狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「証言ロンダリング」、朝日の“捏造記事”タライ回し 

2022-06-08 12:45:38 | 資料保管庫

 

朝日の“捏造記事”タライ回し  沖縄タイムスが“捏造写真” 2007-09-30

 

本編はアクセスの多い過去ブログを編集し再掲した記事だが、読んでいて自分の記事ではあるが、分かり難い面が数多くある。

文章が下手なのは、ご容赦頂くとして、『鉄の暴風』の大嘘を弁護する証人たちの発言の嘘や誇張が混在し、それを報道する新聞が更に歪曲報道する。これだけ読んだだけで、頭が混乱する読者も多いだろう。

きょう取り上げる話題は新聞報道でも特に分かり難い部類に入るので、前もってアウトラインを説明しておこう。

先ず全体を二つに分け、前半は梅澤さんに関する大ウソ報道。⇒■【A】梅澤元隊長を二度殺した沖縄タイムス。

そして後半は、集団自決を巡る教科書検定意見の「撤回決議」を県議会が二度も行い、決議後に県議会の現地調査団が「デタラメな調査」をして、新聞がこれを歪曲報道した。 この報道を見た「赤旗」と朝日新聞が県議団に取材し、更に歪曲報道した。これを報じた朝日社説などは裁判の証拠物件になる有様だ。

■【B】県議団・現地調査の「証人ロンダリング」

沖縄集団自決の発端は沖縄タイムス編『鉄の暴風』であることを、繰り返し述べてきた。 

さらにそれが元隊長等をセカンドレイプして被害者にした「軍命論争」に発展した。 そのマイルストーンになる記事として、1972年の3月27日付沖縄タイムス記事を紹介した。 その後、断続的に沖縄タイムスによる集団自決のキャンペーン記事が掲載されてきた。

ところが、ある「事件」を切っ掛けに沖縄言論界が挙って大発狂したかのような事態に発展した。

2007年度の高校歴史教科書から、沖縄集団自決は「軍の命令による」という記述を削除せよ、と指示する文科省検定意見が出たのだ。

その年2007年は、年初頭から沖縄タイムス、琉球新報両紙の紙面は「軍命はあった」と証言する証人で紙面は埋められていた。勿論その証言なる者は全てが客観的論証に耐えるもの一件もなく、すべてが新聞記者と証言者による捏造報道だったことは言うまでもない。

この一連のデタラメ証言の渦は、その年2007年9月29日に行われた「歴史教科書検定意見の撤回を要請する県民大会」へと雪崩込むのである。(大幅水増しの「11万人集会」)

■【A】梅澤元隊長を二度殺した沖縄タイムス。

2007年の初頭から年末にかけて、沖縄タイムス紙面に次々登場するデタラメな証言を逐一論証するのは当日記の目的でないので、ここでは省略する。

だが、看過できない報道があった。

『鉄の暴風』の杜撰な取材で「不明死した」と一度殺された梅澤元隊長が、この年にも「名誉」を踏みにじられ、二度目の不明死を報道されたのだ。

 沖縄タイムス(7月7日)の1面、社会面でこのような記事が掲載された。
見出しは、こうだ。

隊長「死になさい」

<軍命ない限り悲劇おこらぬ>

座間味体験者、切々

これが誤報だったというから驚きだ。

しかもこの誤報の訂正記事が小さなベタ記事で、よっぽどで無いと気がつかない。

こうなると、沖縄タイムスの確信的犯行と思わざるを得ない。

念のため上記見出しの該当記事を下記に引用する。

《「軍の命令がない限りは、日本兵が入ってこなければ、そんなこと(『集団自決』)はなかった」。6日、県議会文教厚生委員会(前島明夫委員長)の聞き取り調査に応じた座間味村の「集団自決(強制集団死)」体験者6人は、それぞれの体験を率直に証言した。聞き取るのがやっとの小さな声で話したり、じっとうつむいたり。語り、向き合うにはつら過ぎる62年前の記憶を口にしたのは、「教科書からの軍関与削除は絶対に許せない」との思いを伝えるためだった。》《吉田春子さん(81)は1945年3月25日、妹を連れて日本兵がいる壕に避難した。翌26日になり壕が米軍に攻撃され、夜になったら脱出しようと相談し、その夜に玉砕命令を聞いた。だが「母と会うまでは死ねない」と逃げだし、助かった。》
《当時25歳だった大城澄江さん(87)は座間味島への米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、壕内で「忠孝碑の前に集まれ」との声を聞いた。一度は忠孝碑の前に行ったが、その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。逃げ場を失い、自決しようとしたが爆発せず、生き延びた。》 《上洲幸子さん(84)は母ら4人と壕に避難。母は殺ソ剤での自死を主張したが、上洲さんが「逃げられるうちは逃げよう」と訴え、島内を歩き回った。ため池近くに村民や日本兵がおり、梅沢裕部隊長の姿もあった。梅沢部隊長は村民を集め「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話したという。》(
沖縄タイムス 7月7日)

             

座間味島の集団自決に関する県議会の聞き取り調査で、軍命を出したと言われている梅沢裕部隊長が、村民を集めて「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでいるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話した、
との証言が84歳の女性からあった、と紹介されている。

梅沢氏は普段から村民の人命を軽視する言動をしていた人物であるという印象操作の記事だ。
ところが実際は証言者本人が記事を見て仰天し、沖縄タイムスに抗議し訂正の運びとなる。

翌7月21日朝刊には、次のような「おわびと訂正」が掲載された。
要するに「舌をかみ切って死になさい」と言ったのは、
梅沢氏ではなく、別の日本兵であり、記者が聞き間違えたという内容だ。

証言者は沖縄タイムスの集団自決キャンペーンに忖度し、名前を特定しなければ「軍命があった」と証言しても、記者が梅澤さんと明記するとは思わなかったらいい。梅沢さんの人権にかかわる胸の痛む誤報である

 

■【B】県議団・現地調査の「証人ロンダリング」

問題の記事の前日6日の沖縄タイムスでは「軍命はない」と証言し続けている金城武徳さんの県議員団の聞き取り調査は次のとおり。

集団自決」の現場では、体験者の金城武徳さん(76)と吉川嘉勝さん(68)が当時の状況を語った。金城さんは「軍の命令があり、村民は集落から移動した。米軍の迫撃砲が着弾する中で村民が集合し、村長が『天皇陛下万歳』と叫び、手榴弾が破裂した」と証言した。(沖縄タイムス)「集団自決」の現場視察 県議会文厚委【写真】

単に集落から移動したことを、「軍の命令があり」と印象操作する卑劣さである。

知らない人がこの記事を見たら金城さんは「軍の命令で集団自決をした」と証言したとミスリードされる。

琉球新報、沖縄タイムスが「集団自決」の生き残りで当時14歳の金城さんの証言をどのように歪曲して報じたか、つぎの【動画】で確かめて欲しい。

【動画・金城武徳さんの証言】http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o

本来イデオロギーの塊であり、同時に歴史では素人集団の沖縄県議団が、集団自決の検証のため、短期間に二度も現地調査をした。

その理由は何か。

結論ありきのアリバイ調査が目的だった。

■イデオロギー塗れの社会科教師

「集団自決」を語る時、高校の社会科教師こそ、なまじ中途半端な知識があるだけに、こんなに始末に終えないものはない。

昨年(2007年)の「11万人集会」の直前、30年近く高校の社会科の教師をして県会議員になった狩俣信子氏と県議文教委員の一行が、アリバイつくりのため渡嘉敷島に現地聞き取り調査に行ったとき、とんでもない発言をしたが、同行していながらこれを報じる新聞はなかった。

集団自決を体験した金城武徳さん(75)が証言しようとすると、自分のイデオロギーと違うと見るや次のように発言した。

私は、社会科の教師を30年近くやってきました。よってこの問題には造詣があります。」「戦争を美化しないで下さい。」

「集団自決」の実体験者の証言より詳しいとは、この元教師は霊能者なのだろうか。

勿論、歴史の検証が不可欠の「集団自決の軍命問題」を、県議会の多数決で議決で決めるものではない。

 

■順序が後先の県議団調査■

県議会で教科書の記述をを変えるような重要案件を決議する。

それなら、議決の前に調査・検証をしてその後に議決を計るのが順序だろう。

だが、「11万人」集会に至る端緒となった県議会の「教科書検定意見書撤回決議」の採択には、奇妙な「アリバイ工作」が有った事を知る人は少ない。

事は歴史教科書の記述に関わる重要案件だ。

歴史の素人である県会議員が安易に多数決で決める問題ではない。

だが、県議会は検証をする前に決議採択をしてしまった。

そして、その後アリバイ作りの為の現地聞き取り調査をしたのである。

結局、このマスコミ向けの「現地調査」が狂乱騒動の発端となった。

「県議会採決」と議員団による現地聞き取り調査の順序が後先になった事実。

この後先実施の不自然さを報道するマスコミは一つもない。

議決採択の後の現地調査では「後の祭り」ではないのか。

当日記はこの県議文教厚生委員の聞き取り調査が、デタラメナなアリバイ工作だった事を再三指摘してきた。

調査なんて今更どうでも良かったのだ。

だがマスコミの大々的報道で、デタラメな調査も信憑性を帯びてくるから、メディアの印象操作は恐ろしい。

県議団の調査となると、天下の文科大臣も態度が揺れ動かされるものらしい。

渡海紀三朗文部科学相は「検定後に新たな事実や証言が出ている。新事実が少し増えた状況で、どのように考えていくかだ」と語り、

教科書記述に「強制」の文言を復活させることもあり得るとの考えを示した。

渡海文科相が再修正の根拠として指摘した「新事実」というのはなにか。

沖縄県議会議員団が行った、デタラメな聞き取り調査を実施した際の証言のことだろう。

県議の調査で、座間味村の上洲幸子さん(84)が、旧日本軍隊長による直接命令があったと証言した。 

ところが、上洲証言を報道した沖縄タイムスは、二度、「隊長」ではなかったとの訂正記事を掲載している。 

だが、これが誤報だったことを伝える新聞はタイムス以外に一つも無かった。

沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」

ちなみにこの沖縄タイムスの捏造記事はそのまま朝日新聞の社説に引用され全国を一人歩きし始める。(朝日の“捏造記事”タライ回し  沖縄タイムスが“捏造写真” 

                                              ◇

県議会文厚委 検定撤回へ現地調査

 文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍強制などの記述が修正・削除された問題で、県議会文教厚生委員会(前島明男委員長)は6日午前、渡嘉敷島で「自決」現場を視察したほか、「集団自決」の生存者らから聞き取り調査を始めた。午後には座間味島に渡り調査する。

(7/6 16:05)全文 >>

「集団自決」の生存者から当時の話を聞く県議会文教厚生委員会の委員ら=6日午前10時半ごろ、渡嘉敷村

上記写真で調査団を先頭で案内している当時14歳の金城武徳さん(75)の証言は新聞では肝心の部分は完全に削除された。

一方、当時僅か6歳の吉川さん(67)の証言は事細かに取り上げ「軍命令はあった」と結論付けている。

 

■デタラメだった聞き取り調査■

島の人によると、聞き取り調査は実に酷いものだったという。

金城さんが「軍の命令は無かった」と証言すると、

議員団の狩俣信子議員(社民党)は、金城さんの発言を封じるように次のように決め付けたという。

私は、社会科の教師を30年近くやってきました。よってこの問題には造詣があります。」「戦争を美化しないで下さい。」

当時15歳で生き残ってきた証言者に対して、この「決め付け」発言がこの調査団の左翼的性格を物語っている。

証言者の発言を封じるなら何のための聞き取り調査だったのか。

そう、議会決議に合致する証言だけを聞けばよかったのだ。

「不都合な証言」を聞く耳など最初から持ち合わせてはいなかった。

社会科の教師をしていたら証言を聞かなくとも全てをお見通しだとは細木数子先生もきっとびっくりでしょう。

又調査団の団長で、後に「県民大会実行委員長」となる仲里県議会議長は、調査現場で驚くべき発言をしている。

あの「毒おにぎり」証言の仲里議長である。

みんなで既に決めたこと(採択したこと)だから、早く話をまとめましょう」

もう既に決まった結論のアリバイ造りの調査だったことがこの議長の一言で、語るに落ちてしまっている。

この調査団の左翼偏向的性格は今更説明を要しないが、この一連の県議団の動きがマスコミのセンセーショナルな報道と相まって、

その後県民を狂乱の渦に巻き込んでいく。

■県議のアリバイ調査は県民の総意?

沖縄タイムスは恥知らずにも、

「証言を聞き終えた前島委員長は「検定意見削除は県民の総意だ。文科省にさらに強く訴えていく」という文で締めくくっている。

そう、タイムスは己が創作した“県民の総意”が重要であり、

重要証人の証言などどうでも良かったのだ。

沖縄タイムスは結局、聞き取り調査の証言は封殺して、自分が作ったシナリオ・「県民の総意」さえあれば、歴史の事実を捏造できると信じているのか。

デタラメな調査で「県民の総意」を捏造される県民もたまったものではない。

 

■平和学習の語り部が証言者■
  
沖縄タイムス;「集団自決」の現場視察 県議会文厚委【写真】

証言者・吉川嘉勝氏(68)は調査団に対し、

自決命令は、無かったかもしれないが、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」

と語った。

吉川氏は最近(4月19日)まで渡嘉敷村の教育委員長を勤めていた教員上がりの村の偉い人でもある。http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/vill_inf/so_6/so_6_01.htm

このように沖教組関連の「平和教育」でどっぷり浸かった文教委員議員団の調査は、形だけのアリバイ作りのためだけの噴飯モノあった。

ちなみにこの吉川氏、島に戻った今は、地元の子どもや修学旅行生を相手に平和学習の案内役をしていると言う。

そう、吉川さんは証言者である一方、「平和学習」の語り部でもあったのです。

いくら語り部でも、日本軍の残虐さは語って語っても「自決命令は、無かったかもしれないが、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」と語るのが精一杯だったのでしょう。

参考:「平和学習」
埼玉の中3生、修学旅行で「集団自決」地に 「平和」努力を決意 カメラ  (7/5 16:05)

 

この吉川氏が証言するのは今回が始めてではない。

今年の慰霊の日の朝日新聞の記事で証言している。

だが、「軍曹が命じた」と巧妙に作文された朝日記事でも

吉川氏は一言も「軍の命令」とは証言していない。

 

http://www.asahi.com/national/update/0623/SEB
200706230011html

62年前に見た集団自決の現場 「軍曹が命じた」
2007年06月23日15時30分

 沖縄戦の戦没者ら約24万人の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」。糸満市摩文仁(まぶに)に立ち並ぶ碑の前で23日朝、元中学校教諭の吉川嘉勝さん(68)は妻の英子さん(68)と一緒に静かに手を合わせた。礎には米軍の艦砲射撃で亡くなった父の名がある。

 62年前、吉川さんは「集団自決」の現場にいた。

 那覇市の西約30キロにある渡嘉敷島。周囲25キロの島に米軍が上陸したのは45年3月27日のことだ。住民らは土砂降りの雨の中、島北部の通称「北山」を目指した。吉川さんと家族もその中にいた。当時6歳だった。

 「集団自決」が起きたのは翌28日。たどり着いた山中で家族や親類ごとに円陣を組んで座った。村長の短い訓示の後、「天皇陛下万歳」の叫びとともに、あちこちで手投げ弾が爆発した。

 吉川さんの家族ら約10人が輪になった中でも、義兄らが手投げ弾を石に打ち付けた。だが、爆発しない。父は「火を燃やして、投げ入れろ」と指示した。

 母が叫んだ。「手投げ弾を捨てろ」。生きられるだけ生きるべきだと必死に訴えていた、と吉川さんは振り返る。家族はその場を逃れた。

 母が教えてくれた「命の重さ」を伝えるため、吉川さんは教師になった。校長を最後に教職を退き、島に戻った今は、地元の子どもや修学旅行生を相手に平和学習の案内役を務める。「自分たちの歴史を知り、戦争のない社会をつくってほしい」と語り続ける。

 その島で、沖縄国際大名誉教授の安仁屋政昭さん(72)は88年、かつて村の兵事主任だった故富山真順さんから、ある証言を聞いている。

 富山さんは45年3月20日、戦隊からの命令で17歳未満の少年と役場職員を役場の庭に集めた。兵器係の軍曹が住民二十数人に手投げ弾を2個ずつ配り、「敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのある時は残りの1発で自決せよ」と訓示した、という。

 沖縄ではいま、「集団自決」を巡る教科書検定で「日本軍による強制」が削除されたことに強い反発が起きている。安仁屋さんは言う。「富山さんの話は自決命令の存在を示す重要な証言だ」
 
朝日新聞は、既に「集団自決」の「軍命令論争」で敗北していることを承知している。

子分ともいえる沖縄タイムスが暴走するの止められず、当たり障りの無い記事でしか援護できない、・・・というより、既に敵前逃亡を決め込んでいる。(朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 

                     ◇

これまでも学術調査団が何度も現地調査を行っており、「軍命令はなかった」という多くの証言者がいたが、これらは地元マスコミに載ることはなかった。(例えば宮平さん→★文末に引用)

■【動画と“新聞証言”の違い】

いずれにせよ、マスコミは自分等に不都合な事実は報じない。(これは金城さんも言っている)

琉球新報、沖縄タイムスが「集団自決」の生き残りで当時14歳の金城さんの証言をどのように歪曲して報じたか、つぎの【動画】で確かめて欲しい。

【動画・金城武徳さんの証言】http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o

 

連日紙面を飾るのは「多くの悲惨な証言がある」と言う極めて曖昧な記事のがオドロオドロしく報じられる。

確かに沖縄戦で悲惨な体験をした人は数多くいるだろう。

だが、「数多くの悲惨な証言」を必死で「軍命令で集団自決した」の結論にもっていこうと紙面づくりに追われているのが地元二紙だ。

最近では「命令の有無ではなく、強制性が問題だ」なんて言い変えだしているようが・・・。

そのうち「強制性の有無ではなく、軍隊がいたことが問題だ」なんて言い出すと思う。

まともな研究者、そして良識ある証言者達は皆「その事実」に気がついている

 

 

2007年7月9日(月)「しんぶん赤旗」

助役“自決の軍命出た”

沖縄・座間味村 当時の発言 妹が証言

県議会の現地調査に


 「集団自決」によって百七十八人が死に追い込まれた沖縄県座間味(ざまみ)村で、当時の宮里盛秀助役が「軍の玉砕命令が出た」と告げていたことを、妹の宮平春子さん(80)が証言しました。六日の沖縄県議会議員の「集団自決」現地調査の中で語りました。


 座間味の「集団自決」をめぐっては、日本軍元戦隊長が「命令を出したのは助役」だと主張しています。隣の渡嘉敷(とかしき)島の元戦隊長の弟とともに、軍命があったと記述されて名誉を傷つけられたとして、大江健三郎氏と岩波書店を訴えています(二〇〇五年八月五日提訴)。

 妹の春子さんは本紙の取材に「兄さんがウソをつくはずがありません。どうして今ごろ『軍の関与がなかった』なんて? くやしくて、今まで決してしゃべらなかった体験を話すことにしたのです」と心境を語りました。

子を抱きしめ

 兄は宮里盛秀さん。一九四五年三月二十五日の夜、激しい空襲の中、壕(ごう)に避難していた春子さんたち家族のところに、兄がやってきました。

 兄は父に向かって「軍の命令で、敵が上陸したら玉砕するように言われている」「お父さん、今まで親孝行できませんでした。あの世で孝行するから潔く死にましょう」と告げたといいます。

 兄は七歳から四歳までの子ども三人を抱きしめ、「こんなに大きく育ててきたのに、自分の手で死なせるのは忍びない」とも述べました。

 「自決」の場は村の忠魂碑。夜に集まることになっていて、春子さん一家は兄の家族と一緒に向かいました。

 しかし引き返してくる人がいて、その人は「忠魂碑に照明弾が落ちてきて、集まった人たちが散り散りになった」と言いました。来た道を引き返し、元々いた壕のすぐ上にあった産業組合壕にいきました。

 しかし中はいっぱい。兄は「後で呼びにいくから、(元の壕に)戻りなさい」と言い残し、産業組合壕に入っていきました。中に入った兄たちは「自決」して亡くなり、入れなかった春子さんたちは助かりました。

 春子さんは「潔く死ぬように言ったのは軍であり国なんです。戦争のみじめさを後世に残したいと強く思うようになりました」「憲法を変えようとする安倍首相が憎たらしいね」と、言葉を選ぶように話しました。

軍が死を強要

 県議会の「集団自決」現地調査では、八人の住民が証言。ある住民は座間味村の日本軍元戦隊長から「敵につかまるぐらいなら舌をかみきって死ねと言われた」と語り、別の住人も、ほかの軍人から「なぜ生きている。恥を知れ!」と怒鳴られたと、軍に死を強要されたことを述べました。

 「私たちが体験したことが教科書から消されれば、あの戦争はなかったと言われたのと同じことになるのでは」と訴える人もいました。

               ◆

 

 ■朝日新聞の「捏造記事」たらいまわし■

沖縄タイムスがばら撒いた「ねつ造記事」が一人歩きしている例をもう一つ。

今朝の全国五紙で2007年9月29日の「県民大会」を社説で取り上げたのは朝日新聞一紙だけ。

他の4紙がスルーしたのはさて置き朝日一紙が取り上げた訳は、

「集団自決」問題の発端となった『鉄の暴風』の初版は朝日新聞から発刊されている経緯から朝日はこの問題の当事者であり、「県民大会」の大騒ぎに、社説を書かざるを得なかったのであろう。

だが、沖縄タイムスの最近の「捏造記事(お詫びと訂正済み)」をそのまま引用しているのは朝日得意の意図的手法だろう。

集団自決―検定意見の撤回を急げ 朝日新聞・社説

≪(略)ことし80歳の宮平春子さんは45年3月25日夜、当時の村助役だった兄が父に「(敵の)上陸は間違いないから軍から玉砕しなさいと命令が下りた。潔く玉砕します。死にましょう」と伝えるのを聞いた。軍隊用語の「玉砕」が使われていること自体が軍のかかわりを物語る。

 84歳の上洲幸子さんの証言は「もしアメリカ軍に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい」と日本軍の隊長から言われた、というものだ。

 こうした生々しい体験を文科省はどう否定できるというのか。(略)

 


【記録保管】
 
朝日新聞 2007年9月30日社説
 
集団自決―検定意見の撤回を急げ
 沖縄の新たな憤りが、大きなうねりとなって広がっている。ことしの教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」の記述から、「日本軍に強いられた」という表現が削られた問題だ。
 29日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が沖縄県宜野湾市であり、予想をはるかに上回る約11万人の人々で会場は埋まった。仲井真弘多知事もあいさつに立った。
 これまでに県内の41の市町村議会がすべて検定意見の撤回を求める意見書を可決した。県議会は同じ趣旨の意見書を2回も可決した。文部科学省が応じなかったためだ。撤回を求める声はいまや沖縄の総意といえるだろう。
 集団自決が日本軍に強制されたことは、沖縄では常識だった。「沖縄県史」や市町村史には、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の証言が紹介されている。
 その事実を文科省が否定するのなら、改めて証言を集めよう。そうした動きが沖縄で起きている。
 そのひとつが、県議会による聞き取り調査だ。意見書の再可決に先立ち、住民の集団自決が起きた慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島で新たな証言を得た。
 ことし80歳の宮平春子さんは45年3月25日夜、当時の村助役だった兄が父に「(敵の)上陸は間違いないから軍から玉砕しなさいと命令が下りた。潔く玉砕します。死にましょう」と伝えるのを聞いた。軍隊用語の「玉砕」が使われていること自体が軍のかかわりを物語る。
 84歳の上洲幸子さんの証言は「もしアメリカ軍に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい」と日本軍の隊長から言われた、というものだ。
 こうした生々しい体験を文科省はどう否定できるというのか。
 そもそも、教科書の執筆者らは「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と言っているのではない。そうした事例もある、と書いたにすぎない。それなのに、日本軍のかかわりをすべて消してしまうのは、あまりに乱暴というほかない。
 伊吹前文科相は「大臣が検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」と述べた。専門家の審議会を通ったものなので、口出しできないとの理屈だ。
 しかし、これは審議会を盾に逃げているとしか思えない。「日本軍」を削除するよう最初に意見書をまとめたのは、文科省の教科書調査官だ。その意見書がそのまま審議会を通った。それをもとに文科省が検定意見を決めたのだ。
 沖縄戦をめぐっては検定が変わったことがある。82年の検定で、日本軍による「住民殺害」の記述が削られたが、当時の文相が「県民の心の痛手に対し、十分な配慮がなされなければならない」と答弁し、記述は復活した。
 問題の教科書は来年度から使用される。ことは急を要する。渡海文科相はただちに検定意見を撤回すべきだ。

