桑の海 光る雲

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よしなしごと25・陳鴻壽④

2005-10-09 20:39:15 | 日記・エッセイ・コラム
調査を続けて行くにあたり、指導教官の先生に、陳鴻壽が生きた地方の地方誌を調べてみるように言われ、実際に様々な資料を見つけることができた。中でも、陳鴻壽が政務を執ったリツ(さんずいに栗)陽県の役所の当時の様を描いた図版を見つけ、その中に陳鴻壽が建てた「桑連理館」の名が記されていたのには感激した。それ以降は、夢の中まで資料集めを続け、実際には存在しない陳鴻壽の伝記を見つけた夢や、陳鴻壽に会えることになり、その寸前で目が覚めてしまったことも一度や二度ではなかった。

調査は行き詰まりを見せ始めていた。もう、陳鴻壽の詩集や印譜を手にする他なくなっていた。でも、いずれも稀覯本で、そう簡単には手に入らない。京大人文科学研究所にも、友人の郭リン(鹿に吝)や従兄弟の陳文述の詩集はあるのだが、陳鴻壽の詩集はない。もうお手上げか、と思っていたところへ、思いも寄らない情報が入ってきた。

現在では発刊されていない「書道研究」という雑誌には、冒頭に文藝春秋と同じような、書家によるコラムが掲載されていた。その中で、K氏という書家が、陳鴻壽の詩集「種楡仙館詩鈔」と印譜「種楡仙館掌印」を持っていて、書作には陳鴻壽の詩をよく書いているとのことであった。これは耳寄りな情報であった。すぐに書作家名鑑で氏の住所を調べ、丁重に手紙をしたため、発送した。

すると、間もなく氏から手紙が来て、都内で行っているお稽古場でコピーをくれるとのことだった。早速その日に出かけると、喫茶店で話をしてくれ、詩集と印譜のコピーをくれた。ただし、どちらも序文のところのみだった。詩集と印譜そのものはもう持っていないとのことだった。嘘は見え見えだったが、ここで何とか全文のコピーが欲しいと食い下がっても失礼なので、序文のコピーだけを有り難く頂戴して帰ってきた。

しかし、この序文は陳鴻壽の生涯や子孫のことを知るにはとても大切な資料となった。こうなると、ますます詩集の全文が欲しくなったのだが、それが手に入るのは、それから数年後のことである。

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