桑の海 光る雲

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鳥海山

2012-10-17 19:56:16 | 旅行記

3年前の夏、私は山形の山に登りに行った。月山と朝日岳と蔵王山と吾妻山である。月山に登った日は天気も良く、また思った以上に早く下山できたので、私はかねてから見てみたいと思っていた国宝の羽黒山五重塔を見に、月山の裏側まで車を走らせた。そして道路が庄内平野に入った時、平野のはるか彼方に鳥海山がおおらかに聳えているのが目に入った。鳥海山と言えば秋田県の山という印象が強い。私は秋田県にはかつて八幡平に登った時にちょっと足を踏み入れただけで、実質は訪れたことがないと言ってもいい県である。だから、鳥海山も目にしたことがなかったのである。それが、初めて目にした私にもたちどころにそれとわかるほど、鳥海山はその存在を平野の彼方に主張していたのであった。そして同時に私は、いつかきっとあの山にも登らなければならないと思った。

鳥海山は高山植物と紅葉がきれいだと聞いたので、夏か秋のいずれに登るか迷ったが、やはり夏は暑いので、秋に登ることに決め、機会をうかがっていた。今年の秋は全国的に例年より紅葉が遅く、東北の山でも10月の体育の日あたりが見頃だろうと言われていたので、ここで登ろうと決めた。群馬からの日帰りは間違いなく無理で、酒田あたりで1泊して早朝に登り始めれば、その日のうちに帰宅できそうである。ホテルも酒田・鶴岡あたりならルートインもあって便利である。

ところが長期予報ではどうも天気が今ひとつである。行くからには出来れば快晴のもと登りたい。天気予報とにらめっこし続け、3連休直前となったところで、どうやら8日は快晴になるらしい。6日は学校があるし、7日はサッカー部の手伝いが直前になって入ってきたので、8日に決定した。ホテルを予約しようとルートインのHPを見ると何と満室。酒田・鶴岡には東横インはなく、仕方なくホテルインというチェーン店のホテルを見つけて予約を入れた。

鳥海山にはたくさんの登山ルートがある。最も一般的なのは吹浦という西側のルートだが、これは日帰りするにはやや長い。短いルートとしては祓川という北東側のルートと湯ノ台という南側からのルートがあり、どちらも4時間かからず登れる。しかし祓川は群馬から行くと鳥海山の反対側に位置しており便が悪い。そこで南側にあって、酒田からも近い湯ノ台ルートに決めたのだが、ここは駐車場が50台ほどしか駐められず、紅葉が見頃のこの時期、駐車場に車が駐められない可能性がある。そこでホテルをできるだけ早く出て登り始めることに決めた。

7日のサッカー部の仕事の手伝いをした後出発した。途中知ったのは、持っている地図では中条までしか開通していなかった高速道路が、村上の北まで延びていたことである。おかげでかなりの時間を短縮できた。途中雲間から真っ赤な夕日が現れ、水平線に沈んでいくのが見えた。夕焼けがきれいな翌日は天気がいいと聞く。明日の好天を祈って、車を北に走らせた。

朝日まほろばインターで下り、国道をひたすら北上する。国道7号線ながら、走る車はとても少なく、国道沿線も人家は少ない。ここに将来高速が開通すれば、この国道も一層寂れるだろうと思った。山形県に入ってあつみ温泉あたりから一段と車の数が少なくなったので、変だなと思ったら、何とカーナビにも情報が掲載されていない高速道路が、鶴岡方面からあつみ温泉まで南へと延びていたのだった(鶴岡からあつみ温泉までは無料)。カーナビの指示を無視し、あつみ温泉の次の五十川インターで高速に乗った。

後はひたすら酒田まで北上するばかりであった。酒田インターで高速を下り、うどん店で軽く夕飯を済ませ、酒田駅前のホテルに入った。ホテルは酒田駅前にある。セブンイレブンに行くために市内を少し車で走ったが、国道のバイパスが通る郊外は比較的賑やかなのに、市内は薄暗く寂れた感じで、地方の中規模以下の都市の寂れ方はどこも変わらないなと思った。寝る前に空を見ると降るような星空。明日の晴天が期待された。