 
 

さらにその年は、大幅水増しで全国に名を馳せた「11万人集会」が開催された年であった。
文科省の検定意見を巡り、連日紙面には集団自決の生き証人と自称する人物が次々登場し、「残虐非道な日本軍」の悪行を次々と告発した。だがいずれの証言にも「軍命」を立証する客観的根拠は得られず、立証に迄は至らなかった。中には噂や伝聞の類で、明らかな嘘とわかるものが多数を占めた。

例えばこんな記事が堂々と新聞に報道された。

壕に避難していた少年に途中から入ってきた日本兵が「毒おにぎり」を食わそうとしたので、少年は壕を逃げ出し命拾いをあいたと言う証言が琉球新報に報道された。食糧不足に悩む当時はおにぎりは滅多に口にすることのないゴチソウであり、その大事なおにぎりにわざわざ毒を塗って少年の殺害を謀るより、銃剣で脅して追い出したほうが容易であることは誰にでわかること。その証言をした少年が仲里県議会議長であることが話題になった。仲里議長が嘘をついたか、さもなくば当時の厳しい食料事情を知らない若い記者が、聞き取りの際歪曲・捏造したかのどちらかだろう。 当時の事情を知る者なら誰でも容易に想像がつく。 これに関して仲里氏は以後沈黙を押し通し何も語っていない。

2013年6月12日付琉球新報の次のコラムもその類のいい加減な証言があたかも真実であるかのように語られている。


< 自然壕の暗闇の中、赤ん坊が次々に泣き出した。「黙らせろ」。敵に居場所を知られるのを恐れた日本兵が怒鳴った次の瞬間、銃声が響いた。7歳ほどの少女が前へ崩れ落ちた ▼糸満市の仲松庸全さんが沖縄戦で目撃した日本兵による少女銃殺の場面だ。「軍隊は住民を守らない。それどころか住民を殺害したり、死に追いやったりした」。体験から得た最大の教訓という 。 > 

上記コラムの事例が嘘である証拠は、米兵の目を恐れる日本兵が赤ん坊の泣き声は気にするが、射殺した銃声が米兵の耳に入るのを気にしていない。 これなどは戦争体験者の証言ではよくでてくる矛盾であり、誰もが気がつく嘘の証言である。

証言者の名前を記すと全てが真実のように受取られがちだが、よく読み返すと嘘は自ずと矛盾が露呈してくる。 壕に潜んでいた母親が、赤ん坊の泣き声が気になり、湿ったオムツを赤ん坊の口に当てて窒息させたと言う悲惨な話は今でも密かに語られている。 それが新聞などで証言となって公開されると、そこに「残虐非道な日本兵」が介在し、「日本兵によって殺された」という話に変化していく。 わが子を自分の手にかけた贖罪意識のある母親としては、せめて「残虐非道な日本兵に殺された」とでも証言しなければやりきれなかったのだろう。 だが、この場合日本兵の名前が特定されていないからまだ救える話だ。

だが、自決命令を下して住民を集団自決に追いやったのは、「赤松、梅澤両隊長だった」などと名前を特定されたのが慶良間島集団自決の悲劇である。 そして名前を特定した理由が、当時の厚生省役人の漏らした「軍命があったなら集団自決の遺族も援護法の適用が可能」というひと言だという。 以後「軍命による集団自決」が集団自決のあった座間味村役場の公式見解になる。座間味島村の援護係宮村広延は援護金の支給で何度も当時の厚生省と交渉し援護金支給に貢献したして村役場から表彰を受けている。

■「援護法」が作り上げた極悪人

本来なら軍人の遺族にしか適用できない「援護法」を、軍属でもない集団自決の遺族に適用するための「拡大解釈」という厚生省の善意。 それが、仇となって2人の軍人に「集団自決を命じた極悪人」という汚名を着せることになる。 歴史の皮肉である。 上原正稔さんの琉球新報を相手取った戦いの目的は、不当に汚名を着せられた梅澤、赤松両隊長の汚名返上にある。

 
 
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我那覇真子のインタビュー記事、「現代の奴隷農場」に囚われる米国の黒人社会

2022-05-29 05:24:58 | 資料保管庫
 
 

「現代の奴隷農場」に囚われる米国の黒人社会

 

「民主党からの独立」訴える女性活動家に学ぶ自助論 ジャーナリスト・我那覇真子氏に聞く

  •  
米国で注目を集める黒人の女性保守派活動家、キャンディス・オーウェンズ氏の著書『ブラックアウト』の邦訳版が出版された(方丈社刊)。民主党は黒人の味方だという認識は米国のみならず日本でも定着しているが、オーウェンズ氏の見方は正反対だ。黒人を福祉漬けにして自立心を奪ってきたのが民主党であり、同党の「新たな奴隷農場」から脱出しなければならないと訴えている。本書は黒人に向けて書かれたが、自助の精神なき社会に希望はないとの主張は、活力を失った日本社会にも通じるものだ。翻訳を担当したジャーナリストの我那覇真子氏に、本書を通じて日本人に伝えたいメッセージなどを聞いた。(聞き手=編集委員・早川俊行
我那覇真子(がなは・まさこ) 1989年、沖縄県名護市生まれ。保守政治活動家・独立系ジャーナリスト。早稲田大学人間科学部卒。琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会代表運営委員。2020年米大統領選を数カ月間取材し、投票前後の混乱などを連日ユーチューブで配信。著書に『日本を守る沖縄の戦い』。

――邦訳版を出した目的は。

日本人は今、自分の国で起きていることに気付き、行動に移さなければいけない時に来ています。米国では何の肩書きもない一般の人たちが実際に立ち上がり、国を動かす大きなうねりを巻き起こしています。その中心になっているのがキャンディスさんです。

草の根の国民が立ち上がり、国をつくっていく。そうした精神を日本にもぜひ伝えたい、われわれも学びたい。そうした思いから邦訳版出版の話を喜んで引き受けました。

――本書は、現代の米国の黒人は「民主党の奴隷農場」に囚われていると断じ、民主党は黒人の味方だという既成概念を根本から覆しています。

米国では、ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切、BLM)運動が話題になっていますが、キャンディスさんはこの運動をフェイクだと断じ、黒人はそうした嘘から目覚めなければいけないと強く訴えています。その号令が、本書のタイトル『ブラックアウト』なのです。

福祉漬けで民主党の集票マシーンに

これはどういうことかと言うと、黒人は永遠の被害者で、差別され続けるかわいそうな存在である、だから福祉政策を強く打ち出す民主党に投票しなさい、そういうシナリオが作り上げられているのです。かつて差別が存在したことは事実です。しかし、黒人は今も搾取され続けているという自虐史観を植え付けられ、民主党の集票マシーンにさせられてしまっているのです。

「民主党の奴隷農場」から脱却しなければ、本当の黒人コミュニティーの幸せはないし、成功も遠のいてしまう。キャンディスさんはそう訴えているのです。『ブラックアウト』とは、民主党の奴隷農場からブラック(黒人)がアウト(脱出)するという意味です。

われわれ日本人も何かから脱出する、「ジャパンアウト」をしないといけません。

キャンディス・オーウェンズ(Candace Owens) 1989年、米コネチカット州出身。米国で注目を集める保守政治活動家。民主党の岩盤支持層である黒人有権者に対し、同党からの離脱を訴える「#Blexit運動」を立ち上げ、脚光を浴びる。民主党のバラマキ福祉によるマイノリティー保護政策は、新たな奴隷制であると喝破した著書『ブラックアウト』は、全米50万部突破のベストセラーに。(撮影:マイケル・ヨン)

――奴隷というと、鎖でつながれ、強制労働をさせられるといったイメージがあります。現代の黒人は法的には平等でも、過剰な福祉政策などによって自立心が奪われ、精神的、思想的に奴隷状態に置かれているということでしょうか。

そうです。情報戦によって自虐史観を植え付けられ、精神的に囚われの身、奴隷化されているのが、現代の黒人だというのです。黒人に自由を与えたのは民主党だという勘違いをしている人が少なくありません。

ブラックアウトはもともと停電という意味です。黒人はこれまで、民主党によってライトをともされ、誘導されてきた。ここから脱却するためには、このライトを停電させ、自分たちの手で明かりをともし、自主独立の精神で進んでいく必要がある、という意味もタイトルに込められています。

――オーウェンズ氏も若い頃はリベラルな価値観に傾斜していましたが、トランプ大統領の選挙演説を聞いて目が覚めたと述べています。トランプ氏のメッセージはなぜ彼女の琴線に触れたのでしょうか。

キャンディスさんは、トランプ氏の「何を失うというのですか?」という言葉でハッとしたと述べています。オブラートに包んだ表現で支持を訴えるのではなく、黒人に対して「これ以上、何を失うというのだ」というダイレクトなメッセージが、トランプ氏は本音で語る人物だと伝わったのではないでしょうか。

黒人社会は今、層の厚いプロパガンダによってがんじがらめにされています。トランプ氏のように力強い言葉でダイレクトに訴えかける人でないと、この状況から黒人を引っ張り出すことができない。キャンディスさんはそう気付いたのでしょう。

崩壊した黒人家庭、7割が父親不在

――黒人社会が貧困や経済格差に苦しむ要因について、本書は父親が家にいないことだとはっきり言っています。

私も本書を読んで驚いたのですが、黒人家庭の7割で父親がいないそうです。奴隷制の時代に家族が引き離される悲惨な歴史を経験し、家族の大切さを誰よりも分かっているはずの黒人家庭がこうなっているのは、意図的な結果だというのです。

例えば、米国では中絶問題が大きな話題になっていますが、中絶手術をする施設が意図的に黒人コミュニティーの近くにつくられているのです。BLM運動によって黒人が白人警官に殺されているというプロパガンダが広がっていますが、実は黒人にとって最も危ないのは母親のお腹の中なのです。優生学的思想を持つ人たちが、意図的にこうしたキャンペーンを展開してきました。

民主党は黒人をコントロールするために、黒人コミュニティーを弱体化させる必要がありました。そのためにはまず、黒人家庭をバラバラにする、父親不在の家庭を増やす必要があったのです。黒人家庭を福祉漬けにし、母親は子供の父親と結婚するよりも、シングルマザーとして政府から補助金をもらったほうが得だという仕組みを作り上げました。つまり、黒人の母親を旦那さんではなく、政府と結婚させるようにしたのです。

かわいそうな家庭を助けるという美辞麗句の下で、黒人家庭に対する攻撃が行われてきました。キャンディスさんは、黒人社会の回復に必要なのは、何より家庭に父親がいることだと訴えています。これは日本社会にも当てはまることです。

キャンディス・オーウェンズ氏(右)にインタビューした我那覇真子氏(撮影:マイケル・ヨン)

――黒人に被害者意識を植え付け、国民を分断する手法はマルクス主義そのものです。本書は「黒人が今日主張する抑圧の考え方は、共産主義からきたものだ」と断言しています。黒人社会が直面する困難や米国社会の分断は、突き詰めるとマルクス主義、共産主義に行き着くということでしょうか。

全くその通りだと思います。メディアの支援によって大きな存在になったBLM運動は、共産主義を勉強したと公言する筋金入りの人たちがリーダーになって社会を分断しています。

BLM運動もそうですが、差別を受けていない黒人が、差別をしていない白人に対して、償わなくていい罪を償わせようとする構図をつくりだしています。全く関係ない人たちが過去の歴史を利用してお金の流れをつくり、社会の分断を図っているのです。

キャンディスさんは私のインタビューでも話していたのですが、家族の否定やLGBT(性的少数者)イデオロギーの推進、気候変動対策など、突き詰めると、すべてが家庭の分断につながるというのです。家庭が崩壊すれば、支配したい人たちが国民を洗脳しやすくなり、共産主義国家に近づいていくことになるからです。

気候変動対策がなぜ家庭の分断につながるのかと疑問に思ったのですが、キャンディスさんによると、環境活動家たちは人口が多すぎることが気候変動を引き起こしていると主張し、子供たちに子供を持たないよう思想教育をしているというのです。

――本書は、左翼の圧力によって米国社会からキリスト教の伝統が失われていることを嘆いています。左翼勢力が米国から信仰を排除しようとする狙いは何でしょうか。

人間が生きていく原動力は、やはり信仰だと思います。敬虔なクリスチャンであるキャンディスさんの強さもそこから来ています。

米国民をターゲットにして攻撃している勢力は、米国を骨抜きにしなければならないと考えています。だからこそ、国民から信仰心を奪おうとしているのです。国民の信仰の対象を神ではなく、政府に変えようとしている。これは本当に恐ろしいことです。われわれ日本人も政府を信仰していないかと、われに返らせられます。

だからこそ、米国で今、立ち上がったのは、クリスチャンが多い。トランプ大統領の集会に行って驚いたのですが、集会は数万人の参加者が一緒に祈ることから始まりました。これを見て、宗教の力は本当にすごいと思いました。

日本人は無神論者と言う人もいますが、私は決してそうは思いません。私はクリスチャンではありませんが、日本人的な宗教観に基づき、信仰は大切であり、日本のバックボーンだと思っています。

――黒人有権者の5~10%でも民主党の奴隷農場から抜け出るだけでも、米国の政治バランスは劇的に変わります。

その通りです。だからこそ、キャンディスさんは共和党の副大統領候補として名前が挙がることもあります。黒人の有権者が少しでも目覚めれば、米国の運命も変わります。さらに日本の運命まで変わると、私は思っています。

私はキャンディスさんとのインタビューで、思わず日本も救ってほしいと言いました。これは何も日本の命運を彼女に丸投げするという意味ではありません。米国が世界に与える影響を考えれば、米国の保守派、とりわけその中心になっているキャンディスさんに頑張ってもらえれば、日本も自立できるようになると思うのです。

キャンディスさんたちは、米国の主権を本当に意味で取り戻そうとしている。日本も「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)などによって自立できなくなりました。米国が本来の米国に戻ることができれば、日本も本来の日本になれるチャンスが来ると思うのです。

――黒人の民主党離れは今後、広がっていくでしょうか。

米国では、政治家よりも先に国民が目覚めています。国民の反映が政治家ですから、目覚めた国民の声を吸い上げるリーダーがさらに増えていくと思います。そうした勢力が今後減ることはまずなく、どれだけ増えていくか、どれだけスピードが速いか、という流れだと思います。

取材したトランプ氏の集会には、「私は民主党員だけど、トランプ氏を支持する」という人がいました。この人は中絶に強く反対するクリスチャンで、人間の生命を大事にする政治をするのは誰か、そう言っていました。これらの有権者は政党の枠組みではなく、価値の枠組みで判断しており、こうした動きはどんどん広がっていると感じます。

日本にも求められる国民の「覚醒」

――本書は黒人社会に向けて書かれたものですが、邦訳版を通じて日本人に伝えたいメッセージは。

この本は黒人の歴史や米国社会について書かれたものですが、一国を破壊する手口は同じです。つまり、日本でも同じことが行われている。黒人が置かれている立場を自分たちに置き換えて、日本ではどうなっているかに気付いてほしいのです。

例えば、不必要にLGBT問題がイデオロギー化し、日本に押し寄せています。学校でも伝統を破壊するような教育が行われています。この本で語られていることは、程度は違うかもしれませんが、日本でも起きていることなのです。国家は同じ原理で成り立っていますから、同じ原理で壊せばいいというわけです。

本書にはキャンディスさんの体験談が多く書かれており、自助論の側面が非常に強い。日本人も物事を解決するには自助精神しかないことを、今一度気付かなければいけない。本書を現代の自助論として日本人に読んでほしいと思います。

――黒人は被害者意識を植え付けられてきましたが、これは沖縄問題にも通じるのでは。

私が本書に共感し、わが事のように読んだのは、沖縄県民である自分たちが置かれている立場が重なったからです。沖縄県民は米国の黒人のように、日本の分断工作に使われています。

沖縄は政府から多額の補助金やさまざまな優遇政策を受けています。私はこれまで、沖縄にお金が入ってくるのは発展のためだから疑問を抱くことではないと思っていました。しかし、沖縄はかわいそうという理由で補助金を与えることは、被害者意識を高めることにつながっています。従って、政府の補助金漬けは、沖縄にとって根本的には良くないものだと思います。

ブラックアウト – 方 丈 社 (hojosha.co.jp)
 
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沖縄返還を巡るマッカーサーとケネディ

2022-05-17 06:44:18 | 資料保管庫

 

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ブラックアウト アメリカ黒人による、“民主党の新たな奴隷農場"からの独立宣言  単行本¥2,530

キャンディス・オーウェンズ (著)

これは、米国政治のキャスティング・ヴォートを握る黒人たちに突きつけられた「保守」からの革命の書だ!
間違いなく今後の米国史を動かし、やがて21世紀の革命家と称されるであろう
黒人女性の記念碑的処女作
日本の若き女性国士にして、最も勇気あるジャーナリスト・我那覇真子(がなはまさこ)を翻訳者に迎え、ついに運命の邂逅(かいこう)。
本書を読まずして、今後の日米関係は一切語れない。
 
 
               
「講和条約発効の日」を、日本が沖縄を見捨てた「屈辱の日」と呼ぶ妥当性はさておき、日本一有名なアメリカ軍人が沖縄をアメリカの領土にすべきと主張したことを知る県民は少ない。
 
沖縄を米国の領土にすべきと熱望していた人物こそ、QHQ最高司令官Ⅾ・マッカーサーだった。
 
この事実は沖縄戦後史の研究家R・エルドリッヂ博士の『沖縄問題の起源』に詳述されている。 
 
そして沖縄は日本の一部と明言し、沖縄返還の口火を切った人物が、アメリカのケネディ大統領であることを知る県民も少数派だろう。
 
1962(昭和37)年3月、ケネディ大統領は「琉球は日本の一部」と明言し、〈沖縄新政策〉を発表した。国家安全保障会議アクションメモ第133号 1962(昭和37)年3月 ケネディ大統領文書
 
1964(昭和39)年4月には「日米協議委員会」「日米琉技術委員会」が設置され、日本と沖縄との「一体化」政策が推し進められた。
 
こうして、日本の高度経済成長を背景に沖縄に対する日本政府の関与が深まるにつれて、沖縄返還は日米間の重要課題となっていく。
 
そして佐藤栄作首相の有名な演説に繋がっていく。
 
1965(昭和40)年8月、戦後初めて現役首相として沖縄を訪問した佐藤首相は、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わっていない」と演説した。
 
1967(昭和42)年11月の第2次佐藤・ジョンソン会談の後、1969(昭和44)年の日米共同声明で1972年返還が決まった。
 
■「本土並み」と言うキーワード
 
沖縄返還に対し「日本政府の裏切り」と糾弾し「屈辱の日」と呼ぶ他に「本土並み」と言うキーワードがある。
 
安全保障に関わる基地問題の是非はさておくとしても、経済的には「本土並み」から大きく立ち遅れているというのだ。
 
確かに県民所得など経済数値を比べると、沖縄県は全国でも最下位の部分が多い。
 
だが、少し待ってほしい。
 
全国には経済数値の高い県もあれば、低い県もある。
 
と言うことは、全国の大半の県は「本土並み」ではないということになる。
 
そして、もう少し待ってほしい。
 
「本土並み」と言うキーワードの裏には、戦前の沖縄は「本土並み」あるいは「本土並み以上」であったという無言の主張が秘められているが、戦前、つまり「沖縄戦」以前の沖縄の経済はどうだったか。
 
沖縄は石灰岩の上にできた島であり、農地のほとんどは赤土で農業には不向きである。(穀倉地帯として知られるウクライナの土地は黒い土である)
 
したがって戦前の沖縄の人口は約60万人が限度で、それ以上増えるとブラジル、ボリビアなどの南米移民やハワイ、サイパンなどの移民による送金で沖縄県民の糊口を潤していた。 更に戦前は極端な食糧不足のため、毒性のあるソテツの実を食べて死亡した「ソテツ地獄」も多発していた。
 
ところが敗戦により海外移民が一斉に沖縄に帰還し、敗戦直後の人口は約60万人前後であった。 
 
しかし、沖縄返還後50周年を迎えた沖縄県の人口は、約1億五千万になり、敗戦直後の約3倍に膨れ上がっている。
 
では農作物では60万人しか養えない沖縄で、約3倍以上の人口をどのようにして養ったのか。その答えは米軍とその関連需要である。
 
しかし、沖縄返還後の沖縄県の県民所得が全国最下位である理由は何か。
 
沖縄県内の貧困な県民の所得を計上し、県外に流出した高額所得者の収入は除外しているからだ。
 
「沖縄版・敗戦利得者」として、沖縄で財を成した高額所得者のほとんどが、東京その他の県外で、県内で稼いだ資産を利用して更なる財を蓄積している。
 
筆者の知人でも軍用地で得た莫大な収入を利用して東京でアパート・マンションなど不動産事業で莫大な収入を得ている例を知っている。これらは全て、沖縄県民の県民所得から除外されている。
 
イデオロギーはウソを吐くが、経済指数はウソを吐かない。
 

2022年05月16日

【悲報】都道府県別平均年収、発表→真の貧乏県があぶり出される

1 名前:ウエスタンラリアット(東京都) [KR]:2022/05/16(月) 14:42:37.40 ID:mPd+hnxb0
5: ジャンピングカラテキック(千葉県) [US] 2022/05/16(月) 14:43:54.19 ID:YzwOp07u0
思いのほか差がないな

9: トペ コンヒーロ(東京都) [JP] 2022/05/16(月) 14:45:05.69 ID:eyX+9hID0
軒並み前年以下wwww

11: ウエスタンラリアット(埼玉県) [US] 2022/05/16(月) 14:45:29.37 ID:G/Yg2rO90
京都は貧乏なんだな

12: トペ コンヒーロ(宮城県) [US] 2022/05/16(月) 14:45:34.90 ID:+Mo7RzWL0
福岡県、秋田以下とかwww

14: ジャンピングパワーボム(東京都) [KR] 2022/05/16(月) 14:45:51.02 ID:yRsMuD3v0
埼玉が茨城、栃木に負けてるのは意外

19: ハイキック(愛知県) [ニダ] 2022/05/16(月) 14:46:50.64 ID:HSWX6h9Y0
茨城とか栃木は何で高いんだ?

21: 急所攻撃(東京都) [US] 2022/05/16(月) 14:47:31.80 ID:U2uBq9qm0
山口はいったい何でもうけてるのだろうか

22: ジャンピングカラテキック(東京都) [NL] 2022/05/16(月) 14:47:44.85 ID:/1lyAxwD0
群馬が茨城栃木と争ってる割には低いな

36: 断崖式ニードロップ(光) [KR] 2022/05/16(月) 14:49:54.30 ID:9miIQQO90
福井がそれなりなのは原発マネー?

