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はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

昨年の歩行記録

2018-01-03 10:00:00 | その他


  2017年の総歩行距離は1504kmで1日平均4.1kmと何とか目標の4kmを達成する事ができました。
4年前までの1日10kmと比べると半減以下になってしまい、特に一昨年は2.8kmしか歩いていません。
それを受けて昨年の目標騎距離を4kmと設定したのですが、6月末には平均2kmしかなっていませんでした。
幾ら何でもこれでは少なすぎで、趣味が “歩き” とはとても言えない状態です。
後半に何とか巻き返しを図り目標の4kmを達成することが出来ましたが中々大変でした。



  毎日の歩行距離と体重をエクセルに投入しグラフを自動表示しています。
上のグラフは2017年の旬毎の歩行距離を表したもので、一目で6月までが少ないことが分かります。



  毎日の投稿距離を四国遍路の行程に変換したものです。
多い時は三巡して四巡目に入った事もあったのですが、昨年は二巡目の土佐の途中で終わってしまいました。
せめて二巡はしたいのですが今の私には無理なようです。



  上のグラフは年間の歩行距離を集計したものです。
ピンク色の体重は歩行距離に比例するように最近では増加傾向にあります。これ以上増えないようにとは思っているのですが・・・・・・

そこで今年の目標距離は 「一日5km」 として、体重は 「62.5kg」 とします。
クリア出来るかどうか神のみぞ知るですが 「無理せず 楽せず 程々に」 やっていきたいと思います。

謹賀新年

2018-01-01 11:26:21 | その他

          

         新年明けましておめでとうございます。
         
         「山は逃げない」と申しますが、最近では 「山は逃げないが難度はあがる」 と思うようになりました。
         歳と共に今まで歩けたコースも距離を短くしたり、簡単なルートを変えたりしなければならなくってきました。
         それでも歳相応に 「無理せず 楽せず 程々に」「観歩」 続けて行きたいと想っています。


          


          初日の出は例年通り満観峰で迎えました。
          昨年・一昨年とも雲もなく風もない暖かな山頂で初日を迎える事ができました。
          山頂には約200人を越える登山者で大賑わい。甘酒のお接待もありました。

            ********************************************************

 「一年の計は元旦にあり」 と言いますが、霊場巡りで頂いた数々の教訓集には参考になるものが多いので紹介します。
先ずは健康志向の方に
 壱  少肉多菜 お肉はほどほどにして、野菜をたっぷりで健康もりもり
 弐  少塩多酢 塩分取りすぎは高血圧のもと、酢は健康のもと
 参  少糖多果 甘いものは果物から、砂糖は肥満への直通切符
 四  少食多噛 腹八分目でよく噛めば 幸せも噛みしめられる
 五  少衣多浴 薄着で風呂好きの人は 健康を身につけている人
 六  少言多行 べらべら喋っている間に 行動を開始せよ
 七  少欲多施 自分の欲望のために走らず 他人のために走れ
 八  少憂多眠 くよくよしたって同じ とっとと寝てしまう
 九  少車多歩 自動車は確かに速い 歩けば健康への近道
 十  少憤多笑 怒ったときでもニコニコしてれば 忘れてしまう
健康寿命は男性が71歳で女性は74歳だそうです。既にその年齢を通過している私としては健康に特に留意しなければなりません。
それなのに気の弱い事もあり、人間ドックも無料になった特定検診も避けています。
そんな私でもできるのは 「少車多歩」 でしょうか。

健康に留意しても襲い掛かる死神には
 還暦  60歳 とんでもないよと追い返せ
 古希  70歳 未だ末だ早いと突っ放せ
 喜寿  77歳 せくな老薬これからよ
 傘寿  80歳 なんの未だ末だ役に立つ
 米寿  88歳 もう少しお米を食べてから
 卒寿  90歳 年齢に卒業はない筈よ
 白寿  99歳 百歳のお祝いが済むまでは
 茶寿 108歳 まだまだお茶が飲み足らん
 皇寿 111歳 そろそろゆずろうか日本一
歩き回れる健康なうちは死神は追い返したいですね。

願いが叶って生き延びることが出たなら、次の 「つもりちがいの十条」 を腹に入れ、周りに 疎まれないようにしないと。
 1条  高いつもりで低いのが  教養
 2条  低いつもりで高いのは  気位
 3条  深いつもりで浅いのは  知識
 4条  浅いつもりで深いのは  欲の皮
 5条  厚いつもりで薄いのは  人情
 6条  薄いつもりで厚いのが  面の皮
 7条  強いつもりで弱いのが  根性
 8条  弱いつもりで強いのが  我
 9条  多いつもりで少ないのは 分別
10条  少ないつもりで多いのが 無駄

