みちのくの山野草

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伊藤勇雄が次に移り住んだ場所ほぼ確定(10/8)

2018-10-12 10:00:00 | 伊藤勇雄関連
 さて、『夢なくしてなんの人生ぞ 伊藤勇雄の生涯』によれば、伊藤は具体的には、
 まず、岩洞湖周辺を憩いの場所にする為に観光事業に着手した。湖畔に小屋を建て、釣り人の休息所をつくった。また、自ら貸しボート、バンガロー村、売店づくりにつとめ、湖水に鯉の稚魚も放流した。
 勇雄は自ら率先して木や花を植え、山を清掃し、人々の案内をした。それもすべて無報酬だあった。
             〈『夢なくしてなんの人生ぞ 伊藤勇雄の生涯』(大久保 好唯著、地方公論社)164p~〉
のだそうだ。
 そこで私は納得した、そっか岩洞湖畔が今でも賑わっているのは、例えば真冬でもこの岩洞湖がワカサギ釣りで賑わうことなどは、相当部分伊藤のお蔭なのだ、と。そしてまた、賢治は肥料設計等を無料でやったと称えられているが、伊藤はどこまでを無料でやったのかはこの文章からは判然としないが、少なくともかなりのことを無報酬でやり続けた実践家伊藤がいるのだということも、である。

 さて、「管理センター」の職員の方から伊藤が当時移り住んだ場所を教わった。下掲の概念図で言えば、「レストハウス」の近くだという。
【岩洞湖周辺の概念図】

 そこで、湖畔を車を走らせていたならば、本投稿のトップの写真のような場所があった。
《1 そこには、平べったい土地が拡がっているし》(平成30年10月8日撮影)

《2 教わった場所と思しき所でもあり》(平成30年10月8日撮影)

《3 伊藤が次に移り住んだ場所はこの辺りだとほぼ確定できた》(平成30年10月8日撮影)

《4 綺麗な景色が望めるし》(平成30年10月8日撮影)

《5 後にはこんな山が迫っていた》(平成30年10月8日撮影)


 そしてそのような伊藤の尽力によってであろう、前掲書によれば、
 勇雄が入植して十五年たったころ、開拓地の生活は安定した。県下一の高冷地は、見違えるほどに生まれ変わり、人々は勇雄のなしてきたものをようやく理解できるようになったのである。
            〈同166p〉
というのである。

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               電話 0198-24-9813

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