みちのくの山野草

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伊藤勇雄が次に移り住んだ場所探し(10/8)

2018-10-11 14:00:00 | 伊藤勇雄関連
 次に今度は岩洞湖を目指した。というのは、伊藤勇雄は当初外山高原藪川地区開拓地に入植(昭和27年、53歳)したわけだが、昭和36年7月(62歳)に、今度は岩洞湖畔(玉山村大字藪川亀橋)へ住居を移したというからだ。
 そこで、インターネットで「藪川亀橋」を探してみると、そこは岩洞湖の「家族旅行村」近辺だったので見当を付けて、その周辺を探し回ったのであった。
《1 岩洞湖畔は紅葉が始まっていた》(平成30年10月8日撮影)

《2 伊藤が移り住んだところはのこの辺りようだが》(平成30年10月8日撮影)

《3 》(平成30年10月8日撮影)

《4 ミズオトギリの紅葉かな》(平成30年10月8日撮影)

《5 白樺林が美しい》(平成30年10月8日撮影)

《6 高橋征穂氏シラカバ林に感動》(平成30年10月8日撮影)

《7 エゾオヤマ?リンドウ》(平成30年10月8日撮影)

《8 ウメバチソウ》(平成30年10月8日撮影)

 ということで、伊藤が移り住んだ場所は全く見当がつかなかったので、自力で探すことは諦めて近くの「管理センター」を訪れ、職員の方にかつて伊藤勇雄が住んでいた場所を教わった。見つからなかったわけである、「見当を付けた場所」からは、結構離れていた。
 ちなみに、同センターから頂いた岩洞湖周辺の概念図は下掲のとおり。
【岩洞湖周辺の概念図】

 なお、岩洞湖にこのような色々な施設(キャンプ、釣り、スケート等のレクリエーション施設)ができたのも、伊藤勇雄の尽力によると言えそうだ。それは、同センターの職員の方もそう言っていたし、『夢なくしてなんの人生ぞ 伊藤勇雄の生涯』によれば以下のとおりだからだ。
 勇雄はまた、この岩洞ダムの完成した翌年三十六年七月、薮川地区開拓地から岩洞湖半(玉山村大字薮川亀橋)に移り住み、岩洞ダム周辺の俗世界に汚されていない楽園をつくろうとした。都会人がレクリエーションを楽しみ、子どもたちの夢をかなえる遊園地をつくろうとした。
             〈『夢なくしてなんの人生ぞ 伊藤勇雄の生涯』(大久保 好唯著、地方公論社)164p~〉

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               電話 0198-24-9813

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