  死神を追い返すほどの健康で穏やかな一年になりますように・・・・・

芹ヶ谷峠近くの221m峰

2017-12-30 13:32:24 | その他

前回の歩きで気になっていた芹ヶ谷峠入口近くの221m峰へ景色の確認に行ってきました。

 
              我家の2階からの富士山                            アップ

  夜中に小雨が降った朝、2階の雨戸を開けながら富士山の方角を見ると・・・・・・・
我家の2階から富士山は、高草山と花沢山の中間の日本坂峠と水分大神のピ-クの上に見えます。
丁度稜線が低くなった所で良いのですが、正面に送電線の鉄塔がドンと居座っているのが難点です。
眺望権を主張したいのですが、40年前に引っ越して来た時から鉄塔は建っていたのでどうしょうもありません。
それに鉄塔やその点検路には、低山歩きでお世話になっている身としては送電線の悪口は言えませんよね。

マーそんな事はさておき白くなった富士山を見て、急遽芹ヶ谷峠の221m峰に行ってみたくなったが、急いで行かないと
雲が出てしまいそうです。そこで急遽妻を誘って車で行く事にした。


                                  芹ヶ谷峠付近の221m峰より

  221m峰にはアンテナの点検中の人がおり挨拶を交わして、何のアンテナか確認すると 「アマチャ無線用アンテナ」 との事。
共同で管理していると思われるが、共同のアンテナは小夜の中山の火剣山にも建っていたが、随分金の掛かる趣味だと思う。
挨拶を終え写真を撮りだすと、もう一人の人に 「危ないからもっと離れて」 と注意を受けて移動したのだが許してくれない。
 「もっと離れろ、もっと離れろ」 と、最後には 「バカ野郎!出ていけ‼」 と怒鳴りだした。
胸ぐらを掴みかねない勢いで近づいて来る人に、君子危うきに近寄らずで慌てて退散をしました。
                       221m峰の場所

          
                                 芹ヶ谷峠入口付近から

  折角ここまで来たのだからと芹ヶ谷峠入口付近から未練がましく写真を撮っていると、上からトレランの人が駆け下りてきた。
 「高台に行ってきました?」 と聞くと 「人が居たから入らなかった」 そうです。そーそれが正解のようです。


                                  丸山花木展望台より

  折角付き合ってくれた妻をビックリさてただけでは申し訳ないと、徳願寺下の丸山花木の展望台に行く事にした。
展望台からの景色を見た妻は 「さっきの場所より、こっちの眺めのが素晴らしい」 と言ってくれたのは私への慰めかな?

          
                                 丸山花木展望台より

  どちらも似たような景色だが、私にはここからの眺めは安倍川も静岡市街も近すぎるような気もするが、どっちこっちでしょう。 

          
                                 丸山花木展望台より

  丸山花木展望台には以前は無かったこんな案内板も造られていました。
                   丸山花木展望台の場所

世に登録

2017-10-17 11:58:33 | その他
  10月5日の東遠3城址を歩いて家に帰ると 「結婚記念日はいつか知っている?」 と妻に聞かれた。
 「勿論42年10月6日だよ。」 と得意になって即答した。
皆さんは自分の結婚記念日を覚えていますか? 数字を覚えるのが苦手な私ですが、結婚記念日はいつどこでも何の迷いもなく
即答できます。それは妻を愛しているからです。なんて事はなく、単なる語呂合わせで覚えているにすぎませんが。

  結婚すれば当然役所に二人の仲を届けますよね。それは夫婦であるのを世に登録した事になります。
すなわち 「世()に() 登(10)録」 で、42年10月6日と覚えているわけです。
お陰で結婚記念日は聞かれれば答える事ができるのですが、結婚記念日の日に思い出すかどうかは別問題です。
今年もその例に洩れず、妻に聞かれたから思い出す始末でした。

  今までも結婚記念日に特段の事はしていないが、今年は若干趣が違います。何しろ昭和42年を西暦に直せば1967年です。
因みに2017年-1967年=50年 となって今年50年の節目の年に当たっています。
これでは何もしないわけにはいかず、一先ず明日は妻の好きな温泉に連れていく事にしました。
これで妻の機嫌は若干治まったのですが、50年前に 「互に心を結び力を合わせて偕老同穴共に白髪生えるまで」 と誓った
神様はそれでは治まらなかったのか、わざわざ行った温泉て風邪をひいてしまいました。
お陰で2回目の村山古道も行く事ができず、布団の中でフーフーしていました。

  これ以上の罰は御免蒙りたいので、神様と山の神のご機嫌直しにと、来月月遅れのフルムーン旅行に行こうかと思います。
とは言え新幹線のグリーン車の旅ではなく、伊豆へのマイカー旅行です。
この程度の事で怒りを治めてくれるのですから、我家の山の神は大事にしなければなりません。

  こんな無駄話をしていて気が付いた事があります。
それは50年前の10月6日には宿に着いてプロレスを見た覚えがあります。その頃プロレス人気は絶大で、毎週金曜日の午後
8時からはTV放送をしていました。そして50年目の今年も10月6日は金曜日でした。(プロレス中継はありませんが)

  どのような計算式でそうなるのか考えたが分かりません。ただ1967年から10月6日が同じ曜日になるのは
11年目の1978、6年目の1984、5年目の1989、6年目の1995、11年目の2006、6年目の2012、5年目の2017で50年になります。
何か公式でも成り立つのかと思いますが、今の私の知力や忍耐力では考察する事はできず、即あきらめです。
マーそれは兎も角、結婚してから18、263日、何とか別れずに暮らしてくる事ができました。
残りは2、000日も無いでしょうが、時々は妻の作った弁当をもって歩きに出かけられるような仲を、続けていきたいと思っています。