目を覚ましてカーテンを開けると、空には雲がなく、星が輝いている。東の空がほんの少し明るくなり始めている。とにかく駐車場に車を置きたいので、慌ただしく支度を済ませて5時に出発する。

途中高架橋の上から遠くに聳える鳥海山の姿が目に入った。白み始めた空とともに、鳥海山も東側から少しずつその姿を現し始めている。山の東端に山頂部分があり、西に行くに従って低くなっている。平野に聳える独立峰でありながら左右非対称の形の山というのは、岩木山や斜里岳などが挙げられるが、珍しいのではないかと思う。もちろんこのような形になったのは火山活動によるもので、かつては富士山のような整った形の山だったのが、紀元前466年に起こった山体崩壊を伴う大噴火で現在のような形になったのだそうだ(紀元前466年に噴火が起こったことは、噴火で埋もれた杉の年輪を測定したことでわかったのだそうだ)。

湯ノ台への曲がりくねった道に入るにつれて、東の空は明るくなり始め、駐車場に着く直前で日の出の時刻になった。東側に聳える山々の上から昇った朝日が、鳥海山を真っ赤に染めている。空は雲一つなく澄み渡っている。駐車場にはすでに20台ほどの車が停まっていたが、まだ余裕はあった。前夜から駐めてある車は凍り付いており、夜明け前には気温は間違いなく氷点下に下がったものと思われた。

準備をして6時に登り始めた。始めは背の低い木々の間を歩いていく。足下には石が敷き詰められ、まずまず歩きやすい。15分ほどで滝の小屋に着くとその低い木々もなくなり、膝ほどの高さしかない灌木と草原の広がる斜面に登山道が付けられている。ここを八丁坂と呼ぶのだが、恐らく胸突き八丁と同じ意味で、きつい坂という意味で付けられた名前であろうが、たいしたこともなく、淡々と登っていくことができた。途中に何ヶ所か、古い石造りのほこらが置かれていたのは、この山が古くから信仰の対象であったことの証であろう。

八丁坂からは、鳥海山の山頂部分の姿を再び見ることができた。この先樹林帯はなく、ずっとこうした低い灌木と草地を歩いていくようである。後ろを振り返ると、遠く月山が見える。月山の左には雲海が広がっているが、ここは山形盆地である。山形盆地は雲海の下である。左手には日本海が広がり、左後方には庄内平野が広がっている。快晴の空の元、360度の素晴らしい眺めである。この先登山道は次第に斜度を増すということだったが、そんなことは少しも気にならなかった。

1時間ほど歩くと、広々とした平地に出た。大きな石がゴロゴロ転がっており、水のない河原のようである。小屋とトイレがある。ここは河原宿というのだそうである。河原宿の草紅葉はちょうど見頃である。草には真っ白に霜が降り、朝日に照らされて次第に溶け始めていた。あちこちには紫色のリンドウが咲いている。咲いていると言うよりも、花を閉じたまま枯れ始め、これまた霜で真っ白になっている。

ここから雪渓を超えると、このルートで一番急なあざみ坂の登りが始まる。雪渓はほとんど消えてしまっているが、わずかに残っている。あと少しで鳥海山にも雪が降るであろうから、この雪渓は一年中消えないということなのだろう。
雪渓を渡ると、一番ハードなあざみ坂の登りにかかる。このあざみ坂を登り切ると、山頂の火口の縁に出るのである。

あざみ坂も背の低い木や草の間を通っているのだが、なぜ鳥海山はこれほど大きな木がないのかを考えてみた。一つには月山同様に、日本有数の豪雪の山だということである。月山は夏スキーが出来るほど残雪が多いし、鳥海山も、今年の酷暑を経てもなお、あれだけの大きさの雪渓が残っている。もう一つは、最近まで噴火を繰り返してきたためだろう。19世紀初頭には、紀元前に山体崩壊した巨大な火口の山頂部分から新たに噴火して新山という大きな岩山ができ、ここが現在の鳥海山の最高点になっている。