40: TEKKAMAKI(東京都) [US] 2022/05/16(月) 14:51:57.40 ID:AeXe9cll0
さすが日本の副首都を目指す大阪ww

VPV8lK3

42: 閃光妖術(茸) [US] 2022/05/16(月) 14:52:11.25 ID:3pjZaQyN0
愛知はトヨタサマのおかげでもっといいとおもってた
やっぱ奴隷のように使われてんだな

45: ハイキック(茸) [ニダ] 2022/05/16(月) 14:53:13.86 ID:AXb+6yWR0
茨城県はつくば辺りの高給取りが平均上げてるね

51: イス攻撃(SB-Android) [JP] 2022/05/16(月) 14:54:35.90 ID:nl03PBMV0
新潟は政令指定都市があるのにね

53: リキラリアット(秋田県) [US] 2022/05/16(月) 14:54:59.40 ID:TF5oLleX0
秋田が思ったより高い
45~47位くらいだと思ってた

54: レッドインク(神奈川県) [CN] 2022/05/16(月) 14:55:13.11 ID:0jsmZi7o0
大阪さんはなんでこんなに低いの?

57: アルゼンチンバックブリーカー(兵庫県) [JP] 2022/05/16(月) 14:56:07.14 ID:prNoo3yR0
思ってたより差がない
首位600、最下位300ぐらいかと

62: リバースパワースラム(茸) [VN] 2022/05/16(月) 14:57:08.59 ID:0159KS1M0
茨城すごい
魅力度は最下位なのに

64: ムーンサルトプレス(東京都) [KR] 2022/05/16(月) 14:57:40.40 ID:EhcV44M80
鹿児島ってこんな低いんだなんか明治維新の勝ち組でもっと裕福だと思ってた

VPV8lK3

65: パイルドライバー(福岡県) [GR] 2022/05/16(月) 14:58:02.76 ID:R/4Uidzc0
九州全域は安いな

72: リバースネックブリーカー(東京都) [JP] 2022/05/16(月) 14:59:24.84 ID:FI/dql0c0
京都はん低すぎワロタどすえ

84: 断崖式ニードロップ(茸) [US] 2022/05/16(月) 15:00:11.49 ID:liCj7yT10
大阪その位置なのか
足引っ張る層が厚いのか

90: 目潰し(茨城県) [IN] 2022/05/16(月) 15:00:30.00 ID:jZ3g97yT0
400超え10あったのが3にまで減ってる
いよいよ貧しくなってまいりました

VPV8lK3

94: 16文キック(SB-Android) [AT] 2022/05/16(月) 15:01:14.72 ID:UtRprpPt0
もちろんお前らは東京都の平均以上あるよな?w

95: キドクラッチ(茸) [EU] 2022/05/16(月) 15:01:18.73 ID:O913xBJP0
平均値の他に中央値も出せよ

97: ダイビングエルボードロップ(愛知県) [US] 2022/05/16(月) 15:01:27.97 ID:aW+Tl6cc0
全体的に北海道東北九州沖縄と北・南で低い傾向にある

98: チェーン攻撃(茸) [MX] 2022/05/16(月) 15:01:28.53 ID:7BO16Kq90
茨城は工業農業研究全部揃ってるから

104: アンクルホールド(大阪府) [JP] 2022/05/16(月) 15:01:56.11 ID:9vrzDPxF0
東京は家賃考えたらキツそう

119: ニーリフト(ジパング) [CN] 2022/05/16(月) 15:03:30.98 ID:gH/oHTMV0
物価考えたら東京ってそんなに高くはなくね?

122: エメラルドフロウジョン(茸) [CN] 2022/05/16(月) 15:03:47.31 ID:c6uRvPCY0
大分が九州最高?
こんなに高いはず無いだろ

VPV8lK3

125: エクスプロイダー(埼玉県) [LV] 2022/05/16(月) 15:04:06.77 ID:ZOD4wL8m0
前年度より10万以上減ってる県は
ちょっとヤベーかな

129: 腕ひしぎ十字固め(ジパング) [EG] 2022/05/16(月) 15:04:48.19 ID:2R6jFqup0
栃木茨城は平均年収高いのに土地や家賃はそれほど高くないから
暮らしやすいわけだな

134: 断崖式ニードロップ(光) [VN] 2022/05/16(月) 15:05:35.84 ID:TlQPIbea0
やっぱ関東の商業圏が強力なのかな
東京あるから

149: リバースパワースラム(茸) [VN] 2022/05/16(月) 15:07:45.66 ID:0159KS1M0
愛知が茨城に負けてるのは衝撃的だ

161: マシンガンチョップ(東京都) [PL] 2022/05/16(月) 15:09:17.26 ID:etCWRSNq0
埼玉って意外と貧乏人なんだな
まぁ半分以上は畑と田んぼと山だからそうなんだろうなとは思うが

173: TEKKAMAKI(茸) [CN] 2022/05/16(月) 15:11:05.54 ID:MAom7ciI0
沖縄はやろうと思えば野宿で生活できるからな
他の都市だとそんな生活はできない

180: 不知火(SB-Android) [ニダ] 2022/05/16(月) 15:13:30.58 ID:YMEBa1ZA0
これ、働いてない人も入ってるとか?

188: フランケンシュタイナー(ジパング) [US] 2022/05/16(月) 15:14:46.64 ID:IDRi7Zhk0
これ年金世帯とナマポ世帯を抜くとどうなんの?

199: クロスヒールホールド(東京都) [CN] 2022/05/16(月) 15:16:00.07 ID:Kz6DRbWq0
これdodaの転職エージェントサービスの登録者データだから、ニートとかは入ってないんだよな
逆に優良ホワイト勤めも転職したがらないから入ってないけど

191: ネックハンギングツリー(広島県) [RU] 2022/05/16(月) 15:15:12.93 ID:MFEygdFN0
うどん県民のワイ
まだ下に20県もあって驚愕!

VPV8lK3

194: ストレッチプラム(光) [US] 2022/05/16(月) 15:15:19.06 ID:K4TiW+e60
我が兵庫が9位なのが驚く
何もねえのに

208: スターダストプレス(茸) [US] 2022/05/16(月) 15:18:19.08 ID:QNUgiXKm0
京都は観光都市すぎてコロナの影響モロに受けてるなこれ

216: ジャンピングDDT(東京都) [US] 2022/05/16(月) 15:19:43.20 ID:R5v1Nmf80
何で京都は糞貧乏なくせにほこり高いんや。

219: バックドロップホールド(茸) [CA] 2022/05/16(月) 15:20:26.81 ID:4MQHCtoW0
総じて低すぎてビビる
東京ならせめて600万くらいが適正だろ

235: ナガタロックII(SB-iPhone) [US] 2022/05/16(月) 15:23:00.67 ID:jD4j0o9R0
平均年収の統計にどこまで入れてるかだな
パートタイマー、アルバイターを入れたら下がる

242: オリンピック予選スラム(ジパング) [JP] 2022/05/16(月) 15:24:53.32 ID:cekyuldt0
新潟の衰退がヤバイ

VPV8lK3

261: ジャストフェイスロック(愛知県) [US] 2022/05/16(月) 15:28:41.02 ID:YG87Nnhn0
埼玉って北関東以下なんだな
散々千葉相手にいきがってたのに
なさけない

262: ジャストフェイスロック(大阪府) [US] 2022/05/16(月) 15:28:59.03 ID:CIQESyE30
鳥取を馬鹿にしてた奴は謝れよ

263: 16文キック(大阪府) [US] 2022/05/16(月) 15:29:30.16 ID:JpOzoU/r0
東京って芸能人やスポーツ選手や政治家が
たくさん住んでるのに低すぎだろw

266: ムーンサルトプレス(秋田県) [DK] 2022/05/16(月) 15:29:45.23 ID:0rvrX5oz0
え?秋田県が宮城県と同等になってる?

267: ドラゴンスープレックス(東京都) [ニダ] 2022/05/16(月) 15:29:53.01 ID:eziNR0yR0
滋賀に負ける大阪よ

282: サソリ固め(茸) [IR] 2022/05/16(月) 15:32:08.59 ID:JkvEa8390
東京都って438万円以下の年収で生きていけるんだ(笑)

288: クロスヒールホールド(光) [US] 2022/05/16(月) 15:34:12.07 ID:iQa39XQt0
若い人が多いと給料も低いから県平均も低くなるんじゃないか

294: ムーンサルトプレス(千葉県) [ニダ] 2022/05/16(月) 15:35:07.01 ID:DqkRWrRR0
砂しかない鳥取のカッペに負けてる都道府県は、どんな気持ちなんだ?

306: ストマッククロー(東京都) [US] 2022/05/16(月) 15:38:08.75 ID:r18rT83B0
群馬だけ少し低いけど散々嘲笑われてる北関東も上位なんだな
結局大きい工場勤務が一番安定した高収入ってことか

317: 足4の字固め(埼玉県) [FR] 2022/05/16(月) 15:40:46.39 ID:REpHGvbC0
愛知とか大阪って所詮お山の大将なんだなw

318: メンマ(茸) [US] 2022/05/16(月) 15:40:50.02 ID:ppSaWInq0
福岡これで九州No.1気取りかよw
香川うどんにすら負けてるじゃねーか

328: ファイナルカット(東京都) [US] 2022/05/16(月) 15:42:28.25 ID:F/gu9IvI0
100万の違いなら田舎の方が住みやすかろう

335: ファイナルカット(東京都) [US] 2022/05/16(月) 15:43:46.73 ID:F/gu9IvI0
東京のいい点は選ばなければなんか仕事がある
ってことぐらいか

336: キン肉バスター(茸) [DE] 2022/05/16(月) 15:44:03.31 ID:MYtPqlHX0
福岡は若い女が多いしな
まぁ安くなるよね

337: キングコングニードロップ(福島県) [GB] 2022/05/16(月) 15:44:05.40 ID:ln4GXU8m0
福島は全国最下位レベルだと思ってたんだけど真ん中あたりとは絶句したわ

353: 張り手(茸) [US] 2022/05/16(月) 15:45:56.84 ID:1iLjsBIr0
沖縄が少ないのは、仕事がないからじゃ無い。
一生懸命働かないから。

388: 河津落とし(兵庫県) [ニダ] 2022/05/16(月) 15:53:28.64 ID:sp1l/k2z0
自分の住んでる県が上位だからといって、お前の資産が増えるわけじゃないで

136: 超竜ボム(千葉県) [ニダ] 2022/05/16(月) 15:05:43.82 ID:Z/t/BfH80
順位より全体的に前回より収入減ってるとこが多いのヤバくね?


元スレ:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1652679757/
 
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尖閣諸島に43年使われていない米軍の射爆撃場

2022-05-13 09:36:51 | 資料保管庫

 

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尖閣諸島に43年使われていない米軍の射爆撃場、なぜ? 機密解除文書から浮かび上がる日米関係の曖昧な実相

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これが沖縄の言論封殺だ

2022-05-11 04:28:12 | 資料保管庫

 

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集団自決の生き証人・安里巡査の証言、「沖縄警察史」より

2022-05-10 08:51:06 | 資料保管庫

 

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集団自決の生き証人・安里巡査の証言、「沖縄警察史」より

2019-07-11
 

 

 

2007年9月29日。

大幅水増しで知られる「11万人集会」が宜野湾海浜公園で開かれた。

2万人足らずの政治集会を5倍以上に水増しした「11万人集会」の正式名は「教科書検定意見撤回を求める県民大会」という。

爾来12年経過した。

だが、同集会が当時国に要求した教科書検定意見の撤回は、2019年7月11日(2022年5月)現在、いまだに撤回されていない。

従って当時の文科省検定意見は現在も有効である。

それでは、あれほど大巾水増し迄して国に撤回を要求した教科書検定意見とは一体何だったのか。

従来沖縄の集団自決に関し、教科書には「軍の命令による」という記述が認められていた。 それを削除せよ、というのが検定意見だった。

ところが、それまでの歴史的検証により、「集団自決が軍の命令により行われた」という客観的証言や証拠は皆無であった。その意味では遅すぎた検定意見と言えなくもない。

従って「集団自決は軍の命令」という記述は、教科書はおろか一般紙の記述でも間違いということにいなった。

ところが「集団自決軍命令説」に固執する沖縄2紙や沖縄2紙の御用学者たちは、「集団自決(強制集団死)」という新語を作り、あたかも軍命であるかのような印象の報道を拡散している。

そこで、当日記が過去に書き綴った集団自決に関する過去ブログを掘り起こし一部編集の上、再度集団自決の真相に迫ってみたい。

以下は過去ブログ安里巡査の証言、「沖縄警察史」より2012-04-30の引用である。

             ☆

 

琉球新報が己のイデオロギーを守るため掲載拒否した上原正稔さんの連載沖縄戦記「パンドラの箱を開く時」。

その核心部分である「慶良間で何が起きたのか」が現在、南の島の小さな新聞「八重山日報」で連日好評掲載中である。

同時にこの幻の原稿は沖縄戦研究者の注目を浴びている。

琉球新報の面目はこれで丸潰れだ。

琉球新報の独善的な掲載拒否により知る権利を奪われた読者の怒りが今、燎原の火の如く県内に広がりつつある。

筆者の知人にも上原さんの原稿を八重山日報で読んで怒り心頭のあまり琉球新報の購読を止めた人が複数いる。

琉球新報の面目が潰れれば潰れるほど読者は離れていく。

石垣市の読者より上原さんの記事を読んだ感想をメールで頂いた。

≪重い内容ですが、「極限の事実」、しっかり受け止めて読みました。
それにしても琉球新報の読者の皆様にはお気の毒なことです。

琉球新報の罪は相当に重い、と思いますね。書き手の書物から事実を知り、
学ぶ、読者の喜びであり、知的財産です。これを奪う罪ですね。

石垣島より≫


■八重山日報 2012年4月29日

慶良間で何が起きたのか④ ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔

 現地調査で知った意外な事実
 一九九五年夏、僕は渡嘉敷の金城武徳さんに案内され、島の最北端「北山(ニシヤマ)」に向かった。だが、金城さんは、ここは北山ではなくウァーラヌフールモーで第一玉砕場と呼ばれていると説明した。僕は『鉄の暴風』で植え付けられた自分の思い込みに呆れたが、さらに驚いたことに、金城さんと大城良平さんは「赤松隊長は集団自決を命令していない。それどころか、村の人たちから感謝されている。」と言うのだ。そこで『鉄の暴風』で隊長の自決命令を伝えたとされている比嘉(旧姓安里)喜順さんに会って事件を聞くと「私は自決命令を伝えたことはない。赤松さんが自決命令を出したとする。『鉄の暴風』は嘘ばかりです。世間の誤解を解いて下さい。」と言う。知念朝睦さんに電話すると、「赤松さんは自決命令を出していない。私は副官として隊長の側にいて、隊長をよく知っている。尊敬している。嘘の報道をしている新聞や書物は読む気もしない。赤松さんが気の毒だ」と言う。これは全てを白紙に戻して調査せねばならない、と決意した。渡嘉敷村史、沖縄県史など様々の証言を徹底的に検証した結果、次のような住民の動きが浮上した。―三月二十七日、村の防衛召集兵は前夜から「敵が上陸して危険だから北山に移動せよ」と各地の避難壕を走り回った。渡嘉敷村落の西側の避難場所北山には古波蔵村長ら村の有力者をはじめ数百人が集まった。(前年の村の人口は一四四七人であることに注意。)そこで古波蔵村長、真喜屋前校長、徳平郵便局長ら村の有力者会議が開かれ、「玉砕のほかはない」と皆、賛成し玉砕が決められた。一方、赴任したばかりの安里巡査は村民をどのように避難誘導しようかと考え、軍と相談しようと思い、赤松隊長に会いに行った。安里巡査が赤松隊長に会うのはこれが最初だった。赤松隊長は「私達も今から陣地構築を始めるところだから、部隊の邪魔にならない場所に避難し、しばらく情勢を見ていてはどうか」と助言した。安里巡査は古波蔵村長ら村の有力者にそのように報告した。ところが防衛隊員の中には既に妻子を殺した者がいて、「このまま敵の手にかかるよりも潔(いさぎよ)く自分達の手で家族一緒に死んだ方がいい」言い出して、先に述べたように村の有力者たちは集まって玉砕を決行しようということになった。防衛隊員も住民も既に平常心を失っていた。早まるな、という安里巡査に耳を傾ける者はいなかった。防衛隊員らは「赤松隊長の命令で、村民は全員、陣地裏側の北山に集まれ。そこで玉砕する」とふれ回った。住民は皆、死ぬことに疑問はなかった。最北端のウァーラヌフールモーを埋め尽くした住民と防衛隊員は黙々と「その時」を待っていた。防衛隊員から手榴弾が手渡された。天皇陛下のために死ぬ、国のために死ぬのだ。砲弾を雨あられと降らしている恐ろしい鬼畜は今にもここにやってくるのだ。夕刻、古波蔵村長が立ち上がり、宮城遥拝の儀式を始めた。村長は北に向かって一礼し、「これから天皇陛下のため、御国のため、潔く死のう」と演説し、「天皇陛下万歳」と叫んだ。皆もそれに続いて両手を挙げて斉唱した。村長は手本を見せようと、手榴弾のピンを外したが爆発しない。石に叩きつけても爆発しない。見かねた真喜屋校長が「それでは私が模範を見せよう」と手榴弾のピンを抜くと爆発し、その身体が吹き飛んだ。狂乱した住民は我も我も手榴弾のピンを抜いた。だが、不発弾が多く、爆発しないのが多い。「本部から機関銃を借りて、皆を撃ち殺そう」と防衛隊員の誰かが言った。村長は「よし、そうしよう。みんなついてきなさい。」と先頭に立って、三百メートルほど南に構築中の部隊本部壕に向かった。住民はワァーと叫んで陣地になだれ込んだ。その時、アメリカ軍の砲弾が近くに落ち、住民はいよいよ大混乱に陥った。本部陣地では仰天した兵士らが「来るな、帰れ」と叫ぶ。「兵隊さん、殺して下さい、と懇願する少女もいる。赤松戦隊長は防衛隊に命じ、事態を収めた。住民らはスゴスゴと二手に分かれて退散した。だが、午後八時過ぎ、ウァーラヌフールモー(第一玉砕場)に戻った住民らは「神もおののく集団自殺」を続行し、陣地東の谷間(第二玉砕場)に向かった金城武徳さんらは生き残った。そこでは、〝玉砕〟は終わっていたからだ。陣中日誌は記す。「三月二十八日午後八時過ぎから小雨の中敵弾激しく住民の叫び声阿修羅の如く陣地後方において自決し始めたる模様。(中略)三月二十九日、首を縛った者、手榴弾で一団となって爆死したる者、棒で頭を打ち合った者、刃物で首を切断したる者、戦いとは言え、言葉に表し尽くしえない情景であった。」


 一九九五年取材した元防衛隊員の大城良平さんは語った。「赤松隊長は、村の指導者が住民を殺すので、機関銃を貸してくれ、と頼んできたが断った、と話してくれた。赤松隊長は少ない食料の半分を住民に分けてくれたのです。立派な方です。村の人で赤松さんのことを悪く言う者はいないでしょう。」


 同じく比嘉喜順さんは語った。「赤松さんは人間の鑑(かがみ)です。渡嘉敷の住民のために泥をかぶり、一切、弁明することなく、この世を去ったのです。家族のためにも本当のことを世間に知らせて下さい。」


 僕はこの時点で「赤松さんは集団自決を命令していない」と確信した。だが、大きな謎が残った。なぜ、渡嘉敷の人たちは公(おおやけ)に『鉄の暴風』を非難し、赤松さんの汚名を雪(すす)ごうとしないのだろうか。その答えは突然やってきた。  (つづく)

              ☆

 

上原さんの文中に登場する集団自決の証言者で、琉球新報の方針と異なる証言をする人は、例え県内に在住している人でも、沖縄メディアは決して取材することは無かった。

最近物故されたが、1945年3月当時渡嘉敷島の巡査をしていた比嘉喜順さんや赤松隊長と終始行動をともにしていた知念朝睦副官らがそうだ。

「集団自決」の生き残りは老人と子供が多かったため既に物故した人が多かったり、当時幼かったため後の証言が他人の影響を受けて信憑性にかけ、それが真相解明の大きな妨げになっていた。

更に問題を複雑にしているのは、「集団自決」の関係者が血縁・地縁で何らかの繋がりがありそれが証言者の口を重くしているという点である。

それに援護法による年金支給の問題が絡むと今でも黙して語らないお年寄りが多数いる。

その点、知念さんや比嘉(安里巡査ー戦後比嘉家に養子で改姓)さんは当時成年であり信憑性のある証言者としての条件を全て具備していた。

安里巡査は本島から赴任したばかりで渡嘉敷島の血縁社会にとっては「よそ者」であり、島の血縁・地縁社会とはつながりの無い新任の警察官だった。したがって「援護金」のために嘘の証言をする必要の無い証言者である。

また知念副官も他所から赴任した島の血縁社会には無縁な軍人であった。

当時安里巡査は29歳で知念副官は25歳。 二人とも渡嘉敷の血縁社会には無縁であり、親族に「集団自決」の被害者のいない証言者であり、「援護法」に絡む嘘の証言の必要の無いよそ者であった。

年齢的にも、村の指導的立場の副官、警察官という立場からいっても、生存者の中で最も信頼のできる証言者のはずだった。

これだけの証言者としての条件を具備していながら、又戦後沖縄に在住しているのにもかかわらず、不思議なことに地元マスコミで安里さんに取材したものは1人もいないという。

その理由は?