8月の歩数

2017-09-01 12:00:00 | その他
  自分の一日の歩数が 「280歩」 と知り、ショックを受けて2ヶ月が経ちました。
そして建てた目標は高血圧や糖尿、メタボを予防する 「1日8000歩」 でした。
しかし夏の暑さにとみに弱くなったこの頃は、遠出をして歩く自信はありません。ならば近くの大井川の河川敷をこまめに歩いて
距離を稼ぐ事にしました。

  そして7月の結果は 

               6月平均歩数1500歩  が  7月平均歩数11500歩 と急上昇しました。

  余りの好転振りに気を良くして、これなら8月は1日13000歩は届くのではないかと期待を抱かせました。
若し1日13000歩を歩いたなら1日約9km歩いた事になり、これは私の最盛期だった1日10kmに近づく事になります。

  そんな期待を抱いた8月は

               何と  7月の11500歩  から  11000歩    に下がってしまいました。

  この原因は言わずとも知れた瀬戸ノ谷ハイキングの救急車騒動です。
いくら本人が “何でもない” と言ったとて、周りの理解は得られません。騒動後の3日間は大人しくせざるを得ませんでした。
そんなわけで7月より歩行数は下がったものの、目標だった 「一日8000歩」 は見事に2ヶ月クリヤしました。
問題はこれからこれを持続していく事ですが、果たしてどうでしょう。自信はありません。
何しろこれだけの距離でも河川敷から帰るとぐったりするし、朝起きた時も疲れが残っている始末です。
矢張りここは自重して1日の歩行数を8000歩として、それ以上は歩かないようにした方がベターな気がします。
ここは情けないが、座右の銘の 「無理せず 楽せず 程々に」 を実践する事にします。


  この後の経過は来年報告します。
そうそう私が日常的に歩数計を付けるようになった事で思わぬ処に効果が出てきました。
今まで山やウォーキングは勿論、散歩もしない妻が歩数計を付けるようになったのです。その結果家事や買物だけで
1日5000歩程歩いて事が分かると、妻は猛然と意欲を出して、毎日家の中で足踏みをして歩数を増やすようになったのです。
口には出さないが私と同じ1日8000歩を目指しているようです。
問題は飽きっぽい妻なので、いつまで続くか分かりませんが、何もやらないより良いでしょう。

5年経った太陽光発電

2017-08-24 12:00:00 | その他
                          我家の太陽光パネル

                     東の方向には大崩山塊の北のピ-クや高草山、花沢山が見え、その後ろには富士山も顔を出している

  「10年で元が取れる」 と業者の誘いに言葉に乗せられて、我家の屋根に太陽光をパネルを乗せてから、丁度半分の5年が
経ちました。果たして計算通り経費の半分を売電できたかどうかを紹介します。

  設置経緯などは4年目と同じですが再度紹介します。

面倒くさい事には手を出さない私ですが、
  ◯1・屋根が陸屋根である。
  ◯2・日照時間が長い。
  ◯3・太陽光を遮る物が無い。

の設備上の条件が揃っている上、
  ◯4・市から補助金が出る。
  ◯5・発電電力の販売単価が高い。
などの好条件が揃っていた事もあって2012年8月に設置に踏み切りました。

◯1・屋根が陸屋根である。
  我家のある焼津市(旧大井川地区)は、マグニチュード8クラスの巨大地震が発生する東海地震の震源域にあり、
25年前に家を新築するときは、耐震を主体として陸屋根で箱型の家を建てました。
当初平らな屋根の上にはバーベキュー場や物干場などにする予定でしたが、階段や手摺などを設置すると多額の経費が
掛かる事が分かり、結局手付けずになってしまいました。

◯2・日照時間が長い。
  太陽光発電を設置するにしても日照時間が短ければ発電量は少なくなってしまう。そこで全国の日照時間を調べてみると、
静岡県は全国7位で、年間日照時間は2215時間と中々の物だった。
更に焼津市を調べてみると、全国の自治体の中の53位で日照時間は2094時間となっていた。
これは焼津市の平均値なのか、それともどこか基準点の値か分からないが、私の住む旧大井川地区には、山も岡も無く、
当時町内で一番標高の高い場所が、平地に埋土した東名高速道路だったので、我家でもこの数値を下回る事はなさそうです。

◯3・太陽光を遮る物が無い。
  だが山や岡が無くても、近くに高い建造物や森や林などがあれば、太陽光を遮り発電量は少なくなってしまいます。
幸いな事に我家の周りに太陽光を遮る物と言ったら、天空に浮かぶ雲くらいで、太陽さえ出ていれば発電は可能です。
しかし日照時間は長いと言っても太陽が顔を出していなければ発電量は下がってしまいます。
そこで年間の好天日数を調べてみると静岡県は案外低く全国で33位だった。これには少々ガッカリしたが、同じ統計資料の
中の “年間快晴日数” は全国3位と奮闘している。一見矛盾しているようにも感じるが都合の良い事は信じておきます。

