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四 「沢里武治氏聞書」の一次情報とは

2024-03-12 10:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり



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四 「沢里武治氏聞書」の一次情報とは
 ついては、今度は、関登久也が著した著作等を時間を遡って並べてみると以下のとおり。
・『賢治随聞』(角川書店、昭和45年2月20日発行)
・『宮沢賢治物語』(岩手日報社、昭和32年8月20日発行)
・『宮澤賢治物語』(『岩手日報』、昭和31年1月1日~6月30日連載)
・『續 宮澤賢治素描』(眞日本社、昭和23年2月5日発行)
・『宮澤賢治素描』(眞日本社、昭和22年3月5日発行)
・『宮澤賢治素描』(協榮出版社、昭和18年9月15日発行)
 ただし、これらの中に「沢里武治氏聞書」に相当するものが載っているものは次のとおりだ。
⑴ 「沢里武治氏聞書」(『賢治随聞』、215p~)
⑵ 「沢里武治氏からきいた話」(『宮沢賢治物語』岩手日報社、217p~)
  <関登久也没(昭和32年2月15日)>
⑶ 「セロ㈠、㈡」(『宮澤賢治物語』(『岩手日報』、昭和31年2月22日~23日連載)
⑷ 「澤里武治氏聞書」(『續 宮澤賢治素描』(60p~)
 つまり、「沢里武治氏聞書」の初出は『續 宮澤賢治素描』においてであった。となれば、普通はこれが一次情報となろう。
 ところが、『續 宮澤賢治素描』の『原稿ノート』(昭和19年3月8日付)が実は存在していて(<注一>)、その冒頭の1p~3pにこの「沢里武治氏聞書」に相当することが書かれているから、件(くだん)の「関『随聞』二一五頁の記述」の真の一次情報は、
⑸『續 宮澤賢治素描』の『原稿ノート』(昭和19年3月8日付、1p~3p)
であることになる。
 そしてその実際の中身は以下のとおりである。

    三月八日
 確か昭和二年十一月の頃だつたと思ひます。当時先生は農学校の教職を退き、猫(ママ)村に於て農民の指導は勿論の事、御自身としても凡ゆる学問の道に非常に精勵されて居られました。其の十一月のビショみぞれの降る寒い日でした。「沢里君、セロを持つて上京して来る、今度は俺も眞剣だ少なくとも三か月は滞京する。俺のこの命懸けの修業が、結実するかどうかは解らないが、とにかく俺は、やる、貴方もバヨリンを勉強してゐてくれ。」さうおつしやつてセロを持ち單身上京なさいました。
 其の時花巻駅迄セロをもつてお見送りしたのは、私一人でした。駅の構内で寒い腰掛けの上に先生と二人並び、しばらく汽車を待つて居りましたが、先生は「風邪を引くといけないからもう帰つてくれ、俺はもう一人でいゝのだ。」折角さう申されましたが、こんな寒い日、先生を此処で見捨てて帰ると云ふ事は私としてはどうしても偲びなかつたし、又、先生と音楽について様々の話をし合ふ事は私としては大変楽しい事でありました。滞京中の先生はそれはそれは私達の想像以上の勉強をなさいました。
 最初の中は、ほとんど弓を彈くこと、一本の糸を彈くに、二本の糸にかゝらぬやう、指は直角にもつていく練習、さういふ事にだけ、日々を過ごされたといふ事であります。そして先生は三か月間のさういふ火の炎えるやうなはげしい勉強に遂に御病気になられ、帰国なさいました。
 〈関登久也著『續 宮澤賢治素描』の『原稿ノート』 (日本現代詩歌文学館所蔵)〉

 つまり、この〝⑸〟が、「沢里武治氏聞書」の真の一次情報であり、この〝⑸〟からは、
㈠ 「確か昭和二年十一月の頃だつたと思ひます」というように、文頭に「確か」を付けているから、沢里はこの時の上京の時期は「昭和二年十一月の頃だつた」ということに、かなりの確信があったであろうこと。
㈡ 賢治は、三か月間の激しいチェロの勉強のせいで遂に病気になってしまって、帰花したということ。
が導かれる。
 言い方を変えれば、先に実証したように、大正15年12月2日~昭和2年3月1日の「三か月間」の滞京は現「賢治年譜」には当て嵌めることができないので、
 この一次情報である〝⑸〟は、当然、現定説〝○×〟の典拠にはなり得ない。逆に、現定説〝○×〟の反例になっているから、もはや現定説〝○×〟は即棄却されるべきものであり、修訂されねばならない。
ということになる。

<注一> 私がなぜこの一次情報〝『續 宮澤賢治素描』の『原稿ノート』〟を見ることができたのかというと、私の恩師の一人が関登久也の長男と友人であり、その関わりで私もその長男に何度かお目にかかったことがあり、その際に、『原稿ノート』の存在を教えてもらえたからである。そこで、その方から許可をいただき、『日本現代詩歌文学館』に申請して閲覧できたのだった。
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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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