振り返ると相変わらず山形盆地は雲海の下。月山は鈍角の山頂から緩やかな稜線を左右に広げている。月山の左奥には蔵王連山と吾妻連峰、右奥には朝日連峰が見える。それらの連山の最高点に私はすでに足跡を記しているのである。さらに左手には庄内平野と日本海が広がっている。左手にはようやく、かつての噴火口である鳥の海という湖が見える。鳥の海の周りは一面に草原が広がっているのも面白い。鳥の海の向こうには、日本海に浮かぶ飛島が見える。北海道へ行くフェリーの中から飛島を見たことがあるが、陸地側から見たのは初めてだった。

あざみ坂は確かにきつかったが、それ以上に困ったのは、登山道によく付けられているペンキの目印が少ないことであった。(それ以外にも鳥海山は標識が少なく、登山道の整備もあまりされていないのは、これほどの名山にしてはちょっと意外であった。)そのために途中で2,3回ルートを間違えてしまった。私の他にも間違える人が多いようで、自然と踏み跡があちこちについてしまって、いっそう間違えてしまうことにつながるのだろう。

あざみ坂を登ること1時間、かなり疲労がたまってきたところで、火口の縁にある伏拝岳に着いた。ここでようやく山の北側の景色と、火口の中の新山の姿が目に入ってくるのである。山の北側には、山体崩壊した巨大な火口が広がり、ナナカマドなどの低木の林が広がり、美しく紅葉している。その向こうに湿原があり、その先には象潟がある。日本海の海岸線は緩やかな弧を描いているが、この象潟の部分だけは海岸線のカーブが乱れている。そう、紀元前の山体崩壊で流れ出した膨大な量の土砂は、日本海まで流れ出したのである。そしてその中の大きな岩だけが海の浸食によっても浅瀬に残り、そこに松の木が生えて、かの松尾芭蕉が訪れた象潟の景色になったのであるが、鳥海山が19世紀に噴火したのと同じ頃に起こった大地震によって隆起し、現在は松の木の生えた岩の周りは一面の水田となっている。水田はまさに稲が実って黄金色に輝いており、遠く鳥海山の上からも、黄金色の水田の中のあちこちに、かつては島だった松の木立が見えた。新山は隆起してまだ200年ほどしか経っていないため、岩の積み重なる様は、その噴火のすさまじいエネルギーをまざまざと見せつけてくれ、恐怖を感じるほどだった。ここから火口の縁の最高点である七面山まで、火口の縁を軽いアップダウンを繰り返して登っていく。右手にはこれまでも見えていた光景が広がり、左手には火口の中のすざまじいまでの岩の積み重なりの光景が広がっている。
外輪山を巡っていくと、行者岳を下ったところから、本来新山に向かって下っていくルートがあるのだが、崖崩れのために閉鎖されていた。そのため七高山まで向かい、そこから火口へいったん下し、そして新山に登り返すルートを取る。

まずは七高山に向かう。ここが外輪山の最高点であるが、最高点から下降まではすっぱりと切れ落ちた崖となっており、とても下を眺めおろす気になれない。ここから北東の矢島口まで登山道が付いている。このルートは湯ノ台ルートと並んで、鳥海山の最短ルートとなっている。山形盆地の雲海はまだ消えていない。
七高山から眺める新山はさらに圧倒的であった。この岩山が地面からせり出してきた時のすさまじいまでの力の大きさが思われた。
七高山を下って、新山への登山道へとつながる斜面を降りる。さすがに火山だけあってざらざらと歩きにくい。10分ほどで火口原の底に降りる。鳥海山の最後の噴火はその辺りで起こったとのことで、ちょっと怖かった。ここから新山の山頂への登りは、さほど難しくはなかったのだが、ただでさえ岩の積み重なりで踏み跡が不明瞭な上に、ルートを占めるペンキがはっきりせず困った。