◯4・市から補助金が出る。
  設置当時の平成24年では、焼津市から補助金が40万円弱交付されていましたが現在は無いようです。ただこの補助金は
各自治体によって違いがあり、他の自治体の現状は調べなければ分かりません。

◯5・発電電力の販売単価が高い。
  これも設置当時の平成24年は、中部電力の電力買い取り価格は、10年固定で1KWH42円でしたが、今は31円と11円も
下がってしまいました。

  次に投資資金ですが、これは設置する人の方針で違ってきます。そこで今回は太陽光パネルとその設置費用のみを合計し、
ローンの借入利率や自己資金を定期利率、補助金の有無など全て除外して計算しました。

◯太陽光設備費用 4,263,000円  太陽光販売単価 1KWH42円


  設置時に業者は10年で元が取れると誘惑していましたが、諸経費や利子など一切の経費を除外し、純粋にパネルの材料費と
設置費だけで計算しても、5年の返済率は43.7%と50%になっていません。
この調子で行くとなると設備費の償却は10年ではなく12年掛かる計算になります。
でも、残りの5年が、設置当初のように1年で9.2%発電すれば10年で償却できる事になります。まだまだ期待は残っています。

このような結果になったのは業者の推定発電量が高かったのか調べてみました。


 すると予測発電量より低かった月は、12月の2ヶ月だけで、後の58ヶ月は全て予測量より実質発電量は多くなっています。
このグラフを見る限り業者の発電予測は控え目だったことが分かります。
では発電量が多いのに何故元が取れていないかと云うと、業者の償却計算にはオール電化にしたため、毎月のガス料金や、好天の
昼間は自家発電で賄い、中電の電気を使わないための減額などが入っています。
そのためトータル的には10年で元が取れる計算になるようです。
マー利用者としては勘定合って銭足らずの感がしないでもありませんが後悔はしていません。

  次に月別の発電量を比較してみます。


  一年で一番発電量が多い月は5月ですが、これは何となく分かりますよね。
本来なら日照時間が一番長い夏至の近くの6月と7月が発電量が多い筈ですが、少ないのは梅雨の影響でしょうか。
今年の8月は曇りや雨が多く清々しない日が多かったですが、太陽光はそれを見事に反映していました。
6月7月と過去最高の発電量だったのが、8月は一転して5年間で最低の発電になってしまいました。(前々グラフ参照))
自分の趣味から言うと熱中症の恐れのある、否脱水症になってしまった真夏日や猛暑日は嫌いですが、太陽光に関して言えば
猛暑日大歓迎です。更に9月に入ると歩きの季節が近づいたと喜ぶのですが、太陽光の発電量は下がってしまいます。
人生そうは都合よく行かないものですね。


  条件の良かった我家の太陽光ですが10年では元は取れそうもありません。それでも太陽光発電を設置した事を後悔は
していません。その理由は
 ◯1・水の予備タンクが出来た。(エコキュート・震災時用)
 ◯2・昼間の停電なら太陽光で料理はでき、TVを見る事が出来る。(震災時用)
 ◯3・オール電化にしたためガス代を払わなくなり、毎月の光熱費は大幅に減った。

  以上は太陽光とオール電化にすればどの家庭でも受けられる利点ですが、我家には他にも大きなメリットが生じました。
それは最初に紹介した我家の屋根の形状が陸屋根で、天井裏が無い事が大きく影響しています。パネル設置前は
 ◯1・雨音が煩い
    雨の音が煩くTVの音声が聞こえないくらいでした。
 ◯2・熱気がもろに2階の部屋に籠る
    夏の太陽光をもろに受けた屋根の鉄板は、その熱をそのまま2階の室内に伝えてしまうので、夏の間の午後は
    2階に行くとムッとして気分が悪くなってしまいました。
    冬も冷気が下がりやすいのでしょうが、これはストーブなどの暖房のお陰で余り気になりません。

  以上の2点は屋根に太陽光パネルを設置した事により大幅に改善され、今は特に支障を感じなくなっています。
ただ一点、以前より不便になったのは風呂の全自動機能です。以前のガス釜の追焚き機能は、風呂桶のぬるくなった湯を
直接温めましたが、エコキュートは電気で沸かした外部の湯を風呂釜に追加する方式なので、時間も掛かり電気代も
高くなってしまいます。おまけに風呂釜の湯が多い時は、湯をかい出して捨てなければなりません。
マーこれも私が妻に続いてサッサと風呂に入れば済む事ですが ・・・・・・・・・・・


  こうして考えると、これからの太陽光発電は不利のようにも感じますが、パネルの発電効率は上がり発電量が多く
なっています。更にパネルの価格が下がっていますので立地条件が良い場所なら検討の価値はあると思います。
特に新築の場合は一度は検討した方が良いでしょう。

前回と同じようになってしまいましたが参考になったでしょうか。また3年後の設置8年目に報告します。

中里・滝ノ谷:ハイキングコース調査蛇足

2017-08-09 12:03:34 | その他
  これからの話は他人には知られない方が私の格好は守れるだろうが、このブログを見てくれている方の中に、
私しと同じ年代の方がいたら、少しは役に立つのではないかと思い恥を承知で告白します。

