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桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

栗駒山

2021-10-05 19:23:40 | 旅行記
栗駒山の「神の絨毯」が見頃とのことで出かけてきました。
雲の切れ間から差す光に照らし出された紅葉の斜面は、息をのむ美しさ。宮本輝の小説のタイトル「錦秋」とはまさにこういう景色のことを指すのだろうと思いつつ見入っていました。
滞在した3時間ほどが、この日唯一日が差して青空が覗いた時間だったようで、ラッキーでした。
来年は岩手山西側の三ツ石山と、栗駒山を北の須川温泉から登ろうと決めました。
























恵那山

2021-10-04 22:26:30 | 旅行記
今年こそ南アルプス南部の山々に登頂しようと思いましたが、小屋がクローズのため断念。日帰りで登頂できる未踏の百名山はここしか残っていないので、同時期に登った知人からの「恵那山に登るなら紅葉の時期に限ります。」とのアドバイスに従い、紅葉の時期を狙って、台風一過の快晴の下登ってきました。
事前に調べていたとおり、展望に恵まれず、ルートも単調、特に登山口から4合目までの樹林帯の登りはとてもきつかったです。しかし、山頂付近のドウダンツツジの紅葉は素晴らしく、特に山頂に広がる平地を縁取るように点在しているドウダンツツジの真っ赤な紅葉は見事でした。それでも見晴らしの良いところからは南アルプスや中央アルプスの山々が眺められました。避難小屋裏の岩場からは南アルプスの山々や、三角点のあるピークも眺めることができました。最高点の地味さはヤマレコでの事前学習通りでした。
広河原ルートは、阿智村HPでは橋が流され通行止めということになっていますが、心ある人が丸木橋を渡して下さって無事に渡ることができ、最短ルートで91座目に登頂できました。心より感謝致します。

木曽駒ヶ岳方面を望む
空木岳と南駒ヶ岳か?
南アルプスの山々を望む
珍しく開けた場所
山頂の紅葉は見頃
ドウダンツツジの紅葉が見事
日本庭園の植え込みにあるようなドウダンツツジ
恵那山の山頂にこんな開けたところがあるとは初めて知った
まるで庭園のようだ
避難小屋裏の岩場から望む南アルプス方面
山頂のあるピークを振り返る
 
恵那山最高点

礼文の旅

2021-08-11 22:22:17 | 旅行記
夏休みは緊急事態宣言前に礼文島で過ごしてきました。
エゾカンゾウの当たり年で、群落では見事な花々を眺めることができ、感動しました。














笠ヶ岳(尾瀬)

2021-07-19 21:19:11 | 旅行記
尾瀬の笠ヶ岳に登りました。
梅雨明けして好天に恵まれた最初の週末ということで、尾瀬は大混雑だったようですが、笠ヶ岳ではトータルで15人ほどの人にしか会わず、静かな山行を楽しめました。
山頂から見た至仏山の西側斜面の光景と、片藤沼からの景色が特に印象に残ります。
 
左に武尊山、右に笠ヶ岳
笠ヶ岳に続く気持ちの良い稜線
左から越後三山(中ノ岳・越後駒ヶ岳)、平ヶ岳、至仏山

小笠の下から笠ヶ岳を望む
片藤沼から眺めた至仏山と燧ヶ岳
片藤沼から眺めた笠ヶ岳と至仏山と燧ヶ岳
片藤沼から眺めた至仏山
片藤沼から眺めた燧ヶ岳
笠ヶ岳への登りから片藤沼を眺める
手前に片藤沼、遠くに左から皇海山、赤城山、武尊山
シナノキンバイ
チングルマ
笠ヶ岳山頂に一輪だけ咲いていたニッコウキスゲ
笠ヶ岳で見たミヤマムラサキ
オヤマ沢田代の見事なワタスゲの群落
保護の甲斐あってか、今まで見た中では一番たくさん咲いていたように思う。

レブンソウ

2021-06-07 19:50:07 | 日記
私が一番好きな礼文島の花はレブンソウです。かつて自分で言葉を作って作品を制作し、発表したこともあるほどです。
そのレブンソウがようやくわが家で花を咲かせてくれました。
レブンソウは高山植物にしては珍しく育てやすく、北海道では普通に庭に植えても簡単に育つくらいだと聞いていたので、内地のこちらは暑くて有名なところですが、一縷の望みに賭けてみました。
種は礼文島・香深のフェリーターミナル前の土産物店で購入したものです。
今まで何度も種を蒔いたのですが、発芽して育ってもやはり暑さに負けたり、アブラムシの被害に遭ったり、植え替えを失敗したりして、株は育っても花を咲かせるまでには至りませんでした。
ところが、一昨年夏に買ってきた種を秋に蒔いて生えた4株が、一夏と二冬を越し、そのうち1株が今年ようやく花を咲かせてくれました。
やはり自然に生えているものに比べると色も淡く株も華奢ですが、大好きな花をこうして身近で見ることができるのは嬉しいものです。
上手く育てれば2,3年くらいは花を咲かせるそうなので、今年も夏を越すことができるよう見守りましょう。