山頂はいくつもの岩の積み重なりの中の、ほぼ中心部にあった。山頂は狭く、また斜めに傾いている。鳥海山の山頂であることを示す山頂標もなく、ただ「鳥海山」と刻した、手に持って写せるような札が置いてあるだけである。岩ばかりで立てるのが困難だから立ててないのであろう。ちなみに山頂まで3時間半であった。

さすがに休日だけあって、後から後から登山者が登ってくるので、山頂で何枚かの写真を写してもらい、すぐ横の、山頂に次いで高い岩山に登った。ここからの眺めも素晴らしかった。爆裂火口の中に広がる緩やかな北側斜面は、見事に紅葉していた。遠くには鳥海山北麓の湿原群や、風力発電の大きな風車群、さらにその向こうには象潟の水田が広がっているのが改めて眺められる。
そこで30分ほど休んでいたが、さすがに肌寒さを感じるようになったので、そのまま下山することにした。本来は山頂で昼食にしたかったのだが、ゆっくり休めるような広い場所もないので、河原宿まで戻ることにした。火口の底に下って、火口の縁へ登り返し、火口の縁を伏拝岳まで戻った。相変わらず快晴。あざみ坂を下り、雪渓を横切って、あっという間に河原宿に付いた。登る時には日陰に入っていてよく見えなかったのだが、昼間になって日が当たるようになったあざみ坂周辺の登山道もまずまず紅葉がきれいである。河原宿周辺の草紅葉も美しい。ここで昼食にしたのだが、例によってカップのそばにした。
河原宿から登山口まではやはり朝に比べて紅葉が美しく見えた。特に八丁坂の西側斜面と、滝の小屋周辺が美しかった。登山口には13時過ぎに着いた。昼食の時間を除くと3時間ほどだった。登山口から見上げる鳥海山はやはり雄大で美しかった。

帰りには登山口のすぐしたにある鳥海山荘で温泉に入った。鳥海山荘はまだ新しく建てられたばかりらしく、きれいで快適な旅館であった。温泉も浴槽はやや狭かったものの、なかなか気持ちよかった。

その後は鶴岡に立ち寄るところがあるので、ひとまず酒田までは朝来た道を戻ったのだが、庄内平野の向こうに聳える鳥海山の姿はやはり雄大で、名山の名にふさわしい姿であった。
鶴岡では、北海道関係の知人であるAさんがかつて立ち寄ったのをブログにアップしていたことで知ったフルーツショップ青森に寄った。ここは元々は果物店なのだが、果物をふんだんに使用したスイーツ各種を出すカフェも併設しており、大変な人気なのだそうである。特にAさんが写真を掲載していたフルーツサラダをどうしても食べたくなって、帰りに立ち寄ろうと決めていたのだった。

カフェは満席で、少し待つと店内に案内された。男一人でこうしたカフェにはいるのは恥ずかしかったが、幸いにも窓際の一番隅の席に案内されたので、他人に視線を気にする必要はなかった。運ばれてきたフルーツサラダは素晴らしかった。15種類ほどのカットフルーツの真ん中にアイスクリームが盛られ、その上にたっぷりと生クリームが絞られ、全体に練乳が回しかけられている。さすがに果物店だけあって果物はどれも厳選された美味しさで、箸が進むならぬフォークが進む。アイスクリームも生クリームも甘さが控えめなので、皿一杯の果物を食べきっても後味は爽やかであった。追加で頼んだコーヒーのほろ苦さも嬉しかった。
鶴岡市内からは北に鳥海山、東に月山を眺められた。こうした名山に囲まれたところは群馬の町と似ているなと思った。ちなみにフルーツショップ青森は鶴岡駅前にあったが、駅前の寂れ方も群馬の町と似ているなと思った。

後は来た道をひたすら引き返した。村上あたりまで来て、夕日が日本海に浮かぶ粟島の向こうに沈むのが見えた。今回の山旅を締めくくるかのように、その美しさは印象深いものであった。
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