  踏切の柵に腰掛けながら下を向くと、頭の中がスーとして何本もの線が表れたような気がした。

 「ここは藤枝駅の東側の踏切です。お年寄りが気を失って倒れてします。」
ウン? 何だ? 俺の事か? 早とちりだな~ 俺は何でもなのに。
 「アッ! 私は大丈夫です。」 と声を挙げたが、携帯で話している女性は通話を止めない。
この女性は自転車の後ろに女の子を乗せた人で、俺と一緒に踏切に立っていた人だ。

  「どうしたんだ? 大丈夫かな~?」 と今度は男の声がする。目を開けると男性が数人私を見下ろしていた。
 「大丈夫です。」 と起き上がろうとするが腕や腰に力が入らない。
暫くたったのだろうか、今度は私の両肩に手を掛けて 「大丈夫ですか?」 と声を掛けてくれた男性がいた。
薄目を開けると制服を着た若い人で、目の前で私を覗き込んでいる。どうやら救急車の隊員のようだ。
これはいけない。このままだと救急車で病院に運ばれてしまう。それは駄目だ。
しかしそんな事はお構いなく、私は担架に乗せられ救急車の中に入れられてしまった。

  イヤー!気持ちいい。救急車の中は冷房が効いていて生き返ったようだ。
ここで住所氏名年齢などを聞かれたが、間違えてると意識障害と思われてしまうので、ハキハキなるべくシッカリしていると
思われるように答えた。
症状を聞かれたので、吐気も眩暈も痛い所も無く、休んだので体力は戻った感じだと答えたが、
 「○○救急士の判断で病院に搬送します。」 と最悪の答えが返ってきた。 アーァ! やっちゃった。もう元には戻らない。

  救急車で搬送されているとき 「川に入ったのですかと?」 と聞かれたが、そんな事はないと答えると
 「全身がビッショリですので服を脱がせます。」 服を脱がせ汗を拭いてくれた。
救急士の話では、私は電車待ちで踏切に座るとそのまま地面に横になって動かなくなってしまったそうだ。
近くにいた女性が声を掛けたが反応が無かったので、119番に通報したそうです。

  どうやら柵に座った時に気を失い、女性の電話の声で一旦は気が付いたものの、また気が遠くなり、次に気づいたのは
野次馬らしき声がした時のようだ。
その後の救急車のサイレンの音には気が付かなかったので、また寝込んだのかもしれない。
だが救急隊員に声を掛けられてからは意識もしっかりし、不調な所は無く力らも蘇ったのだが・・・・・・・

  病院の処置室に入ると大勢の医師や看護婦に取り囲まれ、ズボンもパンツも靴下も脱がされ真っ裸にされてしまった。
恥ずかしく惨めだが何と仕方なく、眼をつぶるだけだった。
看護婦たちの声が 「発汗が酷く全身ビッショリです。」 とか 「血圧が計りにくい」 「体温が測れない」 なんて声も聞こえてくる。
 「肛門から体温を計りますね。」 とブスっと尻の穴に異物を入れられた。
更に 「少しチクっとします。」 と両足の付根に針を刺す感触がした。それも一度ではなく何度もチクチクする。
余り何度もチクチクするので 「何をしているのですか?」 と聞くと 「採血をしているのですが中々採れなくて」 と言う。
今まで何度も採血はしていて、血が取りにくいなんてことはなかったので、この医者は不器用だ。なんて思いながら我慢をした。

  倒れた時の状態を聞かれたが、特に何もなくただスーとしただけとしか答えようがない。
症状を聞かれても何とも無かったのだから言いようもない。
医者は 「目の前が真っ暗になったか」 「吐気や眩暈は無かったのか」 「足は攣らなかったのか」 「脱力感は無かったか」 など
色々聞かれるがどれも該当をしない。
今の症状も聞かれたので少しは協力しないと思い 「少し疲れている。」 と答えると 「疲労感を感じるのですね。」
念を押されてしまった。
 「今日はゆらく近くのハイキングコースを歩いて、そのまま駅まで歩いて来たので少し疲れた。」 と言うが、ゆらく付近の地理は
知らないようで、詳しく聞かれるが不動峡も瀬戸ノ谷も知らないのだから説明のしようもない。
医者や看護婦も諦めて 「何時から歩き出して、どのくらい歩いたのですか?」
 「朝8時にゆらくを歩き出して、踏切に3時前に着いて、だいたい20kmくらいです。」
 「水分は採っていたの?」 
 「ハイ。500のポカリと氷らせた水750で、水が少し残っている程度です。あのーその水を飲んでもいいですか。」
 「アーいいですよ。誰か取ってやって。」
と言ってくれたので、まだ少し氷のある水を飲み干した。
ウーン! 旨い。医者看護婦もそんな私の様子を見て、何でもないと判断したようで、その後の会話は雑談のようになった。

