はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

塩の道&秋葉道Ⅲ(森-春野1)

2012-11-09 15:13:09 | 塩の道
塩の道&秋葉道Ⅲ(森~春野1)                   歩行月日2012/10/8

歩行時間:5時間55分 休憩時間:0時間30分 延時間:6時間25分
出発時間:7時45分   到着時間:14時10分
歩 数: 32、480歩   GPS距離:24.0km

行程表
 戸綿駅 0:20> 天宮神社 0:40>  葛布滝入口 1:20>  栄泉寺 1:30> 大久保小跡  
 1:40
> 犬居橋 0:25> 秋葉神社下社

 
   戸綿駅ホーム                     森の街道沿いの民家

観歩記

戸綿駅から新しくなった太田川の森川橋を渡り森の市内に入る。前回天方城跡に行ったときは太田川の左岸(東)を
遡ったが、塩の道は橋を渡り森町の宿場街道を北に向かうようになる。
街道沿いには格子戸が入った民家も残りわずかにその面影を今に伝えている。また、市内に寺や神社も多い事から
遠州の小京都も呼ばれている。寺でいえば萩寺の別名を持つ蓮華寺。紫陽花の極楽寺、桔梗の香勝寺等がある。
神社は遠州一宮の小国神社と塩の道沿いにある天宮神社などが有名だ。
また森町は天竜二俣と並ぶ北遠の物資の集散地で、古くは古着の町とよばれ数十軒の古着屋があったといわれる。
その古着商の扱う古着の量は、全国の古着価格を左右するほどで、その富は遠州の富の7割を占めたと云われる。
いまでは人通りもない街道筋も江戸時代には「森の横町なぜ日が照らぬ 秋葉道者の笠のかげ」と唄われるほど
秋葉山への参拝者が多く、森町も宿場町として賑わっていた。

とは言っても前回天方城跡から見た森町の街は小さかった。あの小さな町に遠州の富の7割?。だって遠州には
家康が城を築いた浜松。山内一豊の掛川、遠州の国府だった見付などがある。それらの地域を含めた7割の富が
ここ森町あったとは-------
しかも全国の古着価格を左右するほど古着商が多かったとはとても思えない。大体何故東海道から離れた山村の
森町に古着商が多かったのか、その理由が分からない。
マーそれは置いておいても、そのような豪商が多かったなら、きっと豪邸を造ったろうに、そんな話も聞かない。
同じ遠州でも天竜川の河口にある掛塚湊には、材木で財を成した商人が伊豆石を使った塀や蔵を残している。
人は余るほどの金ができれば、屋敷等に金を掛け見栄を張るのに、そんな事もなかったようだ。

しかし森町といえば何と言っても「森の石松」が一番有名でしょう。架空の人物とも云われていながら、
墓もあるし育った家もある。その育った家が下の写真の天宮神社横の「新屋旅館」だそうです。
石松は天宮神社の祭礼の日に迷子になり、隣の新屋旅館で育てられ新屋旅館には「石松の部屋の刀傷」
あるそうです。
「旅行けば駿河の道に茶の香り 流れも清き太田川」御存じ浪曲「清水次郎長伝」の一節だが、この浪曲が
一世を風靡することで、森の石松は太田川で産湯を使い、天宮神社で迷子になったが、育った家には部屋もあり、
死んだら墓までできてしまった。嘘から出た真なのだろうか。
しかし今や浪曲は廃れて聞く人もいなくなってしまった。この調子だと石松はおろか次郎長まで忘れられる時が来る
かもしれない。「馬鹿は死がなきゃなおらない」の台詞はどうだろう?これも使われなくなるだろうか?

 
  天宮神社の入口                    修復中の天宮神社

森の市街が終わる頃「天宮(あめのみや)神社」がある。この神社に昨年来た時、台風で倒れた木が神社の屋根に
乗っかっていたので気になっていたが、境内社などの修復は終わっていた。しかし本殿はまだ修理中だった。
この神社は「あまみや神社」だと思っていたら「あめのみや神社」だった。となると天方城は「あめかた城」なのか
不安になってしまった。少し調べたが仮名を振った物がなく、よく分からなかった。だが地図で城の近くの場所が
「向天方(むかいあまがた)」となっていたので「あまかた城」「「あまがた城」なのだろう。

天宮神社で蛇足をもう一つ。門前に「佐々木信綱博士の歌碑」と書かれた案内杭が建っていた。これは佐佐木信綱が
天宮神社に参拝したとき「天の宮神のみ前をかしこみと千とせさもらふなぎの大樹は」と詠んだ紹介だ。
イエイエその歌の批評など、とてもできる私ではありませんが、東海道を歩いていて、確か伊勢の石薬師宿に
佐佐木信綱の生家の記念館があった。そこの紹介で佐佐木信綱が中国に留学した時、中国には「々」の文字が
無かったので「佐佐木」と表した。それ以後佐佐木と名乗るようになった。とありました。

 
  太田川と天方城跡の山                     街道に直角でない民家

「城下」地域に入る。ここは太田川を隔てて天方城を望むことから城下になったと案内板にあった。
確かに写真で見ても城山の下にあるこの地区は城下に間違いない。更にここに架かっていた潜り橋は城に
伸びる橋で、まさに「延城橋」そのままだ。
案内板には更に面白い事が書いてあった。「街道に面した家屋は前面の道路に対して直角ではなく、斜めに
構えられており、道路との間に三角形を残しているのが特徴的です」
とあった。
確かに写真で見ても分かるように道路に対して平行ではない。何故こんな建て方をしたのだろう。森町市内の
民家を写真で確認したが、道路と平行に建っている。
理由を知りたかったが、残念!分からなかった。




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