歩行記録 27-3-17(火)
歩行時間:6時間35分 休憩時間:1時間20分 延時間:7時間55分
出発時刻:8時20分 到着時刻:16時15分
歩 数: 32、352歩(推定距離24.3km) GPS距離21.2km
行程表
立石バス停 0:35> 林道横断 1:40> 天子ヶ岳 0:40> 長者ヶ岳 0:30> 休暇村分岐 0:25> 長者ヶ岳登山口 0:40>
陣場の滝 1:00> 麓の吊橋 0:15> 麓 山の家 0:35> 自然歩道分岐 0:15> 朝霧高原道の駅
初めての天子山地
一人歩きをしていると何か目標を決めないと、何処に行くか悩んだり、途中で歩くのも嫌になってしまう。
そこで私はウォーキングでは歩き遍路や街道歩き、低山では山域にある全ての道を踏破するとか勝手な目標を掲げて歩いています。
その中の富士山では、麓の道を一周するとか、富士山の眺めの良い低山歩きもありますが、中でも富士山の前景に他の山が入らない
山歩きがあと少しで終わりそうです。その最後に残されていた天子山地の天子ヶ岳と長者ヶ岳に行ってきました。
上の図は既に歩き終わった麓道の一周コースと、そのままの富士山が見える低山です。
当り前の事だがそれらの山は一周コースと似たような場所になるので、それを繋げば平地コースと山道コースの富士山一周
コースが出来そうです。
平らな麓道だけでは物足りない人でも、これらの山を入れれば結構面白いコースになると思います。
それなのに天子山地だけは、麓は何回も歩いているのに山には登った事がない。その理由は?
平らな所から突然山が生えたように、そそり立っている山形に恐れを感じてしまい、あんな急峻な山は俺には無理だと・・・・
そんな訳でもう登る事はないと思っていたが、先日ブログ 「大人の遠足」 の山行記録を見て驚いた。
バスを利用して行っても天子ヶ岳と長者ヶ岳に登り、午後1時前には田貫湖に下っていた。
それなら私でも何とかなりそうだと、やっと出かける気になりました。
ミツマタ(三椏) 以外になだらかな天子ヶ岳
道の土手のミツマタが満開の花を付けていた。山地で見るより木も大きく花の数も多いようだ。
ミツマタと云えば富士宮の 「倭文(しどり)神社」 は日本最古唯一の織物・製紙の神である健羽雷神を祀っていた。
その由緒書には 「元来当地方には、藤、三椏、楮等が山野に自生して居り」 とあり
「ミツマタが計画的に生産されるようになったのは、今から200年前現在の静岡県富士宮市の白糸の滝近くで栽培されたのが
最初と記録されています。」 と紹介したものもある。
ならばここは白糸の滝の近くなのだからミツマタの産地のど真ん中だ。今日はきっとミツマタの花を楽しむことができるだろう。
正面が天子ヶ岳と思うがやけになだらかに見える。これならどうと云う事のない山だが何故急峻な山だと思い込んだのだろう。
記憶では天子ヶ岳と長者ヶ岳は双耳峰で、山頂部は鉄兜を二つ並べたような形だったと思うのだが・・・・・
しかも写真左奥のピークが長者ヶ岳なのだから、記憶違いもいいとこだった。
双体道祖神 甲子塔
静岡県の道祖神の多くは 「道祖神」 と文字が刻まれた石仏で、双体の道祖神は県境近くで時々見かけるだけだった。
例えば信州との国境の水窪や甲斐との境の御殿場。そしてここ富士宮も甲斐との国境だ。多分江戸時代から隣国との交流が
多かったのだろう。此処の案内板には
「佐折の石幢(せきどう) 幢とは、六角や八角の筒状の幡(はた)のことで、石幢は石で作った幡のことである。
この石幢は幢身の六面に地蔵菩薩像が彫られている。」 と紹介してあった。
しまったな~ 側面の地蔵菩薩像を確認しなかった。
次も他所では見た事のない 「甲子塔」 があった。甲子塔とは庚申塔とは違い、
「干十二支の甲子(きのえね)の晩に、大黒天を祀り、豊作や商売繁盛を願う民間信仰を甲子待ちという。庚申待ちは徹夜を
原則とするのに対して、これは子の刻(深夜12時)までとする。とくに子の月である11月の甲子待ちを重視する。」
甲子塔は倭文神社の近くもあったがミツマタ(製紙)と何か関係があるのかな。
登山口の案内板
