みちのくの山野草

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七 おわりに

2024-03-11 10:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり



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七 おわりに
 以上が、宮澤賢治の「稲作と石灰」に関わるこの度の私の考察内容であり、畢竟す(ひつきよう )るに、残念ながら、
 東北砕石工場技師時代の賢治は、貧しい農民に炭酸石灰(石灰岩抹)を安くしかも豊富に供給し、それを田圃に撒くことによって酸えたる土壌を中性にし、稲の収量を増してやった、とは言えない。
ということになってしまった。言い換えれば、同工場技師時代の実態は、
 炭酸石灰を大量に売り込むことができた先は、アルファルファなどの良質な牧草を必要とした小岩井農場や軍馬補充部等であり、一般の農家に対しては、稲作用としては殆ど売り込めず、せいぜい畑作用にであった。
ということになるのではなかろうか。

 さりながら、このことは何も悲しむべきことばかりではないとも私は思っている。それは(ここから以降は、賢治の心の内に関わることなのであくまでも私の推察になるのだが)、同工場技師時代の賢治は自身の石灰岩抹施用の理論等についての葛藤や後ろめたさ、そして苦悩等があったと思われるからだ。
 どういうことかというと、羅須地人協会時代に既に「稲は酸性に耐性がある」ということを賢治は知っており、石灰施与のリスク〝③〟も知っていたはずなのに、同工場技師時代になってからは、それらのことを等閑視せざるを得ないという現実、はては枉げたり話を盛ったりせざるを得ないという現実から賢治は逃れられなかったはずだ。つまり、羅須地人協会時代までは不羈(ふき)奔放に生きてきた賢治だったが、炭酸石灰を大々的に宣伝・販売するという商行為に携わるようになってからは売らんが為に、それは社会人であれば誰でも経験することではあると思うのだが、綺麗事だけでは済まなくなったはずだ。ちなみにその一例が、「オールマイティで、いいことずくめの炭酸石灰」の宣伝広告の作成だと私は思う。
 となれば、かつて草野心平に対して、「一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います( (十五))」と伝えていたという賢治のことだからとりわけ、「真実」を等閑視したり枉げたりすることが如何に辛かったことかということは、せめて「科学者の端くれ」でありたいと願っている私にはよく分かる。そこで逆に、このような苦悩等が賢治をして〔雨ニモマケズ〕を手帳に書かしめたのではなかろうか、ということをこの論考を書き終えつつある今、私は思い付いた。万やむを得ず、等閑視してしまったり枉げたりしたこともあった己を悔い、もう二度とそんな自分ではありたくないという想いから賢治はこれを書いたのではなかろうかと。だからこそこれを書いた時期が昭和六年の十一月、東北砕石工場技師時代の実質的な終焉の頃だったのだと、私は妙に腑に落ちた。それ故に、何も悲しむべきことばかりではないのだと諒解できたのだった。

〈注〉
(一)『イーハトーヴォ第二号』(宮澤賢治の会、昭和十四年十二月)  所収。
(二)『宮澤賢治研究 宮澤賢治全集別巻』(草野心平編、筑摩書房、  昭和四四年)二八五頁
(三)平成二九年十月五日、金ケ崎町の岩淵信男氏から聞き取り。
(四)『野の教師 宮沢賢治』(森荘已池著、昭和三十五年十一月)一  八二頁~
(五)『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)二一五頁~
(六)『新校本宮澤賢治全集第十四巻 雑纂 本文篇』(筑摩書房)六六  頁 
(七)『新校本宮澤賢治全集 第十六巻 下 補遺・資料 年譜篇』四一  九頁
(八)『宮澤賢治と東北砕石工場の人々』(伊藤良治著、国文社)一四  〇頁
(九)『新校本宮澤賢治全集第十四巻 雑纂 本文篇』(筑摩書房)一〇  三頁~
(十)同八四頁
(十一)『宮澤賢治科学の世界 教材絵図の研究』(高村毅一、宮城一  男編、筑摩書房)九六頁
(十二)『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)三五頁
(十三)『新校本宮澤賢治全集第十四巻 雑纂本文篇』(筑摩書房)一   六三頁~
(十四)『宮沢賢治の肖像』(森荘已池著、津軽書房)八二頁~
(十五)『詩人 草野心平の世界』(深澤忠孝著、ふくしま文庫)七六頁

 なお、この〝第二章 賢治の「稲作と石灰」について〟は、二〇二〇年の第73回岩手芸術祭『県民文芸作品集』の文芸評論部門に応募した作品、〝宮澤賢治の「稲作と石灰」について〟を基にして、多少加筆したものである。
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
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