安里(比嘉)さんと知念さんが渡嘉敷島で起きた「集団自決」の「(沖縄2紙にとって)不都合な真実」を知っていたからである。

以下は安里巡査の証言、言論封殺訴訟を編集し、引用した。

安里喜順氏は渡嘉敷島の「集団自決」当時、島に駐在した警察官だが、「鉄の暴風」の著者は何故か安里氏には取材をしていない。

安里氏は戦後比嘉家の養子となり比嘉喜順と改姓したことは前に延べた。

曽野綾子氏の『集団自決の真相』には登場する安里氏の証言を改めて読むと、『集団自決の真相』やその他の文献で断片的に得た知識が一つの線となって繋がってくる。

下記に『集団自決の真相』に登場する安里喜順氏の関連部分を抜書きしておく。

渡嘉敷島「集団自決」の真相を解く鍵は安里喜順氏の証言の中にある。

曽野さんが、当時の渡嘉敷村村長だった古波蔵惟好氏に取材した時の様子を次のように記している。(『集団自決の真相』より抜粋)

「安里(巡査)さんは」と古波蔵氏は言う。

「あの人は家族もいないものですからね、軍につけば飯が食える。まあ、警察官だから当然国家に尽したい気持もあったでしょうけど。軍と民との連絡は、すべて安里さんですよ」

「安里さんを通す以外の形で、軍が直接命令するということほないんですか」

「ありません」

「じゃ、全部安里さんがなさるんですね」

「そうです」

「じゃ、安里さんから、どこへ来るんですか」

「私へ来るんです」

「安里さんはずっと陣地内にいらしたんですか」

「はい、ずっとです」

「じゃ、安里さんが一番よくご存じなんですか」

「はい。ですから、あの人は口を閉して何も言わないですね。戦後、糸満で一度会いましたけどね」

古波蔵村長が軍から直接命令を受けることはない、と言い、あらゆる命令は安里氏を通じて受け取ることになっていた、と言明する以上、私は当然、元駐在巡査の安里喜順氏を訪ねねばならなかった。赤松隊から、問題の自決命令が出されたかどうかを、最もはっきりと知っているのは安里喜順氏だということになるからである。

 

曽野氏は、『鉄の暴風』(昭和25年初版)の著者が安里氏に一度の取材もなく記事を書いた様子を次のように書いている。

おもしろいことに、赤松大尉の副官であった知念朝睦氏の場合と同じように、安里喜順氏に対しても、地元のジャーナリズムは、昭和四十五年三月以前にほ訪ねていないことがわかったのである。問題の鍵を握る安里氏を最初に訪ねて、赤松隊が命令を出したか出さないかについて初歩的なことを訊き質したのは、例の週刊朝日の中西記者が最初であった、と安里氏は言明したのである。

一方、地元マスコミだけでなく、本土新聞でも取り上げる証言者に安里氏の名前は出てこない。

小さな島の唯1人の警察官で、不幸にも「集団自決」に遭遇した最重要証人である安里氏の名を報じるマスコミは少ない。

だが、安里氏の証言は地元マスコミでは無視されている照屋昇雄さんや金城武徳さんの証言とはほぼ完全に一致している。

地元マスコミが避ける証言者の言葉に真実がある

 

琉球新報が卑劣にも上原さんに断りも無く削除した一節には、渡嘉敷島集団自決の最重要証人である安里(比嘉)巡査の名前が記されていた。

 

安里巡査の証言を「沖縄警察史」という公的刊行物より2回にわたって紹介する。

安里(比嘉)喜順氏の証言-1

沖縄県警察史 平成5年3月28日 (1993.3.28)発行 
第2巻第3章 警察職員の沖縄戦体験記より抜粋 P768

比嘉 喜順(旧姓・安里、当時 那覇署渡嘉敷駐在所)

當間駐在所
 昭和16年4月に沖縄県巡査を拝命して、第77期生として巡査教習所に入った。同期生には豊崎孟善、田場進、上地永好、現県会議員の砂川武雄等がおり、昭和16年8月30日に卒業して那覇署に配置になった。
 那覇署で最初に勤務したのが東町交番であった。次は今のバスターミナルの近くにあった旭町交番、そして昭和17年に小禄村の當間巡査駐在所に配置になった。當間巡査駐在所には昭和20年1月15日まで勤務した。
 昭和19年の10・10空襲のときは當間巡査駐在所勤務で、その日の朝は本署に出勤していた。その時、「飛行機の練習にしてはどうも変だな」と思っていたら、やはり空襲だったので、自転車で急いで駐在所に戻った。
 10・10空襲で那覇は全部焼かれた。駐在所の近くには飛行場があって空襲されることは間違いないと思ったので家内と子供たちは中城に疎開させていた。
 那覇飛行場を建設するため山根部隊や建設隊などが来ていたが、私が駐在所に赴任した頃には飛行場建設は終わり防空壕堀などをしていた。
 その頃の駐在所勤務は戸口調査とか本署からの下命事項の調査報告や思想調査、警防団の訓練、そして定期招集で本署へ行くこと等であった。10・10空襲があってからは、一般住民の方達が夜警に出ていた。

渡嘉敷駐在所
 昭和20年1月15日付けで渡嘉敷巡査駐在所へ配置換えの辞令が出た。
 その時配置換えの辞令を受け取ったか、それとも電話で命令を受けたのかよく覚えていない。
 慶良間列島には、座間味村と渡嘉敷村があり、私が赴任した所は渡嘉敷村の字渡嘉敷であった。渡嘉敷には阿波連、それから前島の小さい離島もあり国民学校もあった。渡嘉敷村には駐在所は一カ所だけであった。
 15日に配置換えの命令を受けたが、渡嘉敷に赴任したのは21日頃であった。その頃は戦闘状態であり、それに渡嘉敷島は秘密地帯になっており、歩兵部隊か、特攻部隊が駐屯しており渡嘉敷島に行くことはできるが島からは簡単に出られない状況であった。島へはポンポン船で行くが、これも毎日は出ない。それに準備等もあったので、赴任するまで少し時間がかかった。
 駐在所は警察の建物ではなくて民家を借りていたので、単身赴任した。
 その頃は本島間の電話は架設されてないので、本島と渡嘉敷島の間を往来していたポンポン船で、書類を送ったり本署からの書類を受け取ったりしていた。戦争状態になってからはポンポン船も運行できなくなったので、本署との通信連絡はほとんど途絶えた。その後は自分一人で色々考えて判断して、警察業務を遂行した。
渡嘉敷島は小さい離島なので、戦争になったらまず心配されるのは食料であった。そこで食糧増産をすることになり、私も田植えの手伝いをした。

御真影奉還
 渡嘉敷島に赴任して間もない2月頃と思うが、国民学校の御真影を本島に奉還して行ったことがあった。
 これは県庁から命令が出たと思うが、「御真影を本島の一カ所に奉還しなさい」と言う事があったので、渡嘉敷国民学校の校長と、高等科の先生2人と私の4人で御真影をお守りしてポンポン船で本島に渡った。
 本島ではこの頃はバスなどは運行していなかったので、歩いたり拾い車をしたりして国頭の羽地村源河にあった国民学校にお届けした。
 帰りに中城に立ち寄って、家族にあった。その時次男坊が私にまとわり付いて「一緒に付いて行く」と言って泣いていたが、戦争が終わって帰ってみると、その子だけが戦争で亡くなっていた。今考えると何かこの世の別れを知っていたのかと思ったりする。その後、那覇署で任務終了したことを上司に報告した。
渡嘉敷島へ渡るため那覇港からポンポン船に乗って出航したところを、米軍の飛行機の爆撃を受けた。これで一巻の終わりかと思ったが、爆撃をかわし、渡嘉敷港に無事たどり着くことができた。

鈴木部隊
 渡嘉敷島に赴任したとき島には、鈴木部隊と言って歩兵の戦闘部隊が配置されていた。その頃はいろいろ軍を相手にしなければならない仕事も多かった。
 私は、前任地の當間駐在で飛行場の兵隊とはよく会っていたので、赴任してすぐ鈴木少佐のところに赴任あいさつに行った。
 鈴木少佐は私の前任地のこともすでに知っておられて、物資の少ない時であったが魚の缶詰などを出して歓迎してくれた。鈴木部隊の隊長は民家を借り、兵隊は国民学校にいた。陣地などは良く分からなかったが、歩哨に立つ所があったぐらいのもので、大砲などは持っていなかったと思う。
 鈴木部隊とはよくお付き合いしていたが、本島の兵力が足りないとのことで、鈴木部隊は二月頃、本島へ転進していった。島尻あたりの警備に就いたと思う。

赤松部隊
 渡嘉敷島には鈴木部隊の外に、赤松大尉の部隊が配置されていた。その部隊は秘密部隊と言う事であったので、赴任した当初は赤松大尉には会っていない。

 私が赴任した時には、鈴木隊長の部隊と赤松隊長の部隊の2つの部隊があった。鈴木部隊が転進してからは赤松部隊だけになった。
 赤松部隊は水上突撃隊で、人力で押し出すことができる小型船に爆弾を積んで、敵艦に体当たりする秘密部隊であったので陣地などは見ていないが、海岸の岸壁を掘ってそこに舟を隠していたようだ。
 同部隊には、首里出身の知念少尉がおられた。私と一緒に下宿していた宇久先生も首里出身で知念少尉とは知り合いであったので、知念少尉は時々下宿に訪ねてきていた。米軍が渡嘉敷島に上陸してからは、私は赤松部隊とは頻繁に行き来していたが、それ以前は赤松隊長との面識はなかった。

塩屋警察署へ赴任できず
 昭和20年、大宜味村に塩屋警察署が新しくできて、私はそこに転勤することになっていたが、とうとう赴任することができなかった。
 2月12日の日付で辞令は出ていたが、私が渡嘉敷島で受け取ったのは40日も経過した3月22日であった。
 空襲などいろいろな事情があって相当期間が過ぎてから私に届いた。それを受け取って初めて自分が転勤になっていたことを知った。
 辞令を受け取ったので翌日にでも本島に渡ろうと思っていたが、その翌日の23日から渡嘉敷島は艦砲と空襲が激しくなり、沖縄本島に渡ることができず、そのまま渡嘉敷島にのこり戦争に巻き込まれ、島と運命を共にした。
 艦砲が始まったので私は、島の高い所に登って島尻の方を見た。渡嘉敷島はそれまで相当な被害にあっていたが、いくらアメリカと連合軍に物量があると言ってもただ言葉だけの天文学的数字を言っているものとばかり思っていた。ポンポン艦砲弾が撃ち込まれる中を自分は警察官だから隠れるわけにはいかないので身を伏せながら方々の状況を見てびっくりした。
 沖縄本島は島尻から北谷あたりまで見渡す限り敵艦船が取り囲んでいたので、これはちょっとやそっとの物量ではないと思った。

(つづく)

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孫崎享氏が昭和天皇を糾弾!沖縄タイムスも同調

2022-05-01 04:28:46 | 資料保管庫
 

昭和天皇を糾弾!沖縄タイムスと孫崎氏が2013-04-15

沖縄2紙を筆頭に反日サヨクの面々が声高に叫ぶ「4・28屈辱の日」(講和発効の日)を、当時10歳の美少年?だった筆者はリアルタイムで体験した。 

当時の筆者は、学校で壁新聞を作る係りだったため毎日の新聞には目を通すおませな子どもだった。 

いま振り返って見ると、講和発効の意味は「祖国日本が一人前の独立国として世界の仲間入りできる日」でいどの理解はしていた。

 学校の先生方は授業でも「沖縄を返せ」などの労働歌を教えていた。

当然、「祖国復帰が沖縄の悲願」ということは胸に叩き込まれていた。

 「講和発効は祖国復帰の第一歩」といったような意味の壁新聞を書いたような記憶がある。

 当時の沖縄タイムス、琉球新報を見ても「講和発効を祝賀する」といった論調なので、おそらくその影響を受けたのだろう。

「4・28講和発効の日」を実体験し当時の沖縄紙の論調を知る筆者にとって、「講和発効」は、全沖縄で祝賀すべきと考えていた。

その祝賀すべき日が、突然降って湧いたように「屈辱の日」に変化するなど理解できない。 

ましてや県知事までもが、天皇皇后両陛下が参加される式典への招待を政治的理由で出席拒否するなどとんでもない話である。

沖縄2紙は例の通り一部の識者談話などを利用し、講和発効の日を「屈辱の日」と捉え、県民の総意などと騒ぎ立てているが、これも「一犬虚に吠え万犬これに和す」の類である。

虚に吠える犬を尻目に「不都合な真実」を伝える八重山日報のコラムはまさに寸鉄人を刺すのたとえ通りである。

■八重山日報 2013年4月14日

1952年4月28日は…

 1952年4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効し、太平洋戦争敗戦国だった日本が独立を回復した「主権回復記念日」。一方、沖縄は本土から切り離され、米軍統治下のまま置かれたため、県民にとって「屈辱の日」とされた◆しかし復帰後40年を経て、今なおこの日を「屈辱の日」と呼び、政府の式典に反対する声があることに、多くの県民が戸惑いを感じている。なぜなら、ほかならぬ沖縄で「屈辱の日」という言葉そのものがすでに風化しているからだ◆日本が独立を回復した「4・28」は、まぎれもなく20年後に沖縄が日本に復帰した「5・15」へのスタートラインになった。復帰が達成された時点で、「屈辱の日」という言葉の風化は始まっている。現在、この言葉が持ち出されるときには、当時の県民の思いとは違った、別の意図がある。それは、4・28式典の反対運動と基地問題をリンクさせようとする政治的思惑だ◆「屈辱の日」の歴史的事実は当然語り継がなくてはならないし、県民の複雑な思いを訴えることも必要だ。だが現在、本土の人たちに向かって「屈辱の日」だと声高に訴えることが果たして妥当なのか。屈辱感は他人に強要するようなものではない。県民の1人として、もっと慎ましさを求めたいと思うのだが。

               ☆
 
一方、主権回復式典に抗議する虚犬の群れが、八重山教科書問題で騒動を起こした反日サヨク「ゾンビの会」の面々と重複するのは彼らの行動パターンがいかにも単純であることを示し、わかりやすい。 もはや自分の脳ミソで思考するには遅すぎるのだろうか。

              ☆

2013年4月13日

主権回復式典と自衛隊配備に抗議 平和憲法を守る協が声明発表 安倍首相へ送付

 
安倍晋三内閣総理大臣に宛ての抗議声明を発表した記者会見=12日
安倍晋三内閣総理大臣に宛ての抗議声明を発表した記者会見=12日

 八重山地区労働組合協議会や沖教祖支部、いしがき女性9条の会など8団体で組織する平和憲法を守る八重山連絡協議会(仲山忠享会長)が12日、記者会見を開き4・28主権回復の日式典と石垣島・宮古八重山地域への自衛隊配備に反対する声明を発表。11日付けで安倍晋三内閣総理大臣に宛てて、抗議書を発送したとしている。

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■沖縄タイムスが昭和天皇糾弾!

さて、「4・28屈辱の日」と関連し「天皇メッセージ」という文言がしばしば新聞に登場している事実に読者はお気づきだろうか。

新聞は、さすがに「天皇メッセージ」をサヨクブログが主張するように、「天皇が命乞いのため沖縄を米国に売る意渡した」などとは断定はしていない。

だが、いかにも意味ありげに「天皇メッセージ」を繰り返し報じ、お得意の印象操作で県民の御誘導に励んでいる。

ところが本日15日付の沖縄タイムスが社説で「天皇メッセージ」を取り上げ「昭和天皇糾弾」の第一歩を踏み込んできた。

彼らの究極の目的が、「22年テーゼ」による「天皇制の廃止」であることは言うまでもない。

検証4・28 政府式典と天皇 政治利用の疑いが強い」と題する社説の該当部分をこうだ。

昭和天皇は戦後、全国各地を巡幸し、戦後巡幸が一段落した後も、国体や全国植樹祭などの行事に出席するため各県を訪問した。 だが激しい地上戦の舞台となり米軍政下に置かれた沖縄には、戦後一度も足を運んでいない。 1975年初訪米の際、「米国より先に沖縄にいくことはできないか」との意向を周辺に漏らしたといわれるが、沖縄には反対論が根強く、実現しなかった。 87年に開かれた第42回国民体育大会(海邦国体)への出席も、病気のため急きょ取りやめになった。 戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領のを進言した「天皇メッセージ」の問題も、ついに本人の口から語られることはなかった。 昭和天皇の晩年の歌が残っている
「思わざる病となりぬ 沖縄を訪ねて果たさむ つとめありきを」

>戦争責任の問題も、米国による沖縄の長期占領のを進言した「天皇メッセージ」の問題も、

この文言に沖縄タイムスの昭和天皇糾弾の本音が垣間見える。

同紙の昭和天皇糾弾の意図は昨年11月の記事にも既に表れていた。

共同配信ながら屋良朝笛知事(故人)の日記の発掘を報道し、得たいの知れぬ「識者」の意見として昭和天皇が「沖縄に犠牲を強いたという負い目」などと強引に決め付けているのが目立つ。

「訪米前に沖縄行けぬか」 昭和天皇、側近に問う 

 屋良朝苗氏の日記=沖縄県公文書館

 昭和天皇が1975年の初訪米を前に「米国より先に沖縄県に行くことはできないか」との意向を側近に示していたことが13日、分かった。沖縄県公文書館が今年9月に公開した当時の屋良朝苗知事(故人)の日記に、宇佐美毅宮内庁長官(当時)の話として記されていた。

 昭和天皇は47年9月、連合国軍総司令部(GHQ)に米軍の沖縄占領継続を求めた「天皇メッセージ」を伝え、その後の米軍の沖縄駐留に影響を与えたとされる。識者は「沖縄に犠牲を強いたという負い目が、訪問に強い意欲を持った背景にある」と分析。当時の昭和天皇の沖縄に対する思いを伝える貴重な記録として注目されそうだ。 2012/11/13 19:55 【共同通信

            ☆

沖縄タイムスは「昭和天皇糾弾」の社説の5日前、沖縄の反日サヨク複合体の間では人気の高い元外交官・孫崎享氏を使って「昭和天皇糾弾」の露払い記事を掲載している。

■孫崎氏の「昭和天皇糾弾!」

識者と言われる方々のなかには「沖縄に現地取材し、沖縄県民の生の声を聞いてきた」などといいながら、実際は沖縄の新聞記者のレクチャーを受けたり、過去記事のコピーを取材の成果として大事なお土産に持ち帰る輩が多い。

その「沖縄現地取材」の内容が沖縄2紙を書き写したとしか思えない噴飯ものが多いので、すぐ化けの皮が剥げるからだ。

最近元外交官の孫崎享氏が頻繁に沖縄2紙に登場し、沖縄紙に媚を売るような駄文を書き連ねたり、講演会をしたりで沖縄訪問で多忙のようである。

4月10日付沖縄タイムスの連載特集「日米同盟再考(22)」に、孫崎氏の「活発化する沖縄独立論」と題する寄稿をしている。 そのタイトルが示すとおり沖縄紙に媚を売っているのが見え見えだ。 一体、沖縄の何処の誰が「沖縄論を活発化している」のか、沖縄県民としては、聞いてみたいものである。

沖縄独立論は10数年前、琉球大学の中国人・林泉忠助教授が「沖縄県民の四人に1人は独立希望」などというデタラメなアンケート結果を発表した時、新聞がそれを誇大報道したため「居酒屋沖縄独立論」が盛んな時期があった。

だが、最近では居酒屋酔談でえも独立論は聞かなくなった。

この孫崎という元外交官氏、沖縄2紙が松島泰勝竜谷大学教授のイカれた「沖縄独立論」を針小棒大に報道した沖縄紙でも見て「活発化」などと錯覚したのだろうが、なんとも失笑モノの人物である。

その駄文の書き出しは次のように始まる。

<私は最近沖縄を訪れることが多い。 気付いたことは、沖縄の政治家や言論界の相当の人々が独立論に傾いていたり、今真剣に検討しはじめていることである。

孫崎氏の言う「沖縄の政治家や言論界の相当の人々」が誰なのか聞いてみたいものだが、これを見ただけで孫崎氏の沖縄取材がいかにいい加減なものであるかがわかる。

さらに孫崎氏は「沖縄独立論は今後ますます活発化すると思う」と文を結んでいるが、その見当違いはまさに爆笑ものである。

孫崎氏が取ってつけたように「沖縄独立論」を述べるのは、「政府が1952年のサンフランシスコ講和条約発効から61年を迎える4月28日に主権回復を記念する式典を開くことについて沖縄では反発が出ている」として、沖縄が米国施政下に置かれ、主権を回復した本土と切り離された4月28日は「屈辱の日」と沖縄紙が騒いでいることに関連付けているからである。

孫崎氏は「歴史の事実を見れば沖縄が米国統治下に置かれたのには日本政府の関与もある」と述べている。

これまでの孫崎氏の沖縄紙に媚びる論調からいえば「歴史の事実を見れば沖縄が米国統治下に置かれたのには日本政府の責任である」などとと激しく政府を糾弾するはずなのだが、さすがに当時の日米両国の力関係を考慮に入れれば「関与」という曖昧な文言でお茶を濁すしか手立てはなかったのだろう。

だが、孫先氏は「天皇メッセージ」で「沖縄を米国に売り渡した」という沖縄サヨクが泣いて喜ぶように印象操作しようと思ったのか、あえて「天皇メッセージ」と題する小見出しを付けた次のような文を書いている。

天皇メッセージ

私は著書『戦後史の正体』で「マッカーサー元帥のための覚書1947年9月20日)を紹介した。 これは1979年、進藤栄一・筑波大学助教授(当時)が米国の公文書館から驚くべき文書を発掘し、雑誌『世界』で発表したものだ。 宮内府御用掛かり寺崎英成がGHQ政府顧問代理ウイリアム・シーボルトを訪れ、天皇からのメッセージを伝えている。 
「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪ねてきた。 寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(略)さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本が主権を残したままの長期租借ー25年ないし50年、あるいはそれ以上ーの擬制(フィクション)にもとづいてなされるべきだと考えている」

孫崎氏は天皇メッセージに加えて、江戸時代の薩摩の琉球侵攻、さらに明治政府の琉球処分に言及し、沖縄と中国の関係強化による「経済自立」を説いて、今後沖縄独立論はますます盛んになると言うのだ。

ここで「沖縄独立」については、あまりにも荒唐無稽なので、付き合うのは勘弁して欲しいが、孫崎氏が主張する「天皇メッセージ」による「4・28屈辱の日」についてはひと言批判しておこう。

日本を占領したマッカーサーは絶対的権力を誇ったが、意外なことに6年余の日本統治期間に面会した日本政府の要人は少ない。

マッカーサーが信頼できる日本側の代表として日本の将来について議論したのは吉田茂と昭和天皇の2人だったと言われている。

逆にいえば昭和天皇と吉田茂もマッカーサーを戦勝国アメリカの代表として全幅の信頼を置いていたことになる。

そんな状況で昭和天皇は、当時の日本の政治家の誰もが思いも及ばぬ国際情勢に対する洞察力と政治力を発揮し、マッカーサーを合計11回も訪問し日本の将来について議論をしている。

だが、その内容はマッカーサーとの「男の約束」で現在もその全貌は明らかにされていない。 その間に「天皇メッセージ」がマッカーサーの政治顧問を通じてワシントンに伝えられたとされている。

■講和調印当時の日米の立場の差、

そして講和条約が調印される1951年9月8日を目前にした4月11日、マッカーサーは朝鮮戦争の作戦に関しトルーマン大統領との対立により突然更迭され、後任のマシュー・リッジウェイ中将が第二代最高司令官に就任する(就任後に大将へ昇進)。

当時日本国民にとって守護神のように慕われていたマッカーサーの突然の更迭劇に、マッカーサーを信頼していた昭和天皇と吉田茂首相にも動揺が走った。 「臣吉田」と自称するほど昭和天皇を敬愛していた吉田茂と昭和天皇がマッカーサーの更迭により動揺し、日本の政治に乱れが生じて講和調印が不首尾に至るのを恐れた米国務省は、後に日本の復興に大きな役割を果たすダレス政治顧問(後に国務長官)を日本に派遣し、司令官が代わってもGHQの政策に何ら変更もないと説得した。

その時、約5ヵ月後に迫った講和条約についてもダレスが吉田に「講和会議の開催地に意見はあるか」と問うと「、吉田は「それより誰が全権か、自分がなるかどうかわからない」などと投げやりな態度で対応した。

吉田はワンマンとあだ名され健康の秘訣は「人を食うこと」などと人を食った発言で有名な人物。 

全幅の信頼を置いていたマッカーサーの当然の更迭に対し不満があったのか、大統領の特使ともいえるダレスの問いに投げやりな態度を示したが、これに対しダレスが言った言葉が、当時の日本とアメリカの力関係を如実に示す史料になるので引用する。

ダレス米国務長官
講和条約に関する日本政府の立場を君(吉田)は誤解している。 この件は米国政府が義務からではなく、好意と善意をもって進めているので、日本政府は相談を受けるだけの資格しかないのだ」

このような戦勝国アメリカに対し圧倒的に弱い立場の日本が「天皇メッセージ」により、たとえ結果とし、米軍統治下になったとしても、「潜在主権」による期限付き租借(リース)という当時の日本の政治家の誰もが考えも付かない奇手で米国の「信託統治の提案」に牽制をかけたことはまぎれもない事実である。 「天皇メッセージ」こそが国際的に弱い立場の当時の日本が出来た精一杯かつ最善の意思表示だった、と言うことができるのではないか。

沖縄タイムスの歴史歪曲は常習犯なので珍しくないが、孫崎氏は元外交官という肩書きが信じられないほど、講和発効当時の敗戦国と戦勝国アメリカの圧倒的力の差についての認識が欠落している。

沖縄紙のご機嫌取りに汲々とすると、このような悪意に満ちた「天皇メッセージ」の解釈が出てくると言う典型的見本である。

沖縄タイムスと孫崎氏よ、恥を知りなさい!」

参考エントリー:

「52年・屈辱の日」の翌日の祝賀社説、沖縄タイムス

何が「屈辱の日」だ!

無知な沖縄の「識者」たち、

「屈辱の日」か「主権回復の日」か

新たなゆすりネタ、天皇出席は憲法違反?「4・28屈辱の日」、

 昭和天皇が沖縄を売った?馬鹿な!

天皇メッセージ、悪意ある推量

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★雑誌『正論』に掲載、天皇メッセージ、「屈辱の日」を生んだのは昭和天皇!?

2022-04-29 12:54:23 | 資料保管庫

 

              ★

雑誌『正論』2013年7月号に掲載文の引用

「天皇メッセージ」の悪用に反駁せよ 江崎 孝

「屈辱の日」を生んだのは昭和天皇!?

