みちのくの山野草

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三 「石灰岩抹といわぬ日はなかった」

2024-03-10 12:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり



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三 「石灰岩抹といわぬ日はなかった」
 ところで、賢治はなぜ石灰(石灰岩抹)に興味・関心を持つようになったのだろうか。このことに関しては、森荘已池が、
 
 宮沢さんは三十年以上も前に、粒状の石灰岩抹を考えたのです。大学者に近い人で、このへんにざらにある農業指導者ではありません。…筆者略…当時花巻農学校の生徒などは、先生は石灰岩抹と耳にタコがよるほどいうといっていたものです((四))。

と紹介していた。また、実証的賢治研究家であった菊池忠二氏も「肥料展覧会と石灰工場の技師」という論考において、

 当時の在校生たちは「カラスの鳴かない日はあっても、宮沢先生が石灰岩抹といわぬ日はなかった」と語っており、口の悪い生徒は「また先生の岩抹か」とさえ言うほどだったといわれている((五))。

と述べていたから、花巻農学校に勤めていた頃の賢治は、「石灰岩抹といわぬ日はなかった」という蓋然性が極めて高い。
 また、菊池氏は続けて同論考において、大正十三年五月に行われた修学旅行の「復命書」に賢治は、「(石灰岩抹を)我が荒涼たる洪積不良土に施与し、草地に自らなるクローバーとチモシーの波を作り、耕地に油々漸々たる禾穀を成ぜん」と書いていると紹介し、「石灰岩抹の効果と、その施用についてつよい願望が記されている」、と菊池氏は評していた。そこで同復命書の内容((六))を実際に見たところ、私は同氏のこの評に納得させられた。
 一方で、昭和六年三月五日に盛岡高等農林時代の恩師関豊太郎博士から賢治に返信が届き、東北砕石工場の嘱託についての問合せに対して恩師は、

 「引き受けるべからず」を棒線で消し、「小生の宿年の希望が実現しかゝったのを喜びます」と書かれていた((七))。

と対応したということは周知のとおりである。したがって、賢治が石灰岩抹に興味・関心を持つようになった下地は、高等農林時代に形成されたのであろう。そしてこのことに関しては、伊藤良治も同様な見方をしている((八))。
 よってここまでのことなどから、
 賢治は大正四年に盛岡高等農林に入学し、恩師関豊太郎から強い影響を受けて石灰岩抹に関心を持ち始めた。爾(じ)後(ご)、洪積不良土に石灰岩抹を施与することによって、酸えたる土壌の中和に努めようとしていた。
と判断してよさそうだ。
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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
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