  診察室での結果は 「点滴を2本打ち、その後で血液検査の結果を見て帰れるかどうか判断します」 という事で病室に入れられた。
  病室で点滴を受けていると娘が妻と入った来たのビックリした。わざわざ娘に知らせなくてもと思ったら、娘は仕事が休みで家に
来ていたとき、救急車から連絡があったので慌てて妻を車で連れてきのだった。何とも間が悪い事だ。

  点滴を受けているとき経口補水液OS-1を買ってきてもらったが、500㏄を簡単に飲み干し、2本目も買いに行ってもらった。
矢張り水分が足りなかったのだろう。歩いているときは喉が渇いた感じが余りしないが、体の水分は汗で出てしまったのだろう。
歩く時はあと1本追加する必要がありそうです。

  点滴も終り血液検査の結果も出て医師から診断結果を聞く。
 「朝からの長時間の運動で体の水分だけでなく、血液の中の水分も汗で出てしまい、脱水症状になったようです。
ですが体温の上昇は見られず、眩暈も足も攣っていない事から熱中症ではなく、脱水症状です。
最初は血管の中の血漿成分が少なく、血圧も正常に測れない状態でしたが、点滴を血管に直接補給してやっと上が90で下が
65にになりまし。その後も血圧は上がって今は138の76になっています。
水分も塩分の取っていたようですが、長時間続いた運動に伴う発汗には追い付いていなかったのでしょう。
お歳がお歳ですから運動をするにしても、もう少し加減した方が良いですね。」


 ウーン! 反論の余地はないものの脱水症状で倒れたのに何故熱中症じゃないのだろう。確認すると
 「熱中症は体温の上昇を伴って現れる症状で、この場合は体温が正常なため、あくまでも脱水症状です。」 だって。
理解できないがそういう事らしいです。

  娘と妻の前を歩いていると 「お父さんもっとゆっくり歩いて、これじゃどっちが病人だか分からない。」 と笑われてしまった。
その時は長い休憩もして、水分も十分に取ったので体力は回復し、リュックを背にしたのでいつもの歩きになってしまったようで、
もう踏切で横になってしまった影は片鱗も無かった。尤も妻たちに何でもない事を強調したい気もあったかもしれないが。

  なんだかんだ色々あったが、結局 「暑い間は歩きに行かない」 事を約束させられ、家での夕食は、もちろん晩酌は無いが
ご飯はいつもと同じように食べる事ができた。毎日に歩いていた河川敷も、三日休んだが今は7月と同じように歩いています。
一体あの出来事は何だったろう? と夢のような気がしまう。

それでも二度と今度のような騒ぎを起こさないため反省もしました。
今回の帰途では、昼飯を食べた場所から藤枝駅まで7k程度の距離を座って3回も休んでいる。
それが前々回の花倉城跡では6Kでも座っては休んではいない。
さら前回の宇津ノ谷越えでは、最後に休んだ444m峰から焼津駅までの山道を含んだ8kmの道を一度も休まず歩いている。
こうしてみると今回は7kmで3回もどっかり座り込んだのは異常だ。少なくとも3回目に座って休んだ勝草橋では、異常を感じて
バスに乗るべきだった。
 「無理せず楽せず程々に」 がモットーな私なのに・・・・・・・・ でも勝草橋ではまだ余裕があったのに、と未練たらしい気持もある。

7月の歩行記録

2017-08-04 12:00:00 | その他
  新聞に載っていた 「成人男子の一日の平均歩行数 7000歩」 を見て、自分の歩行数を調べてみると
何と!何と! 1日目の歩数は、たったの 280歩 でした。

 これにはさすがの私もショックを受けてしまった。何しろ6月の歩行距離は4回の低山歩きの47KMだけで、後は
引籠り状態で1日200歩から500歩程度を歩いていたに過ぎなかった。

 これを歩数に直すなら 6月の日数(30日)-山歩きの日数(4日)✖1日の平均歩行距離(400m)✖歩幅(0.71m)+
山歩きの距離(47000m)✖歩幅(0.71m)÷6月の日数(30日)=6月の1日平均歩数(1358歩)
故に ((30-4)✖400✖0.71+47000✖0.71)÷30=1358 となり、
   6月の一日平均歩数はたったの1,358歩だった。

 これではいけないと心機一転し、目指した7月の目標は、成人男子の平均歩行数7000歩の上を行く
                  「一日の平均歩行数 8000歩」      でした。


それから一ヶ月過ぎた7月の結果は、果たして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


               6月平均歩数千五百歩  ➩  7月平均歩数一万千五百歩

  どうですか一日の平均歩数は、一日1万歩も多くなりました。これには私もびっくりですが一寸やり過ぎの感がしないでもない。
8千歩未達成の日は低山歩きの前日か翌日の3回だけで、他は全て目標値の8千歩を越えている。
疲労を蓄積しないよう山歩きの前後は休むようにしていたが、熱しやすく冷めやすい私の性格がズバリ出てしまったようです。
ここは矢張り 「無理せず 楽せず 程々に」 のモットーを思い出し、8月の目標値は変更せずに
  「一日の平均歩行数 8千歩」  にします。

