みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

大迫(2/14、天保義民之碑)

2020-02-17 16:00:00 | 賢治関連
《1 》(2020年2月14日撮影)

《2 天保義民之碑》(2020年2月14日撮影)

《3 天保義民碑》(2020年2月14日撮影)

《4 天保義民碑の碑文》(2020年2月14日撮影)


一念不能萬法無過
心外無心々身是雄

《5 》(2020年2月14日撮影)

《6 》(2020年2月14日撮影)


 会誌の『響くほら貝 創刊号』(稗貫・和賀の百姓一揆を語る会、2011年)の表紙の絵がまさにこの「天保義民の碑」のスケッチであった。そしてその見返しには、
 天保7・8年の「盛岡南方一揆」の始まりとなった「大迫通り亀ヶ森村穀改一揆」で処刑された、覚十郎と喜太郎の冥福を祈って桂林寺の当時の住職が建てたもので、その後放置されていたものを後世の人々が、処刑地であったこの地に再建したもの。
という説明がなされていた。
 そしてこの会誌の24pによれば、
 (喜太郎は、)盛岡越訴の一揆の時は覚十郎の命を受けて一揆の中心となり、若干19歳(21才説もある)で活躍した。…投稿者略…
 こうして覚十郎とともに木戸沢で打ち首になり、犯罪者として扱われたためか親類縁者が次々と離れていき、今でも親類はないという。
ということである。
 たしかに、「僕の身体なんか百遍焼いてもかまわない」という自己犠牲的な精神を高らかに謳うことも素晴らしいのかも知れないが、「百遍焼いても」ということは実際に出来るわけでもない。それよりは、己の死を覚悟して一揆の中心になり、そして結局は打ち首にされた喜太郎のような生き方こそが、自己犠牲的精神を発揮し、かつ実践したわけで、私はこちらの方がはるかに尊いと思う。「サウイフモノイワタシハナリタイ」ということよりは、「ワタシハサフシタ」なのではなかろうか。それは、どちらの方が容易いかを考えれば自明だからだ。
 そしてまた、だからこそ同誌に紹介されているように、
 村人の中で喜太郎を義民として顕彰しようという動きがあり、喜太郎を偲ぶ人びとが杉林の中にある神明宮の横に観音堂を立てて、喜太郎観音像を安置して守り続けてきた。
             〈同誌24p~〉
のではなかろうか。

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