沼田・昭和のサクラ

2021-04-11 19:38:40 | 日記
沼田市の桜が見頃とのことで出かけてきました。青空の下で眺める桜は格別です。
天照寺のシダレザクラ(沼田市)




発地のヒガンザクラ(沼田市)





上発知のシダレザクラ(沼田市)まだ五分咲きでした。ヤドリギが多く付いています。





右遠くに見えるのは武尊山です。



帰りに見た昭和村のCANON赤城工場のソメイヨシノの並木。満開の桜並木が500メートル以上続き、まさに壮観でした。左端は武尊山。 



2021年田島ヶ原のサクラソウ

2021-04-11 19:29:06 | 日記
昨年は閉鎖されていたさいたま市の田島ヶ原サクラソウ自生地に、急に思い立って2年ぶりに出かけてきました。
今年はある程度雨も降ったので、今まで見たなかで一番花が大きく、色も濃くみずみずしくてきれいでした。
雨が降ってきたので早々に退散しましたが、第二自生地の群落が年々拡大しているのはうれしいことでした。昔のように一面のサクラソウが桃色の絨毯を敷き詰めたように咲く日が来るのを祈るばかりです。







サクラソウには時折見られる白花。一カ所に固まって10株ほど咲いていました。


















2021年小鹿野のセツブンソウ

2021-02-24 18:59:59 | 日記
去年は個展開催中で見に行けなかった、秩父の奥にある小鹿野町のセツブンソウ群生地のセツブンソウが、先週末の陽気でちょうど見頃になったと聞き、出かけてきました。
セツブンソウは写真で見ただけでは大きな花のように見えますが、実際には草丈は7,8㎝、花の直径は2㎝ほどの小さな花です。小鹿野町の群生地は国内最大規模とされています。林床に一面に真っ白な花が咲き誇っていました。
ちょうど見頃でとてもきれいでしたが、やや風があり撮影しにくかったのが残念でした。たくさんのカメラマンがレンズを向けていましたが、あきらめて撮影を切り上げる人も見られました。私の安物コンデジでもこれだけきれいに写るのですから、実物の花がいかにきれいかが想像できるかと思います。
この後気温の低い日が続くので、今週末まで何とか持ちこたえるのではないかと思います。
























いま、風が吹いている~向田邦子没後40年特別イベント~

2021-01-26 16:19:15 | 日記・エッセイ・コラム
どうしても行きたかった向田邦子没後40周年記念イベントへ、無理して出掛けてきました。
会場のカフェで、かつて向田邦子が妹に営ませていた居酒屋・ままやのメニューをアレンジした、ままやセットをいただきました。限定30食なので、これを食べたくて開店に合わせて並びました。それでも18番目でした。カレーはすりおろした野菜の甘味が優しい味。名物のニンジンのピリ煮とサツマイモのレモン煮は、あっさりしすぎていてちょっと物足らなかったです。ままやはもう20年以上前に閉店してしまったけれど、私が社会人になったときにはまだ営業していたので、一度行っておけば良かったと、今になって改めて後悔。
展示品は自筆原稿と蔵書、衣類と所蔵していた美術品、使用していた食器などの器類。多くはかつて仙台や東京で開かれた展覧会や、かごしま近代文学館で見たことのあるものだったけれど、今回の展覧会では、衣服は展示ケースに入れられず直に吊るしてあり、美術品も額のまま壁に掛けられていて、とても近くで見られたのが感激でした。遺品の多くはかごしま近代文学館が所蔵していますが、蔵書は向田邦子の母校の実践大学に所蔵されています。また、特に愛用していた服や愛蔵していた美術品は、現在でも妹さんが自宅に置いているはずです。これらを併せて見ることができる機会はなかなかないので、とてもありがたかったです。
会場の奥には天井から吊るされたたくさんの糸で囲まれたスペースがあり、そこでは向田邦子が残した留守番電話のメッセージを聞くことができました。その横には大きな脚立のような装置が置かれ、係員が動かすと、上の方から向田邦子の名言を印刷した細長い紙が降ってくる仕掛けとなっていました。観客はその紙をもらうことができます。私も直木賞をもらったときのコメントを記したものと、向田邦子の言葉で一番好きな「叶わぬ夢も多いが、叶う夢もあるのである。」を記したものをもらってきました。
本来このイベントは、トークショーやコンサートなどの有料イベントが中心で、展示は添え物的な意味合いだったようですが(展示は入場無料であることもそれを表しています)、それらのイベントはすべて配信となり、実際に足を運べるイベントはこの展示だけということとなり、特に今日の午後は雨の中行列もできていたようです。約一時間滞在して展示品をじっくり見た後、近所にある向田邦子が住んでいたマンション(いよいよ取り壊されるとのこと)を一周して目に焼き付けました。
向田邦子が亡くなって今年で40年にもなるのに、会場には若い人が多く訪れていました。死後これほど経っても多くの人に愛され、新たな読者を得続ける作家はほとんどいないでしょう。そうした向田邦子の魅力を思うとき、妻子を捨ててまで向田邦子を追い求め続けた、恋人のN氏のことを思わずにはおれません。一方で、向田邦子もN氏の思いに応えていたことは、今日も展示されていましたが、死後に膨大な数残されていた、N氏が撮したとおぼしき、向田邦子の若い頃の写真の、撮影者に身も心も任せきった表情を見れば明らかです。女性ファンの方がずっと多い向田邦子に、異性ながらこれまで30年以上にわたって惹かれ続けてきた私には、そうしたN氏の気持ちがわずかばかりでも理解できたような気がしました。
今年は向田邦子没後40年。夏には多磨霊園にも足を伸ばしてみようかと思っています。