一日の歩数

2017-07-04 10:07:46 | その他
  6月21日の新聞に 「歩いて 健康もポイント」 の記事が掲載されていました。
記事の内容は健康のために歩いてポイントをためると景品と交換できる制度が各地に自治体で進んでいる事の紹介です。
私にはポイントには興味は無かったが、記事の中に描かれていたイラストが気になった。



  私の年齢になれば全ての病気が罹患対象でしょうが、中でも高血圧症は現在治療中でもあり一番の気がかりな病気です。
薬は朝晩1錠づつの薬を飲んでいますが、数値は上が130台で、下は70台の上であまり改善されていません。
しかし日常生活では自覚症状を感じた事はないので、気がかりではあるが薬の服用以外の対策は取っていません。

それがイラストには “1日8千歩 歩けば高血圧が予防できる“ となっているではありませんか。更に記事には成人男子の
1日平均歩数は7千歩強となっています。それならウォーキングを趣味と公言している私なら当然達成可能な歩数です。
と、思い早速翌日には朝起きてすぐ歩数計をセットし、一日の歩数を確認することにしました。
歩数計はウォーキングでは必ずセットするのですが家では付けた事はありません。それでも平均が7千歩なら半分の3千か
4千歩は歩いているだろうと思っていました。

  私の日常生活は、朝起きてゴミの日はゴミ出しをして食事をして新聞を読む。新聞を読み終わったら午前中はPC部屋に
入ってPCを弄ってます。(妻はこんな私を “引籠り” とからかいます)
昼飯が終ると妻のTV鑑賞に3時頃まで付き合い、その後は小説を読んだりグダグダしています。
夕食が終るとまたTVを見たり本を読んだりして過ごし11時頃布団に入ります。

  で! 1日目の歩数の結果は、何とたったの 280歩 だった。 280歩ですよ、決して2800歩の間違いではありません。
この結果にショック受け、歩数計が壊れているのではないかとも思いました。
仕切り直した2日目は、丁度ゴミの日だったのでわざと2回に分けて運んだり、家の中でも極力歩くようにした結果。
なんとか 550歩 とほぼ倍近くになりましたが、でもねぇーこれだって目標値の1割にも満たない数値です。

  これではいけないと、先ずは自分の歩行距離の現状を把握しようと取り出したのが下記のグラフです。

  グラフは過去8年半の私の歩行距離と体重の推移を月ごとに表したものです。
しかしこのグラフだと細かすぎて、かえって理解しにくいですよね。そこで月表示を年表示にまとめたのが下のグラフです。


2009年の65歳の時はHPで大崩山塊を紹介しようと一人で歩き回っていた頃ですが、それでも一日の平均歩数は6500歩程です。
66歳になると歩こう会に参加したのでウォーキング熱に火が点き 「1日10k」 を目指して歩き回りました。
それが69歳までの4年間続いたのですが、次第に平地歩きだけでなく山も歩きたい気持ちが復活したのが70歳の時でした。
そして71歳の夏、知多半島の遍路で熱中症に罹り、病院のお世話になった頃から歩行距離は落ちています。
それでもまだ一日平均6kは歩いていたので、まだ趣味は 「低山歩き」 を公言しても良いでしょう。

それが昨年は夏に2回も熱中症になり、なんとか家には着いたものの、翌日は歩く事か出来ない程の重症になってしまいました。
更に輪をかけたのが花沢山での転倒です。なんでもない道の下り坂での転倒は、自尊心を傷つけ自信まで失くしてしまいました。
そして昨年はその傷を引きずったままになり、歩行距離は減少を続け、一日平均2kmになっています。
これではもう趣味が “ウォーキング” とか “低山歩き” とはとても言えないですよね。

  それでも今回の新聞記事で自分の歩行状態の現状把握ができた事は良かったと思っています。
しかしこのジレンマから脱出するには歩くしかないのですが、この暑い時期に歩く自信はありません。
そこで立てた計画は、暑い7月8月は遠出の歩きは極力止めて、代わりに近くの大井川の河川敷をこまめに歩く事です。
高血圧症の発症を抑えるには一日8千歩とか。なら一先ずこれを目指す事にしました。
                       目標 一日平均8千歩!
はたしてどんな結果になるか9月が楽しみです。

高山のコアジサイ

2017-06-22 10:20:49 | その他
                       高山・静岡市民の森のコアジサイ             H29-6ー20(火)

  高山南峰のコアジサイを見る積りで 「高山 コアジサイ」 を検索してしまった。
すると表示された 「高山・静岡市民の森」 のHPには、 「6月14日~コアジサイが見頃です♪~」 との記事がで出ていました。
場所を調べてみると藁科川支流の水見色川の上流にあるようです。
しかもコアジサイは車道の終点辺りに咲いているようで、これなら足弱の妻にも見せる事ができそうです。
早速声を掛けると待ってましたとばかりの二つ返事で急遽出かける事になりました。

  あちこち歩いていて、市民の森なる物は時々見かけたが、寂れていて手入れもされていないの所が多かった。
ところが高山・市民の森はホームページもあり、展示施設には今も係員が常駐しているようです。

  
        高山市民の森 学習展示施設 「森の恵」                      コアジサイは遅すぎた

  早速展示施設の近くでコアジサイを探すと、有るには有るがどれもが盛りは過ぎ花ばかりで、退色していて見る影もない。
10日ほど前に行った柏尾山稜高山南峰のコアジサイは早すぎて、ここは遅すぎ。どうやら私はコアジサイから見放されているようだ。

  
            ハンゲショウ(半夏生)の葉??                        ハンゲショウの花??

