岩手県の場合、卜蔵建治氏も『ヤマセと冷害』(成山堂書店)の15pにおいて指摘しているとおりで、大正2年の大冷害以降しばらく「気温的稲作安定期」が続き、昭和6年の冷害までの期間に冷害らしいものはなく、いわば「冷害空白時代」であったといえる。ただしその代わり、干害は何度も起こっている。
ちなみに、『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)によれば具体的には以下の通り。
<素データは『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>
大正2年と昭和9年の冷害による被害が如何に甚大だったかがよく解る。
したがって、賢治が直接農業に関わるようになった「花巻農学校教師時代」~「羅須地人協会時代」(大正10年12月~昭和3年8月)の間に起こったものとしては、
大正13年、大正15年、昭和3年の干害だけ
であり、冷害の経験は実質的には賢治にはなかったと言える。しかも、昭和6年岩手県はたしかに冷害だったが、実はこの年でさえも稗貫郡だけは平年作以上の作柄だった。そしてこのことは、『岩手県災異年表』も裏付けてくれている。
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
ちなみに、『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)によれば具体的には以下の通り。
《大正2年~昭和9年の間の冷害と干害発生年》
大正 2(1913)年冷害(66)
大正 5(1916)年干害
大正13(1924)年干害
大正15(1926)年干害
昭和 3(1928)年干害
昭和 4(1929)年干害
昭和 6(1931)年冷害
昭和 7(1932)年干害
昭和 8(1933)年干害
昭和 9(1934)年冷害(44)
<注:( )内は作況指数で、80未満の場合の数値>
また、当時の岩手県の水稲反収の推移は次の通り。大正 2(1913)年冷害(66)
大正 5(1916)年干害
大正13(1924)年干害
大正15(1926)年干害
昭和 3(1928)年干害
昭和 4(1929)年干害
昭和 6(1931)年冷害
昭和 7(1932)年干害
昭和 8(1933)年干害
昭和 9(1934)年冷害(44)
<注:( )内は作況指数で、80未満の場合の数値>
<素データは『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>
大正2年と昭和9年の冷害による被害が如何に甚大だったかがよく解る。
したがって、賢治が直接農業に関わるようになった「花巻農学校教師時代」~「羅須地人協会時代」(大正10年12月~昭和3年8月)の間に起こったものとしては、
大正13年、大正15年、昭和3年の干害だけ
であり、冷害の経験は実質的には賢治にはなかったと言える。しかも、昭和6年岩手県はたしかに冷害だったが、実はこの年でさえも稗貫郡だけは平年作以上の作柄だった。そしてこのことは、『岩手県災異年表』も裏付けてくれている。
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければ最初に本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円、送料180円、計680円分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守 電話 0198-24-9813☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
なお、既刊『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』につきましても同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
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