霧の中、何人かの人が次々に山頂にやってきた。代わる代わる写真を撮して下山していった。私も30分ほど山頂にいたが、ガスが晴れる気配もないので、そのまま下山した。
私が下山した後には、私の後に登り始めた若い男の人が残った。この人はちょっと変わった感じの人で、小屋に着いた時には、靴は最初の渡渉の所に脱ぎ捨ててあったスニーカーを履いており、ザックを背負うほかに、大きなビニール袋に入った荷物をちょうど布袋さんのように担いでやって来たのだった。
私が下山し、姿がガスに隠れると、突然シンバルのようなものを鳴らす音が聞こえた。法要で鳴らしているものと同じような音である。いったいこの人は何のためにこれを鳴らしているのだろう。山頂に戻って見るのも変なので、そのまま下山した。私はすぐに別の登山者とすれ違ったが、その人が登頂したとおぼしき頃に、その音は鳴りやんだ。ちょっと見た感じも変わった感じの人だったが、いったい何のためにそれを鳴らしていたのか、今もって謎である。
下山時にはもうカール全体がガスに覆われてしまい、何も見えなかった。命の泉のところまで来ると、大人数の団体とすれ違った。話している内容を聞けば、この団体(約30人はいただろう)は、夕べは小屋で宿泊するつもりで登り始めたのだが、ちょうど夕立に遭って額平川が増水して動けなくなり、大人数ということもあって、心洗の滝のところでビバークしたというのである。この団体にはガイドの人が2,3人付いているように見えたが、これは懸命な処置だったと思う。ちょうど羊蹄山でガイドが無理に登山を強行した結果、登山者が亡くなった事件の後ということもあったのだろう。
それにしても、この団体のメンバーには申し訳ないが、この団体が小屋に泊まっていたらどうなっていただろうか?夕べのようにゆっくりとスペースを取って休息を取ったり、眠ったりすることはできなかったと思う。単独行の私は小屋の隅に追いやられ、ひもじい思いをしていたに違いない。
そんな思いを抱きつつ、樹林帯の中を足早に下った。今日も夕立が来そうな予感がしたからである。