立石バス停から10分も行った分岐点に西山本門寺と田貫湖キャンプ場への案内があったが天子ヶ岳は無い。一瞬田貫湖の
方かなと思ったが、左上の方にある案内板に気が付いた。危ない、危ない、気を付けないといけないな。
その案内板には、ここから天子ヶ岳まで150分で長者ヶ岳までは60分となっていた。今8時35分だから11時頃には天子へ、
昼までには長者ヶ岳に着きそうだ。これなら予定通り長者ヶ岳で昼飯ができる。
途中には展望台やら桜並木もあるようなので楽しみが増えた。
石に彫られた道しるべ 二股の道
天子ヶ岳への道は要所要所に道標があり迷う事はないが、こんな所もあった。
大きな石に 「右天子 ⇒」 となっている。そしてその先の道は確かに二俣になっている。だが案内された右の道は沢状の道で
入口が抉られたようになっていた。踏み跡はあるので一本道なら躊躇なく踏み入って行くのだが、それに比べもう一方の道は
余りにもしっかりした道だった。さてどうしようと迷ったが、右の道を見ながら、歩きやすい左の道を行く事にした。
暫く行くと道は合流していて、右の道の入口には小枝が積んであった。きっと元の道が抉れたので新しい道を作ったのだろう。
霜柱 二股の道
案内図にもあった林道の合流部を過ぎると、道は傾斜は増して高度があがったのか霜柱が目に付きようになった。
こんな物でも珍しくて、わざと踏たくなるのだから幼すぎる。でもザックザックの音とグサッとぐずれる感触は面白いですよね。
前方でまた道が分岐していた。ここには標識は無かったが、一方は登り勾配で、もう一方は平らな道だった。
今度は迷うことなく登りの道に入ったが、その理由は単に山頂に向かっているのだから登りの道だろうと単純に思っただけで
きっと誰でもそう思うような分岐だった。
なのに何故態々書いたのか。それはバス停から田貫湖までの間でサテ?と、思ったのはこの二ヶ所の分岐だけだった。
それ程道標がしっかりして分かりやすいので、初めて天子ヶ岳に登る人でも不安はありません。
山頂広場の瓔珞(ようらく)つつじ 天ケ岳山頂
直登だった道が西に巻くようになり、芝川の上稲子への分岐を過ぎると山頂の広場に着いた。その中央に案内板が建っていて
「昔、この地に都から嫁いできたお姫様が亡くなるとき、この場所に一緒に埋めた瓔珞 (ようらく:宝石などを連ねた装身具) から
芽吹いたことから瓔珞つつじとよばれています。
このつつじの花は真白で、風鈴のように下向きになって枝にぎっしりと美しく揺れて咲くので、別名「風鈴つつじ」とも言われます。
また、この瓔珞つつじの枝を折ると、暴風雨に見舞われるということで地元の人はこのつつじを恐れ、村人は急いで山頂に枝を
返しに行くという。逆に干ばつの際は、麓の青年が二人で枝を折りに登ることもあったといわれる。」
揺籃ツツジは初めて聞く名前だが 「花は真白で、風鈴のように下向きになって咲く」 ツツジならドウダンツツジ(満天星つつじ)
と思うが。そこで植物図鑑を調べたが揺籃ツツジの記述はなく、ネットで検索すると天子ヶ岳の物ばかりがヒットした。
その中にあった写真をみると、花は真っ白ではなく先の方が赤みを帯びた 「サラサ(更紗)ドウダンツツジ」 だった。
となると案内板と矛盾するが、果たしてどちらが正しいか、確認する必要がありそうだな。
登りながら天子ヶ岳の名前の謂れを考えてみた。
天子といえば 「日出ずる処の天子」 で天皇のことで、まさかこの山に天皇が行幸したとは思えない。
また、西洋なら背中に羽根の生えたキューピットの事だが、異国の愛の天子が異教徒の住む日本に来ることはなかろう。
となれば、駿河には三保の天女伝説と吉原のかぐや姫の降臨伝説がある。矢張りここも天から女性が降りてきた事にしたい。
そこで 「天子が山頂に下りて遊んでいるのを隣の山から見た男が、その天子を捕まえて、見世物にして大儲けをした」
それから天子が遊んでいた山を天ケ岳として、男が見ていた山を長者ヶ岳とした。なんて俗物的な空想しか浮かばなかった。
天子ヶ岳に着いたが、途中には展望台も桜並木も無かった。いや気が付かないだけだったのかもしれない。
山頂の富士山の展望台は揺籃ツツジの先にあった。
