みちのくの山野草

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1274 大凶作の恐れ 

2009-12-02 08:00:17 | 岩手の冷害・旱害
   <↑ Fig.1 大正15年7月27日付 岩手日報>

 毎日のように報じられる旱害に関する悲惨な記事の中に、この先頭にあるような羨ましがられる記事もあった。その見出しは
 稲の穂が出た 品種は北海道坊子 場所は花巻川口
というもので、花巻川口町の安倍さんという方が苗代跡に植えた早稲が既に穂を出し、羨ましがられているというものである。
 ただし、この報道で気になるのが続けて書かれている次の内容である。
今年は兎角気候不順ではあるが稗貫郡内の稲作は概して良好、目下害虫も発生せず稲熱病被害もないこのまゝ順調で行けば平年作も予想される
 前回のブログにあったように、稗貫郡内では田植えの出来なかった水田も少なからず残っていたはず。はたして稗貫全体が上の記事のように楽観出来たのだろうか。もしかするとこの記事は、植え付け出来た分については概して良好で、平年作も予想されたという意味なのだろうか。
 したがって、このことについては今後の記事で検証してみる必要があると思われる。幸いそのために役立ちそうな翌日の次のような記事がある。
【fig.2 大正15年7月28日付 岩手日報】

 稗貫郡農会 旱害対策協議 ▽けふ旧郡衙で△
(花巻)28日午前九時から稗貫郡農会場(旧郡衙)に於て郡下各町村農会長、技術員参集の上、旱害対策に就き協議会を開催するが県より特に藤原技師以下出席して各町村の以降を聴取し、対策を議することになつた郡内中被害甚大なのは宮野目、八重畑、八幡、湯本の幾部にして去る二十一日現在の調査によると水田移植未了地二百五十(237?)町歩に達していたが二十日前後の雨で、その後田植した個所もあり、結局不能個所は百五十町歩をくだらない模様である、この未了地に対しては先づソバ、大豆等の代用作を奨励郡農会の方針だが昨今田植えした水田の収穫は殆ど予想されないので、旱害水田を所有する自作農以下の困窮は冬季に入り一層甚だしい模様であるから郡農会では、旱害水田には県より適当に補助を得、生活に不安なからしめるよう種々研究中である
 したがってこの記事からは、7/27の記事内容である
   『稗貫郡内の稲作は概して良好、平年作も予想される』
ということは必ずしも言い切れないようだ。
 実際、翌日の新聞には
【Fig.3 大正15年7月29日付 岩手日報】

 三大凶作の年に似た きのふけふの気候 心配でならない秋のような涼しさ
土用以来エラク変調な気温に農家の人たちは不安に駆られ昨今盛岡測候所に毎日のやうに照会の手紙が来てゐる。二十七日の昼にヤツと九十度に達したが朝晩の涼しい事、丸で秋の気候で本県の三大凶作といはれてゐる明治三十五年や二十八年、それから大正二年などの気候にヨクにてゐるので農家で心配するのも無理がない。福井測候所は語る(以下の談話は省略)
という記事があり、この時点ですでに大正15年は大凶作の恐れがあったのだったようだ。
 なお、『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)には次のような年表図があり、
【Fig.4 岩手県における冷害の年表図】

同著によれば、明治35年、38年、大正2年、昭和9年の作況指数はなんとそれぞれ39、34、66、44という凄まじいものであったという。

 また、7/29の記事として
【Fig.5 大正15年7月29日付 岩手日報】

 稗貫郡下 旱害対策協議 各町村勧業主任技手 県より藤原技師臨席
という見出しの報道があり、その主な内容は次のとおり。
 旱害水田は二百町歩と見積もり、代用作としてソバ、大豆、麦を奨励。種子は県が斡旋、代用作の植え付け資金の3~5割を補助、上水ポンプ購入金の補助。
 このことは以前の”旱魃応急策のその後 ”における稗貫郡農会の応急策に関する記事に対応するものである。
 そして、同じく
【fig.6 大正15年7月29日付 岩手日報】

 稲作に申分ない この暑さ 稲の病気も少ない胆沢郡各村の作柄
という見出しの記事もあり、胆沢地方では作柄が持ち直していたようだ。

続きの
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