北奥千丈岳と金峰山

2020-10-27 19:00:37 | 旅行記
10/25(日)
以前からある教え子から山に一緒に連れて行って下さいと言われ、登山初心者のその教え子のために登りやすい山をと計画したのですが、悪天候で2回延期となり、3度目でようやく登ることができました。最初の計画では木曽駒ヶ岳に行くつもりでしたが、秋はロープウェーがものすごく混むそうなので断念。金峰山に変更したところ、今度は先週の初雪がかなりの大雪となったとのことでかなり心配されました。軽アイゼンを買ったり、スタッドレスタイヤをレンタルしたりして準備を整えしましたが、幸い直前の好天に助けられて雪もほとんど消えており、これらは不要に済みました。前泊の後に教え子をピックアップして一路大弛峠へ。予想通り駐車場は満車で、事前に調べておいたとおり長野県側の林道の空きスペースに駐車。あと少し遅かったら1㎞以上下に駐車しなくてはならなくなったところでした。

金峰山は3回目。少しでも変化を持たせるために、秩父連峰で最高峰の北奥千丈岳に先に登りました。こちらは登山道のほとんどが階段となっていることもあり、40分ほどで簡単に登頂できました。山頂からは金峰山の全景を眺められました。左手には南アルプス、右手には八ヶ岳が見え、主な山に皆登頂しているのは感慨深いものがありました。

大弛峠に戻り、今度は金峰山へ。この秋初めての雲一つ無い天気ということで、金峰山までの稜線に沿って着けられた登山道には、たくさんの人が登っています。基本的に樹林帯の中を歩いて行くのですが、ところどころ枯死した木々の間からは富士山を眺めることができました。急に視界が開けた岩場に出ると、甲府盆地を挟んだ山並みの向こうに、新雪を頂いた富士山を眺めることができました。3回目の金峰山ですが、ここまで見事に富士山を見られたのは初めてです。

登山道は再び樹林帯に入り、最後に樹林帯を出て目の前が開けると、西側に遠く八ヶ岳連峰が見渡せる場所に出ます。手前には以前登った瑞牆山も見下ろせます。左手遠くには、雪を頂いた北岳と仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳が見えます。左の山頂にはたくさんの人が登っているのが見えます。
気持ちの良い最後の稜線歩きをして、大きな岩がゴロゴロと積み重なる山頂に着きました。山頂標の前で順番待ちをして記念撮影をした後、五丈石の前の広場に荷物を下ろしました。ちょうど昼時でもあったので、広場は大賑わい。五丈石に登っている人も何人もいます。広場からも富士山は眺められ、写真を撮る場所を探して五丈石の東側に行ってみてびっくり。何と五丈石の南側にも広場があって、たくさんの人が岩を背にして富士山を眺めながらお昼を食べているではありませんか!前の2回ではいずれもガスが出てきてしまい、五丈石の南側に回ることをしなかったので、こうした広場があることは知らなかったのです。もちろん昼を食べるには最高の場所で、座る余地はありません。やむなく元の場所に戻って昼食にしました。風も無く日光が気持ちの良い素晴らしい天気。朝食時間が早かったので食も進みました。昼食後は岩の上に上がって写真を写し、名残惜しい気持ちで山頂を後にしました。最後に八ヶ岳と瑞牆山が見えるビューポイントで、西に八ヶ岳と瑞牆山、東に甲武信ヶ岳とさっき登った北奥千丈岳を目に焼き付けて下山しました。

下山後は山頂で耳にしたほったらかし温泉というユニークな名前の温泉へ。でも行ってみてびっくり!高台にある温泉は露天風呂になっており、甲府盆地と富士山が一望できる素晴らしいロケーションでした。帰りは毎度毎度の中央道小仏トンネルの大渋滞にはまりました。教え子を送った後車を飛ばし、自宅に着いたときには日付が変わっていました。

今シーズンの登山はこれで終わりです。最後の登山が素晴らしい天気のもとで素晴らしい眺望を堪能できたのはありがたいことでした。よく考えたら、今年は7回の登山のうち5回が教え子達との登山でした。これまではほとんどが単独行でしたが、こうして他の人たちと一緒に登る楽しみを改めて感じることができたのは良かったなと思っています。