歩行時間:6時間35分 休憩時間:1時間20分 延時間:7時間55分
出発時刻:8時20分 到着時刻:16時15分
歩 数: 32、352歩(推定距離24.3km) GPS距離21.2km
行程表
立石バス停 0:35> 林道横断 1:40> 天子ヶ岳 0:40> 長者ヶ岳 0:30> 休暇村分岐 0:25> 長者ヶ岳登山口 0:40>
陣場の滝 1:00> 麓の吊橋 0:15> 麓 山の家 0:35> 自然歩道分岐 0:15> 朝霧高原道の駅
初めての天子山地
一人歩きをしていると何か目標を決めないと、何処に行くか悩んだり、途中で歩くのも嫌になってしまう。
そこで私はウォーキングでは歩き遍路や街道歩き、低山では山域にある全ての道を踏破するとか勝手な目標を掲げて歩いています。
その中の富士山では、麓の道を一周するとか、富士山の眺めの良い低山歩きもありますが、中でも富士山の前景に他の山が入らない
山歩きがあと少しで終わりそうです。その最後に残されていた天子山地の天子ヶ岳と長者ヶ岳に行ってきました。
上の図は既に歩き終わった麓道の一周コースと、そのままの富士山が見える低山です。
当り前の事だがそれらの山は一周コースと似たような場所になるので、それを繋げば平地コースと山道コースの富士山一周
コースが出来そうです。
平らな麓道だけでは物足りない人でも、これらの山を入れれば結構面白いコースになると思います。
それなのに天子山地だけは、麓は何回も歩いているのに山には登った事がない。その理由は?
平らな所から突然山が生えたように、そそり立っている山形に恐れを感じてしまい、あんな急峻な山は俺には無理だと・・・・
そんな訳でもう登る事はないと思っていたが、先日ブログ 「大人の遠足」 の山行記録を見て驚いた。
バスを利用して行っても天子ヶ岳と長者ヶ岳に登り、午後1時前には田貫湖に下っていた。
それなら私でも何とかなりそうだと、やっと出かける気になりました。
ミツマタ(三椏) 以外になだらかな天子ヶ岳
道の土手のミツマタが満開の花を付けていた。山地で見るより木も大きく花の数も多いようだ。
ミツマタと云えば富士宮の 「倭文(しどり)神社」 は日本最古唯一の織物・製紙の神である健羽雷神を祀っていた。
その由緒書には 「元来当地方には、藤、三椏、楮等が山野に自生して居り」 とあり
「ミツマタが計画的に生産されるようになったのは、今から200年前現在の静岡県富士宮市の白糸の滝近くで栽培されたのが
最初と記録されています。」 と紹介したものもある。
ならばここは白糸の滝の近くなのだからミツマタの産地のど真ん中だ。今日はきっとミツマタの花を楽しむことができるだろう。
正面が天子ヶ岳と思うがやけになだらかに見える。これならどうと云う事のない山だが何故急峻な山だと思い込んだのだろう。
記憶では天子ヶ岳と長者ヶ岳は双耳峰で、山頂部は鉄兜を二つ並べたような形だったと思うのだが・・・・・
しかも写真左奥のピークが長者ヶ岳なのだから、記憶違いもいいとこだった。
双体道祖神 甲子塔
静岡県の道祖神の多くは 「道祖神」 と文字が刻まれた石仏で、双体の道祖神は県境近くで時々見かけるだけだった。
例えば信州との国境の水窪や甲斐との境の御殿場。そしてここ富士宮も甲斐との国境だ。多分江戸時代から隣国との交流が
多かったのだろう。此処の案内板には
「佐折の石幢(せきどう) 幢とは、六角や八角の筒状の幡(はた)のことで、石幢は石で作った幡のことである。
この石幢は幢身の六面に地蔵菩薩像が彫られている。」 と紹介してあった。
しまったな~ 側面の地蔵菩薩像を確認しなかった。
次も他所では見た事のない 「甲子塔」 があった。甲子塔とは庚申塔とは違い、
「干十二支の甲子(きのえね)の晩に、大黒天を祀り、豊作や商売繁盛を願う民間信仰を甲子待ちという。庚申待ちは徹夜を
原則とするのに対して、これは子の刻(深夜12時)までとする。とくに子の月である11月の甲子待ちを重視する。」
甲子塔は倭文神社の近くもあったがミツマタ(製紙)と何か関係があるのかな。
登山口の案内板
立石バス停から10分も行った分岐点に西山本門寺と田貫湖キャンプ場への案内があったが天子ヶ岳は無い。一瞬田貫湖の
方かなと思ったが、左上の方にある案内板に気が付いた。危ない、危ない、気を付けないといけないな。
その案内板には、ここから天子ヶ岳まで150分で長者ヶ岳までは60分となっていた。今8時35分だから11時頃には天子へ、
昼までには長者ヶ岳に着きそうだ。これなら予定通り長者ヶ岳で昼飯ができる。
途中には展望台やら桜並木もあるようなので楽しみが増えた。
石に彫られた道しるべ 二股の道
天子ヶ岳への道は要所要所に道標があり迷う事はないが、こんな所もあった。
大きな石に 「右天子 ⇒」 となっている。そしてその先の道は確かに二俣になっている。だが案内された右の道は沢状の道で
入口が抉られたようになっていた。踏み跡はあるので一本道なら躊躇なく踏み入って行くのだが、それに比べもう一方の道は
余りにもしっかりした道だった。さてどうしようと迷ったが、右の道を見ながら、歩きやすい左の道を行く事にした。
暫く行くと道は合流していて、右の道の入口には小枝が積んであった。きっと元の道が抉れたので新しい道を作ったのだろう。
霜柱 二股の道
案内図にもあった林道の合流部を過ぎると、道は傾斜は増して高度があがったのか霜柱が目に付きようになった。
こんな物でも珍しくて、わざと踏たくなるのだから幼すぎる。でもザックザックの音とグサッとぐずれる感触は面白いですよね。
前方でまた道が分岐していた。ここには標識は無かったが、一方は登り勾配で、もう一方は平らな道だった。
今度は迷うことなく登りの道に入ったが、その理由は単に山頂に向かっているのだから登りの道だろうと単純に思っただけで
きっと誰でもそう思うような分岐だった。
なのに何故態々書いたのか。それはバス停から田貫湖までの間でサテ?と、思ったのはこの二ヶ所の分岐だけだった。
それ程道標がしっかりして分かりやすいので、初めて天子ヶ岳に登る人でも不安はありません。
山頂広場の瓔珞(ようらく)つつじ 天ケ岳山頂
直登だった道が西に巻くようになり、芝川の上稲子への分岐を過ぎると山頂の広場に着いた。その中央に案内板が建っていて
「昔、この地に都から嫁いできたお姫様が亡くなるとき、この場所に一緒に埋めた瓔珞 (ようらく:宝石などを連ねた装身具) から
芽吹いたことから瓔珞つつじとよばれています。
このつつじの花は真白で、風鈴のように下向きになって枝にぎっしりと美しく揺れて咲くので、別名「風鈴つつじ」とも言われます。
また、この瓔珞つつじの枝を折ると、暴風雨に見舞われるということで地元の人はこのつつじを恐れ、村人は急いで山頂に枝を
返しに行くという。逆に干ばつの際は、麓の青年が二人で枝を折りに登ることもあったといわれる。」
揺籃ツツジは初めて聞く名前だが 「花は真白で、風鈴のように下向きになって咲く」 ツツジならドウダンツツジ(満天星つつじ)
と思うが。そこで植物図鑑を調べたが揺籃ツツジの記述はなく、ネットで検索すると天子ヶ岳の物ばかりがヒットした。
その中にあった写真をみると、花は真っ白ではなく先の方が赤みを帯びた 「サラサ(更紗)ドウダンツツジ」 だった。
となると案内板と矛盾するが、果たしてどちらが正しいか、確認する必要がありそうだな。
登りながら天子ヶ岳の名前の謂れを考えてみた。
天子といえば 「日出ずる処の天子」 で天皇のことで、まさかこの山に天皇が行幸したとは思えない。
また、西洋なら背中に羽根の生えたキューピットの事だが、異国の愛の天子が異教徒の住む日本に来ることはなかろう。
となれば、駿河には三保の天女伝説と吉原のかぐや姫の降臨伝説がある。矢張りここも天から女性が降りてきた事にしたい。
そこで 「天子が山頂に下りて遊んでいるのを隣の山から見た男が、その天子を捕まえて、見世物にして大儲けをした」
それから天子が遊んでいた山を天ケ岳として、男が見ていた山を長者ヶ岳とした。なんて俗物的な空想しか浮かばなかった。
天子ヶ岳に着いたが、途中には展望台も桜並木も無かった。いや気が付かないだけだったのかもしれない。
山頂の富士山の展望台は揺籃ツツジの先にあった。