狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

【教科書問題】左翼学者の「すり替え論」

2007-11-25 08:04:54 | 教科書

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今朝(25日)の琉球新報オピニオン面の読者の「声」欄。

基地と平和は矛盾  那覇市 Iさん(83歳)

軍命か否か、今問題になっている慶良間の集団自決は、日本軍がこの島にやってこなければ起こるわけわなかった。 なにゆえに、日本軍が行った事実を隠そうとするのか。 9.29県民大会に終結した11万人の県民は、怒りのこぶしを突き上げた。  しかし、彼らとて好き好んで住民を自決に追いやったわけではなかった。  その背景には戦争があった。(以下略)

                     ◇

上記Iさんの「声」を読んで、「軍命有り派」の指導者・林博史国学院大学教授の「すり替え論」が脳裏をよぎった。

林教授の「すり替え論」に触れる前に、上記Iさんの「声」を勝手に弁明しておくと、Iさんにとって「軍命の有無」は左翼学者とは違って、最初から大した問題ではなかったのだろう。 

つまり、反戦平和の立場にあれば当然日本軍は否定すべきであり、その「日本軍がこの島にやってこなければ集団自決なんて起こるわけわなかった」のだ。

文面から見て「反戦平和主義者」らしいIさんにとって小さな島で起きた「軍命有無」論争なんかはどうでも良く、

その背景にある「戦争の当否」こそ問題であるのだ。 

勿論「教科書にウソを書いてはいけません」には賛意を示したからこそ9・29県民大会にも参加し、怒りのこぶしを突き上げただろう。

 

で、林教授が自著『沖縄戦と民衆』の引用が文科省調査官の「教科書検定意見」の根拠になったということに怒りの発言をしたことは当日記で再三取り上げた。(林教授の理屈は「画一的教条論」

2006年教科書検定で、文科省は沖縄の「集団自決」での軍命について、林教授の著書『沖縄戦と民衆』での、

「兵器軍曹が手榴弾を2個づつ配り、いざというときはこれで自決するよう指示した(中略)なお赤松隊長から自決せよという自決命令は出されていないと考えられる」という1行の記述でもって、軍命がなかった事の根拠の一つに採用したとされている。

これに対して林教授は、この渡嘉敷島の集団自決についても軍命はなくとも日本軍の強制である事、

自著全体で何度も「集団自決」とは日本軍の強制性はあると記述しているのであり、

文科省の検定は「ある1行だけをつまみ食いされて全部の根拠にされている」「非常に恣意的でひどい検定」と反論している。

この「ある1行だけつまみ食い・・・」を見て、一瞬、係争中の裁判被告側証人・宮城晴美氏の苦しい弁明とイメージが重なった。

宮城氏は、相手側(原告)の証拠として提出された自著『母の遺したもの』に関し「自著が誤解されている」と苦しい証言をしていた。

軍の命令がなかったことを一番承知しているのは宮城氏であり、林教授であることはこれまでの彼らの苦しい弁解に現れている。

当初の渡嘉敷島、座間味島の「両隊長の命令の有無」で戦ったのでは勝ち目が無いと判断し、

「軍命の有無は問題で無い」

「日本軍という組織全体が、あるいは日本軍によって指導された当時の日本国家体制全体が住民をそこに追いやったんだ」

と、問題を限りなく拡大し、最後は「戦争をしたのが悪い」と論点を摩り替えられたら、もはや焦点がぼけて議論にはならない。

これは「戦争か平和か」と議論をすり替えたに等しい。 

                      ◇

これまでの林教授の発言を拾ってみると、

調査官の意見の根拠とされた著書の作者の反論
 『沖縄戦と民衆』の著者・林博史氏(関東学院大学教授)

・「著書では(『集団自決』は)日本軍の強制と誘導によるものであることを繰り返し強調している。これが検定の理由にされているとしたら心外だ」(「沖縄タイムス」6月17日付)

・「私は、著書の中で1つの章を『集団自決』にあて、その中で『日本軍や戦争体制によって強制された死であり、日本軍によって殺されたと言っても妥当であると考えるとの認識を示したうえで各地域の分析をおこない、渡嘉敷島のケースでは『軍が手榴弾を事前に与え、『自決』を命じていたこと』を指摘している」(同10月6日付に掲載された意見から抜粋)

 [「集団自決」を考える](20) (沖縄タイムス2005年7月4日) 
(20)識者に聞く(3)
林博史関東学院大教授

命令有無こだわり不要
前提に「逆らえない体制」

 ―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。

 「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」略)

冒頭に掲げたIさんの「声」と論旨が重なることが分かる。

Iさん⇒「その背景には戦争があった」。

林教授⇒「戦争体制によって強制された死であり、」

これが沖縄戦史の専門家と称する林博史関東学院大学教授の「軍強制論」の正体である。

現代史の専門家秦郁彦元千葉大教授も、林教授の理屈を「画一的教条論」として厳しく批判している。
 
『まずは沖縄タイムスだが、『鉄の暴風』の発行元であるだけに責任は重いはずなのに、・・・(略)・・・なぜこんなに挑戦的なのか理由は不明だが、沖縄タイムス社の役員が梅沢氏を訪ねて丁重に謝罪し、善処を約したことへの反発かもしれない。』
 (中略)
『この新聞を呪縛している「沖縄のこころ」風のイデオロギー性は、前述した「<集団自決>を考える」シリーズでも濃厚である。連載の終わりの4回分は「識者に聞く」として安仁屋政昭、石原昌家、林博史などの四氏を起用しているが、「集団自決は厚生省の(援護用語)で、(強制集団死)とよぶべきだ」とか「軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、、、、状況を作ったのは軍を含めた国家」のようなたぐいの見事なまでに画一的教条論の羅列ばかり。

 盧溝橋事件や南京虐殺事件の論争でいつも出てくる「第一発を誰が撃ったかは重要ではない」「虐殺の数にこだわるな」と同類の異議で、争点をそらす時に好んで用いられる論法ではある。
 (「歪められる日本現代史」(秦郁彦著・PHP研究所 第29~第32ページより引用)

                      ◇

左翼学者・林教授については、引き続き「すり替え論」に言及して生きたいと思うが『マガジン9条』に林教授の対談が乗っているので次回に触れてみたい。

この人に聞きたい
林博史さんに聞いた その1沖縄戦の集団自決問題の真相http://www.magazine9.jp/interv/hayashi/hayashi.php


今年の夏、沖縄戦での集団自決に関する記述をめぐる教科書検定の問題が、大きな議論を呼び起こしました。
このとき、文科省が「軍の強制」の記述を削除する根拠として挙げたのが、『沖縄戦と民衆』という1冊の本。
その著者である林博史さんにお話を伺いました。(略)


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