○筑波大学を受験する その2
昼休み。高校の先輩とは連絡を取っていなかったので、会場の隣の建物の休憩室で、伯母さんの作ってくれた弁当を食べた。
すると斜め向かいの席から、さっき同じ会場で一緒に試験を受けていた受験生と思われる人が話しているのが聞こえた。相手は大学に通っている学生の人のようだ。するとこの人も現役の学生と関係があって、その世話で受験をしているのだと知った。
さすがに初対面の人に声を掛ける気にはなれなかったので、そそくさとその場を後にしたが、入学後聞いたところによると、彼らは私のことを、私の高校の先輩から聞いていて、知っていたのだそうである。しかもそこで話をしていた学生が、私がいなくなってその受験生から、今出て行ったのがその噂になっていた人(つまり、私のこと)だということを聞かされて、その受験生に「どうしてそれを教えてくれなかったんだ!」と言ったのだそうである。
確かにそこで声を掛けられていれば面白かったと思う。でも、今思うとあそこで声を掛けられなくて良かったと思う。なぜなら、誰も知らない環境で、良い意味での緊張感の中で受験をしていたから。もしあの場で彼らと知り合っていたら(しかも1人は同じ受験生!)、やはりその緊張感を持続できなかったのではないかと思うのである。
午後の課題は以下の通り。
漢字半紙臨書:米芾(べいふつ)「蜀素帖」から任意の連続する六字を臨書
仮名色紙制作:「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(をとめ)」
漢字半切制作:「紅樹青山日欲斜 長郊草色緑無涯」
これを4時間で制作するのである。
午後の制作は決められた落款を書き、印を押すべき位置も示さなくてはならない。落款は伊藤伸先生が「この間雪が降りました。ですから『春雪(しゅんせつ)』にしましょう。」と言って、「春雪」に決まった。どうやらその場の雰囲気で決めるものらしい。先生はチョークで黒板に北魏風の楷書で「春雪」と大書された。私は北魏風の楷書で半切作品を制作する予定だったので、これは落款のお手本になると思いありがたかった。ちなみにこの大書した跡は、私が入学後もしばらく黒板に残っていた。
制作の方は時間はたっぷりあったので、漢字の臨書から書き始めた。幸い教科書で知っていた作品だったが、書いたことはなかった。行書なのはありがたかったが。まずはプリントに印刷されたものをすべて臨書し、一番書きやすいところを書こうと思った。すると面白いことに一番初めのところだった。決まったら何枚かを集中して書き、わりと早く仕上がった。
仮名の制作は有名な歌だったが、まだ書いたことはなかった。しかし連綿も構成もしやすく、書きやすい歌だった。変体仮名をメモしておいたカンニングペーパーをのぞき込んでも怒られなかった。この制作は用紙が10枚しかなく、また全く墨を引かない紙なので、けっこう書きづらかった。ひょっとするとこの制作が一番緊張したかも知れない。落款はうまく収まった。
半切の制作は隣の大書室で行われた。確か一番早く書き始めたように記憶している。私の前には、さっき休憩室で一緒だった人が書き始めた。何だか三国時代の鍾繇(しょうよう)みたいな楷書を書いている。さっきのかわいい女の子はやはり北魏風の力強い楷書を書いていて、これが一番上手く見える。やはりこの人は間違いなく合格すると思った。他の受験生は、楷書を書いている人が多い。私の左右は唐風のきれいな楷書を書いている。前の方の人は行書を書いている人、北魏でも円筆風の楷書を書いている人(この人は落ちた)もいる。行草書は1人(この人も落ちて、岩手大学に入ったことを後で知る)だけだが、やたらと縦画を長くのばしているのが気になる。
私は書き慣れた北魏風の楷書で制作した。一枚だけ隷書でも書いてみたが、うまくいかないのでやめた。前の方の椅子には先生方が座り、共通一次試験の得点表を見比べているようだ。そうしているうちに半切作品も何とか仕上がった。用紙をたくさんもらえていたので思う存分書けた。
部屋を出入りしながら、さりげなく他の受験生たちの作品を見て回った。やはりあまり上手くない。一番かわいい女の子が一番上手く、私は2番目と見た。そして見て回りながら、私以外の8人の受験番号をさりげなくチェックしてメモしておいた。
二次試験の制作はすべて終わり、私はかなりの手応えを感じつつ会場を後にした。翌日は面接があるのである。学校では面接練習なんか全くしてくれなかったのでぶっつけ本番となるが、今日の自信を持続させて乗りきろうと思った。
翌日は面接である。控え室に入ると、午前中の順番であることがわかった。面接がありながら、私は学校で面接練習をしてもらっていない。だから、面接では制服を着てくるなんてことは頭の外にあり、私服のまま来てしまったのだが、控室全体では半分くらいの人が制服を着ていたように思う。でも、浪人の人も間違いなくいるはずで、その人は私服で来るだろうからと高をくくって席に着いた。
私の席のすぐ左には、前日の実技で前の席に座っていた女の子がいた。おとなしそうな感じだが、かわいい子だなと思った(この子は後に合格したことを知る)。右隣には富山から来ていた女の子。この子とは、私が面接の想定問答集を見ていたことで話しかけてきたことから、うち解けていろいろ話をすることができた。さらにそのもう一人左の、福岡から来た女の子も話の輪に加わり、面接の前ながら緊張感を全く感じずに面接前の時間を過ごすことができた。残念なことに、この2人の女の子は二人とも落ちてしまった。
面接室の前に座っている時にはさすがに少し緊張感を感じた。面接室に入ると、3人の面接官の先生が座っていた。1人は昨日の実技会場にいた書コースの先生だった。主としてその先生が、入学後どんなことに取り組みたいか、どんな書風が好きか、などと聞いてきたので(準備しておいた、前日の実技の出来については聞かれなかった)北魏の楷書が好きだと答えた。特にそれについて突っ込まれることはなかった。次にもう一人の気むずかしそうな先生(この人は彫刻の先生で、入学後彫刻の授業でお世話になった)から、調査書に書かれた内容について聞かれ、「知事賞入賞暦もあるから、なかなか良いですね。」と言われた。面接はそんなこんなで5分程度であっけなく終わってしまった。富山の女の子とちょっと挨拶をして別れた。
その後Kさんに連絡し、Kさんの自宅へ連れて行ってもらい、入試の話をした。「蜀素帖」が出題されていたのに驚いていた。何と前年の大学院入試と同じ課題で、面接官だった岡本先生が、前年の台湾の故宮博物院ツアーで参観していたく感激した作品で、その関係で出題されたのだろうとのことだった。Kさんの自宅は書道関係の本がたくさんあり、道具類も揃っていた。授業で制作した作品なども見せてもらった。こんなことをやるのかと、私はまだ合格してもいないのに、希望に胸をふくらませるとともに、こんなことができるのだろうかと、ちょっと不安も感じ始めていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます