はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

天城越え 三嶋大社

2012-05-01 11:19:57 | ウォーキング
天城越え1-1

場   所:静岡県・三島市・伊豆の国市・伊豆市
歩行月日:2012/04/29
歩行データ: コースタイム
 三島駅-0:15-三嶋大社-3:00-江川邸-0:40-反射炉-2:40-横瀬-0:40-修善寺温泉-1:30-修善寺駅

 歩行時間:8時間45分 休憩時間:1時間45分 延時間:10時間30分
 出発時間:7時00分  到着時間:17時30分
 歩数:47,460歩 GPS距離:36.5km

 ゴールデンウイークのせいか、私と同じような格好をした中高年のグループが何組か三島で下車した。だが伊豆3山でも目指しているのか、みんな伊豆箱根鉄道の方に行ってしまった。可哀そうに今日は富士山は見えないよ。と余計な心配をしてしまった。

 三島駅を7時に出発。いつもは素通りする楽寿園や白滝公園の写真を撮ったり、文学碑を眺めながら三嶋大社に向かう。
ここを歩くといつも感じるのだが、確かに三島は「水の都」だと思う。街中の川なのにこの桜川の水は澄みきっていて川底を丸見えにしている。その川底にはゴミは無く三島梅花藻なのか、長い水藻が流れに身を任せ、気持ち良さ気に揺らいでいる。その上には水鳥が流れに向かって泳いでいる姿も見える。

 今回初めて気付いたのは、この桜川には橋が凄く多い事だ。勿論道路の橋もあるが、その殆どは家々につながる橋でわずか300m程なのに20本以上かかっている。数を数えたが途中で分からなくなってしまった。

 川辺の文学碑にこんな句碑があった「すむ水の きよきを写す 我が心」 一見今風の句で少々くさい感じもするが、作者は江戸時代の連歌師 宗祇だった。イエイエ私はそんな高尚な趣味は無いのですが、東海道箱根湯本の早雲寺に寄ったとき、宗祇の墓があった事を思い出しただけです。

   
  楽寿園                   白滝公園                桜川

 三嶋大社は過去何度も寄っているが、のんびり散策したことは無い。今日も宝物館になどには寄れないが、立札のある所を見て歩いた。そこで今回は三流と言うかゲテ物と言うか、そんな物を紹介します。

 まず源頼朝と北条政子の腰掛石「治承4年5月に源頼朝が平家追討の心願をこめて百日の日参をした時に、腰をかけて休憩したと伝えられている石です。左側の石が源頼朝、右側の石が北条政子が腰掛けた石である」
この腰掛石類の話は登場人物が変わって各地にあるが、特に三島周辺には多い気がする。
まず三島市内には頼朝と義経が対面したとき座った「対面石」が東海道黄瀬川の近くの八幡神社にある。箱根の西坂には豊臣秀吉が兜を置いた「兜石」。西坂を下り強飯坂の下の松雲寺には明治天皇が座って富士山を眺めた「腰掛石」がある。さらに三島に近づいた川原ヶ谷神社入口には「鞍掛石」がある。
今日も頼朝の故郷、韮山に行くので、何個かの石に出合うだろう。

 「たたり石 此の石は大社前旧東海道の中央にあり、行き交う人の流れを整理する役目を果たしていた。たたり(絡垜)は本来糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語である。
後に往来頻繁になり、これを取り除こうとする度に災いがあったと言われ、“絡垜”が“崇り”に置き換えて考えられる様になったと言われている。
 大正三年内務省の道路工事によって掘り出され、神社に於いて此処に据えられた今日では交通安全の霊石としての信仰がある」


「たたり」にそのような意味があったとは初めて聞いた。念のため国語辞典で見ると間違いなく「糸のもつれを防ぐ道具」とも書かれていた。
これと似た石は日坂宿の小夜中山の「夜泣石」が有名で、広重の浮世絵にも書かれたり、伝説も今も伝わっている。
一方たたり石の方は、三嶋大社に何度も来ている私も初めて知った位であまり有名でない。
伝説が有るか無いかで知名度が随分違う。このたたり石も頼朝に纏わる伝説を作っておけば有名になったろうに、惜しい事をした。

 「キンモクセイ(国指定天然記念物)この樹木はウスギモクセイの雄木として、日本有数のもので、大社の神木として大切に保存されている。樹齢は1200年を数えると伝えられ、訪れる参詣者の目を引いている。
根回り約3m、高さ地上約1m 9月上旬から中旬にかけて淡黄色で可憐な花をつけ、甘い芳香を発するが、その香は神社付近はもちろん、遠方にまで及び、時には二里(約8km)先まで届いたと伝えられている」


 見た目は大木ではないが金木犀としては大木なのだろう。金木犀の香りは好きだが、あれはほんのり香るから良いのであって、8k先まで匂うような元に来たらどうだろう?香にむせ返ってしまうかもしれない。でも一度花の盛りに来てみたい気はする。

 最近の新聞で金木犀の名前は牧野富太郎博士が名付けたと書いてあった。牧野博士は明治から昭和にかけての人。ここの金木犀は樹齢1200年。では牧野博士が名付ける前は何と呼ばれていたのだろう? 疑問に感じません?
そこで調べてみると、こんな話が出てきた
「金木犀はフミオエコトバナ(踏音開言花)と呼ばれていた。これは秋になって、金木犀がが黄金色の花を咲かせ甘い香りを漂わせますと、人間がその香りに惹かれて近づいて来ます。その時、人間が大地を踏みしめる音が出る。その音に共鳴して金木犀が開花する。だから踏音開言花と呼ばれていた」とあった。
本当ですかね~ だって人が香りに惹かれて近づく音に共鳴して開花するとあるが、金木犀はすでに開花しているから香るのでしょうに。

 
   
  頼朝・政子の腰掛石             たたり石                  金木犀 

 三嶋大社を7時30分出発。