2013年4月28日、沖縄は、政府に対し恨みつらみの言葉を終日浴びせ続けた。沖縄タイムスと琉球新報の2大紙を中心とする沖縄メディアは、安倍内閣がサンフランシスコ講和条約(日本との平和条約)の発効(昭和27年=1952年4月28日)を記念し、「4月28日」を「主権回復の日」と閣議決定した3月中旬以降、政府への執拗な抗議キャンペーンを繰り広げてきた。

沖縄は、奄美や小笠原諸島と共に講和条約発効後もアメリカの統治下に置かれたままであったのに、講和条約発効を記念日にするのは、沖縄の人々の苦難や心情を無視しているというわけだ。

当日はその抗議報道が頂点に達し、琉球朝日放送(QABテレビ)、琉球放送(RBC)沖縄テレビ(ОTⅤ)も「4・28屈辱の日」と位置づけて抗議する特別番組を組んだ。

この日午前、東京では「主権回復・国際社会復帰を記念する式典(政府主催)が天皇・皇后両陛下ご臨席のもと開催された。これと同じ時刻「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市海浜公園の野外劇場で開かれた。

4000人収容の会場は、県民のほか、沖縄県教職員組合(沖教組)をはじめとする沖縄平和運動参加の労組、共産党や社民党のノボリを持った人々で埋まった。中には極左暴力集団=過激派の真っ赤なノボリもあった。 県知事や自民党・公明党などは参加しなかった。

沖縄の革新勢力やマスコミが政治的集団発狂したかのように大騒動を繰り広げるのは、珍しいことではない。

 だが、今回は、昭和天皇を呪詛するキーワードがその”材料”とされている点で看過できない。

そのキーワードが「天皇メッセージ」である。

天皇メッセージとは、昭和22年9月、宮内庁御用掛かりだった寺崎英成を通じて、GHQ政府顧問ウィリアム・シーボルトに伝えられたとされる琉球諸島の琉球諸島の帰属問題についての昭和天皇の”メッセージ”である。 「マッカーサー元帥の覚書」と題された文書として残され、沖縄の祖国復帰7年後の昭和54(1979)年、進藤栄一筑波大学助教授(当時)が米国の公文書館で発掘し、雑誌『世界』で発表した。

覚書には、こう書かれている。

「天皇のアドバイザーである寺崎英成氏が、沖縄の将来にに関する天皇の考えを伝える目的で、約束を取った上で訪ねてきた。/寺崎氏は、米国が沖縄とその他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると述べた。天皇の意見ではそのような占領は、アメリカの利益にも日本を守ることにもなる。天皇は、ロシアの脅威や、占領終了後に右翼や左翼が台頭し、ロシアに日本の内政に干渉する口実を与える”事件”を起こすことを恐れる日本国民の広範囲な承認を得ることが出来ると考えている。/さらに天皇は、沖縄(および要求される他の諸島)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残した形で長期の租借=25年か50年、あるいはそれ以上の擬制(フィクション)の上で行われるべきだと考えている。 天皇に拠れば、この占領方式は、アメリカには琉球列島に恒久的企図がないことを日本国民に納得させるだけでなく、他の国々、特にソビエト・ロシアと中国が同様(占領)の権利を要求すること拒むことになるだろう」(原文は英語、訳責・江崎)

沖縄の左翼やメディアは、この「天皇メッセージ」のために、沖縄は講和条約発効後もアメリカの施政権下に置かれ続けたと主張しているのである。

たとえば、4月28日付琉球新報は社説で「4・28が(沖縄)県民にとって「銃剣とブルドーザー」によって強権的な土地接収、過酷な米軍支配の源流であることを軽く見て、日本の独立を祝う無神経さ憂う」と主権回復記念日を設けた政府を批判したうえで、「沖縄分離の背景として、昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた『天皇メッセージ』が影響したとされる」と指摘。

石原昌家沖縄国際大学名誉教授は3月20日付同紙で「『主権回復の日』で祝うという安倍首相と、その首相を支持する約7割の日本国民。人間の尊厳を奪っておきながら、安倍首相に取って沖縄の人の感情は全く念頭にない。ただ沖縄というものを日米軍事同盟の安全保障の軍事基地としか認識していない。対日講和条約第3条は昭和『天皇メッセージ』と全く同質同根だ。昭和天皇が沖縄を『軍事占領し続けることを希望』した通りに、米軍の実質的な占領が続いた」と「天皇メッセージ」を糾弾している。

5月15日に発足した「琉球民族独立学会」中心メンバーの友知政樹・沖縄国際大学准教授もQABテレビの「屈辱の日」特番に出演し、講和条約と「天皇メッセージ」の関係を問われこう述べた。「この言葉(天皇メッセージ)によって(沖縄は)斬り捨てられた、それによって「屈辱の日」だというふうに捉えられがちですけども、切り捨てられた、置いて行かれたとの屈辱ではなくて、日本に強制的な施策をかぶせられてしまったという意味合いで非常に屈辱と考えています」。

沖縄を日本と認めたくない友知氏からすれば、「天皇メッセージ」や講和条約による「沖縄切り捨て論」には同意できないだろう。批判するに事欠いてひねり出した屁理屈としかいいようがない。

学者やメディアだけではない。沖縄県高等学校障害児学校教職員組合(沖教組)は、講和条約が発効した「4月28日」を高校生に周知徹底させるためと称し、資料「『4・8』について考える」を県立高校に配布した。資料では、1952年4月28日を「沖縄の米軍統治が合法化された『屈辱の日』と位置づけ、祖国復帰運動のきっかけとなった日と紹介。政府が4月28日に「独立を記念する日」とした式典を開くことについて新たな『屈辱の日』。沖縄が切り捨てられた日に式典を開くねらいは何なのか考えてみましょう」呼び掛けた。

まるで政治ビラを彷彿させる資料は「4・28について考える」「主権回復の日? 主権喪失の日?」というタイトルが付され、祖国日本への呪詛が綴られている。

≪1949年5月、米国政府は沖縄を日本本土から切り離し、長期的に保有して基地の拡大を図る政策を決定した。これによって沖縄を「太平洋の要石」に変貌させられることになる。/だが、この政策は、米国が一方的に日本に押し付けたものではなかった。/琉球諸島の長期保有をアメリカ側に求めた「天皇メッセージでも明らかなように、日本側の意図が強く働いていたのである。/日米両政府は、日本の独立によって平和憲法に基づく非軍事化と民主化を実現するため、沖縄に軍事基地を押し付けたのである。》

新城俊明昭・沖縄大学客員教授が作成した同資料には「天皇メッセージ」の意図について、「沖縄を米兵に提供することで、天皇制の護持をはかろうとした」と解説されている。

■当時の日本が置かれていた危機的状況

では、日本の講和条約締結や「天皇メッセージ」は、沖縄メディや地元識者などが喧伝するように、沖縄を犠牲にしたりする意図でなされたのか。日本は沖縄を切り捨てることに拠り主権を回復したのか。

結論から先に言えば、否である。彼らの主張はまったくの誤解であり、悪意に満ちた曲解と言わざるを得ない。

まず、「天皇メッセージ」は、天皇自ら「延命のため沖縄をアメリカに売り渡す」と書いた文書だと誤解している人が沖縄には多い。 筆者の周囲にも終戦当時既に米軍占領下にあった沖縄が米軍の米国統治になったのはやむを得ないとしても、「天皇自ら延命のため沖縄を売り渡す」と書いたのは許せないと息巻く人もいるが、「天皇の密書」が存在するわけではない。 寺崎が昭和天皇の会話の中から沖縄についての陛下の「思い」を斟酌してシーボルトに伝え、それがシーボルトの手紙と言う形でワシントンに伝えられたのだ。

「天皇メッセージ」が伝えられたとされる昭和22年前後の情勢を振り返ってみよう。

国際的には、昭和21年(1946年)には元英国首相チャーチルが「鉄のカーテン」演説を行い、東西冷戦が幕を開けていた。冷戦はアジアでも激化し、中国では国共内戦で毛沢東率いる中国共産党が次第に優位になり、24年に中華人民共和国が成立。朝鮮半島では23年9月に金日成の北朝鮮が成立し、25年には朝鮮戦争が勃発した。

国内では進駐当初のGHQの「民主化」方針や戦争への反動で共産党や社民党、その傘下の労組が勢力を伸ばし、22年2月1日には空前の規模のゼネラル・ストライキ(「2・1ゼネスト」)は計画された。GHQの命令で中止されたものの、強行されていたら政権は倒れ、共産革命が起きたと言われていた。5月には社会党の片山内閣も成立した。まさに「革命前夜」であった。国内には、アジア共産化への野心をむき出しにして軍事力を用いることも厭わなかったソ連や中国共産党に呼応する勢力がいたのである。

このような状況下、敗戦で丸腰状態になったわが国は、経済的にも軍事的にもアメリカの支援なくして独立を果たすことも、東側陣営や国内勢力による共産主義の脅威を防ぐこともできなかった。戦前との価値観が180度変わったと言われる日本国民は新憲法の謳う戦争放棄や平和主義、「平和の府・国連」へのバラ色の夢に浸っていた。国民も政治家たちの関心も、食うや食わずの経済的国内事情に集中し、国際情勢にまで真剣に気を配る余裕はなかった。そんな中、わが国の安全保障に一番気を配ったのが昭和天皇であった。

 先に引用した「天皇メッセージ」でのロシア(ソ連)中国への言及が、その証左である。

近代史の専門家である秦郁彦氏は「天皇メッセージ」などに見られる昭和天皇の情勢分析について、その著書『昭和天皇五つの決断』(文芸春秋)で、次のように述べている。

「23年早々という早い時点で、アメリカのアジア戦略の動向を正確に探知して、適切な情勢判断をした天皇の洞察力には脱帽のほかはない・・・」

■外交文書が語る日本側の外交努力

アジアの冷戦が激化する中、アメリカが共産主義陣営の軍事的膨張の防波堤として重視したのが沖縄だった。

昭和26年(1951)年1月末から2月にかけ、アメリカが特使として派遣した国務省政治顧問のダレスと吉田首相との間で講和をめぐって話し合いがもたれたが、領土問題に関する米側の態度は、極めてシビアであった。アメリカは沖縄、奄美、小笠原について信託統治領にすると主張し続けた。

当時の日米両国の力関係を言えば、一方の日本は、首都東京をはじめ地方の各都市も空爆により焦土と化した軍備も持たない米軍占領下の敗戦国である。両者の力の差は歴然としており、日本側が、アメリカの要求を拒むことは極めて困難だった。現在の日米関係では、首相には大統領が対応するのが外交慣例だが、当時吉田首相と講和条約について話し合ったのはトルーマン大統領でもなければ国務長官でもなく、公的役職の無いダレスだったこと一つとっても、そのことがよく表れている。

それでも、吉田政権には沖縄を犠牲にして本土だけで主権を回復しようという(現在沖縄メディアが喧伝するような)意図はなかった。

発言権の強い米国との条約締結交渉に際し、微力ながら必死に抵抗した外務省の苦労話が、平成13(2001)年、に公開され、翌年刊行の『日本外交文書-平和条約の締結に関する文書』に記されている。

それまでの交渉で沖縄の統治を譲らない米側に対し、外務省は沖縄に対する案を一部変更した。外交官出身の吉田がその豊富な外交経験から得た知識なのか、自ら指示して「バーミューだー方式による租借も辞さない」という一文を、アメリカ側に伝える外交文書「わが見解」に付け加えさせたのだ。

「バーミューダー方式」とは、1940年にイギリスの植民地バーミューダーに米軍基地を置くため、イギリスから99年間租借した協定を指す。 当時事務方だった西村熊雄条約局長は、この吉田の態度について、のちにこう回想している。「(沖縄を)『租借地』にして提供してもいいから信託統治にするのは思いとどまってほしいと言われる総理の勇断にいたく感激した」

だが、吉田に対してダレスは率直にこう述べている。

「国民感情はよく解るが、(この問題は)降伏条項で決定済みであって…セットル(解決)したとして考えて貰いたい」

このダレスのすげない態度に接した日本側は、次善の策を講じて「沖縄の完全分離」に抵抗を示すことになる。 「肉を切らせて骨を断つ」にも似た捨て身の策である。

米側の信託統治構想を拒否するには困難と判断した𠮷田は「信託統治を提案されても辞さず」との覚悟を固め、それに異論を挟まないと断ったう上で、次の条件などを米側に求めていくのである。

(1)沖縄住民の日本国籍確保(潜在主権)

(2)バーミューダー方式(分離ではなく期限付き租借)

(3)本土と同様な教育方針の継続(文部省教科書の使用=日本語教育、無償措置法の適用)

(4)本土と沖縄の経済関係の維持(援護法の優先的適用)

先の石原昌家・沖縄国際大学名誉教授の言葉を借りれば、この吉田首相の条件提案こそ「天皇メッセージ」と「同質同根」である。 

「天皇メッセージ」のポイントは、「潜在主権」、つまり日本の主権を残したまま米国に統治を委ねることである。

親子に例えると、子(沖縄)を育てる経済力のない親(日本)が、金持ち(米国)に、戸籍はそのまま一時里子に出すようなものであり、戸籍も移す養子縁組(米国領にすること)とは根本的に異なる。

𠮷田と同じく優秀な外交官出身の寺崎が昭和天皇との会話の中で、「バーミューダー方式」を昭和天皇のご進講したことも想像できるが、確証はない。

昭和26(1951)年9月8日に署名された講和条約では、領土問題はつぎのように第3条に記された。「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」

仮に米国が、日本の潜在主権を認めず沖縄を「米国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」と国連に提案していれば、沖縄はいずれ、現在のグアムやプエルトリコのような米国の自治領に移行することは必至であった。

ところが不思議なことに米国は、喉から手が出るほど領有権を望んだ沖縄の信託統治を提案しなかった。日本の主権を残したまま、統治権のみを継続したのだ。まさに昭和天皇の「メッセージ」の通りになったのだ。

■「天皇メッセージ」と独立論、そして中国の野望

昭和27(1952)年、4月28日、講和条約発効の日、当時の沖縄住民は日の丸を掲げて祖国日本の独立を祝賀した。祖国日本が主権を回復してこそ、沖縄の祖国復帰が始まることを承知していたからだ。日本が主権を回復したからこそ、20年後の「5・15 復帰の日」は実現したのだ。

約60年前の講和条約発効の日の沖縄の状況を、今年(2013年)4月20日付琉球新報がこう伝えている。

対日講和条約が発効した1952年4月28日、県内の新聞は「祖国の独立を祝う」と日本が国際社会に復帰することを歓迎する一方、沖縄の「日本復帰を確信する」との比嘉秀平主席のメッセージを掲載した。当時は日本に沖縄の潜在主権があるから、いつか日本に帰れるという安心感があったから、祖国の独立を喜ぶことの方が大きかった。元琉球新報の記者下地寛信さん(87)は振り返る。(略)52年当時、大学生で、琉球新報東京支社でアルバイトの記者をしていた親泊一郎さん(81)は「当時沖縄は里子だという言葉がよく使われた。親に帰るときは立派に成長して帰り、親に喜ばなければいかん、それまでじっと我慢して頑張っていこう。そんな雰囲気が有った」と話した。

当時筆者は10歳だったが、おぼろげながら記憶をたどると、学校では先生が「祖国日本が独立したので、沖縄の祖国復帰も近い」といった喜びの言葉で説明した。 

「現代の感覚で過去を判断すると史家は歴史を過つ」といわれる。

「天皇メッセージ」や講和条約の功罪を問うものは、終戦直後の日本を取り巻く国際情勢、即ち「米ソ冷戦の幕開け」と日米両国の圧倒的な国力及び交渉力の格差を思慮にお入れなければ、その解釈を誤ってしまう。

秦郁彦氏も驚嘆するように、終戦直後の社会党政権(片山内閣)下で、当時の社会情勢では政府の誰もが思いも及ばなかった「『潜在主権のまま』で、いつかは祖国に帰る日のために米国に統治を委任する」という方法を思いつかれた昭和天皇の判断力の確かさは「天皇メッセージ」というより、「昭和天皇の大御心(おおみごころ)と表現したほうが的を射ている。

講和条約締結の結果、沖縄は米軍の統治下になったものの、「潜在主権」による期限付き租借(リース)という奇手で、米国の「信託統治の国連提案」に牽制を掛けたことは、まぎれもない歴史の事実である。

「日本の主権を残した(潜在主権の)まゝリースする」という天皇メッセージの意をサンフランシスコ講和条約に反映させ、アメリカに認めさせたことが、国際的に弱い立場の当時の日本が出来た精一杯、かつ最善の方策だったのだ。

なお、沖縄では「天皇メッセージ」の意図について、沖縄高教組の資料のように「天皇制の護持をはかろうとした」とか「天皇自身の延命のため」など不遜極まりない見方をする者もいる。これらの大半は、シーボルトが「覚書」を国務省宛てに送る際にそえられた手紙の次のくだりを根拠にしている。

《a hope which  undoubtedely is largely based upon self-interest》

だが、そもそも、前述したとおり「天皇メッセージ」とは昭和天皇直筆のメッセージが存在するわけではなく、寺崎とシーボルトの間に交わされた伝聞をシーボルトがまとめた過ぎない。 とくにこの個所はシーボルトの主観に基づく表現になっていて、昭和天皇の御真意を反映しているものとは言えないのである。

山本七平著『昭和天皇の研究』によると、昭和天皇はマッカーサーに「(戦争の)全責任は私にある。という意味のことを言われた」とされる。 「『戦争はすべて私に責任があるから、戦犯の追及をやめ、処刑するなら私一人にして他は免訴して欲しい。そして国民に責任はないから飢えさせないで欲しい』の意味であろう」(同書)。

”self-interest”の意味を敢て考えれば、反日サヨクの批判する「自身の延命」などではなく、戦犯や国民の利益を考えたまさに「大御心」と訳した方が的を射ていているだろう。

沖縄では5月15日、「琉球民族独立総合研究会」が設立され、一部の左翼学者が日本からの独立を煽っているが、これに呼応したように、中国も沖縄に対する野望を露わにし始めた。 8月8日の中国共産党機関紙「人民日報」が「歴史上(帰属が)未解決の琉球問題について再び議論できる時が来た」との論文を掲載し、同紙系列の「環球時報」は11日の社説で、沖縄の独立勢力を「育成すべきだ」とまで言い出している。

沖縄が独立して日米同盟力という対中抑止力がなくなれば、東シナ海のみならず西太平洋の軍事支配を狙う中国の絶好の餌食になる。 その意味で「天皇メッセージ」を悪用して日本への反感を煽る者たちは、まさに中国と連携する「独立勢力」ではないか。 知識も判断力もない高校生たちに「天皇メッセージ」を曲解して教え、「日本憎し」の感情を刷りこむ「反日洗脳教育」も「独立勢力の育成」そのもののように思えてならないのである。

 

【補記】米軍統治下の沖縄の教育に関しては、文部省(当時)は教科書で祖国日本と同じ教育を施した他に、政府は沖縄の学生だけに限る選抜試験を行い、全国の国立大学に国の負担で受け入れている(国費留学制)。ちなみに仲井真弘多県知事はこの国費留学制度の恩恵で東京大学を卒業している。(完)

               ★

【おまけ】

天皇メッセージ”

沖縄公文書館は、米国国立公文書館から収集した“天皇メッセージ”を公開しました。(平成20年3月25日)

同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。【資料コード:0000017550】

内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。
≫PDF画像(2頁)(226KB)

 

 

 

1979年5月、全国植樹祭に出席のため愛知県を訪れた昭和天皇=朝日新聞社

 

琉球新報 2015年4月28日

 
 
補聴器専門店 ブルーム 六甲店
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★戦争マラリアは援護金の対象、軍の強制だから

2022-04-28 14:47:27 | 資料保管庫
 

沖縄タイムス紙面掲載記事

[戦後76年]戦争マラリア 教訓継承 遺族の悲しみ癒えず 竹富犠牲者の冥福祈る

2021年6月29日 05:00有料

 【竹富島=竹富】町主催の戦没者追悼式が23日、竹富島の慰霊之塔前で行われた。西大舛高旬町長や仲田森和教育長、遺族ら約20人が出席。先の大戦の犠牲者に対して手を合わせ、祈りをささげた。西大舛町長は式辞で「戦争マラリアで多くの住民が犠牲になった。今も忘れることができない深い悲しみで、決して癒やせるものではない。戦争の教訓を風化させることなく継承し、八重山から世界へ平和を発信していくことが私たちの責務だ」と訴えた。

 県遺族連合会女性部長の大山幸子さん(79)=石垣市=は、喜友名盛允同会八重山支部長の「追悼のことば」を代読。「二度と私たちのような戦没者遺族を出さないために、平和のありがたさを後世にわたり語り継いでいかなければならない」と語った。

 大山さんは台湾で郵便局員として働いていた父を亡くした。通信兵として軍に従事していた南洋諸島で戦死したという。「ただ、どうして死んだのか、最期にみとった人がいたのかなどは一切分からない。この年になっても親は親。手掛かりが知りたい」と唇をかんだ。

 一般参加の島仲彌喜さん(75)=竹富島=は「伯父が犠牲になった。当たり前のことだが戦争のない平和な社会が望ましい」と話した。

(写図説明)慰霊碑に手を合わせ犠牲者の冥福を祈る遺族の女性=23日、竹富島

                ★

沖縄2紙は、「残虐非道の日本軍」の印象付けとして教科書に「集団自決」に加えて「戦争マラリア」の記述を次のターゲットに持ち出している。

軍の命令は「集団自決」のみならず「戦争マラリヤ」も、軍の強制連行の結果だというのだ。

ということは「戦争マラリア」も軍の命令で在り、結局「援護法」の対象になるということ。

戦時中に病死した県民は全て軍への協力で衰弱死したので「援護法」の対象になるということか。

第一部 風は南から⑥ 戦争マラリア

「島に“亡霊” いれぬ」

≪八重山地域の中学校でこち氏4月から使われる公民教科書採択をめぐっては、竹富町教委だけが「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版の採用を拒み続けている。
戦争マラリヤに関する記述がない出版社の公民教科書を拒否する同町の慶田盛安三教育長(70)の毅然とした姿勢の背景には、自身の戦争体験がある。
慶田盛教育長は波照間島出身。 4歳のとき由布島に疎開し故郷に戻ってマラリヤに罹患(りかん)した
親族が犠牲になり、ムシロでくるまれた遺体を運ぶ光景や腐臭は今も記憶から消えない。
「スポンジのように吸収する子どもには、尖閣で国防や愛国心をあおるのではなく、八重山であった悲しい悲しい歴史を通し、平和を考える教育が必要だ」。 慶田盛教育長は「二度と子どもたちを犠牲にしない」という思いと戦争への怒りを何度も口にした。
波照間島で教科書問題について尋ねると、慶田盛教育長の姿勢を支持する人がほとんどだった。 元波照間公民館長の浦仲博さん(88)もその1人だ。
浦仲さんは、今回の教科書問題と、31年前の苦い記憶を重ねる。 1981年8月7日、太平洋戦争末期に島民を日本刀で脅し、マラリヤの汚染地域に強制的に疎開させた山下虎郎(本名・筒井清)軍曹が、ひっそり島を訪れていた。
・・・戦前の軍国主義の亡霊を呼び戻すように来島したことについて、全住民は満身の怒りをこめて抗議する」。 島の代表として本人に付き付けたた抗議書。 両親と親戚9人を失った妻の苦しみを思うと、今も怒りに震える。
「島民の傷は一生消えない。 戦争につながるものは島に入れさせない」。 浦仲さんは八重山の今を思い、言葉に力をこめた。(復帰40年取材班・吉川毅)≫(沖縄タイムス 2012年1月11日)

