○3年生の頃②
3年生になって、授業が自分の専門中心となり、1,2年生の頃と違って、他のコースの連中と親しく行き来することが少なくなり、同じ書コースの面々と一緒に過ごすことが多くなった。
授業は2コマ連続の実技が3つ、理論が2つと、この年から始まった週休二日の、週25コマの時間割のうちの3分の1を専門の授業が占めるに至ったのである。
でも、これでも私は少ないと思った。少なくとも3,4年生では週の授業の半分以上は専門が占めるべきだと思っていた。特に他の大学の授業のことを本で見たりすると、筑波はいかにも授業時間が少ないように思えた。例えば篆刻や漢字仮名交じり書、作品制作や批評の方法論を学ぶ講義も受けたかった。現代の書についても理解を深めたかった。でも、これらは授業で全く取り上げられず、今思うと、ひたすらオーソドックスな講義と実習に終始していたと思う。書の根底にはこうしたオーソドックスな作業が必要で、学生の内はその根本を確かなものにする、という指導方針の下に授業が行われていたのだろう。でも、私にとっては今ひとつ煮えきらないものがあった。
3年生では、4年生で行う教育実習に向け、書道科教育法という講義を受けた。ところが、担当の岡本先生は病気がちで、授業は年間半分は休講になった。しかも、概論や方法論もほとんど知らないうちに、いきなり授業をしろと言われ、分担が決められた。仕方なしに先輩からもらった資料などを使って、何とか指導案なるものをこしらえて授業に臨んではみたものの、その指導案の形式そのものが、その当時既に前時代的なものとなっており、実際の教育実習の現場で全く役立たなかった。もちろん、書道科教育法で学んだことも、である。高い本を何冊も購入させられたが、授業では全く使用せず、本当にあの1年間の授業は何だったのかと今でも疑問に思っている。
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