賢治が生きていた頃の岩手県の冷害・干害等発生年は次の通り。
<不作・冷害について> <干害について>
明治21(1888)年 明治42(1909)年
明治22(1889)年 明治44(1911)年
明治30(1897)年 大正 5(1916)年
明治35(1902)年(39) 大正13(1924)年
明治38(1905)年(34) 大正15(1926)年
明治39(1906)年 昭和 3(1928)年
大正2(1913)年(66) 昭和 4(1929)年
昭和6(1931)年 昭和 7(1932)年
昭和 9(1934)年(44) 昭和 8(1933)年
昭和10(1935)年(78) 昭和11(1936)年
注:( )内は作況指数で、80未満の場合に示した。
<『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)より>
また、当時の岩手県の水稲反収の推移は次の通り。
<素データは『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>
大正2年と昭和9年の冷害による被害が如何に甚大だったかがよく解る。
続きへ。
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
<不作・冷害について> <干害について>
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明治22(1889)年 明治44(1911)年
明治30(1897)年 大正 5(1916)年
明治35(1902)年(39) 大正13(1924)年
明治38(1905)年(34) 大正15(1926)年
明治39(1906)年 昭和 3(1928)年
大正2(1913)年(66) 昭和 4(1929)年
昭和6(1931)年 昭和 7(1932)年
昭和 9(1934)年(44) 昭和 8(1933)年
昭和10(1935)年(78) 昭和11(1936)年
注:( )内は作況指数で、80未満の場合に示した。
<『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)より>
また、当時の岩手県の水稲反収の推移は次の通り。
<素データは『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>
大正2年と昭和9年の冷害による被害が如何に甚大だったかがよく解る。
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本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守 電話 0198-24-9813☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
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