               ☆

沖縄県民でさえ「戦争マラリア」という言葉そのものを詳しく知っている人は、非常に少ない。

かく言う筆者も若いころ初めてこの言葉に接したとき、次のように誤解した。

「残虐非道の日本軍」は沖縄人虐殺のため「死亡率の高い特殊なマラリア」を研究し、多くの八重山住民がその犠牲になったことを指す、と。

さて、沖縄タイムの沖縄戦シリーズの第6回だが、先ず目に付くのは記事の冒頭から相変わらずのデタラメを撒き散らしていることだ。

>戦争マラリヤに関する記述がない出版社の公民教科書を拒否する同町の慶田盛安三教育長(70)の毅然とした姿勢の背景には、自身の戦争体験がある。

「戦争マラリア」とは沖縄戦の問題であり、記述するとしたら歴史教科書が適当である。

だが、八重山地区協議会は戦争マラリアの記述のある帝国書院版歴史教科書を選定しており、これには慶田盛竹富町教育長も、当然事ながら、何の反対も示していない。

「戦争マラリアに関する記述がない出版社の公民教科書は拒否する」とは、これこそヤクザの言いがかりだ。

では、そもそも戦争マラリアとは一体何なのか。

沖縄タイムス上記シリーズの悪意に満ちた「解説記事」によるとこうなっている。

 ▼[ことば]

戦争マラリア

太平洋戦争末期、八重山の住民が旧日本軍の命令でマラリアの有病地帯の西表島屋石垣島の山岳部などに強制疎開させられ、多くの人々が亡くなった。 八重山平和祈念館によると、犠牲者は3647人。 波照間島では、スパイ養成機関の陸軍仲の学校を卒業した人物が偽名で島に忍び込み、全党住民1600人を日本刀で脅し、マラリア汚染地域に疎開させた。 島民のほとんどが感染、477人が犠牲になった。

            ☆

事実誤認と「残虐非道な日本軍」の印象操作に必死の悪意に満ちた「解説記事」だが、ここで明らかのなのは戦争マラリアと言っても、日本軍が特殊なマラリア菌を培養したわけではない。

戦前は八重山地区のみならず沖縄県全域、いや、日本全国で見られた一般的マラリアのことである。

八重山地区の離島の山岳地帯には特にマラリアを媒介する蚊の群生が見られ、戦時中米軍の攻撃から避難するため離島の山岳地帯への疎開を誘導した日本軍への恨みつらみを込めて「戦争マラリア」と特別に呼称しているのだ。

これを「軍の強制」と性格付けすることにより「集団自決」と同じように「援護法」の対象にしようというのが「ゆすりたかり」を生業(なりわい)とするサヨク集団の主張なのである。

従って、喧伝されるされるように、日本軍が八重山住民を「マラリア非発生地域」から「マラリア発生地域」に強制連行したわけではない。

それは波照間島出身の慶田盛氏が疎開地の由布島では罹患せずに、故郷の波照間島に帰郷してからマラリアに罹患した事実を見ても明らかである。

筆者の小学校時代は、夏の蚊のシーズンになると「蚊に刺されるとマラリアになる」とはごく普通の会話で語られていた。

戦前からマラリアに悩まされていた沖縄がマラリアに決別を告げるのは、結局は沖縄を占領した米軍の殺虫剤の大量散布などのマラリア撲滅活動の賜物である。

八重山のマラリア撲滅運動は大正時代から始まるが成功せず、戦後、米軍の圧倒的なマラリア撲滅活動により、最後の患者が出たのは1963年であるとのこと。

ドキュメンタリー作家上原正稔さんが検証した米軍側の資料によると、マラリアの罹患者は八重山地区より沖縄本島の方が多く、沖縄全体がマラリア撲滅に成功するのは祖国復帰後、沖縄県公衆衛生大会において沖縄から風土病としてのマラリアがなくなったことが宣言される1978年のことである。

さらに疎開という言葉さえ死語になりつつある現在「日本刀を突きつけてマラリア汚染地域に強制疎開させた」という「解説」は、まるで「空気の清浄な地域の住民を放射能汚染地域に強制移住させた」といった極めて悪質な印象操作を感じる。

結局、沖縄タイムスが言いたいことは、こうだ。

「戦争マラリアは軍の強制!援護金の対象」と、

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 高橋是清、戦時国債で日本を救った男、世界の軍事費 271兆円 21年 最高額更新 ロシアも拡大

2022-04-26 06:24:28 | 資料保管庫
沖縄タイムス紙面掲載記事

世界の軍事費 271兆円 21年 最高額更新 ロシアも拡大

2022年4月26日 05:00有料

 【パリ共同】スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は25日、2021年の世界の軍事費(支出、一部推計)が前年比0・7%増の2兆1130億ドル(約271兆6472億円)となったと発表した。推計値が残る1988年以降の最高額を更新。ウクライナ侵攻へ国境付近に軍部隊を増強していたロシアも軍事費を増加させた。

 新型コロナウイルス流行が続き、各国が経済的打撃を受ける中、上位国の多くが軍事費を拡大。トップ5は米国、中国、インド、英国、ロシアの順で、総額が全体の62%を占めた。日本は9位だった。ロシアは2・9%増の659億ドル。SIPRIは「石油や天然ガスを輸出して得た歳入が軍事費の拡大を後押しした」と指摘。ウクライナは36位で推計59億ドル。前年比で8・5%減だった。

 中国は4・7%増の推計2930億ドルで、27年連続の拡大。日本は7・3%増の541億ドルで、年間の増加率としては1972年以降で最大となった。SIPRIは日本について「東・南シナ海周辺での中国の影響力の高まりが大きな要因になっている」と分析した。

 群を抜く8010億ドルの米国は1・4%減らした一方、研究開発費は2012年から24%増えた。SIPRIは「次世代技術を重視していることの表れだ」とみる

(写図説明)世界の軍事費上位10カ国

               ★

腹が減っては戦はできぬ。

金が無くては国は守れぬ・・・by高橋是清

 

2021年5月20日の日本経済新聞朝刊1面に「防衛費、GDP1%枠こだわらず」という記事があった。
 
岸信夫防衛相は、防衛費の予算要求を国内総生産(GDP)比で1%の枠にこだわらず増やす方針を明らかにした。なぜ1%枠が焦点となるのか。
 
 
「非核三原則」と同様に日本の歴代内閣は、防衛費をGDP比でほぼ1%以内に収めてきた。
 
1954年に自衛隊が発足して以来、「防衛費が無制限に膨らむ」との懸念が国内外にあったためだ。
そして1976年、三木武夫内閣でGNP比1%を「超えない」と閣議決定した。
 
GNP比1%を「超えない」と言う意味は、国際的安全保障環境がどのように激変しても、日本の安全保障は「必要最小限」であれば足りるという考えだ。
 
これでは「専守防衛」ですら、国を守ることを困難にする自縄自縛の考えだ。
 
三木以降の歴代内閣もこの枠を踏襲したが、いわゆる「新冷戦」(21世紀以降の新冷戦とは異なる)と呼ばれる米ソ関係の緊張と日本やヨーロッパ諸国の経済成長にともない、1980年代からアメリカ合衆国による同盟国への要求として、1986年12月に第3次中曽根内閣が撤廃を决め、翌年の1987年度予算編成から総額明示方式へと転換した。

なお、参考として、NATОは加盟国に対してGDPの2%以上を防衛費とするよう要求しており、2021年時点ではGDP比2%の数値目標を達成した国が全30加盟国中11カ国に増加している。

台湾を巡る米中関係の緊張などを背景に、4月の日米首脳会談後の共同声明で両首脳は「日本の防衛力の強化」を明記した。もし防衛力強化の意図をもって1%を超える予算を確保することになれば、日本の安全保障政策の転換点となる。

【マイナス成長でも軍事支出は拡大】

ウクライナ戦争で分かったことは、防衛費はその性質上、マイナス成長でも拡大する必要がある。国防こそ最大の福祉と言われるくらいだ。

■防衛費拡大に立ち塞がる財務省の壁

国際安全保障の変化に伴い、防衛省が防衛費拡大を主張した時、我が国では予算の増額を財務省に要求する。ここで防衛費拡大に伴う財務省対防衛相の対決が始まる。

だが「省庁の中で最強」と言われる財務省は、均衡財政の狂信者であり屁理屈をこねくり回す「優秀な財務官僚」が相手では、防衛省の敗北は目に見えている。

財務省に対決するため防衛相、外務省、デジタル省なで国防関連省庁を束ねる安全保障省を設置し、首相代理の内閣官房長官を担当大臣に委ねる。

いわば内閣省ともいえる省庁の軍団で財務省に対決すれば、いくら財務省でも内閣に逆らうのは躊躇するだろう。

財務省が防衛予算を出し渋る決まり文句は財源である。

防衛予算は将来に対する投資だと考えれば、建設国債と同じく国債発行で財源に充当することも可能だが、均衡財政論者の財務官僚を説得するのは困難だ。

そこで日露戦争当時、貧弱な財政基盤で大国ロシアを打倒した財務省の大先輩高橋是清の戦時国債の例で対応すべきだ。

■戦時国債で日本を救った高橋是清

日露戦争が始まった1904年(明治37)、高橋は駐英財務官に任命され、戦費調達と言う大役を言い渡された。 このとき高橋は、イギリス系銀行から現在の金額にして4兆5,000えんという大金の借り入れに成功した。 さらに1921年(大正10)には総理大臣兼大蔵大臣に就任。 1929年(昭和4)の世界大恐慌の余波による昭和恐慌から抜け出すため、日本初の赤字国債を発行するなど、積極的な財政政策で何度も日本の危機を救った。

だが、満州事変以降、軍備増強を推し進めつつあった日本の軍部は、国債を国債を軍事費に使うことを求める。 しかし、頑として首を縦に振らなかった高橋は、軍の反感を買い、1936年(昭和11)、自宅に踏み込んだ青年将校らの凶弾に倒れる。のちに2・26事件と呼ばれた。

 

日本の防衛費は「対GDP比2%」へ倍増できるのか/安全保障戦略と経済・金融・財政の深い関係

配信

東洋経済オンライン

4月13日、防衛関連企業との意見交換会に臨む岸信夫防衛相(席上左端)(写真:時事通信)

 

 

【おまけ】

 

日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち―|ブックパス

[ 2013-04-27 ]

【「坂の上」までの物入り】日本にとっては文字通りの総力を費やすこととなった日露戦争。しかし、工業化も道半ばの日本にとって、もっとも重要な「金」の工面の見通しが立たなかったことから、高橋是清と深井英五は欧米バンカーとの交渉を通じて日本国債の発行を行うよう政府から指令を受ける。いかにして彼らは魅力に乏しかった日本国債の市場を開拓していったのか。金融という新鮮な観点から、日露戦争を鋭く切り取った話題の一冊です。著者は、投資顧問会社を2006年に設立した板谷敏彦。


名著。戦地からはほど遠い国債金融市場を舞台として繰り広げられたもう一つの熱い(されど極めて静かな)戦いに、読者の知的好奇心がぐらぐら揺さぶられること間違いなし。しっかりと20世紀初頭の国債金融がどのような状況にあったかまでも記述されていますので、読んでいて置いてけぼりを喰らうようなこともないかと。かなりの大著ですが、その厚みが120%意味を持つものですので、ぜひ手に取って読んでいただきたい作品です。

[ 2013-06-19 ]

日露戦争と言えば坂の上の雲のイメージしか持ってない人は読んでおかないとダメといえるテーマ。
戦争といえば兵隊の話ばかりが目立つがお金がないと話は始まらない。近代戦は以前より格段にお金が重要になるのだが、当時の日本は生産力も資源も不足していたので外貨がなければ戦争どころか国家の維持すら困難。そんな日本政府(高橋是清)が金融面でどのように立ち回っていたのかを当時の資料や状況を調べて書かれている本でした。
特に当時の国際金融市場の変動から国際社会は日露戦争の行方をどのように見ていたのかを推察しているのは興味深かったです。

明らかに国力を越えた借り入れをしているのだが、それを公表してしまうと必要な借り入れが行えないので民衆の加熱を抑えることが出来なかったジレンマが和平交渉での失態とあいまってgdgdになる様などを思うと歴史をいろいろな視点から学ぶ必要性をあらためて感じる。

 

[ 2012-06-07 ]

高橋是清による日露戦争時の海外公債発行の模様について、当人の自叙伝や世の中に広まった「通説」によらず、複数の資料を基に、著者が真実と考えるところが書かれている。高橋の苦労話だけでなく、当時のファイナンスの中心であるロンドンやニューヨークの金融プレイヤーの実態なども分かりやすく紹介されていて、興味深い。
それにしても、国を運営するというのは大変だ。今よりもずっと非民主的だと思われる明治時代においても、正貨が足りないから悪条件でも起債しなければならないのに、新聞には条件が悪いと書かれ、だからといって、資金不足の実態をさらけ出せば、ますます資金が集まらなくなって条件が悪化したり、戦争を止められなかったりする。そんな国民の不満を浴びながら、国の置かれた条件の下でベストを尽くすという明治の男は、高橋にしろ、小村寿太郎にしろ、みんな偉いなと改めて思う。
また、本書のメインではないが、あの児玉源太郎が、満州に関しては満鉄を使った植民地経営を志向し、「国民の血を流して獲得した」との理由で欧米資本を排除して、後の戦争の遠因を作ったという著者の指摘も、中々興味深く、人物に対する色々な評価があり得ることを思い知らされた。
高橋是清の自伝など、読みたくなる本が増えるという点でも、読んでよかった一冊。

 

[ 2012-05-31 ]

日露戦争を資金調達という視点から見た本。
国際利回りという視点からみた当時の日露に対する評価や、資金調達を行った高橋是清のリレーションの範囲・深さ等、興味深い内容だった。
当時の国債発行市場や主要な投資銀行の情報なども楽しめた。
現代の日本への教訓にも富んだ本であると思う。
筆者があげている教訓としては以下の3つである。
1.公債の発行は増税の先送りでしかない。
2.市場へのアクセス、流通市場でなく発行市場へのアクセスは別個であるということ。
3.インベスター・リレーションの重要性、投資先・調達先の分散によるリスク回避が重要であるということ。

 

[ 2014-09-13 ]

高橋是清自伝によると日露戦争開戦前の戦費の見積もりは4億5千万円だった。戦前の1903年の一般会計歳出は2億5千万円程度、当時の銀行預金残高は7億6千万円ほどである。日露戦争臨時軍事費特別会計の決算額収入17億余りの内外国債で6億9千万、内国債で4億3千万を調達している。金本位制度を守ることは外国で公債発行をするための必須条件であり、例え内国債の発効であっても裏付けとなる準備金つまり金かあるいは金と等価とされるポンドを持ってなければならない。日清戦争を例にとると戦費の1/3が外国に流出しているので同じ比率だと当初の見込みでも1億5千万が流出する。当時の日銀所有正貨は1億1700万円で開戦時に正貨として持てる余力は5200万従って流出分の不足1億円だけではなく準備金も必要になる。政府は開戦前にポンド建て外債2千万ポンド(2億円)の募集枠を閣議決定し、高橋をロンドンに派遣した。

1900年の国力の比較では人口、GDP、日露戦争当初予算のいずれもロシアは日本の3倍程度で、一人当たりGDPではほぼ並んでいた。日露戦争に関わる諸国の実質GDP/一人当たりGDP(億$)はアメリカ3125/40、イギリス1849/45、ドイツ1623/30、フランス1167/29、ロシア1540/12、日本520/12、中国2182/5であり、ロシアとフランスが同盟関係でイギリスとドイツはロシアを警戒、日英同盟はあるが日露戦争に対してはイギリスは中立、アメリカと日本も当時は比較的良好な関係で英米は微妙だ。清朝の弱体化でロシアは沿海州を取得し、不凍港の旅順を租借し東清鉄道と南満州鉄道の敷設権を手に入れ沿線都市を植民地化していった。日本がロシアの満州権益を認める代わりにロシアは日本の朝鮮半島の権益を認めるよう申し入れるがロシアは相手にせず、アメリカとイギリスは満州権益の門戸開放を求めていた。元々の日露戦争の目的からするとすでに勢力化に置いていた朝鮮半島の確保だったはすで、欲を出して満州鉄道をロシアに成り代わり支配しようとしたことが後の第二次大戦につながっていく。満州人からするとロシアも日本も欧米も迷惑なことには変わりないが清朝はもはや力を持たない。

ちなみに支出の裏付けでは陸軍が12億8300万円に対し海軍2億2500万円となっていて陸軍が進出するほど財政的には破綻が近づく。公債価格の動きは戦争継続で売り、短期講和で買いとなっていて日本の局地戦の勝利はあまり影響していない。ただしロシア公債価格は下がっていく。

高橋は第一回の公債発行に苦慮していたがそれを助けたのがクーン・ローブ商会のヤコブ・シフでユダヤ人を迫害するロシアに対しこれまでロシアのファイナンスに協力してきたが一向に改善されずならば日本に協力してロシアを弱体化させる方がましだと開戦前に日本の公債引き受けを密かに決めている。それでも開戦直前の日本公債発行が実施できるかは危ぶまれており、ジャンク債同様だったのでシフも慈善活動をするつもりはない。日本が有利になりそうならそこで恩を売るというのがシフの計算だった様だ。3月31日に高橋がロンドンに到着後一旦公債発行を諦めた高橋が4月22日にイギリスの銀行家カッセル卿配下のビートンに合い「もしも日本が、海戦同様陸上戦でも敵を打ち負かす決心なら、その時まで待った方がいい、ただし待ってる間にもチャンスには備えておるべきだが」と言う手記を残している。公債発行の目論見書準備には時間がかかる。そして24日に公債発行を決意し、26日に銀行団が6%、償還7年、1000万ポンドの部分発行という案を提出しよく27日に政府に打電した。4月30日に鴨緑江の戦いに日本軍が勝ち、政府からは5月2日に条件改善要求が届く。そして3日に晩餐会で高橋はシフに引き合わされた。クーン・ローブ商会の公債参加表明が翌4日なので、シフからすれば鴨緑江の勝利でようやく参加条件に見合う物になったと言える。

日本の公債利回りは3/31の6.43%からこの勝利で5%台にやや下がったがそれでもロシア公債の4.3%に対して1%以上のスプレッドがついており6/16に一旦0.76%と縮めたが203高地攻略に失敗した10月中旬には1.34%にまで拡がり、旅順要塞攻略に成功した12月末でもまだ0.74%ついている。スプレッドをオッズに例えるとロシアの人気の方がまだ高く、欧米投資家にとっての日本はハイリスク商品のままだった。

ロシアが売られるきっかけはバルチック艦隊がイギリス近くの北海でにわとり艦隊というイギリスの漁船団を砲撃したハル事件から、日本の幻の水雷艇におびえ戦艦アリョールだけで500発の砲弾を発射し漁船1隻を撃沈し5艘が中破で2名が死亡し6名が負傷した。またこの時誤爆により巡洋艦2隻が被弾し1名が死亡し、数名の負傷者を出している。ついでニコライ二世がデモ隊を武力鎮圧した血の日曜日事件でさらに売られ3月にはとうとうスプレッドがなくなった。3/10の奉天会戦に勝った後も日本国債は売られ投資家の興味はいつ講和するかに移っている。バルチック艦隊は10/15に出航してからわざわざ近海運行用で船足の遅い艦船を随伴させ、マダガスカルで2ヶ月カムラン湾でも3週間停泊し5月末の日本海海戦に現れた。艦隊行動をとるにも遅い艦に合わせることになり敵前回頭がなくてもバルチック艦隊に勝ち目は薄かった様だ。

ポーツマス講和については「歴史を変えた外交交渉」に詳しく描かれておりロシアのウィッテの見事な交渉と小村寿太郎の決断で賠償金請求と占領していた樺太の北半分を放棄したが戦争の当初目標は全て達成している。しかし旅順攻略の犠牲と多額の戦費をかけたことが満州鉄道で元を取るという発想につながってしまう。高橋はアメリカの鉄道王ハリマンを満州鉄道の経営に引き込むつもりだったが果たされず、ハリマンの娘婿ウィラード・ストレイトが働きかけ桂・タフト密約(アメリカが朝鮮権益を認める代わりに日本はフィリピンには手を出さない)は事実上反古にされる。ポーツマス講和を主導したローズヴェルト大統領はパナマ運河完成までは太平洋で日本を事を構えるつもりはなく満州の門戸開放がされていればまた違った歴史になっていたかも知れない。この辺りは「日米衝突の萌芽」に詳しく描かれている。

後のデフレ退治でリフレ派がモデルとして讃える高橋是清だが日露戦争当時は財政均衡を重視している。緊急時には禁じ手も辞さないでモラトリアムや金本位制からの脱退もやったがリフレ策の後は軍事費の削減に動いたのが原因で暗殺されてしまった。日露戦争後の軍事費と国債費は一般会計歳出のそれぞれ30%で6割が固定されている。平成22年の国債費は約21兆円、社会保障費が約27兆と一般会計92兆の半分を占める。それでも日露戦争後の政府債務のGDP比率は60%ほどと1995年くらいの水準で第一次大戦の輸出ブームで解決した。第二次大戦後のGDP比率は350%を超えたがこれは厳しいインフレによって解消された。2014年の対GDP比は230%を超えた。これを日本国民の貯金だという人がいるがどうだろう?

