、そこに偶然といういたずらや人間の感情や思想がブレンドされてひとつの事件が起こり、その積み重ねが歴史になるのだと考えています。歴史の事実を知るということは刑事事件の捜査とおなじく、非常に面倒で複雑な、あたかももつれた糸くずをほぐすような作業が必要だということです。

 マスコミやサヨク学者・評論家のいうような単純なものでは
ないのですね。 (縄文塾通信 <11月-1(266号)>)

                   ◇

■内部告発■

最近、赤福とか船場吉兆とか食品関連の有名店の「偽装表示」が話題になっているが、問題発覚の発端は殆どが「内部告発」だという。

不適切な商品を販売するのを会社内部にいて見過ごせない社員の義憤が内部告発に繋がったと信じたい。

内部告発についてふとクダランことを考えてみた。

新聞社も「報道」という商品を販売する会社だと考えた場合、不適切な商品販売に義憤に燃えて内部告発する社員はいないものだろうか。

「主催者発表明記のない『11万人県民大会』」は、

不適切な商品ではないのか。

沖縄の新聞では「11万人・県民大会」が「商品」としてすっかり定着してしまい、

これに異論(主催者発表と明記せよ)をはさむのは産経新聞那覇支局長小山さんのブログくらいのものだと思っていた。「11万人」に拘る人  産経那覇支局がバッシング?

孤軍奮闘で、記事にするなら「主催者発表を明記すべき」と言ったら言いがかり」だそうです

新聞社の社員もサラリーマンである以上、社の論説に表立って異論を唱えるわけには行かないのだろう。

だが、オピニオン面(読者欄)の編集操作等を通じて密かに内部告発は出来ないものだろうか。

昨日(11月1日)の琉球新報オピニオン面の「声」を担当者の内部告発の一種だとしたら・・・考えすぎだね。

「異常報道」のほとぼりが醒めたところでオピニオン面に批判の「声」を掲載してアリバイ作りかとも思えるのだが、

それにしても次に紹介する「声」は、従来とはちょと違う。

「・・・節操のなさをあおったのは、新聞報道ではなかったのか。」 

「・・・5万人も収容できないのは、小学生でも計算できる。」

「・・・大本営発表」と、おなじことをしているのに、あなた方は気がつかないのか。」 

「・・・それを日本軍の軍命のせいだと言い張るマスコミの厚顔無恥の心根は変わらない。」 

「・・・善良なる県民よ、だまされてはいけない。」

うーん、今までのアリバイ作りの「声」にしては激しすぎる。

単なる異論ではなく、真っ向から新聞社の非を断罪している。

社内にいる良識派の義憤の表れ?

でもこれを琉球新報の自己批判と取るのはあまりにもお人よし過ぎる。 

反省。

 誇大報道は玉砕に通ず  糸満市 有馬光正 (自営業 62歳)

今回の教科書検定をめぐる県紙をはじめとするマスコミの異様な力の入れように、危険なものを感じた。 
戦時中は1億層玉砕と書きたてて、戦争を鼓舞し、敗戦するや1億総ざんげと叫んで反転した節操のなさをあおったのは、新聞報道ではなかったのか。 
県民大会でも、160メートル四方の広場に1メートル四方に二人座るとしても5万人も収容できないのは、小学生でも計算できる。 それを11万人と報道するのは常套手段としても「戦時中の戦果をを過大に、犠牲を過小に報道した大本営発表」と、おなじことをしているのに、あなた方は気がつかないのか。 
1億総玉砕と住民を死地に追いやりながら、それを日本軍の軍命のせいだと言い張るマスコミの厚顔無恥の心根は変わらない。 
「子供たちに歴史の真実を」と言いながら、世界史が必修で日本史が選択科目であるこの皮肉な現実に異を唱えるのが、軍命うんぬんよりもよほど大事なことではないか。 その事実を無視して、ことさら軍命の有無にこだわるのは、背後にある政治的意図があからさまである。 善良なる県民よ、だまされてはいけない。(琉球新報)

                     ◇

同じ日の新報一面は「声」とは打って変わってコラム金口木舌が新報らしい記事を書いている。

琉球新報 金口木舌2007年11月1日掲載  

 検定意見の撤回を求める県民大会に都内から参加した男性から興味深い話を聞いた。東京で見るテレビのニュース映像では気付かなかったことだ
▼登壇者の発言場面や大会を締めくくる熱っぽい「ガンバロー」は何度もテレビで目にした。しかし、大会そのものは「不思議なくらい静かだった」と男性は言うのだ
▼1996年4月1日、使用権原が切れた楚辺通信所の一部土地の不法占拠に対する抗議行動を思い出した。隊列を組み、通信所に突き進む抗議団がゲートの前に結集すると、間もなく一斉に腰を下ろし、ざわめきは徐々に収まった
▼逮捕覚悟でゲートを突破できたのかもしれないが、抗議団はそれを避け、穏やかな集会で不法占拠への抗議の意思を示した。「静かな怒り」の重みを実感させた瞬間だった
怒声や物理的な力による怒りの表現ではなく、秩序だった集会で示す怒りが、政府を動かす大きな力となることがある。今回の県民大会も「静かな怒り」がいかんなく発揮された
▼大会から1カ月を過ぎ、「参加者数11万人はウソ」「文科省は数の圧力に屈するな」との批判的な主張が飛び交う。「静かだった」という大会が伝えた県民の思いを受け止める側の見識が試される時だ。

(11/1 10:00)

>怒声や物理的な力による怒りの表現ではなく、秩序だった集会で示す怒りが、政府を動かす大きな力となることがある。今回の県民大会も「静かな怒り」がいかんなく発揮された

事情も良く飲み込めないで義理で参加した人たちの「不思議なくらい静かだった」会場の雰囲気を、「静かな怒り」に変換させたコラム記者の情念の文章こそいかにも琉球新報らしい。

 
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