  「アラ ハンゲショウが咲いている。」 と妻が葉が半分白くなった木を覗き込んでいる。見ると高山南峰でも見た木の葉と同じもので
矢張りあれはハンゲショウだったのかと納得。
妻は 「葉っぱが半分白いのが化粧の途中という事で半化粧になった。」 と言ったが、その説は俗説だと思い家で調べてみると
 「夏至から数えて11日目の半夏生の頃に花が咲くことから半夏生の名が付いた。」 となっていた。
それはそれでよいのだが他にも思わぬことが書いてあった。
  「ドクダミ科の多年性落葉草本植物。学名はギリシャ語のトカゲの尾が語源で、長さ10~15cmほどの穂状の花が葉の付根に咲く。」
エッエッエッ! チョッと待った! 写真を見てください。この花が “穂状の花” ? ではありませんよね。
丸く白い六弁で緑の雄蕊を持つ可憐な花です。どちらかと云えばキイチゴの花に似ていなくもない。

          
                  ハンゲショウの蕾か実??                     ハンゲショウの花(コピー)

  慌てて “木の葉 半分白” などで検索したがヒットしない。ウーン! では葉の一部が白くなっている木の名前は何でしょうかネ?
参考にハンゲショウの花の写真をネットからコピーしておきました。(すみません)

 
                星の展望台                                 牛が峰の一本桜

  高山山頂には星の展望台があり、草原で繋がっている隣の牛が峰山頂には、桜の大木の一本桜があった。
何故星の展望台でしょうか? 多分星の眺めが良いのだろうと思っていたが、どうやら展望台の形が星のようにギザギザした凹凸の
ある事から来ているようです。
それにしても牛が峰の一本桜のロケーションが良い。きっと花の頃は見応えがありそうだが、その時期の特定は難しいからな。

 
              展望台から安倍川                             展望台から???

  それにしても展望台からの眺めは素晴らしく、と言いたいところだが、生憎霞がかかっていて遠くどころか近くもぼんやりしている。
それでも晴れていればきっと富士山も見える素晴らしい展望地だと思います。
地理院の地図で標高を調べてみると2等三角点がある標高717mの山でした。なんの下調べもしてないので三角点は見落とすし
絶景も見る事ができなかった。これではもう一度今度は歩いて来てみようと、またできもしない宿題を増やす私です。

 
               ヤマアジサイ?                                 ヤマアジサイ?

  牛が峰山頂の西側は背丈の低い草木で藪状になっていて、その中にもコアジサイはあるが何れれも時期遅しだった。
その中で目を引いたがのがコアジサイより一回り大きい白い紫陽花。白い額もありアジサイに違いないのだが何アジサイか?
この市民の森にはヤマアジサイの群落もあるらしいので、多分ヤマアジサイだろうが、こちらはまだ少し早すぎだった。

         
                      高山の池                                 高山の池の水芭蕉

  一度展示施設の所まで戻って今度は高山の池に行ってみた。池と云っても表面は浮遊物出ビッシリしていて水は見えない。
池の周りには巨大化して可憐さの片鱗もない水芭蕉が植わっていた。その根元を覗いてみると、マムシグサの実より二回りか
三回り大きな実がゴロンと横たわっている。この実も秋には真っ赤に変色するのだろうか?
この水芭蕉は 「H7年群馬県片品村から譲り受けた水芭蕉で、水見色にいち早く春を運んでくれます。」 とのことです。

  この小さな高山の池に伝わる伝説を紹介しておきます。
 「昔、水見色の長者の娘のもとに、夜な夜な通う若者がいた。心配した母親は娘に若者の着物の裾に糸をつけさせ、その行方を
うかがわせた。糸を辿っていくと足久保の高山の古池に消えている。長者は池の主が娘に通っていることを知って、たいへん怒り、
焼石をたくさん投げ入れた。池の主の青竜はこらえきれずに逃げ出し、鯨ヶ池に入り込んだ。竜はこの時、焼石で片目を失った。
それで鯨ヶ池の魚は皆片目だというのである。「静岡市の史話と伝説」より」


  森に囲まれ森閑としている場所は伝説に相応しいが、青龍が住むには何とも小さな池で、せめて大きな蛇、おろち位が丁度良い。
そうすれば池を逃げ出したおろちは、足久保川を逃げ下り、安倍川を越した所にある鯨ヶ池に安住の地を求めて逃げ込んだ。
何てすれば鯨ヶ池との関係も結び付ける事ができそうだが・・・・・

 
                 コアジサイ                                   コアジサイ

  池の上の林の中は日陰のせいかまだコアジサイが残っていたが、すでにコアジサイの特徴でも魅力でもある青色は退色して
魅力は薄れていた。
それでもコアジサイを始めて見た妻は、それなりに感激してくれたので、わざわざ連れてきた甲斐があったと云うものです。