はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国番外東光寺

2015-09-18 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-7-21(土)
歩行時間:6時間10分   休憩時間:2時間40分   延時間:8時間50分
出発時刻:7時50分     到着時刻:16時40分
歩  数: 37、546歩(推定距離28.2km)    GPS距離28.4km
行程表
 名鉄前後駅 0:20> 1番 1:00> 2番 0:05> 3番 0:25> 4番 0:50> 6番 0:45> 7番 0:10> 8番 0:30> 9番  0:25>
 10番 0:25> 11番 0:50> 54番 0:15> 番外2番 0:10> 亀崎駅

                                  番外東光寺(歳弘法)

 
                 番外東光寺入口                            東光寺の燈籠?

 今日最後の東光寺は54番から800m程の所だが、神社の近くの角から細い道に入らなければならないと、54番を出るときは
分かっていた。それなのにその角を見損なって出た所は太い道だった。冷静になってから手持ちの地図を見れば、細い道を見落
とし太い道まで来ても東光寺への道はハッキリしていた。
なのにその時は疲れから思考能力が無くなっていて、地図を見ても皆目見当がつかなかった。
近くにいたお年寄りに東光寺への道を尋ねると
 「随分遠回りをしたねぇ、東光寺には次の角を曲がって大分行くと突き当るから、そこを左に曲がって、次にまた突き当ったら
今度は右に行けば東光寺が見えてくるよ。でも上り坂で大変だよ」
と教えてくれた。
でも “大分遠回りをした” って言われても、まだ54番を出てから余り歩いていない。なんかよく分からないが今聞いた道で大丈夫
だろうか。心配になったが地図を見ても分からない以上、聞いた道を行くしかない。

 教わった角を曲がると、アレー前方に突き当りが見えている。たかだか10mも行って今度は左を見ると又もや角がすぐ先にある。
更に次の角を右折して少し行くと軍艦の舳先のような石垣の所に札所の白い幟が見えていた。ナンダ~ 随分遠回りをしたとか
登り坂が大変なのと言われたので不安だったが、道を聞いた所からたった5分もかからず着いてしまった。確かに最後の上りは
きつく感じたが、今日は疲れていたからであって普段なら何ともない坂だ。
あの道を教えてくれたお爺さんは、私の白髪頭と疲れた顔を見て、それに合った表現をしてくれたのだろう。

 階段を登り境内に入ると 「献灯 東光寺」 の文字が浮き出している赤い鉄製の燈籠が建っていた。
こんな感じの鉄製の燈籠は6番常福寺にもあったが、そこの燈籠は境内を照らす燈籠だった。、その点ここ東光寺の燈籠は、昼間
下から見ても目立っていたが、燈籠に火が入る夜なら一層その存在は増すだろう。あたかも灯台のように。

 
                 三躰弘法                                歳弘法

 東光寺の本堂は寺と云うより民家風な感じで、横に建つお堂も余り重厚さは感じなかった。それなら丁度よいここは今日最後の
札所で大分疲れてきている、お詣りは簡単に済ませ駅に急ごうと 「三躰弘法堂」 に入った。
三體弘法堂の中には彩色された三体の仏像が祀られていて、左から 厄除大師(災難除け弘法)、日限大師(期限を区切って願う
日限弘法)、招福大師(福を招く弘法)だそうだ。成程これが三體弘法なのか、初めてお詣りした。

 次の“遍照殿”と扁額が掲げられているお堂に入り驚いた。極彩色に彩られた仏像が何体も飾られていた。
普通見る仏像は木や石や金属が多いが、ここの仏像は白い釉薬をかけて焼いた焼物のように見える。
確かに木や石で造った仏像の持つ威厳や慈愛を感じさせる物ではなかったが、これだけ揃うとそれなりに見応えはある。

 「歳弘法」とは弘法大師の誕生から入定までの一生62年間を一年につき一体で表しているものだそうです。
この年弘法と云う言葉もここ東光寺に来てで初めて知った言葉だったのでネットで調べてみると、ヒットしたのはこの東光寺を含め
愛知県のものばかりだった。若しかして“歳弘法”とは尾張独特の風習なのか。

 歳弘法のお詣りの仕方は自分の年齢と同じ弘法像にお詣りするようだが、齢71になる私と同じ歳の弘法像は無い。
残念と云うべきか喜ばしい事だと云うべきか分からないが。

 
               幼い頃の弘法像                               即身成仏した弘法像

 歳弘法は六十二体の弘法像があるのが本来だが、ここのは一部地震で喪失し現在は四十五体を祀ってあるそうです。
気になった弘法像の一つに、口と両手両足で5本の筆を持った幼い顔の像があったが、これは 「日本三筆」 の一人、弘法大師は
幼少の頃から手でも足でも口でも、右でも左でも達筆だったと云いたいのか。
更に一際目立つ金色の弘法像は、弘法大師が高野山奥の院で即身成仏をした姿だそうです。「南無大師遍照金剛」

 これだけ弘法像を祀ってあるのだから東光寺はてっきり真言宗だと思った。それを手持ちの資料で確認すると何と浄土宗だった。
納経の時に聞いてみようと思っていたが、結局話したのは 「駅まで何分で行けますか?」 だけだった。
疲労とは恐ろしいものだ。ついさっき思った事を忘れてしまうなんて。
イヤイヤ疲労ではなく直近の事を忘れるのは痴呆症の気が出始めているのかもしれない ----------

 で、家に戻りネットで調べてみたら、東光寺の案内しているHPにこんな事が書いてありました。
 『浄土宗の寺が、何故弘法大師の霊場になっているのかと云われる方がありますので説明します。
宗祖法然上人は四国配流の砌、讃岐霊場を巡拝されました。以下勅修御伝(法然上人行状絵図)の中の一節です
 「上人在国のあいだ、国中霊験の地巡礼したまふ。中に善通寺という寺は、弘法大師、父のために建てられたる寺なりけり、
この寺の記文に 「一度も詣でなん人は、かならず一佛浄土の朋たるべし」 とあり、この度の思い出、この事なりとぞよろこび
仰せられける」 他力念仏往生を勧められた宗祖法然上人も、霊場巡拝をなさったのです。
霊場巡拝は宗派を超えたわが国の美風です。』



                   54番から番外東光寺への道

 東光寺から亀崎の駅までは10分も掛からず着けてホッとした。駅に近くの店に氷結を求めて入ったがアルコール類は売って
いなかった。仕方なくミネラルウォータを買って飲んむと、一気に1本飲み干してしまった。
いかに体が水分を求めていたかとい事だろう。氷結が無くて良かったのかもしれないな。


                   番外東光寺から亀崎駅への道