 

[ 2013-10-27 ]

日露戦争の際の資金調達に関して、当時日銀副総裁であった高橋是清とそれに随行した深井英五の活躍は多くの人が知るところだが、『是清自伝』などの記述には曖昧で不明な部分も多い。とくに高橋とユダヤ人資本家ヤコブ・シフとの関係はよくわかっていなかった。

本書は先行研究に依拠しながらも、シフをはじめとする欧米のバンカー達の立ち位置や考え方にも多く言及し、当時の国際的金融市場の中でこの日露戦費調達がどのような形でおこなわれたのか、またそれが日本にとってどのような意味を持ったのかを丁寧に、かつスリリングに叙述している。複雑でわかりにくい部分も図表を多用しながら解説しているので、初心者にもとっつきやすいのではないだろうか。

今さらながらオススメである。

 

[ 2013-08-24 ]

130824 中央図書館
明治時代には、国際社会で堂々と渡り合える見識・胆力と責任感を持つ人材が多士済済であったことがわかる。
また、現在の国債残高積み上がりは、日露戦争のときの借金レベルに匹敵しているという指摘も重要である。近い将来には外債によって国の運営費用を賄わなければならないかもしれない。しかし我が国には、世界のリスクを管理し、利用し、それでいて国益を損なわないだけのスキルとパワーがありえるのだろうか。国内のトラブルでさえ右往左往しているのに。国際的なことにもっと目を向ける国民的教育が必須だろう。現政権の方向性はかならずしもそうでなく、経済以外の意識レベルは狭い日本に閉じ込める少国民を育成するというマインドばかり勝っているような気がする。

 

[ 2015-08-13 ]

日露戦争の資金調達に関して、初めて知ることができた。
高橋是清の活躍を恥ずかしながら知りもしなかった。
戦争には莫大な資金が必要で、その資金は自国では、
全くと言っていいほどにまかないきれない。
そこで、サポートしたのが、他国ではなく、一個人であるから驚きであった。
歴史を学ぶごとに日本人の偉人を知ることができる。
また、外交に魅力を感じるのであった。

 

[ 2016-12-26 ]

近代の戦争は軍事力だけで決まるものではない。
戦争にはお金がかかり、その資金は市場から集める。
国の信用が国債の値段を決め、資金調達の成否を決め、最終的に戦争の勝敗を決める。
グローバル経済の時代、高橋是清の凄さを再認識します。
(総合経営学科 室谷先生)

 

[ 2013-01-12 ]

日露戦争における外債発行の裏側、高橋是清の役割など、これまでと違った視点で分析している。クーンローブ商会とシフ。モルガン、ロスチャイルドの役割、当時の国際関係が垣間見ええる。良書。

 

[ 2012-12-31 ]

大掃除の合間になんとか読み終わった。

日露戦争時、日本は大幅に足りない戦費を外債によって賄ったわけだが、この本では、そのいきさつを詳細に描いている。日露戦争といえば、奉天会戦や日本海海戦が思い浮かぶが、本書では、派手なドンパチの描写は一切ない。

全編を通じて印象深いのは、100年前の国際金融市場が、現代から見ても違和感ないほど高度に発達しているということと、その市場で、高橋是清が驚くべきセンスを発揮し、資金調達を成し遂げたこと。また、実はロシアも資金調達に悩み、ギリギリの線で戦争をしていた事実は、僕の従来の日露戦争感に修正を与えてくれる。

それにしても、涙ぐましいまでの繊細さで世界に相対していた日本が、わずか40年後に対米戦争で破滅してしまうとは。司馬遼太郎が述べていたように「信じがたいこと」だ。

ちなみに大掃除はまだ終わっていない。

 

[ 2015-10-21 ]

 最近読んだ「東京帝大叡古教授」にも、日露戦争は出てくるけれど、国内のそのような反発の裏側には、このようなドラマがあったとは。
 また、最後に語られる満鉄の経営についても、歴史のifを強く思う。

 

[ 2014-01-03 ]

この本は、日露戦争というテーマを軸に展開している点で、日本と列強各国の歴史が結びついて理解できる。

また資金調達が話のメインであることから、1900年代における日本の金融市場がどのような雰囲気であったかも垣間見ることができる。

当時の日本国債は、内国発行と同時に、海外発行(ポンド建て)も主力な資金調達手段だった。日露戦争時における海外発行を通じて、国際金融市場へのアクセスの礎を築く。
また根回しの大切さを学ぶこともできる一品。

 

[ 2012-05-04 ]

個人的に日露戦争にまつわる日本の動きに関する本を多く読んできた。その多くは歴史や世相に関するものだが、この本は「資金調達」に焦点を合わせた本であるが、逆に歴史の解釈に新たな切り口を垣間見せてくれたという点で優れた論考だと思う。私が「日露戦争」に惹かれるには、今の日本において決定的にかけている「資本政策、資金調達、外交戦略、パワーバランス、そしてそれらを背景とした軍事戦略・戦術」が、明治維新後わずか30年余りの間に高度に成立させた当時の日本の成長に、素朴に驚嘆しているからである。この歴史から学べることは、まだまだ、ある。

 

 

 

[ 2015-01-24 ]

 久しぶりに読み応えのある本に出会えた。「日露戦争」といえば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が国民文学として有名で、その批判的本も数多く出版されているが、日露戦争の歴史的経緯や当時の政治情勢の推移をも詳細に扱っている点ではなんといっても「司馬遼本」は抜きん出ている。
 本書は、その戦争の「資金調達」というもうひとつの戦いに焦点を絞っている点が実に面白く興味深い。
 また「高橋是清」については、何冊もの本がでているが、「日露戦争時の活躍」に焦点を絞って取り上げた本は他に見当たらないのではないか。
「戦争」に必要な「補給」と「兵站」一つ取り上げても「資金」がなければ何一つできないことはわかるが「国家的資金供給」という別次元のジャンルをわかりやすく、しかも日露戦争の経緯と共に取り上げて詳細に解説している本書は高く評価できるのではないか。
 このような本があるから、読書はやめられない。実に楽しいひと時を過ごすことができた、

 

[ 2013-05-12 ]

高橋是清が日露戦争時にそのような働きをしたということを本書で初めて知った。
手元にあった山川の日本史教科書(詳説日本史)では、高橋是清の名前は原首相刺殺後のp.301「立憲政友会の高橋是清は後継内閣を組織したが短命に終わり、」と二・二六事件のp.327「斎藤実内大臣・高橋是清蔵相・渡辺錠太郎教育総監らを殺害し、」の二箇所のみであり、日露戦争p.272-273の項では触れられていない。

当時の世界情勢、金融の様相、日露戦争の経緯を知れるのみならず、近代社会の成立を捉える上で金融を知ることが肝要であり、金融史を知ることで動的な世界の歴史がわかるということを実感させた一冊だった。

 

 

 

[ 2019-02-01 ]

戦争するのにも先立つ金がいる。
国家同士が素手で殴りあうわけではないので当たり前な話なのだが、得てして忘れがちな事実、もしくは不当に無視されている視点ともいえます。
日露戦争の勝利は、まさに薄氷の勝利であり、勝利の影の立役者は困難とされた資金調達を可能にした2人の優秀な人材がいたからという内容は、知的興奮を味わえます。
昔の戦争は、勝てば超大国同士の話合いで賠償金や植民地がもらえ、戦争自体が国威発揚のビジネスそのものだったことが再確認できます。
現在では、経済戦争が主流ですが、いざとなれば軍事介入や開戦も辞さないわけで、そのためにもお金(国力や富)が不可欠です。
では、経済力の弱い国は大国の言いなりにならざるを得ないのか?
半分イエスですが、例外として北朝鮮のように一度核兵器を手にしてしまうと、とても効率よく軍事大国に早変わりできるという現実は注意する必要があります。
こうした核拡散の抜け駆けが当たり前になれば、軍事均衡という砂上の平和はもろくも崩れてしまいます。
軍事力の増強によって平和を維持するということ自体に既に自己矛盾を抱えているわけですが・・

我々は日本国憲法で謳われるような善良な市民や国家ばかりではないという悲しい現実と嫌でも向き合わなければなりません。
板谷氏の文章力もあり、本書は掘り出し物です

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続・チャーチルの言葉、大国になるほど弱くなる!戦略のパラドックス

2022-04-24 12:40:38 | 資料保管庫

 

 

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日本の若き女性国士にして、最も勇気あるジャーナリスト・我那覇真子(がなはまさこ)を翻訳者に迎え、ついに運命の邂逅(かいこう)。
本書を読まずして、今後の日米関係は一切語れない。

先日、台湾と沖縄を行き来して徳永弁護士の「台湾人国籍取得訴訟」を支援している台湾人のKさんと台湾有事について語る機会があった。

筆者が「中国が近々台湾を侵攻すると思うか」と質問したら、Kさんは「侵攻しない」と意外な答えをした。 ロシアのウクライナ侵攻で、ロシアがNATОを中心に世界の批判を浴びて、ウクライナ陥落に苦戦している現状を同じ専制国家で核保有国の中国は学習したというのだ。 しかし「侵攻しない」とは素振りも見せず「あいまい政策」で「現状維持」で対応するのが中国にとって得策、というのだ。 その一方、台湾を守る立場の米国も「台湾を守るか否か」を明確にしない曖昧政策に徹するべきだという。

これは勿論Kさんが現在進行形のロシアのウクライナ攻撃を目の当たりにしての結果論だ。

だが、前回言及した『ラストエンペラー習近平』の著者・ルトワック氏は、ロシアのウクライナ侵攻の約1年前に、軍事大国が軍事小国を侵攻したら失敗する例を、「戦略のパラドックス」として解説している。

先ずルトワック氏は「大国・中国」が弱くなった理由をリーマンショック後の中国が実行した根本的誤りに求めている。

習近平はリーマンショックの後、経済力の規模がそのまま国力と勘違いした。

リーマンショックでアメリかが経済的ダメージを受けている間に、習近平は経済力でアメリカを抜き、世界一の経済大国になること目論んだ。

中国は、南シナ海、東シナ海をはじめ、日本、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、インドと領土をめぐる紛争を繰り返し、大規模な戦略である「一帯一路」ではパキスタンやスリランカの港の操業権を押さえ、アフリカの国々を負債漬けにするなど、国外に向かっても、その影響力を拡大しようとしている。

そして経済大国・中国が経済的小国を侵略するときは事前に経済的に縛り上げ、中国の意のままに従わせる。

この例として、ルトワック氏は「いきなり殴りつけておいてから、1万円札を出してお礼を要求するくらい間違っている」という。 

日本流に言えば「札束で頬を叩いて言うこと聞かす」だろう。

■戦略的国力

戦略の観点からみた「国力」とは総合力である。

それは単なる軍事力でもなければ、もちろん経済力でもない。 たとえば今日のイギリスのGDPはおよそ2兆8000億㌦で、イタリア(約2兆1000億㌦)を多少上回っている程度だが、その国際的影響力はおそらく10倍以上違うだろう。

その差は外交力、政治力、さらには「大国的精神」などによるものだ。

さらにルトワック氏は、大国が小国に勝てない理由として同盟国の支援を挙げている。

 
しかし実は、日本が単独で勝利したのではなく、5カ国の支援があってこその勝利だった事実が判明している。
 
その1カ国は「清国」だ。
 
日露戦争の戦場は清の東方部と領海内で、表面上は中立の立場を保ったが、東北部をロシア帝国から取り返したかった清は陰で日本を支援し、物資や情報を提供したと紹介している。

2カ国目は「日英同盟」の「英国」だ。
 
英国は1902年1月にロンドンで「日英同盟」を締結した。内容は、イギリスの清国における特殊権益と、日本の清国・朝鮮(大韓帝国)における特殊権益を相互に承認し、第三国と戦争となった場合、他の一方は中立を守ることを約した防御同盟であった。日本はイギリスとの同盟を背景に、日露戦争を戦い、イギリスは規定どおり厳正中立を守った。
 
英国は、清と同じく表面上は中立の立場を取っていたが、脅威を感じていたロシアをけん制するため、ロシア艦隊への補給を行わないという形で日本に便宜を図った。
3カ国目は「フランス」だ。 ロシアの盟友ながらロシアが力を付けすぎることを望まなかったフランスは、英国同様艦隊への補給をしないという形で日本を支援した。

4カ国目の「米国」は、太平洋での覇権を確立するために「強くない方を勝利させようとして」日本を支援することにした。日本が勝てば、太平洋で米国の地位を確立できるからだ。ポーツマス条約を仲介したのも米国なので、米国の貢献は大きかった。
 
5カ国目は「ドイツ」で、占領していた青島の領土を守るために、米国と同じく脅威にならない「弱いほうの日本」の味方になった。
 
■「同盟の戦略」と中国
 
腕力の強い「ジャイアン」が弱い仲間を虐める。 いじめられっ子たちが仲間を作ってジャイアンに対抗する。
 
これを、国際的には「軍事同盟」という。
 
「戦力論の観点」から『ラストエンペラー 習近平』の目玉になる部分を少し長くなるが引用しよう。
 
<・・・中国には「シーパワー」すなわち海軍力と、「マリタイムパワー」=海洋力の違いが理解できていない。これは中国が大陸国家であって、海洋国家でないことを示している。
 
海軍力とは戦艦の数やそのスペック(性能)、乗組員の能力や士気、統制の取れた運用などで決まるものだ。 つまりは、その国家がどのくらい海軍に投資できるかによっており、言い換えれば、その国の内部で完結できる話だ。
 
それに対して、海洋力とは、海軍力の上位にある概念だ。 それは自国だけでなく、他の国との力関係で決まるのである。
 
典型的な海洋国家であるイギリスの強さは、単に狭義の海軍力、船の性能だけによるものではない。 友好国との軍事、外交、経済、文化など総合的な結びつきの強さに基づくものだ。そうした関係からは、たとえば港湾施設の利用や燃料の供給、船舶の整備にはじまり、海や気象の情報や敵国の内情といったさまざまな情報など、有形無形の支援や協力がもたらされる。
 
よく知られた例だが、日露戦争でにバルチック艦隊はイギリスを敵に回したために、イギリスのコントロール下にある港を利用することができず、日本海にたどりつくのがやっとだった。 これが海洋力だ。
 
一方、海軍力とは、すべての武力がそうであるように、強大さを増すほど、周辺国に恐怖を与える。 中国がせっせと艦隊を巨大化させていくほど、周囲の国々はそれを嫌がり、自国の港に近づかないで欲しいと思うようになる。 つまり、中国は海軍力をつけた分だけ、海洋力を失っていったのである。
 
こうしてみると、海洋力とは「同盟の戦略」であることがわかる。
戦力のパラドックスのひとつに「大国は小国に勝てない」というものがある。
私はこれを繰り返し説明しているが、すぐに理解できる人は少ない。
大国の方がパワーがあり、一対一で戦えば勝てるに決まっているからだ。
 
戦略はスポーツではない。
一対一で戦わねばならない、というルールははどこにもないのだ。 前にも述べたように、大国と小国が衝突したとき、小国に味方する国が現われる。 
なぜななら、「次は自分が狙われるかもしれない」と考えるからだ。
 
別の大国も、「このまま大国が小国をのみこむと、さらに強くなり、あとあと厄介なことになる」と考えて、小国を支援する側に回る。

ここでも同盟がうまいのはイギリスでだ。

ヨーロッパを席巻したナポレオンを相手に、反仏同盟をつくりあげ、ワーテルローの戦いに勝利したのである。 その際に見事だったのは、どんな弱い国でも同盟相手として排除しなかったことだった。 「あんなちっぽけなところでも加えてもらえるのか」と、躊躇していた国が次々と参加してきたのである。>

 

現在進行中のウクライナ戦争で「NTОの東方拡大」を恐れたプチーんが犯したもう一つの誤算は、藪を突いてヘビを出したことだ。

これまで軍事大国と国境を接していた軍事小国のフィンランドが、従来の現状維持策」による微妙なバランスを破ってNTО加盟を決意したのだ。

高まるロシア脅威論 伝統の中立政策転換も―フィンランド

2022年04月03日14時18分

2日、フィンランド・ヘルシンキで行われたロシアのウクライナ侵攻に抗議するデモ(AFP時事)

2日、フィンランド・ヘルシンキで行われたロシアのウクライナ侵攻に抗議するデモ(AFP時事)

  • 【図解】フィンランド

ロシアの核搭載機が領空侵犯 スウェーデンで3月上旬―報道

 1917年にロシア帝国から独立したフィンランドは、第2次大戦中にソ連と2度にわたり戦火を交えた。最初の「冬戦争」(39~40年)では奮闘の末に独立を守ったものの、東部カレリア地方など国土の1割を奪われた。
 こうした歴史から、ソ連を刺激する政策を避け、冷戦終結後も米国主導のNATOに加盟しない道を選択。西欧民主主義に共鳴しながらも、対ロ関係も重視する中立の立場を貫き続けた。国民の意識としても中立の考え方は根付いている。
 ところが、ウクライナ侵攻で路線修正を求める声が強まっている。少数派だったNATO加盟支持は、2月の侵攻開始直後の世論調査で初めて過半数(53%)を記録。3月半ばには62%に達した。
 政府機関に勤務する首都ヘルシンキ出身のマティさん(60)は「歴史的経緯や地政学的な問題から、フィンランド人のウクライナ情勢への関心は非常に高い」と指摘。「人々は(ロシアの行動を)憂慮し、それが国の将来にどのような影響を及ぼすかを案じている」と語った。また、ヘルシンキ郊外の保育園勤務の女性は「ロシアに心を許してはならない」と述べ、「(侵攻されたら)もちろん戦う」と断言した。
 政府は慎重姿勢を保ちながら、NATO加盟論議を進めていく方針。ニーニスト大統領は3月半ば、「結論を出すのは代替策とリスクを分析してからだ。政策見直しは注意深く行う」と述べつつも、国の将来にとって「安全な解決策」を見つける必要があると強調した。
 一方、フィンランド安全保障情報庁は声明で、NATO加盟の政策決定に影響を与えようと、ロシアがさまざまな試みを仕掛けてくる可能性があると言及。サイバー攻撃を含む介入に警戒を呼び掛けた。

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チャーチルの言葉 「戦争は数だけで勝てたことはほとんどない」。

2022-04-23 16:29:58 | 資料保管庫

 

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2022年2月24日、軍事大国ロシアが軍事小国ウクライナ侵攻を開始し、ウクライナ戦争が始まった。ほとんどのロシア研究の専門家がプーチンの「合理に欠けるウクライナ侵攻」を想定しておらず、「プーチンは気が狂った」などと、プーチンの精神状態に責任転嫁した。 だがプーチンは狂ってはおらず、プーチン独自の大義でウクライナを侵攻していることが判明している。

ただ、プーチンがウクライナ侵攻で犯した最大の誤算は、軍事大国ロシアは、侵攻後数週間でウクライナの首都占拠は成功すると目論んでいたことだ。 

だが、実際は軍事小国ウクライナの想定外の善戦や、NTО諸国の支援もあって侵攻後2カ月近く経っても未だ決着はついていない。

仮にプーチンが想定通りウクライナを数日間で陥落させていたら、同じ独裁国の中国が台湾侵攻の「予行演習」として大いに参考にしただろう。

プーチンのウクライナ侵攻が欧米諸国の批判を浴びて、ウクライナ陥落に難渋している現状に一番落胆した国は同じ軍事大国の中国だと言われている。

ロシアのように軍備、つまり武器弾薬などの数さえ多ければ軍事小国を容易に制圧できる例は少ない、と「数の論理」に異論を唱えたのが第二次大戦の英雄で軍人から首相に成ったイギリスのチャーチル首相である。

チャーチルの言葉に次のような名言がある。

戦争は数だけで勝てたことはほとんどない。質、意志の力、地理的優位性、天然・財的資源、海洋支配、そして何よりも数百万人の心の中にある人間のスピリットを呼び覚ます大義、これらが決定的な要因になることが人類史で証明されている

第二次大戦の英雄チャーチル首相が、約75年後のロシアのウクライナ侵攻を予知していたとは思わないが、ロシアのウクライナ侵攻の約1年前、「大国は小国には勝てない」とする「戦略のパラドックス」を発表。まるでウクライナ戦争を予見したような人物がいる。

2021年7月20日発行の『ラスト・エンペラー 習近平』の著者・エドワード・ルトワック氏のことだ。

ホワイトハウスの国家安全保障会議のメンバーを歴任したルトワック氏の「戦略のパラドックス」については次回紹介する。

 

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翁長元沖縄県知事率いる亡国集団の東京行動行動

2022-04-20 05:24:14 | 資料保管庫

 

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ブラックアウト アメリカ黒人による、“民主党の新たな奴隷農場"からの独立宣言  単行本¥2,530

 
発売前重版に続き、3刷重版4月22日出来!

これは、米国政治のキャスティング・ヴォートを握る黒人たちに突きつけられた「保守」からの革命の書だ!

「差別されている! 」といくら泣き叫ぼうと、自分の未来は変えられない。
米・民主党からエサを与えられ、尻尾を振って投票する「奴隷農場(プランテーション)」から抜け出して(ブラックアウト)、自分の能力と可能性に気づき、本当の自由を手に入れよ、と呼びかける衝撃的な内容。「新たな奴隷制」からの解放を訴える圧巻の独立宣言。
ブラックアウトがなされた後、アメリカはもう一度復活する!!

間違いなく今後の米国史を動かし、やがて21世紀の革命家と称されるであろう
黒人女性の記念碑的処女作
日本の若き女性国士にして、最も勇気あるジャーナリスト・我那覇真子(がなはまさこ)を翻訳者に迎え、ついに運命の邂逅(かいこう)。
あなたの知らない「本当のアメリカ」、そして「アメリカが正義と力(パワー)を回復するために進むべき道」がここに示されている。
本書を読まずして、今後の日米関係は一切語れない。

原著:『BLACKOUT HOW BLACK AMERICA CAN MAKE ITS SECOND ESCAPE
FROM THE DEMOCRAT PLANTATION』 は、全米で50万部突破の大ベストセラー!
その待望の翻訳書。著者は2022年11月の米国中間選挙で共和党の勝利が
実現すれば、2024年トランプ復帰で入閣も、さらにその先は大統領候補としても期待される逸材です。

目次
■巻頭特別インタビュー■
訳者・我那覇真子による、著者・キャンディス・オーウェンズへのインタビュー
ラリー・エルダー(弁護士・作家)による序文

 

米軍基地撤去は不可能と知りながら、東京で反対行動を指揮した翁長元知事。

その際、翁長氏の言動に疑問を持った中山石垣市長と「米軍基地に反対するのは補助金を得るための方便」と言う意味の「裏確認書」を交わしていた。

結局、翁長前知事とその後継者のデニー現知事は県民を騙していたことになる。

 

オスプレイ撤回要求 東京で反対集会

 オスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会は27日午後、東京都の日比谷野外音楽堂で、配備撤回を訴える東京集会を開いた。28日の政府要請に合わせ、実行委のほか県内全41市町村長(代理を含む)、議会議長、県議ら約150人が沖縄から東京に赴いた。沖縄の本土復帰後、最大規模の東京行動となっている。集会と要請で日米両政府に対し、米軍普天間飛行場の県内移設断念も訴える。(集会の全録画を本HPで公開)

 集会には沖縄からの要請団のほか、本土在住者でつくる県人会や、学生、一般在住者、反基地団体メンバーらが結集し、会場を埋めた。
 壇上で、主催者を代表して喜納昌春共同代表(県議会議長)があいさつ。市町村代表として翁長雄志県市長会長、城間俊安県町村会長、永山盛廣市議会議長会長、中村勝町村議会議長会長が登壇した。
 その後、平良菊県婦人連合会長が、両政府への建白書(要請書)を読み上げ、「危険な飛行場に、開発段階から事故を繰り返し、多数に上る死者を出している危険なオスプレイを配備することは、沖縄県民に対する『差別』以外の何ものでもない」と強調。その上で、オスプレイ配備の即時撤回、今年予定されている新たな12機の普天間配備中止、嘉手納基地へのCV22オスプレイ配備計画撤回、普天間飛行場を閉鎖・撤去し県内移設断念―を日米両政府に求めた。
 参加者は集会後、銀座をパレードし、沖縄の訴えをアピールする。



二十七日に沖縄の「ゆすりたかりの亡国集団」が行う東京集会は日比谷公園内の野外音楽堂で十五時から三千人の動員を目指すという。そしてその後は「銀座パレード」(デモ行進)を行う。

しかし沖縄から上京するのは144人であり、残りの約2900人は日本全国から集結する極左集団である。

それはこの集会の「呼びかけ人」の名簿を見れば一目瞭然である。

この呼びかけ団体であるオスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク」のホームページがある。

 

そこには、呼びかけ団体と呼びかけ人のリストが記載されている。

つまり、「オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク」の構成団体です。

<呼びかけ団体>
フォーラム平和・人権・環境/沖縄意見広告運動/原子力空母の母港化に反対し基地のない神奈川をめざす県央共闘会議/ピースボート/沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委員会/全国労働組合連絡協議会/日韓民衆連帯全国ネットワーク/ピース・ニュース/アジア共同行動日本連絡会議/ジュゴン保護キャンペーンセンター/許すな!憲法改悪・市民連絡会/本郷文化フォーラムワーカーズスクール/すべての基地にNOを・ファイト神奈川/相模補給廠監視団/平和をつくる大和市民の会/厚木基地を考える会/非核市民宣言運動ヨコスカ/戦争反対・平和の白いリボン神奈川/ヨコスカ平和船団/辺野古への基地建設を許さない実行委員会/JUCON(沖縄のための日米市民ネットワーク)/ゆんたく高江/金城驍(東京沖縄県人会)/島袋徹(東京沖縄県人会)/平良愛香(牧師)/川平朝清(東京沖縄県人会名誉会長)/沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック/伊達判決を生かす会/協同センター・労働情報/NO!レイプNO!ベース女たちの会/日本山妙法寺/9条改憲阻止の会/反安保実行委員会/うちなんちゅの怒りとともに!三多摩市民の会/サークル"ジョアン・川崎"/立川自衛隊監視テント村/<語やびら沖縄>もあい練馬/ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)/『バスストップから基地ストップ』の会/ピースサイクル首都圏ネットワーク/沖縄文化講座/ATTAC Japan(首都圏)

 

<呼びかけ人>

雨宮処凛〈作家・活動家〉
伊藤 真〈弁護士・伊藤塾塾長〉
上原成信〈沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック〉
上原公子〈元国立市長〉
内田雅敏〈弁護士〉
尾形 憲〈法政大学名誉教授〉
加藤登紀子〈歌手〉
鎌田 慧〈ルポライター〉
古今亭菊千代〈落語家〉
椎名千恵子〈原発いらない福島の女たち〉
ジャン・ユンカーンマン〈映画監督〉
辛 淑玉〈人材育成コンサルタント〉
高橋哲哉〈哲学者・東京大学大学院教授〉
俵 義文〈「子どもと教科書全国ネット21」事務局長〉
新倉裕史〈非核市民宣言運動・ヨコスカ〉
野平晋作〈ピースボート共同代表〉
花輪伸一〈JUCON(沖縄のための日米市民ネットワーク)世話人〉
藤本泰成〈「フォーラム平和・人権・環境」事務局長〉
渕上太郎〈経産省前テントひろば〉
マエキタミヤコ〈サステナ代表〉
前田哲男〈ジャーナリスト〉
森 達也〈 作家・映画監督〉
森口 豁〈ジャーナリスト〉
若森資朗〈パルシステム生協連合会前理事長〉
渡辺美奈〈「女たちの戦争と平和資料館」(wam)事務局長〉

なんとも香ばしい魑魅魍魎の面々ではないか!

