《創られた賢治から愛すべき賢治に》
「本統の百姓」先頃「本統の百姓」について少しく考えてみたのだったが、たまたま手に取った本の中で佐藤通雅氏はこのことについて次のように断定していた。
〈本統の百姓〉とは、土や泥にまみれ、地平にはいつくばって生きる存在の謂(いい)にほかならない。……①
<『宮澤賢治 東北砕石工場技師論』(佐藤通雅著、洋々社)108p> このことを知って、先刻拝読した“日高見 猫十氏の文芸評論『宮澤賢治の昭和三年』”のことも思い出しながら、「本統の百姓」についてちょっとだけまた考えてみる必要があると私は判断した。
次のことに関しては既に触れたことだが、日高見氏は同評論において、
「北上川が一ぺん汎濫すれば百万疋死ぬ鼠」と同じような境遇の百姓のために、自ら百姓になっておれは働くのだ、という賢治なりの決意宣言。それが賢治のいう「本統の百姓になります」のなかみだった。……②
と断定していた。したがって、佐藤・日高見両氏とも「本統の百姓」についてはほぼ同じような認識をしていると言えそうだ。途端に、ある疑問が生じた。先刻、日高見氏の見方“①”を知った際にはそれほどの疑問は抱かなかった。そうか日高見氏はこのように受けとめているのかと思っただけだった。ところが、この度お二方共にこう思っていらっしゃるということを知って、はたしてそうだったのだろうかという疑問が急に私の中で頭をもたげてきてしまった。なぜならば、お二方共に同じように見ていらっしゃるということは、世の中の多くの人もそのように受けとめているということになりそうだし、一方、私としては賢治はそんなことはなかったはずだと思っていたからだ。つまり、
賢治は花巻農学校を辞めて「本統の百姓」になるとは言ったものの、実際に「土や泥にまみれながら水稲等を作っている貧しい百姓」に自らもなろうとした、と世の中の多くの人は賢治を見ているのか。
という疑問が湧いてきた。当時花巻周辺のお百姓さんといえば、そのほとんどは小作地も含めたわずかの田圃をつくり、ために割高の小作料を払い、それゆえ自分達が作ったお米さえも満足に食べられないというのが実態だったと聞くが、賢治は農学校を辞める直前も、下根子桜に移り住んだ時も、その後でさえも一度だってそのような百姓になろうなどとは思ってはいなかったのではなかろうか。そのことは、賢治が下根子桜に移り住んでいた2年4ヶ月の間に、賢治が自分の田圃で稲を育てたことが一度もなかったということから容易に明らかになることだと思う。
当時の花巻周辺で、自分でお米を作ろうとしない百姓が「本統の百姓」たり得ないことは自明のことであり、おのずから、賢治がなろうとしていた「本統の百姓」とはあくまでも賢治の謂うところのそれでしかない。
のではなかろか。続きへ。
前へ 。
”みちのくの山野草”のトップに戻る
〈道・ことば〉の意味を如何に読むべきか、ということほどある「難有い々々々」はないのでは、……?
で、小生が、老荘哲学や禅仏教哲学に深入りを葉決めたはじめた問題意識の発端はまさにそtそれなのでした。そして、他ならない、漱石の問題意識の中核もまたそれであり、もしかして、「賢治のせれもまた?「」というのが、実は、ここ20二十年間の小生の賢治宙宇へのコダワリなのでした。で、もう一つのコダワリが、新渡戸稲造、内村鑑三、幸徳秋水、斉藤宗次郎らとの関連で思量を加えている非戦平和観問題という次第です。米内光政、松本竣介、舟越保武、高田博厚そして谷川徹三との因縁性起を持ち出しているのもそんんあテーマ性に元瑞手基づいている次第です。
それだけに、田中智学の八紘一宇主義や石原莞爾医師と板垣征四郎そして甘粕正彦や北一輝らによる満洲帝国建設をもくろんだ、国家社会主義的帝国主義的植民地侵略の歴史的正当との連結には。たとえば、TY氏や松丸本舗氏の賢治観には、それを肯定所する心象を。
で、ここで何を書きたいかというと、「ほんとうの幸福」とか「まことの幸福」での、〈ほんとう〉とか〈まこと〉という言語表現で賢治が代理している意味の深みをどう読み取るか、という難題。漢字「」を用いた「本当の百姓」や「本統の百姓」というげ道取における〈本当〉や〈本統〉という、概念付けや名づけにによって、賢治が「意味づけようとした内容や如何、という問いから始める必要はないのか、というのが小生の老荘哲学的、禅哲学的、編代現代言語哲学的な懐疑というしだいです。
世俗流通固定化している慣用的意味内容への問い直しには一切の感心を関心払わない、「東北の極貧の百姓の事実としての悲惨に無知にして無恥なる金持ちのボンボンの手慰みの挫折は当然だべし」という持って行き方には、……。多少の師理学地理学、気候学、地政学を心得ていたなら、東北地方どころか北海道より自然環境条件の厳しい満洲開拓というビジョンのリアルの如何は。賢治はその辺についての知識の専門家だったのでは、……。
