桑の海 光る雲

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書道について25

2007-07-15 00:56:23 | 日記・エッセイ・コラム

○新潟大学を受験する

新潟大学を受験したのは3月5日のことだった。新幹線で新潟に着くと、市内には雪はなかった。ホテルに入ると、同じ高校の生徒たちの姿が何人も目に付いた。そう、このホテルには新潟大を受験する20人ほどの同じ高校の生徒が泊まっているのである。親しいクラスメイトもいたので、夕飯は一緒に食べたりした。

翌日は1人バスに乗って大学まで向かった。郊外に出るにつれて雪が見えるようになった。バス停で下り、試験会場まで歩くに連れ(バス停からかなり遠かった)、雪が深くなってきた。(20年ほど前、3月の新潟はこれが普通だったのである。)雪道を歩き慣れない私は、これですっかりまいってしまった。そして1人胸の中で呟いた。「こんな雪のあるところではとても暮らしていけない!」と。

会場は書道専攻の部屋ではなく、講堂のような場所だった。既にたくさんの受験生が来ていて準備をしていた。しかも、人数が多い!100人近くいたのではないか。この中から合格できるのは15人。倍率にして7倍近い。しかし、私は筑波大学の受験で手応えを感じていたので、変に自信に満ちて席に着いた。

それにしても筑波大の受験の時とは雰囲気が全く違う。会場が狭く、入場が遅かった私には、半切を書くスペースがない。仕方なく、用意されていた別室に、半切作品制作用の下敷を敷いた。ステージ上には同じ高校から来たと見える高校生たちが一団となって賑やかに準備をしていた。私の高校から書道の方面に進む者はとても珍しかったが、彼らの学校ではそうではないようだ。(ちなみにその会場には高校のクラスメイトも受けに来ていたが、私は彼とは同じクラスでもほとんど交流がなかったので、ちょっと会釈しただけだった)

課題が発表された。これを3時間かけて制作するのである。                 
漢字半紙制作:「飛雪千里」を楷書で書く。                           
漢字半紙臨書:王羲之「集字聖教序」から「松風水月」を臨書。               
仮名半紙臨書:「筋切」のうち「秋萩をしがらみふせて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ」を散らし書き風に臨書。                                       
仮名半紙制作:「温かき心こもれる文持ちて人思ひをれば鶯の鳴く」を書く。        
半切制作:「竹間一夜鳥声春 明朝酔起雪塞門」を書く。(他に漢字四字の語と和歌一首の3つの中から一つを選ぶ)
はっきり言って筑波大学より易しい。用紙が各課題につき5枚しかないのが難点だが、制限時間を考えればこんなもんだろう。

制作が始まった。どれも易しいので淡々と書き進めた。出来上がるたびに周囲を見回したのだが、驚いた。隣の席の女の子を始め、はっきり言ってものすごく下手である。筑波大学の時も他の受験生は決して上手いとは思わなかったが、新潟大はそれ以上である。よくもこの程度の力で書道科を受験しようと思ったものだと思えるような人達ばかりである。私は新潟大学の合格は100%間違いないと確信した。しかし、そのことが後で私に信じがたい誤りを犯させるのである。

半切を書くために、下敷きを敷いてきた別室に行った。ステージ上では、同じ高校から来たと思われる受験生たちが制作をしているのだが、これまたびっくりした。皆同じ課題を選び、皆ほとんど同じような書風で制作しているのである。これは間違いなく同じ高校に在学しているか、同じ先生に教わっているに違いないと思った。それにしてもどうして皆同じ書風なのだろう、入試なのにこうも楽しく談笑しながら制作できるのだろうと、とても不思議に思った。そして、彼らはきっと全員落ちるだろうな、とも思った。

別室には学生とおぼしき係員の人が何人かいた。私は彼らが見る中で5枚の作品を書き上げた。3枚目までで完成したので、残りは隷書や行草書を書いたりして楽しんだ。

作品を仕上げて提出し、改めて合格を確信して会場を後にしたが、私は絶対新潟には来るまいと心に誓った。書き損じの紙を自分で捨ててくださいと言われたのにも腹を立てていた。私はその紙をバス停のゴミ箱に放り込み、ついでに新潟大学への思い(共通一次を受験するまで、新潟大は第一志望だった)も放り込んで、バスに乗った。

後日談1。会場には4年生が係員の手伝いに来ていた。彼らは会場をずっと見て回っていたのだが、受験生の中の龍門造像記風の楷書を書いている1人の男子受験生を、相当の力があると目を付けていた。また、その受験生はきっと新潟大学に合格しても辞退して、筑波大学に行くだろうと思っていた。大学の先生も同じように目を付け、同じように思っていた。

その男子受験生が私のことだったのである。なぜそれを知っているかというと、彼らの中の1人の弟と、後に筑波大学で同級生となったからである。その同級生から、この後日談の内容を聞いた。彼は、私が半切の残りの紙に隷書や行草書を書いていたことまでも知っていた。また、その彼の姉上とも後に親しく交流するようになって今に至る。

後日談2:高校へ戻って、先生に新潟大学の受験の話をした。問題用紙を見ながら、仮名半紙制作で和歌を一部間違えて書いていたことに気付いた。その瞬間、新潟大学に合格するという確信は、100%から80%に下がっていた。

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