 

しかし、残念ながらその後行われて沖縄県知事選で、翁長氏は現職の仲井真知事に大差で勝利。 念願の沖縄県知事の座を手中にした。

翁長氏が嘘も方便で吐いた「あらゆる手段で辺野古訴」と言う大嘘は現在も後継者のデ二ー知事に引き継がれ、県民を騙し続けている。

               ★

「頑張れ日本」はこれに対抗し、「『オスプレイ配備反対』に見せかけた亡国集団パレード糾弾!抗議街宣行動」を実施、集会会場付近やデモ隊通過地点で、この勢力に対する非難の声を上げます。

                ☆

東京、及び東京近郊にお住まいの方への呼びかけ!

万障お繰り合わせの上参加を!

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■1.27「オスプレイ配備反対」に見せかけた亡国集団パレード糾弾!抗議街宣行動

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「軍の命令」を否定していた金城重明氏の証言「陶酔が集団自決をもたらした」、

2022-04-19 12:37:30 | 資料保管庫

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陶酔が集団自決をもたらした、金城重明氏の証言2011-02-19   

沖縄タイムスが沖縄戦に関して多くのデマを流し沖縄戦を歪曲したことを書いてきた。

沖縄タイムスの歴史歪曲の罪は大きい。

『うらそえ文藝』が、過ちを訂正して謝罪せよと告発に踏み切ったのは、良識ある県民の意志を肌で感じたからであろう。

タイムスの沖縄戦歪曲を象徴する報道が二つある。

一つは1950年(昭和25年)に出版された『鉄の暴風』。

もう一つは『鉄の暴風』発刊の20年後、1970年3月27日付沖縄タイムス社会面を飾った衝撃的記事である。

戦後一貫して沈黙を守っていた渡嘉敷島、座間味島の両隊長が、「自決命令をしていない」と積極的に発言し始めるのは、実はこの1970年の記事以降のことである。

勿論梅澤氏は「鉄の暴風」の1980年改訂版発刊までは、死亡とされていたので、梅澤氏の発言と赤松氏の発言には凡そ10年のタイムラグがある。

『鉄の暴風』については、多くの研究者がそのデタラメな内容を論じ尽くしているのでここでは省略し、今から約40年前の1970年3月27日付沖縄タイムス記事について触れる。

1970年3月27日といえば、大江健三郎氏の『沖縄ノート』も曽野綾子氏の『ある神話の背景』もまだ発刊されておらず、『鉄の暴風』が沖縄戦のバイブルのようにいわれて時期である。

その日は渡嘉敷島で25回目の戦没者慰霊祭の当日で、沖縄タイムスは、前日の26日、慰霊祭に参列のため那覇空港に降り立った渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次氏と空港で待ち受けた約40名の「抗議団」とのトラブルを大きく報じている。

その日の沖縄タイムス社会面トップを飾った大見出しはこうだ。

忘れられぬ戦争の悪夢

<赤松元海軍大尉が来島>

空港に“怒りの声”

抗議のプラカードを掲げた抗議団。 それに取り囲まれた赤松氏の写真と共に、タイムスは約40名の抗議団の赤松氏に対する「怒りの声」を報じている。

 
I「忘れられぬ戦争の悪夢  <赤松元海軍大尉が来島>  空港に“怒りの声”」の画像検索結果

 

赤松元陸軍大尉のことを、「元海軍大尉」と大見出しで報じる沖縄タイムスの無知は笑止だが、それはさておき、その記事から「県民の声」を一部拾うとこうなる。

「赤松帰れ」

「今頃沖縄に来てなんになる」

「県民に謝罪しろ」

「300人の住民を死に追いやった責任をどうする」

慰霊祭には出てもらいたくない。 あなたが来島すること自体県民にとっては耐えがたいのだし、軍国主義を全く忘れてしまったとしか思えない。 現在の日本の右傾化を見ろ」

この紙面構成を見ると、読者は「鬼の赤松の来県に抗議する渡嘉敷島の住民」という印象を刷り込まれてしまう。

わずか40名の左翼団体の抗議を、あたかも県民代表あるいは渡嘉敷住民であるかのように報じた沖縄タイムスは沖縄戦を歪めた首謀者であり、その罪はきわめて重い。

実際の抗議団は那覇市職労を中心にした左翼団体であり

赤松氏に抗議文を突きつけたのも渡嘉敷村民ではなく那覇市職労の山田義時氏であった。

肝心の渡嘉敷村は赤松氏の慰霊祭出席を歓迎しており、村民を代表して玉井喜八村長が出迎えのため空港に出向いていたくらいだ。

「うらそえ文藝」編集長の星雅彦氏は、偶々そのときの那覇空港の「騒動」の一部始終を目撃していた。

結局赤松氏は那覇に足止めを食い、赤松氏と同行の元部下たち一行は那覇市松山の大門閣ホテルに一泊し、翌27日、船で渡嘉敷に向かうことになるが、星氏は同じ船に便乗し慰霊祭にも参加した。

星氏は偶然目撃した前日の空港での左翼団体の暴挙と、これを県民の意志であるかのように報道する地元マスコミの姿勢をみて、

沖縄で流布する集団自決の「定説」にますます疑問を持つようになったという。

星氏は元赤松隊一行と共に渡嘉敷に向かうが、船の中で赤松隊一行は持参の経文の書かれたお札のようなものを広げてずっとお経を唱え続け、渡嘉敷港が近づくと持参の花束とお経のお札を海に撒いていた。

慰霊祭の最中に「赤松が上陸する」との知らせを受け、マスコミと「民主団体」が現場に飛んで行ったが、赤松氏は個人で舟をチャーターして島に接岸したが、結局島民に弔文と花束を託して上陸することなく島を去ったという。

■沖縄戦史を歪曲した記事■

1970年3月27日のタイムス記事は、以後沖縄戦史を「タイムス史観」ともいえる歪な方向へ県民を扇動ていくマイルストーン的役割りを果たすことになる。

先ず、この記事を見た県民は、

住民に自決を命じ、自分はおめおめと生き残った卑劣な鬼の赤松隊長を追い返す渡嘉敷住民

といった印象を強烈に刷り込まれることになる。

またこの記事を見た大江健三郎氏は作家としての想像力を強く刺激され、本人の述懐によると『鉄の暴雨風』などによる沖縄戦の即席勉強と共に、新川明氏らタイムス記者のブリーフィングで得たにわか仕込みの知識で、現地取材をすることなく、作家としての想像力を駆使して「沖縄ノート」を書くことになる。

戦後起きた沖縄戦のセカンドレイプともいえる第二の悲劇は、まさに『鉄の暴風』に始まり、

「1970年3月27日付タイムス記事」によって決定的になったいっても過言ではない。

そのときの記事には、金城重明氏が首里教会の牧師という肩書きでマスコミに初登場して証言しているが、

金城氏はその後、集団自決の証言者の象徴として、マスコミ出演や著書出版、そして全国各地の講演会などで八面六臂の活躍をするのは周知のことである。

 

宮城晴美氏は過去に発刊した自著によって論破されるという世にも奇妙な論文を書いて大方の失笑をかったが、過去の新聞記事の発言で自分が論破されるという点では、金城重明氏も負けてはいない。

以下は続・39年前の金城重明氏の証言を加筆したものである。

■殺人者の陶酔--39年前の金城重明氏の証言■

今を遡る39年前、曽野綾子氏の『ある神話の背景』が発刊される3年前のこと。

金城重明氏は沖縄タイムスのインタビュー記事で、記者の「集団自決は軍の命令だ」との執拗な誘導質問を拒否し、心の内を正直に語っている。

米軍の無差別な艦砲射撃を受け、肉親殺害に至る心理を、

一種の陶酔感」に満ちていたと証言している。

「ランナーズ・ハイ」とは聞いたことがあるが、まさか「キラーズ・ハイ」(殺人者の陶酔)が世の中に存在するとは氏の証言で初めて知った。

その状況を「異常心理」だと正直に認めながらも、一転して「あの光景は軍部を抜きにしては考えられないことだ」と強弁する矛盾に、

贖罪意識と責任転嫁の狭間で揺れる心理が垣間見れる。

後年、訴訟が起きるとは夢想もしなかったのか、正直に心の内を吐露してはいるが、当時から金城氏にとって「軍命」とは一生叫び続けねばならぬ免罪符であったのであろう。

ちなみに金城氏は、後に沖縄キリスト教短大の教授、そして学長になるが、当時は一牧師として証言している。

1970年3月27日付沖縄タイムス

集団自決の生き残りとして

ー牧師となった金城重明さんの場合ー

記者:当時の状況はどうでしたか。

牧師:わたしは当時16歳だったが、当時のことはよく覚えている。しかし、あくまで自分の考えていたことと自分のやった行為だけだ。

記者赤松大尉が村民に自決を命じたといわれているが。

牧師直接命令を下したかどうかはっきりしない。 防衛隊員が軍と民間の連絡係りをしていたが、私の感じでは、私たちの間には生きることへの不安が渦まいていた.。 つまり敵に捕まったらすごい仕打ちを受けるとか生き恥をさらすなというムードだ。 そして戦況も、いつか玉砕するというところに少なくとも民間人は追いこまれていた。

記者自決命令についてはどう思うか。

牧師:わたしの感じでは、離島にあって食料にも限界があったし、民間人が早くいなくなればという考えが軍にあったように思う。 しきりにそうゆうことがささやかれ、村民の中では、足手まといになるより自決して戦いやすくしたら・・・ということがいわれていたし、こうした村民の心理と軍の命令がどこかでつながったか、はっきりしない。

記者:自決命令は別として西山盆地に集結させたのは軍の命令ですか。

牧師:わたしたちは阿波連にいたが、とくに集結命令というものはなく、人づてに敵は南からくるもので北部に移らなければならないということがいわれた。 事実、米軍の攻撃も南部に集中し、南部は焼け野原になっていた。 二日がかりで西山についた。

記者:村民の集結から自決までの間が不明だが。

牧師:集結した村民は米軍の攻撃にさらされ、絶望のうちに一種の陶酔が充満していた。軍部もすでに玉砕したというのが頭にあった肉親を殺し、自分もしぬという集団自決がはじまった。今にして思えば、まったくの異常心理としかいいようはないが、とにかくあの光景は軍部をぬきにしては考えられないことだ 私自身母親や兄弟を兄弟を殺し、自分も死ぬつもりだったが、どうせ死ぬなら敵に切りこんでやれということで米軍のいる方向へむかった。 しかし、そこで玉砕したはずの日本軍が壕にたてこもっているのをみて、なにか悪夢から覚めたようになった。 この壕は赤松大尉がずっとたてこもり村民を近づけなかったところで、住民を保護すべきはずの軍隊が渡嘉敷では反対になっていた。はっきり言って、沖縄戦で最初に玉砕したのは渡嘉敷であるが、日本兵が最後まで生き残ったのも渡嘉敷であった。(略)

(1970年3月27日付沖縄タイムス)

                   ◇

1970年当時、金城氏は「西山盆地に集結したのも軍命ではなかった」と正直に証言している。

ところが後年、裁判が起きると、「西山盆地に集結したのは軍命である」と前言を翻し、さらに「手榴弾軍命説」が破綻すると、今度は「西山盆地に移動させたのが自決命令だ」と、とんでもない詭弁を弄すことになる。

沖縄人は概して時間にルーズであり、集合時間にもなかなか集まらないとは良く聞く話だ。

沖縄人の習性を熟知する村役人が、何事かを村民に指示するとき「軍命」を借用して村民に敏速な行動を促したことは容易に想像できる。

同じ「軍命」でも「○○に集合」程度なら、軍から直接聞かなくとも(現場に軍人がいなくとも)村役人よりの伝聞のみで容易に「軍命」に従うだろう。

だが、「自決せよ」という生命に関わる重大な「軍命」に対して、伝聞やウワサだけで、発令者の臨場もなく自主的に実行できるものだろうか。 先生の臨席しない「自習」は「遊び」と昔から相場は決まっている。

■死者の命令で肉親を殺害する不可解■

軍命による村民の自決とは、どのような状況が考えられるか。

銃剣で装備した軍人に囲まれた村民が、自決拒否や逃亡をすれば直ちに銃殺されるような状況に追い込まれたのなら、やむなく自分で自分の命を断つことも考えられる。

だが、渡嘉敷島の集団自決は、自決実行の現場に隊長は勿論、自決を強制する軍人の姿はない。

それどころか、自決実行の際は、金城氏は「軍部もすでに玉砕した」というのが頭にあった。

だとしたら自分の生命に関わる重大な「軍命」を下した命令者は、自決実行の際すでに死んでいると思われていたことになる。

既に死んでしまった人の命令を厳守して「親兄弟を殺害する」のはいかにも不自然ではないか。

自分がパニック状態による「まったくの異常心理」で肉親を殺害しておきながら、

「とにかくあの光景は軍部をぬきにしては考えられないことだ」と強弁するのは責任転嫁もはなはだしい。

くり返していう。 命令を下したとされる軍部は「既に玉砕している」と考えられていた。

金城氏の証言に従うとすれば、集団自決した住民達は、「既に玉砕している軍部」、つまり既に死んだと思われている軍人の命令で死ぬほど、愚かだったというのであろうか。

インタビューした記者は「軍命」を何とか引き出そうと、次のような核心を突く質問を連発している。

「赤松大尉が村民に自決を命じたといわれているが」

「自決命令についてはどう思うか」

だが、軍命を直接軍から聞いた者は一人もいない。

結局、軍命による集団自決はウワサであり、伝聞であり、幻であった。

■金城兄弟は父親殺害を隠していた■

もう一つ疑問がある。

金城重明氏は早い時期から母親と兄弟を殺したことは告白していながら父親を殺害していたことを長期間隠していた。(去年になってジャーナリスト鴨野守氏が金城氏が隠蔽していた父親殺害を暴きだしている)

沖縄紙が報じない金城重氏の闇の部分

多くの証言によると、自分で自分の命を断つことのできない女子供は父親や祖父などの年長者が手を下したという。

だが、金城兄弟の場合未成年の重明、重栄兄弟が壮年の父親を殺害した他に類を見ない例である。

やはりこれは、本人が吐露するように「キラーズ・ハイ」ともいえる「異常心理」が働いたのであり、これを軍命だと強弁しても誰も信じるものはいない。

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続・「WiLL10月号 沖縄集団自決裁判…暴かれた援護法のカラクリ

2022-04-19 11:27:36 | 資料保管庫

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続・「WiLL10月号 沖縄集団自決裁判…暴かれた援護法のカラクリ2020-01-25

 

「WiLL10月号 沖縄集団自決裁判に画期的判決
「琉球新報」「沖縄タイムス」の大罪」の続編です。

「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 
「集団自決 will  上原正稔」の画像検索結果

 


暴かれた援護法のカラクリ

 江崎:準軍属の身分を与えるため、積極的な戦闘参加という条件と軍命の捏造とのカラクリは、出来上がるまで数年の期間がありました。

 まず、沖縄の援護課から遺族の申請を厚生省に出す。しかし、厚生省の担当部局から「これでは戦闘協力が消極的だ」と審査課から突っ返される。その時、「当時の戦闘状況から、××のような項目に当てはまることがあったのではないか、あったらそのように現認証明を添えて申請し直してくれ」と返してくる。

 つまり、積極的な戦闘協力と認められるというのは、「軍の命令によって云々」と申請することだったのです。政府主導でもって、ありもしなかった軍命をでっちあげた

 鴨野:援護法の問題の実態が暴露されにくいのは、お金をもらっているからでしょう。自分の父親は軍命で自殺したわけではないが、軍命を言わないと給付がもらえなかった。これを暴露してなお、お金をもらうことはできない。だから、当事者はわかっていても沈黙しているという面があると思います。

 江崎:その心理はよく理解できます。しかし、黙して語らないなら許せますが、たとえば米軍上陸の知らせを聞いて、兄と一緒になって家族のみならず村人まで手にかけ、戦後、牧師となった金城重明みたいに赤松隊長の名前を挙げて責任を転嫁するのは許せない。貧乏ななかで嘘をついてお金をもらう。みんなやっているし、共同工作もした。やむを得ないことだったとしたら、手を合わせながら過ごせばいい。ところが、「アイツ(軍)のせいで自決した」と責任を転嫁し、悪者扱いする。そこが問題なのです
(※参考:陶酔が集団自決をもたらした、金城重明氏の証言

 上原:渡嘉敷村の古波蔵惟好村長が、「最初に私が手本を見せる」と言って、宮城に三顧の礼、天皇陛下万歳をやって手榴弾のピンを抜いた。しかし不発だった。次に真喜屋元校長が、「じゃあ、私が見せる」と言って爆発した。それでみんな「私も殺してください」と続いていったわけです。

 このことを一番詳しく知っているのは金城武徳さんです。金城武徳さんは、その現場には金城重明はいなかったと言っている。金城重明は嘘ばっかり並べていて、彼の証言を集めるとみんな違っている。誰かが書いたものを都合のいいように解釈するからです。いまはわずか5、6歳の子供の証言もあるといっている


 集団自決問題のなかで、もっとも見苦しくて恥ずかしい人間でしょう。


沖縄二大紙のデマと捏造

 江崎:集団自決問題は、沖縄の新聞メディアが必死になって、時にデマを使って自分たちの声を大きくしています。上原さんの件もそうですし、他にも1970年に赤松元大尉が沖縄に来られた時に、新聞は、沖縄県民が怒りの拳を振り上げて「出ていけ」と言ったように書いた。しかし調べてみると、あそこにいたのは全て市役所の職労なんです。

 鴨野:当時、渡嘉敷村村長だった玉井喜八さんは遺族会誌でこの事件に触れ、「文献では自決命令云々と書かれているが、生き残った人々は各自異なった体験を語っている」とし、軍命を否定している。そして、「『赤松帰れ』と叫んだ者は皆、村民以外の民主団体だ」とも断じています。
(※参考:渡嘉敷島玉井村長の手記、沖縄タイムスが報じない

 極めつきは、昭和53年の33回忌に赤松さんの奥さんを呼んで、遺族会と元隊員と合同で慰霊祭を行った。その際、奥さんと住民が親しく交流していたことが、赤松さんに対する何よりの慰めだったと語っています。もし赤松さんが自決命令を出し、自分の家族を殺していたとしたら、住民が歓迎するわけがない。

 しかし、『鉄の暴風』で自決命令が登場し、生き残った人も援護法の兼ね合いで赤松や座間味の戦隊長だった梅澤が悪いと言う。そうやって重なっていき、社会に定着していった。タイムス、新報としては、その捏造を守らないといけないから、異を唱える人を排除する。星さんと上原さんはそれを身をもって体験された


 星:このような新聞社、マスコミにどう対応すべきですか。言論弾圧や封殺に対し、私たちはどう戦えばいいんでしょうね

 江崎:上原さんが行った訴訟は、一つの突破口でしょう。

 上原:僕が裁判に負ける要素は全くなかった。しかし重要なのは、僕が勝つことではないのです。赤松さんと梅澤さんの汚名を晴らすことができるかどうかが鍵なんです。

 江崎:繰り返しになりますが、新聞は自治労、沖教祖、大学の左翼の声を拡大させているだけなのです。沖縄二紙がパッと騒いで、他のメディアもワーッとついていき、それが沖縄の声だと勘違いしてしまう。

 鴨野:世論をコントロールしている人は一部の人。しかし、それらの新聞は、両方とも20万近い読者を抱えているのだから、厄介です。

 星さんや上原さんは沖縄に住みながらの言論活動です。当然、沖縄に住む友人がたくさんいるでしょう。そのお付き合いしている人や会社に対して、「おかしい」と疑義を呈しているわけです。沖縄という小さなコミュニティーのなかで孤立するかもしれないし、仕事がなくなうrかもしれない。そういう意味で、沖縄の体制派の言論人からみたらとんでもないインパクトがあると思います。

 江崎:しかもこれまでタイムス、新報とつきあっていたわけですからね。無難に原稿を書き続けていれば、社会的地位も安泰だし、収入もそれなりにある、友人関係も崩れずにやっていけるのに、あえて全部叩きつけて、喧嘩を売って意見も発表する場所もないような状況になる。その勇気はすごい。


八重山日報の孤軍奮闘

 上原:これまでに協力してくれたのは、ほんのわずかの人たちです。世界日報と八重山日報、そして江崎さんのブログ「狼魔人日記」くらいです。

 江崎:よく「新聞に書いているものを真っ向から否定して大丈夫か」「営業妨害で訴えられるんじゃないか」と言われますが、何も空想で書いているわけではない。全てネタをキチンと持って書いていますから平気です。最近では、新聞記者の実名も挙げて書いています。

 最初は罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられましたよ。お前はニセ沖縄人だ、沖縄人がそんなことを言うはずがない・・・しかし段々減ってきて、いまではたまにあるくらい。ブログは日に大体1万人、テーマを絞った場合は2万人もアクセスがある。それだけの読者がいるわけです。

 星:沖縄戦で、軍民あわせて18万の犠牲者が出たと言われています。住民と日本軍の数を比べると、住民のほうが若干多い、とも言われています。それだけ夥(おびただ)しい軍民が沖縄戦で犠牲になった。

 その死んでいった人たちを、まるで軍の強制だけによって死んでいった、と先入観を持った解釈をしてしまうのでは、あまりにも沖縄戦の真相から乖離しています

 集団自決のなかで、自ら死んだことを美しい物語にしようなどとは毛頭思っていない。どれが虚構で捏造なのか、頭を冷やして考えてみるとよい。彼らの多くが、当時の殉国の思想で自決した人たちだと理解している。我々がいま平和でいられるのは、戦史した軍民のおかげだと考えることもできる。これから意図的に歴史を捏造するのではなく、イデオロギーに偏向せずにきちんとした歴史(認識)をしなければなりません



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沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/
「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』星雅彦氏 上原 正稔氏
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/75/
鴨野氏の裁判への多大な貢献に感謝http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/41/
大田昌秀 『集団自決写真』の嘘(狼魔人日記)
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/74e0dbd42fb16e46b5501e173df8c95f
沖縄タイムスは腹を切って詫びよ!星雅彦氏と上原正稔氏の対談(狼魔人日記)
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/67263ffd966721fdb0f6de46dccfb9ae
星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ(狼魔人日記)
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/d0dd592e7047950f93ce2b5e6c5fe96b
パンドラの箱掲載拒否訴訟、琉球新報の言論封殺(狼魔人日記)
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/af94ca0aae346c9c78fe864d96e6d484
大江健三郎と大田昌秀の大嘘!(狼魔人日記)
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/700ae20bc474991b427eca1f98ce10b8
集団自決の軍命はなかった・今まであったと考えていた星雅彦氏と上原正稔氏が沖縄集団自決の真実を会見・地元文芸誌が特集・沖縄タイムスと琉球新報は自主廃業しろ・教科書を改めよ!凄絶極めたサイパン・沖縄戦(正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/40904986.html
沖縄公文書に見る渡嘉敷島集団自決の実相(阿比留瑠比さんのブログ)
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/426052/
上原正稔から琉球新報へ(上原正稔日記)
http://blog.goo.ne.jp/uehara-shonen/s/%BD%B8%C3%C4%BC%AB%B7%E8
慶良間で何が起きたのか⑥ ―人間の尊厳を懸けた戦い― 上原 正稔 投稿 · 2012年5月(八重山日報)
http://www.yaeyama-nippo.com/2012/05/01/慶良間で何が起きたのか⑥-人間の尊厳を懸けた戦い-上原-正稔/

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