みちのくの山野草

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五 東北砕石工場技師時代のコンセプトの変更

2024-03-10 16:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり



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五 東北砕石工場技師時代のコンセプトの変更
 さて、羅須地人協会時代以前の賢治の稲作経験は花巻農学校の先生になってからの約四年四か月間だけであり、豊富な実体験があったわけではない。となれば、羅須地人協会時代の賢治が、経験豊富な農民たちに対して指導できる稲作指導はおのずから限定的なものであり、食味もよくて、冷害にも稲熱病にも強いといわれて当時普及し始めていた陸羽一三二号を推奨することだったとならざるを得ないし、実際そうだった。おのずから、同品種はそもそも化学肥料(金肥)に対応して開発された品種だからそれには金肥が欠かせないので肥料設計までしてやる、というのが賢治の基本的な稲作指導法だったということになる。その当時はまだ、近隣の農家には金肥があまり普及していなかったからだ。
 したがって、金肥を必要とするこの稲作法は、当時農家の六割前後を占めていたという小作農や自小作農、つまり多くの貧しい農家にとってはもともとふさわしいものではなかったということは当然である(実際、羅須地人協会員の伊藤忠一は、「私も肥料設計をしてもらったけれども、なにせその頃は化学肥料が高くて、わたしどもにはとても手が出なかった」と証言している( (十二)))。
 そしてまた、その金肥とは主に「窒素、燐酸、加里」の三要素のことであり、賢治の場合には、金肥の石灰はせいぜいその次であったであろう。そして実際にそうであったことは、前述した、同時代の施肥表では約三割の割合でしか石灰岩抹を使っていなかったという実態が裏付けている。
 ところが、東北砕石工場技師時代になると賢治は施肥のコンセプトを従来のものから、石灰岩抹(炭酸石灰)中心のそれに変更した。というのは、同工場技師時代の宣伝広告「新肥料炭酸石灰」の中に、

 この不景気の、まつ最中に、値段の高い、金肥を殆んど使はずに、堆肥や、緑肥で充分の収穫を得る良い工夫がございます。それには、炭酸石灰を御使用下さい。炭酸石灰は、土壌中の窒素や燐酸や、加里などの分解を助けて、其の効能を促進して有効に働かせるからであります。然し、消石灰や生石灰では、強すぎて、土地を痩悪ならしめます。
炭酸石(ママ)(正しくは炭酸石灰:筆者注)の効果
一、直接には石灰の肥料
 これは植物の栄養素として是非なければならない肥料分であるからであります。
一、間接には窒素の肥料
  …筆者略…
一、間接には燐酸の肥料
  …筆者略…
一、間接には加里の肥料
  …筆者略…

というように書かれている( (十三))からである。
つまり、羅須地人協会時代の賢治の肥料設計のコンセプトは先程述べたように、金肥の「窒素、燐酸、加里」が中心であったはずなのに、東北砕石工場技師時代のこの広告で推奨している金肥は炭酸石灰だけであり、しかも、炭酸石灰はオールマイティ、いいことずくめの肥料であると、この広告では謳っていることになるからである。
 しからば、どうして羅須地人協会時代に賢治は石灰岩抹を中心にしたこの施肥法を強く奨めなかったのだろうか、という疑問が一方で当然湧く。
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☆『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
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