固より、〈世俗的な意味での幸福〉を前提にして読んだなら、「世界全体が幸福にならないうちは」と書き換えられた提言は勿論のこと、「世界がぜんたい幸福にならないうちは」という原詞を読むに際しても、「賢治はトータリタリアニズム(八紘一宇的全体主義)〉の徒だった」という論に抗弁できなくなってしまいますよね。老荘的幸福とか禅仏教的幸福、つまり〈悟り(見性自覚)〉なる身心境位は、世俗の幸福感からみると「不幸この上ない」という視座から始めないことには、……。
固より、六十七歳になる小生、いわゆる〈見性自覚なる身心境位〉とは凡そ無縁なのではゴザル訳ですが。因みに、老荘思想を生み出した時代状況とは、「我利私慾剝き出しの血を血で洗う悲酸極まりない修羅場としての人間世界」、ですよね。人間の貪欲慾は「喉元すぎれば熱さを忘れ、故に、歴史は繰り返す。」、と。
で、「原子斯核兵器戦争と原子核エネルギーの平和利用とのどっちのリスクの方が?」への小生の答案。勿論、非常識と思える応えの方。そのココロは、「〈百姓衆生(一般庶民)〉にとっても必需必須なる故にそれを捨てることができないだろう」、と。たとえば、王蟲と婦かい腐界を生み出した物質機械文明の終焉は核戦争が齎したのか?」、などと。漱石は『草枕』最終章でその問題に。「核融合エネルギー計算機がコンピュータに」の四十年前にでも原理的思量なら。
紀元前の中国の諸氏百家思想には原理的にはほぼ全パターンが。ギリシア・ローマ神話などにも、「人間にとっての最悪の不幸とは?」というアイデアが。たとえば、『シーシュポス(シジフォス)の神話』などに。その条件は、「先ず、自死の自由を奪われること」。その後に絶対神に課せられる責務や如何、と。意思ある人間にとって最も耐え難い苦役作業とは?その観点から、「人間にとってのささやかなる幸福とは?」、と。
とまあ、ありきたりのことを長々と。
「天使の様に繊細に、悪魔のように大胆に」
なのか、。その逆の、
「悪魔のように繊細に、天使のように大胆に」
なのか、というエピソード書いたことありましたね。世俗常識的には、「傍若無人、好き勝手、大胆なのは醜悪なる悪魔なるべし」。「繊細にして華麗、悪事などなさぬのが天使なり」といった概念付を前提にしているわけですね。既成固定化した、真偽善悪美醜パラダイムを適用すれば、それ以外の正答はないようにみえますが、天才黒沢明の着眼は、そんなjyステレオタイプな鋳型を壊すこと。
では、〈神ゴッド〉にサターンとは神に罰せられ地獄に落とされた堕天使なり」、と。故に、絶対権威なる神〉へのぬぐい難い〈劣等感コンプレックス〈〉wをその裏に蔵している。小悪魔ルシファーは然り当然。故に、「嫌でも注意深く繊細に立ち回らねば勝ち目はない」、と。一方、〈天使〉とは? 「神の権威を付託されたコワイモノ知らずのボンボンジョウチャンなるべし。されば…」。とまあ、そんなアイデアを。
で、〈ホンマモンの天才〉とは、この場合の、「悪魔型の心理」と「天使型の心理」との何方を背負いがちであるかについて思量してみると、……。権威や権力、流派や時代潮流の大勢屋や体制に順応追従して定型化したがる勢力を〈悪魔〉と呼ぶべきか〈天使〉と呼ぶべきかは、……。固より、斯なる見解を魔女理マジョリティに対けて喧伝することほどアブナイことは、……。
この意見の削除・非削除は先生にお任せします。ズルイでしょうか。
(続けます)
仰るとおり、
〈ほんとう〉とか〈まこと〉という言語表現で賢治が代理している意味の深みをどう読み取るか、という難題
があると思いますが、私はこの頃思うようになったのです、賢治のことを考えるのに何も「彼方へ」行かなくてもいいのではなかろうかと。私のような凡人は逆にあつかましく賢治の近くに寄って行って、普通の感覚で接し、いわゆる「常識」でもって一度賢治を見つめてみるのもいいのではなかろうかと。
したがって、この「難題」に深入りせず、私流に言い換えれば「深読み」などせずにまずはオーソドックスな言語感覚で賢治を眺めていいのではなかろうかと昨今思うようになりました。そしてそれが頓挫したならば、私はそこで諦めればいいのだと。
つきましては、「昔の問い」につきましても、当面私は目をつぶって近寄っていきたいと思っております。早晩道を踏み外して奈落の底に真っ逆さまかもしれませんが。
したがいまして、こちらのものはこのまま「非削除」ということで。
それでは、これからまた実家に行って参ります。ただし本日は泊まりませんので、辛さんからのまたのコメントをビクビクしながら楽しみに待っております。
鈴木 守