みちのくの山野草

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「冷害空白時代」

2017-01-31 08:00:00 | 岩手の冷害・旱害
 岩手県の場合、卜蔵建治氏も『ヤマセと冷害』(成山堂書店)の15pにおいて指摘しているとおりで、大正2年の大冷害以降しばらく「気温的稲作安定期」が続き、昭和6年の冷害までの期間に冷害らしいものはなく、いわば「冷害空白時代」であったといえる。ただしその代わり、干害は何度も起こっている。
 ちなみに、『岩手県農業史』(森 嘉兵衛監修、岩手県発行・熊谷印刷)によれば具体的には以下の通り。
 《大正2年~昭和9年の間の冷害干害発生年》
 大正 2(1913)年冷害(66)
 大正 5(1916)年干害
 大正13(1924)年干害
 大正15(1926)年干害
 昭和 3(1928)年干害
 昭和 4(1929)年干害

 昭和 6(1931)年冷害
 昭和 7(1932)年干害
 昭和 8(1933)年干害

 昭和 9(1934)年冷害(44)
<注:( )内は作況指数で、80未満の場合の数値>
 また、当時の岩手県の水稲反収の推移は次の通り。

             <素データは『都道府県農業基礎統計』(加用信文監修、農林統計協会)より>
大正2年と昭和9年の冷害による被害が如何に甚大だったかがよく解る。

 したがって、賢治が直接農業に関わるようになった「花巻農学校教師時代」~「羅須地人協会時代」(大正10年12月~昭和3年8月)の間に起こったものとしては、
    大正13年、大正15年、昭和3年の干害だけ
であり、冷害の経験は実質的には賢治にはなかったと言える。しかも、昭和6年岩手県はたしかに冷害だったが、実はこの年でさえも稗貫郡だけは平年作以上の作柄だった。そしてこのことは、『岩手県災異年表』も裏付けてくれている

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